不思議・不思議


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不思議・不思議

1: 名無しさんAA:11/01/20 02:20 ID:ks
不思議・不思議


近況

ここ2・3日寒かったが 異常な現象が起きている。柳川に住んで50数年なるが 
ここまで寒く感じる 底冷えする寒さはなかった。大体において 年に寒いのは 
クリスマス寒波と2月のなごり雪 3月の忘れ雪と相場が決まっていて 一月の
突風は 雪を降らせないで雨の成人式が相場だったのだ。もともと1月2月が快晴
な事はあまり無く 曇り空では霜が降りないとされ 快晴で霜が多いと霜焼けで
雨が降るとさえ言われながら 種芋を作っていた。がここに不思議にも あの日
クリスマス寒波と言われマイナス気温ながらも昼には溶けていた氷が 今や気温
が高くて+なのにクリークの氷が溶けず 日陰の水溜りは3日も凍りついたまま
であった。多分に 地が持つ保温力の差がそうさせていたのだろう。がこの差は
風によってもたらされたとはいえ 天山おろしと言われる背振の白い尾根の風の
せいでは無かったのだ。つまり相当に湿度の高い風がまっさらの北風として吹い
たのが原因みたいだ。このせいで 普通なら韓国からウラジオ沖への回遊魚が一
斉に 佐渡島や越前沖にやってきて 更に太平洋側の黒潮の暖流は日本海溝沖に
向かったらしい。更に近所での異変は あの黒いカラスが 今や有明海へと向か
い少なくなった事だ。普通であれば ほぼ出かかったおいしい麦の芽と枯れ草に
ついた虫をつつくのにである。聞けば佐賀や大川と大牟田に インフルエンザが
流行しだし ノロウイルスで 道にも下呂が蔓延しだしたというのである。これ
からたぶん福岡にのぼり 全国に蔓延するかもしれない。マスクと手洗いは充分
に行い 喉が痛くなったらブラックチョコレートをたっぷり食べて 男梅キャン
デーをほおばり歯のために寝る前は風邪薬を水でのみ緑茶キャンデーをほうばっ
て やっと直りましたのであります。  




301: 名無しさんAA:11/03/22 00:00
じゃ漫画ランドに

302: 名無しさんAA:11/03/22 00:01
これはもうある意味ウォーリーを探せみたいな遊園地になるぞ

303: 名無しさんAA:11/03/22 08:24
ぱわわぷ06

304: 名無しさんAA:11/03/22 08:26
はみがきうれしいっぱあ♪

305: 名無しさんAA:11/03/22 08:27
グーだってチョキチョキだって♪

306: 名無しさんAA:11/03/22 08:28
'07 埼玉

307: 名無しさんAA:11/03/22 08:44
【まいん&ことちゃん】ようこそ、わんだーらんどレストランへ!


308: 名無しさんAA:11/03/22 08:53
そんなわけのわからん政治論ふりかざしてるから
何時までたっても借金つるくばっかりなんだよ

309: 名無しさんAA:11/03/22 08:54
自分の幼さがわからない連中だね〜

310: 名無しさんAA:11/03/22 08:57
自分の言いたい事しか言えんような幼稚な政治は
政治とは言わない

311: 名無しさんAA:11/03/22 19:51
日本を背負う11

 TVを見ていて記憶に残った映像が幾つかあるので紹介したい。1つは被災者の集
まった体育館で ボランテアだろうか行政員なのかパンふた切れを配っていた。やっ
と貰えただろうそのふた切れに 一人のお婆さんだろうかが「私は1切れでいい。」
と言った。配っていた彼女はかの年配者が控えめなのを知っていたのだろう。「いい
え皆なふた切れですから食べて下さい。」と言った。それでも「他の人にあげてくだ
さい。」と頑なにいう。「いいや まだこんなにあります。皆の分はあります。」と
更に進めた。それでも「いいえいいえ 明日もありますから捕っておいて下さい。」
とさらに婦人は言ったので 仕方なしに女性は 一切れにして次の人の所に行った。
この事をどう見るかは各自の自由であろう。しかし前の日にある婦人がこれは別の人
だが 津波の第一波が来て夫人は夫と共に渋滞する車から降りて そこに「こっち、
こっちと 傍の3階建ての店の主人が呼んだと言うのである。そこで家に入り階段を
上がろうとしたが 沢山の人が避難していて階段を思うように上れなかったという。
後ろから押して手助けした主人は その内やって来た第二波の津波に押し流されてし
まいそれっきりだと 助けられた婦人はその場で泣き伏せてしまった。そうした事が
頻繁に起きている中で パン一切れを断った彼女の脳裏には 助けたくても助けきれ
無かった何かがあって 無念の思いが胸を塞いでいたのかもしれない。これは身内で
も最愛の人であっても或いは赤の他人であっても 助けたいと言う意思を持ちながら
目の前を過ぎてしまった死を目撃して呆然とした人間でなけばわからない気持ちだろ
う。被災地に消防車さえも転がっている事は たぶんに 津波を呼びかけて救う行為
の最中に事故にあったろうと思われるが こうした日本人の人の良さは およそこれ
だけ大きい津波の被害だが それでもその割合からしてか少ないだろう不明者や死者
の数が物語っている。


312: 名無しさんAA:11/03/22 19:51
日本を背負う12

 TVの中では10年ぐらい元の生活には戻れないだろう。などと言う人がいる。が
こうした助け合いのある民の街が 復活するのは極めて早いだろうと思える。原発に
よる風評被害さえなければ この三陸の地は恵まれた漁場である。改めて 言うには
及ばないだろうが。人は衣食住足りれば 後はコミニュケーションが取れればかなり
それなりの幸せを持つことが可能である。彼らは生き残った極めて運の良い人達であ
るはずで その運のよさを持つ集団で 食べ物が豊富にある場所である事を考えれば
その内 ああいうことがあったと 思い出となる日はそう遠くではない気がするのは
私だけではないだろう。もともと寒い東北で肩を寄せ合って暮らしていた場所である
三人寄れば文殊の知恵の言葉が示すように 彼らは決してこの地をほって置かない。
 あるTVは寄付行為を写していた。品のよいおばあさんが 財布から金を入れる。
そしてその後手を合わせ 深々とお礼をして立ち去った。もともと日本人は唯物主義
楽天家である。すなわち神と言うものを本来信じていないと思える。しかしその神を
信じて行う行為を信じるのである。この寄付の小箱に お賽銭箱とまるで同じように
祈ったのは その思いが被災者に伝わり生きる勇気と力を願ってである事はまちがい
ないだろう。そうした唯物主義がかつて学者がこの地の避難について指導するに壁に
なったらしい。つまり震災や津波に対して どの位だという目安の無い話では雲を掴
む話になってしまい何の計画も話しを進まなかったというのである。そこで過去の津
波の一番大きかった高さを目安にしたと言うのである。これが被害を大きくしたので
はないかと 学者は痛く心を悩ませている。
  

313: 名無しさんAA:11/03/22 19:51
日本を背負う13

 もちろん 日本人の大方が この唯物主義的楽観論者ではあっても 全ての人が
そうした人ではない。中にはただならぬ唯物一辺倒の悲観論者もあるいは只の楽観
論者も平和の中で育ってきた。ただこの唯物主義楽観論者の良さは 現実を注視し
見極めを大事にしている事だ。その事で改善・改良は他に類を見ない技術の進展と
国の発展と情愛を育ててきた。楽観論の良さは 脳科学的に見てニューロンという
知の枝伸ばすだろう笑いをそこのけにする。その幸福感は人を更に陽気にさせる。
 まだ正式には分からないオカルト科学では そうした人々の一丸となって考える
脳波は 自然界に幾ばくかの影響を及ばすとまでささやかれている。そうした科学
を信じなくとも この地震や津波の起こした影響と共感は私でなくとも大きいもの
がある事は誰もが信じるところだろう。もちろん こうした善意を踏み外し踏みに
じるような 行為や言葉も中には出てくるだろうが 神は自ら助くる者を助く。の
ことわざどおり 悲しみの中でも努力する行為にほとんどのものは 感動し手を差
し伸べるだろうし その努力は結果として効率の良い善意に満ち溢れると思う。
そしてそれは 今後の日本に起こるであろう災害の指標ともなるであろうと思う。
 それが又善意を行う あのお婆さんの幸せでもあるのだ。決してうちひがれる事
のないよう 力強く生きて 幸せになってほしいと願うのである。又そうした土壌
が生きている日本であることは 信じて止まない。



314: 名無しさんAA:11/03/22 22:26
万病ッ!

315: 名無しさんAA:11/12/29 00:09
天才的な書き込み

316: 名無しさんAA:19/02/08 16:07 ID:OU
 馬鹿者の 自治体長に乾杯。09 (人は法に守られず、人が法を守って人になる)

NHKは今だ馬鹿な8Kを自画自賛して止まない。本来政府が国家予算として、投下
すべき金を、醜悪にも歪曲して田舎の貧乏人からも取って映像情報を公共放送と偽る。
大体、そんな料金をとる報道が放送なのか通信なのか。国は口をつぐんで商売のように
こねくり回す。実質BS放送までに辿りついた衛星放送の失敗は馬鹿にならない高額で
あった。にも関わらず関会長は執念に燃えて日本で米国でと失敗を重ねた。その裏には
FBIやKGB或いはCISなどの機密情報を守るNASAにつながる諜報員の動きが
あったのは間違いないが、それでも国民からむりやり徴収した金で失敗ばかりとは情け
ないし、政府に媚してなんら批判しない戦わない姿は 全く馬鹿らしいメディア媒体だ
。安倍のお知り合い内閣など日本国民の為にならないのは充分なほど国民の目に明らか
なのに、今だ4年たっても、森友・加計学園問題は、尻切れトンボの様に何ら解決の糸
口は見えてない。四国の獣医学部が他の学校に権利が移された話にもなってないし、こ
の裏で画策した夫人が刑務所に入ったり、総理を辞任した話に至っていない。問題があ
れば辞任しますよ。などと大口たたいて大見えを切りながらも、大きな事を言えば国民
が沸いて好いじゃないか。と言わんばかりの事ばかりである。北方領土の交渉しかり、
北朝鮮の拉致問題しかり、地方自治の健全化しかり、国家財政のバランスシートしかり
である。あれほど小泉内閣で失敗した延長線上にありながら、いまでも竹中アホ理論は
行財政改革が景気を良くした。などと唱えて止まない。かつての戦後や戦前の政治体制
ならとっくの昔に世界に冠たる特大景気を産んで国家予算も大盤振る舞いでよかったろ
うが、今じゃ山林を切り売りして、民間銀行を潰し、郵政も国鉄も塩もタバコも財政を
戻す力のあるものは、議員が経営をハチャメチャにして銀行も保険も潰して米国に献上
しながら、まだ足りないとばかりに、年金も水道も交通も何もかも禿鷹ファンドに捧げ
ようとしている。その為の資料つくりも その方法も違法で知見も違法有識者会議も又
そのお飾りで、全く一体この政府はなにやってんだ。と言う話である。民間も官僚も、
手を握った様な偽装と汚職にまみれ、とても秋篠宮家の小室家融資問題以上に、何が何
だかわからない実態だ。こうした事は法曹界の根深い疑獄にある。全く間違いだらけの
判決を垂れ流し、立て続けに違法判決で議員なんぞ何百人も違法しながら捕まって小沢
すら収監していない非常識さである。まともに考えて、議員の国会質問や言動の記録は
この裁判所の特別科に収納されて居るべきであろう。それがなんら資料庫を持たず何故
公明正大の公平な正義が執行出来ようか。馬鹿な法務大臣を輩出させて、急遽オウム事
件の容疑者を死刑に処するというのは、どう考えても違法そのものである。それは法文
にない法律違反なのだ。言葉のあやばかり取った国会論戦ではない。実生活に照らした
違法処置である。日本に慣習法がないと思ったら大間違いだ。どこの国でも成文法の中
で慣習法が生きているから、その法が守られ説明される。その意味で法務大臣は裁判に
かけ死刑とすべきである。全く事件の解明にもならない。法務大臣の資格なし。


