♪美香の読了報告総集編♪


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♪美香の読了報告総集編♪

1: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:52
文学板の「読了報告スレッド」↓
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1058920850/l50

そろそろdat落ちをするので、ここにコピペしておきます。
いや、自意識過剰なのはわかっているけど、
せっかく書いたものだからだれかに読んでほしいということもあり……。
うざかったらごめんなさい。

2: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:54
03/07/31 23:58
「はじめての劇作 戯曲の書き方レッスン」(デヴィット・カーター/ブロンズ新社)1800円
「オイディプス王」や「ハムレット」を題材に、いかにおもしろい戯曲を書くかの講義。
なんでも日本の戯曲教室の教科書用に訳されたらしい。
ひとは何をおもしろいと感じるのか、そのおもしろさにマニュアルはあるのか。
ギリシア悲劇から山田太一までを一本の線で結びつけたいわたしには参考になった。

「話し言葉の日本語」(井上ひさし・平田オリザ/小学館)1500円
対談本。いま現在の日本の演劇情報を知る上で非常に勉強になった。
井上ひさしは語る。「自分は誰がなんと言おうと希望を芝居にこめたい」。
ふたりの作劇術の紹介もある。日本語を使って劇を作るということの意味。
何をこむつかしいことをとも思う。能書きはいらない、おもしろければいいのだ。

3: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:55
03/08/03 00:08
「人形の家」(イプセン/原千代海訳/岩波文庫)
「野鴨」(イプセン/原千代海訳/岩波文庫)
「ヘッダ・ガーブレル」(イプセン/原千代海訳/岩波文庫)

4: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:55
03/08/05 22:16
「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫)
「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫)
以上、二冊は再読。
わたしは再読(多読)にたえる作品を見つけるために濫読しているのかもしれない。

「三文オペラ」(ベルトルト・ブレヒト/千田是也訳/岩波文庫)
つまらない。しかしこれも「人生の一冊」にめぐり合うための試練。

5: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:56
03/08/06 08:31
「クミコハウス」(素樹文生/新潮文庫)
新潮文庫の新刊。甘ったれた青年の感傷的な旅日記。
前作「上海の西、デリーの東」を薄めた感じ。
まあ、眠れない夜に90分で読み飛ばすには悪くない。
読みにくい翻訳物を読んでいると、すらすら読める文章に癒される。
あ、インドのクミコさんは目撃したことがあります。

6: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:57
03/08/07 04:18
「オイディプス昇天」(山崎正和/福武書店)

これなんか知名度が低いかも。ギリシア悲劇のつながりがら昨日読了。
戯曲集。タイトルの作品はソフォクレスの「コロノスのオイディプス」を翻案したもの。
井上ひさしの「天保十二年のシェイクスピア」がオリジナルのシェイクスピア喜劇
よりも(現代日本の読者・観客には)おもしろくなってしまったのと同様、
この「オイディプス昇天」もなまじっかのギリシア悲劇よりもよほどおもしろい。
おそらく何の文学賞も取っていないし、さほど話題にもなっていないはず。
それなのにこんなに・・・ と思うと39さんの言うところの「私の一冊」的な
意味合いが出てきてなんだか嬉しい。再読リストに追加しておく。

「演劇って何だろう」週間はまだ続く。

7: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:58
03/08/09 02:47
「フェードル アンドロマック」(ラシーヌ/渡辺守章訳/岩波文庫)

8: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:58
03/08/09 17:16
「かもめ」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)
「ワーニャ伯父さん」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)

いずれも以前、新潮文庫で読んでいたので再読になる。「かもめ」は三回目。
=チェーホフを今まで読んだことがないわけじゃないわい、バカにすんな!

9: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 10:59
03/08/13 16:50
「三人姉妹」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)
「桜の園」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)

チェーホフは「かもめ」がやっぱりいちばんだと思います。
荒々しいところが、ハムレットを下敷きにしているところが、人が死ぬところが。

10: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:00
03/08/15 16:08
「二十歳の原点ノート」(高野悦子/新潮文庫)
「二十歳の原点序章」(高野悦子/新潮文庫)
「二十歳の原点」(高野悦子/新潮文庫)<これだけ再読>

うっかり生まれ変わろうなどと思ったりすることもある。
ずーっとむかしに「二十歳の原点」を読んで日記をつけ始めたことがある。
ブックオフで購入した、いまは絶版の前編を読んでみた。シリーズを通して。
感想。年をとったということかわたしも。
頭の悪い、といって男にもてもしない女の子が分裂病を発症して自殺するまでの日記。
痛ましい、けれども心に響くことはもうなかった。なんにも。

11: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:00
03/08/17 09:24
「ベスト・オブ・ベケット( ゴド−を待ちながら ) 1」(サミュエル・ベケット/安堂信也 高橋康也訳/白水社)

12: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:01
03/08/18 22:30
「ア−サ−・ミラ−全集1」(菅原卓訳/早川書房)
(内容)
「みんな我が子」
「セールスマンの死」
アーサー・ミラーはギリシア悲劇とイプセンを学んだらしいです。
どちらも完璧なドラマ。
「セールスマンの死」と「欲望という名の電車」はアメリカを代表する戯曲とのこと。
いやいやいやいや。世の中にはおもしろいものが山ほどある。

13: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:02
03/08/20 00:53
「ア−サ−・ミラ−全集2」(菅原卓訳/早川書房)
(内容)
「橋からのながめ」
「るつぼ」

「るつぼ」はすごい戯曲だね。世界レベルの傑作という感じがする。
遠藤周作「沈黙」の先行作品。かなり遠藤さんは影響を受けたのでは。
うねるようなドラマのなかに(研究家向けの)思想も(大衆向けの)見せ場も盛り込む。
これほどまでのドラマを作り上げられるひとがこの世にいるなんて。
アーサー・ミラーに影響を受けた日本人文学者は他に誰がいるのだろう。

14: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:03
03/08/23 10:10
「山頭火 風の中ゆく」(村上護/春陽堂)

山頭火研究の先駆者・村上護さんの書いた戯曲。
全国で公演されたらしいけど、うーん、失笑した。
研究者が勘違いして創作に手を出すと目も当てられないという典型。
ドラマというものをまったくわかっていない。
ただ山頭火の生涯を戯曲形式で紹介しただけ。
戯曲としてやってはいけない「説明的台詞」で満たされている。
役者さんも困っただろうなと同情する。
山頭火はテレビや戯曲にするとつまらなくなるのはどうしてか。

15: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 11:04
03/08/31 07:13

「ア−サ−・ミラ−全集3」(倉橋健訳/早川書房)
(内容)
「転落の後で」
「ヴィシーでの出来事」

「ア−サ−・ミラ−全集4」(倉橋健訳/早川書房)
(内容)
「代価」
「二つの月曜日の思い出」

「ア−サ−・ミラ−全集5」(倉橋健訳/早川書房)
(内容)
「世界の創造とその他の仕事」
「アメリカの時計」

「旧約聖書を知っていますか」(阿刀田高/新潮文庫)
「新約聖書を知っていますか」(阿刀田高/新潮文庫)

「世界の創造とその他の仕事」が旧約聖書を題材にしていたので、つい寄り道を。
阿刀田高の古典紹介シリーズは工藤伸一が好きそう。知ったかぶりのネタ本。

「代価」はあたかも現代日本の老人介護問題を描いているかのごとし。
アメリカのほうが何事も先をいっているのか。
「二つの月曜日の思い出」は泣いちゃった。
早川書房もアーサー・ミラーを文庫にすればいいのに。

16: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:15
03/09/07 03:09

「ア−サ−・ミラ−全集6」(倉橋健訳/早川書房)
(内容)「壊れたガラス」「大司教の天井」

「ア−サ−・ミラ−全集1」(倉橋健訳/早川書房)*再読
(内容)「みんな我が子」「セールスマンの死」

「ア−サ−・ミラ−全集2」(倉橋健訳/早川書房)*再読
(内容)「橋からのながめ」「るつぼ」
再読だけど、どちらも倉橋健さんの訳で読むのは初めて。やはり戯曲は新訳がいい。

「酔っぱらい読本・壱」(吉行淳之介編/講談社)

「週刊100人 No.14 ウイリアム・シェイクスピア」(デアゴスティーニ)

「文芸別冊 総特集 遠藤周作」(河出書房新社)

17: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:17
03/09/13 10:57
「ア−サ−・ミラ−全集4」(倉橋健訳/早川書房)*再読
(内容)「代価」「二つの月曜日の思い出」
→結局、アーサー・ミラー全集でおもしろいのは1、2、4巻です。

「現代演劇 no.15 特集アーサー・ミラー」(現代演劇研究会編/英潮社)
→アーサー・ミラーの総まとめとしてヨンダ。巻末の世界の演劇状況が秀逸。
世界中でいまもシェイクスピアが(それも頻繁に!)上演されていることを知る。

「酒とつまみ 第3号」(酒とつまみ社)
→酒とつまみに関する濃いぃ話が満載の小冊子。1号から愛読している。
少数の書店でしか売っていない。わたしは神保町の三省堂本店で購入。
http://www.saketsuma.com/

18: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:18
03/09/23 08:31
「悲劇の誕生」(ニーチェ/秋山秀夫訳/岩波文庫)
「ニーチェ入門」(竹田青嗣/ちくま新書)
「インド酔夢行」(田村隆一/集英社文庫)
「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ/高橋義孝訳/新潮文庫)

19: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:18
03/10/07 13:42
「ファウスト(一)」(ゲーテ/高橋義孝訳/新潮文庫)
「ファウスト(二)」(ゲーテ/高橋義孝訳/新潮文庫)

「演劇とは何か」(鈴木忠志/岩波新書)
「劇的とは」(木下順二/岩波新書)

「女の平和」(アリストパネス/高津春繁訳/筑摩書房・世界古典文学全集)
「女の議会」(アリストパネース/高津春繁訳/岩波文庫)
「雲」(アリストパネース/高津春繁訳/岩波文庫)

「東京のBar」(枝川公一/プレジデント社)
「風呂で読む 啄木」(木股知史/世界思想社)*再読

20: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:19
03/10/09 06:43
「早春スケッチブック」(山田太一/新潮文庫)

以下感想。

人生の一冊に認定。
シナリオ本。
「想い出づくり」とならぶ山田太一の最高傑作。
シェイクスピアよりもチェーホフよりも寺山修司よりも山田太一はすごい。
その山田太一の「らしさ」がいちばん出ているのが本作では?
絶版なのでブックオフで見つけたら必ず買うこと!

以上、読了報告終了。

21: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:20
03/10/10 06:24
「頭痛 肩こり 樋口一葉」(井上ひさし/集英社)

戯曲。ブックオフ100円コーナーで購入したもの。
二ヶ月前に新宿でこの芝居を見たはずなんだけどすっかり忘れている。
井上ひさしをはじめてヨンダのは戯曲「天保十二年のシェイクスピア」で、
そのときはこんな天才が日本にいたのかと思ったけど、うーん、
これはそれほどでもないんだなぁ・・・
ところでみんなさんの読了レポを見ていると戯曲がほんとない。
いいですよ戯曲って。二時間なら二時間と時間を決めて集中して読む。
いいなって思ったセリフは音読したりして。
戯曲の良さは、その「まとまり」にある。小説みたいにだらだらしていない。
というのも戯曲という形式にものすごく制限を受けているから。
戯曲を読むとマラソンや水泳をしたような、あるいは長時間湯船につかったような爽快感があります。
つまり気持ちよく汗をかいたような、ということです。
戯曲はもっとも身体的な文学ジャンルだと思う。肉体と密接した文学。

22: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:21
03/10/13 07:15
「沿線地図」(山田太一/角川文庫)
→ここのところずっと海外の古典ばかり読んでいたので最初はあまりのぬるさに絶句。
でもおもしろいの、読んでいてあんなに笑うなんて。山田太一が好きなんてひとにいえない。

「岸辺のアルバム」(山田太一/角川文庫)
→小説。テレビで見たひといる? テレビドラマの古典、その原作本。
これもおもしろい、文学じゃないなんていわないで!
ギリシア悲劇やゲーテなんて読んでいたからか、おもしろいものを読むと罪悪感がある。
でも思うんです。ギリシア悲劇と当時の観客との関係は、現代ににおける
テレビドラマと視聴者の関係とそう変わらないのでは? 
ギリシア悲劇にいろいろな制限があったようにテレビドラマにもスポンサーやらの制限がある。

「終わりに見た街」(山田太一/中公文庫)
→宮部みゆき「蒲生邸事件」の山田太一バージョン。
平凡な家族四人が突然タイムスリップして大東亜戦争の真っ只中へ。
はたして歴史を知っている彼らは東京大空襲をとめられるのか?
良いのか悪いのか山田太一の小説は1時間で100ページ読める。

「街への挨拶」(山田太一/中公文庫)
エッセイ。なんでだろ。時折、つぼにはまったように大爆笑をしてしまった。
日常をなめるな、ありきたりを舐めるな、人生はお祭りなんかじゃないと静かに語る。
そのくせ露骨に寺山修司へのあてつけ(悪口)もある。
許せなかったんだろうな、寺山ごときが若者に受けている軽薄な時代が。
今じゃ寺山なんて恥ずかしくて口にできない時代になったけれども。

23: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:22
03/10/15 06:35
「飛ぶ夢をしばらくみない」(山田太一/新潮文庫)
→老婆と思っていたら、あらら。どんどん若返っていくではないか。
好色な主人公はたとえ少女が12、3歳と思われようがすることはする。変態め。

「異人たちとの夏」(山田太一/新潮文庫)
→映画を見たことある。トラウマになっている。この原作本でも涙ぽろぽろ。第一回山本周五郎賞。

「丘の上の向日葵」(山田太一/新潮文庫)*再読
→10年近く前に一度ヨンダことがあるけど、すっかり忘れている。
ある日、突然、美人からあなたの子どもがいるのといわれた既婚の中年男の動揺。
しかも息子は下半身不随だという。わたし、こういう読み物から読書の世界に入ったのですよ。
文学がどうだの、美観がどうだの、ぜーんぜんお構いなし。読んでおもしろいのがいいいじゃんと。

「遠くの声を捜して」(山田太一/新潮文庫)*再読
→これもおよそ10年ぶりの再読。女からの電波を受信しはじめた男の悲喜劇。
精神医学ではこういう患者さんは入院してもらうことになっていますが、あはは。
ベケット「ゴドーを待ちながら」のように最後の最後まで「女」は登場しない。

24: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:23
03/10/23 07:01
「路上のボールペン」(山田太一/新潮文庫)*再読
「いつもの雑踏いつもの場所で」(山田太一/新潮文庫)*再読
→どちらもエッセイ集。何回読み返したのだろう。ほとんど内容を覚えていた。

「君を見上げて」(山田太一/新潮文庫)
→のっぽ女とちび男の純情恋愛物語。「障害」がないと恋愛諸説は盛り上がらない。
たとえば戦争あるいは身分差もしくはトラウマ、そして本作は身長差にそれを求めた。

「冬の蜃気楼」(山田太一/新潮文庫)*再読
→呪われたように演技が下手な役者と新米助監督の奇妙な友情物語。
演技と素、虚構と現実、ウソとほんと。現実はそんな簡単に分類はできないと。

「恋の姿勢で」(山田太一/新潮文庫)
→ありきたりな恋愛への挑戦状。会うたびに設定をかえて演技する男女の物語。
今日は僕がやさぐれた探偵、君は弱みを握られた人妻という設定でデートしよう。
こんな感じに、毎回ちがうデートを楽しむ男女。
寺山修司よりも非日常というものを見通しているのは、日常をこれでもかと凝視しているゆえ。

25: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:23
03/10/23 07:03
「見えない暗闇」(山田太一/朝日文芸文庫)
→非常に図式的な小説。読後、思わず絵解きをして悦に入ってしまいそう。
日常と非日常、正常と異常、平静と狂気、貴重品とゴミ、公務員と暴力。
つまりは「きれいは穢(きた)ない、穢ないはきれい」(マクベス)。
山田太一さんの意欲作。なんでこれがなんの文学賞も取っていないのかふしぎ。

「見なれた町に風が吹く」(山田太一/中公文庫)
→平凡で退屈な日常を送るオールドミスがふとしたことから映画製作に加わることになり・・・
現実はとことん厳しいけど、ほんと厳しいんだけど、でもまあがんばろうよ!
という、いかにも山田太一らしい作風の小説です。決してワンパターンとは言わない。

「彌太郎さんの話」(山田太一/新潮社)*再読
→去年の三月に発売されてすぐ読んだはずなんだけどさっぱり覚えていなかった。
文句なしの傑作。上質のエンターテイメント。文庫化されたらまあ読んでみぃ。

以上にて山田太一全小説13作品を読了。

26: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:24
03/10/24 13:35
『親ができる「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一/新潮文庫)
→太一パパの子育てエッセイ。なに読んでんだかアハハ。
こんなものを書くだけのことはあって太一娘は民放テレビ局のエリート社員。
遠藤周作の息子もテレビ局のプロデューサー。へへへ、成功者は子どもまで違いますね。

27: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:25
03/10/26 11:44
「言語表現法講義」(加藤典洋/岩波書店)

著者が大学で教えていた講義を書籍化したもの。
テーマは「どうすればいい文章を書けるか」。刺激的な良書です。
言葉というものに意識的に向き合う良い機会になった。
本書は著者が学生に課題をだし、提出された課題を添削するという形式で進められる。
けどね、なんだかなと思ったりもする。うまいと著者がほめる学生の文章なんて読むと。
いかにもな小論文の優秀作、模範解答例みたいで、チェッと舌打ちしたくなるのである。
たとえば「私について」書きなさいという課題。
「戦争について」でも「現代の若者について」でもそう。
なんで一言「うるせーバカ!」じゃいけないんだろう。
本書のような文章教室からは文学は生まれない。
「うるせーバカ!」から始まるのが文学なのではありませんか。
かつて中上健次はいった。
「いまの文学者にこれだけは書かなければならないというものをもったやつがどれだけいるか。
べつに書かなくても生きていけるやつらが文学者づらをして賞に一喜一憂しているだけだ」。
おんなじ。課題をだしてまで学生に文章を書かせる必要がどこにありますか。
書きたいことがないひとは、書かなくてもいいじゃない。いわんや「いい文章」をや。
添削というのもどうかなぁ。さっきの中上さんは若い頃にこうもいっている。
自分の小説を一字一句でも添削しようとするやつは殴りつけてやると。さすが。
さてさて、本書の最後で著者は言い訳のようにいっている。
今まで自分が書いてきたいい文章の書き方なんて忘れてください。
みなさんの書きたいという気持がいちばんです、と。
もちろん加藤典洋もわかっていたのである。
書く「技術」よりもはるかに書く「欲望」が大切なんだって。
安心してください。三日も経てばわたしは本書の内容を忘れるでしょうから。

28: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:26
03/10/30 04:11
「どん底」(ゴーリキイ/神西清訳/角川文庫)絶版
→戯曲。いわゆる名作古典。ロシアの浮浪者さんたちのおはなし。
どの文学作品も「ある時代における・ある国の」事情というものがあってはじめて
書かれるものだろうけれども、その中で古典として後世に残るものにはやはり
時代・地域に還元されない「何か」がある。その何かとは劇的ということではないか。

「イワーノフ」(チェーホフ/米川正夫訳/角川文庫)絶版
→チェーホフ最初の長編戯曲。文庫で旧仮名遣いは読みにくいったらありゃしない。
これも当時のロシアの事情が色濃く反映した戯曲らしい。
まあ、私たち(研究者ではない)フツーの読者はどの古典作品も今を基準にして
読むわけですが。最後に主人公が自殺して、へえ、強制終了かとあいまいに苦笑した。
かといって村上龍の「私は主人公を最後に殺したりはしない」という方針を支持しているわけではない。

「チェーホフの手帖」(チェーホフ/神西清訳/新潮文庫)絶版
→チェーホフは手帳に日々の思いを記入して、それを創作に活用していたらしい。
チェーホフ本人や研究者には重要だったかもしれませんけど日本の一読者が見てもさっぱり。

「チェーホフ短編集」(チェーホフ/原卓也訳/福武文庫)絶版
→宮本輝お薦めの短編「恋について」が入っていたので多少値は張ったけど古本屋で購入。
最近、知ったけどわたしの好きな三浦哲郎もチェーホフを愛読しているらしい。
感想は、ブンガクしてるなぁ。ありのままの人間と、あるべき人間とのあいだにあるブンガクねえ。
大まじめに恋愛について生きる意味について書いていますよ、照れちゃうな……。

「かもめ」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)*再読
→戯曲。もう何回読んだんだろう。今年に入って三回目か。読めば読むほど味が出る。
チェーホフの最高傑作。これがあるからチェーホフの他の作品も読もうという気になる。
この感動を誰かに伝えたい。なんてすばらしい戯曲なんだろう。
どの人物のどのセリフにも作者の目が行き届いている。劇的になるように! 
どの恋愛も成就することがない、それゆえのさみしさ美しさ青春ということ。
今までは気がつかなかったある脇役(マーシャ)に今回はやたら目がいった。

29: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:26
03/11/03 10:11
「完全版!! 銭道」(青木雄二/小学館)
→なに読んでんだかアハハと照れ笑いしたくなるけど、まあ、ちょっと前に
亡くなったことだし、コンビニ廉価版で安かったし、あほな大衆に受けている
のを見てみるのも悪くないと思ったから、なんてわたしはエラソーなのか(ごめん

「ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン」(ピーター・シェファー/伊丹十三訳/劇書房)
→戯曲。インカ帝国を滅ぼすために探検に出かけた男たちの物語。なんかいまいち。

「レイ・クーニー笑劇集」(小田島雄志・恒志訳/劇書房)
→戯曲。内容は「ラン・フォー・ユア・ライフ」と「パパ・アイ・ラブ・ユー」。
登場人物全員が必死になって動き回るファルス(笑劇)。すべては観客を笑わすために!
シェイクスピアの「間違いの喜劇」を100倍おもしろくした感じといえばいいのか。
こんな演劇も可能だったのかと新たな発見をした気分。シナリオ創作の勉強になる。
2500円と高いけどお薦め。失意落胆しているときに読むと肩がほぐれそう。再読候補。

「くたばれハムレット」(ポール・ラドニック/松岡和子訳/白水社)絶版
→戯曲。お芝居の舞台裏を演劇にしてしまうというのは古く「夏の夜の夢」から。
ハムレットを演じることになった役者の成長物語。
ほら幽霊がでてきて、それは主人公にしか見えなかったりして、幽霊に色々教えてもらって、
最後はお別れという――。ありがちとか言っちゃ悪いね。可もなく不可もなく。

「アマデウス」(ピーター・シェファー/江守徹訳/劇書房)*再読
→戯曲。モーツァルトのお話。初読のときはすんごい大傑作だと思ったけどなんだかな。
うまいんだけど、おもしろいんだけど、それだけで終わっているというのか、うーむ。
役者のひとりが甘いお菓子を舞台でぽりぽり食べるのでわたしもついついお菓子を口に(w
そういうことってありません? 本にでてくる食べ物がどうしても食べたくなってしまう。

30: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:28
03/11/04 21:02
「ナイチンゲールではなく」(テネシー・ウィリアムズ/村田元史訳/「テアトロ」11月号)
→戯曲。テネシー・ウィリアムズが27歳のときに書いた習作。当時、上演されることはなかったらしい。
刑務所でのおはなし。搾取にリンチとやりたい放題の所長。それに対するは刑務所のドン。
さて、所長のスパイかと思われていたジムが所長秘書との愛に目覚め、刑務所のドンと結託して――。
アメリカにありがちな三流映画のような……といったら失礼かな。読みとおせるぐらいの
おもしろさはあるけど、そこどまり。この著者がのちに「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」を
書くとはとても信じられない。その飛躍には何があったのか。それを知りたい。

「週刊朝日百科 世界の文学42 テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーほか」
→アメリカの演劇史が盛りだくさんの写真とともにコンパクトに紹介されている。
読もうか迷っていた劇作家の情報があって、思っていたより役に立った。
喜志哲雄さんによると「ニール・サイモンの戯曲にはT.ウィリアムズやA.ミラー
ほどの文学性はない」。「エドワード・オールビーはアメリカ版の不条理劇」。
どちらも全集を買おうか迷っていたけど、とりあえずはやめることにする。

「カッコーの巣の上を」(デール・ワッサーマン/小田島雄志・若子訳/劇書房)
→戯曲。いいよ、これ。とってもいい。読んでいて不覚にも落涙。とってもいっぱい泣いた。
そうとうスレているはずなんだけどなわたし。えーと、おはなしの舞台は精神病院。
ドラマというものは何者かが現れ日常の均衡が壊れることからスタートするものですが、
ここに登場するのがなんとも愉快なマクマーフィさん。「人生はお祭り」を地で生きるナイスガイ。
管理としめつけが大好きなオールドミスの婦長さんはとーぜん彼が気に入らない。
さてさて、どんな葛藤が繰り広げられるかはぜひご一読を。1700円と高いけど決して後悔させません。
続けてこれが原作の映画「カッコーの巣の上で」を見たけど、こちらにはがっくし。
映像、苦手です。イメージを押しつけられる感じが窮屈で。せっかくの脳内上演をぶち壊された思い。
ひとからイメージを与えられるより、自分でイメージを作るほうが楽しくないですか?

31: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:42
03/11/09 10:07
「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)
→戯曲。ちょっと待ってよ、そりゃないって! もういいかげんにして!
戯曲を読むのは終わりにして早く「次」に行きたいというのに。
だって戯曲は半端じゃなく高いから……。なのに、なのに、なんでこんなにおもしろいの?
ええ、泣きましたよ。セリフの一言ひとことがなんて重いんだろう。
これを読んだら胸がいっぱいになって、その日は他の本を読む気にならなかった。
アメリカの古典劇。調べてみたらとっても有名らしいけどみなさん知っていました?
わたしは知らなかったけど。世界各地でプロアマ問わずに上演されているらしい。
カントリーの平凡な生活を、なんでここまで感動的に描けるのだろう。
ひとの人生を変えうるチカラを持った書物に久々に出会いました。1800円、高くない!

「ピアノ・レッスン」(オーガスト・ウィルソン/桑原文子訳/而立書房)
→戯曲。黒人もの。中上健次の「路地」じゃないけど、なんかキュークツ息苦しい。
先祖伝来の想い出がしまいこまれたふるいピアノがあります。
弟は売ろうといいます。姉は反対しますが、ピアノ(黒人の歴史)に触れることはありません。
最後に姉が今までさわることのなかったピアノをひきます。
自分の娘にピアノを教えるのです。だからピアノ・レッスン。だからなに? So what?
わたしがネタバレをするのはよほど入手困難な本か、よほどつまらないかのどちらかです。

32: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:43
03/11/09 10:07
「検察官」(ゴーゴリ/舟木裕訳/群像社)
→ご存知、名作戯曲の新訳! 国語便覧には必ず載っています。
名物にうまいもんなし、とは旅行好きの決り文句でありますが、はたして名作は?
へえ、これが名物なんだ、あの有名な、ふーん。一度食べたからもういいや。
名物を名作へ、食べるを読むへ変えれば、この「検察官」の感想になります。

「結婚」(ゴーゴリ/堀江新二訳/群像社)
→なにこれ、おもしろいじゃん。ぜったいつまらないと思っていたのに。
「検察官」の横に夫婦みたいに仲良く並んでいたから引き離すのがかわいそう。
それが買った理由。なのに、こりゃあ笑えるぜってえお客さん!
何より訳がいいんでせえ。登場人物がみーんなかわいらしい。チューしたいぐらい。
お見合いのおはなし。といっても女はひとりで男は五人。さあ、誰を選ぶのか。
あはは。「検察官」の次に読んだからこんなにおもしろく感じたのかもしれません。
また食べ物のはなしで恐縮ですが、まあ、「検察官」と食べ合わせが良かったということ。

33: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:44
03/11/09 19:45
「マーヴィンの部屋」(スコット・マクファーソン/松本永実子訳/而立書房)
→戯曲。しんみりと、じんわりと、来ます。ことばにできない感動が。
読み終わってスーパーに買い物に行きましたが、そこで来たのです。
その場で泣き出したくなるような、さみしさといとおしさがないまぜになったような。
そんな感動にすっかりやられてしまったわたしは涙を隠すのに骨をおりました。肉売場の前で。
寝たきりの父と障害者のおばの介護にあけくれるオールドミスの女性が主人公。
不運は重なるもの。白血病を宣告され、骨髄移植のために何年も会っていない妹と連絡を取る――。
読み終わってからずっと考えつづけた。なんなんだろうこのふしぎな感動は。
わかったのは、肝心なことを著者は語らせていないということ。
登場人物の誰もが言いたいことを言えないでいる。そのため逆説的に「間」が語っているのです。
何を? どうしたってことばにできないものを。それはおそらく愛なんだろうなチェッ。
登場人物が自分の思いをぶちまけることで葛藤を生みだすのが従来の演劇だとすれば、
本作は彼女らが思っていることを言えないでできてしまう「間」を見せようとする。
この「マーヴィンの部屋」は著者の第三作にして最終作品。33歳、エイズで死亡――。

34: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:45
03/11/19 02:15
「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(トム・ストッパード/松岡和子訳/劇書房)
→戯曲。「ハムレット」に登場する脇役二人を主役にしてみたらどうなるか?
答え。つまらないからやめたほうがよかった。

「レティスとラベッジ」(ピーター・シェーファー/黒田絵美子訳/論創社)
→戯曲。日本版は黒柳徹子が主演! おもしろいおばさんのおはなし。
日常よりも演劇が、ほんとよりもうそが好きなおばさん。現代に英雄はいない。
ならどうすればいいか。英雄ごっこをしよう! 終わりなき日常に果敢に挑んだ黒柳徹子は!?

「エクウス」(ピーター・シェーファー/倉橋健訳/テアトロ)
→戯曲。どうしても読みたくてネット古書店で買ってしまった作品。
それほどでもないような。活字で読むより舞台で見たほうがいいというのか。
なぜって男女の役者が舞台上で全裸になるから。・・・じゃなくて見せ場の関係上(w
脱ぐというのは本当で、そのため韓国演劇では前衛演劇のさきがけになったらしい。
内容は、馬に異常な関心を持つこころの病んだ少年と精神科医の葛藤。
秘密を小出しにする技法があざといというのか、巧いというのか迷うところ。

「東京の秋」(山田太一/ラインブックス)
→シナリオ本。むかしはこんな文芸ちっくなものがテレビでやっていたのかと隔世の感。

「小説新人賞は、こうお獲り遊ばせ 下読み嬢の告白」(奈河静香/飛鳥新社)
→ブックオフ100円本。2時間で読めて5回笑えた。それがすべて。

「ロボット」(チャペック/千野栄一訳/岩波文庫)
→戯曲。SFの有名な古典らしい。人間そっくりのロボットを作り販売した会社。
みなさまの予想通りロボットたちが人間さまに反抗するわけで、さてどうなるか。
小学校のころの担任が「ロボットになるな!」と熱く語っていたのを思い出した。
著者によるとロボットの定義は自殺しようとしない、恋愛しない、感動しないの三つかな。
これを読んで失笑したあなたが好きだよわたしは。

「夫が多すぎて」(モーム/海保真夫訳/岩波文庫)
→戯曲。岩波文庫らしくない。だっておもしろいから(w 先が読めるけど。

35: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:47
03/11/20 07:10
「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)*再読
→人生を変えうる一冊なんて書いちゃって、再読してみたけれども、えーと。
そこまでではないような気もするのですが、これはいったいどういうことか。
再読して改めて魅力を再発見するタイプの本があればそうでないものもある。
ただたんにストーリーが目新しかっただけということなのかな、うーん。
ストーリーがわかっていても楽しめるというのは戯曲にとって重要なわけです。
「ハムレット」なんてみんな知っているのに観にいくわけだから。
戯曲というものは再読してみてはじめて持っているちからがわかるものなのかもしれない。

36: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:48
03/11/25 06:17
「三大悲劇集 血の婚礼 他二篇」(ガルーシア・ロルカ/牛島信明訳/岩波文庫)
→戯曲。著者はスペインの劇作家。ギリシア悲劇に影響を受けたらしい。
「血の婚礼」(夫も息子も宿敵に殺された母親。最後一人の息子まで殺される受苦を描く)
「イェルマ」(どうしても妊娠できない人妻。なんでどうしてと夫の首をしめて殺害)
「ベルナンダ・アルベの家」(ブス五姉妹。姉の婚約者を妹が奪う。のち首吊り自殺)
女の情念による悲劇を書いた。スペイン人は熱いね、いやあ。三つ目のみ傑作。

37: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:48
03/11/25 06:17
「嘘つき男・舞台は夢」(コルネイユ/岩瀬考・井村順一訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス古典喜劇。ラシーヌとほぼ同時代のひと。
喜劇といっても、もちろん笑えやしない、古臭くて。
「舞台は夢」は考えさせられる。演劇ってなんだろう?
実際に起こったこと。あるいは起こらなかったこと。
それを舞台で繰り返すこと。それを演じること。見ること見られること。
ギリシア悲劇からシェイクスピア、時代を隔てて山田太一に野島伸司まで。
ひとは見たがる。何を? 何が楽しくて? 何のために?

