♪美香の読了報告総集編♪


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♪美香の読了報告総集編♪

1: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:52
文学板の「読了報告スレッド」↓
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1058920850/l50

そろそろdat落ちをするので、ここにコピペしておきます。
いや、自意識過剰なのはわかっているけど、
せっかく書いたものだからだれかに読んでほしいということもあり……。
うざかったらごめんなさい。

124: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:02
04/05/17 10:14
「作者を探す六人の登場人物」(ピランデッロ/岩崎純孝訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。イタリア産。タイトルを見たらわかると思うけど演劇論を内包した戯曲。
ドラマという言葉のギリシア語的起源は「なされたこと」という意味。
だから史劇というのは、本来のドラマの意味に忠実なことになる。
そんな堅苦しいことを言わなくても、テレビドラマでも再現ドラマというのはよくあるでしょ?
夫が交通事故でカタワになった妻の愛情の記録とかw北朝鮮よ娘を返せとかw。
ドラマというのは本来がそういったものである、ここまではいいかな。
んで、この戯曲の新しい(面白いところ)は、「事件」と「芝居」の間隙を突いているところ。
幕が開くと役者が演出家のもと新作の舞台稽古をしている。
そこに登場するのが「作者を探す六人の登場人物」=「ある不幸な家族」。
かれらは自分たちの物語を芝居でやってくれませんかと演出家に頼む。
演出家は承諾する。かれらの物語がおもしろかったからである。
だが、問題が生じる。かれらが再現する事件と、役者が演技する芝居が食い違うのである。
知的な意味で非常に興味深い戯曲。だけど、あはは、あんま知的じゃないからなわたし……。

「南京虫」(マヤコフスキー/小笠原豊樹訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。ロシア産。喜劇です喜劇、大笑いしましょうぜ、がはははは。
というのもね、いまのロシア人なんて南京虫とおなじなんですから。
ここにロシア人がいます、20世紀のはじめ、もう共産主義がスタートしています。
若い男です、おめでてーことに本日結婚します。
だけどあたしらロシア人というのはどうもまぬけで酔っ払って火災がおきちまいました。
彼以外はみーんなお陀仏、ひとり彼だけは生きたまま氷の下で冷凍保存されました。
50年が経過。ときの共産党政府は発見されたかの冷凍保存男を解凍することに!
めでたく彼は一匹の南京虫とともによみがえりました。
ところがたいへん、この男は酒は飲むは、淫猥に歌はうたうわで。
50年後の進化した共産主義社会ではだれも酒なんか飲まないというのに。
そこで男は南京虫とともにオリに入れられ動物園へ。
まえの立看板にはこう書かれていたそうです。危険、近寄るな!
さあ、笑ってください。上演当時はロシアで大人気だったそうですから。
だめ。もっと大声で。手もたたいて。よし、わたしが見本を。
あー、おもしろい、あははあはは、ぱちぱち拍手、ぱちぱちあはは、ウラーウラー!

125: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:03
04/05/17 10:57
「リリオム」(モルナール/徳永康元訳/岩波文庫)品切
→戯曲。ハンガリー産。ひさびさにおもしろい戯曲に出会った。
わたしバカだから、こういうのが好きなんだよね、難しいのはだめ。
音楽は中島みゆき。主役のリリオムは柴田恭平しかいないっしょ(若い頃のね)。
この配役からもわかるように、驚くくらいこの戯曲は日本の大衆娯楽映画っぽい。
チンピラやくざの柴田恭平。だめと知りつつほれてしまうのは田舎から上京してきた娘さん。
ふたりは結婚する、ああ、美しき純愛よ。
だけど柴田恭平はまじめに働くことなどせず、妻につい手をあげてしまう毎日。
おれはね、かたぎじゃないの、大物だから、いつかでっかいことを……そんな口癖。
妻の妊娠を知った柴田恭平は喜ぶ。ここらで、一発、どかんと。
悪友にすすめられて銀行強盗を企てる柴田恭平だが――(予告編終わり)。

「西国の伊達男」(シング/山本修二訳/岩波文庫)品切
→戯曲。アイルランド産。訳は古いけど、おもしろいんだなぁ。
これも偶然、主役は柴田恭平できまり。伊達男で軽薄そうで笑顔が甘くて(w
田舎町の酒場にふらりと立ち寄った柴田恭平、町の女は大騒ぎ。
聞くと柴田恭平は父親を殺してきたというじゃないか、うーん、影があって最高。
町一番のいい女(若い頃の倍賞美津子)もこの放浪の殺人者にベタぼれ。
だけど、実は柴田恭平は逃げてきた故郷の町ではまったくのダメ男。
女から相手にされたこともない。柴田恭平、うーん、口八丁手八丁の男。
そしてそして、なんと実は死んでいなかった彼の父親が息子を探しにやってくる――(予告編終わり)。
上の「リリオム」もそうだけど、ちょっと設定を変えれば現代でも通用する。
そこが古典の魅力なのだと思う。たとえばこの「西国の伊達男」だったら。
舞台は公立中学校。転校生がやってくる。うわさではまえの学校で傷害事件を起こしたとか。
クラスの女子は大騒ぎ。いじめられっ子だった転校生が一転、新しい学校ではモテモテに。
ところがいとこがまえの学校にいるというクラスメイトが現れ――。なんてね。

126: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:04
04/05/17 11:38
「ケペニックの大尉」(ツックマイヤー/杉山誠訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。ドイツ産。これが入っている筑摩書房世界文学大系90「近代劇集」。
古本屋前のワゴンでよくお見かけするあれです。
これまでもよく登場したけど、すごいんだこれ。活字が三段組み、わかるかなぁ。
ページにずらっと文字ばかり。そのおかげでページを食う戯曲を9つも
一冊の本に入れられたんだろうけど、うーん、とっても読みにくい、目が痛くなる。
これを読了したのは日本でわたしとあと何人くらいいるんだろうか……。
この「近代劇集」に入っている中でいちばん無名なのが「ケペニックの大尉」。
べつに読まなくても良かったんだけど、どうもそういうのって落ち着かないから。
で、読了。国家風刺劇。前科者の乞食が大尉の軍服を着たらみんなへいこらするという。
注目点はひとつだけ。この大尉の軍服が真の主役で、着る人の変遷が筋と重なるところ。

「トロイ戦争は起こらない」(ジロドゥ/鈴木力衛他訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。フランス産。ギリシア悲劇の変奏戯曲。
ラシーヌといい、アヌイといい、サルトルといい、
フランスの劇作家ってギリシア悲劇が好きだよね。
ギリシア神話的な知識がないとつらいかも(エッヘンわたしはあるから大丈夫)。
たとえば太平洋戦争、日米開戦直前、真珠湾攻撃はとめられたのか?
というのが、この戯曲の(いわば)普遍的なテーマになる。
個人、個人がなんとかトロイ戦争をとめようとする、さあ、どうなるか。
「トロイ戦争は起こらない」のか? 読んでのお楽しみです。
ところで映画「トロイ」が公開されるらしいけど、日本人にゃ受けないと思う。
日本でもヒットしてしまったら、日本人はほんとうにバカだという証明になる。
欧米の底に根を張るギリシア神話的世界観が日本にはまったくないんだから。

127: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:06
04/05/20 10:59
「悪口学校」(シェリダン/菅泰男訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。イギリス産。わたし戯曲は私的上演時間(この本なら二時間半)
を設定して一気に読むようにしているけど、この戯曲は一幕目でストップした。
サロンもの。つまりお金持ちのおじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんが、
愛してるだの恋してるだの嫉妬だの破産だのというふうに繰り広げる喜劇。
屏風シーンが有名とのこと。ある人が屏風の中に隠れて会話を聞いているのに、
そうとは知らないものがうっかりしたことをしゃべってしまうという――。
典型的なお客に受ける(笑わすことができる)シーンというのがいくつかある。
催笑作劇法とでもいうのか。その古典的な一方法を学んだと納得する。

「人の世は夢」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。スペイン産。人生は夢のようなものだと不遇な王子が悟り、
今まで自分を虐待してきた父親の王様と和解する物語。
学者さんだったら言いそうなことをたまには書いてみよう。
ギリシア悲劇の場合、神の予言(預言)はかならず的中する。
だが17世紀に書かれた本作では王子は暴君になるという予言はあたらない。
ここに人間の自己主張、人間性への信頼を見て取れる。
だからなに? と問われたら「べつに」と答えるしかないけれど学問なんてそんなもの(きっと)。

「サラメアの村長」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。スペイン産。自分の娘を軍人にレイプされた村長(身分は農民)が
仕返しにその軍人を縛り首にするが、村長は罰せられず反対に国王から誉められる物語。
何気にレイプシーンがえろいね。どきどきした。
――というのが、学者ではないふつうの読者の読み方(w