317: 名無しさんAA:19/02/14 11:39
  宗教行事と国家行事 05

 2月2日初午の節句は稲荷節句とも言われ、稲荷(いなり)神社の稲荷は「稲生(い
ねなり)」が縮まったもの。とされる。「稲」の神様「御饌神(みけつがみ)」(食物
の神様)を祀ったものであることから、商売繁盛、五穀豊穣を祈願し、本来は、農作業
が始まる日で馬出し日とされた。また、立春を迎え2月の最初の午の日は、一年のうち
で最も運気の高まる日とされて一年の基準の日であった。現代では春分の日が動くが、
昔は「午(うま)」は南の方位を示し、時間は正午を表わす。この日が2月2日と決め
ていたのである。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強ま
る時といわれてこの方向が日時計の元となった。人日 (じんじつ・1月7日)、上巳(じょ
うし・3月3日)、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽 (ちょうよう
・9月9日)の5つを、五節句といい中国から伝わったとされる。11月11日は無い。しか
し日本人には、9月の菊の節句と共に4月4日は桜の節句であったと言える。8月8日
は河童月とされて、きゅうりの節句であると言う。しかし何故か、きゅうり(馬)でや
って来てナス(牛)で帰るみたいな仏教で、馬鹿な話がお盆ともに仏教が流行っていき
鎌倉時代から8月は死者の里帰りと言う事になった。先祖供養は同じでも神道や山岳教
では6月で意味がちがった朔昇行列日だったが、仏教のお盆の日の里帰りとして、8月
の祭日に変化し13日〜15日の供養の日に変わった。実はこのお盆(おぼん)とは、
夏に行われる日本の祖先の霊を祀る一連の行事が、日本古来からの祖霊信仰と仏教が融
合した行事である。精霊を「ボンサマ」と呼ぶほどの地域があり「せいれい」とは後で
作られた日本語であり、ボンサマは祖先の事だ。中華文化では道教を中心として旧暦の
七月を「鬼月」とする習いから来ている。と言われる。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開
き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じる考え方は道教の伝われからである。先の
『西遊記』を産んだ玄奘三蔵の一行がは「霊山の大将」と称される沙悟浄(さごじょう
)の天帝守護の近衛兵の大将と、天界で天の川を管理し水軍を指揮する天蓬元帥(てん
ぽうげんすい)だった猪八戒(ちょはっかい)との、孫悟空が旅をする物語からだ。こ
の時持ち帰ったのが大乗の『涅槃経』で、初期の『涅槃経』とあらすじは同じだ。が、
「一切衆生悉有仏性」を説くなど、趣旨が異なっていた。涅槃経を宗旨とする宗派の涅
槃宗が中国で興ったのだが、日本には直接伝来しなかった。既に聖徳太子の時代に仏教
とともに日本に伝来した大乗仏教の代表的な経典の『法華経』(ほけきょう)があった
からだ。『法華経』は大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できる
という「常人仏教」の思想の原点が説かれていた。ただ、この後の仏教には新たな密教
系宗教として天台宗での台密と真言宗と東密としてその後に伝来した。これによって、
「盆」という風習に名がついた。とされる。つまり盆とは密教系仏教が広げた事になる
。柳川では「本来馬でやって来て牛で帰る。」と言う事は言わない。そもそもキュウリ
は河童である水神への御供え物としたしナスは高給品で牛と言う神宮の神と一緒くたに
祀るのは大陸からの移住者のいる東北や日本海の沿岸のみだ。九州は「精霊」と書いて
「しょうろう」といい浮かべる船を「おしょろさんぶね」と呼んだ。函館のカクテルに
忍路とかいておしょろと呼んだ。実は「しょい込む」の「しょ」であり、かつて3男以
下は丁稚や女郎など女衒採りに売られたり働きに出て都に行ったのだ。これを哀れに思
いせめて盆正月ぐらいは、と思いを馳せたのが精霊船で、時を知らせる鐘楼船と同じに
見立てたのである。つまりそうした風習を、そのまま仏教に取り込んだのだ。

318: 名無しさんAA:19/02/14 11:51
  宗教行事と国家行事  06

 密教系仏教は、真言宗や天台宗と名はあるが、新たな宗教であり信者はいなかった。
信者の居ない所には、お坊さんも食べて行く種はなかった。細々と仏壇や仏具を売って
稼ぎ、地道に信者を増やすしか無かった。そこで手助けになったのが天皇家や幕府だ。
今では、「御盆」は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と解され、梵語(ぼんご・サンス
クリット語)の「ウランバナ」からきていている。と略される。「ウラバンナ」とは「
逆さ吊り」という意味とされ、「釈迦の弟子の目連が、餓鬼道(がきどう)に落ちて苦
しんでいる亡き母を見たと言う。釈迦は、夏安居(げあんご)の終わりの日にあたる7
月15日において、修行を終えた僧侶たちに御馳走を振る舞い、供養するように教えた。
その教えに従って供養した所、母親は無事成仏できたのを見て安心した日といわれる。
その為、盆には、白い蓮の花を飾り。泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を
咲かせる事を願う日と解された。しかし全くそれは仏教のこじつけであり、盆その物は
、日本の昔からあって縄文時代さえも、祖先祭礼の縄文土器や縄文人形が数々出土して
いる。紀元前4千年前から、犠牲牛を祭り、放牧された牛が青草で肥えて行く感謝の日
があった。古代イランのアヴェスター語で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」の季節で
は、古代イランは、祖先のフラワシ(ゾロアスター教の精霊)が信仰されていたし、そ
れが祖霊信仰と習合し、「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事となった事が証明されてい
る。この世の中が、全てに森羅万象に霊が宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在の
中にあるとした古代宗教の拝火教は、このフラワシで人間にも宿っている霊であるとい
う。人間の魂のうちの、もっとも神聖な部分が人間の霊フラワシとされ、こうした理由
で、フラワシ信仰は祖霊信仰と結びついている。古代イランでは、祖先のフラワシ即ち
祖霊を迎え入れて祀る行事が行われ、それが大きな盛り皿で、その皿をにほんではお盆
と言った。それがお盆と言う名になった。一説ではこの祭りが、後にインドに伝えられ
て盂蘭盆の起源になったとも言う。日本ではその意味が正しく伝わり、そうした器を、
盆と言い、皿とは言わない。すなわち、神捧げる器のものを三宝とし盆と言った。飯台
はちゃぶ台を言い、脚付きの盆を膳とした。つまり盆はあくまでも盛り皿であったのだ
。仏教学者は、盂蘭盆を「ご飯をのせた盆」であるとする説を発表し、盂蘭盆経では、
「鉢和羅飯(プラヴァーラ〈ナー〉飯)」という語があり、これが前述の7月の下安居
(げあんご)を出る日に、僧侶たちが自恣(プラヴァーラナー)を行うことに関連付け
られた。つまり釈迦が生まれる前からの儀式が盆の習わしだったのだ。古代インドでは
、この自恣(じし)の日に在家信者が僧侶へ布施をする行事が盆である。自恣とは自由
な僧の懺悔と言われ、盂蘭盆経が説く行為とが同じもので、盂蘭盆の「盂蘭」はご飯を
意味する「オーダナ」であり僧侶へ施されるご飯の接待を意味する。つまり通常布施は
米や金などの供出だが、講和や饗応などでの、家に止めおく事が正式な盂蘭盆会(うら
ぼんえ)の作法で、釈迦は、夏安居(げあんご)で行ったのである。ここには勿論当時
では食さない肉や酒や振舞われたり踊りや音楽もあって懺悔の中の一つとされたのであ
る。つまり精進料理でなく、高僧や坊主に日々の修行から解き放った世界を与え、悔い
を聞いて貰ったのが起源なのである。先祖どころか本人の生きる苦しみの吐露だった。
これが「凡人・凡功」の御盆行である。それがそのまま盆になった。要するに日本では
、天照神話の天岩戸(あまのいわと)を開く衆人饗宴の祭りを横取りしたのである。

319: 名無しさんAA:19/02/14 12:26
  宗教行事と国家行事   08

しかし又この4.嘘をつかない。5.酒を飲まない。6.正午以降は食事をしない。とは
厳しい掟を持つ「僧」と言う地位である。更に7.歌舞音曲を見聞しない、油香水をつ
けず飾らない。8.地面に敷いた臥具だけを用い寝具や座具を使用しない。と八斎戒の
あるものしか僧としなかったのは、平安時代までだった。仏教の他にも朱子学の道教が
入って来たからだ。あとで普化宗と呼ばれた陰陽道の聖者(ひじり)は色々の仕掛けを
して土木工事を完成させてい。陰陽道の、迦波羅(カバラ)の原理。つまり三角法を使
ったからだ。こうした力を注いで陰陽道神社全国で一大勢力となって稲作増産に及んだ
。しかし朝廷はそれを知らずに仏道を取り入れ、陰陽道を排除して今に至っているのだ
。かつて人は10と言う数字を知らず、西洋においては「0」の観念が無いまま幾何数
学が発達した。インドにおいてゼロの発見が通説では6世紀前後だった。といわれる。
何故「0」の概念がなかったのか。それは農業国家では無かったからだ。一年が365
日であるのは地球上では変わらなかった。欧州人は12進法の割り算を使っていた12
で割れば13は1になる。つまり13日目や13ヶ月目は新しい不吉な日となったのだ
。通貨も同じ12進法で流通した。「数字のゼロはインドにおいて発見された」とする
考え方には、確かに絶対性はない。しかし世界に広く定着していると言えるほどの10
進法には、非常に強力な0の概念の通用する。そのため実際にはそれが正しいかどうか
を別にして「ゼロはインドで発見された」と言われてしまうが、近年ではマヤにはイン
ドより古く0の概念を持った長期暦が発見された。長期歴とは、マヤ及びその周辺の文
化において使われた二千五百年暦だが、これを使用した、紀元前32年にあたる日付の
碑文が発見されている。つまり紀元前の時点で、この暦法が既に使用されていたことは
既に証明されている訳で、そして、この暦法は数字のゼロが無ければ成り立たない種類
のものであるため、必然的に、紀元前のマヤにはゼロの概念が存在していた、となる。
もしインドにおいてゼロの発見された時期が通説通りの6世紀前後だったとすれば、以
外にも、マヤの方がおよそ六百年ほど前に「0」を発見していたこととなり、当然なが
ら、「0」の発見者はインド人よりマヤ人とする方が相応しいと結論すべきものとなる
といわれる。しかし迦波羅(カバラ)の思想はその上を行く。日本は縄文時代から、こ
の暦にはうるさかった。農耕民族になっても、季節の移り代わりにとても気を遣ってい
た。種まきや田植えの時期をうっかり間違えてしまうと、秋に野菜や米が収穫できなく
なってしまうわけで、何よりも魚の産卵の為の遡上は一年の内のたった2・3日である
。この食料で冬を過ごすとなれば、季節に敏感である必要があるわけで、その上月の満
ち欠けを見ながら狩りや栗などを拾って暮らしていた。季節のある日本の気候は、同じ
月でも上旬と中旬で気温差が生じるため、結果として中国の「二十四節気」という他に
見られない、便利な暦のシステムを導入していた。1年を24等分、つまり、約15日
ごとに分けた季節を節気として信仰していた。この暦は月の満ち欠けと太陽の動きをも
とにしてより正確に作られている。春だけで「立春」⇒「雨水」⇒「啓蟄」⇒「春分」
⇒「清明」⇒「穀雨」の6シーズンとなりますが、例えば、毎年3月6日頃にやってく
る「啓蟄(けいちつ)」という季節は「気候が暖かくなって虫が巣穴から出てくる」と
いう意味だったりする。この暦は、15日で一つの季節が締めくくられる(=終わる)
という考え方に繋がります。ここで毎月15日鬼宿日をつけて14日の日取りをきめた
。この西洋の12割月と24割節の違いや、7日一周に対して日本の6日一周の理由で
西洋16日説と日本の14日説の違いこそが東洋と西洋の違いでもある。



