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指導改善研修の実態 横浜市
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 危険な玩具と、大きな赤ちゃん 38

 石橋と、小川は、小川が住友銀行久留米支店長時代、親交を結んだ事で石橋のたって
の願いにより、社長に迎えられていた。という経緯もあった。それだけに小川は新職場
であるプリンス側に立ち、大きく奮闘した。また、それゆえに、合併直前まで、社長の
椅子に固執できたともいわれている。住友銀行では、プリンスの内容を調査したが、現
状はとにかく、近い将来に貿易の自由化が行われ、資本自由化の黒船が到来したときの
状態を研究分析した結果、独立困難というものであった。そこで、合併の数年前、同じ
住友銀行系の東洋工業(現マツダ)とプリンスとの合併を画策した。しかし、これは失敗
に終わる。天才的な経営センスをもっていた松田一族最後の名社長の2代目の松田恒次
が頑強に拒否したからである。「合併するなら、自分のところより弱い会社とはしない
。強い会社、たとえば日産自動車となら考えてもよい。」と松田恒次は語ていた。住友
銀行頭取の堀田庄三は、経営者としての松田恒次を特に高く評価していただけに、下手
に無理強いして恒次を怒らせると、プリンスとの合併が頓挫するだけでなく、東洋工業
との取引関係も悪化すると考えた。マツダは近郊に多くの工場を抱えた上得意の客だっ
たからだ。プリンスとの合併の強行を行えず、プリンスと東洋工業の合併不調は、まも
なく一般に伝えられた。これにより、住友銀行系のプリンスと東洋工業の両自動車メー
カーには、当分合併の動きはないという憶測が財界やマスコミに支配的となっていった
。それがために、突然のプリンスと日産合併のニュースはセンセーショナルに報道され
た。住友銀行に限らず、富士、三菱、三和、東海、第一、三井、興銀、長期信用銀行と
いった当時の大手銀行が、自由化に備えて、あらゆる事態を想定してシミュレーション
を行っていて、住友銀行も東洋工業との縁談が断られて、あらたな合併先を模索してい
た矢先である。そこに突然、日産自動車という大型合併の話が舞い込んできたのである
。結局、プリンスは、通産省、石橋正二郎、住友銀行という関係者の思惑を絡ませなが
らも、トヨタ、東洋工業と合併を2度も模索して失敗、3度目の正直で、ようやく日産
との話がまとまった形だった。この為世間の評価は「石橋はプリンスの前途を見切り、
石橋家の財産保全のために、あえてプリンスを手放した。」と冷ややかだった。結果的
にも、一番利益を得たのは、石橋正二郎だったのも事実だったし、その後世界企業とし
て羽ばたく資金を得たのも事実だった。桜内大臣は、プリンスの合併先としては、最初
トヨタを選び、断られている。しかし断念せず、日産自動車との合併を画策していた。
それは社長の川又克二自身であった。桜内はまず、興銀頭取の中山素平を訪ね、日産の
メインバンクで、その背景に興銀から送り込まれた川又克二社長である事を知っていた
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