「抜目のない未亡人」(ゴルドーニ/平川祐弘訳/岩波文庫)
→戯曲。スペイン、フランスときて今度はイタリアの劇作家でござーい♪
もてもて未亡人のおはなし。彼女にプロポーズするのは四人。
イギリス人、フランス人、スペイン人、同国のイタリア人。
いやはや、それぞれが各自(国)の流儀で口説こうとするわけです。
おフランスではこうなっているざーますよ、なんてさ。あはは。
シェイクスピア喜劇みたい。なぜってその未亡人は変装して男をテストするわけで。
さーて、どの男を選んだかは読んでのお楽しみ。え、楽しいか? ……。

「ヘッダ・ガーブラー」(イプセン/福田恒存訳/中央公論社)絶版
→戯曲。岩波文庫で一度読んだことがある。著者はご存知近代劇の父! 国はノルウェイ。
退屈な人妻のおはなし。ネエなぁにぃか、おもしろいこと、ないかなぁ? 
みのもんたに相談することはないけれども、昼ドラも退屈。
そんな主婦が150年前くらいのノルウェイにいてもふしぎはない。もちろん子どもなし。
自分の将来なんて先の先まで見えてしまう。夫は凡庸、平板な日常。
ヘッダは人生を生きたいのである! 福田恒存による詳細な解説がついている。
氏いわく「ヘッダはマクベス夫人ではない。女ハムレットである」。

38: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:49
03/11/25 06:19
「エロ本」(ノート=ウドム・テーパニット/白石昇訳/白石昇事務所)

→気鋭のタイ文学者であり、また2ちゃんねらーでもある白石昇氏の翻訳作品。
著者はタイの売れっ子芸人。映画も作るわ、本を書いたらバカ売れするわで、
まさに(そんな言葉があれば)タイドリームの体現者といってもよいおかた。
かといって日本によくあるタレント本かと思ったらこれがちょっと違うんだな。
終始一貫して疑問形なのである。日本のゲーノウジンのようにおれイズムを訴えたりはしない。
ちょっとわてはこう思うんだけど、はてどないでっしゃろと読者にツッコミを入れちゃう。
それがなんとも居心地が良い。新鮮である。あー、これがタイの感覚なんだなと思う。
タイといえば訳者の白石氏による詳細な(注)はこれだけでも一冊の本にできるレベル。
タイでいま流行っている俳優、歌手からタイ料理、お菓子、ビタミン剤まで写真つきで紹介。
タイの現在(いま)がこれ一冊でわかると言い切ってもいいくらい。
で、結局、この本は何なんだろう。どう定義したらいいのか。
タイのガイド? タレント本? エッセイ? 人生指南書? トンデモ本?
答えは、そのすべてであり、そのどれでもないのである。
確かなのはノート=ウドム・テーパニットという人間が紙面の裏で生きているということ。
有名人ゆえの苦悩をぼやいたり、シャワーのすばらしさを考えたり、お菓子をぽりぽり食べたり、
時にはまじめに幸福について考えちゃったりもするひとりのタイ人がいるのである。
感動するのも笑うのもすべては彼がいるからなのだ。タイという国に。
勝手に断定して申し訳ないが、著者はタイの寺山修司である。
なんとか読者を笑わせよう、怒らせよう、考えさせよう、とにかくサービス精神が旺盛!
私たち読者ができることは彼の手の上にのり踊ることである。
ふと思った。
手の上ではなく私はタイという精神的に豊かな国の上で踊っていたのではないか。
まあ、そんなことはどうでもいい。楽しく、笑いながら踊れたのだから。
このような傑作が日本で評価されていないのがふしぎで仕方がない。
最後に本書を日本に紹介してくださった白石昇氏に敬意を表したいです。

39: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:50
03/11/30 09:48
「本郷」(木下順二/講談社文芸文庫)
→エッセイのような小説のような本郷愛着の記。
しみじみと語る。本郷に育てられた自分を。
著者は文学板で話題になったのを見たことがないけれども戦後日本を代表する劇作家。
翻訳文ではない、日本人が書いた日本語を久しぶりにヨンダ気がします。

「ブラック・コメディー」(ピーター・シェーファー/倉橋健訳/劇書房)版元品切れ
→戯曲。これでピーター・シェーファーの代表作はほぼ読んだことになる。
ファルス(笑劇)。洗練されたどたばた喜劇。ビンボー絵描きの男が主人公。
大事な日、婚約者の父親と会う日、大金持ちが自分の絵を見に来る日、それは起こった!
突然の停電でみんなパニック! 舞台の闇を観客には明として見せる。
取り違えは喜劇のお約束。そのおかしいことといったら。

「地霊・パンドラの箱 ルル二部作」(F.ヴェデキント/岩淵達治訳/岩波文庫)
→戯曲。むしろオペラになったものが有名らしい。先ごろ、日本でも上演されたとのこと。
ドイツの劇作家。ブレヒトが心酔していたとか。ブレヒト嫌いなわたしはこの作品もだめ。
誰とでも寝る絶世の美女のおはなし。いかにもな男の妄想じゃんと突っ込んではいけない。
なぜなら天下の岩波文庫収録作品、よってこれは芸術だからである。
次々に男を変えることで経済的にも恵まれるが、ついには娼婦にまで身を落とし客の狂人に殺される。

「夕暮れて」(山田太一/大和書房)絶版
→テレビドラマのシナリオ本。20年前にNHKで放送されたらしい。
イプセンの「ヘッダ・ガーブラー」とおなじ系統。刺激をほしがる主婦のおはなし。
結局、不倫もしないで元のさやにしっかり収まるのはテレビだからNHKだから。
山田太一ドラマの特徴のひとつはそのセリフ。何気ない言葉でドラマを進めていく。
本音を言わない。欲望をださない。生活人としての仮面をつけた登場人物たち。

「カッコーの巣の上を」(デール・ワッサーマン/小田島雄志・若子訳/劇書房)*再読
→戯曲。再読しても感動したから名作に認定。もう一回、読みたいです。

40: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:53
03/12/04 07:53
「アルト=ハイデルベルク」(マイヤ=フェルスター/丸山匠訳/岩波文庫)
→戯曲。わたし岩波文庫きらいなんです。だってエラそうだし、いかにもな古典しか
文庫にしないし、翻訳がおかしいのが多いし、(注)がやたらあって読みにくいから。
しかーし、なのだ。この作品は例外。わんわん泣いてしまったじゃないか。
ぽたぽた落ちる涙で本が汚れてしまったじゃないか。どうしてくれる岩波文庫!?
恥ずかしいな。これ読んで泣くなんて。ジイさんバアさんに人気のあるドイツの古典作品。
それまで窮屈な生活を送っていた王子様が留学を機に青春を謳歌、別離、そして再会――。
シェイクスピア「ヘンリー四世」とそっくり。
これを舞台で見ていたらぜったいに泣かない。くさいなぁと鼻でせせら笑う。
わたしゃ、こんなんで泣くようなアホじゃぁないって、涙腺のゆるんだジイさんバアさんよ。
でも家でひとり読んでいるとね、ほんとね、泣けちゃうんですよ。
ありがとう。410円でこんなのが読めて。きらいじゃなくなったよ岩波文庫。

41: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 15:59
03/12/08 09:41
「マクベス」(シェイクスピア/木下順二訳/岩波文庫)
→福田恒存訳で三回、松岡和子訳で一回読んだことあり。舞台では二度、映画で一回。
「人生は3Gである」というのがわたしの考え。
つまり人生はゲームであり(リセットボタンまで存在する!)、
人生はギャンブルであり(何かに賭けたいのです!)、人生はギャグである(にゃは!)。
マクベスさんが最後にいう有名なセリフ(5の5)もおんなじでは?
ぜんぶ音読する。木下順二さんの訳は声に出したくなる。

42: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:00
03/12/08 09:42
「リチャード三世」(シェイクスピア/木下順二訳/岩波文庫)
→福田恒存訳、松岡和子訳で読んだことあり。映画はふたつ見た。
みなさんお上品な顔をしてシェイクスピアざまーすなんて言ってるけど、ちゃうねん!
ぜんぜんちゃう、ちゃうちゃう、ちがうって。
せむしでびっこの身体障害者がどーせおれはもてないからみんなぶっ殺したろか?
と最初に宣言して、そのとおりに殺戮をつづけるのがこのリチャード三世。
ぜひ本物の身体障害者にやってほしい、Z武くんなら最高なんだけど。
三度目に読んで気づいたのはマーガレットの存在感。この老女やばすぎ。
他人の不幸をざまーみろとせせら笑う。2ちゃんの阪神大震災コピペを思い出した。
ほら、あの、死者が増えるたびに大笑いをしたという不謹慎なあれ。
あ、これも音読した。マクベスの1.5倍くらいの長さだから疲れたさすがに。

「十二夜」(シェイクスピア/小田島雄志訳/白水uブックス)
→松岡和子訳で読んだことあり。映画、オペラ、ミュージカルで見た。どれも良かった。
「リチャード三世」とおなじ日に読んだけど、とても同一人物が書いたとは……。
ここに登場するシザーリオがシェイクスピア作品のなかでいちばん好きなんです。
男装しているから恋する男性に告白できない、逆に同性からは告白されるシザーリオ。
何かを演じているときにこそ(男装!)魅力がでる人間というのがいます。
シザーリオは演劇の本質を証明しているのでは? あるいは役者の本質を、あるいは人間の。

43: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:02
03/12/15 17:20
「シェイクスピア講演」(福原麟太郎/講談社学術文庫)絶版
→戦後まもないころ、著者が外務省の役人の前で講演をした記録。
海外にでるものはすべからくエゲレスのシェークスピヤくらいは知るべし、との理由で。
「マクベス」と「オイディプス王」の比較に、シェイクスピア劇とギリシア悲劇の違いを見る。
オイディプスは「父を殺し、母と寝る」という神託に決して逆らうことができなかった。
比してマクベスばどうか。最初の魔女の予言、「やがては国王となるおかた」。
オイディプスは呪われた自分を知る、それは全能の神の存在(神託)を認めることでもあった。
一方、マクベスは死に挑むとき、ひとつとして彼のこころに確かなるものはあったか?
オイディプスは英雄である、そしてマクベスこそがあなたでありわたしである。

「シェイクスピアの世界」(木下順二/岩波同時代ライブラリー)絶版
→著者が講義形式でシェイクスピアについて語る。
のちに木下順二の戯曲を読むつもりなので、シェイクスピアと創作がどのように
むすびついているのかを意識して読む。なぜ現代にシェイクスピアは現れないのか。
しかし内容はシェイクスピアの原文における詩形式の説明、
シェイクスピア批評の歴史など。ひとつおもしろいトリビア的なネタを入手。
「ハムレット」の第一フォリオ(シェイクスピア存命時に出版されたもの)は、
後年、ひとりの学生が古本屋のワゴンで投げ売りされていたものから発掘した。
ただ同然でそれを手に入れた学生は別の古本屋に転売。その古本屋が価値のわかるひとで、
高値で引き取ったらしい。しまいにはそれは博物館に収められ、
あとのシェイクスピア研究に欠かせぬものになったとのこと。
さあ、ヘエはいくつ? 
古本屋めぐりが楽しくなる逸話でした。

44: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:03
03/12/15 17:43
「審判」(バリー・コリンズ/青井陽治訳/劇書房)
→戯曲。ひとり芝居。役者の加藤健一さんが好んでやったらしい。
ものすごーく苦労をしてやっと新品を入手した思い入れが深い本なんだけど。
登場人物はひとり。客席にいる観客を判事とみなし訴える。
われわれ7人、敵兵に閉じ込められ放置された、食べ物とてなく水もなし、
期間にして70日、腹がへる、くじをした、あたったひとりを殺し、殺して……、
仲間の首をしめて、その肉体を食べた、人肉で腹を満たし、血でのどを潤した、
次々に、仕方がない、生きるためには、そうして二人が残った、二人だけ発見された、
自分のほか一名はあのとおり発狂している、だからわれより他に事実を述べるものはなし、
判事(観客諸兄諸姉)に問う、あなたたちにわれと彼を裁けますか?
そしてわれら生存者二人は神前の審判でどのように裁かれるのか。
なぜ裁かれなければならないのか、いったい何の罪で。
あなたたちも自分と同じ環境に置かれたら同じことをしたのではないか。
そういう話。実話を元にしているとのこと。実話では生存者二人は発狂、後に銃殺。
ここに宅間守のみならず、あらゆる犯罪者を見るのは是か非か。極論になるのか。
わたしは林マスミを裁けない。わたしが彼女だったらと思うと。
被害者あるいはその家族のみが真に裁きうるのではないか。
いや、真に? はたして……「あとは沈黙」(ハムレット)。

45: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:04
03/12/15 18:21
「快読シェイクスピア」(河合隼雄・松岡和子/新潮文庫)*再読
→ご存じ文化庁長官にしてカウンセラーの教祖・河合隼雄と松岡和子の対談本。
渋谷シアターコクーンで「ハムレット」(蜷川幸雄演出、藤原竜也主演)の
当日券を求める行列をしながらヨンダ。読んだのは三回目です。
これをおもしろいと書いたら文学板某住民に白痴のごとく扱われた、想い出深い一冊。
しかし退屈にして平穏な日常を送っている研究者が書いた本なんかよりよほどこちらの
ほうが刺激的では? ジュリエットに河合隼雄は診療室で対面した少女を見る。
エリザベス朝のシェイクスピアと現代(あなたが生きている!)をむすびつける。
……(こそっと)河合隼雄になんだかなー?と思う気持はわからなくもない。元信者として。
なんだかな。河合さん、権力にすりよって、心理療法士の国家資格化ねえ。

「ハムレット」(シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫)
→あらゆる翻訳で読み尽くし、舞台で四回、映画はすべて見たけれども、
原文で読んでいないがゆえに永遠にバカにされるという哀しい日本人・美香QNW。
福田恒存のことばを思い出す。ハムレットにはあらゆる評論がついてまわるけれども、
なぜこれほどまで民衆に愛されるかといえば、自然な流れを持った芝居だからである。
どこにもよどみがない、流暢である、実に自然にわれわれの目に耳に流れ込んでくる。
あらためてそれを実感する。わたしがはじめてハムレットを読んだのは福田恒存訳。
「どうしようもない悲劇」だと2ちゃん文学板に感想を書いたのを覚えている。
どうしようもない、どうにもならない悲劇。これ以外にはどうにも結末のつかない悲劇。
ハムレットもクローディアスもレイアティーズも、そしてポローニアスですらも、
めいめい各人「どうしようもない」事情を抱えている。
そして各人がまったく自由に行動しているように見えながら、
あらかじめ誰かのつくったレールに乗るがごとくの悲劇的な結末、
登場人物のほとんど全員が死を遂げるというあのクライマックスに流れていく。
それ以外には「どうにもならない」のである。
各人が自由に行為するがゆえの必然的な結果。
そこにハムレットの魅力を見出したのは福田恒存である。

46: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:05
03/12/22 10:04
「風浪・蛙昇天 木下順二戯曲選1」(岩波文庫)
→木下順二を知っていますか? 1914年生まれ。劇作家、思想家。
わたしから言わせるとつかみどころのない秀才、がり勉くん、勉強家。
自意識のくさみが感じられない、それは育ちが良いから、でもおもしろみがない。
いーっぱいお勉強をしてそこから戯曲を書くひと。
どこにも欠点がない、だから評価も受ける、日本を代表する劇作家だと。
風浪、蛙昇天どちらもおもしろくはない、かといって読み通せないほどつまらないわけでもない。
風浪は明治初期の不平士族のおはなし。蛙昇天は蛙の世界の共産主義思想について(w

「夕鶴・彦市ばなし 他二篇 木下順二戯曲選2」(岩波文庫)
→日本人の劇を書こうとしたひとです。たとえば夕鶴のような民話劇。
農村に古くから伝わる民話を劇にしたわけです。夕鶴はいわゆる鶴の恩返し。
日本にドラマは存在しうるのか。人間と人間の対決は神の下でしか生じないのではないか。
木下順二の戯曲が欧米の戯曲に比べて魅力がない、その原因は作者にあるのか。
それとも原因は作者が生きているこの国、日本にあるのか。
日本はドラマ(傑作戯曲)を生まない不毛な土壌なのか。

47: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:06
03/12/22 10:57
「オットーと呼ばれる日本人 他一篇 木下順二戯曲選3」(岩波文庫)
→表題作は退屈。大東亜戦争まえにロシアのスパイをしていた日本人のおはなし。
共産主義思想にとらわれながらも日本を良くしようと努力した男のドラマ。
共産主義? プッと鼻で笑われてしまう現代ですから、なんとも言いがたい。
こういう戯曲が意味を持っていた時代があったんですかねえ。わたしが生まれる前に(w
併載されていた「神と人とのあいだ」は木下順二戯曲のなかで一番のおもしろさ。
第一部と第二部に分かれている。第一部は複数の戦犯が東京裁判で裁かれる様をリアルに、
第二部は外地で戦犯として裁かれるある個人に視点をすえて、その対比の妙。
第一部はつまらないけど、この木下順二というひとは……。
この戯曲を書くためだけに東京裁判の記録を二年だか三年だか読みつづけたらしい。
(それでつまらないんだから、なんともすごいです。何をして食べているのだか)
第二部があって第一部が光るような仕組みになっている。

「子午線の祀り・沖縄 他一篇 木下順二戯曲選4」(岩波文庫)
→「子午線の祀り」は木下順二の最高傑作との世間的な評価があるらしい。
先ほど日本にドラマはあるのか!なんて大仰に嘆いてみたけど、
それに対する木下先生の答えがこれ。「平家物語」があるではないかと。
シェイクスピアは英国史劇を書いた。木下順二は平家物語を題材に取った。
ええ、「子午線の祀り」おもしろいですよ、劇的ですよ、それで、うーん……
……日本とは、なんて語るガラじゃわたしないけど、なんだろうね日本って。
「沖縄」は最低。寺山修司の戯曲以下。これほどのさげすみはないんです。

「夕鶴・彦市ばなし」(木下順二/新潮文庫)
→表題作のふたつは岩波文庫にも入っている。こちらは民話劇だけを集めたもの。
三年寝太郎にわらしべ長者、みなさんおなじみの彼らと会うことができます。
さて、こうして木下順二さんの戯曲をまとめて17本読んだわけだけど、うーん。
わたしは彼から何を盗み得たのか。なにもないような気がするな。
木下順二。無害なひとである。さあ、次は三島由紀夫。覚悟しておれ!

48: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:07
03/12/29 09:18
「近代能楽集」(三島由紀夫/新潮文庫)
→戯曲。いまさら、それもわたくしごときが、三島由紀夫の「み」も語れるとは
思っておりませんが、それでも世界の名作戯曲を読み漁っている、その道半ばで、
三島戯曲がどのようにわたくしの目に映ったかぐらいは書いてもいいと思うのです。
三島由紀夫というブランドの呪縛からできうるかぎり逃れ、彼の戯曲だけを作品群から
引っこ抜く。そして置く。並べてみる。どこへ? たとえば「わが町」の右隣へ。
「欲望という名の電車」のそばに。「るつぼ」「アマデウス」「かもめ」と比較してみる。
この三島戯曲の代表作「近代能楽集」を。それがただ同じ戯曲という理由だけで。
するとミシマは恥ずかしかった。島国ニッポンそのものだった。つまり小さいのだ。
そのくせボティービルで自らを大きく見せようとするのだからさらに恥ずかしい。
言葉でわざとらしく飾り立てる。
上にあげた名作戯曲は読んだ翌日にも再読したくなった。
この「近代能楽集」を再読することはないでしょう。

49: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:08
03/12/29 09:21
「鹿鳴館」(三島由紀夫/新潮文庫)
→戯曲。かつて(今も?)三島賞の選考委員をしていた宮本輝が三島由紀夫を
こう評していた。三島の作品はガラス細工。人間がまともに生活をして50歳を
過ぎたらば、あんなものはとても読めやしない。それを公の場で発表するのではなく、
テルニストHPという自分のファンクラブHPに書き込んでしまう、その卑怯さは
いかにも作家らしいとここでは置いておいて、注目したいのはその内容なのです。
ガラス細工。よくも見事に言い切ったと思う。この「鹿鳴館」という戯曲集を
読了したのは三日前。しかしいまそれについて何がしかの感想を書こうと思っても
何も思い出すことができない。そうガラス細工のようにきらびやかであったこと以外は。

「熱帯樹」(三島由紀夫/新潮文庫)
→戯曲。あひゃ。これおもしろい! 三島さんってコンプレックス過剰で、
しかもホモで変態のキチガイだと思っていたけど、やはり世界のミシマといわれる
だけのことはあったのかもしれない。なんて今頃遅い?w こむつかしい顔をして、
三島由紀夫にはひとかどの才能があった。なんて言っちゃダメかな? えらそう?
期待していなかったからかな。この戯曲集に入っている三つとも「いける」。
ギリシア悲劇を思わせる「熱帯樹」。精神年齢8歳の白痴青年がとってもかわいい「バラと海賊」。
劇が起こらないことを劇にした「シロアリの巣」。どれもいい。再読したいです。

上のレスの訂正)→ボディービル

50: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:09
04/01/02 08:37
「幽霊はここにいる・どれい狩り」(安部公房/新潮文庫)絶版
→戯曲。収録作品は三つ。最初の「征服」は安部公房のいわば習作。
次の「どれい狩り」にはびっくり。日本人にもこんなおもしろい戯曲が書けたのか。
レイ・クーニーの笑劇よりも笑える。戯曲を読んでこんなに笑ったのは初めて。
わたしが今まで読んだ中でいちばん笑えた戯曲。こんな天才が日本にいたとは。
舞台はある成金の家。妻に先立たれ、息子も交通事故死で傷心の主人。
しかし保険金がたくさん入って大金持ちになっている。
それを詐欺師たちが見逃すはずもない。主人にすすめるのは高額の動物療法。
まずはライオン。ライオンの目をじっと見詰めれば精気が伝わり元気になると。
それでも効かないということで、次に出してきたのは新生物「ウエー」。
どこから見ても人間だが、詐欺師たちは太平洋の孤島で発見された新生物だと言い張る。
そこに「ご主人、だまされちゃいけませんよ」と登場する娘、女子大学生。
亡くなった息子の家庭教師をするつもりで来たが詐欺師たちを見てあきれかえる。
さあ、詐欺師と彼女が繰り広げる笑いの世界をとくとごらんあれ! 大傑作です。
三つ目の戯曲「幽霊はここにいる」は、なぜか幽霊と会話ができる男が巻き起こす
騒動を描く。「どれい狩り」ほどおもしろくはない。一回も笑わなかったです。

51: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:09
04/01/02 08:38
「友達・棒になった男」(安部公房/新潮文庫)
→戯曲。収録作品は三つ。期待していたらどれも肩透かし。とほほ。
「友達」は大都会に住むふつーの独身男性のおはなし。
まあまあの会社に務め、ほどほどの婚約者がいる。
そこに登場するのは九人の大家族。九人そろって彼の部屋に乗り込む。
あなた孤独じゃないですか、かわいそうですね、大丈夫、私たちが一緒に住んであげるから。
友達、友達、安心ねと言いながら台所を食い散らかし、彼の給料は横取りする。
おもしろそうでしょ? 実際、おもしろく読み進めたら最後のほうでストーリーが破綻する。
安部公房ファンにはいかにも彼らしいとなるのだろうけど、わたしには「はあ?」。
ひとこと「残念」。
「棒になった男」はいわゆる前衛作品。だからもちろんつまらない。
前衛がおもしろかったらまずいのです。
つまらないのを読者(観客)があれこれ意味付けしながら鑑賞するのが前衛作品。
三つ目の戯曲「榎本武楊」も失敗作。自らの歴史観を伝えるために戯曲を
書くのはおやめなさい。戯曲は観客を楽しませるために書くものです。
なんて偉そう(w ごめんなさいです。

ちなみに安部公房の小説は「砂の女」「箱男」しか読んでいません。

52: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:10
04/01/02 09:10
「小林一茶」(井上ひさし/中公文庫)絶版
→戯曲。第十四回紀伊国屋演劇賞個人賞受賞作品にして、
第三十一回読売文学賞(戯曲部門)受賞作品だそうですよ、これ。
ワンパターン。まえに読んだ「頭痛肩こり樋口一葉」となんだか似ている。
まあ、戯曲の「型(かた)」なんてどれもつきつめれば同じかもしれないけど。
確実に(ご老人の)観客を楽しませるよう書かれているお芝居です、良くも悪くも。
以前、一回だけ井上ひさしのお芝居を観にいったことがある。観客は老人ばかり(w
それにしても、なんだかな。
お芝居なんてこんなものですと言われたら確かにそうだけど。
所詮は一夜の夢です、お客さんに笑ってもらえればいいんです、か。
井上ひさしの戯曲をはじめて読んだのは「天保十二年のシェイクスピア」。
それがあまりにもおもしろかったからこうして読んでいるわけですが……。

53: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:11
04/01/07 13:23
「野獣降臨(のけものきたりて)」(野田秀樹/新潮文庫)絶版
→戯曲。文学板のみなさんは野田秀樹という名前を聞いたことがありますか?
東大法学部在学中から劇団をはじめて、なんでも八十年代バブル期のカリスマだったとか。
当時のファンもいまこの戯曲を読み返したら、きっと赤面するはず。
全編、言葉遊びのみのお芝居。言葉のバブル。ストーリーらしいものはない。
へえ、へえ、こんな戯曲が受けた時代もあったんですね、こっぱずかしいですね(w
不景気の今、野外上演してほしいです。大阪の汚い公園で。ホームレスの前で。
解説の井上ひさしによると、野田秀樹はめったに現れない天才だそうです。

「瓶詰のナポレオン」(野田秀樹/新潮文庫)絶版
→戯曲。200ページ。一時間半でヨンダ。はにゃと思った。なんだこの感じは。
これも言葉遊びに終始する戯曲なのですが、ふしぎな魅力がある。
こういう雰囲気が一時代を作ったというのもわからなくもない気がしてくる。
テンポが良く、当時はかなりナウかったのではないか?
たとえば野田秀樹のお芝居を観ることが何かしら文化的なステータスであるかのような。
野田秀樹を全否定する気は失せる。ただやっぱりちょっと恥ずかしい。

54: 美香 5qBZxQnw:04/06/21 16:12
04/01/07 14:05
「日本の現代演劇」(扇田昭彦/岩波新書)絶版
「舞台は語る」(扇田昭彦/集英社新書)

→この二冊でやっと日本の戦後の演劇の流れがわかった。知りたかったのです。
このスレを読んでいるひとはトクしましたね。これからわたしが簡単に戦後演劇の
流れをまとめます。「1分でわかる日本現代演劇講座」♪
まず敗戦。こっぱみじんに日本という国はなぶりものにされたわけです。
これじゃいかん。欧米のすぐれた文化を一刻も早く日本に取り入れんと。
そんなかんなで盛り上がったのが「新劇」。これは戦前からあったもの。
欧米のありがたい戯曲を遅れた日本国民に見せて啓蒙してやろうという感じです。
シェイクスピアとかイプセンとか。だから新劇を観にいくというのは、
どこかお勉強をしにいくという雰囲気だったらしい。上から下にベクトルが向いている。
日本の創作劇もそんな感じ。三島由紀夫、安部公房、木下順二、福田恒存。おかたいでしょ(w
総じて新劇は「セリフ」を重視した。西欧風の言葉の劇を目指した。
それに対抗して「肉体」の重要性を主張する一派がでてくる。役者の肉体。
時は日米安保のころ。反権力とか、とにかく若者が政治闘争していたあのうざったい時代です。
唐十郎、清水邦夫、鈴木忠志、別役実、寺山修司。のちには商業演劇にいく世界の蜷川もそう。
この一派は「アングラ演劇」と呼ばれました。
学者とか文化人が加わっている新劇を否定するわけです。
けれどもいつまでも「なんと反対」とか若者が怒っているはずもない。
ぷ、そんなのだっせえのという時代がきます。それが「つかこうへい」。
当時は若者のあいだで爆発的なブームになったそうです。
毒のある笑いがつかこうへいの演劇の魅力だとか。
で、次に来るのはバブルの時代で、これが上に書いた野田秀樹の時代なわけです。
野田秀樹のお芝居をわたしなりに要約すると「無意味言語の過剰氾濫による祝祭」。
バブルも消えうせ、さあ来ましたぜ平成不況。底なしの不景気、デフレ地獄。
いまは「静かな演劇」の時代だそうです。平田オリザ、岩松了。
登場人物が声高に葛藤するのではなく、あえて日常的な行為や会話を舞台で見せる。
そこから「見えないもの・聞こえないもの」を暗示するという。
私見ですが、高いお金を払ってまで「静かな演劇」など観にいきたくはありませんが。
はい、お疲れさま(わたしとあなたへ)。こんな感じです、現代の演劇。

55: 名前は無いけど美香が好き!:04/06/21 21:36
sdf

56: 名前は無いけど美香が好き!:04/06/24 18:58
54はちょっぴりためになったな。

57: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:32
>>56
読んでくれるひとがいるなんて。ちょっぴりうれしい。サボらないで続けるか。

04/01/07 14:31
「稲妻」(ストリンドベルイ/山室静訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。古本屋に「ストリンドベリ名作集」があったので買おうか迷う。
そこでこの「近代劇集」にひとつ入っていたのを思い出し、それを読んでから決めようと。
ストリンドベリはスウェーデンの劇作家・小説家。イプセンと比較されることが多い。
近代劇を築いたひととして有名らしい。この作品は晩年のもの。
孤独な老後を送る老人のまえに、5年前に離婚した元妻が現れる――。
かっちりと仕組まれた劇らしい劇。だけどこちらを揺り動かすまでの迫力はなし。
決めた。「ストリンドベリ名作集」は買わない。

「ふぞろいの林檎たちへ」(山田太一/岩波ブックレット)
→山田太一さんが(当時のバブル期のw)若者へ向けたメッセージ。
古本屋のまえのワゴンに50円と落書きされて落ちていたのを拾ったまで。
54ページ。自分をしっかり持ちましょうね、なんて校長先生の朝礼演説みたいだ(w
若者ねえ。おこる若者。わらう若者。自傷する若者。

58: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:33
04/01/17 09:06
「演技入門」(千田是也/岩波新書)絶版
→やたらむずかしい。いますよね、演劇人や映画人で何を勘違いしたのか、
わざと表現を難解にするお方。岩波新書なんだから、もっとわかりやすく書けと。
わたしが平明な表現になおします。こう言うております彼は。従来の演劇は良くない。
なぜなら余計なカタルシスを与えてしまい、革命(社会変革)に用いるべき
エネルギーを浪費させてしまうから。ならどういう演劇がいいのか。
観客を陶酔させてはならない、(劇場の外の)現実社会を批評させるように
仕向ける演劇が良いのである。無知蒙昧な大衆を演劇で教育しなければならない。
初版は1966年。そういう時代があったということです。
ちなみに著者が好んで演出したのはブレヒトや安部公房の戯曲です。

「演出のしかた」(倉橋健/晩成書房)
→良書。誰にでもわかる言葉で、いかに紙に書かれた戯曲を生き生きと舞台の
うえで再現すればいいかを教えてくれます。もっと早くこの本を読んでいたら、
今まで見た演劇が何倍もおもしろくなっていたのにとかなり悔しいです。
これまで読んだ演劇書のなかでいちばんためになったといっても言い過ぎにはならない。
さて、どのような演技が良いのか。役になりきる演技か、それとも役者自身の意識は
いつも平静で計画的に観客に提示する演技が良いのか。
役者はハムレットになるべきか、ハムレットをあやつるべきか。
答えはないと著者は言います。