320: 名無しさんAA:19/02/18 12:31 ID:P.
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -10

 ところが変死しているのは、何も動物だけではない。日本でも、餓死者は変死として
司法解剖が行われる。解剖で餓死と認定されたのは、1997年から2011年までの15年間で
25,525人。2011年の日本の餓死者は2,053人。つまり1日に5.6人、4.2時間に1人が、こ
の日本でも餓死していることになる。1997年の餓死者数1,231人から1.6倍も増えている
。生活保護と孤独死は今や急増中だ。更に非行少年達の不審死や老婆や成人の、例えば
薬の作用や、会社退職者の自殺などを含めると2倍以上になる。つまりおおよそだが、
2時間に一人更に老人の自殺で1時間に一人が死んでいる。こうした日本の現実を議員
達はどう思っているのだろうか。世の中には「生甲斐」や「健康」を餌に、様々な商売
が蔓延している。しかしいずれも経済活動の一端として、金にまつわる話が非常に多い
。ズンダランド クライシスは、当然東南アジアの消滅事件である。この東南アジアで
起こっている事は衝撃的である。まず少数民族の多様化文化は無くなった。かつて裸族
でジャングルを駆けて行く民族も、表向き歓迎の踊りと裸になるが、観光客が居ない時
には、Tシャツを着てブリーフを穿きコーラを片手にポテトチップスを食べ、別の新興
都市で暮らしている。理由は簡単だ、かつて多民族が共同所有していたジャングルが、
今や油椰子の畑となって、全世界に洗剤や油揚げの油として供給され、全く小さくなり
、大型哺乳類はおろか小型動物さえも、貴重な野生動物になってしまったからだ。特に
アジア象・チンパンジー種・アジア猫種・サイやカバは一般的にも絶滅危惧種である。
鳥も虫も魚も固有種は既に絶滅した。とも言われている。なかなかこうした数字はどこ
もニュースにしない。この数値は勿論事件性のものと 勝手に痩せる願望の人とに分け
る必要性はある。しかしビールに糖質OFFをかかげ 痩せる薬として果物の匂いつけ
青汁や 何とかの成分としてコラーゲン性能や医薬部外の製品として精製成分が危険で
ある事を何も謳わないで氾濫させる事に大いに問題がある。この認識が教育側法曹側さ
らに連日のごとくTV放送に自分所にちゃんとした立証機関を作らず宣伝を垂れ流し、
公的発表をうのみにし速報するマスメディアの風潮にも、いささか国民生活は被害を受
けている。大体段ボール肉まん、毒入り餃子、水泳選手のカメラ窃盗なんぞ、ちゃんと
映像が放送局に残っている。なのに偽の犯人を犯罪者として堂々とニュースに流すとは
情けないにも程がある。この文化の低熟度が、今の社会の悪癖だが、そこに人の悪性が
開花し政治も経済も 自然破壊を止められない。マイクロプラスチック問題もかつての
排気ガスでの自動車増産問題になったのと同じだ。考えれば解る事で日本の様な分別が
出来ない国での生産技術を渡す事がおかしいのだ。経済団体はそうした事を検討する様
なアメリカの様な経済研究母体や会議母体がその団体を持たないのは大きな問題だ。つ
まり今の経済同友会や経団連などは とんだ違法の茶番団体である。と言える。何も研
究団体や指導科学団体を持ってないのだからおかしすぎる。



321: 名無しさんAA:19/02/18 16:37 ID:P.
  宗教行事と国家行事   09

 日本のお盆が、アキラ100%の様な桶踊りから出ているのは間違いない事実である
。西洋の星占いは、日本にも引き継がれている。星位図を描く占星術は、天文学が発達
し惑星の運行に関する知識が蓄積していったとされる、紀元前1千年紀半ば以降になっ
て興ったと言われこの為古来より、「天文学」と「占星術」の境界の曖昧な表現の時代
は長い。元々は暦のために整備された「獣帯」の神話と占星術と結び付けることは、そ
の当初から行われたものという。現存最古の星位図は、楔形文字の記録にまで残る。紀
元前四百年前の出生星位図(ある貴族の子弟の星位を描いたもの)まで現存してる。た
だし、この時点では、後の占星術に見られる諸概念はほとんど現れていなかったと言わ
れ出生の秘密や人間の予知予言或いは国の占いなど、ずーと後である。古代ギリシャや
ローマの古文では、占星術はカルデア人とエジプト人がもたらしたものとして叙述して
いる。又確かに、科学的には、紀元前4200年の星図をともなうエジプトの占星術の歴史
があり。エジプト人の占星術は、太陽とシリウスの組み合わせが主役になっていて、エ
ジプトに肥沃さと活力をもたらしてくれるナイル川の氾濫を予言するものとされている
。つまり国のリスクヘッジに利用していたのである。神官にその禍いを計らせ王の権限
を安泰に持ち込む為の道具だったのである。当時バビロニアからの移住の民は、メソポ
タミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称であるアッカド語をしてアルカディア人と
呼ばれていた。紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族は、カ
ルデア人と呼ばれて紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。とされている。アッ
カド語はバビロニア方言とされ、これはアッシリア・アッカド語と同じセム語であるが
、発音と文字に若干変わったところがあると言う。後期にはアッカド語バビロニア方言
もアッシリア方言も話されなくなり、メソポタミア中でアラム語がこれに取って代わっ
た。占星術を司るバビロニアの知識階級ないし祭司階級をカルデア人と呼ぶようにもな
っていてアッカド語を話す祭司と言う意味であった。聖書ではカルデアという名は一般
にメソポタミア南部全域を指す言葉として使われているが、本来のカルデアは実のとこ
ろ、ユーフラテス川とチグリス川の堆積物によってメソポタミア南東端に形成された部
分であり、カルデア人が定住した地域はバビロニア南部にあり、主にユーフラテス川の
東岸沿いにあった。つまりイランの今のクルド人居住地と言う事になる。メソポタミア
地方では、アラム語がこれに取って代わった言葉となったが。アラム語は今日はイラク
とその周辺国のアッシリア人のアッシリア東方教会やカルデア・カトリック教会の信徒
の母語であり続けている。と言われている。実はパレスチナヘブライ人が母語として用
いていた言語の「古典ヘブライ語」は聖書ヘブライ語と言われ、現在イスラエル国で話
される言葉ではなくこのアラム語とされる。「聖なる言葉」すなわち「神の言語」とい
う名前で知られ、ユダヤ人達が世界離散(ディアスポラ)で失われた言語なのである。
この言葉が何故か日本の梵語梵字であり、アルカディアの光とする占星術書も伝来した
。そこで日本はト部氏である中国の亀甲占いも丁子の潮占い

322: 名無しさんAA:19/02/18 16:37
  宗教行事と国家行事   10

 この言語において日本の日本的特徴がある。実は多くの言語は殆どが右脳で理解され
る。対して日本語のみが左脳で理解されるからだ。東京医科歯科大学の角田忠信教授が
、1987年にキューバの第一回国際学会「中枢神経系の病態生理とその代償」に参加した
。キューバは戦時体制が続いており、西側諸国からの参加者は角田教授一人だった。開
会式の前夜に歓迎会が開かれ、東欧圏から大勢の科学者が参加した。キューバ人の男性
が力強いスペイン語で熱弁をふるう。しかし、教授は会場を覆う激しい「虫の音」にな
るほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という虫か。と尋ねてみたが、だれも何
も聞こえないという。教授には「蝉しぐれ」のように聞こえ熱弁が聞こえなかった程だ
ったのに。である。午前2時、ようやくパーティが終わって、キューバ人の若い男女二
人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどよりもっと激しく虫の音が聞こえる。
教授が何度も虫の鳴く草むらを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るの
だが、何も聞こえないようだ。不思議そうに顔を見合わせ、お疲れでしょうからゆっく
りお休みください、というばかりであった。3日目になってようやく男性は虫の音に気
づく。しかし、それ以上の感心はなかった。女性の方は一週間しても分からないままで
終わった。日本人の耳と、外国人の耳は違いがあったのだ。この事実から聴覚の違いを
切り口に、角田教授は日本人の脳を解き明かした。「日本民族の脳」という点を科学的
に追求しその結果が驚くべき発見につながったのである。基本的に、人間の脳は右脳と
左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があってそれを処理する。右脳は音楽脳とも呼ばれ
、音楽や機械音、雑音を処理する。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声を理解など、
論理的知的な処理を受け持つ。とされ、ここまでは日本人も西洋人も一緒であった。と
ころが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点では違いが見つかるのである。西洋人は
虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめ
るのである。いわゆる虫の声を聞き分ける脳、ということが判明したのだ。角田教授の
実験では、日本人は虫の音を「虫の声」として聞いているということになる。我々でも
路沿いに長年住んでいれば、騒音に慣れて、電車が通っても意識しなくなってしまう。
同じ現象なのだろう。かつてうるさい工場でも人は言葉を聞き取るのである。しかし、
虫の音は日本人は人の声と同様に言語脳で聞いているので、雑音として聞き流すことは
できない。スペイン語の熱弁と激しい虫の音は、教授の左脳でぶつかって聞こえていた
のである。このような特徴は、世界でも珍しく、日本人とポリネシア人だけにしか見ら
れない。自然と共に培った部族の証左だからだ。中国人や韓国人も西洋型を示す。さら
に興味深いことに、日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型であり聞き取れ
なくなり、逆に外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、という
結果を産んでいるのである。左脳と右脳の活動を幼児期に確定させる。その為の日本の
言葉だったのである

323: 名無しさんAA:19/02/18 16:42
「聖なる言葉」すなわち「神の言語」とい
う名前で知られ、ユダヤ人達が世界離散(ディアスポラ)で失われた言語なのである。
この言葉が何故か日本の梵語梵字であり、アルカディアの光とする占星術書も伝来した
。そこで日本はト部氏である中国の亀甲占いも丁子の渋江氏の潮占いも受け入れた共存
したのだった。