128: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:08
04/05/25 11:26
「緑色のストッキング・未必の故意」(安部公房/新潮文庫)絶版
→戯曲。収録作品は四つ。タイトルになっている二作のほかには、
「愛の眼鏡は色ガラス」「ウエー(新どれい狩り)」。
この文庫本はどうしてもほしくてネットで買ったんだけど高かったな……。
定価520円のを980円で、送料を入れたら1300円近くもかかった悔しい。
さて、それほどの価値はあったのかと考えると、うーん。
安部公房(戯曲)の特徴は「ありえねー」状況に凡人を送り込むところにある。
そこでの凡人のリアクションを喜劇として見せる。
観客は大笑いして帰宅すると、あれっと思う。
永遠に続くように思われていた日常生活が別の相貌を帯びて見えるからである。
というのが安部公房戯曲(小説も?)の根本。
カフカ「変身」の系列上にあることはわたしが指摘するまでもない。
よってその戯曲がおもしろいかどうかは発想の巧拙にのみかかる。
卑近な例をあげると、ドラえもんの作者と作品誕生の経緯が似ている。
子供の発想。あんなこといいな、できたらいいな♪という。
結果、成功しているのは「緑色のストッキング」「ウエー(新どれい狩り)」、残り二つは失敗。
安部公房戯曲の最高傑作「人間狩り」を改作した「ウエー」には期待していたけど、
(まあ笑えるが)なんかな、元のままのほうがおもしろいのにと残念。

「反劇的人間」(安部公房とドナルド・キーン/中公新書)絶版
→対談本。対談にも良い悪いがあるのをご存知ですか。
Aがあることを言う。このAの発言に刺激されて、
Bは今まで考えてもいなかったことを言ってしまう、いわばAに言わされる。
この繰り返しで、話が思いもよらなかったところに飛ぶ。これが良い対談なわけです。
Aの発言とはまったく無関係に、以前からの主張をBが言う。
こういうふうに二冊の口語体の本を読んでいるだけの対談は悪いものの典型。
芝居と同じということになる。
うまい俳優というものは、相手のセリフをよく聞くといわれています。
さて、この「反劇的人間」は、うーん、良い戯曲にはなっていなかったですね。
そうです、良い対談とは良い戯曲と同義であーる!

129: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:09
04/05/25 12:32
「戯れに恋はすまじ」(ミュッセ/進藤誠一訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス産。ミュッセ(1810-57)はシェイクスピアから影響を受けたとのこと。
ミュッセってどんな人かと聞かれたら、そうだなうーん、大恋愛をしたせいで、
恋愛ものばかり書いていた人って感じかな。大作家じゃないよ小物、極小(w
でもまあ、おフランスものだから、好きな作家にミュッセとかあげたらちょっとセレブかも。
テーマは恋愛と嫉妬の関係。ほら、あるじゃん、好きなひとへのあてつけに
わざと好きでもないひととデートして見せつけるとか、そうあれあれ。
だけどストリンドベリの半分の迫力さえない、上品なんだなミュッセは。
内容。王子様は婚約者がつれない態度を取るので、村娘を愛しているようなふりをしました。
ほら見たことか、嫉妬にかられた婚約者と王子様は大恋愛へ。
しかし王子様の愛を本気にしていた村娘はだまされていたと知り自殺する――。
だーかーら、「戯れに恋はすまじ」! チャンチャン♪

「マリアンヌの気紛れ 他一篇」(ミュッセ/加藤道夫訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。フランス産。ほんと恋愛なんてだれが発明したのかね。
すごい大発明だよ。おかげで小説のテーマにゃ困らないし、
歌謡曲のテーマも永遠に補給されるし、何より人間の退屈な人生に潤いをもたらした!
ひとは自然に恋愛をするのではない、恋愛劇や恋愛小説があってこそなのである。
完全な恋愛というのは実生活にはない、小説や戯曲に完成品としてあるだけである。
人間にできるのはそれにあこがれ真似することだけ。
なんでこんなありふれた説をだらだら書いたのかというと、もうミュッセうざすぎ(w
とくに西洋は神への愛と人間の愛がごちゃまぜになっているからしつこいんだ。
コックさん、油を使いすぎだよってな感じ。
おまけ(他一篇)についていた「バルブリーヌ」のほうがまだ読めた。
シェイクスピア「シンベリン」と同じで、
貞節な妻が夫の留守中になびくかどうか、夫と友人が賭けをする――。

130: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:10
04/05/25 13:28
「織工」(ハウプトマン/久保栄訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。ドイツ産。ハウプトマン(1862-1946)はドイツの近代劇の創始者。
演劇史的にいうと近代劇といえばイプセン、その影響のもとにストリンドベリやら
バーナード・ショーがでてきた、そのドイツ版がこのハウプトマン。代表作がこれ。
悲惨な労働条件の中、困窮する織工たちは団結して工場主に反旗を翻す――。
だからといって決して革命賛歌の劇ではなく、暴徒となった織工たちを客観的に
(ある意味では冷徹なまでに突き放して)見る作者の視線がある。
作品としておもしろいかと聞かれたら否だけど、演劇史的観点からは興味深い。
王様の葛藤とか貴族の恋愛遊戯ではなく、ついに資本主義社会を描く戯曲が現れたのかと思うと。
薄いし、読んでおいても損はない古典。

「沈鐘」(ハウプトマン/阿部六郎訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。ドイツ産。壮絶につまらない。今年のワースト1はこれに決定。
イプセンの「ペール・ギュント」と同じで、何かの民話が下敷きになっているのでは。
まったくわからん。2時間で読み飛ばせたのは遊びに行く時間が迫っていたから。
イプセンの「ペール」もそうだけど、復刊リクエストがでているんだよね。
教えてあげたい。つまらないからおやめなさいと。

「聖火」(モーム/菅原卓訳/白水社「現代世界戯曲選集」第5巻)絶版
→戯曲。イギリス産。モーム、日本では小説家としてしか知られていないけど、
イギリス演劇史のうえではけっこう重要な役割を果たしていたりする。
だけどモームの戯曲で邦訳があるのは(調査すると)おそらく六作だけ。
そのなかの貴重な一作がこれ。昭和29年刊行。そこそこぼろぼろ。300円で購入。
買ってきた日に読んだんだけど、これがおもしろいんだなぁ〜。
久しぶりの傑作戯曲。優れた戯曲を読むと幸福な気分になる、だれにでも笑いかけたい気分。
下半身付随で寝たきりの長男が原因不明の死亡、さて犯人は母親か妻かそれとも自殺か――。
巧みなストーリー構成、どきどきさせるサスペンス、意外な落ち、豊かな人間描写。
わたしだけが知っている名作ということですな。

131: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:16
04/05/31 06:04
「深い青い海」(テレンス・ラティガン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版
→戯曲。イギリス産。福田恆存がある本でお薦めしていた戯曲。まれに見る傑作。
こんなにおもしろい戯曲が日本人にほとんど知られていないのはさみしいかぎり。
わたしのようにたくさん戯曲を読んでいても、ここまでの良品にはそうは出会えない。
さて、良い戯曲とはなにか(わたしにとって)。
まず、なによりおもしろいこと、先が気になってしかたがないような戯曲。
そしてバランス。朝がきてひとが動き出す、もっとも活動的な昼、疲れて眠りにつく夜。
たとえば「起承転結」だのといわれている、あの生命特有のリズムを持つ戯曲である。
ことが起こり、それが展開して、最後には収束(解決)するひとつの事件=芝居=戯曲。
そんな事件をわたしは目撃したいのである。
何も起こらない毎日を淡々と生きるものとして、始めも終わりもない退屈な日常にいやいやしながら。
本作品はある集合住宅(アパート)で自殺未遂者が発見されることから始まる。
彼女が自殺を試みたのは失恋が原因である。
なんとか彼女を助けようとするアパートの住民たち。はたして彼女はどうなるのか――。
こんな戯曲が読めると思うと生きているのも悪くはない気がする。

「花粉熱」(ノエル・カワード/鳴海四郎訳/白水社「現代世界戯曲選集5」)絶版
→戯曲。イギリス特有の風俗(風習)喜劇というジャンルに属する作品。
英国人は芝居に哲学など求めていない、ただ一晩の笑いがあればと出かけていく。
そんな姿勢がよくわかる作品。おかしくて、笑えて――。
奇妙な四人家族がいる。女優の母親、小説家の父親、息子に娘。
四人がそれぞれに休日に友人を招待したが、その友人たちはこのおかしな一家に翻弄される。
なんでもかんでもお芝居をはじめてしまうからである。
翌朝にこの四人の訪問者がこれはたまらんと逃げ出していくまでを描く。
見事な戯曲です。拍手ぱちぱち。

「にわとり」(ショーン・オケーシー/菅原卓訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版
→戯曲。アイルランド産。よくわからなかった、何が起こっているのか、どこがおもしろいのか。
悪魔がでてきたりするんだけど、いないっしょそんなもん(w
イギリス人はアイルランド人を差別していた(いる?)というけど、
こんなのを読まされるとアイルランド人はバカかと思ってしまう。
退屈な戯曲を読んだときのやりきれなさはなんとも言いようがない。

132: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:30
04/05/31 07:12
「花咲くチェリー」(ロバート・ボルト/木村光一訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版
→戯曲。イギリス産。ギリシア悲劇は神に近い英雄の受苦を描いた。
シェイクスピア悲劇では王や王子が大立ち回りをして死んでいった。
現代劇――。家族に見放されたセールスマンの父親がみじめにうつぶす。
アーサー・ミラー「セールスマンの死」とそっくりな戯曲。ダメ親父の物語。
いつかリンゴ農園を開くのが夢のこのダメ親父は会社をリストラされ妻からも愛想をつかされる。
じつにうまい作劇術で、観客(読者)をあきさせない。
イギリスのチェーホフと言われているとのこと。
良い戯曲を読んだなぁという、しっかりとした満腹感がある。

