負けるなふたみー


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負けるなふたみー

1: ふたりー:11/04/09 00:17 ID:Wk
負けないためには、勝つしかない。
引き分けなど存在しないのだ!

812: 名無しさんAA:19/03/04 17:32
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -20

 この雷とは、単なる刺青(いれずみ)であり、彼らの世界での安曇の文様で呪術の、
習わしだったのだろう。と推測されるが、ここで問題は、黄泉醜女(よもつしこめ)に
追いかけられて逃げている事だ。「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」は、恐らくは酒か薬
物であり既にこの「黄泉の国」から逃げられない立場であったのだろう。つまり病気の
平癒に出かけて帰れなかった。と言う話である。黄泉醜女は文字通り醜い女と捉えられ
るが、逃げて行く時伊邪那岐命は蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投
げ捨てた、すると葡萄の実がなり、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。しかし、
まだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)と
いう竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた
。とされる。伊邪那美命はさらに、8柱の雷神と黄泉軍に伊邪那岐命を追わせた。伊邪
那岐命は十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂
(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追
ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。ここで伊邪那岐命は、桃に「人々が
困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と
名づけた。「意富加」とは「ほおかむり」「ほほ」などの語源と思われ、「牟豆美」と
は、牟とは自然の美しい風景を示し、豆は食糧を示す。これに美を足している。つまり
農業を起こした。モモの木を奨励した話しである。タケノコを食べたたのも神話の時代
からあった事を示している。禊のその時に、身につけていたもの(杖・帯・袋・衣服・
袴・冠・腕輪)を投げ捨てする時に十二柱の神々が出現した。とされる。衝立船戸神(
つきたつふなどのかみ)、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、時量師神(ときは
かしのかみ)、和豆良比能宇斯神(わずらいのうしのかみ)、道俣神(ちまたのかみ)
、飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)、奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那芸佐
毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)、辺疎
神(へさかるのかみ)、辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神
(へつかいべらのかみ)である。そして、イザナギノミコトは、「上流の方は水の流れ
が速く、下流はおそい。」とおっしゃられて、海の真ん中で身体(からだ)をお洗いに
なった時に、十柱の神々がお生まれになりました。最初の二柱の神は、黄泉の国にいた
ときの汚れたものから生まれた神(禍の神)で、ヤソマガツヒノカミ(八十禍津日神)
とオオマガツヒノカミ(大禍津日神)であるとされる。ここで敢えて「禍の神」マガツ
カミつまり厄神である事を伝えている事はここで戦争が起こったと考えるべきだろう。
そして次に生まれた三柱の神は、黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を取り除くとき
に生まれた神で、カミナオビノカミ(神直毘神)、オオナオビノカミ(大直毘神)、イ
ズノメ(伊豆能売)である。



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