324: 名無しさんAA:19/02/18 16:47
  宗教行事と国家行事   11

 実はここに朝鮮人の何故キチガイなのか。と言う答えが存在する。かつて日韓併合時
に、日本は数多くの小学校を作り教育した。しかしこの時日本語を理解したのは3割で
あり、その殆どが幼児に近い学年であった。今の様な義務教育の当初であった。この時
使われていたのは漢東語とされている。ところが当然方言も多く5つ位言語があったよ
うだ。とされる。時の国語学者は特に、中央アジアで話されている言語は「高麗語(コ
リョマル)」からの日本語転換は難しい難問に見えた。3年たって持ち出されのが、か
つて王族が使ったと言う展開語だった。つまり日本で言うカタカナの様な発音記号であ
る。この古典の参照によって日本の国語学者で文学博士3人が派遣されて、学習院大学
名誉教授の大野晋(おおのすすむ)や、日本の朝鮮語研究に熱心だった金沢庄三、小倉
進平が研究成果として、近代朝鮮語を科学的に体系化し、言語として完成させた功労を
はたしたのです。こうして、日本語の習得の為に、この文法的にチェックする言葉を作
ったのである。こうしてかつて使われなくなっていたハングルが、一躍韓国語(朝鮮語
)を表記する文字として再び登場したのである。李氏朝鮮の第四代国王世宗(せいそう
)大王は15世紀の頃、学者たちに命じて創り上げたのは異民族との会話の為だった。そ
れまで朝鮮人は漢字を用いて自分たちの言語を記録していたし、言葉も漢語であった。
しかし自国語を作っても外交文としても漢文が必要で、わざわざ侵略者のアルタイ系の
言語との調和性の必要もなかったので直ぐに衰退した。又「野蛮な異民族」となること
を恐れた第四代国王世宗(せいそう)王は1504年、ハングルの教育を廃止させて、
書籍を燃やし、1506年にハングルは、廃止された。こうして韓国はハングルを捨て
られたのである。ハングルが再び世に出て鼓吹されるのは19世紀末の日清戦争後であ
り、日本軍が李氏朝鮮の文献に見慣れない古本を手に取ってからだ。一時期に朝鮮語で
翻訳された外交文書が明治5年に目にとまり、一部の朝鮮人しか読めなかったとされる
。400年間閉ざされたハングルは日韓合邦後の明治41年(1911年)に教育制度
の芳しくない中で福沢諭吉が提案し、ハングルを韓国の全国民に教えられ始めた。日韓
併合で日本人は良かれと思って教え始めたが、一通り国民に行き渡ると日本語教育には
行きつかなかったのである。こうして半分日本語的使用法の51音流の姿の整然体系と
半分意味のないかつてのアルタイ語族の自然発生の言語が一体となり完成されない言語
として流通し、右脳にも左脳にもマッチしない言葉に変わり、それが人を作らないまま
常態化してしまったのである。だから不完全の論理体系が出来ないままの韓国人となっ
たのである。カプサイシン効果は更にそれに輪をかけた文化となり 仏像も盗む民族に
なったのである。「火病(ファビョン)」という民族的症候群は、言わば病気であり、
疾患なのでどうしようもない。これは地理的朝鮮半島情勢と同じである。本人達が日本
でも同じだが、正確に見つめ正しく理解しちゃんと人間的ルールで行動するしかない。
のである。女性が女性でない。と声をあげても男性にならないし、男性になった所で、
出産を拒否しては人類は続かないのである。


325: 名無しさんAA:19/02/18 16:48
  宗教行事と国家行事   12

 「馬鹿の辛い物好き」は仕方ないにしても、国家行事として火事が好きなのは四流の
民の華でもある。キューバ人にとっての、会場を覆う激しい虫の音も、いつもの騒々し
い雑音だと慣れてしまい、意識にのぼらなくなってしまった事は、韓国言語や中国人の
うるささが気にならない習慣を意味している。よくTVに辛い物が苦手でない芸人など
が出る。しかし、人体細胞学では単にキャッチする味覚が壊れているだけであり、今の
自動化した安全な車のセンサーが壊れているだけに過ぎない。人間として失格になった
味覚におどろく事ではない。人間は目を潰せば見えないくなり、耳が壊れれば聞こえな
いのだ。聴覚障害で爆音のメロディがうるさくないと言っているのと同じであるTV局
はもっと真面目に放送すべきだろう。言語による左脳か、右脳かの実験では、脳の物理
的構造というハードウェアには全く問題はなく、幼児期にまず母語としてどの言語を教
わったのか、というソフトウェアの文化の問題らしい事を掴んで科学は先に進んでいる
。今では、こうした結果がどうして得られたのかが解っている。人間は産まれた時には
今の人の持つ能力の百倍近い能力で幼児期進化する。一年間で十倍以上の身体変化に対
応しまるでくしゃくしゃの紙が自然に新聞紙に戻る様により複雑な回路を脳にも体にも
創りだす。酒やたばこも麻薬もカプサイシンもそれを阻害する薬として働く。その中で
人類は、そこ其々の地域文化は薄めて租借し許容値を決めて子育てを行って来たとされ
る。実験では、人間の耳から脳への神経系の構造は複雑で、左耳から入った音の情報は
右脳に行き、右耳から入ると左脳に行く、という交叉状態になっているとされる。そこ
では、左右の耳に同時に違ったメロディーを流して、その後で、どちらのメロディーを
聴きとれたかを調べると、常に左から聴いた方がよく認識されている事が分かっている
。これで人は、音楽を、左耳、すなわち、右脳の方が得意だと分かる。同様に、違う言
葉を左右から同時に聴かせると、右耳、すなわち左脳の方がよく認識する。と言う結果
になる。我々がほとんどの場合、右耳に受話器をあてるのは、この為であるとされる。
さらに複雑なテスト方法もあるが説明が長くなるので、最も基本的な実験方法としてこ
れだけを記述した。こうした実験で、いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べると、
音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本人も西洋人も共通である。
違いが出るのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川
のせせらぎ、邦楽器音などの感情音感は、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は
楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かったのである。つまり赤ちゃんの泣き
声に対して日本人はより繊細な左脳で反応し 西洋人はおざなりないつもの雑音と同じ
右脳で処理していると言う結果である。更に興味深いのは刺激の強い 麻薬や香辛料は
そこに間違った交差や麻痺させる効果をも持たせることだ。その為その排除の為に、こ
発汗作用の効果を促したり、発汗気孔を閉じさせ氷の湖にも泳がせる力を持つ。つまり
ウオッカ作用と同じである。



326: 名無しさんAA:19/02/18 16:53
西洋人はおざなりな、いつもの雑音と同
じ右脳で処理していると言う結果である。更に興味深いのは刺激の強い 麻薬や香辛料
はそこに間違った交差や麻痺させる効果をも持たせることだ。その為その排除の為に、
こ発汗作用の効果を促したり、発汗気孔を閉じさせ氷の湖にも泳がせる力を持つ。つま
りウオッカ作用と同じである。


327: 名無しさんAA:19/02/18 16:55
  宗教行事と国家行事   13

 かつて、ユダヤ人は、過去に二つの神殿を建設した。「第一神殿」「第二神殿」の、
それらはいずれもエルサレムに建っていた。その場所はエルサレムのモリヤの丘であり
、全く同じ場所だった。その場所は、かつてアブラハムがひとり子イサクを神にささげ
ようとした場所であり、最も聖なる地である。とされた。ユダヤの民と自認する人達は
やがて建てられる第三神殿も、全く同じ場所に建てられなければなりません。と宣伝す
る。それ以外の場所では、意味がない。とまで言う。ここで、ユダヤ人の過去を探ると
神殿とされる、第一神殿、また第二神殿の建設について、簡単に振り返ってみると面白
い現実が見えるであろう。第一神殿は、ソロモン神殿とも呼ばれ、古代イスラエルの王
ソロモンが、紀元前一〇世紀に建造したとされる。この神殿はきわめて壮麗なもので、
ソロモン王はユダヤ人ではない。父親はダビデ。母親はバト・シェバとされ。エジプト
人だ。その為エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を
確立した。古代イスラエルの最盛期を築いたが、紀元前五八六年にバビロン帝国の侵略
を受けて完全に破壊された。と言われる。エジプト人だった為にベニヤミンでイスラエ
ル人のユダヤの使徒であるベニオン族の首長イシュ・ボシェトと戦っている。ユダヤ教
の伝承ではソロモンは知恵文学の著者とされるが、歴史的な裏付は無く、考古学的には
疑問視する意見が大多数である。ユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を
託されたと言われ、多くの天使や悪魔を使役した。またソロモンの指輪という指輪をは
めて動物や植物との会話もしたという伝説だ。ユダヤ教以外の信仰を黙認し、ユダヤ教
徒と他の宗教信者との宗教的対立を誘発し、出身部族のユダを匿って神殿を建てたされ
る。エチオピア正教史では、エチオピアの女王シバの女王もソロモンの知恵と王都エル
サレムの繁栄を見て驚いた。と伝えている。エチオピア帝国が13世紀に編纂した歴史書
によれば、ソロモン王とシバの女王の息子(メネリク1世)がソロモン朝エチオピアを
建国したとされる。本書をめぐる伝承によれば、これは天使ラジエルがアダムに開示し
たものとされ、ギリシア語魔術パピルス (Papyri Graecae Magicae) に負うところ大で
、古代後期に起源があるとは言うが13世紀作である。これは天使ラジエルがアダムに
開示したものとされる。標題自体は、古代後期の別の魔術書『モーセの剣』の中で触れ
られている。ラジエルの書は、始めは楽園を追放されたアダムに与えられ、それに嫉妬
した天使達は、ラジエルの書を奪い取って海に捨ててしまう。神の命を受けたラハブに
よって回収されアダムの手に戻る。他にも、エノク、ノア、ソロモン王がラジエルの書
を読んだとされるが、ラジエルにしか読めない秘密の文字を使用していてラジエル以外
の天使にも読むことは不可能だと言われていた。しかし偽典とされるエノク書には、そ
こしか現れない七大天使などの天使名が使われており、キリスト教初期には広く信じら
れていた。と言う。天界や地獄、最後の審判、ノアの大洪水についての予言などが語ら
れており、天使、堕天使、悪魔の記述が多い。エノクの啓示という黙示録である。この
時悪魔と言う抽象概念が作られた、これは日本の鬼や妖怪や幽霊とは極めて違う物だっ
た。



