あ゛べぽ


オカルト@2ch2掲示板 > あ゛べぽ
全部1- 101- 201- 最新50

あ゛べぽ

1: あなたのうしろに名無しさんが・・・:09/05/26 20:33 ID:wM
| あべぽの時は近づいた。悔い改めて節穴を信じ、聖なる言葉「あべぽ」を唱えよ。 |
|  あべぽ、板中のスレに一斉に節穴あべぽをして神のあべぽさを知らしめなさい。|
\  聖なるAA(^^)はあべぽと山崎信者にのみ許される神のあべぽである。. /
  \                                            /
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                   ∧_∧
                   (  ^^ )
            (っ)    ,,,,l ` γ l,,,,,
             \ \/~~.... |。  ~~ヽ
               \,,/ |   |。卍}}\ \
                    |   |。  |  ヽ_ヽ
              _    |   |。  |   ゝつ
             |\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
 <      guest   !   あべぽ   !   あべぽ   !   >
  ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
    、        、        、       、        、
  /っノ      /っノ      /っノ     /っノ      /っノ
 / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧
 \\(    )\\(    )\\(    )\\(    )\\( 


106: 、呪の研究:09/11/03 22:28 ID:i2
私の周りには、臨死体験者、霊感・冷媒体質者、神職、僧侶、気功家、ヒーラーなど多種多様
な人たちが集まるようになった。

 そういう人々の中で、特に私が強く惹かれたのは、シャーマン的な霊能力者たちだった。彼ら
の生き様は、筆舌に尽くしがたい苦難の連続であるように見える。しかし、一方では彼ら
の光明を目指して、闇夜の曲がりくねった道を歩んでいる求道者でもある。また、彼らの
中には、さまざまな経緯から心の闇に呑み込まれ、霊的エリートとしての組織エゴを満たすた
めの使い捨ての道具として育て上げられ、呪詛と呪縛を専門に、信者や他の霊媒に対する
霊的攻撃、霊的虐待を繰り広げている人々もいる。特に、こうした心霊戦というなの闇の
世界での戦いが、今の時代でも起こっていることを知ったときの衝撃は大きかった。
、、、

出るくいは打たれるのが日本の社会の特質、横並びの意識の基づくいじめの構造である。
将来自分よりも「ランク」があがり、自分の仕事上の脅威になると思うや否や、業界の人間は
相手をつぶしにかかる。それで命を落としたり、再起不能になったり、というのが、祈祷
し・霊能力者の世界なのである。このあたりは、トランスパーソナル心理学で研究主題のひとつと
される自己意識の拡張と霊的成長のプロセスにかかわる私の疑問につながってくる。

私は確信を持って断言する。シャーマンとは、癒すだけではなく、滅ぼすものでもある。21世
紀の現代日本においても、奈良・平安の昔と同じく、呪術の伝統は脈々と息づいている。
専属祈祷師を養成している新宗教団体も存在する。ある新宗教団体では、霊能者の卵に向
かって「殺られる前に殺れ」とといている。「裏切り者は消せ」というのも、この世界の常
識である。


107: :09/11/03 22:29 ID:i2
ある意味で、四国は霊的に特別な場所なのかもしれない。人口の割りに祈祷師、霊媒が多
いのである。東京や大阪で仕事ができなくなった霊能者が四国で荒稼ぎをしたり、逆に四
国で看板を出したりすると「潰される」ために東京や大阪まで出稼ぎに行っている人たち
もいる。いずれにしても、「闇の世界」の出来事だから、表ざたになることはまずない。こ
うしたサバイバル・ゲームに勝ち残ったものが、この世界の有力者になっていくのである。