59: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:34
04/01/17 09:07
「舞台と映像の音声訓練」(冨田浩太郎/未来社)
→もちろんこの年になって女優を目指すつもりなんてありませんです、はい。
ただブックオフに百円で落ちていたので、役者さんの舞台裏でも斜め読みしようかと。
しかし彼はやばい方法論を提唱しています(w
なんでも今まで誰にも話したことのないような心の傷をあえて人前で表現することで、
感情の緊張がほぐれて良い演技ができるようになるんだとか。東由多加かいな。
へたをすると精神病発症のきっかけにもなりかねないデンジャラスな訓練です。

「俳優タレント養成ガイド2003」(テアトロ)
→だからいまさら役者を目指すわけではないんです。
ブックオフにお年玉キャンペーンってありましたよね、千円分買うとブックカバーがもらえる。
あと百円だったんです。それで購入したのがこれというわけ。
役者(志望も)って楽しいんでしょうね。写真を見るとみんな生き生きしている。
しかしその大半が養成機関卒業とともに厳しい現実と向き合わなければならない。
映画学校とかと同じです。あちらは過去に映画を数本撮っただけの自称映画監督の
食い扶持になっているわけですが。若者に夢を売る商売には目を背けたくなる矛盾があります。
シナリオ学校しかり、小説教室しかり、漫画学校しかり……。

60: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:35
04/01/17 09:45
「快速船」(安部公房戯曲全集/新潮社)
→戯曲。新薬が発明されました! この薬を飲んでごらんなさい。
かならずあなたの夢がかないます、ええ芥川賞でも別荘でも王子様でも。
国民全員が飲んだらどうなるって? それは、それは、バランスというものがありまして、
各人の欲望の度合いによって調整されますけど、でもまあこの薬を飲まなければ
何も始まりません。「信念の魔術」系の自己啓発へのパロディーとも読めます。
創価学会のパロディーといったら、いささか語弊があるかも(w

「可愛い女」(安部公房戯曲全集/新潮社)
→戯曲。チェーホフに同名の小説があるけど、ちょっとだけ設定が似ている。
泥棒も警察も金貸しも裏ではグルになっているかもしれませんよ、観客のみなさん!
この演劇を観て家に帰ったらちゃんと社会批評するんですよ、いいですか。
当時、この戯曲を演出したのは>>58の千田是也さんです。そういうお芝居。

「巨人伝説」(安部公房戯曲全集/新潮社)
→戯曲。安部公房らしくない。戦争を忘れちゃいけないよという作品。
読みにくいわけでもないけど、そうおもしろいものでもないです。

「城塞」(安部公房戯曲全集/新潮社)
→戯曲。ある精神病患者がいる。何度も過去のあるシーンを再現しなければ
気がすまないというのが症状。過去の一点で時間をとめてしまった。
とりかえしのつかない一瞬、劇的なあの一瞬、悔やんでも悔やみきれないあのひと時。
その時間を再び動かすのはストリッパーである。刺激的な快作です。

「おまえにも罪がある」(安部公房戯曲全集/新潮社)
→戯曲。どこにでもいる平凡な男。あえて平凡につとめているきらいもある。
ところがどーだい、ある日、散歩から安アパートに戻ったら見知らぬひとの死体が転がっている。
さあ、どうしたものか。何しろ今日は恋人がはじめて部屋に来る日である。
笑劇(ファルス)の典型。「ブラック・コメディ」を思わせる傑作です。

「どれい狩り」(安部公房戯曲全集/新潮社)*再読
→戯曲。再読してもおもしろいから名作に認定。再演したらいいのに。

61: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:36
04/01/17 10:06
「現代文学の無視できない10人」(つかこうへい/集英社文庫)絶版
→インタビュー集。お相手は荻原健一、阿佐田哲也、小池一夫、島尾敏雄、
長嶋茂雄、高橋忠之、大竹しのぶ、井上ひさし、中上健次のみなさん。
つかこうへいが島尾敏雄の「死の棘」をげらげら笑いながら読んだと言っていたけど、
激しく同意いたします。あれを読んで深刻ぶるのはどこかうそ臭いです。
DV(家庭内暴力)常習者の井上ひさし先生のことばも重い。
いつものように中上健次は威勢のいいことを言っている。
サム・シェパード(アメリカの劇作家)は自分からぱくったのだの(w

62: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:37
04/01/20 14:10
「仄かな言葉」(白石昇/白石昇HP)
→短編小説。九州芸術祭文学賞次席作品。
著者、白石昇は「エロ本」の翻訳でその才能にうすうす気づいていたが、
この小説を読んでそれは確信へと変わった。
冒頭、白石は主人公の少女に「めくら」で「つんぼ」という障害を与える。
絶妙である。ここにきわどい「笑い」を感じないものは小説など読まないほうがいい。
少女がひとりいる。なんの物語も生まれはしない。
そこで身体障害を神のごとくプレゼントして強引に小説をおしすすめる。
そこを安易と受け取ってしまうものには、この小説がわからない。
つまりは現代がわかっていないということである。
テレビ局が大々的に「愛は地球を救う」などと偽善をばらまくこの日本を、
白石は嫌悪している、嘲笑している、うっかり感動してしまう自分をも。
その骨太な現代批評が、この小説の屋台骨となっているのである。
そして主人公の少女が世界を認知していく様のなんとみずみずしいことか。
世界はあらかじめ存在するのではない。欠損によって初めて世界が存在するようになる。
この描写を読んでわたしは白石昇の過去を恐ろしくて聞けなくなった。
どれほどの体験をしたら、世界がこのように見えるのだろうか。
本作は地方文学賞の選考委員ごときにはとうてい見通せない奥深さがある。
無料で読めることだし、ぜひご一読をおすすめする。
あなたも同感してくれることと思う。白石昇は天才であると。
――三日に一人、生まれるかどうかの。

(参考)白石昇HP
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2444/

63: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:39
04/01/25 10:07
「黄昏」(アーネスト・トンプソン/青井陽治訳/劇書房)
→戯曲。アメリカ産。覚えているかい、あの夏の日を。
毎年のように避暑地にきた老夫婦。だんなは79歳、おくさんは69歳。
このおじいさんが辛口で辛らつ。でもたっぷりあふれるユーモア。
長いこと不和が続いていた一人娘が遊びに来る。結婚するという。
相手には連れ子がいる。ませたガキ。でもおじいさんの魅力にくっぷく。
一ヶ月のあいだ、この子をあずかってくれと老夫婦は頼まれる。
夏。太陽。おじいさん教わる釣り。おばあさん手作りのクッキー。別れ。
おじいさんと一人娘の和解――。
漫画「クッキングパパ」の世界ですな。うるうるきちゃいます。

「小さき神の、作りし子ら」(マーク・メドフ/青井陽治訳/劇書房)
→戯曲。アメリカ産。障害者もの。この戯曲で乗り越えられるべきは聴覚障害。
聴覚障害者のための学校。男性教師と女生徒との禁断の恋。
健常者と障害者のありがちな愛。愛は障害を乗り越えられるのか。
こんなんで泣くわけにはいかないね。
ずいぶんわたしもすれっからしになってしまったようです。
著者は聴覚障害をもつ妻との体験からこれを書いたとのこと。
どうりで白石昇の小説よりリアリティーがある。

「ベント BENT」(マーティン・シャーマン/青井陽治訳/劇書房)
→戯曲。アメリカ産。いまパルコ劇場で椎名桔平が再演しています。
知っていましたか? ナチス政権下でおこなわれたことを。
なんでも優生遺伝子保護の考えから精神身体両障害者および同性愛者を
強制収容所送りにしたことを。この戯曲のバックグラウンドはそれ。
第一幕は戦時下でのホモの享楽的な愛について。うってかわって第二幕は、
殺風景な強制収容所で繰り広げられるホモの感動的な愛について。
愛、愛、愛、また愛か。どの戯曲もテーマは愛。小説も詩もあるのは愛ばかり。
……へい、おまえら愛しあってるかい?(自己崩壊)

64: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:40
04/01/25 10:40
「演劇ってなんだろう」(井上ひさし/筑摩書房)
→いろいろなテーマについての多様な演劇関係者の座談会を集めたのがこれ。
劇場について、女優について、演劇プロデューサーについて、などなど。
でもほんとなんだろうね演劇って。わたしが関心をもったきっかけはシェイクスピア。
その翻訳がきっかけで福田恒存。180度正反対の寺山修司、前衛演劇。
福田恒存訳の「オイディプス王・アンティゴネ」に魂を激震させられ、
ギリシア悲劇をぜんぶ読むなどという愚行を。ふとしたことからテネシー・ウィリアムズを
読んだらこれがおもしろい。シェイクスピアやギリシア悲劇がバカらしくなるくらいに。
つづいてアーサー・ミラー。ピーター・シェーファー。
劇書房の存在を知る。劇書房ベストプレイシリーズ。
木下順二、三島由紀夫、安部公房――。
演劇ってなんだろう。「演劇なんて、うんざりだ」(工藤伸二)。

「国文学 演劇 パフォーミング・アーツとして 1998年3月号/学燈社)
→いろんな学者さんが書いています。
論じられるものは手広く、シェイクスピアから現代日本の劇作家まで。
媒体の性質上、無名の学者さんが多いんだけど、みなさん文章がへただねえ。
こんなバカどもが大学では先生なんて呼ばれているんだから大笑い。
プロだったらもっと読者を乗せる文章を書こうよ。
何に乗せるかって? 感情に決まっている。
学者さんの事実報告だけの無味乾燥な文章にはうんざり。
うならせてみろ、笑わせてみろ、怒らせてみろ、わたしを。

65: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:40
04/01/25 11:27
「人と超人」(バーナード・ショー/「ベスト・オブ・ショー」白水社)品切れ
→戯曲。イギリス産。ご存知、「人と超人」。国語便覧には必ず載っている名作。
哲学的喜劇。名作中の名作にしてバーナード・ショーの代表作。
・……(口にしかけてやめる)……(ええい)だっけどね♪つまらないんだよ♪ほんとはね♪
第三幕に登場人物が見る「夢」があるんだけど、ここを読み通すのは地獄。悪夢。
でも腐っても名作。みなさん教養としてストーリーぐらいは知っていたいのでは?
よろしい、教えましょう。まず三角関係ありき。男、男、女、ね。
男1は女に熱愛。男2は女を恐れている。ラスト、女は男2と結婚しましたとさ。
つぎに哲学的なテーマ。人類の目的は「子孫を残すこと」、ただそれのみにある。
よって女はより優秀な遺伝子を求めて、いったんイイオトコを見つけたら
けだもののように獲物を手中におさめる、のだそうです。そうなのかな。どうでもいいや。

「ウォレン夫人の職業」(バーナード・ショー/「近代劇集」筑摩書房)
→戯曲。きっと「人と超人」だけでバーナード・ショーを嫌うひと、多いんだろうな。
これおもしろい。何がおもしろいって、バーナード・ショーの人間描写。
ああ、このひと人間が嫌いなんだなとびんびん伝わってくる。女が嫌い、男も嫌い。
人間なんてバカばっか。そのくせ偉そうで、いっちょまえに怒ったり泣いたり。
わかるよショーさん。わたしも人間なんて大嫌いだから。もちろん自分もふくめて。
さてさて、ウォレン夫人の職業は売春斡旋業。一人娘はその商売で得た金で
大学まで行かせてもらった。この母と娘の葛藤が、この戯曲の中心線であります。

66: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:42
04/01/25 11:58
「ピグマリオン」(バーナード・ショー/「ベスト・オブ・ショー」白水社)
→戯曲。大傑作。こんなおもしろい戯曲があったとは。世界は広い。
バーナード・ショーは天才です。「読んでみて」というぐらいしか、言葉がでてこない。
読んでいて何度笑ったことか。幾度、うまいなぁと舌を巻いたことか。
完全なるエンターテイメントにして、同時に深い内容もあわせもっている。
つまりはおもしろくて、考えさせられる。大衆も学者さんもみんなニコニコ大満足。
「マイ・フェア・レイディ」の原作だからストーリーはご存知だろうけど。
――独身でお金持ちのおじさんが道端で貧しい花売り娘をひろいました。
友人と賭けをしたのです。この小汚い田舎娘を半年で社交界デビューさせられるか。
一人前のレディにすることができるかどうか。
お得意の人間描写がもうたまらない。人間をバカにしきっていて最高。
でてくるひと、ひと、みんながほんと笑えるんです。おかしいんです。

バーナード・ショーの翻訳者を書き忘れている。
「人と超人」(喜志哲雄)。「ピグマリオン」(倉橋健)。
「ウォレン夫人の職業」(小津次郎)。みなさんおなじみの方です。

67: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:43
04/01/25 12:23
「令嬢ジュリー」(ストリンドベリ/板橋憲明訳)
→戯曲。スウェーデン産。演劇のパンフレット。
海外劇団の来日公演のときのパンフレットだからか、日本語訳がぜんぶ載っている。
ネタバレOK? いきます。
令嬢ジュリー(25)はおてんばで召使のヤン(30)をからかいます。
というのもヤンはちょっといい男。料理女(35)を内縁の妻にしている。
ジュリーは思うわけです。階層の低い人間ってなんておもしろいの。
本も読まない、芸術も知らない、そのくせ毎日それなりに楽しそうに生きている。
雑用をして、お酒を飲んで、女を抱いて、そればっかりの毎日のどこがいいのか。
そんな下僕のなかでヤンは恐れ多くも自分に気があるらしい。生意気。愛人もいるくせに。
と、からかうわけです。ヤンがちょっとでもその気になったら身分をわきまえよと平手打ち。
お祭りの日、父親がいないのを見計らってふたりは台所でビールを飲んでおります。
キター! 宴会をしていた下僕連中が台所に来る気配がします。
ふたりだけでお酒を飲んでいることを見られたらジュリーの名誉にかかわる問題だ。
とりあえず僕の部屋に、ええ、何もいたしませんからと召使のヤン。
ところがどうだ。でてきたふたりの様子はがらりと変わっている。
力関係が逆転しているのです。ふたりで海外に逃げようと令嬢ジュリー。
ホテルでも開きましょうよ。はあ? 金がないだろバカヤローとは召使ヤン。
責任を取りなさいよとヒステリーを起こす令嬢ジュリー。
うるせー、おれに命令するな、おれのまえであんな格好をしたこの売春婦めがと召使ヤン。
いや、売春婦でもあんなことはしねえぜお嬢さん、と卑しい下僕根性が丸出し。
心中しましょうと令嬢ジュリー。おれは生きていたいんだと召使ヤン。
父親が帰ってきた様子。令嬢ジュリー、パニック。どうしたらいいの、命令して。
ここで召使ヤンの取る態度が感動的です。納屋で死になさいとカミソリを持たせる。
令嬢ジュリーはひとり戸口よりでていきます。

恋愛を闘争(力関係)と見ているストリンドベリ先生。
でもこういう物語が可能になるのはそこに階級(差別)があるからなんです。
じゃあ、現代日本。周りを見回すと平坦極まりない。
突き出たところも、くぼんだところもない。
問う。現代人は真に愛しうるか。もっと侮蔑を、もっと差別を、差別用語復活を!
すべては芸術のために。

「真の芸術家は、妻を飢えさせ、子供を裸足で歩かせ、
自分の生活のために齢七十の母親を働かせても、自分の芸術のためでないとなれば、
自らは何もせぬものなのだ」(「人と超人」バーナード・ショー)

68: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:45
04/01/30 13:33
「父」(ストリンドベリ/毛利三彌訳/「ストリンドベリ名作集」白水社)絶版
→戯曲。だれストリンドベリって? まずこうくるでしょう。わかります。
完全に現代では埋もれてしまったスウェーデンの作家、ストリンドベリ(1849-1912)。
その名をはじめてわたしが目にしたのは山本周五郎の「青べか物語」。
山本周五郎や葛西善蔵が愛読していたらしい。というのもストリンドベリブーム
というのが、はるかむかし大正時代にあったそうで。どんな作家と聞かれたら、
うーん、現代では柳美里を思い浮かべてくれたら、だいたいあんなイメージ。
「鶏が先か卵か先か」になるけれども、意識的にか無意識的にか男女関係の修羅場
を自分で作ってしまう、その血みどろの体験から創作をするというタイプ。
書くものはおもしろいけど、間違っても一緒に暮らしたくない、そばによるなシッシッという(w
本作「父」は破綻した夫婦の物語。妻によって狂人にしたてあげられてしまう男の悲劇。

「ダマスカスへ 第一部」(ストリンドベリ/岩淵達治訳/「名作集」白水社)絶版
→戯曲。この作品を書くことによって著者は神の存在を信じられるようになったとのこと。
それは良かったですねえストリンドベリさん。でもですね、つまらないんですよ。
深遠なことを書こうとしている(あるいは書いている)のはわかるのだけど。
夢の中をただよっているような劇。男がいます、人妻を誘惑しました、旅に出ました、
生活に困窮しました、別れました、愛に開眼しました、再開しました、女の元亭主と和解しました。
――劇は終了しますた。

69: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:46
04/01/30 14:16
「罪また罪」(ストリンドベリ/石沢秀二訳/「名作集」白水社)絶版
→戯曲。「ダマスカスへ」のような催眠的な作品を書くかと思えば、
この「罪また罪」のような現代日本のテレビドラマの脚本にもなりうるような
(NHKあたり)作品も書くのだから、ストリンドベリというのはふしぎなひとだ。
大衆的で実におもしろい。三浦綾子の小説みたいな劇構造をもっている。
デビュー前の劇作家がいる。今日のお芝居は大成功間違いなしと言われている。
まだ籍は入れていないが内妻と子どもがいる。これで芝居があたれば……。
予想通り、劇は大ヒット。男は一夜にして有名人の大金持ちになる。
運の良い人間というものはいる。
こんな女がいたとは。男ははじめて会った親友(画家)の恋人と相思相愛になる。
親友を裏切るわけである。家族(内妻と子ども)も裏切ることになる。
大金と美女、両手に花の男はひとつのことを願う。子どもが死んでくれたら。
なんとそれまでかなってしまう。子どもは原因不明の死をとげる。
しかし酒場で女にうっかりもらした「子どもが死んでくれたら」という会話を
店員に聞かれていたことから警察から疑いをもたれる。
今度は一夜にしてすべてがパーに。劇の上演は打ち切り、収入はゼロ。
新聞では情婦とともに犯行かと書かれたので、新恋人との関係も気まずいものに。
女はモトカレとよりを戻そうとするしまつ。これで女もふいだ。
男は親友の絵がコンクールで優勝したことを知る。
親友は受賞を辞退するという。男が親友にわけを問うと――。
成功と没落というのはむかしからドラマ構造としてよく使われている。
「オイディプス王」しかり「マクベス」しかり。
いまテレビでやっている「白い巨塔」もそう。
教授へとのぼりつめるザイゼン先生に、患者を大切にするサトミ先生。
そのあいだを動き回る女もいる。
結論。ドラマに新しいものはないけれども、おもしろいものはある。

70: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:46
04/01/30 14:59
「死の舞踏」(ストリンドベリ/毛利三彌訳/「名作集」白水社)絶版
→戯曲。わたしがこのスレに長文を書くことをおもしろく思わない方がおられる
ようですが、わたしの目的はふたつあります。ひとつ、自分の頭の中を整理すること。
もうひとつは、やはりどこかしらで自分の発見した埋もれた名作を紹介したい、
他者と感動を共有したいという思いがあるのです。なぜそんなことを言うのか。
「死の舞踏」はまさにそういう作品だからです。
おなじ思いをもった編集者がいるようです。
ストリンドベリ作品の中で例外的にこの「死の舞踏」だけは現在、購入可能です。
http://www.honco.net/richiesta/books/010.html

「死の舞踏」というものが中世のダンスにあったそうで、
軽快で複雑なステップに夢中になっているうちに、骸骨の姿をした死神に導かれて、
墓場に連れて行かれてしまう、そういうダンスがこの戯曲のタイトルです。
それに名前負けしない、これはおそろしい戯曲です。
ほんまもんのキチガイはどえらいものを書くんだなぁと寒気すらします。
ドストエフスキー的な登場人物がわめきちらす地獄絵図です。
ストリンドベリは「一脚のテーブルと二、三脚の椅子さえあれば、
そこに人生のもっとも深刻な劇を展開させてみせる」と言ったそうですが……。
内容は延々と続く夫婦喧嘩――。
島尾敏雄「死の棘」の上をいく悪魔的な作品。
9・11自爆テロのあとにブロードウェイで上演されて、
ブロードウェイ復興のきっかけになった作品だと検索で知りました。
十分に現代的なドラマということです。
ただし当時の評論家に、こんなだらだらとつまらない戯曲はない、
と酷評されたことも付記しておきますね。

71: 美香 5qBZxQnw:04/06/25 10:47
04/01/30 15:39
「幽霊ソナタ」(ストリンドベリ/高橋康也訳/「名作集」白水社)絶版
→戯曲。とことんつまらん。さっぱりわからん。それにしても当たり外れの激しい作家だ。

「小さいエヨルフ」(イプセン/山室静訳/筑摩書房世界文学大系90「近代劇集」)
→戯曲。イプセンとストリンドベリというのは並べられて論じられることが多い。
だけど、いま見るとイプセンは残って、ストリンドベリは見事なまで消えた。
つまりイプセン作品は現在多種入手可能なのにストリンドベリはほとんど入手不可。
なぜか。イプセンのほうが教育的なせいかな。常識的というのか、学校演劇になるというのか。
ストリンドベリはやばすぎる。取り扱い不可、精神病患者措置入院といったおもむきがある。
ストリンドベリは創作をしなかったら間違いなく犯罪者になるタイプだから。
あ、「小さいエヨルフ」の感想か。ネタバレするからね。
あることろに地主の夫婦がいました。この夫婦には男の子がいます。7歳。
びっこのエヨルフくんです。旅行から帰宅した夫に妻はつめよります。
もっと私を愛して、あなたはエヨルフのことばっか、あんな子、いなければいいのに!
そういう論争をしているまさにそのときエヨルフくんは海で溺死します。
夫婦の争いは激しさを増し離婚直前までいきます。
ところが、なんてでしょうかね。ふたりは愛を取り戻します。
これからは二人で領地の貧しい子どもを養育していこう、と。
すばらしい偽善、もといボランティア精神、もとい普遍の愛ってやつですね。
あたしゃ感動して涙うるうるですよ。
子どもがいじめで自殺した夫婦が、いじめ撲滅のために各校を講演してまわるみたいで。
我が子を殺された夫婦が気持ちの悪い手記を書いて大もうけするみたいで。
イプセンよりストリンドベリのほうが好きです。

「令嬢ジュリー」(ストリンドベリ/千田是也訳/「名作集」白水社)*再読
→戯曲。>>67で読んだのを別の訳で再読。内容がここまでまったく違っているのは
めずらしい。ふたつの作品があるみたい。たぶんこっちが正しいんだろうな。
>>67のほうが差別的なきわどい調子がよくでていたけれども。

72: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:49
04/01/31 16:24
「酒とつまみ 第4号」(酒とつまみ社[仮])
→お酒の雑誌には有名な「サントリークォータリー」があるけど、
わたしはこっちのほうが好き。サントリーのほうはいかにもお金をかけて、
有名どころの作家にお酒にまつわるエッセイを書かせているから鼻につく。
一方、こちらはおそらく採算ぎりぎり、ほとんど趣味でだしている。
ライターにギャラさえ払っていないのでは?
だからほんとに書きたいことをみなさんハチャメチャに書いている、
お酒が好きで、お酒にまつわる話をすることも好きでたまらないのがよくわかる。
(参考)http://www.saketsuma.com/

「アジアの旅人」(下川裕治/講談社文庫)
→タイトルそのまま、アジアのエッセイ。レシートがはさまっていて、
去年の7月18日に新宿紀伊国屋書店本店で買ったらしい。
あー、そういえばあのとき妙にアジア熱が高まって、それをさますために
いろいろ旅行記を買ったなと思い出す。ときおりすべてをなげうって、
海外に出たくなる。国外逃亡。山頭火じゃないけど。
でも、まあ、そう簡単にはいかないわけで、こういうエッセイで仮想体験してごまかす。
著者にへんちくりんな詩心がないのが良かった。
恋人との別れが旅の理由で、とかなんとか、感傷を垂れ流す旅行エッセイは最低。
タイ行きたい。白石昇におごらせたい。現地妻を観察して報告したい。

「本の運命」(井上ひさし/文春文庫)
→本についてのエッセイ。おもしろすぎて2時間、休憩することもなく一気に読んだ。
このひと、本が好きなんだなとよくわかる。別な本で井上ひさしが言っていた。
「人生が楽しいとか幸せとか感じるときはない。どこまでもつまらないもんです。
ただ戯曲を書くための準備として、ある作家の全集なり資料なりを読み込んでいる
ときに贅沢だなと感じるくらい。その作家の小宇宙にただよっているときだけ」。
うろ覚えだけど。井上ひさしは「小林一茶」や「樋口一葉」などの評伝劇
を好んで書く劇作家。そのときの資料調べのことを贅沢な時間といっているわけです。
当然、一ヶ月の平均書籍代は4〜50万円。狸と狐について戯曲を書こうと思ったときは、
神保町の小宮山書店に電話して神田古本屋街から関係するすべての書物を集めて
もらったとのこと。確定申告のシーズンだけど、こういうのは必要経費でどこまで
落とせるものか。失敗談としては、明治時代の医学書を18万円で買ったらしい。
で、その半年後に復刻版がでてしまった(w その古書店は申し訳ないから、
10万円お返ししますと言ってきたそうです。現金ではなく、そこの古本10万円分。
こころあたたまる話です。

73: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:50
04/02/08 10:38
「カンディダ」(バーナード・ショー/鳴海四郎訳/「名作集」白水社)絶版
→べつのスレで以下のような指摘がありました。
>美香の書評読んでも全然おもしろくない
>何も読めてない何も理解してない
>自分は読んだぞということが言いたいだけ
>こんな人に読まれた本はかわいそう
考えさせられる。何をもって「読む」というのか。読んだことを書くことの意味は?
たとえばこの戯曲。率直にいってつまらないとわたしは思った。
これをおもしろく他者に紹介することはわたしにはできない。
せいぜいこう書くぐらいである。人妻の話であると。ロマンスであると。
牧師をしている堅実なだんなさん。熱烈に求愛する少年詩人。さあ、ご注文はどっち?
結局、人妻はだんなさんを選択する。元通りになってのではない。
少年はこの失恋を経て、オトナの男性に成長したのだから。
まあ、こういう話であると書くぐらいしかわたしにはできない。
無能とそしられたら黙ってうなずくほかない。わたしが悪いのかこの戯曲が悪いのか。

「悪魔の弟子」(バーナード・ショー/中川龍一訳/「名作集」白水社)
→戯曲。テレビドラマを見ていて思うことってありません?
この脚本家はぜったいに視聴者をバカにしている、おまえらこんなものを
見せときゃ満足するんだろうアホどもめ!という悪意があると。
皮肉屋のショーさんがその悪意を隠すことなく創作したのがこの作品。
通俗的な「仕掛け」を矢継ぎ早に出していく、どことなくバカにしながら。
まず遺産相続の場(リア王)。そこに十年ぶりに帰宅する放蕩息子の長男。
遺書が公開されると長男の独り占め(意外な展開)。時代はアメリカ独立戦争。
イギリス軍が攻めてくる。牧師の身代わりにイギリス軍に捕まえられる放蕩息子。
さて神につかえる牧師はどうするか。自分が本物の牧師だと名乗り出て処刑されるか。
と思いきや、自分の命が大事とさっそうと逃げ出してしまう牧師さん(観客笑う)。
さあ緊迫のクライマックス、放蕩息子がまさに処刑されようとしている。
牧師ははたして現れるのか(走れメロス)。あ、あれは牧師ではないか!
当時、この「悪魔の弟子」は大ヒットしたそうです。大衆なんてそんなもの?