「すべての季節の男」(ロバート・ボルト/小田島雄志訳/河出書房「現代世界戯曲集」)絶版
→戯曲。イギリス産。古くはギリシア悲劇「アンティゴネ」から西洋にはひとつのテーマがある。
従うべきは神の法か、人の(=国の)法かという問題である。
日本には基本的にこのテーマはないんだけれども、例のオウム事件を考えるとそうでもないのかな。
麻原(=神)がサリンをまけという、日本国憲法はそれを犯罪だという、その間の葛藤。
この戯曲の舞台は、シェイクスピアが「ヘンリー8世」に書いた時代。
イギリス国王の離婚がローマ法王から認められないのでイギリス国教会を作るという――。
主人公のトマス・モア(国王の側近)は迷う。
ローマ法王(キリスト教=死後の法律)か、イギリス国王(現在の法律)か。
トマス・モアは神の法を選択して国王から処刑される。
こういうのを読むと、西洋文学への溝の深さをいやがおうにも実感させられる。
われわれ日本人は西洋文学なんてわかりっこないんじゃないかという絶望である。
命を捨ててまで従う神のいる国の文化(西洋文学)を神仏ごちゃまぜの日本人がわかるものか。
この作品は「わが命つきるとも」というタイトルで映画にもなったらしい。

133: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:31
04/05/31 08:12
「怒りをこめてふりかえれ」(ジョン・オズボーン/青木範夫訳/筑摩書房「現代劇集」)絶版
→戯曲。1956年、イギリスでこの劇が初演されたとき、すごい衝撃を与えたとのこと。
シェイクスピア登場以来の英国演劇史上の「事件」とまでのちには語られたらしい。
わたしが信頼している学者の小田島雄志さんもこの劇を絶賛している。
なんでもこの劇の主役、ジミー・ポーターは現代のハムレットであるという理由で。
だけど、うーん、わたしだけなのかな、これ決しておもしろくはないと思うんだけど。
普遍的なおもしろさ(古典的といってもよい)はないと思うんだけどな。
労働者階級出身の青年、ジミー・ポーターくんが妻に怒りまくる。
というのも、妻のアリソンさんが中流階級出身だから。
その発言、行動すべてが気に入らないというのである。
我慢できなくなった妻が実家に逃げたら、今度は妻の友人と愛人関係へ。
それでもジミー・ポーターくんの怒りは収まることがない。
最後は戻ってきた妻と仲直りして、動物園ごっこ。
ぼくは熊だぞきみはリスだ食べちゃうぞー♪ なんてラブラブなのはどうして?w
未熟で不快で退屈な戯曲だと思うけどな。
最後に演劇史的知識の確認。
オズボーンはウェスカー、ピンターらとともに「怒れる若者たち」といわれた。

「ルター」(ジョン・オズボーン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版
→戯曲。読むまえから絶対つまらないぞとなかば確信していたんだよね。
歴史上の有名人がタイトルになっている(いわゆる)評伝劇でおもしろいものを知らない。
バーナード・ショーの「聖女ジョーン」なんてその典型だけど。なんでだろう。
「神が作った劇=人間の運命→評伝劇」と「人間が作った劇」とのはざまで首をかしげる。
ルター。宗教改革かぁ。
世界史わたし高校時代ほとんど勉強しなかったからよく知らないんだ……。
免罪符の発行ねえ、堕落した教会ねえ。
だけど、ほんとキリスト教ってすごい。
二千年ものあいだ、あれだけ多くのひとをとりこにしたのだから。
あ、戯曲はやっぱりおもしろくなかったけど、読み飛ばしました、オズボーンつながりで。

134: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:31
04/06/03 09:14
「図解雑学 聖書」(関田寛雄=監修/ナツメ社)
→ナツメ社の「図解雑学シリーズ」はいいよ!
いぜんギリシア悲劇を読み始めたとき、これはギリシア神話の知識が不可欠だと悟った。
そこでほんといろいろギリシア神話入門書を読み漁ったけど、
その中でいちばんわかりやすかったのが「図解雑学 ギリシア神話」だった。
おそらく執筆者は編集者からサルにわからせるつもりで書いてくださいと頼まれているはず(w
左ページは本文で、右ページはそれを図解したもの+関連写真・絵という構成。
講義にたとえたら左ページは先生の口述、右ページは板書みたいなものかな。
この「図解雑学 聖書」でも、知る喜び、わかるという快楽を十全に味わった。
このシリーズは売れる(売れている?)と思う。

「キリスト教ハンドブック」(遠藤周作・編/三省堂)*再読
→5、6年前に遠藤周作に傾倒していたころ、キリスト教の本をたくさん読んだ。
これはそのときの一冊。あ、聖書本体はもちろん読んでいない(読めませんって)。
キリスト教か……。なんか、こう、体質に合わないんだなぁ、むかしより。
十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かって歩く男――その男は愛を説いていた――
そんな男にゃ石を投げつけてやりたいという、なんかね、こう屈折した思いがね……。
あ、この本の感想か。わかりにくい、それだけ。書いているのは遠藤周作じゃないし。

「寺院の殺人」(エリオット/高橋康也訳/白水社「現代世界演劇3」)絶版
→戯曲。イギリス産。いちおうキリスト教つながりということで。
テーマはキリスト教。またあの、国法か神の法か、というテーマ(おそらく)。
読後、良かったと胸をなでおろす。エリオット全集の戯曲の巻を買わなくて良かった〜。
どこかの古本市で1800円くらいであり、だいぶ迷った記憶がある。
訳が福田恒存だったということもあって。うん、エリオットは退屈であります。

135: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:32
04/06/05 08:18
「ソートン・ワイルダー一幕劇集」(時岡茂秀訳/劇書房)絶版
→戯曲。アメリカ産。一幕劇が5つ入っている。
有名なのは「ロング・クリスマス・ディナー」。
わずか一幕(30分!)である一家の90年もの出来事を描いてしまおうという実験作。
舞台下手は誕生の扉で、生まれるとここから出て来る。
舞台上手は死の扉で、死ぬとここから出て行く。そのあいだはクリスマス・ディナー。
下手から出たと思ったら上手に消えていくものもいる(=死産)。
生まれて死ぬ、人間はただそれだけの存在なんだと当たり前のことを改めて想起する。
ワイルダーは従来の自然主義演劇やその物語性をこういった形で否定した。
おもしろいひとである。

「結婚仲介人」(ソーントン・ワイルダー/水谷八也訳/新樹社)
→戯曲。アメリカ産。訳注がなければとほんとに思う。
ほらいるじゃん、独創性を主張したがる学者さんって。
だけど、もちろん創作の才能はない。あったら学者なんかやっていないわけだから。
すると、どうなるか。1ページに5コも6コも訳注をつけて自己アピールとあいなる。
まるで子どもが他人のおもちゃにつばをつけて、これボクのだよというみたい。
そんな幼児性をもっているのがこの戯曲の翻訳者、水谷八也。
せっかくのおもしろい戯曲を訳注でめちゃくちゃにしてしまった男、水谷八也。
都市の名前がでてきたら10行くらい使って、その特徴(外見・歴史)を書かないと気がすまない。
訳注なんて無視して読み進めばよかったんだけど、なんか気になって……。
内容は典型的なファルス(笑劇)。3組のカップルがめでたく結ばれる。
それまでには「立ち聞き」「取り違え」といったファルス固有のシーンがこれでもかとある。
観客のみなさん、ちょっとでもいいから冒険してみましょうというのがテーマ。
いつか訳注を飛ばして再読してみたい。じつにいい戯曲だから。

136: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:33
04/06/05 08:54
「サン・ルイス・レイ橋」(ワイルダー/松村逹雄訳/岩波文庫)品切れ
→小説。ワイルダーの出世作となった。
美香文学(てへっw)のテーマと密接に関係した作品。つまり人生は偶然か必然か。
1714年、ペルーで有名なサン・ルイス・レイ橋が崩壊し5人の死者をだした。
そのときある修道士は考えた。なぜ死んだのはこの5人だったのか。
世に起こることはすべて神のご慈悲である。
ならこの5人も死ななければならない理由があったはずである。
あのとき、あの場所に偶然居合わせたのには意味がなければならないということになる。
修道士は調査し一冊の書物にまとめたが教会はそれを認めず著者とともに焼き払った。
さて日本、2004年。テレビで毎日、交通事故のニュースが送られてくる。
なぜあのひとたちが? なぜわたしやあなたではなく?
ワイルダーがこの小説でどんな答えをだしたのかは読んでのお楽しみ♪
気になる? それにほんとに読んだひとがいたら怒られそう。
というのも、……答えなんて書いてないから。