ある拝み屋のケースでは、同業者からの邪念によって緊急入院し、手術を受ける事態にまで至った。


「これは同業者の嫉妬からおきたことです。ある日の夜明け方、突然、全身に響くような
激痛で目が覚めました。最初は一時間くらいで直りましたが、次の日から、夜九時過ぎか
ら12時ごろまで内臓が引き裂かれるようなヤマイダレ・山 痛が毎晩は知るようになり、そ
れが7日間続いたのです。そのたび病院にいって診察を受け、痛みをとる薬を処方しても
らいましたが、、一向によくなりませんでした、、もちろん、レントゲンも撮りましたが異常は
見られなかったのです。7日目にはこれは普通ではないと確信したときには手遅れでした。

のた打ち回るような痛みが周期的に襲って来て、耐えられない状態になったので、救急入
院に行きました。診察を受けると一晩のうちに胆のうが炎症を起こし、大小無数の胆石が
できており、すぐに除去手術しないと手遅れになるといわれ、そのまま入院することにな
りました。

私は、これが呪詛の影響であることはわかっていたのですが、、、何とかなるに違いないと、
たかをくくっていたのです。」


108: :09/11/03 22:30 ID:i2
拝みやたちが口をそろえて言うところによれば、死者の霊体よりも生きている人間の念で
ある生霊のほうがはるかに恐ろしいという。なぜなら、死者の霊体、供養したり、刺激を
与えないようにすれば、必ずといっていいほど納得して攻撃してこなくなるという。それ
に、死者の霊体は、自分のことをわかってもらいたい、自分の存在に気づいてもらいたい
ために、いろいろな形でメッセージを送ってくるのであり、攻撃的な意図は持っていない
らしい。もちろん、そのメッセージを受け取った人の身体に多少の反応は出る。しかし、拝み
やたちに言わせれば、決して怖かったりするようなものではない。

これに対し、生霊は厄介である。なぜなら、逆恨みやごカイから、こちらがまったく面識の
ない相手までも、一方的に念を飛ばしてくるためだ。いくら邪念を祓っても、相手が生き
ている以上、完全に取り除くことは困難で、すぐに戻ってくる場合もある。相手と直接会
って話し合ったり、本心から分かり合って、誤解や行き違いを解かないと、相手の念を消
滅させることは難しいというのだ。

こうした現象は、他者が「呪」という形で、物質的に離れた場所から、あるいは、決して
対面することなしに、相手の心身に悪影響を与えようと企てているのであり、例えそのこ
とを知らなくても確実に心身を病むことになる。それゆえ、生霊と呼ばれる現象も、超心
理学でいう生体念力のひとつとして理解することができるだろう。


109: :09/11/03 22:31 ID:i2
団体間の勢力抗争、個人的な恨み、嫉妬、顧客からの依頼などが主である、何しろ物的証
拠が残らないので一般の人々の理解を超えている、、、。

超心理学では、、、生体念力という概念がある。これは、人の「意識」の方向付けによって
生物の細胞を活性化したり生体機能を回復させたりする「建設的な念力」である。

しかし、四国霊界、そして、専属祈祷師を養成している宗教団体では、実際には、呪縛、
呪殺を目的とした破壊的な生体念力を使う方が多いよう思えてならない。

ターゲットにした相手を心霊的な方向で攻撃するには、、いろいろな手段があるが、、、常套手段
としては、、、病気の症状を起こさせ体力を消耗させ、あわよくば死に至らしめる、という
形になる。もちろん、念を飛ばす側と受ける側に歴然たる「力の差」がある場合には、相
手を一気に衰弱させ死に至らしめることになる。しかし、もしこの相手がこの攻撃に持ち
こたえたならば、送った念が倍返しでもどってきて、加害者の生命が危うくなる「ブーメラン
効果」が起きる。利害関係が対立する拝み屋同士の場合は、まさしく「やるか、やられる
か」の世界なのである。


彼らの「暗闘」を知るにつれて、私はこうしたトランスパーソナル意識の光の部分と闇の部分を実
体験を持って垣間見ることになった、、。文献に記述されている知識では到底補うことので
きない生のデータ、いかなる本にも勝る圧倒的なリアリティを、私は四国霊界の人々と付き合うこ
とによって実感するようになったのである、、