74: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:51
04/02/08 11:19
「聖女ジョウン」(バーナード・ショー/中川龍一・小田島雄志訳/「名作集」白水社)
→戯曲。ノーベル文学賞受賞作品。イコール世界がおもしろいと認めた作品、か。
世界 vs わたし。とうてい勝ち目はない闘いである。がしかし、わたしは言いたい。
この戯曲のどこがおもしろいのか! だらだらと長いだけの評伝劇ではないか!
聖女ジャンヌ・ダルクが登場してイギリスを打ち破り最後は不幸にも火あぶりにされる、
その生涯を機械的に六場に分断しただけ、なんの興奮もなんの緊迫もなんのユーモアもない。
ではどんな戯曲がおもしろいのか? この戯曲と正反対のものである。
先を知りたいと目と手が異様なスピードで動く戯曲、
思わずセリフを音読してしまう戯曲、
計算式では割り出せない熱情がほとばしっている戯曲――。
たぶんこの作品がノーベル文学賞を受賞した背景に、日本人にはわからない
カトリックうんぬんの問題があるのだと思う。遠藤周作がノーベル文学賞を
受賞できなかった理由に、選考委員のひとりがぜったいに受賞させないと
いきまいていたという話を聞いたことがある。「沈黙」が気に入らないとかで。
この戯曲のテーマは教会は信仰に必要か否か。
たぶん「カトリックかプロテスタントか」の問題になるのだと思う。
日本人にゃわかりません。ごめんなさいです。
へたな感想文を書いてしまって、ノーベル文学賞の作品を貶めてしまって。

75: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:51
04/02/08 12:20
「デモクラシー万歳」(バーナード・ショー/升本匡彦訳/「名作集」白水社)
→戯曲。だめだよ、高いお金払って「バーナード・ショー名作集」なんて買っちゃ。
わたしの嫌いな矢口書店じゃ9000円なんて値をつけている。
あー、いま検索したらショック。小宮山書店が2000円で新しく出している。
ここなら送料もいらなかったのに……。悔しい。にっくきバーナード・ショーめ!
あ、この戯曲は政治劇。まあ、これほどつまらない戯曲を探すのが「六ケかしい」。

「分からぬもんですよ」(バーナド・ショー/市川又彦訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。人生なんて、分からぬもんですよ。ある日、偶然に、
18年間も会っていなかった父親とばったり出会ってしまうのだから。
不勉強なので、あやふやだけれども、喜劇にはふたつあるらしい。
ひとつは、登場人物そのものの個性がおもしろいもの、奇人変人がでてくるもの。
もうひとつは、状況がおもしろいもの、シチュエーションコメディというらしい。
もちろんこれは後者になる。そのなかでもかなり上質の部類に入ると思う。
ただし難は翻訳にあり。昭和15年の翻訳。思いっきり旧字体。
市川又彦ってだれ? 英文学の創始者? いくらなんでも中学生みたいな直訳をしないでほしい。
日本語として読めないところが多数ある。これを倉橋健さんの訳で読めたら……。
ところで「六ケかしい」。読めましたか? 
わたしはこの戯曲で四回目に出てきたところでようやくわかる。
「むつかしい」ですね(w

76: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:53
04/02/11 10:50
「蛙」(アリストパネス/高津春繁訳/「世界古典文学全集12」筑摩書房)
→戯曲。いわゆるギリシア喜劇。今まで読んだことのあるアリストパネス作品は
「雲」「女の議会」「女の平和」の三つのみ。どれもわたしにはおもしろさが
わからなかった。で、まあ今回(誤解だったけど)487さんに刺激されて、
これを読んでみたわけですが……。本文が31ページなのに、訳注が11ページもある
というのは勘弁してほしい。読了するのが苦痛極まりなかったです。
さて、ギリシア喜劇とはどういうものか。とことんバカバカしいんです。
当時のひと(2000年以上も昔)が487さんのように大笑いしたのも無理はないくらい。
たとえばこの「蛙」。まず神様が登場するわけです。
ディオニュソス神(バッカス)です。地獄に行きたいと言い出します。
今は亡きアイスキュロス(悲劇詩人)に会いたいというのがその理由。
で、いちど地獄に行ったことのあるヘラクレスさんの家を訪問します。
そこで地獄への行き方を教わったディオニュソスは従僕とともに向かう。
地獄のあまりの恐ろしさにうんこをもらしちゃったりもします、神様なのに(w
くだらないですねまったく。で、地獄ではなぜかアイスキュロスと
エウリピデス(これも悲劇詩人)が喧嘩をしている。
勝敗を決めてくれとディオニュソスは頼まれる。
ディオニュソスはそれぞれの悲劇詩人のことばを実際に天秤にかけてみます。
するとアイスキュロスのことばのほうが重い。アイスキュロスの勝ち。
ディオニュソスはアイスキュロスを地獄から地上へテイクアウトすることにしました。
これを大笑いしながら見たアテナイ人は町へ繰り出し、
一晩中、飲めや歌えやの大騒ぎをするわけです。

77: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:54
04/02/12 09:55
「蛇にピアス」(金原ひとみ/文藝春秋3月号)
→小説を読むってどういうことだろう。ここのところ戯曲ばかり読んでいたから、
久しぶりの小説だった。戯曲は、設計図や楽譜みたいなもの。それを手がかりに
大勢のひとが動き、大勢の観客を楽しませる、少なくともなんらかの刺激を与える。
一方で、小説はひとり自室で読むものである、基本的には。小説を、読む。
なんのために? それはもちろん感動したい。できたら泣くぐらいの感動を。
小説を、書く。なんのために? なんのためにひとは小説を書くのか?
なんのために彼女は小説を書いたのか? 村上龍や山田詠美になりたかったのか?
この小説にはわかったようなことが書かれている。これを読んだ識者もわかったような
ことを言うのでしょう。今朝、ニュースでこんな話を聞きました。酔っ払い運転で
他人の子どもを殺してしまった男性。服役が終わった後も罪を償いつづけるとのこと。
一生、酒は飲まないし、自分が殺してしまった子どものことを考えつづける。
酔払い運転なんてみんなやっています。その中でなぜ彼が事故を起こしてしまったのか。
わかりません。この「わからない」をわたしは文学で扱いたいと思います。
おなじ文藝春秋3月号に三浦哲郎「忍ぶ川」のグラビアがありました。
三浦哲郎さんも彼の「わからない」からスタートした文学者です。

「蹴りたい背中」(綿矢りさ/文藝春秋3月号)
→幸福な小説です。吉本ばなな「つぐみ」を思わせる上質の青春小説です。
だれもが経験する自意識の芽生えの時期を、彼女だけのスタイルで丁寧に
描き切っている。見事。一つひとつ言葉を選びながら、楽しみながらこの小説を
書き上げたというのがよくわかる。小説を書く喜びに満ちている。
彼女の人生に悲劇はないでしょう。このまま書きつづける、残る作家だと思います。
ひとりくらいそういう作家がいてもいいような気がします。

78: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:57
04/02/15 07:24
「テレーズ・デスケルウ」(モーリアック/遠藤周作訳/講談社文芸文庫)*再読
→こんなフランスの心理小説を5年ぶりに再読したのはやはり芥川賞ショックかも。
陰鬱でやりきれない心理小説。テレーズが夫を毒殺するにいたるまでの心理と
(その心理を反映した)風景の描写が詩的な緊張をもってつづく。
毒殺は未遂に終わる。夫が偽証をしてテレーズを救ったのは、ただスキャンダルを
おそれただけ。テレーズとは別居する。つまらない社会道徳にしばられる夫と、
生きることの退屈さを嘆くテレーズの対照は、イプセンの「ヘッダ・ガーブラー」のよう。
戯曲とはちがって、小説というのはこんなことができるのかと改めて小説の力を確認する

「私の愛した小説」(遠藤周作/新潮文庫)絶版*再読
→カトリック作家の遠藤周作が生涯目標とし、愛しつづけたのが上記の
「テレーズ・デスケルウ」。本著は晩年の遠藤がこの「テレーズ」をあらゆる
角度から論じきったもの。子どもが棒つきのキャンディーを舐めまわすかのごとく。
まずドストエフスキーとの比較。モーリアックはドストエフスキーから「無意識」
の扱い方を学んだ。ドストエフスキーの作中人物の行動は単純な心理学では説明
できない。深層心理学。またモーリアックはフロイトからも影響を受けた。
無意識を罪の母胎と見るフロイト。話は仏教の唯識思想にまで及ぶ。
仏教とユングの類似性。ユングの元型思想。
ユングは人間の無意識には全人類が共有する元型というものがあると考えた。
だからどの国の人も感動する名作(「戦争と平和」など)が生まれるのだと
遠藤は話を進める。物語の元型というものもあるのではないかと主張する。
たとえば「テレーズ」はラシーヌの「フェードル」の影響が強く見られる。
しかし「フェードル」も元を返せばギリシア悲劇「ヒッポリュトス」の
影響下で書かれたものである。そもそも新しい独創的な作品などあるのか?
後世にも残る名作というものはすべて人間の無意識の元型を刺激するものではないか?
このように「テレーズ」を基点として話はどこまでも発展していく。
5年前にこの本を図書館で借りて読んだときは、ものすごいことが書かれている
ということだけはおぼろげながらわかった。そして打ちのめされたのを覚えている。
いま再読してみて、まあ、ここで名前があがったひとの本ぐらいは一応読んでいる
自分に気づいてちょっと嬉しくなったけど、いくら本なんて読んだって不毛なものよ
と独語する、ぐれてしまった(死語?)自分も発見して苦笑いの心境です。

79: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 08:58
04/02/16 09:33
「不思議な世界」(山田太一編/ちくま文庫)
→毎日、おもしろい? わかっているって、つまらないことばかりわたしも。
ロマンスも冒険も幸福もわくわくもどきどきもすべて本の中、テレビの中だけ。
そんなときにシンクロニシティなんてことばを聞くとちょっとだけ胸が躍る、
ダンス・ダンス・ダンス。シンクロニシティとは意味のある偶然のこと。
ユング先生が提唱した概念。たとえば夢に見た知人と十年ぶりに会ったり。
この世以外の存在(神?)を思わず考えてしまうような、そんな出来事。
終わりなき日常(宮台真司!)を生き抜く庶民のささやかな知恵がシンクロニシティ。
そんな不思議な話を集めて一冊にしたのがこの本です。

81: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:00
04/02/21 13:30
「別冊新評 山頭火の世界」(新評社)絶版
「山頭火読本」(牧羊社)絶版
「句集 草木塔」(「山頭火大全」講談社)*再読

→山頭火をテーマにした戯曲、映画シナリオを読んだがどれもつまらない。
完全に山頭火に食われてしまっている。かなわぬ敵には近づくなという教訓。
しかし山頭火研究者にはろくなものがいない。いちど実物に会ったことがある
くらいで批評家面ができる世界なのである。どマイナーな世界。
山頭火を語ることで自分を語りたい、しろうとの自称研究家にはうんざり。
そんな中、対談で水上勉が上田都史(放哉・山頭火研究家)をこてんぱに
していたのは痛快だった。まったく文学者というのは業が深い=意地が悪い(w
いわく「山頭火さんには人間的な苦悩といったものが放哉さんよりふかく
感じられます」。こんな感じで放哉好きの上田都史を論破しつづけ、最後には
何も言えないようにしてしまう。「まったく水上さんの言うとおりです」と。
そして水上勉は「二河白道」を語る。
「二河白道」とは仏教の言葉。旅人が立ち止まっている。
というのも右に水(貪愛)、左には火(憎悪)で先に進めないからである。
その中間にぼんやりと白道が見えるだけ。危険極まりない道である。
かといってじっとしてもいられない。後ろからは赤鬼青鬼(道徳?)が追いかけてくる。
この白道は浄土に通じているという――。
水上勉は言う。山頭火は確かに「二河白道」を歩いたと。
同感。放哉は「個」を描いたに過ぎない。しかし山頭火は「個」を描くことから
「全」にいたっている。山頭火の俳句は全体に通じているのである。
「どうしようもない私が歩いてゐる」は「どうしようもないわたし」が
歩いているのではない。すべてが「どうしようもない」のである。
もう「わたし」は歩くほかない。「なんぼう考えてもおんなじことの落葉ふみあるく」。
山頭火は「個」(自由)を「全」(必然)をじっと見つめる。
「わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし」。
「ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜」。

82: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:01
04/02/21 14:01
「古本夜話」(出久根達郎/ちくま文庫)
→古本エッセイ。著者は元・古書店主人。
初めて知ることがいっぱい。「へえ」の連続。へえへえへえへえへえ。
古本屋って値切られるのがいちばんいやなんだとさ。
なんでも古書価格はそこの主人の思想だとか。
思想か、ずいぶんおおきくでたもんだ。それにしてはけっこうな思想家が多いこと。
まだ新刊で買えるものを絶版と銘打って定価以上の値札をつけたり、
ブックオフ百円コーナーの常連をもっともらしく定価で売ったり。
基本的にわたしは古書店主人というものが嫌いである。
価格と結びついた浅薄な人名リストを脳内に溜め込んだだけのおっさんが、
どうしてどこもあんなに偉そうなのか。疑問である。
ブックオフ万歳! ちなみにわたしは以前、古本を毛嫌いしていた。
新刊で読めないならもうあきらめていた。そんなわたしを変えたのは工藤伸一。
彼がブックオフ町田店を薦めてくれたおかげで、わたしの読書人生は変わったのです。

83: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:03
04/02/24 09:20
「藝術とはなにか」(福田恆存/「評論集1」新潮社)
→芸術とはなにか? なんて語れる時代があったということです。赤面もせずに。
こんなふうにふざけていると561さんに怒られてしまうから、ちょっとまじめになろう。
芸術の起こりは古代人の呪術にあると福田さんは話をはじめます。
ギリシア悲劇の時代(役者は神を演じるために仮面をかぶった、その意味)、
イエスの誕生(民衆は神のまえで仮面をかぶる=素顔の誕生)、
中世の教会主導のキリスト教世界(教会が舞台・演劇となる、ゆえの不毛な芸術)、
ルネッサンスの人間賛歌、シェイクスピア(人間を主題とする芸術の発生)、
近代の自我意識(神前の仮面はなくなった、しかし素顔ではいられぬ、小説の誕生)、
現代の孤独感(いくら小説を読んでも孤独が増すだけ、いま必要とされる芸術とは?)。
――と、こう芸術の歴史をふりかえって、福田さんは主張します。
芸術とは、自らを自然(全体)の一部と感じせしめるものである。
芸術とは、カタルシスである。日常生活でかなえられぬ夢の残滓を嘔吐せよ。
芸術とは何かを問うことは、生きるとは何かと問うのと同義である。
しかし現代の芸術はどうだ、現代の小説はどうだと福田さんは問題提起する。
映画など芸術ではない。なぜなら受け手の自由がまったくない。
絵画も音楽も文学も、鑑賞者の能動的な努力があってはじめて成り立つものである。
映画はすべてを表現するがわが行なう、鑑賞者は何もしなくてもよい、それは芸術ではない。
それでは人間が孤独になるばかりではないか。
現代の小説も同様。そこに書かれているのはつまらぬ自我ばかり。
小説を書くがわが賞賛され、小説を読むがわは作家にあこがれるだけ、これでは救われない。
ふたたび福田恆存は主張する。芸術はナルシズムではない、カタルシスである。
芸術とは精神の運動である、芸術とは精神のエネルギーの消費である。
芸術がどうして必要か。生きるためである。
人間は負けるとわかっている賭けにもあえて賭ける。
そこに生の快楽があるからである、そこに生の秘密があるのである。
芸術とはそのようなものです。

84: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:04
04/02/25 10:25
「堅壘奪取」(福田恆存/「全集第八巻」文藝春秋)*再読
→戯曲。30分で読了。劇作家としての福田恆存が評論で大言壮語しているほどの才能は
見せていないのはもちろんだけど、それでもこの作品はなかなか味のある小品では?
小粒だけどぴりっと辛い! それは世界的な芸術作品ではないけれども。
まあ、退屈させないていどのレベルはもった会話劇かと……。
思想とかうんぬんするよりも、会話のテンポがスムーズで無理がない。
現代にも通じる皮肉があると思う。企業研修とかで叫んでそうじゃない?
信ずれば能はざるなり、信じればなんでもできる、己で限界を作るな、とか(w
うーん。これなんかよりよほどつまらない戯曲がたくさんあると思うけど。
戯曲というのはそこから作者の思想を探るよりも、
作者のつくった世界でたしかに息をして動いている人間を楽しむものだと思う。

85: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:06
04/02/26 12:42
「人間・この劇的なるもの」(福田恆存/中公文庫)*再読

→評論。演劇から人間を見る。読むのはたぶんもう五度目。常に発見がある。
563さんに自らの考えがないのを批判されたけど、わたしには福田さんの評論に
ついて物申すちからはない。理解するのでいっぱいいっぱい、眉間にしわしわ。
そのためこの読了報告はわたしが毎度、感銘するくだりを紹介するていどです。
人間は自由など求めていないと福田さんはいう。人間が真に必要としているのは宿命で、
自らが必然のうちにいるというこの感覚のなかにしか生きがいはない。
自由か宿命か、偶然か必然か。
この二項対立のうちに人間を演劇を見るところ、その鋭さ、
わたしが福田恆存の評論にひかれるゆえんである。
若い成功者は己の成果を自由な行動(努力)の結果と思う。よもや運などとは考えまい。
一方で、老いたみじめな失敗者はすべてが宿命だった、他にどうしようもなかったと思うもの。
遺伝のせい、あるいは社会が悪いから、問題を必然にするのはいともたやすい。
が、どちらも自己欺瞞であると福田さんは冷たく言い放つ。
では、人間は自由か宿命か。ことは偶然に起こるのか、すべては必然なのか。
舞台を見なさいとここで演劇を持ち出してくる福田さんの慧眼には感服する。
舞台上の役者。かれはセリフをすべて覚えている、芝居の結末を知っている(宿命)、
だけれども役者はひとつのセリフをそれを知らぬものとして言う(自由)、
他にも言えた数限りない候補の中からさもそのセリフをいま選んだかのように言う。
名役者におなりなさいと福田さんはいう、人生で良い演戯をなさいという。
なぜなら生きるというのは何かしらの役を演じることに他ならないのだから。
だれもが主役になれるわけではないし、また主役を望むものばかりではない。
脇役でもいい、自らの役を演じきりなさい、そこに生きがいがある、そこにしかない。
毎日、ものごとはなんの脈絡もなくすべてが偶然にあなたに襲いかかる。
そこで大根役者にならぬにはどうしたらいいのか、きちんと演戯するためには?
劇の終わりを意識しなさいと福田さんはいう、
死によって舞台が完結することに思いをはせなさいという。
さて、思う。わたしに与えられた役は何か。
文学界のジャンヌ・ダルクか、平凡極まりない主婦か。
くだらぬ役ならわたしは舞台から降りるつもりである。
配役に命をもって抗義する。たとえそれがよくある役を演じることになろうとも。

86: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 09:07
04/02/26 13:39
「龍を撫でた男」(福田恆存/「全集第八巻」文藝春秋)*再読
→読むのは三度目。個人的には劇作家・福田恆存の最高傑作。
安部公房も三島由紀夫も木下順二もこれにはかなわない。読売文学賞も取っている。
余談だけど、学生時代の山田太一がこれを見るためにわざわざ東京にきたらしい。
主人公は、どことなく福田さんを思わせる中年の精神科医。常識人を自認し誇る。
いささか神経衰弱気味の妻と、その弟(無職でアル中)と同居している。
元旦、妻の友達の女優(舞台のように人生を生きるが信条)と、
その兄の劇作家(躁鬱病ぎみ)が精神科医宅を訪れることから物語は始まる――。
常識人は精神科医ひとり、周りはみんな、まあキチガイ。
おもしろくならないはずがない。
精神科医の語ることばはまるで山田ドラマのセリフのよう。

「(浮気するのは)小説や芝居じゃはでな役だけど、実生活ではいつでも
貧乏くじときまっている。家庭をばかにしちゃいけませんよ……、
現実をなめちゃいけませんよ……、それがどんなにくづれかかっているように見えてもね」

「人生は冒険じゃない。人生はくりかえしですよ。
たえず変わったことをしていたんじゃ、しまいには発狂してしまうよりしかたがない」

衝撃のクライマックスなんだけど、ネタバレになるから書かない。
わたしがネタバレをするのはつまらないもの限定ですから。

87: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:50
04/03/05 10:32
「演劇入門」(福田恆存/玉川大学出版部)絶版*再読
→良書を読んだあとのパターンとして二種類ある。ひとつは、
他人にも読ませたくなる。感動の共有です。フィクションを読了したあと、
私たちはよくこのような行動にでる。さて、もうひとつは、その本のことを
だれにも教えたくない、自分だけのものにしておきたい、そういう意地汚い根性が
読書家というものには常につきまとうように思うのです。それがこの本なのです。
わずか244ページ。しかしそこには凝縮された内容がたっぷりつまっている。
演劇の発生から、戯曲読法、演技論、演出の役割、日本新劇史概略まで――。
わたしのほうも襟を正して、本来なら一日で読める分量ですが、四日かけて
じっくり吟味しながら本書を読了しました。自分しか知らない名著というのは
いいものです。以前、山田太一が「私の幸福論」(福田恆存)を隠れた名著と
愛読していたところ、これが文庫化されてひどく悔しい思いをしたことがあるといいます。
わたしもこの「演劇入門」が復刊されなどしたらそうとう悔しがるかと……。

88: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:51
04/03/05 10:56
「ウェストサイドワルツ」(アーネスト・トンプソン/江守徹訳/劇書房)品切れ
→最近、生きるのいやいやモード。こころに隙間風、ひゅーひゅー、吹き抜ける。
さむい。あったかいココアを、暖炉を、ハートウォーミングストーリーを……。
というわけで以前にこの著者の戯曲「黄昏」を読んでいたく癒されたので
今回もお世話になろうかと読んだのですが、うーん。とてつもなくつまらない。
劇書房の戯曲は「はずれ」がないと信じていたけどこれは例外。訳も変だぞ江守徹!

「いい酒、いい友、いい人生」(加藤康一/日本文芸社)絶版
→著者はワイドショーのコメンテーターなどで長年、芸能界の盛衰を見てきたひと。
石原裕次郎、鶴田浩二、三田佳子、美空ひばり、吉永小百合ら戦後芸能界を飾った
スターたちの知られざる素顔! と表紙でうたっております。
まあ、そういう有名人がどういうふうにお酒を飲んでいたかというエッセイです。
むかしの芸能人の無頼というものはすごいものがありますね。見習いたい!
もちろんわたしもお酒を飲みながら拝読いたしました。ブックオフ100円本なり。

「きょうからの無職生活 バイト生活向上委員会」(情報センター出版局)
「ビジュアル編集 税金がわかる」(富田健司/大泉書店)
→どちらもブックオフ100円本。感想? そんなこと聞くなよバカヤロー!

89: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:52
04/03/08 09:57
「別冊宝島53 精神病を知る本」(宝島社)
→テーマというものがある。自分が表現をしていこうと思っているとき、
その源にあるもの。ルーツ? スタート地点? 得意分野?
「山頭火」「シェイクスピア」「宮本輝」「ギリシア悲劇」「宮台真司」などの
固有名詞とともに、「精神病」への関心がつねにわたしのなかにはある。
ばらばらで一見すると、なんの関連性もないようだけど。
本書はアンチ精神病の立場からの発言。すなわち精神病などないのだというのです。
精神病は精神科医がつくりだす幻想、たとえば理解できない凶悪犯罪が起きる、
そこから生じる社会不安、これを抑えるために「精神病」という概念が生まれた、
「かれは精神病だから」と私たちの日常とは別次元の世界へ追いやってしまう、
そのために精神科医は生まれたのだと、未開社会の精神病的症状とその治癒を例示する。
狂気というのは正常というものが定義されてはじめて存在しうる、逆も言える。
そのときたかだかいち精神科医ごときにそんなものを任せてしまってよいのか、
と本書の主要執筆者は問題提起するわけです。
完全な正論、(しかしではなく)ゆえに机上の空論、知的自己満足。
何も生みださない、誰の役にも立たない。
一週間でいいから精神病のひとと一緒に暮らしてみなさい、
いちどでいいから自ら発狂の危機におびえてみなさい、そんなことは言えなくなるから。
精神病は怖いものです、精神科医は必要です、誰かがやらなければならないものです。
うちはだいだい精神病の家系だからしんじつそのことを考えます。
本書の問題提起に誠実に答えていた精神科医(写真を見るとほんとうに善良そう)が
チェーホフの「六号室」という小説を例にあげていた。
これほどまで「精神分裂病」を描ききった小説はないと。いつか再読したい。

90: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:53
04/03/08 10:29
「別冊宝島144 シナリオ入門」(宝島社)
→二部構成。一部が「シド・フィールドのシナリオ講座」。
なんでもアメリカの大学、映画学科でテキストとして使われている(当時)とか。
売れるアメリカ映画の秘密がつまっているとのこと。ほんとかいなと読む。
だってお金持ちになりたいもん、貧乏だけど純文学で自己満足なんていやだもん。
不純な動機で読了。あはは、うまい話はないってことよ、どれも聞いたようなことばかり。
ちょっと内容紹介。2時間の映画はシナリオにすると(英語で)120ページ。
(1〜30ページ)=状況設定、(30〜90ページ)=葛藤、(90〜120ページ)=解決。
いちばん書くのが難しいのは「葛藤」。重要なのは「葛藤」の中間(60ページ)に
転機となるミッドポイントを入れること。著者はこのようにシナリオを数式化する。
まさかぁと思うでしょ? このつぎに読んだ大ヒット映画「恋におちたシェイクスピア」
のシナリオ本で確かめたら本当にそうなっている。英語日本語対訳のシナリオ本。
30ページくらいでシェイクスピアとヴァイオラ(ヒロイン)がひかれあうと同時に、
登場人物が出尽くす。ミッドポイントの60ページ付近で、シェイクスピアと
ヴァイオラが結ばれる(肉体的に)んだから、まさしく公式どおり(w
本書の第二部は日本人シナリオライターの無頼自慢がメイン。
だから日本はだめなんだと読んですこしあきれてしまった……。

91: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:54
04/03/08 11:05
「恋をにおちたシェイクスピア」
(マーク・ノーマン&トム・ストッパード/藤田真利子訳/愛育社)
→映画シナリオ本。左ページに英語、右ページに日本語。
よくあれは大衆娯楽作品だからなどとヒット作をバカにする声を聞くけど、
本作品は老若男女、誰をも楽しませるエンターテイメントであるばかりでなく、
作品そのものがひとつのシェイクスピア論になっているところに脅威を覚える。
アメリカってすごいなぁ、天才っているんだなぁと脱帽するよりほかない。
わたしのようなシェイクスピアマニアをにやりとさせる心憎い部分があり、
またシナリオ技術的な面でおおいに見習うべき個所もありで、もう満腹です。
観客をどうやって楽しませるかという職人的秘術がこのシナリオにぎっしりつまっている。
泣かせるツボや笑わせるツボの押し方、キャラクター設定の仕方、
室内シーンと室外シーンの比率、ベッドシーンとアクションシーンの入れ方。
映画(ビデオなんだけどさ)で見たときには気づかなかったことばかり……。
ひとつ難点を。日本語訳は字幕を採録したものだと思うんですけど、
(字数の制限は知っています、が)日本語として意味が通じないところが多い。
映画で見たら画像の迫力で流せるから気にならないのだけど。
で、横の英語を見ると、あー、こういうことねとわかる。英語なんてほんと久しぶり。
そんなわけでちょこちょこ原文を参照しながら読みました。すると気づく。
英語ではぴしっと決まっているセリフが、横の日本語ではまったくだらしのない
ものになっていることがなんと多いことか。訳者の責任じゃない、どうしようもない。
今まで海外作品は翻訳に頼っていたけど、これではだめなんでしょうかね?
そんなことも思いました。

92: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:56
04/03/10 08:24
「ほんとうのハウンド警部」
(トム・ストッパード/喜志哲雄訳/白水社「現代世界演劇7」)絶版
→1968年初演のわりあい新しいイギリスの戯曲。
これを読もうと思ったのは以前に読んだ「はじめての劇作」という本で
お薦め作品になっていたから。「『ほんとうのハウンド警部』は、劇作家が
避けるべきすべてのことをおもしろおかしく(そしてかなり意図的に)描いた
作品として、ぜひ一読することをお勧めしたい」(P130)。
幕が上がると、舞台後方に観客席がある。そこに劇評家がふたり座っている。
そのまえで(もちろん観客のまえでもある)繰り広げられるのが、ふざけたお芝居。
いきなり登場人物が自己紹介をしながら登場したり(w
しかし出演する女優をものにしようと狙っている劇評家はこのお芝居を激賞する。
演技論で口角あわをとばす。さて、舞台のうえの芝居がいったん幕を閉じる。
休憩中に劇評家がそのお目当ての女優と話していると、あらら、お芝居が始まってしまう。
まえの芝居で役者だったものがちゃっかり劇評家の椅子に座っているではないか。
声高に演技論を語っていた劇評家がいざ舞台に立つと大根役者であるというアイロニー。
けっきょく劇評家はなにもできずにみじめに殺されてしまう――。
「不条理劇」と呼ばれる演劇です。
考えさせられる。私たちはテレビで見るニュースに劇評家よろしくいろいろと注文をつける。
代議士の謝罪を見たら芝居がかりすぎだの、浅田農産会長の自殺を見たら演技が下手だの。
が、果たしてどうか。いざ自分が舞台に立つ羽目に陥ったら……。
舞台に立ちたくても立てない役者志望に、強引に舞台に引っ張りあげられる一般人。
げに恐ろしきは演出者かな、神という名の。

93: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:57
04/03/10 08:54
「楡の木陰の欲望」(オニール/井上宗次訳/岩波文庫)品切れ
→1924年初演のアメリカ演劇の古典的作品。
オニールは「アメリカ演劇の父」とも呼ばれる。これを読んでわかる、
あー、確かにストリンドベリからテネシー・ウィリアムズへの橋渡しをしていると。
傑作。ひさびさに血が沸騰するような戯曲。物語の下敷きにしているのは、
ギリシア悲劇「ヒッポリュトス」。ギリシア悲劇的かつ近親相姦的な暗さがある。
中上健次の小説に非常によく似た雰囲気をもつ。中上はオニールなど読んでいないはずだけど。
じめーっとした女の子宮のなかで終始する残忍な欲望の劇です。
しかし読了後にその子宮から言葉にできない何かが生まれるのは確か。
この現象をカタルシスというのでしょうか。
カタルシスのない不条理劇よりこちらのほうが好きですわたしは。

いま気づいた。
ギリシア悲劇の「ヒッポリュトス」に「メディア」を混ぜたのが「楡の木陰の欲望」か。
このスレは私的備忘録的な意味合いもあるので、つけたして書いておきます。

ストリンドベリ「死の舞踏」を超えるかもしれない大傑作です。
比較的入手しやすい&薄い&登場人物が少ない=読みやすいので機会があればぜひどーぞ。

94: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:58
04/03/18 18:47
「奇妙な幕間狂言」(オニール/井上宗次・石田英二訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。旧仮名&旧字体&とにかく長いため、読むのに三日を要した。
まともに上演したら6時間以上かかるらしい。ハムレットで3時間ちょっとだから、
これがどれだけ長いかわかってくださるはずです。長くなったのには理由がある。
本作品はオニールのきわめて実験的な戯曲だからです。さて、問題をだします。
戯曲と小説のちがいは何か? 答え。心理描写があるかないか、です。
そこでオニールさんは考えます。なんで心理を扱った戯曲はないのかと。
おそらくフロイトなんかに影響を受けたのでしょう。
用いた方法は古臭くて「傍白」。シェイクスピア劇の登場人物がやっているあれ。
自分の考えていることを観客に向かってしゃべる、が、相手には聞こえないというお約束。
たとえば相手向かって「愛してる」とまず言う。それから観客のほうを向いて
「ほんとは大嫌い、早く死ね」などと言ったりする。
これを延々と続けていくわけです。はっきり言って心理小説ですよこれは。
内容はそこそこおもしろい。当時、アメリカでヒットしたのもわかる。
要約すると、女の一生かな。娘は女となり、妻となり、母となり、姑となるもの。
でもこの戯曲の主人公ニーナさんはそんなのいやだと主張するわけです。
暖かい家庭の妻でありながら夫以外の男と愛し合う女でありたい、
常に燃えるこころを持つ女でありながら息子から愛される母になりたい。
みんなあたしを愛して! と大声で叫び行動する女性の25年にわたる歴史です。

95: 美香 5qBZxQnw:04/06/28 23:59
04/03/18 19:02
「毛猿」(オニール/倉橋健訳/「ノーベル賞文学全集20」主婦の友社)絶版
→戯曲。ブルーカラーの悲哀ってやつですかね(薄ら笑い
主人公は屈強な船人夫。このころの船って石炭をたえずくべながら動かしていたらしい。
で、船人夫のヤンクは生粋の肉体労働者、知能はゼロ、まあ猿と変わらないと
タイトルは示唆しているのでしょうか(w でも本人は幸福なわけです。
バカは幸せですよいつの時代だって。ヤンクはこの船でいちばん偉いのは
自分だと誇っているわけです、自分がいなかったらこの船は動かないのだからと。
そんなヤンクの夢を壊すのが船会社社長のお嬢さん。
私的社会科見学とばかりにヤンクを見にきて卒倒するわけです、獣と叫びながら。
罪なことをしますねまったく。ヤンクは怒りにかられて金持ちを襲撃したり、
共産党系の団体に入ろうとしたりしますが何もかもうまくいかない。ダメなやつはダメ。
ラストシーンは動物園です。毛猿のオリのまえにたたずむヤンク。
どっちが人間でどっちが猿か、オリに入れられているははたしてどっちか。
おお友よと思ったのかはわかりませんがヤンクは毛猿をオリからだしてやります。
毛猿はヤンクを力任せにだきしめて殺してしまう。
あっはっは。楽しいですね、あはははは。笑いましょうよ。
タイトルの下に喜劇と書いてあるから、笑えばいいんですって。あはは、あはは、楽しいな。

「古代ギリシア・ローマ演劇」(ピエール・グリマル/小苅米ケン訳/白水社文庫クセジュ)絶版
→ギリシア悲劇、アリストパネスまではわかっているけど、それよりあと、
中心がローマに移ってからの演劇について知りたかったのでこれを読む。
プラウトゥス、テレンティウスやセネカ。だれもこのへんは読んでいなさそうだから、
いざ衰退スレとかで論争になったらここらあたりの名前をだしてびびらそうと(w
なんて不純な動機の読書でしょう。でもこれ薄いからすぐ読めるんじゃないかと。
結果。よくわかんない。入門書なら猿にもわからせるくらいの意気込みで書けよピエール!
フランス人は嫌いだどいつもこいつも。

96: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 00:00
04/03/20 15:32
「喪服の似合うエレクトラ」
(オニール/菅泰男訳/「ノーベル賞文学全集20」主婦の友社)絶版
→アメリカ演劇の最高傑作と称される長編戯曲。
昨年、イギリス(かな?)で再演されてリバイバル賞を取ったとか。
打ちのめされた。今までわたしが読んだ戯曲の中でもっとも劇的な迫力をもつ。
上演すると7、8時間はかかるというが、その長さはまったく気にならなかった。
とにかくおもしろくて、先が知りたくて、異常な興奮状態で一気に読みきった。
興奮とわたしは書いた。それは神と対峙するかのような興奮であった。
オニールはいう。「単なる人間対人間の関係を描くことには興味がない。
私を常に刺激するものは、神と人間との関係以外のなにものでもないのだ」。
戯曲を読むのは、小説を読むよりもはるかに楽しいと本作品で確信した。
それが真に優れた戯曲であれば。
というのも小説を読むという行為は、その作者と始終向き合っているようなものである。
作者の主張、作者の視線、作者の分析――。息詰まる。窮屈である。
が、戯曲はどうか。それが真実の傑作であれば、そこに作者の主張などない。
シェイクスピアに主張したいことなどあったかと考えてみればよい。
優れた戯曲では、作者の思惑など気にせず人間が自由に動きまわる。
そうわたしたちが神のまえでそうしている、まさにそれと同じ、
いや、それ以上の躍動感をもって。
優れた戯曲を読み進むうちに、神と対峙しているような興奮を味わえるゆえんである。
この入手しにくい戯曲を読むことになったのはほんの偶然からである。
その偶然に感謝したい。

