反小沢一郎・反菅直人・親鳩山由紀夫・親鳩山邦夫


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反小沢一郎・反菅直人・親鳩山由紀夫・親鳩山邦夫

1: 加藤弘の上(全人類の上):11/08/07 11:59 ID:xdQ
本当に政権を与えてはいけない香具師は「小沢一郎・菅直人」の2人のみ。
多分、ポッポ兄は大丈夫じゃないかな。
この2人、「2大政党制」と言う概念を捨てる可能性はゼロに近いし、下手したら「小沢一郎・菅直人」の2大政党制を構想してるかもしれない。
※なぜ「2大政党制」を捨てる必要性があるかは>>2に記述する。

256: 名無しさんAA:19/01/10 10:34
 イミテーション・ゲームは続く32

 こうして、チューリング・パターン(Turing Pattern)がイギリスの数学者アラン・
チューリングによって1952年に理論的存在が示された自発的に生じる空間的パターンが
あみだされたが、これが10歳頃からの概念であるから驚きだ。現代でコンピュータは
ハードウェアがあり、ソフトウェアがなければ動かない。今では当前の話だが、殆どが
当時理解しなかった。歴史をたどってみれば、17世紀に発明された計算機械は歯車で動
いていて、特定の計算をすることしかできなかった。唯一日本の計算尺に表面の代用数
値を薄い漆塗りの竹で差し込んで変えると言う手動式の暗号解読計算尺のみがそろばん
と同じに存在していた。つまり、現在のようにソフトウェアを入れ替えて、色々な用途
に使用することはできなかった。違う計算をするためには、歯車自身の構成を変えなけ
ればならなかったのだ。チューリングは、今で言うソフトウェアという概念を考えだし
た。チューリングの『計算可能数とその決定問題への応用』が出版された1930年代に、
ソフトウェアを入れ替えて、1台の機械にさまざまな計算を行わせるという考え方は、
西洋ではとても斬新だった。計算機科学の分野におけるノーベル賞をチューリング賞と
言いますが、それだけすばらしい功績であった。チューリングの計算理論が、それがど
うして現在のコンピュータにつながるのか、その道筋に日本人のリコー計器からビジコ
ンに移った一人の技術者がそれを叶えている。嶋 正利(しま まさとし)である。日本
のマイクロプロセッサアーキテクトとして1967年の秋に日本計算機製造(株)茨木工場に
出向となり、電卓開発の仕事につくことになったが、相次いで開発されるICに対応する
ため、担当した電卓の開発チームが渡米してしまい、他の事情もあり嶋は一旦ビジコン
を離れたが、電子技研工業(1971年にビジコンに合併)から開発の仕事の打診を受け、
3ヶ月後に開発の仕事の出向社員としてで電卓の世界に復帰し、そして1970年、Intel
4004の マイクロプロフェッサーを開発し汎用計算ICを世にさすこととなったのだ。
既にプログラムの概念はあったが、OSとアプリの境目やICの汎用チップは、ここで
確立された。ここでチューリングの言った「どんな計算でもアルゴリズムさえ書くこと
ができれば計算可能なことだ」と言うチューリング・マシンという計算モデルを使って
理論的(数学的)に示したものが形になったのである。チューリングは、具体的には、
どのような方法でアルゴリズムを書くかについては、何一つ残してはいない。もちろん
、物理的機械としてチューリング・マシンを作るなど、当時はまだ非現実的なことだっ
た。しかし可能性を彼は知っていた。その後、シャノンは論理演算の理論であるブール
代数を使えば、あらゆるアルゴリズムを「回路」という物理的な手段で表現できるとい
うアイディアで、「回路」を電子回路で実現したのが、現在のノイマン型マイコンチッ
プコンピュータだった。


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