110: :09/11/03 22:33 ID:i2
呪詛シンドローム

(1) 発熱、眩暈、耳鳴り、?痛、へんとう痛、寒気、吐き気、全身倦怠感、、、?、、

一週間、、??、、定時的(特に夜間)に生じるのが、、??、、症状、、、呼吸困難、運動機
能障害、手足の動きが鈍くなったり、痺れを伴う????内臓疾患、特に従来から機能の
弱っていた、臓器に急性の症状が現れ、急速に悪化する、どこが弱るかは、個人差がある、、
医者にかかると、、自律神経、失調症、更年期障害、風などと診断されることが多い、、

麻薬、、治療を受けても、、症状の改善は無い、、、内臓疾患の場合、、潰瘍、悪性、新生物(癌)
もある、、、重篤な状態にいたり、緊急入院、、、、??、、手術を受けたりする、、

精神症状、、、=、、悪夢、金縛り、幻覚(夢か、現実か、わからない恐怖を伴う、ビジョン
に襲われる、やる気や、記憶がうせ、、憂鬱感が高まる、憂鬱感が高まる、情緒的に不安定、
焦燥感、イライラ感、軽い神経症に陥る、、。

そのほかの症状、、、=身体から悪臭が伴う(体臭でない)飼っていたペットが突然死する
神仏への供物・植物全般の腐敗が急速に進む(季節温度に関係なく)こうした状態が続く
ため、仕事に対する動機付けが、、低下して収入が、撃滅したり、いらいらしやすくなった
りして、人間関係のとらぶる(喧嘩、いさかいも、続発する やることなすことが、こと
ごとく裏目に出る

これらの出来事に加えて、物理的嫌がらせとして、無言電話、自宅訪問、住居周辺の土地
買占め、住居近隣への集団引越し、なども組み合わせて、じっこう、、する、、、これを何年
もやられると、、どんなに屈強な精神の持ち主でも、ひるんでしまう、、

このように霊的虐待においては、いわゆる(貧、病、喪)が、ある日を境に頻発するのである、 虐待の効果の中でも、特に心身の変調については、注目すべき必要がある、、。、

もちろん、呪詛の症状については、まずは医者にかかってみることを勧める。医学的な診
断と霊障は、症状的には類似していることが多く、思い込みの激しい人は「自分はのろわ
れている」と大騒ぎして、すぐに霊能者のところに相談に行ったりする。しかし、実は通
常の医学的症状であることが圧倒的に多い。いずれにしても、ここに記した症状に似てい
るからといって、「呪詛症候群」であると鵜のみせずに、異なった診断基準からも見てもら
う必要があることは言うまでもない。


111: :09/11/03 22:43 ID:i2
次に、霊的虐待が疑われるような場合に、どのような対応が考えられるであろうか。最初
に述べたように、第一、科学的因果関係が証明できないし、法律的な問題も問えないケースが
ほとんどであるので、大変難しい。それでもあえて、虐待に巻き込まれた、あるいは巻き
込まれる恐れのある信者や祈祷師に何ができるか、考えてみよう。

(1) 逃避=虐待に巻き込まれる恐れがある祈祷師の側から見ると、相談者の依頼を断る、
利害の対立する業務から撤退したり、廃棄する。要するに、危ない仕事には手を出
すな、ということである。信者の場合、この事態から逃避することはできない。相手は組
織につなぎとめたり、復帰するために呪詛を行うからである。

(2) 霊的防衛=結界を張る、防衛的な祈り、宗教儀礼を行う。このとき、防衛する側の
霊力、気力も必要となる。相手の団体の規模が大きいほど、攻撃力は急激に増大す
るため、よほど充実した気力がないとかわすのは困難である。あるいは高次の存在からの
救済力を得るために修行を積むことも考えられる。