97: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 00:01
04/03/20 17:08
「夜への長い旅路」(オニール/沼沢洽治訳/「近代劇集」筑摩書房)
→オニール自身の家族を題材にした長編戯曲。「喪服の似合うエレクトラ」ではなく、
こちらをオニールの(しいてはアメリカ演劇界の)最高傑作と推す人も少なくない。
息子への影響を考えて、生前は公開を許されなかったといういわくつきの家庭劇。
なぜ優れた劇に家庭劇が多いのか。ギリシア悲劇のたいがいが家族をテーマにしたものである。
答えはニュースを見ればすぐにわかる。親殺し、子殺し、配偶者殺害が
報道されない日などめずらしいくらいでは? というのも家族という「場」において、
もっとも多種にわたる(愛憎悲喜)、そして大量の感情が交錯するからである。
葛藤を描くのが劇である。優れた家庭劇が多いのも当然である。
本作品は家庭劇の最高傑作。愛情と憎悪がおなじコインの裏表だということが、
じつにうまく描かれている。そしてなんと痛々しいことか。
自らの傷、手術痕の縫い糸を無理やりこじあけ、内臓から何まですべて
あからさまにしてしまったような――そんな凄惨な劇です。
なんのために? 人間は美しいということを証明するために。
それでも、それだから、人間は美しい。オニールは「血と涙で」これを書いたという。
不幸に固執しつづけたオニールはストリンドベリの以下の人生観に共感を寄せていたという。
「私の幸福は他人を不幸にする。他人の幸福は私を不幸にする」。
(記憶で書いたから正確じゃないかもしれない。どこで読んだんだっけなと
今1時間かけてオニール関係のページを探したけれども見つからず。悔しいです)

98: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 00:02
04/03/20 17:37
「ドラマトゥルギイ研究」(内村直也/白水社)絶版
→50年近くもまえに書かれたドラマ論。どうやったらおもしろいドラマを書けるのか。
これがスタート地点。では、おもしろいドラマはどのように書かれてきたのかと話を進める。
研究なんてたいそうなタイトルがついているけど、そんな大それたものではない。
「ドラマトゥルギイ随想」くらいがちょうどいいのではと皮肉りたくもなる。
この時代にしては実にわかりやすい文章なのは感心。だけど、べつに難しいことを
わかりやすく書いているわけではない。簡単なことをそのまま書いているだけ。
一言でいうなら「ぬるい」ってやつですかね。でも、まあ、この本にでてきた
戯曲ぐらいはたいがい読んでいる(少なくとも名前は知っている)自分に感動。そのくらい。

「演劇論講座5 戯曲論」(汐文社)絶版
→読んだのは木下順二の「戯曲論史1ギリシア悲劇シェイクスピアを中心として」だけ。
ほら大学の教授とかって本の一部しか読まないっていうじゃない。
テレビで上野千鶴子がそう言っていたのかな。それを真似してみた。
まあ、300円で買ったし、ほかの著者は聞いたことがない名前ばかりだし。
木下順二さんは難しいことをわかりやすく説明する名人! もしかしたら、
わかったような気にさせる名人なのかも。いざ自分で考えようとしたとたん、
わからなくなるから。まあ、それはおいて、テーマはプチ演劇史。
ギリシア悲劇の誕生からローマ劇の衰退、暗黒の中世から、ルネサンスのフランス古典劇、
エリザベス朝のシェイクスピアまで、すらすらすらーり説明してくれました。
なんかわかったような気になっちゃったもんね。あたまいいのかなあたし。

99: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 00:04
04/03/23 09:11
「危機一髪」(ソートン・ワイルダー/水谷八也訳/新樹社)
→アメリカ産の戯曲。1942年初演。アメリカ演劇史ではオニールとウィリアムズ
のあいだで忘れ去られているという感じらしい。ワイルダーはいぜん「わが町」を
読んでいたく感動した記憶があるから楽しみにしていたのですが……。
実験的な作品。初演時のこと、三幕劇なのだが、第一幕が終わったころに大量の観客が帰り、
第二幕終了時にも同様、第三幕がはじまったころにはもうほとんど観客がいなかったらしい。
わたしからすると、この最後まで残っていた客が許せない、その自己欺瞞が。
あたくしはね、ちょっと知的ざーますから、この難解な演劇もわかるんでございますのよ、
おほほほほ。という感じに、この作品をおもしろいと感じることのできる自分はすごい、
と観客に自慰的満足を与える作品。バカな批評家気取りくらいです、こんなものにだまされるのは。
断固、わたしは帰ったほうの観客を支持します。さて、どんな戯曲なのか。
新約旧約聖書、ギリシア神話、時事ネタなど大量のアナロジー(あてこすり!)を用いている。
テーマもでっかく「人類救済」ときたもんだ! 人間を象徴するアントロバスなる男が
ノアの箱舟に乗ったり、なんやかんやします。……わたしにゃよくわからん。
で、この翻訳者の水谷さんはわかるらしい。わかる自分はすごいと言いたいのかどうかは
知らないけど、例によって大量の注釈。これは旧約聖書からの影響で、うんたらかんたら。
しまいにはこんな注釈までつける。「ここはおもしろい表現である」。
なんでたかが翻訳者に「ここで笑いなさい」と指示されなきゃならないの……。
ほんと参っちゃう。

100: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 00:06
04/03/23 10:09
>>99名前を間違えた、正しくは「ソーントン・ワイルダー」。

「子供の時間」(リリアン・ヘルマン/小池美佐子訳/新水社)
→アメリカ産の戯曲。1934年初演。著者は女流劇作家、のちに回想録を出版。
ふつうの劇です。リアリズム演劇。ただテーマがちょっと(この時代には)特別。
同性愛、レズです。たぶんそのせいで当時、ヒットしたのだと思う。
現在まで残っている理由もそこらへんにあるのではないかな。まあ、最初に書いた
ひとの特権ですからそれはかまわない。戯曲としてはごくふつう。
ちょっとまとまりがないかなと思う程度。仲の良い女教師がふたりいます。
思春期特有の意地の悪い娘(生徒)に同性愛といううわさを立てられ自殺する。
その過程がそこそこ劇的に描かれています、退屈させない程度に。
実際にアイルランドで起こった事件を元にして書いたらしい。
だから著者がレズだとかいうわけではない。

「真夜中のパーティ」(マート・クローリィ/青井陽治訳/劇書房)
→アメリカ産の戯曲。1968年初演。ゲイ演劇の先駆けとなった記念碑的な作品。
ニューヨークには「性的逸脱を描く作品の上演を禁止する条例」(1927〜1967年)
というのがあったらしい。そのうえ当時はゲイというものは人非人の扱い。
だからこの劇の上演はとてもショッキングだったとのこと。
結果、大当たり。アメリカンドリーム! この劇に出たマイナーな役者さんは
全員メジャーになり、おなじメンバーで映画まで作られたらしい。
同性愛なんて飽食気味の現代の目からこの戯曲を見たらそれほどのものでもない。
ホモ7人が誕生日のパーティをしているところにヘテロがひとりまぎれこむ。
最後にはこのヘテロもホモに目覚めましたとさ(w 勝手にやってちょーだいな。
ホモか。大学時代のクラスコンパだったかな。話したこともない男がいきなり
わたしの横にきて、悪酔いしたのか泣きながら男に犯された過去を告白してくれた
のを思い出した。美少年だった。変なひとをひきつける電波がむかしからあるわたし……。
追記)ブックオフ百円本です。ありがとう、ブックオフ♪

「多酒彩々 グラスに映った160の人生」(サントリー不易研究所・編/たる出版)
→サントリーが公募した「楽しい酒・心に残る酒」のエッセイ、その優秀作を
160個集めたもの。素人の気取った(!)文章というのはダメね、ほんと。
なんであんな変に気取るんだろう。国語教育の弊害じゃないのかしらん。
しゃべるように書けばいいのに。
なーんて、最初に文句をつけてみたけどなかなか悪くないぞこの本。
そんなことが気になるのはしらふで読もうとするからなのだ。
ほどよく酔っ払ってから読むと、ほろりと来る。泣いちゃったよ恥ずかしいけど。
これもブックオフ百円本。百円で本が読めるんだから日本は文化大国です。

101: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:27
04/03/24 15:02
「劇場への招待」(福田恆存/新潮社)絶版
→初体験をしました。26年生きてきてはじめて、ほんとに落丁の本なんてあるんだ……。
それもいちばん読みたかった「戯曲文学の限界」というところを中心に15ページ。
初体験をして人間は変わるといいますが、わたしもこれから古本を買うとき
落丁に注意するようになるのでしょう。落丁を人生で一度も経験せぬものは幸いである。

で、落丁部分を抜かして読了。といっても、この本の半分以上は「演劇入門」
と同じ内容。それなのになぜ買ったかというと「戯曲文学の限界」というのが
気になったから。その章では、まずモーリヤックの心理小説「テレーズ・デスケルゥ」
の冒頭を引用することからはじまる。つぎに戯曲ではどうしてもできないことを
説明する段になって……落丁なんだから。その先が気になって仕方がない。

この本から福田さんの言葉を引用してもいい?
「わたしはあらゆる論争において、ヒステリー症状など呈したことはない。
いつも論争のときは気軽に『にやにや』しながら書いてをります。
論争は私にとっては気散じでありますから」
吹き出した。「にやにや」だってさ、まるで2ちゃんねらーじゃない。
わたしも「言い争い」になったときはいつも「にやにや」しながら書き込んでいるけど。

ところで落丁本って古本屋のチェックミスだよね? 
着払いで送ったら返金してもらえるはず。
どうしようか迷っている。たった300円で買ったんだけど。
雑談になるとあれだから質問スレで聞いてみます。

102: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:29
04/03/26 12:12
「観客席から・芸術エッセイ」(遠藤周作/番町書房)絶版
→こんな本があったとは! 遠藤周作の演劇論・映画論。論というほどでもないかな。
驚いたのは、ぜんぶ福田恆存の受け売りだということ。まったく同じことを言っている。
実際、福田恆存の名前が何度もでてくる。へー、このふたりに交際があったなんて。
映画は観客の精神を麻痺させるだの、演劇は観客が作るものだの、福田恆存とおんなじ。
たださすがカトリック作家だなと思ったことは、悲劇と聖書を比較しているところ。
福田恆存は悲劇を「葬儀」のようなものだと言っている、そのときハムレットは
生贄となることで観客はカタルシスを感じる。遠藤周作は聖書のなかのイエスも
おなじ構造のもとにあると指摘する。なるほどなと感心した。
「小説作法と戯曲作法」という章が興味深かった。「黄金の国」という戯曲を
書いたときの苦労を書いたもの(ちなみにこれは福田恆存の劇団「雲」で上演された)。
引用。「もともと私には劇とは何らかの形で、人間と人間を越えた超絶的なものとの
関係から生まれねばならぬという考えが心の底にあった」。ふーん。
さて、その「黄金の国」はどんなものだろうと読んでみる。

「黄金の国」(「遠藤周作集」大光社)絶版
→遠藤周作の代表的な戯曲。第二稿を福田恆存に見てもらったら笑いながら言われたという。
「カンシンですな」と。続けて「カンシンは感心ではなく寒心ですが」。
遠藤周作は悔しがってまた書き直したとのこと。
そんな遠藤さんの苦労の結晶をいざ読んでみると、ぜんぜんだめ。
セリフはどれも説明的過ぎるし、人物の造型もありきたり。
何より良くないのはセリフが観念的・思想的すぎること。
なんで九州の百姓が神学論を述べちゃうのよ……。小説だったらなんとか我慢できるけど。
テーマは遠藤周作の代表作「沈黙」とおなじ。キリスト教迫害時代の長崎。
踏絵のうえに足を乗せることをイエスは許すのかと悩みつづける宣教師の物語。
むかしは「沈黙」なんぞで感動したけど、いまはぜんぜん。
気持ち悪くて身震いするようになってしまったのはどうしてだろう。
資料館にある踏絵を足蹴にしたい、教会につばを吐きかけたい、そんな読後感。

103: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:30
04/03/27 10:21
「ある戦中派」「わが顔を」「平和屋さん」」(「遠藤周作集」大光社)絶版
→テレビドラマシナリオ。これを読んだひとが日本に何人いるんだろうと思うと、
なーんか優越感なわたくしは間違っているのか? ほんとうはストリンドベリの
小説を読むはずだったんだけど、あまりに濃そうなのでプチ逃亡しました。
で、シナリオ。おもしろかったです。すらすらと読めた、氏の中間小説と同様に。
遠藤周作という作家は言いたいことがあって創作をしているのだなと改めて確認。
テレビドラマでも戯曲でも小説でもエッセイでも。
評論という形でも言えることをわざわざ小説やテレビドラマにしているというのか。
たいがいの作家は「言いたいこと」がはっきりとはわからない、
だからこそ小説を書く、わからないところからどっこいしょと小説を書き始める。
だけど遠藤さんは違う。かなり頭の中でできてしまっている。
頭が良すぎると小説家にはなれないというけど、遠藤さんはぎりぎりのところかな。
実際、遠藤周作は文芸評論から文学活動をスタートしているわけだから。
そのせいかどうか、遠藤さんの小説は非常に図式的。
Aという考えがある。それとは反対のBという考え方(人物)。
このAとBを闘わせて、AでもBでもないCにすることが小説だと考えている。
……おっとテレビドラマシナリオの感想からだいぶ飛躍してしまったようです。

「親和力」」(「遠藤周作集」大光社)絶版
→戯曲。そこそこ楽しめた。これよりよっぽどひどい戯曲をいくつも読んでいるから。
内容? 男女の三角関係。男、妻、愛人。妻と愛人は同窓生。ありがちなんて言わせない!

104: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:31
04/04/02 10:18
「痴人の告白」(ストリンドベリ/山室静訳/「世界文学全集24」講談社)絶版

→ひとはなんのために小説を書くのか。
ストリンドベリはこの自伝的長編小説をただただ妻への復讐のために書いたという。
感情をなんの考慮・反省もせずに原稿用紙にたたきつけたような小説。
そのため全四部なのに、第一部だけで小説全体の半分までいってしまうという不均衡さ。
第一部は平民出身のしがない図書館職員の「私」が男爵夫人を横取りするまでを描く。
処女のようで、同時に母のような魅力をもつ男爵夫人への愛の軌跡。
第二部からは横取りした妻と結婚してからの憎しみの12年を思い返す。愛から憎へ!
「私」は妻がたくさんの男と不倫しているのでは、妻はレズでは、などと猜疑心にかられる。
やることといったらすごい。妻の手紙は無断で読むわ、盗み聞きはするわ。
それはすべて妻の不実を示す証拠を集めるためだから仕方がないと弁明する。
読者はこんな妻をもった「私」に同情してくださいと妻への憎悪をつづる。
復讐してやると妻の性器の形状まで暴露する。ストリンドベリの暴走はとまらない。
イプセンの新作戯曲が自分たちのことを書いたのではないかと疑い訴訟を起こそうとする。
ここまでくるとさすがに読者(わたし)もついていけなくなる。
ちょっと精神医学的な知識があれば、ストリンドベリが典型的な精神病患者だとわかる。
ここに書かれているのは、ストリンドベリの嫉妬妄想にすぎないではという疑いが生じる。
もしかしたら妻はまったくの無実ではと思いながら読み進むのはなんとも痛々しい……。
かわいそうな奥さん。「私」は結婚10年目に妻をはじめて殴る。その晩にエッチ。
既婚の男性諸君、妻はこうするに限るとストリンドベリは高らかに笑う。
こんなことを現代日本で書いたら女から八つ裂きにされるよストリンドベリさん。
この長編小説の最後にストリンドベリはこう言い放ち離婚する。

「これでこの物語は終わりを告げた。我が愛人よ、私は復讐した。
――これで二人はあいこだよ。―― 一八八七年九月〜一八八八年三月」。

驚くべきは、ストリンドベリがこの小説を(少なくとも)生前に発表
するつもりはなかったこと。それなのに半年もかけてこんなものを……絶句。
いやあ、文学ってすごいですねえ怖いですねえキチガイって。
この小説からの引用。「余は彼女を愛すればこそ憎む」。
とすればこれはかつてないほど壮大な愛の記録とも読めるわけである。
ここまで愛されたストリンドベリ元夫人は幸福だったのか不幸だったのか。
ストリンドベリ没後の研究の結果、元夫人は潔癖な人間であったことが証明されている。

105: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:33
04/04/05 05:51
「ペール・ギュント」(イプセン/毛利三弥訳/「世界文学全集24」講談社)絶版
→読書には二種類ある。
ひとつは名作とされているから、教養として、といった世間的な評価におもねってする読書。
もうひとつは、ただ単に自分が読みたいからというごくふつうの読書。
どちらが良いともいえない。というのも、なかばいやいや読んだ名作が予想外に
おもしろいことがあれば(「オイディプス王」「かもめ」)、世評がなんだと
無名の作品を読んでやっぱりつまらないんだなぁとがっかりすることもあるのだから。
今回、この戯曲を読んだのは前者の理由からです。
「現代演劇101物語」(新書館)という本を参考にして。
この本はギリシア悲劇からシェパードまで、演劇史上の代表作を101個選択して
コンパクトにまとめたものでたいへん役に立っている。
「ペール・ギュント」もこの本で取り上げられていたというのが読んだ理由。
感想。つまらない。わけわからん。解説によると、ノルウェイの民話が下敷きに
あるそうで、他国人には理解しにくいらしい。「人形の家」のような社会劇ではなく、
夢想劇というのでしょうか、夢の中を舞台化したような、そんなぼんやりとした戯曲でした。

「ヴァニティーズ」(ジャック・ハイフナー/青井陽治訳/劇書房)品切れ
→戯曲。アメリカ産。初演は1976年。これを読んだ理由は単純、泣きたかったから。
作者もタイトルも知らなかったけれども、裏表紙の解説を読むといかにもおもしろそう。
登場人物は女三人のみ(読みやすい!)。三場の劇。第一場はハイスクール卒業直前。
第二場はカレッジ卒業直前。第三場はそれから6年後。設定がうまいなと感心した。
青春の光と影みたいで、こりゃ泣けるぞとわくわくしながら読み始める。
……つまらなかった最後まで。なんでだろう。この設定だったらもっとおもしろく
できそうなもんだけどな。三者三様の女の生き方といわれてもね、感動したいんだからわたしは。
アメリカでは当時、大ヒットしたらしい。日本でも何度も上演されているみたいです。

「ウィングス」(アーサー・L・コピット/額田やえ子訳/劇書房)品切れ
→戯曲。アメリカ産。初演は1978年。わたし、がちがちの古典主義者みたいに
某スレで言われたけど、そんなこともないような気が……。ま、いいけど。
読んだ理由? ブックオフで百円だったから(書き込みあり)。おっと、それは
買った理由か。とすると読んだ理由は、うーん、なんとなく。劇書房つながりかも(w
内容は「障害者もの」。概して障害者ネタはつまらない。というのも、ドラマの
おもしろさは人物と人物の葛藤から生まれるものなのに、障害者ものは人物と
その身体障害の葛藤に焦点を当てようとするから。
ところがこの戯曲は、と言えたらば良かったけど、「ところが」ではなく「やっぱり」。
やっぱりつまらなかったこの戯曲も。えーと、今回の主人公が乗り越えるべき障害は
言語障害。脳卒中とかの後遺症。最後には少し良くなる、そりゃ良かったね!
父親がそうなったという実体験があったらしい。だからといって同情はしない。
そういうものじゃない。

106: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:36
04/04/05 06:42
「娼婦がテニスをしにきた日」
(アーサー・コープイット/斉藤皆子訳/「今日の英米演劇4」白水社)絶版
→戯曲。アメリカ産。初演は1964年。読んだ理由は作者つながり(表記は違うけど)。
一幕劇。高級テニスクラブになぜか娼婦が18人もきて無断でプレイをはじめた。
きちんとしたテニスウェアなのはいい。しかし問題なのは下にパンツをはいてないこと!
このことに困惑したしたテニスクラブ経営陣が繰り広げるどたばた喜劇。
最後までなぜ娼婦たちがこんなことをしているかの説明はない。だから不条理劇なのかな。
なんかおもしろいの。どことはいえないけど。何回か吹き出してしまった。

「タイピスト」「虎」
(マレー・シスガル/鳴海四郎訳/「今日の英米演劇4」白水社)絶版
→戯曲。アメリカ産。初演は1965年。いやはや、アメリカという国はすごいね。
ぜんぜん期待もせずにただの時間つぶしに読んだのがこんなにおもしろいとは。
どちらも登場人物はふたりだけなので演劇学校の練習などによく使われるらしい。
「今日の英米演劇」はこの巻しか持っていないけどぜんぶほしくなってしまった。

「思想の達し得る限り(原名 メトセラ時代に帰れ)」
(バァナァド・ショウ/相良徳三訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。読み終えた自分をほめてやりたいほど退屈でしかも長い。
ゲーテの「ファウスト」に肉迫するつまらなさといったらわかってもらえる?
さらに「六箇敷い」を「むつかしい」とルビなしで読まなければならない鬼の旧仮名・旧字体。
昭和6年の翻訳で思いっきり直訳。中学生が訳したのかと思うほど稚拙な翻訳文。
意地ですよ意地、読み通したのは!
全五部。第一部はアダムとイブがでてくる。徐々に年代が上がっていき、
第五部ではなんと西暦31930年。しっかり数字を数えてくださいよ。
内容もおよそ戯曲らしくない。でてくるひとがみなさんよく話すこと。
生命について、宗教について、科学について、よくもまあペラペラと。
物語のスタートはもし人間が300年生きることができたらという発想。
なんかよくわからないけど第五部では800歳の老人が登場します。
いやはや、これを読んだ後ならどんな本でもおもしろく感じられそうです。
この本、わたしは330円で買ったけど古書店では1500円なんぞつけているところがある。
ほんと本って価格と内容がつりあわないものですね……。

107: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:38
04/04/13 08:42
「踏み越えるキャメラ」(原一男/フィルムアート社)*再読
→原一男は「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」などで知られている映画監督。
副題に「わが方法、アクションドキュメンタリー」とある。原一男はいう。
表現をするとは何か。私たちが生きている日常。この日常というのは監獄のようなもので、
常に私たちを縛りつける、不自由にする。表現とはそこから解放されたい、
自由になりたいという欲望に他ならない。だからキャメラをもったと原一男はいう。
キャメラをまわす。すると日常が変質する。ひとはキャメラのまえで演技をするからである。
かっこよく見られたいという思いはもちろん。お墓のまえでは泣き、不正には怒る。
ふだんはなあなあで済ませていたものに真っ向から向き合うことをキャメラから求められる。
だれにだって「かくありたい」という自分がある。キャメラがその欲望を刺激するわけである。
したがってかれはキャメラがなかったらできないようなことまでやってしまう。
すると劇的なシーンが生まれる、それを原一男は撮りたいのである。
過激なものを、劇的なものを、なまの人間の葛藤を原一男は撮りたいのである。
表現は社会に向ける刃(やいば)と考えればこそである。
そのときキャメラは武器となる――。

この本を読んだのは何回目だろう。赤線や書き込みがたくさんある。
表現におけるわたしのお師匠さん(というのか?)は原一男さんかもしれない。
といってもむかし数日間の映画セミナーのようなものに参加しただけなんだけれども。
アジテーションがうまいんだ、このおっさん。こんなことを言っていたな。
もやもやした思い、あるだろう、それをすっとさせるために表現をするんだ。
自殺したい、ひとを殺したい、そういうネガティブな思いが表現を生み出すんだ。
で、キャメラを持とう町へ出ようとアジる(w
だけどさ、うーん、確かに原一男さんの方法がすごいのは認めるし敬服もするけど、
おんなじことをやってもつまらない、コピーになってしまうと思うわけ。
じゃあ、何をおまえはやっているんだと聞かれたら自己嫌悪を吐露するしかない……。

108: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:39
04/04/13 09:27
「ドキュメント ゆきゆきて、神軍」(原一男/教養文庫)*再読
→同名映画の制作ノートと採録シナリオ。
これを読んだら映画が何倍もおもしろくなると思う。
えーと、「ゆきゆきて、神軍」という映画の主人公は奥崎謙三。
奥崎謙三は戦争中、自らもいたニューギニアでの不法な部下の処刑、人肉食を追求する。
映画のラストには奥崎謙三が元・上官の息子に発砲して重傷を負わせたという新聞記事。
わたしが原一男さんから影響を受けたのは二点。
まず、ひとつの表現をしようと思ったら10年かけるつもりでやるということ。
もうひとつは、表現をするためなら何をやってもいいということ。
この「ゆきゆきて、神軍」は撮影をはじめてから完成するまで5年だってさ。
それと、あともうひとつ。この映画の撮影中に奥崎謙三から元・上官を殺すシーンを
撮ってもらえないかと原一男は頼まれたという。即答はできなかったらしいけど、
それからずっと撮るべきか悩みつづける原一男さん……おいおい!
もっとやばいのはこう述懐する原一男。
「奥崎さんもアホだよな。オレに撮らせたかったら、オレに話なんかしないで、
現場へ行っていきなり殺っちゃえばいいんだよ。そうすりゃあオレは、結果として
無我夢中で撮ってしまうと思うよ」(55ページ)。


「全身小説家」(原一男/キネマ旬報社)*再読
→同名映画の制作ノートと採録シナリオ。
この映画の主人公は文学者・井上光晴。ガンで死ぬまでを描く。
あといかに経歴が虚偽だったかを入念なインタビューで暴いたり。
関係者でこの映画を見て愉快な気分になったものはいないのでは……。
最後の撮影なんて修羅場だったろうと想像できる。
原さんとしては、死をまえにした井上光晴の姿を撮影したい。
でも家族としては、そんな寿命を縮める映画撮影などしてほしくないのは当然。
そんな中にキャメラを持って行くんだから、並みの神経じゃできません。
いや、しかし、表現のためだったら、表現とはそういうもんだろうとつぶやく鬼才・原一男は是か非か。

109: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:40
04/04/13 09:56
「小説の書き方」(井上光晴/新潮選書)*再読
→恥ずかしいな、赤線がたくさん引いてある。
よし、恥をさらそう。どんなところに5年前のわたしは赤線を引いたのか。
「いいたいのは、(僕が)漠然と小説家を志望してそれで作家になったわけじゃない、
ということです。ぎりぎりの状況を逆転して前にすすむために、小説を書くしかなかった。
物語の原点はそこにこそ存在する。その意味をはっきりつかんでほしい」
「物語を書くというのは、自分と世の中との関係を新しく作るということです」
「つまるところ、表現とは生き方なんだな。自分の生き方を離れて、
表現の技術だけが一人立ちして歩くわけじゃない。先にも話した通り、
自らの原体験を持続して離さない。その姿勢と思想が表現になって形成されて行く」
「フィクション(虚構)の本質をひと口でいうと、現実よりも激しい物語を
作ることなんですね。事実より強い嘘を吐けるかどうか」
どれもなるほど至極のオコトバ。
ただ例として引用するご自分の小説がどれも、その、言いにくいのですが……。

「辺境」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→短編小説集。原一男の映画でだいぶまえから作者は知っていたけれども、
作品を読むのはこれがはじめて。どれもつまらない。
映画で見た作者はあれほどおもしろかったのに、作品はどうしてこんなに……。
くどい風景描写、いかにもな情緒的表現。
はいはい、たしかに文学ではございますね。ただし古き悪しき時代の。
被差別者の暗い情念。作者の売春婦への過剰な詩的ともいうべき思い込み。うんざり。
「小説の書き方」なんて本をだしているのなら、どれほどすごい小説を書くのかと思ったら。

110: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:41
04/04/19 09:45
「虚構のクレーン」(井上光晴/新潮文庫)絶版
→この小説を読んで戦争は良くないと思いました。
炭鉱で在日朝鮮人の人が差別されていたことを知り悲しくなりました。
差別はいけません。けれどもこの小説には戦争を扱っているのに明るさがありました。
戦時下でも若い人の青春のエネルギーは抑えきれないのだと楽しくなりました。
最後、「芹沢治子」さんが長崎の原爆で生死不明になるのには泣いてしまいそうになりました。
パパに連れて行ってもらった長崎の原爆資料館のことを思い出しました。
テレビを見ると今もイラクで戦争のようなことが行なわれているようですが、
すぐやめるべきだと思います。なぜ話し合うことができないのでしょう。
日本はもう絶対に戦争をしてはいけないとこの小説を読んで強く思いました。
自衛隊のことなどまだわからないことが多いけど、これから勉強していきたいです。
XX小学校3年1組 美香

「死者の時」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→なんかさ、もううんざり。
部落民や鮮人といった被差別者の苦しみを描けばそれが文学になるとでも?
あまりにも安易。舐めきっている。
そりゃ差別は良くないよ、かわいそうだね、不当な差別を受けて。
だけどさ、それを書いて、はい、文学でございー、というのはどうなの?
差別を告発する? 天皇制を問う? ずいぶん楽ちんな小説だこと(w
被差別者の嘆きや怒りを書くなんて、何も書くことがない作家志望者がまずやる手法。
たとえば部落出身の中上健次は一言も差別反対だなんて甘っちょろいことは書いていない。
あ、これがどういう小説かって?
部落民の青年が天皇万歳と特攻隊として出撃していく小説です。読みたい?