引用。
「われわれには結局何もわからないのだ、神々の前には、われわれ人間は、
夏の日にいたずら小僧の手で殺されるトンボのようなものに過ぎないのだ、
という者もあれば、また反対に、スズメのようなものがその羽根一枚を
すり取られるのにさえ、そこに必ず神の御手の働いていないことはない、
という者もいる」(11ページ)
ご存知、前者はシェイクスピア「リア王」、後者は「ハムレット」から。

137: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:39
04/06/06 10:15
「日本の名随筆 別巻40 青春」(椎名誠―編/作品社)
→近所の古本屋に百円で落ちていたので、お酒を飲みながら二時間で読んだ。
至福のときだね、横にはウイスキー、開くは上質のエッセイ(アンソロジー)。
だけど、買った金額は百円だから肩の力を抜いて読める。
汚しても気にならないし、飛ばし読みをするエッセイがあってももったいなくない。
何も考えずにわたしが文章を楽しめるのはこういった時間だけである。
ほかの読書では常に緊張しているから。
何かに使えないかという盗人(ぬすっと)気分、
どうしておもしろい(つまらない)のかという分析者気質。
読むのが娯楽ではなくなっている、金鉱を見つけようとするあさましい血眼の目。
やだやだ自己嫌悪。

138: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:40
04/06/09 11:20
「インドは今日も雨だった」(蔵前仁一/講談社文庫)
→旅エッセイ。インドには一度行ったことがある。一人旅。
いろんな国の人と話せたりしておもしろかったな。
あー、もう一度行きたい、だけど一歩踏み出せない、だからかわりにエッセイを読む。
うざい自己主張も、旅なれた人特有の腐臭もない、実に手軽なエッセイだった。
ほんのわずかのあいただけインドに行ったような気分になった。
それこそこのエッセイに望んでいたもの。だから満足、満足、余は満足じゃ。

「もの食う人びと」(辺見康/角川文庫)
→ベストセラー。
いろんな国へ行って、いろんなものを食べてみようというエッセイ。
いかにも学校の先生とかが生徒に薦めそうな健康的文部省推奨的優良作品。
じつにくだらん。
たとえばアフリカのウガンダに行く。
22歳の末期エイズ患者、ナサカという女性と出会う。
そこで著者は素朴に子供のようにまっさらな気持ちでナサカに同情する。
著者の最後の一文がしゃれている。ナサカと夜道をふたりで歩く。
一面のバナナ畑と満天の星に感傷的になり、
「ナサカもいつか、土に還り、バナナになり、星を見るのだろうと私は思った」。
おいおい。気持ちの悪い文学趣味で総括ですか(w
やりきれないなこういうおっさんは。わかるかなこの気持ち悪さ……。
「他人の悲劇」を書くもの書きは細心の注意をはらってほしい。
わたしは「他人の悲劇」を娯楽として提供するワイドショーは好きだがこの本は大嫌いである。

139: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:41
04/06/16 13:07
「図解雑学 仏教」(広沢隆之/ナツメ社)
→わたしがはじめて仏教にふれたのは大学一年のときに受講した「東洋思想」。
大学生だぁと張り切っていたわたしだったがあまりのつまらなさに寝入ってしまい、
そのうち授業にも顔をださなくなったけれども、なんとか単位はいただけた。
つぎに仏教へ関心をもったのは大好きだった(過去形?)宮本輝が創価学会員だと
知ったとき。創価学会は日蓮を大聖人とあがめる仏教系の一派だから、
じゃあ、仏教ってそもそもなんだろう、日蓮ってどんなひとだったのかと調べた。
で、今回が三回目。最近、自殺願望が強いので、すがれるものならなんにでもと(w
「図解雑学 聖書」の続きという流れもある>>848
結果。さすがの図解雑学シリーズでも仏教はやはり難しいのねとため息。
独特な仏教用語がたくさんでてくるのが原因のひとつ。
もうひとつは、日本に伝来してからの宗派の多さ。
鎌倉新仏教の開祖と宗派とか、そうそう受験生のとき必死こいて覚えたや……。
仏教の特徴は心の重視にある。たとえばあなたが不幸だとする。
仏教は説く。それはあなたが不幸だと心で思うからだ。
心のありようを変えてみなさい。ほら、環境は同じでも心しだいで不幸は消えるでしょ?
これが基本線。難しく表現するなら三法印、四諦八正道、十二支縁起、六道輪廻――。
ひとつ疑問。そもそも人間の「さとり」を目的としたインド仏教が、
根本分裂、部派仏教、大乗菩薩思想の誕生、中国、朝鮮、日本と流れると、
どうして現世利益と死者供養をメインとした仏教になってしまったんでしょうかねえ?

140: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:42
04/06/16 13:43
「仏教入門」(三枝充悳/岩波新書)*再読
→数年前これを読んだときは感動した。
仏教の考え方というのは実におもしろいものだとしみじみと……。
仏教思想というものが、この一冊でずいぶん深くまで理解できたと満足した。
今回、再読。あはは、まったくわからない。なに書いてんの、おっさん?
まずいぞ。アルコールのせいで脳細胞がかなりやられてしまったのかもしれない。
ほんと、やばい。これはもう仏様にすがるより他ない。南無阿弥陀仏だコノヤロー。
えーい、なんにでも帰依するぞ、法華経にだって。南無妙法蓮華経だモッテケドロボー。

「寂聴の仏教入門」(瀬戸内寂聴・久保田展弘/講談社)絶版
→岩波新書に頭をかかえて、こんなのに手をだすなんて、わたしはバカな主婦か?
しかもブックオフ百円コーナーで買ったりするのだから、もう救いようがない(w
でもね、対談形式の入門書ほどわかりやすいものが他にあると思いますか。
始終、話し言葉だからすらすらと頭に入ってくる。
仏教用語には下に「注」をつけて解説してくれる編集さんの親切もあり。
瀬戸内寂聴の本を読むのは初めて。今までイメージだけで嫌っていた。
瀬戸内寂聴いわく、四諦八正道(などの仏教用語)の説明をするのは大嫌い。
そんなものを知ったからって、いま苦しんでいるひとがどうなるわけでもないんだから。
お釈迦様はたしかに弟子相手にそういう哲学的なことも言ったでしょうけど、
同時に不幸にもだえる庶民の苦しみを救いつづけたことを忘れてはならない。
同感、同意。子どもに先立たれた母親に、それは十二支縁起でうんぬんと説明してどうなる?

キリスト教より仏教のほうがなんか「近い」んだよね。そんなことを思った。

141: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:42
04/06/16 14:28
「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読
→風呂で読んだ。
読んで乾かして読んでをもう何回、繰り返したのだろう。
いちおう読書的にはつながっている。
というのも、山頭火は得度した禅僧だから。曹洞宗派→仏教。
仏教の唯識思想から山頭火の俳句を見てみるとおもしろい。
唯識思想というのは、外界のすべてを心の現象に帰す仏教の考え方。
たとえば花を見る。しかしこれは花が実在しているということではない。
ただ目という機関を通して花のイメージが心に写っているに過ぎないのだとする。
「分け入つても分け入つても青い山」。
山頭火の代表句である。
木々豊かな山が続いている景色をうたったものだが、
消しても消しても煩悩がでてくる山頭火の心象と読むこともできる。
景色と心象が絶妙のバランスを取ったとき山頭火の句はきらりと輝く。
禅の思想である。唯識思想である。一瞬は永遠であり、永遠が一瞬となる。

「國文學 1995年1月号 山頭火と放哉 ―― 流転と演戯」(學燈社)絶版
→まえにも指摘したけど、雑誌國文學に書いている研究者って文章がへた。ゆるい。
こんなんで大学教授とかやっているなんて信じられないと毎回のように思う。
ま、それはそれとして、山頭火と放哉である。
上野千鶴子が山頭火とその愛読者をバカにして放哉こそ天才であると主張していた。
この上野千鶴子だけじゃなく、現役の歌人、俳人にもそう思っているひとが多いらしい。
山頭火は大衆的。放哉のよさはクロウトしかわからないというのがその主張。
ふーんとしらけるわたし。
たしかにわたしゃ、西行も芭蕉もよく知らない。ただの山頭火ラブ。
俳句史における山頭火の位置なんてどーでもいい。
ただただ山頭火の句が好きである。わかりやすいから、楽しいから。
放哉の句はへんに疲れる。西行や芭蕉はお勉強という感覚以外では読めない。
べつにいいよ。バカにしたかったらしてください。大衆でけっこうと開き直る。

142: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:59
04/06/18 09:04
「古本屋五十年」(青木正美/ちくま文庫)
→今月の新刊! 新刊をすぐに読むのは久しぶりだなぁ。
最近、よく行くようになった古本屋の舞台裏をのぞきたくて読んだ。
しかーし、例によって例によって、作者の文学趣味的私小説的述懐が多い。
そんなことどーでもいいの。あなたが高校の夜学中退だろうが、貧乏だろうが。
わたしが知りたいのは古本屋の舞台裏なんだから。
しろうとの「なんちゃって文学」的な文章を読むのはつらい。
それとこれもしろうとにありがち。やたら引用が多い。
自分の日記から、同人誌に書いた自分の文章から、文豪の小説から。
どんな本か読まなくてもわからない? 唯一、笑った個所を下に引用する。