328: 名無しさんAA:19/02/18 17:00
  宗教行事と国家行事   14

 つぎに第二神殿が建てられたのは、捕囚先の、バビロンから帰還したユダヤ人達が、
ゼルバベルの指導のもとに、紀元前五二〇〜五一六年の四年間をかけて建造したという
。第二神殿であるゼルバベル神殿は第一神殿に比べると、多少見劣りのするものでした
がそれでも多くの信者の中心になった。ゼルバベル神殿と言われ、紀元前二世紀になっ
て異邦人アンティオコス四世・エピファネスによって踏みにじられ、その後は、又しば
らく荒廃状態が続いた。しかし紀元前一九年頃になって、ヘロデ大王がこの神殿の修理
・増築を始めました。この工事の時代には、キリストの公生涯の時代にもまだ続けられ
ていてその工事をキリストも見守っていたとされる。このヘロデ神殿は、ゼルバベル神
殿の修理・増築であるため、一般には同一の神殿とも見なされ、両者を合わせて「第二
神殿」と呼ばれている。しかし、現実には第二神殿は、ゼルバベル神殿とヘロデ神殿の
双方をさす言葉であるのです。第二神殿は、紀元七〇年になって、ローマ軍によって完
全に破壊されました。エルサレムの有名な「嘆きの壁」は、このときに破壊を免れた唯
一の残存物と言われる。それは、第二神殿の外壁の一部だったのです。かつて、キリス
トの時代において、嘆きの壁の手前の地面は、今より約一三メートル下にあった。今で
は、嘆きの壁のすぐ近くに、タルムード(ユダヤ教の解説教典)を学ぶ学校が、二つあ
ります。そこでは二百名余りの学生が、やがて神殿の祭司として奉仕するために、事細
かな勉強を行なっている。第三神殿で再開されるはずの「犠牲の供え物」に関する研究
も、特別なある団体で行なわれている。と言う。神殿完成の落成式に必要な「赤い雌牛
」も、準備されつつある。旧約聖書・民数記一九・一〜一〇によれば、神殿の完成時に
、傷がなく、まだくびきを置かれたことのない完全な赤い雌牛を焼かなければなりませ
ん。と書かれている。ユダヤ教の教えにおいては、その灰を集め、祭司は神殿に入る前
に、その灰で自分の身を清めなければならないのです。その赤い雌牛を得るため、最近
ラビ(ユダヤ教教師)の一行は、ヨーロッパで若い雌牛の胚を捜し求め、それらを持ち
帰ってイスラエルの牛の群れに移植したといわれる。また、エルサレム旧市街にあった
「神殿研究所」(テンプル・インスティテュート)も、第三神殿のための準備に励んで
いた。そこでは神殿祭具の研究や、その展示が行なわれています。しかし、不思議なの
は、PLOであるパレスチナ難民達は、イスラエル建国の頃牛を飼って生活していたが
、この移住して来たユダヤ人達は、誰一人として家畜を飼う作業をした者はいなかった
ので、牛乳も肉もオレンジも農作物は買っていたと言うのである。しばらくしてそれを
習って、後に産業とはなるが、殆どが兵士か商人で農民は居なかったのだ。この話は、
驚きだが現実であり、渡米して成功した人達の募金で国が為っていたのである。この時
代が微妙に黄金や銀の硬貨から紙幣や信用の時代に変わっていて、日本での護摩符の様
な通貨が、金融の中心だった。言わば藩札を国が刷り、IMFの様な米国金融の国際機
関が、日本の江戸幕府の様な後ろ盾になったのだ。

329: 名無しさんAA:19/02/18 17:13
  宗教行事と国家行事   15

 今やユダヤ人達は、かつての旧約時代と全く同じように、第三神殿を建て様々な祭儀
を開始しようとしている。彼らはまだ今だに「旧約時代」に生きている感覚である。し
ばらくの間彼らは平和の内にそれを続けるはずである。しかし、やがては異邦人の国の
中に強力な独裁者が現われ、野望を抱く。彼は自分を神とし、キリスト教およびユダヤ
教に対しても、激しく敵対する。彼はエルサレムに侵略軍をさし向け、そこを踏み荒ら
させる事であろう。第三神殿の中にも 土足で踏み入り、自らを神と宣言を行う。また
、そこに自分の偶像を置いて、人々に拝ませる。これが、キリストの予言された世界だ
。そこには「荒らす憎むべきもの」が描かれている。この苦難の時代は、三年半続き、
そのとき、世界の悪は最高潮に達する。しかし、そこにやがて神の裁きが下りるとされ
。キリストが再来されるという。メシア論だ。キリストは、地上の悪の勢力を一掃し、
反キリスト達を滅ぼす。そのとき全てのユダヤ人は、イエス・キリストこそ真のメシヤ
であったことを知る。そして彼らは、みなキリスト教徒になる。と書かれている。(黙
示一・七、ロマ一一・二六)。肉のイスラエルは、みな霊のイスラエル(クリスチャン
)に生まれ変わり、彼らは霊のイスラエルに合体する。ユダヤ人は、決して神から捨て
られてはいないと信じ、今も尚、神のご計画と摂理の中にある。と信じられている。嘘
みたいな信仰である。ユダヤ人の多くは、まだイエス・キリストを見た事もないのに、
使徒パウロの、言っているように、「異邦人の完成のなる時まで」(ロマ一一・二五)
のことで、異邦人に対する世界宣教が完成すれば、その後にユダヤ人の時代がやって来
る。と、信じて止まない。キリストの福音の世界宣教がほぼ達成されつつある。と信じ
ユダヤ人の大リバイバル(回心)のときは刻々と近づいていると第三神殿建設に余念は
ない。究極の歴史に至るためのステップで、成し遂げると決意している。ここにハロウ
ィンがある。ハロウィンはキリスト教の祭ではない。ハロウィンに対しては、キリスト
教にとっては、異教徒の祭りであった。キリスト教教会においては、容認から否定まで
様々な見解があるが、基本的に他の宗教祭と言うのが一般的だ。しかし、ハロウィンで
語られるのは、生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入
りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にして、萎びて転がっていたカブ(ルタバ
ガ)をくりぬき、それを入れたランタンを片手に持って彷徨っている姿だとされている
。ウィル・オー・ザ・ウィスプである。ウィルオウィスプ、又は、ウィル・オー・ザ・
ウィスプは、「霊魂の火の玉」の事だ。世界各地に存在する、鬼火伝承の名の一つであ
る。日本語で言う火の玉伝承と同じで過去の死人の魂とされる。イグニス・ファトゥス
(愚者火)とも呼ばれ、地域や国によって様々な呼称がある。夜の湖や沼付近や墓場な
どに出没する。近くを通る旅人の前に現れ、道に迷わせたり、底なし沼に誘い込ませる
など危険な道へと誘うとされる妖怪の一つだ。その正体は、生前罪を犯した為に昇天し
きれず現世を彷徨う魂であり、洗礼を受けずに死んだ子供の魂達で、拠りどころを求め
て彷徨っている死者の魂と言う。ゴブリンと言う怪物達や妖精の変身した姿等であると
も言われている。また、悪賢く、遊び人が悪魔を騙し、一度は死んだが、真面目であっ
た為地獄に入れない。という契約で、死後は、生前の行いの悪さから、天国へも行く事
を拒否されて、とうとう悪魔との契約により現世で悪さを強要される。と言う物語であ
る。こうしてカブ(ルタバガ)に憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だ
ともされている。

330: 名無しさんAA:19/02/18 17:20
  宗教行事と国家行事   16

 この悪い火の玉に代りに、旅人を迷わせずに道案内をする為に村人が弔いするのが、
ハロウィンの祭りである。ハロウィン、又はハロウィーンと言われるものは、毎年10月
31日に行われる。キリスト教をまだ信じなかった頃のケルトの風習である。という。古
代ケルト人が起源と考えられている祭だが。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追
い出す宗教的な意味合いの強い行事である。現代では特にアメリカ合衆国で民間行事と
して定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなって来てはいる。カボチャ
の中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが、
魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
昔はケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は秋の終わりを意味し、冬の始まり
でもあったのだ。つまり、日本流では大みそかだったのである。この為死者の霊が家族
を訪ねてくると信じられていた。時期を同じくして、出てくる有害な精霊や魔女から身
を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたと言う。これに因み、31日の夜
、カボチャ(アメリカ大陸の発見以前はカブが用いられた。スコットランドではカブの
一種ルタバガを用いる。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン
(仮想魔怪人)」を、野菜から作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1
軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないと悪戯するよ。)」と
唱えて練り歩く。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち
寄り、ハロウィン・パーティを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合には、報復
の悪戯をしてもよい、とされている風習だ。日本で言う「旅人の柿」風習である。日本
の「旅人の柿」は、サルカニ合戦に良く似ていて、柿の木のしぶであろうが甘柿であろ
うが、採れる所の柿しか取らず、あとはちゃんとそのままにしておくそうだ。冬が近づ
いて旅人やクマやサルなどが柿に上るが、柿の木は折れやすく、そうした不審者用の食
料であり、礼儀を知る奴には、竹で枝を折って取ってやり、悪い奴は勝手に登っても枝
が折れ落ちる。と言う事になっている。一種の家庭で出来る罠なのである。馬鹿や獣が
高いもの好きで怪我をすると言われた所以である。こうした落とし穴や罠で人の篩い分
けをしたのである。ハロウィンも同じに、訳の解らない隣人が住民に為る事を防ぐ祭り
でその為子供主役の祭りであった様だ。これに商売と言うハロウィン経済をつけたのが
仏教徒である。かつては、盆も正月も祭りの日だが家族の日であり、家で過ごして出歩
くな。という日だった。それを大勢が外に出歩く日にしたのは、墓をつくり華奢な祭器
をつくり鐘を鳴らし布施をして、貨幣経済を成立させた小乗仏教の和尚からだった。実
はその作りそのものの生活実態がユダヤ教やキリスト教の進めてきた社会だった。つま
り日本の盆の様な先祖供養でなく、浮遊する霊魂に悪魔と契約しない様にと言う、霊界
や旅人やロマ人の様な浮浪するボヘミアン達への救済や布施へのお祭りでばか騒ぎ新宿
の様な話ではない。仮装するのは、自分が解らない様にする為の変装だ。



331: 名無しさんAA:19/02/18 17:29
  宗教行事と国家行事   17

 古代ローマ帝国は、何といってもインフラ整備を権威としていた。コロッセウムも道
も水道橋も彼らの国の威厳だった。しかしこのローマもユダヤの陰謀の下消費社会を築
いた事で衰退の一途をたどる。元々このユダヤ人に生産活動や自然との共存の思想はな
い。此処に朝鮮民族や支那人などとの共通意識を垣間見る思いがする。我々が世界史を
見た時大きな間違いに気づく。それは一方的な視点である。例えばコロンブスの大陸の
発見や世界一周などは、世界史とは言えるが、ほんの一握りの西洋から見た視点に西洋
史に過ぎず世界史ではない。同じ様に人類の大陸大移動と言う時期がある。いわゆる、
アーリア人の欧州侵攻である。だがこれは明らかに創られた歴史だった事が今解ってい
る。このヒットラーすら騙されたアーリア人とは一体何者か。結論からいえば漠然とし
たアジア人と言う呼称である。基本的には人類学的にも血統学でも科学的根拠は全くな
い。これにナチスのこじつけが始まり優生遺伝学をひっつけてユダヤ迫害となったのだ
。そしてこの時集められ迫害受けたユダヤ人は2割にも満たない。多くはロマ人ポーラ
ンド人そして不明のボヘミヤン人である。要は無職や浮浪者と農奴達で経済差別の中に
あった無宿の人達だったのだ。残り2割は銀行などの絵画や宝飾品を持った資産家だっ
た。では優生部族とされた一方のアーリア人は、アーリア人種論では、インド・ヨーロ
ッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生したものとする
のでほぼ全域のヨーロッパ・アジア人達である。狭義では、今では、近縁の民族として
パシュトゥーン人、ペルシア人、タジク人、北部インドの諸民族などを指し、中東人の
彼らをアーリア人の末裔であるとされる。多くがサーサーン朝のペルシア帝国滅亡後に
インドに移ってきたゾロアスター教を信奉する古代ペルシア人の子孫である。とされる
。アーリア人種とは、紀元前15世紀頃から、遊牧の生活でインドや西アジア、中央ア
ジアやヨーロッパ、ドイツなどのあらゆる国に勢力を拡大していく複数の集団に分裂し
、それぞれの国に渡った、集団とされる。司祭を持って文化を築いた民族である事が、
特徴である。ところが、ゲルマン人種も全く同じで、インド=ヨーロッパ語族に属して
いる民族で、アーリア人種はインド=ヨーロッパ語族の一派(混血)で、『インドとイラ
ン』に定住した民族という。ゲルマン人種は『現在の北西ヨーロッパ』に居住する民族
だったと違いを学者は主張する。しかし、実は二つに違いは無い。「北方人種の白人」
と結び付けられることが多いが、「ゲルマニア」と呼ばれた土地への定着を先に行った
人種だけであり、双方に純血種など居ないのが現実である。ただただ先行して欧州に住
んで定住し、戦斧文化の担い手となり、その後追われ北方に移住した為バルト・スラブ
語派に近縁となり現代のケルト人に近い人種となった。ゲルマン大移動説では騎馬民族
のフン人に圧迫されたのを契機に始まったとされるが、その多くは謎や嘘であり、じわ
じわと温暖化と共に北方に移住して行ったと言うのが正しい。問題のフン族はゲルマン
人で文字を用いず、口承による文化を持って流血の戦闘集団であった。とされている事
だが、伝承ではそうもなっていない。つまり今の欧州人の事になるのである。