111: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:41
04/04/19 10:30
「地の群れ」(井上光晴/河出文庫)絶版
→井上光晴の代表作。舞台は長崎。この小説で目をひいたのは「ピカドン部落」。
原爆被害者がよりそって暮らす集落のこと。てっきり実在したのかと思っていたら、
解説を読むとなんとフィクションとのこと。やられた、「うそつきミッちゃん」に!
ピカドン部落の青年。全身に(原爆後遺症の)ケロイドがあり嫁のきてもない。
たまる性欲。当たり前のように部落民の少女をレイプ。このことを誰かに話したら、
おまえが部落だとばらすぞと脅しながら。さて、このことに気づいた少女の母親が、
犯人の青年をつきとめ深夜その家を訪問する。しかし青年もその家族も知らんぷり。
母親は騒ぎ立てる。集まってくるピカドン部落の住民。
こんな真夜中にインネンをつけてくるとは、やっぱエタは怖かねと家族がいう。
切れた母親は言い返す。せせら笑いながら。
あんたらピカドン部落のもんが周囲からどう思われてるのか知らんとね?
ケロイドだらけで血もとまらん。あたいらエタはまだ人間だけど、
あんたらピカドン部落のものは人間でもない、穢(けが)れきっておると!
これを聞いて怒ったピカドン部落住民の投石により母親は死ぬ。
残ったのはピカドン部落民にレイプされ母親を殺されたエタの少女――。

「明日」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→第29回青少年読書感想文全国コンクール・高校の部「課題図書」だそうです。
読書感想文ってむかし大嫌いだった。
だって感想なんて「おもしろい・つまらない」しかないじゃん。
だから感想文には決まって戦争物の小説を選んだ。「太陽の子」とか(w
とにかく戦争反対と書いていれば字数が埋まるから。
戦争反対! よーく考えよ、命は大事だよ♪ なんてさ。
教師集団もこれを「課題図書」にするとは読書感想文というものをよくわかっている。
この小説ほど感想文を書くのが楽なのはそうないのでは?
舞台は長崎、8月8日。原爆が落とされる前日の平凡な生活を描写する――。

井上光晴シーズンはこれにて終了。
忘れられた作家。読んでみたけど思い返す価値はなし。
作品よりも映画「全身小説家」で作者を楽しむべし。
それでは井上光晴さん、ご永眠ください。もう決して起こしませんから。

112: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:43
04/04/22 07:13
「これが答えだ!」(宮台真司/飛鳥新社)*再読
→宮台真司入門書。元・宮台信者なわたくし。
5年ぶりに読んだらなんとも恥ずかしい。
宮台真司は現代を「成熟社会」と定義する。
欠乏や夢を国民全員が共有できた「過渡的な近代」が終わった
=「終わりなき日常」が始まったと読者の不安を煽る。
宮台真司のすべての主張はすべてこの「成熟社会」からスタートする。
いまは有史以来特別な時代である、だから援助交際OK、だから専業主婦を廃止せよ、
だからドラッグを解禁せよ、だから人生に意味ではなく強度を求めろ、うんぬん。
でもさ、あはは、古典的な文学作品をたくさん読んでるうちに、現代もギリシア時代も
さほど変わらないような気もしちゃうわけで、相も変わらず人間は愛して憎んで
喜んで悲しんで自殺して他殺してということに気づくと、まあ、宮台真司が笑える。
宮台真司の決定的な特徴をひとつあげよといわれたら、まったく文学を読んでいないこと!
いままでの論者ってバカにするにせよなんにせよ、いちおう文学というものを
念頭においていた。でも宮台真司は最初から文学作品に価値など見出していない。
ここが宮台真司の長所でも短所でもある。
で、わたくし。信者ではなくなったけど宮台真司が嫌いになったわけではない。
煽り方がうまいなと感心する。あと造語能力は天才レベル。
現代の寺山修司とまで言ったら言い過ぎかもしれないけれども。
かれの愛読者がどんどん自殺しているという。
若者をがけっぷちに追い詰め背中を押す男・宮台真司にはこれからも注目したい。

113: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 08:44
04/04/22 07:47
「ウォーク・ドント・ラン」(村上龍 vs 村上春樹/講談社)絶版
→村上龍27歳、村上春樹30歳のときの対談本。
復刊ドットコムで復刊希望が出されるも作者が復刊をこばんだという伝説あり。
これを読んだらその理由がわかる、消したいよねこれは過去の汚点だから。
読書量&人生経験を身長にたとえたら、まわりがみんな背が高い(文壇!)なかで
チビのふたりが必死になって背を高く見せようとしている、そんな対談。
気のきいたことを言おう言おうとどちらも汗がでまくりなのがよくわかる。
僕、文芸誌なんて読んだことないです、僕もですその感性わかります……。
ふたりの話はまったくかみあわない。
どっちかが何かを言う、「それわかります」と引き取り、別の話をはじめるというループ。
この本をぜひ「13歳のハローワーク」「海辺のカフカ」を手にしている中学生やOLに読ませたい。
対談のはじめは「田舎者コンプレックス」の告白(龍も春樹も!)。
読みながら「痛いなぁ」と赤面したり吹き出したりもうたいへんなトンデモ本。
内容を一部紹介。龍、僕小説を書けなくなったら貯めた印税があるから
ハワイで気楽にサーファー屋でもやろうかと思っているんです。
いまはアルマーニを着て美食をあさる龍、僕ククレカレー毎日食べています、
女房が食事を作ってくれないから、でもククレカレーおいしいです、僕中産階級だから。
春樹、僕頭を下げるのって大嫌いなんです、だから作家になったのかもしれません。
春樹、誰とでも寝る女の子が大好きなんです、横にいると癒されるから。
これ以外にも笑えるところは数知れず、読むべき、龍や春樹の実像がよくわかるから。
読了して思ったこと。人間ってふしぎな生き物。
こんなありふれた兄(あん)ちゃん二人も、本が売れてまわりから天才扱いされると、
ちゃんとそれに見合った演技をできるようになるんだなぁ……。
ブックオフ百円本。二冊持っているから誰かにプレゼントしたい。

114: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:45
04/05/01 08:56
「三省堂百科シリーズ8演劇」(河竹繁俊/三省堂)絶版
→昭和30年出版、定価百円。50年近くまえの本なんだねこれ、百円で買ったけど。
大学生のころなんかはさ、一冊でも本を読むと(新書レベルでも)知らないことばかりで、
自分がたいそう賢くなったような気がしたものだけど、最近はぜんぜん。
さらーっと読んで、ぽいって感じ。だけどこの本、悪くないよ。
実にわかりやすい言葉で日本と西洋の演劇について教えてくれる。
特に日本の演劇について書かれたものがためになった。古臭いのはご愛嬌。
私たちは国家や社会、家族のためになる演劇を愛し、よりよき文化人になりましょう!

「演出のすすめ方」(野田雄司/青雲書房)
→演劇人ってバカだなぁと、これを読んでしみじみ思う。
演劇人の特徴。1、本を読んでいない。2、世界におけるわが演劇など肥大しがちな思考法。
3、演劇が社会のためになると信じている。4、貧乏を自慢する。5、自分が大好きである。
この本は最低。やたら本を読めとすすめるのだけど、そのすすめる本がどれも香ばしい……。
あ、こいつろくな本を読んでいないとわかってしまう。
そのくせ生意気に木下順二先生の悪口をいったり。おまえなんか足元にも及ばないのに。
立腹しつつ90分で読了するは188ページ。ブックオフ百円本だから許してやろう。

「演出のしかた」(倉橋健/晩成書房)*再読
→久しぶりに演劇を観にいくことになってので、予習というのかなんというのか。
この本はいい。タイトルはああだけれども、演劇の楽しみ方の本としても読める。
倉橋健さん、早稲田の教授だったんだよね文学部。いちど講義を聴いてみたかった。

115: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:46
04/05/01 09:46
「ピグマリオン」(バーナード・ショー/倉橋健訳/白水社)絶版*再読
→最初に読んだときの感想を読み返すと大絶賛している。
で、再読してみたんだけど、まあ、かなり笑えるんだけど、うーん。
人生の一冊とかにするには今一歩、力強さがないというのか。
ショーの作品の中でこれがいちばんおもしろいことには変わりはない。
戯曲の楽しさというより、小説的な楽しさがあるような気がする。

「絞首台のユーモア」(リチャードソン/倉橋健訳/「現代世界戯曲集」河出書房)絶版
→これね昭和44年の出版なのにぴかぴか新品同様。伝票?まで入っている。
どこかのお金持ちのおじさまが書斎に飾るために買ったのかな。
読まれないままおじさまが亡くなって、遺族が売り払いそれがわたしのもとへ……。
千円で買った。でも戯曲が11個も入っているからなかなかお得かもしれない。
なんでこれを読んだかというと翻訳者つながり。
ある翻訳者が訳しているのはおもしろいものが多いという法則ってなんとなくない?
だけど、これは失敗。無名の作品はやはりつまらないのかと落胆。

「東西演劇の比較」(毛利三彌・西一祥編著/放送大学教育振興会)絶版
→放送大学教材。これはいい! こんな本が埋もれているなんて放送大学!
考えてみたら、定年後の脳細胞が半分くらい壊死したご老人用に書いているのだから、
わかりやすいのも道理か。あとワイドショーに脳みそをふやふやにされた主婦とか。
まず日本の演劇の歴史。つぎに西洋演劇史。最後に比較。どれも実にわかりやすい。
知りたかったことがどれも解決した。日本の演劇はどこから起こったのか。
ギリシア・ローマ時代のあとシェイクスピアまでなぜ1500年近く演劇は沈黙していたのか。
その間にどのような演劇があったのか。などなど。
こんな良書がごく限られたひとにしか読まれていないのは残念というほかない。

116: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:48
04/05/01 10:58
【おまけ】1分でわかる日本古典演劇史♪

西洋の演劇が「ドラマ」(戯曲=言葉)中心であったのに対して、
日本の演劇は「プレイ」(上演=役者=動き)を重視する傾向が古来ある。
西洋演劇史が前時代の演劇の否定から連綿と形成されているのとは対照的に、
日本の演劇はつねに前時代の演劇の影響のもとに新しい演劇が生まれている。
日本における演劇のはじめは、岩戸に隠れてしまったいじけ虫のアマテラスオオミカミを
おびきだすために行なわれたアメノウズメノミコトのストリップショーである。
さて、日本の四大古典劇といえば舞楽、能楽(能+狂言)、人形浄瑠璃、歌舞伎である。
1)舞楽は大和時代に大陸から伝わった歌と踊りで、貴族からもてはやされた。
2)能は室町時代に武家から保護を受けた。猿楽(物真似芸)から発展したもので、
ここにして戯曲文学が誕生したと言われる。能は「幽玄」な歌舞を目指した。
世阿弥の「花伝書」は役者の心がけを書いたもので有名(役者中心の日本!)。
狂言は能と同時に上演されることが多い。
歌舞中心の能に対し、狂言はせりふと動きの寸劇である。
3)浄瑠璃は江戸時代に成立した。根にあるのは琵琶法師の「平家物語」か。
つまり語りものである。三味線の渡来とともに発達した。
これ(語り+音楽)に人形による動きをつけてみたものが人形浄瑠璃。
町民に人気を博した。語り手として竹本義太夫、作者として近松門左衛門が有名。
ここにしてはじめて劇作家と役者が分離したといえる(能は未分離)。
4)歌舞伎は人形浄瑠璃と同様、江戸時代に町民から支持された。
歌舞伎の始まりは出雲の「お国」という巫女(みこ)が京都でやった念仏踊り。
「歌舞伎」=「かぶく」とは変わっているという意味。変なもの見たさが始まり。
風紀を乱すとの理由で女集団による歌舞伎は政府に禁止された=「女方」の誕生。
鶴屋南北、河竹黙阿弥といった劇作家が有名。
人形浄瑠璃が衰退していった一方で、人形浄瑠璃から長所を盗んだ歌舞伎は
江戸時代を通して人気があった。明治には天覧劇(陛下来場!)も開かれ地位が向上した。
1〜4の演劇はどれも消えることなく、変化はしているものの伝統演劇として残っている。
この続きは>>54

117: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:50
04/05/06 13:33
「世界演劇史」(ロベール・ピニャール/岩瀬孝訳/白水社文庫クセジュ)
→著者はフランス人=どこかでフランス演劇がいちばんと思っているふしがある。
今現在、書店でふつうに買えるまともな演劇史の本はこれくらい。
もはや古典といってもいいくらい何度も版を重ねている。
読もう読もうと思いながらも、文字が小さくてぎっしりつまっっているのがいやで
ずっと敬遠していた。いざ読んでみるとなかなかの良書。
よくもまあ、これだけの薄い本にあれだけの内容を詰め込んだなと驚くくらい。
もっとも入門書ではない。あらかじめ名作とされる戯曲を(わたしのようにエッヘン)
読んでいないとまるっきりついていけないはず。そこが放送大学用教材とのちがい。
ハッ。と目を見開かされたのは、エリザベス朝時代の観客はシェイクスピアも
ボクシングもおなじような欲望から見にきていたという記述。
相手をパンチでKOするのにスカッとするのと、役者が名セリフをバシッと決めるのとの相似性。
わたしは格闘技(プロレスふくむ)を好きなように演劇を好きなのだと気づかされる。

「演劇の歴史」(フィリス・ハートノル/白川宣力・石川敏男訳/朝日出版社)絶版
→著者はイギリス人=どこかでシェイクスピアがいちばんと思っているふしがある。
上に感想を書いた「世界演劇史」がドラマ(戯曲=劇作家=言葉)中心に論じていたのに比して、
こちらはプレイ(上演=役者=動き)の歴史をギリシア悲劇から現代演劇まで教えてくれます。
舞台や役者の写真が盛りだくさん。だけど、ごめんなさい、わたし興味ないんです。
いやね、古今東西の美男美女をこれでもかと見せつけられてもね……。
それに外人さんの名前は覚えにくいから。
この本の長所は内容ではなく「付録」にある。
終戦後からこの本の出版された昭和56年までに国内で刊行された海外戯曲が
翻訳者名とともにリスト化されている。
この本を古本市で買ったのが二ヶ月前。それからこのリストにどれだけお世話になったか。
まあ、わたしにとっちゃ内容のほうが「おまけ」みたいなもんです。
それと白川宣力! 石川敏男もだ! 訳が変だぞ、日本語として読めない!

「回想の文学座」(北見治一/中公新書)絶版
→著者は文学座(日本の劇団)に所属していた俳優さん。
福田恆存の演劇活動を知りたいなぁという理由で読む。
読後、演劇人はどいつもこいつもオオバカヤローだと確信するにいたる。
わたしから言わせりゃ役者なんて肉体労働者。ドカタとなんら変わりはないわけ。
なのにどーしてみなさんいっぱしに芸術家づらをなさるのか。
役者は個性なんていらない人形。
劇作家が書いたとおりにしゃべって、演出家の指示どおりに動けばいいの!
北見治一さんよ。きみごときに福田恆存や三島由紀夫を語れるとお思いか?
こともあろうかきみは両者とも揶揄しておられるが……。
でも内容の70%はつまらぬ自分史。安っぽい感傷に終始する。
著者は35歳まで親に食べさせてもらっていたらしい。

118: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:52
【おまけ】3分でわかる西洋演劇史♪

演劇の起源は宗教的な儀式・祭礼にある。
つまり演劇とは、人間の神(=運命・偶然)への働きかけからスタートしたのである。
雨が降らない、獲物がとれないときには神に祈るダンスを、
あるいは春、豊作に恵まれたら神への感謝を歌と踊りで示す。
仲間が死んだときには嘆き、新しい子が誕生したときには寿(ことほ)ぐ。
すべてを支配するもの=神へ人間がささげるものとして演劇は2500年前に始まる。

1)<神 vs 人間>
アテネ国家の成立すると、この宗教的な祭儀を国家が中心になって行なうようになる。
ギリシア悲劇の誕生である。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスが知られている。
どの作品も神話から題材が取られている。神々に翻弄される人間のすがたを描くものが多い。
ギリシア悲劇が衰退すると、喜劇が盛んになる。アリストパネスが喜劇の祖である。
アリストパネス喜劇は権力あるもの(国家や悲劇詩人)を批評・風刺するところに特徴がある。
中心がギリシアからローマに移ると、ギリシア劇から影響を受けたローマ劇が生まれる。
このローマ劇も衰退すると、それからルネサンスまでの1000年あまり演劇は沈黙する。
中世の暗黒時代である。キリスト教の教会は演劇の上演を禁止した。
この間、プロパガンダ(宣伝)的な聖史劇、奇跡劇、道徳劇が教会の管理下で行なわれた。

2)<人間 vs 人間(→神)>
15世紀にイタリアでコメディア・デラルテ(即興仮面喜劇)が流行する。
16世紀はご存知、シェイクスピアがさっそうと登場し、これまでの演劇の沈黙を破る。
イギリスのエリザベス朝時代はシェイクスピアのみならず、数多くの傑出した劇作家を生み出した。
シェイクスピアは(現実社会ではなく)歴史書や昔話から生き生きとした劇中人物を創造した。
かれの手によるハムレットやマクベスは絶対的な神の下、悩み葛藤し行動して死んでいく。
同時期、スペインではカルデロンが活躍した。
シェイクスピアから遅れること50年(宗教戦争のため)、フランスでも演劇の熱が高まる。
コルネイユ、モリエール、ラシーヌの時代である。
三人ともギリシア・ローマ劇から影響を受けている。
これら古典劇を研究する学者から「三一致の法則」が主張されたのはこの時代である。
「三一致の法則」とは、良い演劇は常に「筋」はひとつ、「時間」は一昼夜、
「場所」は一箇所でなければならないというもので、
18世紀にゲーテ、シラーなどドイツのロマン主義作家がこれを否定した。
このロマン主義の時代が終わると、演劇はいっとき衰退する。
スター中心の安易な演劇がしきりに行なわれた。

119: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:53
3)<人間 vs 人間(→社会)>
近代劇は最北のノルウェーからもたらされた。
イプセンは近代社会に生きる人間の問題を劇の中で追及した。
スウェーデンからはストリンドベリ、ロシアからはチェーホフ、
イギリスからはバーナード・ショーといっせいに演劇界のバラが開花する。
これらの劇はルネサンス時代の単純な人間賛歌とは異なり、
近代資本主義の発達にともない複雑化する社会の中で悩む人間をテーマにするものが多い。
これにシンクロしてアントワーヌがパリに「自由劇場」を創設する。
背景には舞台美術、照明、音響の発達がある。
アントワーヌは演出を重視し、演劇の(スター主義ならぬ)アンサンブル化を提唱した。
アンサンブルとは、演出家を中心として舞台にかかわるもの皆で(役者+裏方+劇作家)
ひとつの作品を生み出そうとすること。いわゆる「演出の時代」はここに端を発している。
イプセンやストリンドベリの複雑な戯曲はこのような環境の下で上演された。
アメリカではオニールが登場し、のちにウィリアムズ、ミラーが活躍する足場を作った。
ドイツの共産主義者、ブレヒトは演劇史が生んだ奇形児である。
ブレヒトはこれまでの演劇を全否定し、観客を陶酔させない
=社会を変革するための政治劇を発表するなど、独自の演劇論を展開した。

4)<人間 vs ????)>
第二次大戦(原子爆弾、アウシュヴィッツ)後、新しい演劇がパリで上演された。
ベケット「ゴドーを待ちながら」である。
無意味な会話のやりとりは人間の底に潜む不条理性を描いていると絶賛された。
ベケット、イヨネスコを創始者とする不条理演劇は世界各地に広まった。
フランスのジュネ、イギリスのピンター、アメリカのオールビーらである。
日本でも別役実が影響を受けている。

さて、ドラマとは人間の葛藤である。
1)まず人間は神(絶対)と折り合いをつけることから演劇活動をはじめた。
2)シェイクスピアは神の下で葛藤する人間を詩的に描き出した。
3)近代劇は神から離れつつある人間の問題を葛藤として提出した。
4)自分がどこにいるのか、何と向き合っているかわからなくなった現代人は
不条理演劇に喝采をあげた。問題はここにある。
ここに演劇史上初めて劇中にドラマ(葛藤)がなくなってしまったのである。
演劇は自然をうつす鏡とハムレットに言わせたのはシェイクスピアである。
不条理演劇に氾濫する意味を失った言葉と目的をもたないこっけいな動作は
どんなわれわれの現実をうつしているというのだろうか?

120: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:54
04/05/11 09:11
「水辺のゆりかご」(柳美里/角川書店)*再読
→大学生のときに最初にこれを読んで尋常ならぬ衝撃を受けて以来、
何度わたしはこの本を読み返したのだろう。
文学部だったせいか文学を学問対象(古臭い・難しい)としか思えなかった
当時のわたしにこの「水辺のゆりかご」がはたした役割は大きい。
それからずっと柳美里の小説、エッセイは読みつづけているけどこれが最高傑作だと思う。
なんでこんなにきれいな言葉が書けるのだろうと嫉妬すらしてしまう。
柳美里はいまいちばん気になる作家である。

「魚の祭」(柳美里/角川文庫)*再読
→柳美里の戯曲がふたつ収録されている。「魚の祭」と「静物画」。
戯曲を読みなれたいまだったらこのおもしろさがわかるかもと6年ぶりに再読。
だめだなやっぱ両方とも。なんでこんなものが上演できるのだろう。
だれかつまらないよと教えてあげないのだろうか。役者さんでも演出家でも。
演劇人はわたしとはちがう思考回路をしているのだろうか。
お金を払ってこんなものを見せられたら帰りに作者を殴りつけたくなるなわたし。

「私語辞典」(柳美里/角川文庫)*再読
→柳美里がエッセイに書く不幸な物語というのはおそらく9割は虚構(ウソ)。
よくもこんな現実よりも強い虚構を作り出せるものだと怖くなる。才能に畏怖する。
そして笑える。柳美里のエッセイほど笑えるものはない。またまた柳さんたらーと。
柳美里の物語を読んで同情するのは小説家というものを知らないからである。
笑え柳美里を。柳美里は笑える作家である。

「魚が見た夢」(柳美里/新潮文庫)
→エッセイ集。ふと本屋に寄ったらこんなものが文庫ででていたのね。
ついでだからと購入した。柳美里のエッセイほどおもしろいものはない。
柳美里の小説はだめ。学歴(高校中退)のせいか、文学をとんでもなく壮大な
ものと考えてしまい、文章が大仰で読みにくい。
その点、エッセイは肩肘はらずに書いているので柳美里の味がよくでている。
残酷で美しい柳美里の言葉――。小説なんて書くのをやめてエッセイに専念したらいいのに。

121: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 16:55
04/05/11 09:45
「ユビュ王」(アルフレッド・ジャリ/窪田般彌訳/白水社「現代世界演劇11」)絶版
→あるスレでジャリくらい読めとたたかれたのでそれからすぐ読みました(w
「ユビュ王」は有名らしい。ここから現代演劇が始まったと言われている。
不条理演劇の祖をベケットではなくこの「ユビュ王」だとする演劇論を読んだこともある。
新しいとされた(現代劇の開祖!)理由は、近代劇を否定したことにある。
たとえばイプセン(近代劇)なんかはまじめで詩的で美しい劇を書いたわけ。
でもこの「ユビュ王」ではきれいな言葉は使われない、うんことかまんことかばっか。
ストーリーもシェイクスピアの「マクベス」をパロディーにしたもの。
ぜんぜんリアルじゃなくて、おまえらまじめにやれと野次りたくなるくらいいいかげん。
こんなものを新しいと絶賛するなんて人間(フランス人)はバカだねー。
いまだに前衛劇のはしりだとか絶賛するひともいるんだから人間は大バカだ。

「椅子」(イヨネスコ/大久保輝臣訳/「現代世界戯曲集」河出書房)絶版
→同様にイヨネスコくらい読めとたたかれたので……。
不条理演劇。登場するのは老夫婦。だんなさんが世界を救う方法を見つけたとのこと。
それを発表するからと住んでいる孤島に客を呼ぶ。
どんどん客が来るけれどもそのすがたは見えない(が、会話はまるでいるかのように進む)。
おもしろろいと思った。へえ、こんなやりかたがあったのかと。
実際に舞台で見たらそこそこ新鮮かもしれない。まあ、その程度。
ラストはネタばれになるから書かない。うん、悪くなかった。
記憶にとどめておくくらいの価値はあるかもしれない。

122: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:00
04/05/14 11:44
「セイムタイム・ネクストイヤー」(バーナード・スレイド/青井陽治訳/劇書房)
→戯曲。アメリカ産。ウェル・メイド・プレイというやつかな。
日本でも加藤健一事務所が何度も再演している。だから期待はしていたんだけど、
うーん、小粒なんだよね。そこそこも楽しめない、「そこ」くらい、そんな感じ。
なんで現代にはストリンドベリやオニールは現れないのか。
小説で言えば、なんで現代にドストエフスキーやトルストイは現れないのか。
そんなことを漠然と思った。ストーリーは、偶然から一夜をともにした男女。
どちらも結婚しているから不倫関係になる。かれらは一年に一度会おうと約束した。
で、25年間にわたるふたりの関係を描く。暇つぶしに読むくらいならいいのかも。

「毒薬と老嬢」(ジョセフ・ケッセルリング/黒田絵美子訳/新水社)
→戯曲。アメリカ産。職人にあこがれることがある。
どーせ人生なんて退屈なものだし、生活はわずらわしく同じことの繰り返し。
どーせ何も変わらないし、自分は一生自分のままだし、こんなものこんなもの。
だったら一夜限りでいい、おなかいっぱい笑わせてやろうという職人がいる。
人生の意味なんてどうでもいい、社会変革も知ったことか、だけど笑わせてやる今晩だけは。
そういう職人魂をこの戯曲から感じる。そしてそれにあこがれる自分もいる。
これを舞台で見たら爆笑間違いなし。帰宅して、あー楽しかったとよく眠れること請け合い。
主人公は、孤独な老人を安楽死させてやるのが趣味の老姉妹。
次々に事件が起きて「ありえないって」と思っているひまもない(舞台で見たらなおさら)。
こういうのを書くひとって心底の厭世家なのかもしれないとふと思った。

123: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:00
04/05/14 12:31
「エレファント・マン」(バーナード・ポメランス/山崎正和訳/河出書房新社)絶版
→戯曲。アメリカ産。解説で山崎正和さんが大傑作とたたえていたから買ったんだけど。
生まれつき奇形の像(みたいな)人間の生涯。医者との親交や何やかんや。
モデルは実在したとのこと。読み終わってもどこがおもしろいのかさっぱり。
そこで解説を入念に読んだら、うーん、なるほどね。
このみんなから汚いものと見られている像人間を美男の俳優が素でやる、
そこにこの戯曲の眼目があるのか、ふーん。美と醜の逆転ねー。
そういえば数年前に藤原竜也がこれをやったんだってね。

「蜜の味」(シーラ・ディレーニー/小田島雄志訳/晶文社)
→戯曲。イギリス産。こじゃれたセリフのやりとりがちょっと目につく程度の戯曲。
激しい葛藤も、大立ち回りも、なーんにもなし。テーマはしいていえば母と娘の対立かな。
娼婦をしている母の再婚に悩むエリーは黒人兵士と恋愛、妊娠、振られてしまう。
出産直前に母親が離婚してエリーのもとに戻ってくる。
解説を読んでこの戯曲の注目点は作者にあることがわかる。18歳の少女が書いたとのこと。
叶恭子が同名のエッセイを幻冬舎から出しているらしい。そっちを読めばよかったかな(w

「傷心の家」(バーナード・ショー/飯島小平訳/新書館)絶版
→ご存知、バーナード・ショーの戯曲。こんなのが出ていたのね、知らなかった。
チェーホフの「三人姉妹」に影響を受けてこれが書かれたらしい。
ショーの戯曲を読んでいつも思うのは「あとちょっと」というようなもったいなさ。
あとちょっとでおもしろくなるのになんでしないんだろうというやりきれなさ。
皮肉屋で人間の描写がとてもおもしろい、なのになんで思想を語らせてしまう?
このへんちくりんな思想がなければさぞ上質な喜劇になったと思うんだけど……。
「人間をバカにする」から戯曲創作までの手順には見習うべきことが多いのは事実。

124: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:02
04/05/17 10:14
「作者を探す六人の登場人物」(ピランデッロ/岩崎純孝訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。イタリア産。タイトルを見たらわかると思うけど演劇論を内包した戯曲。
ドラマという言葉のギリシア語的起源は「なされたこと」という意味。
だから史劇というのは、本来のドラマの意味に忠実なことになる。
そんな堅苦しいことを言わなくても、テレビドラマでも再現ドラマというのはよくあるでしょ?
夫が交通事故でカタワになった妻の愛情の記録とかw北朝鮮よ娘を返せとかw。
ドラマというのは本来がそういったものである、ここまではいいかな。
んで、この戯曲の新しい(面白いところ)は、「事件」と「芝居」の間隙を突いているところ。
幕が開くと役者が演出家のもと新作の舞台稽古をしている。
そこに登場するのが「作者を探す六人の登場人物」=「ある不幸な家族」。
かれらは自分たちの物語を芝居でやってくれませんかと演出家に頼む。
演出家は承諾する。かれらの物語がおもしろかったからである。
だが、問題が生じる。かれらが再現する事件と、役者が演技する芝居が食い違うのである。
知的な意味で非常に興味深い戯曲。だけど、あはは、あんま知的じゃないからなわたし……。

「南京虫」(マヤコフスキー/小笠原豊樹訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。ロシア産。喜劇です喜劇、大笑いしましょうぜ、がはははは。
というのもね、いまのロシア人なんて南京虫とおなじなんですから。
ここにロシア人がいます、20世紀のはじめ、もう共産主義がスタートしています。
若い男です、おめでてーことに本日結婚します。
だけどあたしらロシア人というのはどうもまぬけで酔っ払って火災がおきちまいました。
彼以外はみーんなお陀仏、ひとり彼だけは生きたまま氷の下で冷凍保存されました。
50年が経過。ときの共産党政府は発見されたかの冷凍保存男を解凍することに!
めでたく彼は一匹の南京虫とともによみがえりました。
ところがたいへん、この男は酒は飲むは、淫猥に歌はうたうわで。
50年後の進化した共産主義社会ではだれも酒なんか飲まないというのに。
そこで男は南京虫とともにオリに入れられ動物園へ。
まえの立看板にはこう書かれていたそうです。危険、近寄るな!
さあ、笑ってください。上演当時はロシアで大人気だったそうですから。
だめ。もっと大声で。手もたたいて。よし、わたしが見本を。
あー、おもしろい、あははあはは、ぱちぱち拍手、ぱちぱちあはは、ウラーウラー!

125: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:03
04/05/17 10:57
「リリオム」(モルナール/徳永康元訳/岩波文庫)品切
→戯曲。ハンガリー産。ひさびさにおもしろい戯曲に出会った。
わたしバカだから、こういうのが好きなんだよね、難しいのはだめ。
音楽は中島みゆき。主役のリリオムは柴田恭平しかいないっしょ(若い頃のね)。
この配役からもわかるように、驚くくらいこの戯曲は日本の大衆娯楽映画っぽい。
チンピラやくざの柴田恭平。だめと知りつつほれてしまうのは田舎から上京してきた娘さん。
ふたりは結婚する、ああ、美しき純愛よ。
だけど柴田恭平はまじめに働くことなどせず、妻につい手をあげてしまう毎日。
おれはね、かたぎじゃないの、大物だから、いつかでっかいことを……そんな口癖。
妻の妊娠を知った柴田恭平は喜ぶ。ここらで、一発、どかんと。
悪友にすすめられて銀行強盗を企てる柴田恭平だが――(予告編終わり)。

「西国の伊達男」(シング/山本修二訳/岩波文庫)品切
→戯曲。アイルランド産。訳は古いけど、おもしろいんだなぁ。
これも偶然、主役は柴田恭平できまり。伊達男で軽薄そうで笑顔が甘くて(w
田舎町の酒場にふらりと立ち寄った柴田恭平、町の女は大騒ぎ。
聞くと柴田恭平は父親を殺してきたというじゃないか、うーん、影があって最高。
町一番のいい女(若い頃の倍賞美津子)もこの放浪の殺人者にベタぼれ。
だけど、実は柴田恭平は逃げてきた故郷の町ではまったくのダメ男。
女から相手にされたこともない。柴田恭平、うーん、口八丁手八丁の男。
そしてそして、なんと実は死んでいなかった彼の父親が息子を探しにやってくる――(予告編終わり)。
上の「リリオム」もそうだけど、ちょっと設定を変えれば現代でも通用する。
そこが古典の魅力なのだと思う。たとえばこの「西国の伊達男」だったら。
舞台は公立中学校。転校生がやってくる。うわさではまえの学校で傷害事件を起こしたとか。
クラスの女子は大騒ぎ。いじめられっ子だった転校生が一転、新しい学校ではモテモテに。
ところがいとこがまえの学校にいるというクラスメイトが現れ――。なんてね。

126: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:04
04/05/17 11:38
「ケペニックの大尉」(ツックマイヤー/杉山誠訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。ドイツ産。これが入っている筑摩書房世界文学大系90「近代劇集」。
古本屋前のワゴンでよくお見かけするあれです。
これまでもよく登場したけど、すごいんだこれ。活字が三段組み、わかるかなぁ。
ページにずらっと文字ばかり。そのおかげでページを食う戯曲を9つも
一冊の本に入れられたんだろうけど、うーん、とっても読みにくい、目が痛くなる。
これを読了したのは日本でわたしとあと何人くらいいるんだろうか……。
この「近代劇集」に入っている中でいちばん無名なのが「ケペニックの大尉」。
べつに読まなくても良かったんだけど、どうもそういうのって落ち着かないから。
で、読了。国家風刺劇。前科者の乞食が大尉の軍服を着たらみんなへいこらするという。
注目点はひとつだけ。この大尉の軍服が真の主役で、着る人の変遷が筋と重なるところ。

「トロイ戦争は起こらない」(ジロドゥ/鈴木力衛他訳/筑摩書房「近代劇集」)
→戯曲。フランス産。ギリシア悲劇の変奏戯曲。
ラシーヌといい、アヌイといい、サルトルといい、
フランスの劇作家ってギリシア悲劇が好きだよね。
ギリシア神話的な知識がないとつらいかも(エッヘンわたしはあるから大丈夫)。
たとえば太平洋戦争、日米開戦直前、真珠湾攻撃はとめられたのか?
というのが、この戯曲の(いわば)普遍的なテーマになる。
個人、個人がなんとかトロイ戦争をとめようとする、さあ、どうなるか。
「トロイ戦争は起こらない」のか? 読んでのお楽しみです。
ところで映画「トロイ」が公開されるらしいけど、日本人にゃ受けないと思う。
日本でもヒットしてしまったら、日本人はほんとうにバカだという証明になる。
欧米の底に根を張るギリシア神話的世界観が日本にはまったくないんだから。

127: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:06
04/05/20 10:59
「悪口学校」(シェリダン/菅泰男訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。イギリス産。わたし戯曲は私的上演時間(この本なら二時間半)
を設定して一気に読むようにしているけど、この戯曲は一幕目でストップした。
サロンもの。つまりお金持ちのおじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんが、
愛してるだの恋してるだの嫉妬だの破産だのというふうに繰り広げる喜劇。
屏風シーンが有名とのこと。ある人が屏風の中に隠れて会話を聞いているのに、
そうとは知らないものがうっかりしたことをしゃべってしまうという――。
典型的なお客に受ける(笑わすことができる)シーンというのがいくつかある。
催笑作劇法とでもいうのか。その古典的な一方法を学んだと納得する。

「人の世は夢」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。スペイン産。人生は夢のようなものだと不遇な王子が悟り、
今まで自分を虐待してきた父親の王様と和解する物語。
学者さんだったら言いそうなことをたまには書いてみよう。
ギリシア悲劇の場合、神の予言(預言)はかならず的中する。
だが17世紀に書かれた本作では王子は暴君になるという予言はあたらない。
ここに人間の自己主張、人間性への信頼を見て取れる。
だからなに? と問われたら「べつに」と答えるしかないけれど学問なんてそんなもの(きっと)。

「サラメアの村長」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)
→退屈な戯曲。スペイン産。自分の娘を軍人にレイプされた村長(身分は農民)が
仕返しにその軍人を縛り首にするが、村長は罰せられず反対に国王から誉められる物語。
何気にレイプシーンがえろいね。どきどきした。
――というのが、学者ではないふつうの読者の読み方(w

128: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:08
04/05/25 11:26
「緑色のストッキング・未必の故意」(安部公房/新潮文庫)絶版
→戯曲。収録作品は四つ。タイトルになっている二作のほかには、
「愛の眼鏡は色ガラス」「ウエー(新どれい狩り)」。
この文庫本はどうしてもほしくてネットで買ったんだけど高かったな……。
定価520円のを980円で、送料を入れたら1300円近くもかかった悔しい。
さて、それほどの価値はあったのかと考えると、うーん。
安部公房(戯曲)の特徴は「ありえねー」状況に凡人を送り込むところにある。
そこでの凡人のリアクションを喜劇として見せる。
観客は大笑いして帰宅すると、あれっと思う。
永遠に続くように思われていた日常生活が別の相貌を帯びて見えるからである。
というのが安部公房戯曲(小説も?)の根本。
カフカ「変身」の系列上にあることはわたしが指摘するまでもない。
よってその戯曲がおもしろいかどうかは発想の巧拙にのみかかる。
卑近な例をあげると、ドラえもんの作者と作品誕生の経緯が似ている。
子供の発想。あんなこといいな、できたらいいな♪という。
結果、成功しているのは「緑色のストッキング」「ウエー(新どれい狩り)」、残り二つは失敗。
安部公房戯曲の最高傑作「人間狩り」を改作した「ウエー」には期待していたけど、
(まあ笑えるが)なんかな、元のままのほうがおもしろいのにと残念。

「反劇的人間」(安部公房とドナルド・キーン/中公新書)絶版
→対談本。対談にも良い悪いがあるのをご存知ですか。
Aがあることを言う。このAの発言に刺激されて、
Bは今まで考えてもいなかったことを言ってしまう、いわばAに言わされる。
この繰り返しで、話が思いもよらなかったところに飛ぶ。これが良い対談なわけです。
Aの発言とはまったく無関係に、以前からの主張をBが言う。
こういうふうに二冊の口語体の本を読んでいるだけの対談は悪いものの典型。
芝居と同じということになる。
うまい俳優というものは、相手のセリフをよく聞くといわれています。
さて、この「反劇的人間」は、うーん、良い戯曲にはなっていなかったですね。
そうです、良い対談とは良い戯曲と同義であーる!