(3) 法的手段に訴える=これは物理的な行為と、その動機を証明する必要がある。人形
やわら人形など、自分が攻撃のターゲットにされている物的証拠、写真、録音テープ、ビデオなど
を用意できるかにかかっている。刑事的には脅迫罪、傷害罪で告発できる可能性はある。
民事的には損害賠償請求。信者の場合、物理的な嫌がらせが明白であるときには、警察に
相談するが弁護士を立てて交渉を行う。直接話しても埒が明かない。


112: :09/11/03 22:45 ID:i2
「これは同業者の嫉妬からおきたことです。ある日の夜明け方、突然、全身に響くような
激痛で目が覚めました。最初は一時間くらいで直りましたが、次の日から、夜九時過ぎか
ら12時ごろまで内臓が引き裂かれるようなヤマイダレ・山 痛が毎晩は知るようになり、そ
れが7日間続いたのです。そのたび病院にいって診察を受け、痛みをとる薬を処方しても
らいましたが、、一向によくなりませんでした、、もちろん、レントゲンも撮りましたが異常は
見られなかったのです。7日目にはこれは普通ではないと確信したときには手遅れでした。
のた打ち回るような痛みが周期的に襲って来て、耐えられない状態になったので、救急入
院に行きました。診察を受けると一晩のうちに胆のうが炎症を起こし、大小無数の胆石が
できており、すぐに除去手術しないと手遅れになるといわれ、そのまま入院することにな
りました。
私は、これが呪詛の影響であることはわかっていたのですが、、、何とかなるに違いないと、
たかをくくっていたのです。」

拝みやたちが口をそろえて言うところによれば、死者の霊体よりも生きている人間の念で
ある生霊のほうがはるかに恐ろしいという。なぜなら、死者の霊体、供養したり、刺激を
与えないようにすれば、必ずといっていいほど納得して攻撃してこなくなるという。それ
に、死者の霊体は、自分のことをわかってもらいたい、自分の存在に気づいてもらいたい
ために、いろいろな形でメッセージを送ってくるのであり、攻撃的な意図は持っていない
らしい。もちろん、そのメッセージを受け取った人の身体に多少の反応は出る。しかし、拝み
やたちに言わせれば、決して怖かったりするようなものではない。
これに対し、生霊は厄介である。なぜなら、逆恨みやごカイから、こちらがまったく面識の
ない相手までも、一方的に念を飛ばしてくるためだ。いくら邪念を祓っても、相手が生き
ている以上、完全に取り除くことは困難で、すぐに戻ってくる場合もある。相手と直接会
って話し合ったり、本心から分かり合って、誤解や行き違いを解かないと、相手の念を消
滅させることは難しいというのだ。


113: :09/11/03 22:46 ID:i2
こうした現象は、他者が「呪」という形で、物質的に離れた場所から、あるいは、決して
対面することなしに、相手の心身に悪影響を与えようと企てているのであり、例えそのこ
とを知らなくても確実に心身を病むことになる。それゆえ、生霊と呼ばれる現象も、超心
理学でいう生体念力のひとつとして理解することができるだろう。

最近は、「手軽に霊感をつけたい」、「霊能者ってかっこよさそう」と思って、その道に入り
込んでしまう若い人たちもいる。しかし、くれぐれも言っておくが、霊感があることで得
をするようなことはほとんどない。得るものよりも、失うものの方が多いのが「拝み屋」
の世界なのである。実際に拝み屋をしている人々に聞いても、異口同音にそういう。彼ら
にとっては、平凡な人生を歩むほうがよっぽど幸せだというのだ。何も見えず、何も聞こ
えない状態でいるほうが、他の人の腹のそこ、本心がわからないから気軽でいられる。

私の知る限り、自分からそうなりたくて拝み屋になった人はいないが、一度拝み屋になる
と、常に自分自身の信仰を維持し、かつ霊的な力を安定的に発揮するために修行を積むこ
とになる。断食、滝行、水行などの荒行を繰り返す人もいるし、山にこもって瞑想したり、
日本各地の霊場を巡って祈りをささげたりもする。多くの人は自分が気に入っており、一
定期間自由に使える籠もり場を借りたり、所有したりしていて、精神修養のために時間と
労力を割いて、たゆまぬ努力を続けている。