332: 名無しさんAA:19/02/18 18:44
  宗教行事と国家行事   18

 ハロウィンがこうした移動民から守る為の祭りであったが、同じ様に不思議な商用祭
りとしてバレンタインデーがある。バレンタインデーの起源は3世紀ローマに遡(さか
のぼ)るという。当時の皇帝は強兵策のため兵士の結婚を禁じたが、バレンタイン司祭
が命令に反して大勢の兵士たちを結婚させる方策を取った。地域の少子化を止める為の
富国強兵の為の強制結婚である。その結果兵士は隊を離れて定住化した。その為、皇帝
の怒りを買い殺されるのである。この日が2月14日とされ、以来、バレンタインデー
は司祭の死を悼む宗教行事になった。14世紀ごろからは、愛を告白し、贈り物をする
日に変わっていったといわれる。当時ローマでは、2月14日は女神・ユグノーの祝日
としていた。ユグノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもあった。翌2
月15日は、豊年を祈願する清めの祭りでもあるルペルカリア祭の始まる日でもある。
当時は国を守る為若い男達は、それぞれ女たちと生活が別にした集団生活だった。しか
し旧来から祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになってい
て翌日、男たちは桶から札を1枚ひき。ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナー
として一緒にいることが出来ると定められていて。その後多くのパートナーたちはその
まま恋に落ち、そして結婚し家庭を持つ習わしだったとされる。古代ローマはアテナの
時代から、スパルタ式の軍隊養成をしていた。つまり産まれて成人すると、勝手に集団
で他の土地で暮らす事だ。その頃子供はそのグループで集団生活が強いられ、多くは、
賊徒として民家から食べる物を盗んで暮らす事になってしまう。その為ローマ帝国は、
その集団生活を敵の居住地に設けて生活させた。バレンタイン伯爵、即ち聖ウァレンテ
ィヌスはしかし 269年に、公然とローマ皇帝のその方式に反対し、若者を保護して今の
様な家庭生活の一家団欒にさせた。ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人
を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士の身分での婚姻を禁止し
ていた為噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレ
ンティヌスに再三再四、命令した。しかし主に西方教会の広がる地域において反対され
て、革命となった。『ローマ皇帝群像』によれば、クラウディウス・ゴティクスの弟の
クィンティッルスはクーデターによって政権を奪取したと伝えられる。ゴティクスの死
後、軍隊の兵士たちに擁立されての即位だったらしく、ローマの元老院によって追従承
認といった形で迎えられた。この家庭を持つと言う兵士革命を影で伝えたのがバレンタ
インデーの中の一つの説だが、なぜかこれも商用主義で日本では盛況である。困ったも
のだ。つまり韓国の様な徴用兵制が敷かれ、9歳の成人以降は同性で集団生活を強いら
れこのバレンタイン候の計らいでルペルカリア祭の始まる時婚姻をさせ、兵士から脱会
させていたのである。しかし、それはローマ帝国のローマ支配からは逸脱し、なおかつ
イタリアのバチカンの一神教に反対する多神教のアルカディア市民やパランテウム市民
を増やし兵士を減らす結果を作った。その為ローマ帝国は見せしめとしたのだ。ミラノ
勅令で宗教の自由としたが、ここで聖バレンタインを殉教者の一人としてローマ帝国が
、キリスト教時代に舵を取って、グノーシス派を殲滅させた。その後も教皇庁はカタリ
派の人気に恐れをなし、アルビジョワ十字軍を結成。異端審問制度を実施し、カタリ派
は殲滅させられる。又カルヴァン派がフランスでも勢力を持った時も、プロテスタント
はカトリック側からは、「ユグノー」と呼ばれ、1562年以降カトリックとユグノーとの
内乱状態(ユグノー戦争)となったりしている。多神教を許さなかったのだ。

333: 名無しさんAA:19/02/18 18:56
  宗教行事と国家行事   19

 人々の生活の中には、必ず歳四季催事(さいしきさいじ)がある。一年の中の祭りで
ある。ロスジェネとはロストジェネレーションの略で、直訳すれば「失われた世代」と
なる。現在では、ロスジェネ世代とは、バブル崩壊後のおよそ10年間に社会人になった
世代を指す。として1970年から1982年頃に生まれた人が当てはまる。と解説される。超
就職氷河期に就職活動を行っており、正社員雇用ではなく非正規雇用として働くことを
余儀なくされた人が多い世代ともいえる。と言う。ところがこれはとんでもない間違い
だ。「失われた世代」と訳されるこの言葉は、ヘミングウェーの「日はまた昇る(1926)
」の題辞に引用されたG.スタインの言葉に由来する。この呼び名は、直接的には小説で
描かれている「大戦の生々しい傷痕をかかえて1920年代のパリにたむろした虚無で享楽
的なボヘミアンたち」を指す。つまり、第1次大戦や第2次世界大戦などの惨禍で直接
・間接に体験した世代で、既成の理想や価値観に絶望したアメリカ社会の中で「生きる
指針を見失った世代」「迷える世代」の事だ。つまり教育や伝統の伝承もおぼつかなか
った世代である。つまり、今の麻生や安倍や小泉の少し上の世代の人達である。鍛えぬ
かれた経験を駆使して刻々と展開する「なまの現実」に対応し,強烈な臨場感の中でも
的確に平和を創ってきた彼らのスタイルは、およそ今の者が真似出来る物ではない。確
かにバブル崩壊後には「仕事に対して前向き」であり、硬く「貯金好き」で「優秀な人
材も、他の世代よりは多い。しかし、とても失われた世代の様な非情な環境ではない。
確かに闇雲に共産化社会運動に走った朝鮮人の様な「団塊世代」や、狂乱物価で何とか
なるだろうと無責任無関心の「バブル世代」、更には大人達が金盲家で教えるべきも教
えなかった「ゆとり世代」の人達よりは賢こいではあろう。真面目だから。だがその時
の首相の席の中曽根以下、景観教育や義務教育更に公的扶養の環境破壊は、全く子供を
育てる環境を壊してしまっている。つまり図書館に古書が無い状態で一体何に教育され
ると言うのだろうか。科学技術は過去からの発展で活きる物だ。もっと言えばすべては
理解の為の技術であり何ら創られたものはない。車や電気などで人はどう変わったのか
、電話でも同じだが多くの者が、昔の誰かと同じ生活をしているだけで、何ら変わって
はいない事を知らないらしい。勿論全体の社会体制は変わったであろう。が、アマゾン
の熱帯雨林は無くなり地球温暖化は危機的様相で、街は都会になった。事は良い事とは
思えない。又、古来より人は魚や米を食べ、いづれかやって来る死に対し資産を増やし
、家族と暮らす事は、消えやしないし消えてもいけない生き様で生活である筈だ。ここ
に、「宗教行事と国家行事」の元がある。数百年と消えずに男系男子の氏族として日本
の天皇の物言わぬ「国家安寧と世界平和の祈り」の象徴として崇めた誇りが存在する。
と言う理由である。とても「戦争犯罪人の子孫」と言う韓国の分断政治で継承の無い様
な、無知国家の歴史とは、似ても似つかぬ民主主義の象徴なのである。これを理解して
いないし、戦前戦後が無かったように、批判だけして犯罪者探しをする。今の足元の進
化した生活が 何処でどう出来て何故今が幸せなのかが解っていないのだ。愚か者だか
ら。戦争を焚きつけ、戦争になれば一兵も出さず、米兵に任せ、協定合意にも参加せず
、秘かに守ってくれた国に足蹴にして領土拡張を目指す。戦前の統一社会すら維持でき
ず、時の王朝すら足蹴にした中国・韓国政府が 国民の事を思う筈もないと思ってはい
るが、それは通らない理屈だ。




334: 名無しさんAA:19/02/19 07:14 ID:Pk

 近頃 政府内にはまともな考え方は出来ないようだ。 今度の野田市は虐待防止策と
して何たら感たら言っているが これは一人死なせたのが、アンケートで話しません。
口外しませんと詐欺をして、その上に屈服して親に書類を親に見せて虐待が酷くなった
のは明らかだ。人が死んだ以上この職員は業務上過失致死罪は明らかであり、公務員法
の違反も当然ある。これを何故警察は逮捕しないか。同じ行政自治の管理下だからと言
うは理由に為らないだけでなく、今流行りの忖度した汚職である。これは立証され告訴
されるべきである。更に国会議員の自民党議員も良く考えるべきだ。このまま予算が、
普通の様に強行採決すると言うのは、この統計詐欺について、恣意的であれ怠慢であれ
この詐欺を認めると言う事であり、大変な国民背反の罪であり先の忖度の汚職である。
間違いの数値を認めた上で、その数値で運動測定や国の健康判断しているのだから、こ
れは国会議員法の違反としか言いようが無い。明らかに内閣を忖度した議会であり、こ
れは国会議長は、国会議員の政党と内閣の閣僚の済み分けが出来ていない事になる。つ
まり議会制民主主義で政党政治の良心に反している。つまり道徳ある議員と言う性善説
の法律を自ら犯しているのである。良かれときめ細かに法を設定していない抜け道で、
悪行する議会局面と行ったこういう事が多すぎる。全く恥をしれ安倍内閣。メディアも
もっとちゃんと直視しろ。議会の慣習法違反の犯罪だらけではないか。



335: 名無しさんAA:19/02/19 13:15 ID:Pk
物事の正しさは、信賞必罰(しんしょうひつばつ)にある
今の安部政権には無さすぎて 自らの律すらない。
これで首相では 日本は笑われる。


336: 名無しさんAA:19/02/23 07:12 ID:xM
ふざけた政府と汚職議員と腐敗官僚の考え方が端的に現われるのが休眠預金の取り扱い
だ。民間銀行が民間から預かり受けている物が、政府監査で引っ掛かるので上げます。
じゃあ われわれが NPOなどの給付に使いましょうなどと言う。馬鹿げて国民を愚
弄している。かつて引き揚げ時も、いずれ返すものだ、一時預かる物だと強制的に引き
揚げ兵員から下関税関では取り上げた。だがそれは氏名まで書き入れさせても返済に奮
闘したとは一回も聞いた事は無い。この休眠預金も同じである。動きの無い預金が預金
でないなどと言う法律は作っていない。そもそも金を動かすから預金すると言う話が、
存在していない。政府の勝手な解釈だ。人は金をこつこつ貯める為に銀行を利用してい
る。これをサラリーローンの地獄の様な暮らしをせよ。とキャッシュローン提携に向か
わせて消費税の税収を狙うのは解るが 他人の財産を勝手な改訳で政府が利用するとい
うのは、何処の国もやらないお門違いの国策で 政府の法律違反である。つまり この
安倍政権は国家であれば どんな憲法違反も出来ると勘違いしている。本来なら麻生氏
の椅子はそうした姿勢に猛反発して反論して正論を叫ぶべきだが、馬鹿だからこの悪下
と共に日銀、財務省、政府が一体になって、悪癖をつけ国民を恫喝する。さっさと買え
消費税払え 税率上げて政府予算を増やせ。と政府予算で国益を考えるべきなのに、全
く本末転倒な話である。



