1つめの記念スレ


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1つめの記念スレ

1: 騎士剣:05/11/09 17:24 ID:A/yxhPTA
勝手にスレを書き込んで勝手にレスをつけてくれぃ

1706: 名無しさんAA:18/11/09 01:20
< 小日本とアローンの志士 > よくも悪くもユダヤが世界の中心だった 132 

 ところが、この時期のハザール王国内では、国の未来を左右する大きな変動が生じて
いた。9世紀初頭のオバデア王の国政改革(799〜809年)でユダヤ教に改宗して
しまったのである。これによってハザール王国は世界史上、類を見ない「ユダヤ人以外
のユダヤ教国家」となった。しかし、ハザール王国のユダヤ教への改宗は、次第に悪い
結果を生み出していった。もともとハザール王国は、人種的に異なる種族が混ざり合っ
たモザイク国家である。ハザール王国のユダヤ教への改宗は、国を統一するどころか、
なんと、これまでハザール人によって統括されていた国内の微妙なバランスを崩すこと
になって、ハザール人の貴族同士の間では、ユダヤ教を受容する王国中心部のグループ
と、首都や王とは離れたていた地方在住のグループの対立が目立つようになっていった
。そしてついに835年頃、内乱の火の手が上がり、支配者側が勝利すると、反乱者の
一部は皆殺しにされ、一部は国外に逃れる事件となった。この事件は、反乱を起こした
有力貴族の部族名から「カバール革命」と呼ばれる。この有力貴族は家族とともにボル
ガのロストフの地に亡命したと言われる。このロストフはルス人の商人団が築いた根拠
地のひとつであり、ここで、ルス商人団の長の娘とハザール人の反乱貴族の長の息子と
の婚姻が行われた。ルシ族とはルーシ族とも言われる。こうして「ルーシ・ハン国」こ
うして後のキエフ・ロシア国の前身が成立したのである。後にハザール王国の後継者と
してビザンチン帝国に公認されるようになった。ルーシ族は帝政ロシア時代の民族主義
的な人々は、「ルーシにおけるヴァイキング」という概念からノルマン人の事とされた
が、今だ論争は尽きず謎とされる。862年、ロシア史の中で決定的な出来事が起きた
。ルス人リューリク大公の配下が、それまでハザール王国の支配下にあったドニエプル
川沿いの重要都市「キエフ」を無血併合したのである。キエフという名前は、もともと
はハザールの将軍クイの砦からついた名前であった。やがてこのキエフはルス人の町と
して発展し、「ロシアの町の母」となり、この町の名をとった公国「キエフ・ロシア国
(キエフ・ルーシ)」が、最初のロシア国家の揺籃となった。ルス人がキエフに住み着
いてから、ビザンチン帝国に対するルス人(ルーシー族)の脅威はますます増加して、
この後200年の間、ビザンチン帝国とルス人の関係は武装闘争と友好的条約の間を行
ったり来たりしてきた。つまりユダヤ国家から離れてユダヤに戻れなかったのがロシア
人と言うロシア正教会だったのである。このヴァイキング説から行けば多神教だった事
になる。


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