129: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:09
04/05/25 12:32
「戯れに恋はすまじ」(ミュッセ/進藤誠一訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス産。ミュッセ(1810-57)はシェイクスピアから影響を受けたとのこと。
ミュッセってどんな人かと聞かれたら、そうだなうーん、大恋愛をしたせいで、
恋愛ものばかり書いていた人って感じかな。大作家じゃないよ小物、極小(w
でもまあ、おフランスものだから、好きな作家にミュッセとかあげたらちょっとセレブかも。
テーマは恋愛と嫉妬の関係。ほら、あるじゃん、好きなひとへのあてつけに
わざと好きでもないひととデートして見せつけるとか、そうあれあれ。
だけどストリンドベリの半分の迫力さえない、上品なんだなミュッセは。
内容。王子様は婚約者がつれない態度を取るので、村娘を愛しているようなふりをしました。
ほら見たことか、嫉妬にかられた婚約者と王子様は大恋愛へ。
しかし王子様の愛を本気にしていた村娘はだまされていたと知り自殺する――。
だーかーら、「戯れに恋はすまじ」! チャンチャン♪

「マリアンヌの気紛れ 他一篇」(ミュッセ/加藤道夫訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。フランス産。ほんと恋愛なんてだれが発明したのかね。
すごい大発明だよ。おかげで小説のテーマにゃ困らないし、
歌謡曲のテーマも永遠に補給されるし、何より人間の退屈な人生に潤いをもたらした!
ひとは自然に恋愛をするのではない、恋愛劇や恋愛小説があってこそなのである。
完全な恋愛というのは実生活にはない、小説や戯曲に完成品としてあるだけである。
人間にできるのはそれにあこがれ真似することだけ。
なんでこんなありふれた説をだらだら書いたのかというと、もうミュッセうざすぎ(w
とくに西洋は神への愛と人間の愛がごちゃまぜになっているからしつこいんだ。
コックさん、油を使いすぎだよってな感じ。
おまけ(他一篇)についていた「バルブリーヌ」のほうがまだ読めた。
シェイクスピア「シンベリン」と同じで、
貞節な妻が夫の留守中になびくかどうか、夫と友人が賭けをする――。

130: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:10
04/05/25 13:28
「織工」(ハウプトマン/久保栄訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。ドイツ産。ハウプトマン(1862-1946)はドイツの近代劇の創始者。
演劇史的にいうと近代劇といえばイプセン、その影響のもとにストリンドベリやら
バーナード・ショーがでてきた、そのドイツ版がこのハウプトマン。代表作がこれ。
悲惨な労働条件の中、困窮する織工たちは団結して工場主に反旗を翻す――。
だからといって決して革命賛歌の劇ではなく、暴徒となった織工たちを客観的に
(ある意味では冷徹なまでに突き放して)見る作者の視線がある。
作品としておもしろいかと聞かれたら否だけど、演劇史的観点からは興味深い。
王様の葛藤とか貴族の恋愛遊戯ではなく、ついに資本主義社会を描く戯曲が現れたのかと思うと。
薄いし、読んでおいても損はない古典。

「沈鐘」(ハウプトマン/阿部六郎訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。ドイツ産。壮絶につまらない。今年のワースト1はこれに決定。
イプセンの「ペール・ギュント」と同じで、何かの民話が下敷きになっているのでは。
まったくわからん。2時間で読み飛ばせたのは遊びに行く時間が迫っていたから。
イプセンの「ペール」もそうだけど、復刊リクエストがでているんだよね。
教えてあげたい。つまらないからおやめなさいと。

「聖火」(モーム/菅原卓訳/白水社「現代世界戯曲選集」第5巻)絶版
→戯曲。イギリス産。モーム、日本では小説家としてしか知られていないけど、
イギリス演劇史のうえではけっこう重要な役割を果たしていたりする。
だけどモームの戯曲で邦訳があるのは(調査すると)おそらく六作だけ。
そのなかの貴重な一作がこれ。昭和29年刊行。そこそこぼろぼろ。300円で購入。
買ってきた日に読んだんだけど、これがおもしろいんだなぁ〜。
久しぶりの傑作戯曲。優れた戯曲を読むと幸福な気分になる、だれにでも笑いかけたい気分。
下半身付随で寝たきりの長男が原因不明の死亡、さて犯人は母親か妻かそれとも自殺か――。
巧みなストーリー構成、どきどきさせるサスペンス、意外な落ち、豊かな人間描写。
わたしだけが知っている名作ということですな。

131: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:16
04/05/31 06:04
「深い青い海」(テレンス・ラティガン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版
→戯曲。イギリス産。福田恆存がある本でお薦めしていた戯曲。まれに見る傑作。
こんなにおもしろい戯曲が日本人にほとんど知られていないのはさみしいかぎり。
わたしのようにたくさん戯曲を読んでいても、ここまでの良品にはそうは出会えない。
さて、良い戯曲とはなにか(わたしにとって)。
まず、なによりおもしろいこと、先が気になってしかたがないような戯曲。
そしてバランス。朝がきてひとが動き出す、もっとも活動的な昼、疲れて眠りにつく夜。
たとえば「起承転結」だのといわれている、あの生命特有のリズムを持つ戯曲である。
ことが起こり、それが展開して、最後には収束(解決)するひとつの事件=芝居=戯曲。
そんな事件をわたしは目撃したいのである。
何も起こらない毎日を淡々と生きるものとして、始めも終わりもない退屈な日常にいやいやしながら。
本作品はある集合住宅(アパート)で自殺未遂者が発見されることから始まる。
彼女が自殺を試みたのは失恋が原因である。
なんとか彼女を助けようとするアパートの住民たち。はたして彼女はどうなるのか――。
こんな戯曲が読めると思うと生きているのも悪くはない気がする。

「花粉熱」(ノエル・カワード/鳴海四郎訳/白水社「現代世界戯曲選集5」)絶版
→戯曲。イギリス特有の風俗(風習)喜劇というジャンルに属する作品。
英国人は芝居に哲学など求めていない、ただ一晩の笑いがあればと出かけていく。
そんな姿勢がよくわかる作品。おかしくて、笑えて――。
奇妙な四人家族がいる。女優の母親、小説家の父親、息子に娘。
四人がそれぞれに休日に友人を招待したが、その友人たちはこのおかしな一家に翻弄される。
なんでもかんでもお芝居をはじめてしまうからである。
翌朝にこの四人の訪問者がこれはたまらんと逃げ出していくまでを描く。
見事な戯曲です。拍手ぱちぱち。

「にわとり」(ショーン・オケーシー/菅原卓訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版
→戯曲。アイルランド産。よくわからなかった、何が起こっているのか、どこがおもしろいのか。
悪魔がでてきたりするんだけど、いないっしょそんなもん(w
イギリス人はアイルランド人を差別していた(いる?)というけど、
こんなのを読まされるとアイルランド人はバカかと思ってしまう。
退屈な戯曲を読んだときのやりきれなさはなんとも言いようがない。

132: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:30
04/05/31 07:12
「花咲くチェリー」(ロバート・ボルト/木村光一訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版
→戯曲。イギリス産。ギリシア悲劇は神に近い英雄の受苦を描いた。
シェイクスピア悲劇では王や王子が大立ち回りをして死んでいった。
現代劇――。家族に見放されたセールスマンの父親がみじめにうつぶす。
アーサー・ミラー「セールスマンの死」とそっくりな戯曲。ダメ親父の物語。
いつかリンゴ農園を開くのが夢のこのダメ親父は会社をリストラされ妻からも愛想をつかされる。
じつにうまい作劇術で、観客(読者)をあきさせない。
イギリスのチェーホフと言われているとのこと。
良い戯曲を読んだなぁという、しっかりとした満腹感がある。

「すべての季節の男」(ロバート・ボルト/小田島雄志訳/河出書房「現代世界戯曲集」)絶版
→戯曲。イギリス産。古くはギリシア悲劇「アンティゴネ」から西洋にはひとつのテーマがある。
従うべきは神の法か、人の(=国の)法かという問題である。
日本には基本的にこのテーマはないんだけれども、例のオウム事件を考えるとそうでもないのかな。
麻原(=神)がサリンをまけという、日本国憲法はそれを犯罪だという、その間の葛藤。
この戯曲の舞台は、シェイクスピアが「ヘンリー8世」に書いた時代。
イギリス国王の離婚がローマ法王から認められないのでイギリス国教会を作るという――。
主人公のトマス・モア(国王の側近)は迷う。
ローマ法王(キリスト教=死後の法律)か、イギリス国王(現在の法律)か。
トマス・モアは神の法を選択して国王から処刑される。
こういうのを読むと、西洋文学への溝の深さをいやがおうにも実感させられる。
われわれ日本人は西洋文学なんてわかりっこないんじゃないかという絶望である。
命を捨ててまで従う神のいる国の文化(西洋文学)を神仏ごちゃまぜの日本人がわかるものか。
この作品は「わが命つきるとも」というタイトルで映画にもなったらしい。

133: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:31
04/05/31 08:12
「怒りをこめてふりかえれ」(ジョン・オズボーン/青木範夫訳/筑摩書房「現代劇集」)絶版
→戯曲。1956年、イギリスでこの劇が初演されたとき、すごい衝撃を与えたとのこと。
シェイクスピア登場以来の英国演劇史上の「事件」とまでのちには語られたらしい。
わたしが信頼している学者の小田島雄志さんもこの劇を絶賛している。
なんでもこの劇の主役、ジミー・ポーターは現代のハムレットであるという理由で。
だけど、うーん、わたしだけなのかな、これ決しておもしろくはないと思うんだけど。
普遍的なおもしろさ(古典的といってもよい)はないと思うんだけどな。
労働者階級出身の青年、ジミー・ポーターくんが妻に怒りまくる。
というのも、妻のアリソンさんが中流階級出身だから。
その発言、行動すべてが気に入らないというのである。
我慢できなくなった妻が実家に逃げたら、今度は妻の友人と愛人関係へ。
それでもジミー・ポーターくんの怒りは収まることがない。
最後は戻ってきた妻と仲直りして、動物園ごっこ。
ぼくは熊だぞきみはリスだ食べちゃうぞー♪ なんてラブラブなのはどうして?w
未熟で不快で退屈な戯曲だと思うけどな。
最後に演劇史的知識の確認。
オズボーンはウェスカー、ピンターらとともに「怒れる若者たち」といわれた。

「ルター」(ジョン・オズボーン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版
→戯曲。読むまえから絶対つまらないぞとなかば確信していたんだよね。
歴史上の有名人がタイトルになっている(いわゆる)評伝劇でおもしろいものを知らない。
バーナード・ショーの「聖女ジョーン」なんてその典型だけど。なんでだろう。
「神が作った劇=人間の運命→評伝劇」と「人間が作った劇」とのはざまで首をかしげる。
ルター。宗教改革かぁ。
世界史わたし高校時代ほとんど勉強しなかったからよく知らないんだ……。
免罪符の発行ねえ、堕落した教会ねえ。
だけど、ほんとキリスト教ってすごい。
二千年ものあいだ、あれだけ多くのひとをとりこにしたのだから。
あ、戯曲はやっぱりおもしろくなかったけど、読み飛ばしました、オズボーンつながりで。

134: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:31
04/06/03 09:14
「図解雑学 聖書」(関田寛雄=監修/ナツメ社)
→ナツメ社の「図解雑学シリーズ」はいいよ!
いぜんギリシア悲劇を読み始めたとき、これはギリシア神話の知識が不可欠だと悟った。
そこでほんといろいろギリシア神話入門書を読み漁ったけど、
その中でいちばんわかりやすかったのが「図解雑学 ギリシア神話」だった。
おそらく執筆者は編集者からサルにわからせるつもりで書いてくださいと頼まれているはず(w
左ページは本文で、右ページはそれを図解したもの+関連写真・絵という構成。
講義にたとえたら左ページは先生の口述、右ページは板書みたいなものかな。
この「図解雑学 聖書」でも、知る喜び、わかるという快楽を十全に味わった。
このシリーズは売れる(売れている?)と思う。

「キリスト教ハンドブック」(遠藤周作・編/三省堂)*再読
→5、6年前に遠藤周作に傾倒していたころ、キリスト教の本をたくさん読んだ。
これはそのときの一冊。あ、聖書本体はもちろん読んでいない(読めませんって)。
キリスト教か……。なんか、こう、体質に合わないんだなぁ、むかしより。
十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かって歩く男――その男は愛を説いていた――
そんな男にゃ石を投げつけてやりたいという、なんかね、こう屈折した思いがね……。
あ、この本の感想か。わかりにくい、それだけ。書いているのは遠藤周作じゃないし。

「寺院の殺人」(エリオット/高橋康也訳/白水社「現代世界演劇3」)絶版
→戯曲。イギリス産。いちおうキリスト教つながりということで。
テーマはキリスト教。またあの、国法か神の法か、というテーマ(おそらく)。
読後、良かったと胸をなでおろす。エリオット全集の戯曲の巻を買わなくて良かった〜。
どこかの古本市で1800円くらいであり、だいぶ迷った記憶がある。
訳が福田恒存だったということもあって。うん、エリオットは退屈であります。

135: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:32
04/06/05 08:18
「ソートン・ワイルダー一幕劇集」(時岡茂秀訳/劇書房)絶版
→戯曲。アメリカ産。一幕劇が5つ入っている。
有名なのは「ロング・クリスマス・ディナー」。
わずか一幕(30分!)である一家の90年もの出来事を描いてしまおうという実験作。
舞台下手は誕生の扉で、生まれるとここから出て来る。
舞台上手は死の扉で、死ぬとここから出て行く。そのあいだはクリスマス・ディナー。
下手から出たと思ったら上手に消えていくものもいる(=死産)。
生まれて死ぬ、人間はただそれだけの存在なんだと当たり前のことを改めて想起する。
ワイルダーは従来の自然主義演劇やその物語性をこういった形で否定した。
おもしろいひとである。

「結婚仲介人」(ソーントン・ワイルダー/水谷八也訳/新樹社)
→戯曲。アメリカ産。訳注がなければとほんとに思う。
ほらいるじゃん、独創性を主張したがる学者さんって。
だけど、もちろん創作の才能はない。あったら学者なんかやっていないわけだから。
すると、どうなるか。1ページに5コも6コも訳注をつけて自己アピールとあいなる。
まるで子どもが他人のおもちゃにつばをつけて、これボクのだよというみたい。
そんな幼児性をもっているのがこの戯曲の翻訳者、水谷八也。
せっかくのおもしろい戯曲を訳注でめちゃくちゃにしてしまった男、水谷八也。
都市の名前がでてきたら10行くらい使って、その特徴(外見・歴史)を書かないと気がすまない。
訳注なんて無視して読み進めばよかったんだけど、なんか気になって……。
内容は典型的なファルス(笑劇)。3組のカップルがめでたく結ばれる。
それまでには「立ち聞き」「取り違え」といったファルス固有のシーンがこれでもかとある。
観客のみなさん、ちょっとでもいいから冒険してみましょうというのがテーマ。
いつか訳注を飛ばして再読してみたい。じつにいい戯曲だから。

136: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:33
04/06/05 08:54
「サン・ルイス・レイ橋」(ワイルダー/松村逹雄訳/岩波文庫)品切れ
→小説。ワイルダーの出世作となった。
美香文学(てへっw)のテーマと密接に関係した作品。つまり人生は偶然か必然か。
1714年、ペルーで有名なサン・ルイス・レイ橋が崩壊し5人の死者をだした。
そのときある修道士は考えた。なぜ死んだのはこの5人だったのか。
世に起こることはすべて神のご慈悲である。
ならこの5人も死ななければならない理由があったはずである。
あのとき、あの場所に偶然居合わせたのには意味がなければならないということになる。
修道士は調査し一冊の書物にまとめたが教会はそれを認めず著者とともに焼き払った。
さて日本、2004年。テレビで毎日、交通事故のニュースが送られてくる。
なぜあのひとたちが? なぜわたしやあなたではなく?
ワイルダーがこの小説でどんな答えをだしたのかは読んでのお楽しみ♪
気になる? それにほんとに読んだひとがいたら怒られそう。
というのも、……答えなんて書いてないから。

引用。
「われわれには結局何もわからないのだ、神々の前には、われわれ人間は、
夏の日にいたずら小僧の手で殺されるトンボのようなものに過ぎないのだ、
という者もあれば、また反対に、スズメのようなものがその羽根一枚を
すり取られるのにさえ、そこに必ず神の御手の働いていないことはない、
という者もいる」(11ページ)
ご存知、前者はシェイクスピア「リア王」、後者は「ハムレット」から。

137: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:39
04/06/06 10:15
「日本の名随筆 別巻40 青春」(椎名誠―編/作品社)
→近所の古本屋に百円で落ちていたので、お酒を飲みながら二時間で読んだ。
至福のときだね、横にはウイスキー、開くは上質のエッセイ(アンソロジー)。
だけど、買った金額は百円だから肩の力を抜いて読める。
汚しても気にならないし、飛ばし読みをするエッセイがあってももったいなくない。
何も考えずにわたしが文章を楽しめるのはこういった時間だけである。
ほかの読書では常に緊張しているから。
何かに使えないかという盗人(ぬすっと)気分、
どうしておもしろい(つまらない)のかという分析者気質。
読むのが娯楽ではなくなっている、金鉱を見つけようとするあさましい血眼の目。
やだやだ自己嫌悪。

138: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:40
04/06/09 11:20
「インドは今日も雨だった」(蔵前仁一/講談社文庫)
→旅エッセイ。インドには一度行ったことがある。一人旅。
いろんな国の人と話せたりしておもしろかったな。
あー、もう一度行きたい、だけど一歩踏み出せない、だからかわりにエッセイを読む。
うざい自己主張も、旅なれた人特有の腐臭もない、実に手軽なエッセイだった。
ほんのわずかのあいただけインドに行ったような気分になった。
それこそこのエッセイに望んでいたもの。だから満足、満足、余は満足じゃ。

「もの食う人びと」(辺見康/角川文庫)
→ベストセラー。
いろんな国へ行って、いろんなものを食べてみようというエッセイ。
いかにも学校の先生とかが生徒に薦めそうな健康的文部省推奨的優良作品。
じつにくだらん。
たとえばアフリカのウガンダに行く。
22歳の末期エイズ患者、ナサカという女性と出会う。
そこで著者は素朴に子供のようにまっさらな気持ちでナサカに同情する。
著者の最後の一文がしゃれている。ナサカと夜道をふたりで歩く。
一面のバナナ畑と満天の星に感傷的になり、
「ナサカもいつか、土に還り、バナナになり、星を見るのだろうと私は思った」。
おいおい。気持ちの悪い文学趣味で総括ですか(w
やりきれないなこういうおっさんは。わかるかなこの気持ち悪さ……。
「他人の悲劇」を書くもの書きは細心の注意をはらってほしい。
わたしは「他人の悲劇」を娯楽として提供するワイドショーは好きだがこの本は大嫌いである。

139: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:41
04/06/16 13:07
「図解雑学 仏教」(広沢隆之/ナツメ社)
→わたしがはじめて仏教にふれたのは大学一年のときに受講した「東洋思想」。
大学生だぁと張り切っていたわたしだったがあまりのつまらなさに寝入ってしまい、
そのうち授業にも顔をださなくなったけれども、なんとか単位はいただけた。
つぎに仏教へ関心をもったのは大好きだった(過去形?)宮本輝が創価学会員だと
知ったとき。創価学会は日蓮を大聖人とあがめる仏教系の一派だから、
じゃあ、仏教ってそもそもなんだろう、日蓮ってどんなひとだったのかと調べた。
で、今回が三回目。最近、自殺願望が強いので、すがれるものならなんにでもと(w
「図解雑学 聖書」の続きという流れもある>>848
結果。さすがの図解雑学シリーズでも仏教はやはり難しいのねとため息。
独特な仏教用語がたくさんでてくるのが原因のひとつ。
もうひとつは、日本に伝来してからの宗派の多さ。
鎌倉新仏教の開祖と宗派とか、そうそう受験生のとき必死こいて覚えたや……。
仏教の特徴は心の重視にある。たとえばあなたが不幸だとする。
仏教は説く。それはあなたが不幸だと心で思うからだ。
心のありようを変えてみなさい。ほら、環境は同じでも心しだいで不幸は消えるでしょ?
これが基本線。難しく表現するなら三法印、四諦八正道、十二支縁起、六道輪廻――。
ひとつ疑問。そもそも人間の「さとり」を目的としたインド仏教が、
根本分裂、部派仏教、大乗菩薩思想の誕生、中国、朝鮮、日本と流れると、
どうして現世利益と死者供養をメインとした仏教になってしまったんでしょうかねえ?

140: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:42
04/06/16 13:43
「仏教入門」(三枝充悳/岩波新書)*再読
→数年前これを読んだときは感動した。
仏教の考え方というのは実におもしろいものだとしみじみと……。
仏教思想というものが、この一冊でずいぶん深くまで理解できたと満足した。
今回、再読。あはは、まったくわからない。なに書いてんの、おっさん?
まずいぞ。アルコールのせいで脳細胞がかなりやられてしまったのかもしれない。
ほんと、やばい。これはもう仏様にすがるより他ない。南無阿弥陀仏だコノヤロー。
えーい、なんにでも帰依するぞ、法華経にだって。南無妙法蓮華経だモッテケドロボー。

「寂聴の仏教入門」(瀬戸内寂聴・久保田展弘/講談社)絶版
→岩波新書に頭をかかえて、こんなのに手をだすなんて、わたしはバカな主婦か?
しかもブックオフ百円コーナーで買ったりするのだから、もう救いようがない(w
でもね、対談形式の入門書ほどわかりやすいものが他にあると思いますか。
始終、話し言葉だからすらすらと頭に入ってくる。
仏教用語には下に「注」をつけて解説してくれる編集さんの親切もあり。
瀬戸内寂聴の本を読むのは初めて。今までイメージだけで嫌っていた。
瀬戸内寂聴いわく、四諦八正道(などの仏教用語)の説明をするのは大嫌い。
そんなものを知ったからって、いま苦しんでいるひとがどうなるわけでもないんだから。
お釈迦様はたしかに弟子相手にそういう哲学的なことも言ったでしょうけど、
同時に不幸にもだえる庶民の苦しみを救いつづけたことを忘れてはならない。
同感、同意。子どもに先立たれた母親に、それは十二支縁起でうんぬんと説明してどうなる?

キリスト教より仏教のほうがなんか「近い」んだよね。そんなことを思った。

141: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:42
04/06/16 14:28
「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読
→風呂で読んだ。
読んで乾かして読んでをもう何回、繰り返したのだろう。
いちおう読書的にはつながっている。
というのも、山頭火は得度した禅僧だから。曹洞宗派→仏教。
仏教の唯識思想から山頭火の俳句を見てみるとおもしろい。
唯識思想というのは、外界のすべてを心の現象に帰す仏教の考え方。
たとえば花を見る。しかしこれは花が実在しているということではない。
ただ目という機関を通して花のイメージが心に写っているに過ぎないのだとする。
「分け入つても分け入つても青い山」。
山頭火の代表句である。
木々豊かな山が続いている景色をうたったものだが、
消しても消しても煩悩がでてくる山頭火の心象と読むこともできる。
景色と心象が絶妙のバランスを取ったとき山頭火の句はきらりと輝く。
禅の思想である。唯識思想である。一瞬は永遠であり、永遠が一瞬となる。

「國文學 1995年1月号 山頭火と放哉 ―― 流転と演戯」(學燈社)絶版
→まえにも指摘したけど、雑誌國文學に書いている研究者って文章がへた。ゆるい。
こんなんで大学教授とかやっているなんて信じられないと毎回のように思う。
ま、それはそれとして、山頭火と放哉である。
上野千鶴子が山頭火とその愛読者をバカにして放哉こそ天才であると主張していた。
この上野千鶴子だけじゃなく、現役の歌人、俳人にもそう思っているひとが多いらしい。
山頭火は大衆的。放哉のよさはクロウトしかわからないというのがその主張。
ふーんとしらけるわたし。
たしかにわたしゃ、西行も芭蕉もよく知らない。ただの山頭火ラブ。
俳句史における山頭火の位置なんてどーでもいい。
ただただ山頭火の句が好きである。わかりやすいから、楽しいから。
放哉の句はへんに疲れる。西行や芭蕉はお勉強という感覚以外では読めない。
べつにいいよ。バカにしたかったらしてください。大衆でけっこうと開き直る。

142: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 17:59
04/06/18 09:04
「古本屋五十年」(青木正美/ちくま文庫)
→今月の新刊! 新刊をすぐに読むのは久しぶりだなぁ。
最近、よく行くようになった古本屋の舞台裏をのぞきたくて読んだ。
しかーし、例によって例によって、作者の文学趣味的私小説的述懐が多い。
そんなことどーでもいいの。あなたが高校の夜学中退だろうが、貧乏だろうが。
わたしが知りたいのは古本屋の舞台裏なんだから。
しろうとの「なんちゃって文学」的な文章を読むのはつらい。
それとこれもしろうとにありがち。やたら引用が多い。
自分の日記から、同人誌に書いた自分の文章から、文豪の小説から。
どんな本か読まなくてもわからない? 唯一、笑った個所を下に引用する。

「古本屋というのは本に寄生する虫の群れだ。働く虫の群れだ。
彼らは本以外には興味を持たなくなってしまう。青い空、樹々の緑、季節の移り変り、
わが子の成長……。そんなものには関心がない。いい本だ、悪い本だ、
これは高くなる、これは安い、儲かった、損をした、高過ぎる、安過ぎる、
――と言って、中身をじっくり読んで評価するなどということはない。読むだって?
活字を拾い、たまには目次、序文を読んでみるくらいのものでしかないのが古本屋だ」(P110)

143: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:01
04/06/21 08:51
「青が散る」(宮本輝/文藝春秋)*再読
→まいったなと思った。かなわないなと思った。
もう五度目か六度目の再読だけれども、いっこうに色あせない。
こんな美しい小説を一作でも書いた作家なら、たとえ創価学会信者だろうが、
似合わないヒゲをはやそうが、ゴルフゴルフと遊びまわっていようが、
芥川賞選考でお茶目な選評をだそうが、いまは駄作生産機に成り果てようが、
そんなことはすべて帳消しになると思うのである、ただこの「青が散る」一作で。
こんな美しい小説を書けるひとがいるなんて。
宮本輝は誰がどういおうが天才である。
中上、龍、春樹など宮本輝のまえにでたらなんと軽く見えることか。
文庫には解説がつく。宮本輝の文庫本の解説を見てください。
ひとつとして「まともな」解説がない。どういうことか。
宮本輝の小説は批評できないのである。分析できない、他と比較できない。
ただ美しいと感嘆するほかないのである。
また宮本輝自身もそれ以外は読者に求めていないであろう。
批評ではなく感嘆符を要求する小説、そんな小説を書ける作家は宮本輝のほかにいようか。

144: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:01
04/06/21 09:22
「螢川・泥の河」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→山頭火の句を思い出した。「生死の中の雪ふりしきる」。
前書きに「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という「修証義」
からの引用がある。生とは何か、死とは何か――。
山頭火の歩いたこの道を宮本輝も歩いたのだと思う。
その歩き方、どこへ向かうのか。
今回、宮本輝のデビュー作ふたつを久しぶりに再読してそぼくに感じたのは、
「よくひとが死ぬなぁ」ということ。
短編にもかかわらず二作とも二人の人間が小説内で死ぬ。
「泥の河」にいたっては、いきなり死の描写からはじまるくらいである。
「死」から小説をスタートさせた宮本輝は「性」に行き着く。
「泥の河」では盗み見る性交、「螢川」では螢が踊り狂うなかでの思春期の性。
のちに展開する宮本文学の枠組みがこの「螢川・泥の河」にしっかりと凝縮している。
改めてわたしごときが言うことでもないけれど、そんなことを思ったのです。

145: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:02
04/06/21 09:47
「道頓堀川」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→これを最初に読んだのはたぶん高校生のとき。
それからもう何度読んだのか。今回で4度目かな。
さて作品は変わることがないが、読み手のわたしのほうは変わりうる。
数年前は宮本輝の小説から生きる希望をもらっていたけど、
いま氏の小説を読むと絶望してしまう、生きていくのがいやになる。
むかしは宮本輝の小説が「ほんとうのようなウソ」に見えた。
よくもこの残酷な現実から美しい造花を作るものよと感嘆、感動した。
でもいまは宮本輝の小説が「真っ赤なウソ」にしか見えない。
少しもほんとうらしく見えない。
もっと言ってしまえば、それは「南無妙法蓮華経」(創価学会)の世界でしょと。
わたしの住むところとは別世界に思えてしまう。
わたしは「南無妙法蓮華経」とはいえない、いえないことに絶望する。
相変わらず宮本輝の小説は読み物として十分おもしろい。
才能に畏怖するのはいまも同じである。
しかし、読後、現実と小説との落差に絶望してしまう。
小説が美しいものであれば、それに反比例して醜くなる「わたしの現実」。
するとひたすら「現世利益」をのぞむ小説内の人物にも距離感を覚えるようになる。
うーん、宮本輝。「南無妙法蓮華経」といえぬわたしはどうしたらいいのか。