337: 名無しさんAA:19/03/11 19:05

  宗教行事と国家行事   20

 京都市右京区の古刹(こさつ)、退蔵院(たいぞういん)。副住職の松山大耕(だい
こう)さん(40)は、寺に生まれながら、中高はカトリック系の学校で学んだ経歴を
持つ。学生時代に旅行したカトリック国のアイルランドで民宿の女性店主に自身の経歴
を話すと「アイルランドで同じことをすれば、殺されても文句はいえないわよ」と責め
られたという。これは笑い話ではない。ドイツ侵攻時代は、キリスト教とロシア正教の
二つは分けられたし、無宗教者とされた者は勝手にユダヤ教徒とされたのである。つま
り収容所送りにされても仕方無かったのだ。日本人ほど多様化宗教を認める民族もいな
いだろう。20世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞が、中央アジア
に派遣した学術探検隊として大谷探検隊を組織した。シルクロード研究上の貴重な業績
を挙げた最初の日本人かもしれない。1902年〜1914年(明治35年〜大正3年) の間に、
前後3次にわたって行われたが、戦時中という状況も重なり活動の詳細は不明なところ
も多い。大谷探検隊の概要は、第1次(1902年〜1904年)は、ロンドン留学中の、大谷
光瑞自身が赴き、本多恵隆・井上円弘・渡辺哲信・堀賢雄の4名が同行した。光瑞師は
カシュガル滞在後インドに向かい、1903年(明治36年)01月14日に、永らく謎の地の
山であった霊鷲山を発見した。また、マガダ王国の首都王舎城を特定した。渡辺・堀ら
は分かれてタクラマカン砂漠に入り、ホータン・クチャなどを調査した。これと別に雲
南省ルートの探検が野村禮譲、茂野純一によって行なわれ、この途上で建築家伊東忠太
と遭遇して、これが光瑞師と伊東博士の交流のきっかけとなり、のち築地本願寺の設計
依頼へとつながりました。第2次探検(1908年〜1909年)は、橘瑞超、野村栄三郎の2
名が派遣され、外モンゴルからタリム盆地に入りトルファンを調査した後コルラで二手
に分かれた。野村はカシュガル方面、橘はロプノール湖跡のある楼蘭方面を調査した。
有名な李柏文書はこの時に発見されたと見られている。第3次探検(1910年〜1914年)
に於いては、橘瑞超、吉川小一郎の2名が、トルファン・楼蘭などの既調査地を更に深
く再調査をはじめて、ジュンガリアでも調査を行うほか、敦煌で若干の文書を収集した
。その規模は、世界各国(スウェーデン・ロシア・イギリス・フランス・ドイツ)など
が調査したが、どの国のものよりも広範囲なものであり、探検に加わった隊員も10代
から20代の若き僧侶たちで、その苦労の足跡と成果が特別展で詳しく展覧する様に、
見る視点が違っていた。


338: 名無しさんAA:19/03/11 19:05
  宗教行事と国家行事   21

 そもそも、今から110年前の1902年(明治35年)に西本願寺第22世の大谷光瑞師(25
歳)によって組織された探検隊の「大谷探検隊」が出来たのは、よその国の様な人類学
や言語学或いは人類の優生遺伝学など政府や軍部の、権力高揚に悪用しようと言う意図
が全く無かった。明治の開国期には、仏教界は大変な危機に面していた。明治初頭にお
ける廃仏毀釈の運動は仏教各宗に大きな打撃を与えた。と同時に、仏師達には仏教復興
の強い念を起させる大きなきっかけとなっていた。西本願寺第21世宗主大谷光尊・明如
上人(大谷光瑞師の父)は、沈滞する教団を活性化する奇策として西洋の教育制度を取
り入れ、人材の育成に乗り出した。仏教研究においても、新たな潮流としてキリスト教
やユダヤ教に対抗した原点回帰が起こり、原典研究として西洋でサンスクリット、パー
リ語の仏典研究が盛んになって行きました。本願寺も西洋に留学生を送り込む努力をし
研究成果を取り入れようとしていた。また、仏教伝来の中央アジアの歴史的地理的解明
が進みつつあり、かつてアジア一帯に広まっていた仏教、そしてその仏教を支えていた
人々の情熱、それらを調査して当時の社会に知らしめよう、とした大谷光尊師の先見性
がそこにあり、受け継いだのが長男の大谷光瑞師の「大谷探検隊」でありました。大谷
光瑞師が中央アジアに対する学術的調査を実行する機会をつかむことができたのは、彼
がロンドンに留学していたからで、当時のヨーロッパ事情はアジアンブレークとして、
大陸文化の探求真っ最中だったのだ。スウェーデンのヘディン、イギリスのスタインら
の西域での活躍は、ヨーロッパの新聞や雑誌に盛んに報道されていたし、またロンドン
の王立地理学会は、世界中の地理学上の情報マーケットとして君臨していた。1900年、
当時、そうした中に大谷光瑞師と本願寺の先鋭的な若き僧侶たちはロンドンに留学して
いたのである。光瑞師はその留学の帰途を利用して西域探検の一端を達したいと思った
のも当然でもあった。その時の思いを光瑞師は「明治35年(1902)8月、私はたまたま
イギリスのロンドンに遊び、日本に帰ろうとした時、ふとこの帰途を利用して私の意志
の一端を達すべきであると考えた。そこでついに決心して、自ら西域の聖蹟を歴訪し、
別の人を派遣して新疆の内地を訪れさせた。」と、語っている。また、大谷探検隊の大
きな特徴として、他の諸外国の探検隊が美術資料収集や地理情報収集を主眼に考古学、
人類学、古代言語学的にアプローチしたのに対し、彼らは信仰を対象にしたインドから
日本への仏教伝来の道を明らかにすることを主目的にしていた。仏教徒としての仏教的
アプローチであった為国策でも、下手な学術的権威もなかったということにある。

339: 名無しさんAA:19/03/11 19:05
  宗教行事と国家行事   22

 こうして、光瑞師は「西域考古図譜」の中で「おおよそこの前後三回にわたる探検に
おいて、私がその目的としたところは決して少なくない。しかも、その最大の眼目は、
仏教東漸の経路を明らかにし、昔シナの求法僧がインドに赴き遺跡を訪ね、また、中央
アジアがイスラム教徒の手に落ちたために仏教の被った圧迫の状況を考察するような、
仏教史上における諸々の疑問を解こうとするものであった。第二に、中央アジアに遺存
する経論、仏像、仏具等を収集し、もって仏教教義の研究および考古学上の研究に資料
を提供し、もし出来うれば地理学、地質学および気象学上の種々の疑問もあわせて氷解
させたいと考えたのである。」と、記している。龍谷大学教授・龍谷ミュージアム副館
長の入澤崇さんは、「シルクロード探検の旅へ―大谷探検隊の軌跡―」の中で、「大谷
探検隊が調査した範囲はどの国の探検隊よりも広い。仏教が伝播した領域はとてつもな
く広いことを大谷光瑞は見抜いていた。彼は世界史のなかで仏教の動きを捉えようとし
ていたのである。当時、どれほどの日本人が世界を深く認識しようとしていたであろう
か。ユーラシア大陸中央部にかつて文明の胎動があったことが、いまやっと歴史学では
証明されつつあるが百年前にその解明を目的に探検されている。広大な文脈のなかで、
実証という手法で、文化・社会・宗教を理解しようとした大谷探検隊。その手法に稚拙
な点があったことは否めないにしても、彼らが目指そうとしていた地平はいまなお光輝
を放つ。大谷探検隊の遺産は数多い。なかでも、世界をあるがままに見据えて、どんな
困難にも立ち向かっていく気宇壮大な精神こそ、大谷探検隊が、現代人に遺した一番の
遺産ではあるまいか。」と、文章を結ばれています。ぜひこの特別展で、大谷探検隊の
存在を認識していただき、残された多くの功績を確認し、ご縁のある多くの方々にお伝
えしていただきたいと思います。と大谷探検隊の特別展を開いている。大谷光瑞が勢い
に乗って第三次中央アジア探検(1910-1914年)を組織した。1910年8月で、橘瑞超は、
サンクトペテルブルグとシベリアから新疆に入り、まずトルファンで1カ月間にわたる
発掘作業を実施した後、前回多くの収穫が得られた楼蘭遺跡を訪れた。時は「辛亥革命
」の前夜であったため、各地の情勢が緊迫しており、橘瑞超は(ホータン)に到着後、
西本願寺との連絡を絶った。橘瑞超との連絡が途絶えたため、大谷光瑞は同年10月に
吉川小一郎を中国に派遣し、橘瑞超の捜索にあたらせた。吉川は上海、漢口、蘭州を経
て敦煌に到着し、ここで敦煌文書を購入し、橘瑞超が戻るのを待った。1912年初旬、2
人は合流し、再び敦煌で8週間滞在して、多くの調査写真を撮影した。この時莫高窟第
428窟と第444窟の外壁には、今も彼らが1912年に刻んだ文字が残っている。2月6
日、吉川は調査のためトルファンに向かい、橘瑞超は安西に北上し、そこからトルファ
ンへと向かった。2人はそれぞれアスターナ、ハラホジョ古墓群を発掘し、1千件以上
に上る墓葬文書を取得した。その後龍谷大学に所蔵された7千点以上の「大谷文書」は
このときの調査で得られたものだ。04月10日、2人はトルファンを離れてウルムチに向
かい、橘瑞超はシベリア経由で日本に帰国した。吉川は引き続き新疆のクチャ、カシュ
ガル、于蘭の調査を行い、1914年01月になって、敦煌、酒泉、民勤、アルシャー、陰山
、包頭、フフホトを経て北京に向かい、日本に帰国、第3次探検を終えている。だがこ
うした 異色の画期的な探検も、莫大な信者の寄付金や布施によるものだったのだ。