もちろん、そのためにはお金が必要になる。なんらかの宗教組織に所属している拝み屋・
祈祷師の場合は組織が生活の保障をしてくれるが、個人で活動しているフリーの拝み屋の場合
は、その資金を自分で調達しなければならない。資金を持っていたり、有力な信者を抱え
ていたりする人は、生活に困ることなく、修行にも専念できるが、そうでなければ借金を
してでも、修行のための資金を捻出しなければならない、、、


114: :09/11/03 22:58 ID:i2
決して楽な生活ができるなどということはない。このあたりはしばしば誤解されていると
ころである。世間から見れば、多額のお布施を信者から集めて贅沢三昧できるのではない
かと、いぶかしげに思われるかもしれない。しかし、そういうやからはほんの一部であり、
霊的な成長がほとんど見込めない詐欺師まがいの半端物に過ぎない。いわば、札付きの無
法者である。あるいは、長い年月をかけて大勢の弟子を持つようになり、悠々自適の老後
を送る人もいる。しかし、多くの拝み屋は、生涯現役を貫く。金や財産とは無縁な人々も
多い。

実際、修行中は不思議なほどお金が入ってこなくなる。他人には決してそういうそぶりを
見せることは決してないけれども、お金の苦労、経済的困窮も、修行のメニューの一つである
と、彼らは自覚している。ぼろをまとい、あばら家に住んで、その日暮をしているのが普
通である。

では、そうまでして、なぜ彼らは修行に打ち込めるのだろうか?それは一つには神霊(神
仏意識、精霊)と交信し、自らのレベルを向上させ、そうして得た霊的智慧を愛他的な方向、
つまり人助けのために使うことが自分の使命だと自覚しているのである。ただし、そうい
う自覚にいたるまでにはいろいろな紆余曲折があって、達観するのは並大抵のことではな
い。

なお、霊的智慧には、光の要素と闇の要素両面が含まれている。そして、そもそも両者は
同一の神仏意識の表裏でもある。

よく「魔」が来る、「魔」にやられるという表現を彼らは使う。「魔」は多くの場合、象徴
的な形で彼らの前に現れる。日本では、キツネ、ヘビ、犬神などの憑き物信仰が昔からあった。

都市化したコミュニティからはそうした進行は消えても、霊能者の世界では依然としてこれらの
「動物霊」は生き続けているのである。私の印象では、これは実体としての動物の「霊」
が見えるのではなく、人の邪心、邪念といった想念が動物の姿に象徴化されて、超感覚的
に感知されるようになるようだ。邪念の種類や程度によって感知される象徴の風貌や色彩
も異なり、メッセージの入り方(口調)も違ってくる。高次の神霊、清浄なるものはまばゆい
光を放ったり、見るものに畏敬の念を起こさせたりする形で出現する。


115: :09/11/03 22:58 ID:i2
それを幻覚、幻想と言い切ることもできるだろう。が、魔の力を受けた人の身体的な変調
と、相手が呪詛をかけた時刻とが一致するなどの点も考慮するならば、ただの幻想ではな
いと思われる。ちなみに四国では「犬神使い」もいまだに存在する。民俗学の文献に、犬
神にとりつかれると高熱が続き、腹がキリキリ痛み、周囲に異臭を放つようになるという記述
があるが、私もそのとおりの症状を見たことがある。もちろん、西洋医学では別の診断名
になるはずだ。しかし、こうした「呪詛症候群」に対しては、これを解くためのテクノロジーに
長けた人が呪詛返しや呪詛ほどきを実施すると、ほとんど瞬間的に症状が消失してしまう
のである、、、。そこが通常の医学的症状と「霊障」との違いであろう。


