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指導改善研修の実態 横浜市
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 危険な玩具と、大きな赤ちゃん 40

 プリンス自動車販売は未公開会社であった。一般に、その内容は公表されていなく、
赤字が最低50億円から100億円と言われ「赤字100億円以上」の声が高く、石橋
正二郎もその額に驚いたくらいとされる。また、住友銀行専務の高橋吉隆と興銀常務の
梶浦英夫が、両社の内容を検討したときの一番驚いたのは、プリンス自販の莫大な赤字
であった。と伝えられる。トヨタ内では、自動車業界の再編成問題に対処の為、何年か
前から、三井銀行からの中川不器男社長直轄の「トヨタ特捜班」の調査機関ができてい
る。合併を噂されていた、いすゞ自動車、日野自動車などはもちろん、プリンス自動車
の内容も、特捜班の手で、洗われていた。それで、プリンス自動車はともかく、プリン
ス販売会社が、このような弱体では、合併しても将来大きな重荷になると判断し、トヨ
タはプリンス合併によるデメリットを重要視して、合併拒否に動いた。これに反して、
日産の川又社長は、この話に食いついた。いわゆる質より量を取ったのである。プリン
スを合併することで、トヨタに数字的に肉薄、日本一の日産への悲願に、大きく近づけ
ると判断したからだ。しかし川又には、プリンスの話に乗る3年前、軽自動車コニーの
愛知機械を引き受け、その経営再建に努力、成功させた経験があった。同じ興銀出身の
小田邦美が経営に失敗したのを尻拭いしたのだ。その経験による自信も手伝い、プリン
スの話に乗った。ことに、川又が目をつけたのは、プリンスの技術陣の高さだ。戦時中
、活躍した中島飛行機の技術陣は、業界でも有名でプリンスは、その中島飛行機の技術
者を中心にしていた。戦後、再出発した会社で惜しみなく技術者を持った会社は、成長
する自動車業界で、なにより必要な物だった。短時間で育成しうるものではない。こと
に、現実的な魅力は、プリンスが天皇の御料車をつくりつつあるという事実でも伺い知
れる事であった。これは広告宣伝としてもそうとうアピールするものであった。同時に
、第3回日本グランプリで優勝したプリンスR380の開発も捨てがたかった。又、プ
リンスの持つ三鷹、荻窪、村山の3工場も、日産の工場に比較、地理的条件にめぐまれ
ていた。こうした魅力があった。さらに川又には金融関係の拡大が見えた。日産は興銀
が主力銀行で、ついで富士、三和、協和、それに安田信託で、住友との関係は極めて薄
かった。しかし、プリンスを合併すると、当然、住友との関係が深くなる。住友は、同
じ都市銀行でも、当時、預金高の増加が顕著なことで有名だった。興銀を主軸に、4大
銀行のうち富士、住友、三和をもつことは、日産自動車としては、まさに鬼に金棒の、
融資が可能になったのである。

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