「古本屋というのは本に寄生する虫の群れだ。働く虫の群れだ。
彼らは本以外には興味を持たなくなってしまう。青い空、樹々の緑、季節の移り変り、
わが子の成長……。そんなものには関心がない。いい本だ、悪い本だ、
これは高くなる、これは安い、儲かった、損をした、高過ぎる、安過ぎる、
――と言って、中身をじっくり読んで評価するなどということはない。読むだって?
活字を拾い、たまには目次、序文を読んでみるくらいのものでしかないのが古本屋だ」(P110)

143: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:01
04/06/21 08:51
「青が散る」(宮本輝/文藝春秋)*再読
→まいったなと思った。かなわないなと思った。
もう五度目か六度目の再読だけれども、いっこうに色あせない。
こんな美しい小説を一作でも書いた作家なら、たとえ創価学会信者だろうが、
似合わないヒゲをはやそうが、ゴルフゴルフと遊びまわっていようが、
芥川賞選考でお茶目な選評をだそうが、いまは駄作生産機に成り果てようが、
そんなことはすべて帳消しになると思うのである、ただこの「青が散る」一作で。
こんな美しい小説を書けるひとがいるなんて。
宮本輝は誰がどういおうが天才である。
中上、龍、春樹など宮本輝のまえにでたらなんと軽く見えることか。
文庫には解説がつく。宮本輝の文庫本の解説を見てください。
ひとつとして「まともな」解説がない。どういうことか。
宮本輝の小説は批評できないのである。分析できない、他と比較できない。
ただ美しいと感嘆するほかないのである。
また宮本輝自身もそれ以外は読者に求めていないであろう。
批評ではなく感嘆符を要求する小説、そんな小説を書ける作家は宮本輝のほかにいようか。

144: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:01
04/06/21 09:22
「螢川・泥の河」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→山頭火の句を思い出した。「生死の中の雪ふりしきる」。
前書きに「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という「修証義」
からの引用がある。生とは何か、死とは何か――。
山頭火の歩いたこの道を宮本輝も歩いたのだと思う。
その歩き方、どこへ向かうのか。
今回、宮本輝のデビュー作ふたつを久しぶりに再読してそぼくに感じたのは、
「よくひとが死ぬなぁ」ということ。
短編にもかかわらず二作とも二人の人間が小説内で死ぬ。
「泥の河」にいたっては、いきなり死の描写からはじまるくらいである。
「死」から小説をスタートさせた宮本輝は「性」に行き着く。
「泥の河」では盗み見る性交、「螢川」では螢が踊り狂うなかでの思春期の性。
のちに展開する宮本文学の枠組みがこの「螢川・泥の河」にしっかりと凝縮している。
改めてわたしごときが言うことでもないけれど、そんなことを思ったのです。

145: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:02
04/06/21 09:47
「道頓堀川」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→これを最初に読んだのはたぶん高校生のとき。
それからもう何度読んだのか。今回で4度目かな。
さて作品は変わることがないが、読み手のわたしのほうは変わりうる。
数年前は宮本輝の小説から生きる希望をもらっていたけど、
いま氏の小説を読むと絶望してしまう、生きていくのがいやになる。
むかしは宮本輝の小説が「ほんとうのようなウソ」に見えた。
よくもこの残酷な現実から美しい造花を作るものよと感嘆、感動した。
でもいまは宮本輝の小説が「真っ赤なウソ」にしか見えない。
少しもほんとうらしく見えない。
もっと言ってしまえば、それは「南無妙法蓮華経」(創価学会)の世界でしょと。
わたしの住むところとは別世界に思えてしまう。
わたしは「南無妙法蓮華経」とはいえない、いえないことに絶望する。
相変わらず宮本輝の小説は読み物として十分おもしろい。
才能に畏怖するのはいまも同じである。
しかし、読後、現実と小説との落差に絶望してしまう。
小説が美しいものであれば、それに反比例して醜くなる「わたしの現実」。
するとひたすら「現世利益」をのぞむ小説内の人物にも距離感を覚えるようになる。
うーん、宮本輝。「南無妙法蓮華経」といえぬわたしはどうしたらいいのか。

146: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:04
04/06/21 10:07
「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一/小学館)
→いいないいな片山恭一さん。
漫画化、映画化、テレビ化で、もう一生遊んで暮らせるくらい稼いだんじゃないかなぁ。
たぶん今度はステータスアップをねらって「片山恭一の恋愛入門」とかだしそう。
「リング」で稼いだ鈴木光司さんが「子育てパパ」で論客wにレベルアップしたみたいに。
おっと、話が脱線してしまった。
親愛なる片山恭一さん。あなたはあれだけもうけたのだから、
わたしがこの本を立ち読みで済ませて買わなかったくらいでは怒らないと信じています。
35分で読了したなんていっても。だって金持ち喧嘩しなーい♪
感想? 絵本の感想をいうのはなれていないから今回はパスさせて。
いまの日本はおとなが絵本を読むようになったのねとちょっと驚いた。
でもまあ小学生が殺し合いをする時代だから何が起ころうと、……まあまあ。

「酒と酒飲み 知りたかった博学知識」(博学こだわり倶楽部/KAWADE夢文庫)
→タイトルそのまま。お酒にまつわるどーでもいい(かつ眉唾なw)知識を紹介。
お酒を飲みながら「へえ、へえ」などと読み、翌朝になったらきれいさっぱり忘れている。
どーしょもないねわたしもこの本も……。

147: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:06
04/06/23 17:13
「新潮四月臨時別冊 宮本輝」(新潮社)*絶版
→ずっと探していて、いざ見つけたら安心してしまって長いこと積んでいた本。
アルバム(家族写真まで)や、小説の書評を集めたもの、ご友人のエッセイ、
充実した年譜などなどで、宮本輝の素顔がわかる特集本です。
若い頃の写真を見ると、げっそりとやせ細っていて目がぎらぎらでなんだか怖い。
それはそれとして、やはり宮本輝は批評できない作家なのだと改めて思った。
福田和也をはじめとして多数、宮本輝の小説を論じていたけど、どれも不満。
年譜もふくめ創価学会への言及はなし。
瀬戸内寂聴が「宮本さんは仏教徒で……」と書いていたのが唯一。
こたえたのは「宮本輝の編集するページ」。その中の「オレの嫌いなもの」。
どういう人間が嫌いかということを十四、箇条書きにしている。
たとえば「人の幸運や幸福をねたんで、やっかむ輩」など。
わたしだよわたし……。これだけではなくその十四箇条すべてわたしに当てはまる。
十四箇条に続けて「まだまだあるだろうが、つまるところ、デリカシーがなく、
姑息で勇気がなく、人を許さないくせに自慢や自己弁護ばかりするやつのことである」。
それはわたしのことです、宮本輝さん……。
会ったらいきなり怒鳴りつけられそうだなわたし……。好きなんだけどな輝パパ。

149: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:07
04/06/23 20:00
「火の鳥4鳳凰編」(手塚治虫/朝日ソノマラコミックス)*再読
→今回「仏教つながり」で読んだけど、手塚漫画のなかでこれがいちばん好き。
これほどの恐ろしい物語を作ることのできた手塚治虫の天分を思うと寒気がする。
そして、ここまで到達できた文学作品がどれほどあったろうかとも思う。
何度、読んでも感動する。物語の力に満ち溢れている。

ちょっと脱線。
わたしは物語が好きである。物語のない小説など認めはしない。
けど、物語となったら仏教徒の宮本輝にはかなわない、足元にも及ばない。
おなじくキリスト教徒の遠藤周作にも。
どうやら物語は宗教と密接な関係がある、ここまでわかった。
そこでなぜわたしが戯曲に行ったか。自分でもなぜだかわからなかった。
気づいたら戯曲ばかり読んでいた。
最近、原点の宮本輝に戻って(再読して)気づいたのは、
わたしは「劇的なもの」を求めて戯曲を読んでいたということ。
わたしは「物語」から「劇的」へと歩みを進めたことになる。
じゃあ、「物語」と「劇的」の違いはなんなんだろう。おなじものだろうか。
そんなことを今朝目覚めて二日酔いの頭で考えたという報告、独り言です。

150: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:08
04/06/27 13:20
「優駿(上)(下)」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→小説を読むというのはほんとうに楽しいことなのだと改めて実感させられた。
読みやすい文章、時間を忘れさせる物語、魅力的な登場人物――。
この「優駿」は至れり尽せりの感があります。
最初にこの小説を読んだときは圧倒的な感動に押しつぶされたかのようで、
ただ涙にまみれ、「生きよう、生きよう」と随喜の嗚咽をもらすのみだった。
今回の再読では残念ながらそこまでの感動は味わえなかった。
こういう小説を書けるひとは幸せだなぁと観客席のいちばん後ろから舞台の上を見やる気分。
けっして自分が立つことのない舞台を、羨望の思いで、ため息をつきながら。
たしかにすばらしい舞台(小説)ではあったけど、それは舞台の上だけの話だから。
そう出口に近いいちばん後ろの席でわたしは思った。
ひとつ再読して気づいたことがある。これはネタバレになるから注意して。
宮本輝は最後にオラシオンを勝たせていないこと!
初読のときはまったく気づかなかったけど。
オラシオンは実際は負けているのに「運」のおかげて勝利したことになっている。
宮本輝という作家の宿命を見据える視線には恐ろしいものがある。