拝み屋たちの間では相談に来た相手を病気にかからせるのも常套手段である。お祓い(浄
霊)に来るたびに、また別の症状を一定の潜伏期間をおいて起こさせるための呪術を試み
る。そうして信者をつなぎとめておくわけだ。まるで麻薬の売人である。このように、闇
や魔の要素抜きには意識の拡張プロセスを語ることのできない場合もあると私は考える。
自分を邪魔したり、足を引っ張る輩(他者の想念、邪心、邪念)にどう対処していくかと
いうことも含めて、光を目指す過程でどう対処するかが、いつも求道者には問われるので
ある。


116: :09/11/03 23:05 ID:i2
苦悩と困難

特に霊的な世界で仕事をする人の場合、「命の取り合い」になることは決して珍しくない。
奇麗事を言っていては、悟りを得る前に、この世から抹殺されかねないほど熾烈な世界だ
とを忘れてはならない。いずれにしても、霊的修行は想像を絶するような「苦行」の連続
である。苦行といっても、断食や水行といった儀礼的なものをさしているのではなく、人
生における出来事そのものが苦難との連続なのである。

一般に宗教的な世界へ入るようになる動機として、貧・病・争の3大要素が挙げられる。
霊的修行に入る人も、否応なく「神霊の世界」からこれらをもたらされることになる。否、
気づいたら、その道に引き込まれてしまっていた、といったほうが適切であろう。

私が知る限り、大病を病んで大手術を受けた、生死の境をさまよう事故にあった、自殺を
企てた、という経験を持っていない霊能者はいない。また、億単位の借金を背負った、財
産を手放した、というれいも珍しくない。さらに一家離散した、複雑な家庭環境に生まれ
育った、家族に殺されかかった、実の親に身売りに出された、こちらに原因はないのにい
つもトラブルを持ち込まれる、いつも同じパターンの敵が現れる、などという悲観的な出
来事も共通している。

つまり、この世で不幸であると考えられる、ありとあらゆる経験を、彼らは生まれた瞬間
からしているのである。最初は「これはうそだろう」と彼らの人生の出来事にはあまり注
目していなかったのだが、この世界に深く首を突っ込むようになってから人生観が変わっ
た。人によって経験の種類はもちろん異なるが、共通したパターンがある。彼らが極端な
貧・病・争体験をもっているとである。それは、普通の人ならまず耐え切れない出来事の
連続である。

最終的に、彼らは生きるべきか死ぬべきかを思いつめて、たいてい一度は自殺を企てる。
ところが死に切れなかったり、目には見えない「救いの手」が差し伸べられて助かってし
まう。ある拝み屋などは、癌が再発して未来を悲観し、どうせ死ぬ運命なら自分でけじめ
をつけようと、石鎚山の中腹のがけから身を投げた。ところが、木の枝がクッションの役
割を果たして、軽い怪我だけで一命を取り留めている。しかも、その事件の後、癌の進行
が止まり、やがて寛解してしまった。


117: :09/11/03 23:07 ID:i2
このように、何のために生まれてきたのか悩み、人生に絶望しても、決して死なせてはく
れないのである。そして、そんな経験をつむうちに、突如神がかりになったり、他人には
見えないものが見えたり聞こえたりするようになる。「自分はとうとう来るってしまったの
だろうか」と思っていると、自分を導いてくれる人や、援助してくれる人が現れる。これ
までの職業、家族関係、友人関係も総入れ替えとなって、見えない糸に操られるかのよう
に偶然の出来事が重なり、最終的には霊的な仕事を選択するように「持ってこられる」の
である。

そして、霊的な仕事の世界に入ったはいったで、今度は熾烈な戦いが始まる。いつになっ
たらこの「生き地獄」から開放される日が来るのか、と思ったりもするのだが、私の印象
では、これらの出来事はすべて「何かの意志」によって完璧なまでに計画され、アレンジされ
ている。つまり、必然として、人生における全ての経験がつながっているのである。