146: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:04
04/06/21 10:07
「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一/小学館)
→いいないいな片山恭一さん。
漫画化、映画化、テレビ化で、もう一生遊んで暮らせるくらい稼いだんじゃないかなぁ。
たぶん今度はステータスアップをねらって「片山恭一の恋愛入門」とかだしそう。
「リング」で稼いだ鈴木光司さんが「子育てパパ」で論客wにレベルアップしたみたいに。
おっと、話が脱線してしまった。
親愛なる片山恭一さん。あなたはあれだけもうけたのだから、
わたしがこの本を立ち読みで済ませて買わなかったくらいでは怒らないと信じています。
35分で読了したなんていっても。だって金持ち喧嘩しなーい♪
感想? 絵本の感想をいうのはなれていないから今回はパスさせて。
いまの日本はおとなが絵本を読むようになったのねとちょっと驚いた。
でもまあ小学生が殺し合いをする時代だから何が起ころうと、……まあまあ。

「酒と酒飲み 知りたかった博学知識」(博学こだわり倶楽部/KAWADE夢文庫)
→タイトルそのまま。お酒にまつわるどーでもいい(かつ眉唾なw)知識を紹介。
お酒を飲みながら「へえ、へえ」などと読み、翌朝になったらきれいさっぱり忘れている。
どーしょもないねわたしもこの本も……。

147: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:06
04/06/23 17:13
「新潮四月臨時別冊 宮本輝」(新潮社)*絶版
→ずっと探していて、いざ見つけたら安心してしまって長いこと積んでいた本。
アルバム(家族写真まで)や、小説の書評を集めたもの、ご友人のエッセイ、
充実した年譜などなどで、宮本輝の素顔がわかる特集本です。
若い頃の写真を見ると、げっそりとやせ細っていて目がぎらぎらでなんだか怖い。
それはそれとして、やはり宮本輝は批評できない作家なのだと改めて思った。
福田和也をはじめとして多数、宮本輝の小説を論じていたけど、どれも不満。
年譜もふくめ創価学会への言及はなし。
瀬戸内寂聴が「宮本さんは仏教徒で……」と書いていたのが唯一。
こたえたのは「宮本輝の編集するページ」。その中の「オレの嫌いなもの」。
どういう人間が嫌いかということを十四、箇条書きにしている。
たとえば「人の幸運や幸福をねたんで、やっかむ輩」など。
わたしだよわたし……。これだけではなくその十四箇条すべてわたしに当てはまる。
十四箇条に続けて「まだまだあるだろうが、つまるところ、デリカシーがなく、
姑息で勇気がなく、人を許さないくせに自慢や自己弁護ばかりするやつのことである」。
それはわたしのことです、宮本輝さん……。
会ったらいきなり怒鳴りつけられそうだなわたし……。好きなんだけどな輝パパ。

149: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:07
04/06/23 20:00
「火の鳥4鳳凰編」(手塚治虫/朝日ソノマラコミックス)*再読
→今回「仏教つながり」で読んだけど、手塚漫画のなかでこれがいちばん好き。
これほどの恐ろしい物語を作ることのできた手塚治虫の天分を思うと寒気がする。
そして、ここまで到達できた文学作品がどれほどあったろうかとも思う。
何度、読んでも感動する。物語の力に満ち溢れている。

ちょっと脱線。
わたしは物語が好きである。物語のない小説など認めはしない。
けど、物語となったら仏教徒の宮本輝にはかなわない、足元にも及ばない。
おなじくキリスト教徒の遠藤周作にも。
どうやら物語は宗教と密接な関係がある、ここまでわかった。
そこでなぜわたしが戯曲に行ったか。自分でもなぜだかわからなかった。
気づいたら戯曲ばかり読んでいた。
最近、原点の宮本輝に戻って(再読して)気づいたのは、
わたしは「劇的なもの」を求めて戯曲を読んでいたということ。
わたしは「物語」から「劇的」へと歩みを進めたことになる。
じゃあ、「物語」と「劇的」の違いはなんなんだろう。おなじものだろうか。
そんなことを今朝目覚めて二日酔いの頭で考えたという報告、独り言です。

150: 美香 5qBZxQnw:04/06/29 18:08
04/06/27 13:20
「優駿(上)(下)」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→小説を読むというのはほんとうに楽しいことなのだと改めて実感させられた。
読みやすい文章、時間を忘れさせる物語、魅力的な登場人物――。
この「優駿」は至れり尽せりの感があります。
最初にこの小説を読んだときは圧倒的な感動に押しつぶされたかのようで、
ただ涙にまみれ、「生きよう、生きよう」と随喜の嗚咽をもらすのみだった。
今回の再読では残念ながらそこまでの感動は味わえなかった。
こういう小説を書けるひとは幸せだなぁと観客席のいちばん後ろから舞台の上を見やる気分。
けっして自分が立つことのない舞台を、羨望の思いで、ため息をつきながら。
たしかにすばらしい舞台(小説)ではあったけど、それは舞台の上だけの話だから。
そう出口に近いいちばん後ろの席でわたしは思った。
ひとつ再読して気づいたことがある。これはネタバレになるから注意して。
宮本輝は最後にオラシオンを勝たせていないこと!
初読のときはまったく気づかなかったけど。
オラシオンは実際は負けているのに「運」のおかげて勝利したことになっている。
宮本輝という作家の宿命を見据える視線には恐ろしいものがある。

151: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:52
04/07/02 09:28
「月光」(井上靖/文春文庫)
→先日のちょっとした小旅行のおり、往復の電車で読んだ本。青春恋愛小説。
といっても「セカチュウ」とは似ても似つかぬ。出版されたのは昭和35年。
「貞淑」だの「家柄」だの、今では聞きなれない言葉がずらりとせいぞろい。
主人公は結婚適齢期の女性。ふたりの男性から求婚されて迷っている。
ひとりは幼馴じみ。「サザエさん」にでてくるノリスケさんみたいな感じ。
もうひとりは会社の同僚。「美味しんぼ」にでてくる山岡士郎タイプ。
三人がそれぞれ自らの誠実を問い、愛に悩み、幸福を指向するその葛藤――。
ほのぼのとした気持ちになった。こんな時代があったのかと。
この小説を自分の恋愛と照らし合わせながらまじめに恋愛をした世代。
今はもうおじさん、おばさんなんだろうな。
電車に揺られながら、窓外に広がるのどかな田園風景にしばし見入った。

152: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:53
04/07/02 12:11
「幻の光」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→最愛の夫が原因不明の自殺、そこからどう主人公の女性は立ち直っていくか。
できすぎていると思った。そりゃ、そう書いちゃ、そのとおりだけど、うーん。
ふつうの小説家がスタート地点から小説を書き始めるとすれば、
宮本輝はゴール地点から書いているようなところがある。
宮本輝自身は中上健次との対談では次のような言い方をしているけれども。
「だから人間は、反対のことをやっていると思うのね。心から花が生じるとか、
心から月が生じるとか。僕は、違うと思っている。『花こそ心よ、月こそ心よ』
そういう気持ちですね。おそらく多分、いまの作家たちは、自分の心から
花をつくろうとか、自分の心から月をつくろうとしていると思う。
だから、小説がおもしろくないんです」(「道行く人たちと」)。

うーん。どうなんですかね。宮本輝の方法は「ずるい」のか否か。
問題は、宮本輝が小説家になりたくて創価学会に入ったわけではないということ。
創価学会に入っているうちに小説家になろうと思ったということ。
この違い、実は決定的なものだと思う。
前者だったら間違いなく「ずるい」んだけど、後者となると、うーん

153: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:54
04/07/02 12:14
「錦繍」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→宮本輝の小説でいちばん再読の回数が多いのがこれです。
どれだけ感銘を受けた小説でも5回も6回も読めばおのずと仕掛けが見えてくるもの。
エピソードもストーリー展開もほとんど記憶してしまっている。
実はそうとうにきわどい小説だと思う。信仰告白というのか、なんというのか。
たとえば犯罪被害者というものがいる。
この小説はその人たちに、あなたは自分のせいでそうなったのだと罵倒している
ようにも読めるわけ。それがあなたの業だ、あなたが悪かったからそうなったのだと。
宮本輝はこの小説で「因果」(仏教用語)を展開させている。
悪い「(結)果」(犯罪被害や障害児誕生)が出たということは、
必ず悪い「(原)因」があったに違いない。ふつうはこんなこと言えないでしょ?
不幸な人に向かって、あなたが悪い、自業自得だ、なんて言えますか?
でも宮本輝は言えるんです。なぜなら信仰があるから、創価学会への。
そこが宮本輝を天才たらしめている根本だと思う。
宮本輝は「因」が「果」になるゆえんの「縁」を小説に書くわけです。
そして主張する、現在の重視を。今刻々と流れていると「時」を見よ。
これらも「因」になる、だから良い「因」をなせば必ず良い「果」(功徳)が得られる。
わたしが冒頭にこの「錦繍」を「きわどい」と形容した理由がわかっていただけましたか。
おそらく宮本輝の小説の中でこれはもっとも宗教的な小説でしょう。
表層的な「感動」の底をじっと見つめていると恐ろしい「地獄」が見えてくる、
そういう小説です。
亜紀母子が満天の星空を見ていたとき、有馬はネズミを食い殺す猫を見ていた。
この場面に「錦繍」の魅力が象徴されていると言えましょう。

154: 美香 5qBZxQnw:04/07/02 12:55
04/07/02 12:30
「創価学会とは何か」(山田直樹/新潮社)
→いやあ創価学会って怖いんですね。おー、こわこわ、ぶるぶる。
学会の力をちょっとでも使えばわたしを特定するのなんかチョロイのか。
悪戯電話とかやめてくださいね、あー、考えただけでも身震いする。
本書はアンチ学会本。政治的な創価学会の力を警戒せよというのがメインの主張。
もう創価学会が日本を動かすようになっている、とのこと。
というのも、自民党だって創価学会の力を借りないと与党を維持できないから。
具体的には、選挙のとき自民党議員も創価学会員の協力がないと当選できない云々。
ふーん、だけどわたし政治はどうでもいいや、関心なし。
選挙だって最初の一回しか行っていない。
でもすごいね創価学会。仏壇の中に次のように書いた紙を入れて勤行するらしい。
「御祈念 打倒仏敵四人組(日顕・山友・竹入・新潮社)」。
ならなんで宮本輝は新潮社から本をだしつづけているのだろう。ふしぎ。
あと、げんなりしたこと。
宮本輝「優駿」の主人公の名前は「博正」というんだけど、
これ池田大作氏の長男の名前なんだね。なんかな、そういうの、やだね…。

155: 美香 5qBZxQnw:04/07/19 11:55
04/07/04 06:13
「愛と死との戯れ」(ロマン・ロラン/片山敏彦訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス産。読んだ理由は知人の女の子(なんと5歳!)に薦められたから。
「ごくじょう」とのこと。なんでも母親に読んでもらっていたく感動したらしい。
早熟な子だ。というのも、この戯曲には人生の究極的なテーマが凝縮しているからである。
主要登場人物は三人。三人とも「愛を取るか、(愛ゆえの)死を取るか」のはざまで葛藤する。
ときはフランス革命。高名な老政治家、その若い妻。彼らの家に逃げ込んでくる
革命家はその妻の愛人である。密告され、追っ手は迫っている。愛か、死か。
愛とは何か。愛するなら生きるべきか、愛するなら死ぬべきか。
そして政治問題がある。政治とは「みんなの幸福」を目指すものである。
となると、ここには個人の幸福か、全体の幸福かという問題も出現する。
三人は迷いに迷う。ここには確かに「劇」がある。
彼らが下した結論は……、ネタバレになるからもちろん書かない。
ここで書いてみたいのは「なんだかな」と鼻白んでしまったわたしの心境。
なんだかな。小説も、演劇も、映画も、テレビも、エッセイも、なんだかなぁ〜。
結局は「愛」と「死」かよ。それしかないのかよ、どいつもこいつも。
どの本もどの映画も愛、愛、愛のオンパレード。
みんな、みんな、きみたちはぁ、世界の中心で何をしたいかー?
愛をバカにしようものなら袋たたきにあいそうなご時勢じゃあないですか。
せめてもとテレビをつけたら健康食品、健康グッズ、長寿の秘訣(=死にたくない)。
笑っちゃう。わたしなんか40まで生きてられたら十分。年金? いらないって。
すごいよね年金問題。みなさん必死で。80でも90でも生きていたいのね。
「愛」され「愛」しながら、ずっと永遠に「死」にたくない現代日本人に
この戯曲「愛と死との戯れ」は次のように語りかけていると思うのはわたしの屈折か?
死にたくないなら愛なんておやめなさい。
愛しているんなら早く死んでみせてくださいよ。

156: 美香 5qBZxQnw:04/07/19 11:57
04/07/04 07:14
「春の夢」(宮本輝/文春文庫)*再読
→まえにこれを読んだのは大学に入ったばかりのころだったような気がする。
だからだと思うけど、上質な青春小説として記憶に残っている。
今回再読してみて、あららと思った。うわっ。
よく言えば荒削り、わるく言えばへたくそな小説。
大学で東洋哲学を受講しただけの(たいして頭も良くないという設定の)主人公、
哲也くんが「歎異抄」否定の仏法議論を友人とするは、輪廻転生に思いを馳すは……。
いくらなんでも不自然だって!
一言、「哲也は創価学会員であった」と書けたらすべて解決するんだけどね。
そして初期小説だからだと思う。
読んでいて恥ずかしくなるくらいに宮本輝の(しいては創価学会の)仏教観がでている。
「螢川」や「泥の河」で書くまいと自制していたものをすべて放り出したかのようである。

登場人物のひとり磯貝は哲也に本を投げつけ言う。

「俺が投げたから、その本は井領(哲也)のところに飛んで行ったんや。
本が勝手に飛んで行ったんやないで。結果の前には、必ずその原因があるんや。
それが物理学の基本やろ。原因のない結果なんて、この宇宙にひとつとしてあるか?
あったら教えてくれ。(……) この世のいっさいの出来事は原因があるから結果があるんや」

両親をどちらもふしぎな鉄道事故で亡くし自らも重い心臓病を患う磯貝はつづける。

「なんで人間は、生まれながらに差がついているんや。それにも原因があるはずや。
そしたら、生まれる前に、その原因を作ったとしか考えられへんやないか。
そう考えるのが、一番理にかなってると思えへんか? ある人は金持の家に生まれる。
ある人は貧乏な家に生まれる。ある人は五体満足で生まれる。ある人は不具で生まれる。
あらゆる事柄に原因と結果があるのに、人間だけが、持って生まれたそんな差別に
何の原因もないと考える方がおかしいやないか。人間は覚えてないだけで、
この世以外の人生を、以前に確かに経験してるはずや。それで、いろんな借金を
かかえて死んだんや。それから眠って目を醒ますみたいに、また生まれてきた。
そやけど借金は消えていない……」(P106)

ここにわたしは宮本文学の原点を、見る。
宗教と文学のぎりぎりの接点を、見る。物語を生む豊かな土壌を、見る。
前世の因縁うんぬんと高額のツボをうっかり買ってしまう危険性まで、見る。
このツボと池田大作氏が同じかどうかはまだわからない。

157: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:29
04/07/20 11:36
「星々の悲しみ」(宮本輝/文春文庫)*再読
「二十歳の火影」(宮本輝/講談社文庫)*再読
「命の器」(宮本輝/講談社文庫)*再読

→宮本輝氏こそ天才である。
現代小説を何か読む。たいがいの小説は底を察することがまあできる。
このくらいならわたしだって書ける、
とまで思ったらあまりにそれは傲慢というものでしょうが。
しかし宮本輝氏の小説はあまたある現代小説と根本から異なっている。
底が見えない深みがある。あるいはいくらハシゴをのぼっても、
とうていたどりつけない高みに氏の小説はある。
わたしごときがどれだけ人生経験をつもうが書けないものがそこに書かれているのである。
そうなるとひとりの作家志望者としてわたしは頭をかかえるしかない。
なんであんなすごい小説を宮本輝氏は書けるのだろうか。なぜわたしは書けないのか。
その秘密はどこにあるのかと宮本輝氏個人に興味を持つ。
すると宮本輝氏の裏側に2500年の歴史を持つ仏教が見えてくる。
仏法、日蓮、創価学会――。
宮本輝氏は作家になりたくて創価学会に入信したのではないという。
創価学会に入ってしばらくしてから、この教えを小説で広めたいと思ったとのこと。
共産党には共産主義の作家がいる、キリスト教もそう、なら創価学会からは自分が、と。
かなわないなと思う。わたしが作家になりたいと創価学会に入るのとはわけが違うのである。
宮本輝氏の小説には何か壮大なもの――宇宙的な広がりのある何ものかを信じている
ひとでなければ書けないものが描かれている。信じることから生じる力強さ。
一方で何ものをも信じることができないわたしがいる。書けないなわたしはと思う。まだ書けない。

158: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:30
04/07/20 12:19
「大乗仏教入門」(平川彰/レグルス文庫/第三文明社)
「教学の基礎 仏法理解のために」(創価学会教学部編/聖教新聞社)
「やさしい生命哲学」(聖教新聞教学解説部編/第三文明社)
「現代科学から仏法を見る なぜ祈りが叶うのか」(スタンレーオオニシ/第三文明社)

→ちょっと偉くないわたし? 見てよ、この読んだ本。
偉いとこはふたつ。ひとーつ、物語も娯楽性もまったくない無味乾燥な本を四冊読んだこと。
ふたーつ、ふつう知人から送りつけられる類の宗教本を自腹を切って買ったこと。
創価学会員って半端じゃなく多いらしい。
だから教義も簡単かと思っていたら、とんでもない。すんごい難しい。
「十界互具」、「一念三千」、「心身不二」、「願兼於業」――。
一週間くらいこんな言葉と格闘していたような気がする。
いまじゃそこらへんの学会員さんより詳しくなっているかもしれない(w
書きましょうか、「1分でわかる創価学会♪」。
さてさて、創価学会という宗教団体はとかく胡散臭げに見られおり、
学会員は毛虫か何かのように嫌われているらしいけど、どうしてどうして。
創価学会の教義自体はものすごく深くて中身がある。
たしかに宮本輝氏の創作の根源たるにふさわしい汲み尽くせないほどの深みがある。
古今東西どれだけの秀才が集まったらこんな深遠な哲学を構築できるのかと思うほど。
そんなに誉めるのならなぜおまえは入信しないのかって?
そこなんです。なんでわたしは入信しないんでしょう……。
嫌いなところがある。創価学会に入らないと不幸になるという教義。
ふーん、なら不幸でいいもんと開き直りたくなる。
いきがっているわけじゃない。心底から、あるいは地獄の底から、
不幸? いいよ、おいで、どんとこいと鼻で笑う自暴自棄で冷たいわたしがいる。

159: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:31
04/07/20 12:50
「熊野誌 第五十号記念別冊 特集 中上健次・現代小説の方法」
(熊野地方史研究会・新宮市立図書館・中上健次資料収集委員会)

→今から20年前に中上健次が東京堂書店でやった講演「現代小説作法」(四回連続)
のテープを文字に起こしたもの。いいでしょ、読みたいでしょ?
あの中上健次先生による「現代小説の書き方講座」ですぞ。
話し言葉だからすらすら読むことができた。でも難しいんだなぁやっぱ。
難しいというのか、うーん、作家ってほんと精神病患者と紙一重だと思った。
話すことが支離滅裂、飛びまくり、精神医学でいうところの「思考奔逸」。
二日酔いの話からいきなり小説の構造へ話が飛ぶ。
しかし中上本人の中ではどうやらつながっているらしいのだからすごい。
というか、あの顔と体で話すことに「わかりません」とは間違っても言えない(w
だけど中上はもう死んでいるし、ここはネットだからわたしは言う。
なに言ってんのかさっぱりわかりませんよ、中上せんせ〜い。
ところどころで「なるほど」とうなずくともう話は別のほうへ飛んでいる。

引用。
「文字を書くというのは、単に書くことが好きだからということじゃなくて、
うめく行為みたいなものとほとんどくっついている」(P27)

160: 美香 5qBZxQnw:04/07/20 13:33
04/07/20 13:10
「ガンジス河でバタフライ」(たかのてるこ/幻冬舎文庫)
→インド旅行記。インドにもう一度行きたいな、でも行けない、
だから定期的にこういう旅行エッセイを読み、精神の安定を図るわたし。
こういう本にあーだ、こーだいうのは無粋。
旅行エッセイは文章も写真も内容もどーせどれも似たり寄ったりなんだから。
インド旅行の雰囲気が脳内で味わえればそれで良し。
だけど、この「たかのてるこ」さんはどんなお顔をしているのかとふと思った。
すごいんだこの女性。インド人に声をかけられてほいほい家までついていく。
もちろん男だよインド人は。何度も何度もついていく。
それでレイプされたりはしないんだから、ほんとたかのてるこって何者?
よほどのブスと自分を思っているのか、それともリアル天然ちゃんで、
たまたま人徳があって悪いインド人が寄ってこないようにできているのか。
わたしがインドを一人旅したときなんざ、それはそれは警戒したけどな。
インド人と見たら悪人と思えというくらい。
ちょうどこのたかのてること同じ大学三年生のときに行ったんだけど。
やたらインド人がからだを触ってくるのがいやだったな。なれなれしく。
よもやインド人の家までついていくなんて考えもしなかった。
まあ、類は友を呼ぶということか。
善人のたかのてるこの前にはふしぎと似たような人が集まり、わたしの前には――。

161: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:18
04/07/21 09:20
「風呂で読む 漂白詩人」(大星光史/世界思想社)*再読
→芭蕉、五行、良寛、一茶、井月、放哉、牧水、山頭火、以上8人を掲載。
この本ではじめて作品に接した俳人・歌人も少なくない。
五行と牧水はとりわけお気に入り。単体の句集がほしくなっている。
でもやっぱ俳句・短歌はお風呂で読むのがいちばんという気もする。
部屋でじっとにらめっこすると疲れそうだから。
お風呂でぽーっとしながら、一句読み、その意味をぼんやり考え味わう。
それは極楽の時間であります。

162: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:19
04/07/22 11:32
「インド怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→またもやインド旅行記。なんでわたしこんなのばっか読んでいるんでしょう(w
でも旅行エッセイっておもしろくない? あることに気づいた。
「作者=出会う人・遭遇する事件」という法則があるに違いない。
作者が旅行中に出会う人というのは、ものの見事に作者自身を現わしているということ。
宮本輝が「命の器」というエッセイで書いていたことなんだけど、
どの人にもその人の「命の器」というものがあって、彼は彼女はその器の
似ている人としか出会わないという法則がこの広大な宇宙の神秘のひとつとして
あるのではないか。そう宮本輝は指摘していた。
たとえば、ついている人はなぜかついている人と関係していく。
意地悪な人はどうしてかおなじような性質をもつ人間とつるんでいく。
これを考え尽くすとひどく残酷な思想になるように思うのだけれども、
旅行中に出会う人というのもこの「命の器」が関係しているのではないか
という推測はわたしのオリジナルです。
前述の「たかのてるこ」さんは善人としかなぜか出会わないのにたいして、
わたしのまえには助平なインド人しか現れないというふしぎを解明する法則だと思う。
さて、この本の著者、ゲッツ板谷はどうか。どんな「命の器」を持っているのか。
そのまえに、やだね、ゲッツ板谷だって、恥ずかしい名前、色物じゃんだれが見たって。
と思いきや、このゲッツ板谷は見事天晴れというほかない職人的売文家だったのである。
売文業に誇りをもって、とにかく読みやすくおもしろい文章を書こうとしている。
テレビを見ながら読める文章を書くことのできる人はある意味で天才かもしれない。
文体はひたすら軽く。ガンジス河を見たところで文学者のように深刻ぶることはない。
「きったねえ河」、それで終わりである。著者は1964年生まれ。
ぎりぎりの笑いを取る。たとえば、駅にたむろするインド人の写真の下に、
「ホームに寝転ぶインド人。凶暴なシャチを放ちたくなった」と書くんだから。
結果、彼が出会う人・遭遇する事件もなんとも不可思議かつ豪快で笑えるのである。
だけど、インド人をいきなり殴るのはあまりにもかわいそうですよ。

163: 美香 5qBZxQnw:04/07/25 11:20
04/07/25 10:50
「道行く人たちと」(宮本輝/文春文庫)*再読
「メインテーマ」(宮本輝/文春文庫)*再読

→どちらも宮本輝の対談集。
対談相手は作家もあり、評論家もあり、映画監督もありと多様。
なんであれいろんな分野におけるひとかどの人物たちである。
なんなんでしょう、成功する人と、失敗する人の差というのは。
成功した落語家なんてすごいこと言うもん。ひとことで言えば自画自賛。
貧乏自慢からはじまり、自らが発見した成功方程式を喜色満面に語ること、語ること。
あーあ。わたしも成功したいな。どうすればいいのでしょう。
宮本輝は小説でよく「天分」とか「星まわり」という言葉を使う。
わたしの「星まわり」ってよほど悪いのかな。
どんな「天分」を与えられているのでしょうか。
なんか元気のない読了報告でごめんなさい。こんな日もあるさ。

164: yPyqc5MQ:04/07/25 11:56
>似ている人としか出会わないという法則がこの広大な宇宙の神秘のひとつとしてある
>わたしのまえには助平なインド人しか現れないというふしぎを解明する法則

ふmu・・・

165: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:19
04/07/28 08:18
「酒とつまみ 第5号」
→お酒の雑誌といえば、これでしょこれ。
「サントリー・クォータリー」の5倍はおもしろい。
理由はたぶんビンボーだから。
たしかにあっちはサントリーの広告もかねているから、
写真はいっぱいだし、著名作家に文章を書かせている。
一方、こっちはカラー写真なんてひとつもないし、書いているのは無名ライターばかり。
取材費というより自腹で飲んで報告していそうな感じ。
だけど、そのチープ感がたまらないんだなぁ。
限られた書店でしか売っていないけど、見つけたら買ってあげてください。

166: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:20
04/07/29 07:19
「五千回の生死」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→近松門左衛門の有名なことばがある。
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。
……虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有たもの也」。
宮本輝が作家として目指した境界はここにあるのではないかと思うのである。
虚にして虚にあらず、実にして実にあらず……。その間に感動がある。
その感動を与える以外に芸というものの存在理由はあるものか。
「五千回の生死」は短編小説集。
ここに収録されている「アルコール兄弟」は宮本輝が全集に入れるのを拒んだという逸話あり。
読んでみるとたしかに失敗作。なにを書いているのかさっぱりわからない。

「避暑地の猫」(宮本輝/講談社文庫)*再読
→宮本輝作品としては異色作。悪人しか出てこない小説を書こうとしたらしい。
この悪人路線は「避暑地の猫」一作でやめてしまったようだが、
これを発展させていったら宮本輝はドストエフスキーに比する作家になったのではないか。
解説でドストエフスキーとの比較がなされているからという理由だけではなく、
しんそこからそう思う。もったいなく思う。
天才にしか書けない小説である。
天才、と書いたが再読した今回は見えてきた裏の設計図があるのも事実。
創価学会の思想から、ある程度までは絵解きすることができる。
といっても、所詮「ある程度まで」。
そこから先は天才にしか見えない「光と闇」があるのだと畏怖するほかない。

167: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:21
04/07/29 07:59
「海岸列車(上・下)」(宮本輝/文春文庫)*再読
→ふと思った。タクシーが宮本輝の小説をダメにしたのではないか。
宮本輝はこれを書く数作前から、小説の質が哀しくなるほど落ちはじめた。
その原因はタクシーにあるのではないか。
登場人物がやたらタクシーに乗る。そのくらいなら歩け。電車を使え。
そう怒鳴りつけたくなるくらい小説内人物は頻繁にタクシーを利用する。
タクシー。安易な交通手段。
金を払っても楽をしたいがためにひとはタクシーに乗る。
宮本文学本来の魅力とは異質の(小説内)道具であるように思うのはわたしだけか。
「春の夢」で金のない哲也は陽子に会うため雨にぬれながら隣駅まで歩いた。
「青が散る」で二日酔いの燎平は夏子がいるホテルまでタクシーに乗らず歩いた。
「海岸列車」では歩くことをやめてタクシーに乗る――。

「海岸列車」上巻を読み始めてすぐ投げ出したくなった。
偶然を簡単に使いすぎるんだもん。そんなことあるわけないじゃん。
無理して読みつづけても、偶然の一致の連続。シンクロニシティ大安売り。
それとやめなさい輝パパ。創価学会思想の抜書きは。「因果倶時」とか失笑。
あと日蓮が二箇所、言及されているのも興ざめ。
やたら長いけどページ数を食っているのはグルメ自慢、日本の悪口、若者への説教。
この後に宮本輝が連綿と書きつづける長編小説の欠点(上記3点)、
その萌芽がすべてこの「海岸列車」にあるといっても過言ではあるまい。

168: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:22
04/08/11 09:38
「ASIAN JAPANESE アジアン・ジャパニーズ」(小林紀晴/新潮文庫)
→これを読んで、ふいとインドへ行ちゃおうかなと思ったことはたぶん恥ずかしい。
いや、とっても恥ずかしいことだと思う。
難解な仏教書がきっかけだったり、大失恋がきっかけだったら、きっと恥ずかしくない。
だからわたしは恥ずかしい。だけど、人間は恥ずかしい存在なのだから仕方がない。
旅行エッセイ。著者がアジアを放浪するさなかに出会った日本人旅行者を写真と一緒に
レポートしたもの。著者の幼さが、うまく鋭敏な感性へと転化している。
何度も書いたけれども、旅で出会う人はその旅行者の「命の器」によるのではないか。
そう思ってみると、写真が掲載された旅行者はみなどこか一様に似た部分を持っている。
それは純粋さだ。みな一様に純粋で、それがゆえに一本木に悩んでいる。
わたしは今回のインド旅行でいったいどのような人と出会うのだろうか。
わたしは自分の「命の器」が知りたくて旅にでるのかもしれない(てへっ
あー、恥ずかしい文章を書いてしまった。自己陶酔ビーム♪

169: 美香 5qBZxQnw:04/08/11 10:22
04/08/11 10:12
「インド聖地巡礼」(久保田展弘/新潮選書)
→今回のわたしのインド旅行は聖地をめぐるものになる。
山頭火に「どうしようもないわたしが歩いている」という句がある。
実に宗教的な句だと思う。
この句は「どうしようもないわたしが/歩いている」ではなく、
「どうしようもない/わたしが歩いている」と読むべきである。
どうしようもない。だから歩くほかない。
この「どうしようもない」こそ古今東西あらゆる宗教の湧き出る泉ではないか。
芸術さえもと思う。この地点から出発していない芸術が古典として後世に残ることは
ごくまれではないか。どうしようもない痛みは人をして宗教へ芸術へと向かわせる。
インドの聖地でわたしは祈ろうと思う。
聖なる大河、ガンガーを河口から源流へとさかのぼりながら、
わたしは何によって現在のわたしたらしめられているのかうんうん悩もうと思う。
釈尊の生誕地、悟った場所、初法転輪の場、入滅地を巡礼しながら
仏教思想について考えようと思う。
現在のわたしがあるのは父と母が出会ったからである。
なぜ出会ったのか。わたしはなぜそのもとで生まれなければならなかったのか。
そこにはどうしようもない力が働いている。
仏教の縁起思想である。今回のインド旅行で持っていく本は二冊。
「山頭火句集」と「ブッダのことば」です。
えーと、本書「インド聖地巡礼」はクズ。
助かったのは、聖地を知るという情報面だけ。
何より文章がまずい。百科事典みたい。旅情みたいなものがまったく感じられない。
ほんと読んでいて苦痛な文章ってあるもんですね。

「タイ怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→帰国便で一万円払えば、タイで途中降機できるんです。
だからタイへ行こうか迷いながら読んだのがこの本。
タイ行くのやーめた。なんかわたしのプチ深刻なインド旅行とはあわない。
タイは別口で旅行したい。だから白石さんにビールを奢るのもそのとき。

171: & axHNR6pc:05/10/17 16:30
>>170-171
管理人様へ。
名前欄がおかしくなってしまったため、
カキコミを削除して頂けるとありがたいです。

172: 工藤伸一 lPe6tSdk:05/10/17 16:32
>>170-172
またバグってしまいました。

173: 工藤伸一 j1HkWi6c:05/10/17 16:47
念のためsage


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