国分佐智子さんの魅力


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国分佐智子さんの魅力

1: 名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/02 16:12 ID:???
正統派アイドル・国分佐智子さんの魅力について存分に語りたいです。


533: シラノ:05/04/07 02:34 ID:???
佐智子さんへ

東京は桜満開へ。桜と言えば鹿児島の櫻島!?

NHKの新撰組は、とっくの昔に終わったけれど、佐智子さんは
西郷隆盛は知ってますよね!?(帰国子女佐智子さんの一般常識に、
多少不安感を抱いているシラノさん!?) 下級藩士でありながら
同僚の大久保利通とともに、錦江湾を隔て噴煙たなびく日本有数の
活火山櫻島に臨む薩摩藩(鹿児島)をリードし、明治維新を成し遂
げた英雄です。

この西郷隆盛については、残された写真のイメージから「茫洋とした
大器」(大人物)というイメージで語られていますが、その写真は、
実は弟従道(つぐみち)のもので、若いときの実像は精悍な顔立ちの
「切れ者」というべき存在だったとの語り伝えも残っています。そし
て、私自身も「切れ者」説を取っており、坂本竜馬暗殺の主犯も基本
的には西郷説を支持しています。

しかし、薩摩藩内で重きを成すまでに、青年西郷吉之助(隆盛)は
青雲の志を持ち人望を集めながら、下級藩士の悲しみで、薩摩藩内の
政争に翻弄され、自殺を試みて失敗するといった艱難辛苦を経験し
ています。そうした経験から、西郷隆盛は、「幾たびか辛酸を歴(へ)て
志(こころざし)始めて堅(かた)し」という言葉を残しています。
だから、そんな苦労をしている経歴的にも切れ者になるはずだと。
「冗談を言って人を笑わすのが上手かった」という言い伝えも、
そうした辛酸を舐めて磨かれた、周囲への配慮だったとすれば、これ
また切れ者であるとの評価に傾きます。

でも、この説に反対する証拠を示した人物がいるのです。その人物
とは、私の母なのです。
私の母は、書道家で、無学の素人ながら師範の資格を持ち、「もし
若いときから始めていたら、日本を代表する書家になれたのでは!?」
と言って下さる方もいらっしゃいます。日本の法曹の腐敗に苦しめ
られ続けた私は、挫けそうな自分に喝を入れるために、母に「幾たび
か・・・」の言葉を書いてくれないかと頼みました。しかし、病に
冒され既に筆に力が入らなくなっていたことを私に隠していた母は、
ついにこの願いを叶えてくれませんでした。(・・・私から膨大な
人生の時間を奪ったその苦しみを、佐智子さんの存在は超越させて
しまいかねないぐらいなんです。佐智子さんは本当に私の運命を変
えるかも知れない・・・)

母が示した証拠の話に戻れば、母は西郷南州(隆盛)の書がとても
好きでした。母に言わせると、人間としての大きさ、そして暖かさを
感じさせる字だと言うのです。その人柄が、その書にそのまま現れて
いるというのです。この母の示した「証拠」によれば、西郷隆盛は
一般的なイメージどおりの大器であったということになります。

この母の理解に従えば、西郷隆盛は、人間としての大きさゆえ内面
から自然に滲み出る情熱で人を惹きつけ導き、それがそのまま近代
史上稀なスケールの大きい存在として「伝説」となったということ
になります。
でも、内面から滲み出る情熱ということとなると、恋愛感情につな
がるものがあります。むしろ、一般の人には、西郷隆盛が持っていた
「国の将来を想う」という気概は実感し難く、その言葉や詩を恋愛と
いう誰でも経験する現象と間違えて結び付けてしまいがちです。
だから、西郷隆盛がこの国の将来を思い残した言葉や詩には、女性へ
の想いを託したものと「誤解」されているものがあります。
もっとも、逆に考えれば、人を想う気持ちがとてつもなく強く大きけ
れば、そのスケールは西郷隆盛が国の将来を想って託した言葉や詩で
表現する方が相応しいともいえます。




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