151: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:52
04/07/02 09:28
「月光」(井上靖/文春文庫)
→先日のちょっとした小旅行のおり、往復の電車で読んだ本。青春恋愛小説。
といっても「セカチュウ」とは似ても似つかぬ。出版されたのは昭和35年。
「貞淑」だの「家柄」だの、今では聞きなれない言葉がずらりとせいぞろい。
主人公は結婚適齢期の女性。ふたりの男性から求婚されて迷っている。
ひとりは幼馴じみ。「サザエさん」にでてくるノリスケさんみたいな感じ。
もうひとりは会社の同僚。「美味しんぼ」にでてくる山岡士郎タイプ。
三人がそれぞれ自らの誠実を問い、愛に悩み、幸福を指向するその葛藤――。
ほのぼのとした気持ちになった。こんな時代があったのかと。
この小説を自分の恋愛と照らし合わせながらまじめに恋愛をした世代。
今はもうおじさん、おばさんなんだろうな。
電車に揺られながら、窓外に広がるのどかな田園風景にしばし見入った。

152: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:53
04/07/02 12:11
「幻の光」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→最愛の夫が原因不明の自殺、そこからどう主人公の女性は立ち直っていくか。
できすぎていると思った。そりゃ、そう書いちゃ、そのとおりだけど、うーん。
ふつうの小説家がスタート地点から小説を書き始めるとすれば、
宮本輝はゴール地点から書いているようなところがある。
宮本輝自身は中上健次との対談では次のような言い方をしているけれども。
「だから人間は、反対のことをやっていると思うのね。心から花が生じるとか、
心から月が生じるとか。僕は、違うと思っている。『花こそ心よ、月こそ心よ』
そういう気持ちですね。おそらく多分、いまの作家たちは、自分の心から
花をつくろうとか、自分の心から月をつくろうとしていると思う。
だから、小説がおもしろくないんです」(「道行く人たちと」)。

うーん。どうなんですかね。宮本輝の方法は「ずるい」のか否か。
問題は、宮本輝が小説家になりたくて創価学会に入ったわけではないということ。
創価学会に入っているうちに小説家になろうと思ったということ。
この違い、実は決定的なものだと思う。
前者だったら間違いなく「ずるい」んだけど、後者となると、うーん

153: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:54
04/07/02 12:14
「錦繍」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→宮本輝の小説でいちばん再読の回数が多いのがこれです。
どれだけ感銘を受けた小説でも5回も6回も読めばおのずと仕掛けが見えてくるもの。
エピソードもストーリー展開もほとんど記憶してしまっている。
実はそうとうにきわどい小説だと思う。信仰告白というのか、なんというのか。
たとえば犯罪被害者というものがいる。
この小説はその人たちに、あなたは自分のせいでそうなったのだと罵倒している
ようにも読めるわけ。それがあなたの業だ、あなたが悪かったからそうなったのだと。
宮本輝はこの小説で「因果」(仏教用語)を展開させている。
悪い「(結)果」(犯罪被害や障害児誕生)が出たということは、
必ず悪い「(原)因」があったに違いない。ふつうはこんなこと言えないでしょ?
不幸な人に向かって、あなたが悪い、自業自得だ、なんて言えますか?
でも宮本輝は言えるんです。なぜなら信仰があるから、創価学会への。
そこが宮本輝を天才たらしめている根本だと思う。
宮本輝は「因」が「果」になるゆえんの「縁」を小説に書くわけです。
そして主張する、現在の重視を。今刻々と流れていると「時」を見よ。
これらも「因」になる、だから良い「因」をなせば必ず良い「果」(功徳)が得られる。
わたしが冒頭にこの「錦繍」を「きわどい」と形容した理由がわかっていただけましたか。
おそらく宮本輝の小説の中でこれはもっとも宗教的な小説でしょう。
表層的な「感動」の底をじっと見つめていると恐ろしい「地獄」が見えてくる、
そういう小説です。
亜紀母子が満天の星空を見ていたとき、有馬はネズミを食い殺す猫を見ていた。
この場面に「錦繍」の魅力が象徴されていると言えましょう。

154: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:55
04/07/02 12:30
「創価学会とは何か」(山田直樹/新潮社)
→いやあ創価学会って怖いんですね。おー、こわこわ、ぶるぶる。
学会の力をちょっとでも使えばわたしを特定するのなんかチョロイのか。
悪戯電話とかやめてくださいね、あー、考えただけでも身震いする。
本書はアンチ学会本。政治的な創価学会の力を警戒せよというのがメインの主張。
もう創価学会が日本を動かすようになっている、とのこと。
というのも、自民党だって創価学会の力を借りないと与党を維持できないから。
具体的には、選挙のとき自民党議員も創価学会員の協力がないと当選できない云々。
ふーん、だけどわたし政治はどうでもいいや、関心なし。
選挙だって最初の一回しか行っていない。
でもすごいね創価学会。仏壇の中に次のように書いた紙を入れて勤行するらしい。
「御祈念 打倒仏敵四人組(日顕・山友・竹入・新潮社)」。
ならなんで宮本輝は新潮社から本をだしつづけているのだろう。ふしぎ。
あと、げんなりしたこと。
宮本輝「優駿」の主人公の名前は「博正」というんだけど、
これ池田大作氏の長男の名前なんだね。なんかな、そういうの、やだね…。

155: 美香 5qBZxQnw:04/07/19 11:55
04/07/04 06:13
「愛と死との戯れ」(ロマン・ロラン/片山敏彦訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス産。読んだ理由は知人の女の子(なんと5歳!)に薦められたから。
「ごくじょう」とのこと。なんでも母親に読んでもらっていたく感動したらしい。
早熟な子だ。というのも、この戯曲には人生の究極的なテーマが凝縮しているからである。
主要登場人物は三人。三人とも「愛を取るか、(愛ゆえの)死を取るか」のはざまで葛藤する。
ときはフランス革命。高名な老政治家、その若い妻。彼らの家に逃げ込んでくる
革命家はその妻の愛人である。密告され、追っ手は迫っている。愛か、死か。
愛とは何か。愛するなら生きるべきか、愛するなら死ぬべきか。
そして政治問題がある。政治とは「みんなの幸福」を目指すものである。
となると、ここには個人の幸福か、全体の幸福かという問題も出現する。
三人は迷いに迷う。ここには確かに「劇」がある。
彼らが下した結論は……、ネタバレになるからもちろん書かない。
ここで書いてみたいのは「なんだかな」と鼻白んでしまったわたしの心境。
なんだかな。小説も、演劇も、映画も、テレビも、エッセイも、なんだかなぁ〜。
結局は「愛」と「死」かよ。それしかないのかよ、どいつもこいつも。
どの本もどの映画も愛、愛、愛のオンパレード。
みんな、みんな、きみたちはぁ、世界の中心で何をしたいかー?
愛をバカにしようものなら袋たたきにあいそうなご時勢じゃあないですか。
せめてもとテレビをつけたら健康食品、健康グッズ、長寿の秘訣(=死にたくない)。
笑っちゃう。わたしなんか40まで生きてられたら十分。年金? いらないって。
すごいよね年金問題。みなさん必死で。80でも90でも生きていたいのね。
「愛」され「愛」しながら、ずっと永遠に「死」にたくない現代日本人に
この戯曲「愛と死との戯れ」は次のように語りかけていると思うのはわたしの屈折か?
死にたくないなら愛なんておやめなさい。
愛しているんなら早く死んでみせてくださいよ。

156: 美香 5qBZxQnw:04/07/19 11:57
04/07/04 07:14
「春の夢」(宮本輝/文春文庫)*再読
→まえにこれを読んだのは大学に入ったばかりのころだったような気がする。
だからだと思うけど、上質な青春小説として記憶に残っている。
今回再読してみて、あららと思った。うわっ。
よく言えば荒削り、わるく言えばへたくそな小説。
大学で東洋哲学を受講しただけの(たいして頭も良くないという設定の)主人公、
哲也くんが「歎異抄」否定の仏法議論を友人とするは、輪廻転生に思いを馳すは……。
いくらなんでも不自然だって!
一言、「哲也は創価学会員であった」と書けたらすべて解決するんだけどね。
そして初期小説だからだと思う。
読んでいて恥ずかしくなるくらいに宮本輝の(しいては創価学会の)仏教観がでている。
「螢川」や「泥の河」で書くまいと自制していたものをすべて放り出したかのようである。

登場人物のひとり磯貝は哲也に本を投げつけ言う。

「俺が投げたから、その本は井領(哲也)のところに飛んで行ったんや。
本が勝手に飛んで行ったんやないで。結果の前には、必ずその原因があるんや。
それが物理学の基本やろ。原因のない結果なんて、この宇宙にひとつとしてあるか?
あったら教えてくれ。(……) この世のいっさいの出来事は原因があるから結果があるんや」