それは、人々が経験するさまざまな困苦に共感し、これを癒し、導く心を準備するための「大いなる計らい」なのだろう。

考えてみれば、イエス・キリストやブッダが経験した困苦も、こうしたパターンに近似している。私が
知っている拝み屋たちの場合でも、さまざまな悩みを抱えて相談に来る人に対して、霊的
次元での対処、解決法を示すために、修羅場を潜り抜けて生きるという経験が「必須科目」
なのだと思うようになった。

最近は気軽に霊的な修行の世界に入る人もいるようだが、修行ごっこならいざ知らず、本
気で修行するつもりなら、大きなリスクを背負っていることも覚悟してほしい。しかも、
霊的な世界で起こる出来事は、基本的に自己責任に帰属する。命を投げ出して責任を取ら
なければならない事態も起こりうるのだ。そのようなときには、誰も助けてはくれないし、
誰かにすがろうと思っても「大いなる計らい」によって一切の支援をたちきられてしまう
こともある。適切な指導者に指示する必要性は学校教育に通じるところもあるが、師匠の
霊的レベルを超えた圧倒的な医師が介入しはじめると、師匠でさえも手助けできなくなっ
てしまうこともある。


118: :09/11/03 23:08 ID:i2
現代の呪術戦

明治4年に制定された旧刑法の前身の「新律網領」には、呪を取り締まる法律が規定され
ていた。しかし、「丑の刻参り」のような呪詛は、現行の刑法下では罪に問うことがない。
呪等は迷信であるとして、犯罪の成立が不可能とされているからである。ただし、呪詛を
行っているところが物理的、感覚的に相手に知られれば、刑法222条の脅迫罪成立する
可能性はある(2年以下の懲役または30万円以下の罰金)。さらにいえば、自分はのろわ
れているという精神的重圧から、精神錯乱、神経症などを起こしたときには刑法204条
の傷害罪が適応されることもある(十年以下の有期懲役または30万円以下の罰金もしく
は科料)。

そうはいっても、現段階では霊的な加害行為の「効果」を取り締まる法律はないようなも
のである。それに、仮に「呪詛禁止法」を立法化しようとしても、最低でも心霊現象や超
常現象の存在について過小数の国民が肯定するような社会的合意(社会常識、社会通念の
形成)が必要となる。科学的、合理主義的な世界観が社会通念として浸透している以上、
科学的手続きで因果関係を証明できない呪詛は事実上野放しであり、それが呪詛を行うも
のにとっては実に好都合な世の中を作っている。

そもそも「呪詛」というのは、人に見つからないように行を行う秘儀である。素人はとも
かく、プロは物的証拠を残さない。「実は私、前からあなたをのろっています。ほら、これ
があなたに見立てたわら人形だよ」と、わざわざ相手に手がかりを与えるようなまねはし
ない。したがって、直接的な因果関係も証明できないわけだ。

霊的な力を行使する虐殺(psychic abuse)は、拝み屋の世界では常識のまた常識で、相
手がプロだろうと素人だろうとおかまいなしである。世間では「定説」やら「天声」を標
榜する胡散臭い組織から物議をかもしたが、「自分は詐欺にあった」と訴訟を起こせる人は
まだつらいかもしれない。もちろん詐欺的な霊感商法に関しては「私も憤りを禁じえない。
しかし、実際にはもっと奥深いところで、表ざたにならない出来事が起きているのである。

なお、私の言う霊的虐待とは、ある宗教組織がトランスパーソナルな意識(集合的意識)を媒介し
て、特定の個人を一方的かつ継続的に攻撃し、攻撃の対象となった個人が身体的、精神的、
霊的に深刻な打撃をこうむることである。この対象になるのは、第一に宗教団体からの脱
会を考慮している信者、第二に脱会を考慮している信者が相談を持ちかけた祈祷師、霊能
者、占い師またはそれに関連する領域の職業人、第3に組織が霊敵領域に関する同業者と
みなした個人で、将来脅かすようになると認定されたものである。ここでは組織体組織の
抗争の類は除外して考えることにする。


続きを読む
掲示板に戻る 全部次100 最新50
名前: E-mail(省略可): ID非表示