両親をどちらもふしぎな鉄道事故で亡くし自らも重い心臓病を患う磯貝はつづける。

「なんで人間は、生まれながらに差がついているんや。それにも原因があるはずや。
そしたら、生まれる前に、その原因を作ったとしか考えられへんやないか。
そう考えるのが、一番理にかなってると思えへんか? ある人は金持の家に生まれる。
ある人は貧乏な家に生まれる。ある人は五体満足で生まれる。ある人は不具で生まれる。
あらゆる事柄に原因と結果があるのに、人間だけが、持って生まれたそんな差別に
何の原因もないと考える方がおかしいやないか。人間は覚えてないだけで、
この世以外の人生を、以前に確かに経験してるはずや。それで、いろんな借金を
かかえて死んだんや。それから眠って目を醒ますみたいに、また生まれてきた。
そやけど借金は消えていない……」(P106)

ここにわたしは宮本文学の原点を、見る。
宗教と文学のぎりぎりの接点を、見る。物語を生む豊かな土壌を、見る。
前世の因縁うんぬんと高額のツボをうっかり買ってしまう危険性まで、見る。
このツボと池田大作氏が同じかどうかはまだわからない。

157: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:29
04/07/20 11:36
「星々の悲しみ」(宮本輝/文春文庫)*再読
「二十歳の火影」(宮本輝/講談社文庫)*再読
「命の器」(宮本輝/講談社文庫)*再読

→宮本輝氏こそ天才である。
現代小説を何か読む。たいがいの小説は底を察することがまあできる。
このくらいならわたしだって書ける、
とまで思ったらあまりにそれは傲慢というものでしょうが。
しかし宮本輝氏の小説はあまたある現代小説と根本から異なっている。
底が見えない深みがある。あるいはいくらハシゴをのぼっても、
とうていたどりつけない高みに氏の小説はある。
わたしごときがどれだけ人生経験をつもうが書けないものがそこに書かれているのである。
そうなるとひとりの作家志望者としてわたしは頭をかかえるしかない。
なんであんなすごい小説を宮本輝氏は書けるのだろうか。なぜわたしは書けないのか。
その秘密はどこにあるのかと宮本輝氏個人に興味を持つ。
すると宮本輝氏の裏側に2500年の歴史を持つ仏教が見えてくる。
仏法、日蓮、創価学会――。
宮本輝氏は作家になりたくて創価学会に入信したのではないという。
創価学会に入ってしばらくしてから、この教えを小説で広めたいと思ったとのこと。
共産党には共産主義の作家がいる、キリスト教もそう、なら創価学会からは自分が、と。
かなわないなと思う。わたしが作家になりたいと創価学会に入るのとはわけが違うのである。
宮本輝氏の小説には何か壮大なもの――宇宙的な広がりのある何ものかを信じている
ひとでなければ書けないものが描かれている。信じることから生じる力強さ。
一方で何ものをも信じることができないわたしがいる。書けないなわたしはと思う。まだ書けない。

158: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:30
04/07/20 12:19
「大乗仏教入門」(平川彰/レグルス文庫/第三文明社)
「教学の基礎 仏法理解のために」(創価学会教学部編/聖教新聞社)
「やさしい生命哲学」(聖教新聞教学解説部編/第三文明社)
「現代科学から仏法を見る なぜ祈りが叶うのか」(スタンレーオオニシ/第三文明社)

→ちょっと偉くないわたし? 見てよ、この読んだ本。
偉いとこはふたつ。ひとーつ、物語も娯楽性もまったくない無味乾燥な本を四冊読んだこと。
ふたーつ、ふつう知人から送りつけられる類の宗教本を自腹を切って買ったこと。
創価学会員って半端じゃなく多いらしい。
だから教義も簡単かと思っていたら、とんでもない。すんごい難しい。
「十界互具」、「一念三千」、「心身不二」、「願兼於業」――。
一週間くらいこんな言葉と格闘していたような気がする。
いまじゃそこらへんの学会員さんより詳しくなっているかもしれない(w
書きましょうか、「1分でわかる創価学会♪」。
さてさて、創価学会という宗教団体はとかく胡散臭げに見られおり、
学会員は毛虫か何かのように嫌われているらしいけど、どうしてどうして。
創価学会の教義自体はものすごく深くて中身がある。
たしかに宮本輝氏の創作の根源たるにふさわしい汲み尽くせないほどの深みがある。
古今東西どれだけの秀才が集まったらこんな深遠な哲学を構築できるのかと思うほど。
そんなに誉めるのならなぜおまえは入信しないのかって?
そこなんです。なんでわたしは入信しないんでしょう……。
嫌いなところがある。創価学会に入らないと不幸になるという教義。
ふーん、なら不幸でいいもんと開き直りたくなる。
いきがっているわけじゃない。心底から、あるいは地獄の底から、
不幸? いいよ、おいで、どんとこいと鼻で笑う自暴自棄で冷たいわたしがいる。

159: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:31
04/07/20 12:50
「熊野誌 第五十号記念別冊 特集 中上健次・現代小説の方法」
(熊野地方史研究会・新宮市立図書館・中上健次資料収集委員会)

→今から20年前に中上健次が東京堂書店でやった講演「現代小説作法」(四回連続)
のテープを文字に起こしたもの。いいでしょ、読みたいでしょ?
あの中上健次先生による「現代小説の書き方講座」ですぞ。
話し言葉だからすらすら読むことができた。でも難しいんだなぁやっぱ。
難しいというのか、うーん、作家ってほんと精神病患者と紙一重だと思った。
話すことが支離滅裂、飛びまくり、精神医学でいうところの「思考奔逸」。
二日酔いの話からいきなり小説の構造へ話が飛ぶ。
しかし中上本人の中ではどうやらつながっているらしいのだからすごい。
というか、あの顔と体で話すことに「わかりません」とは間違っても言えない(w
だけど中上はもう死んでいるし、ここはネットだからわたしは言う。
なに言ってんのかさっぱりわかりませんよ、中上せんせ〜い。
ところどころで「なるほど」とうなずくともう話は別のほうへ飛んでいる。

引用。
「文字を書くというのは、単に書くことが好きだからということじゃなくて、
うめく行為みたいなものとほとんどくっついている」(P27)

160: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:33
04/07/20 13:10
「ガンジス河でバタフライ」(たかのてるこ/幻冬舎文庫)
→インド旅行記。インドにもう一度行きたいな、でも行けない、
だから定期的にこういう旅行エッセイを読み、精神の安定を図るわたし。
こういう本にあーだ、こーだいうのは無粋。
旅行エッセイは文章も写真も内容もどーせどれも似たり寄ったりなんだから。
インド旅行の雰囲気が脳内で味わえればそれで良し。
だけど、この「たかのてるこ」さんはどんなお顔をしているのかとふと思った。
すごいんだこの女性。インド人に声をかけられてほいほい家までついていく。
もちろん男だよインド人は。何度も何度もついていく。
それでレイプされたりはしないんだから、ほんとたかのてるこって何者?
よほどのブスと自分を思っているのか、それともリアル天然ちゃんで、
たまたま人徳があって悪いインド人が寄ってこないようにできているのか。
わたしがインドを一人旅したときなんざ、それはそれは警戒したけどな。
インド人と見たら悪人と思えというくらい。
ちょうどこのたかのてること同じ大学三年生のときに行ったんだけど。
やたらインド人がからだを触ってくるのがいやだったな。なれなれしく。
よもやインド人の家までついていくなんて考えもしなかった。
まあ、類は友を呼ぶということか。
善人のたかのてるこの前にはふしぎと似たような人が集まり、わたしの前には――。

161: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:18
04/07/21 09:20
「風呂で読む 漂白詩人」(大星光史/世界思想社)*再読
→芭蕉、五行、良寛、一茶、井月、放哉、牧水、山頭火、以上8人を掲載。
この本ではじめて作品に接した俳人・歌人も少なくない。
五行と牧水はとりわけお気に入り。単体の句集がほしくなっている。
でもやっぱ俳句・短歌はお風呂で読むのがいちばんという気もする。
部屋でじっとにらめっこすると疲れそうだから。
お風呂でぽーっとしながら、一句読み、その意味をぼんやり考え味わう。
それは極楽の時間であります。

162: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:19
04/07/22 11:32
「インド怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→またもやインド旅行記。なんでわたしこんなのばっか読んでいるんでしょう(w
でも旅行エッセイっておもしろくない? あることに気づいた。
「作者=出会う人・遭遇する事件」という法則があるに違いない。
作者が旅行中に出会う人というのは、ものの見事に作者自身を現わしているということ。
宮本輝が「命の器」というエッセイで書いていたことなんだけど、
どの人にもその人の「命の器」というものがあって、彼は彼女はその器の
似ている人としか出会わないという法則がこの広大な宇宙の神秘のひとつとして
あるのではないか。そう宮本輝は指摘していた。
たとえば、ついている人はなぜかついている人と関係していく。
意地悪な人はどうしてかおなじような性質をもつ人間とつるんでいく。
これを考え尽くすとひどく残酷な思想になるように思うのだけれども、
旅行中に出会う人というのもこの「命の器」が関係しているのではないか
という推測はわたしのオリジナルです。
前述の「たかのてるこ」さんは善人としかなぜか出会わないのにたいして、
わたしのまえには助平なインド人しか現れないというふしぎを解明する法則だと思う。
さて、この本の著者、ゲッツ板谷はどうか。どんな「命の器」を持っているのか。
そのまえに、やだね、ゲッツ板谷だって、恥ずかしい名前、色物じゃんだれが見たって。
と思いきや、このゲッツ板谷は見事天晴れというほかない職人的売文家だったのである。
売文業に誇りをもって、とにかく読みやすくおもしろい文章を書こうとしている。
テレビを見ながら読める文章を書くことのできる人はある意味で天才かもしれない。
文体はひたすら軽く。ガンジス河を見たところで文学者のように深刻ぶることはない。
「きったねえ河」、それで終わりである。著者は1964年生まれ。
ぎりぎりの笑いを取る。たとえば、駅にたむろするインド人の写真の下に、
「ホームに寝転ぶインド人。凶暴なシャチを放ちたくなった」と書くんだから。
結果、彼が出会う人・遭遇する事件もなんとも不可思議かつ豪快で笑えるのである。
だけど、インド人をいきなり殴るのはあまりにもかわいそうですよ。

163: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:20
04/07/25 10:50
「道行く人たちと」(宮本輝/文春文庫)*再読
「メインテーマ」(宮本輝/文春文庫)*再読

→どちらも宮本輝の対談集。
対談相手は作家もあり、評論家もあり、映画監督もありと多様。
なんであれいろんな分野におけるひとかどの人物たちである。
なんなんでしょう、成功する人と、失敗する人の差というのは。
成功した落語家なんてすごいこと言うもん。ひとことで言えば自画自賛。
貧乏自慢からはじまり、自らが発見した成功方程式を喜色満面に語ること、語ること。
あーあ。わたしも成功したいな。どうすればいいのでしょう。
宮本輝は小説でよく「天分」とか「星まわり」という言葉を使う。
わたしの「星まわり」ってよほど悪いのかな。
どんな「天分」を与えられているのでしょうか。
なんか元気のない読了報告でごめんなさい。こんな日もあるさ。

164: yPyqc5MQ:04/07/25 11:56
>似ている人としか出会わないという法則がこの広大な宇宙の神秘のひとつとしてある
>わたしのまえには助平なインド人しか現れないというふしぎを解明する法則

ふmu・・・

165: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:19
04/07/28 08:18
「酒とつまみ 第5号」
→お酒の雑誌といえば、これでしょこれ。
「サントリー・クォータリー」の5倍はおもしろい。
理由はたぶんビンボーだから。
たしかにあっちはサントリーの広告もかねているから、
写真はいっぱいだし、著名作家に文章を書かせている。
一方、こっちはカラー写真なんてひとつもないし、書いているのは無名ライターばかり。
取材費というより自腹で飲んで報告していそうな感じ。
だけど、そのチープ感がたまらないんだなぁ。
限られた書店でしか売っていないけど、見つけたら買ってあげてください。

166: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:20
04/07/29 07:19
「五千回の生死」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→近松門左衛門の有名なことばがある。
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。
……虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有たもの也」。
宮本輝が作家として目指した境界はここにあるのではないかと思うのである。
虚にして虚にあらず、実にして実にあらず……。その間に感動がある。
その感動を与える以外に芸というものの存在理由はあるものか。
「五千回の生死」は短編小説集。
ここに収録されている「アルコール兄弟」は宮本輝が全集に入れるのを拒んだという逸話あり。
読んでみるとたしかに失敗作。なにを書いているのかさっぱりわからない。

「避暑地の猫」(宮本輝/講談社文庫)*再読
→宮本輝作品としては異色作。悪人しか出てこない小説を書こうとしたらしい。
この悪人路線は「避暑地の猫」一作でやめてしまったようだが、
これを発展させていったら宮本輝はドストエフスキーに比する作家になったのではないか。
解説でドストエフスキーとの比較がなされているからという理由だけではなく、
しんそこからそう思う。もったいなく思う。
天才にしか書けない小説である。
天才、と書いたが再読した今回は見えてきた裏の設計図があるのも事実。
創価学会の思想から、ある程度までは絵解きすることができる。
といっても、所詮「ある程度まで」。
そこから先は天才にしか見えない「光と闇」があるのだと畏怖するほかない。

167: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:21
04/07/29 07:59
「海岸列車(上・下)」(宮本輝/文春文庫)*再読
→ふと思った。タクシーが宮本輝の小説をダメにしたのではないか。
宮本輝はこれを書く数作前から、小説の質が哀しくなるほど落ちはじめた。
その原因はタクシーにあるのではないか。
登場人物がやたらタクシーに乗る。そのくらいなら歩け。電車を使え。
そう怒鳴りつけたくなるくらい小説内人物は頻繁にタクシーを利用する。
タクシー。安易な交通手段。
金を払っても楽をしたいがためにひとはタクシーに乗る。
宮本文学本来の魅力とは異質の(小説内)道具であるように思うのはわたしだけか。
「春の夢」で金のない哲也は陽子に会うため雨にぬれながら隣駅まで歩いた。
「青が散る」で二日酔いの燎平は夏子がいるホテルまでタクシーに乗らず歩いた。
「海岸列車」では歩くことをやめてタクシーに乗る――。

「海岸列車」上巻を読み始めてすぐ投げ出したくなった。
偶然を簡単に使いすぎるんだもん。そんなことあるわけないじゃん。
無理して読みつづけても、偶然の一致の連続。シンクロニシティ大安売り。
それとやめなさい輝パパ。創価学会思想の抜書きは。「因果倶時」とか失笑。
あと日蓮が二箇所、言及されているのも興ざめ。
やたら長いけどページ数を食っているのはグルメ自慢、日本の悪口、若者への説教。
この後に宮本輝が連綿と書きつづける長編小説の欠点(上記3点)、
その萌芽がすべてこの「海岸列車」にあるといっても過言ではあるまい。

168: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:22
04/08/11 09:38
「ASIAN JAPANESE アジアン・ジャパニーズ」(小林紀晴/新潮文庫)
→これを読んで、ふいとインドへ行ちゃおうかなと思ったことはたぶん恥ずかしい。
いや、とっても恥ずかしいことだと思う。
難解な仏教書がきっかけだったり、大失恋がきっかけだったら、きっと恥ずかしくない。
だからわたしは恥ずかしい。だけど、人間は恥ずかしい存在なのだから仕方がない。
旅行エッセイ。著者がアジアを放浪するさなかに出会った日本人旅行者を写真と一緒に
レポートしたもの。著者の幼さが、うまく鋭敏な感性へと転化している。
何度も書いたけれども、旅で出会う人はその旅行者の「命の器」によるのではないか。
そう思ってみると、写真が掲載された旅行者はみなどこか一様に似た部分を持っている。
それは純粋さだ。みな一様に純粋で、それがゆえに一本木に悩んでいる。
わたしは今回のインド旅行でいったいどのような人と出会うのだろうか。
わたしは自分の「命の器」が知りたくて旅にでるのかもしれない(てへっ
あー、恥ずかしい文章を書いてしまった。自己陶酔ビーム♪

169: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:22
04/08/11 10:12
「インド聖地巡礼」(久保田展弘/新潮選書)
→今回のわたしのインド旅行は聖地をめぐるものになる。
山頭火に「どうしようもないわたしが歩いている」という句がある。
実に宗教的な句だと思う。
この句は「どうしようもないわたしが/歩いている」ではなく、
「どうしようもない/わたしが歩いている」と読むべきである。
どうしようもない。だから歩くほかない。
この「どうしようもない」こそ古今東西あらゆる宗教の湧き出る泉ではないか。
芸術さえもと思う。この地点から出発していない芸術が古典として後世に残ることは
ごくまれではないか。どうしようもない痛みは人をして宗教へ芸術へと向かわせる。
インドの聖地でわたしは祈ろうと思う。
聖なる大河、ガンガーを河口から源流へとさかのぼりながら、
わたしは何によって現在のわたしたらしめられているのかうんうん悩もうと思う。
釈尊の生誕地、悟った場所、初法転輪の場、入滅地を巡礼しながら
仏教思想について考えようと思う。
現在のわたしがあるのは父と母が出会ったからである。
なぜ出会ったのか。わたしはなぜそのもとで生まれなければならなかったのか。
そこにはどうしようもない力が働いている。
仏教の縁起思想である。今回のインド旅行で持っていく本は二冊。
「山頭火句集」と「ブッダのことば」です。
えーと、本書「インド聖地巡礼」はクズ。
助かったのは、聖地を知るという情報面だけ。
何より文章がまずい。百科事典みたい。旅情みたいなものがまったく感じられない。
ほんと読んでいて苦痛な文章ってあるもんですね。

「タイ怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→帰国便で一万円払えば、タイで途中降機できるんです。
だからタイへ行こうか迷いながら読んだのがこの本。
タイ行くのやーめた。なんかわたしのプチ深刻なインド旅行とはあわない。
タイは別口で旅行したい。だから白石さんにビールを奢るのもそのとき。

171: & axHNR6pc:05/10/17 16:30
>>170-171
管理人様へ。
名前欄がおかしくなってしまったため、
カキコミを削除して頂けるとありがたいです。

172: 工藤伸一 lPe6tSdk:05/10/17 16:32
>>170-172
またバグってしまいました。

173: 工藤伸一 j1HkWi6c:05/10/17 16:47
念のためsage


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