340: 名無しさんAA:19/03/11 19:06
  宗教行事と国家行事   23

 当時の中央アジアはどんなところだったのか。第1次隊に参加した吉川小一郎が残し
た探検日記(『新西域記』所収「支那旅行」)には、たとえばこんな一文があります。
「暁起積雪の上に、東の疾風雪を吹く。寒凛冽、出発するを得ず。我が黒馬寒疾に罹る
。」というものだ。日が落ちればあまりの寒さに馬さえ走れず、昼の灼熱の地獄では、
ラクダさえ簡単に死んでしまう。夜盗もいれば、動物に襲われる可能性もある大秘境。
一方、外国人が普通には入ってこない地域だけに、中国側は警戒し、スパイ扱いされた
こともありました。こうした苦難に負けず、大谷探検隊は瓦礫をひたすら掘り、土の中
から「極楽に住む阿弥陀たち」を発掘するのです。一般に外国の探検隊は大きくて価値
の高いものしか持って帰りませんが、研究目的だった大谷探検隊は「現地の発掘品は1
つ残らず全部もってこい。」という指令の下、墓に供えてあるお菓子から、死体に敷い
てある編み布、さらに葬儀用の紙細工まで持ち帰っています。その数がつもりつもって
数万点になっており、今となっては非常に重要な資料となっています。特に有名な発掘
品をあげておくと、第1次隊では玉の産地ホータンで発掘した仏頭(3〜4世紀)が有名
です。青銅製で金箔を貼ってあり、他国に類のない名品。クムトラ石窟で発掘した唐代
の菩薩頭部、キジル石窟で発掘したやはり唐代のドロナ像(仏画)あたりが逸品中の逸
品。第2次隊では楼蘭で発掘した李柏文書が有名です。紙が普及しはじめた頃の書簡の
下書きがあり、日付が特定できる世界最古の紙も含まれています(正確には「李柏尺牘
稿(りはくせきとくこう)」といいます)。そして第3次隊では、新疆ウイグル自治区
トルファンの墓を掘って掘って掘りまくってミイラを発見しました。全部で12体あり、
うち1つは子供のミイラでした。ちなみに墓はどのような場所にあるかというと、「墳
域は正方形或は矩形に土墻(砂礫を積み列べたるもの)を以て囲まれ、大概此土墻内に
二、三或は四、五の土饅頭形をなしたる墳墓を発見するを常とす。」と言う正方墳墓の
ようである。大谷光瑞の門徒は大きく財力はなく集金力がホントに巨大だったようで、
たとえば1904年の日露開戦のときには、西本願寺は 800万円という巨額の国債を引き受
けさせられています。戦争終了後に明治天皇から光瑞へ感謝状が贈られたそうですよ。
そして、1908年には、光瑞は金に厭かせ神戸の六甲山に二楽荘という壮麗な別邸を建設
した。「二楽」とは「山を楽しみ、水を楽しむ」「山水を楽しみ、育英を楽しむ」の意
味だという。当時の、建設費は17万円、総敷地面積は24万6000坪。最上段に純白の白亜
殿があり、子弟教育の私塾(現在の甲南大学)から大庭園までありました。驚くべきは
各建物を結ぶ3本のケーブルカーまで設置された点です。この二楽荘にはインド室や、
エジプト室、イギリス室など世界各地の風俗を具現化した数多くの部屋がありました。
要はこの別荘に万国の世界そのものを再現しようとしたわけである。 二楽荘には多く
の探検の将来品を並べていたことから、あるいは、ここに阿弥陀世界さえ再現するつも
りだったのかもしれません。なんとも壮大な話です。1909年に完成したが、「本邦無二
の珍建物」と評された二楽荘の本館と共にまもなく閉鎖されたが、イスラム風庭園まで
もあったと言う。


341: 名無しさんAA:19/03/11 19:06
  宗教行事と国家行事   24

 こうして、権勢を誇った光瑞ですが、まもなく頂点から転落することになります。こ
の巨額の国債引き受けや、豪勢な別荘建設、そして大陸への大探検隊……こうした巨大
な出費により教団の財政は悪化し、ついには疑獄事件にまで発展し、光瑞は1914年には
門主を辞任せざるを得なくなるのです。門主を辞めた光瑞は、日本では西本願時の別荘
のあった京都・三夜荘で生活し、多くの本を刊行しました。国粋的なものも多く、たと
えば『大谷光瑞・興亜計画』では、「日本と支那共栄のため」支那新首都の設置や巨大
水路の建設まで提言しています。三夜荘は豊臣秀吉の伏見城があった場所近くにあり、
「山から出る月」「宇治川・巨椋池に映る月」「杯に浮かぶ月」と一夜に3つの月を楽
しめるという意味です。しかし、根が探検家の光瑞は、中国の大連を拠点にアジアから
南米、アフリカ各地まで放浪を続けている。アコンカグアなど、世界の5大陸の最高峰
を見たりもしたようです。もちろん弟子にはエチオピアからアラスカまで、世界のあら
ゆる場所を見に行かせました。まさに国際感覚あふれた大人物であったがこれが当時の
一般的な感覚ではなかったかとも思う。大陸まで視野に入れて正しければ億する事なか
れ、善き事に怖い物なし。この先見感が日本の生活にあったと思う。しかし、終戦後に
は光瑞はソ連に抑留され、1年半ほどで何とか日本に戻り別府に居を構えます。そこで
「観光都市建設私案」を作り、役所に「エビアンに対抗して日本でも名産のミネラルウ
ォーターを作るべき」などと提言している。先見性の高い人物である事がここにも見え
る。しかし、昭和23年(1948)4月、光瑞に公職追放令が適用され、その半年後、この
世を去る事になる。光瑞は第1次探検中に、中国回廊で若き伊東忠太と出会っています
。伊東は、当時、平安神宮の設計で名をあげており、後に明治神宮なども設計した建築
界の大御所である。2人の関係は終生続き、二楽荘にも伊東のアドバイスが生きていま
す。光瑞は大連に建設予定だった本願寺別院など5つの建物の設計を依頼していました
が、失脚や敗戦で、土地は買ったもののほとんど実現しませんでした。唯一実現したの
は関東大震災で焼失した築地本願寺の再建である。昭和9年(1934)に完成した姿には
およそ寺院とは思えない奇抜な外観ですが、三島由紀夫から勝新太郎まで、多くの有名
人がこの寺院で葬儀を行っています。本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来の立像
。光瑞の二楽荘は昭和7年(1932)に焼失しているので、この築地本願寺こそ、彼が、
現世に残した唯一の阿弥陀世界だった。光瑞は失脚後、二楽荘も手放さざるを得なくな
り、3回の探検で収集した貴重な品々は散逸してしまう。その流れは、まず「鉱山王」
久原房之助(くはらふさのすけ)久原鉱業所で後の日立製作所など創業者が、二楽荘を
買収したが、発掘品の一部は朝鮮総督府経由でソウルの博物館に渡り、あるいは上海経
由で大連に移動し、旅順博物館に収蔵された。残りは久原家から木村貞造という人物が
購入し、京都帝室博物館に貸与されたものと合わせ、最終的に国が買収した。第1次隊
の仏頭やドロナ像は東京国立博物館に、第2次隊の李柏文書は日本の龍谷大学に、第3
次隊のミイラは旅順と韓国に引き揚げられず残っている。


342: 名無しさんAA:19/03/11 19:52
  宗教行事と国家行事   25

 ハロウィン、又はハロウィーンと言われるものは、毎年10月31日に行われる。キリス
ト教をまだ信じなかった頃のケルトの風習である。古代ケルト人が起源と考えられてい
る祭だが。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いの強い行
事であった。現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的
な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー
・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪
れてお菓子をもらったりする風習などがある。昔はケルト人の1年の終わりは10月31日
で、この夜は秋の終わりを意味し、冬の始まりでもあった。つまり大みそかだったのだ
。死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。時期を同じくして、出てくる有害な
精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたと言う。これ
に因み、31日の夜、カボチャ(アメリカ大陸の発見以前はカブが用いられた。スコット
ランドではカブの一種ルタバガを用いる。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック
・オー・ランタン(Jack-o'-lantern)仮想魔怪人 」を作り、魔女やお化けに仮装した
子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat
. 「お菓子をくれないと悪戯するよ。」または「いたずらか、お菓子か。」)」と唱え
て練り歩く。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り
、ハロウィン・パーティを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯を
してもよい、とされている。日本で言う「旅人の柿」風習である。日本の「旅人の柿」
は、サルカニ合戦に良く似ていて、柿の木のしぶであろうが甘柿であろうが、採れる所
の柿しか取らず、あとはちゃんとそのままにしておくそうだ。冬が近づいて旅人やクマ
やサルなどが柿に上るが、柿の木は折れやすく、そうした不審者の食料であり、礼儀を
知る奴には枝を折って取ってやり、悪い奴が勝手に登っても枝が折れ落ちるのだ。馬鹿
か獣が怪我をすると言われたのである。こうした落とし穴で人の篩い分けをしたのであ
る。ハロウィンも又、このサルカニ合戦の様な歴史が覗えるのかもしれない。バチカン
ではキリスト教の祭ではない。としている。ハロウィンに対しては、本体キリスト教に
とっては異教徒の祭りであったことから、キリスト教教会においては、容認から否定ま
で様々な見解がある。又この祭りには、生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂
が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にし、萎びて転が
っていたカブ(ルタバガ)をくりぬき、それを入れたランタンを片手に持って彷徨って
いる姿だとされている伝説も残っている所もある(→ウィル・オー・ザ・ウィスプ)。
また、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが
、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され悪魔との契約により地獄に行
くこともできず、カブ(ルタバガ)に憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている
姿だともされている。 こうして色々な伝説をくっつけて祭りがおこなわれる。旅人を
迷わせずに道案内をすることもあるという。


343: 名無しさんAA:19/03/20 15:32
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -32

 ティカルに集落ができたのは 紀元前800年ごろにさかのぼる。1世紀までに町は現在
みる形になり、ピラミッドが作られたという。後世の碑文によれば、ティカル王朝の最
初の王(アハウ)はヤシュ・エーブ・ショークといい、1世紀後半のころの人物だった
らしい。石碑29はティカルでもっとも古い日付 (292年)を記している。この近くは
、先古典期の築造がある。先古典期(せんこてんき)とは、メソアメリカ考古学上の中
での、新しい時代区分である。今まで5世紀以降の文化とされたマヤアステカ遺跡に、
深くなれば紀元前二千年のものまで現われてきたからだ。そこで、新しく発見されてい
るオルメカ文明が繁栄した時代を、先古典期として呼んだ。その後期に当たる時期に、
エル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれている。
このことが判明してきたために、形成期という用語に代えて、「古典期に先行する古典
期」という意味合いで使われるようになったという。オルメカ文明の遺物は最近では、
グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立してい
たことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている
。アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して、紀元前
2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から、紀元後300年頃を原古典期と
位置づける研究者もいる。メソアメリカの先古典期の土器は、オルメカのジャガーなど
に関連する独特のシンボルが刻まれる一方で、中期段階(マモム期)になるとマヤ地域
では表面にろうのような光沢(waxy)を持つ土器が生産流通した。またエルサルバドルな
どからウスルタン式土器が現れるとそのネガティブ技法ないしレジスト・ペインティン
グや波線文様を模倣する土器も現れている。このウスルタン式土器が又日本の縄文式の
土器の前段階みたいな物だったりする。この歴史の変遷からも、今後の世界つまり現代
のズンダランド クライシスは起こりえる。気候変動である。中国でダムの効用が起こ
り突然に盛んに作った。すると5年間の洪水と干ばつが起こった当然である。あまりに
も大規模だからだ。今はそれがベトナムラオスに起こっている。ダムの本当の恐ろしさ
は気候を変えてしまう事と理解していないのだ。アフリカでもナイル川上流に大きなダ
ムを作っている。これで恐らく上空温度が変化する。この為サイクロンや台風は位置を
変える。砂漠は水が足りるが他が砂漠になる。動植物の生態はそう簡単に移住できない
結果被害は大きくなる。都市は大きくなっても農作物は増えない。当然である新しい環
境には、人間の英知を越えた壁がある。1℃違えば風が起こる。それが台風であり大雨
だ。

344: 名無しさんAA:19/03/20 15:33
5月6月の ベトナム・タイ・ラオスは メコン川開発で荒れている注意すべきだろう


345: 名無しさんAA:19/03/20 15:39
EW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -29

 テオティワカンは、メソアメリカの広範囲の地方と交易を行っていたようだ。テオテ
ィワカンの居住地からは様々な地方で使われていた土器が地区ごとに固まって出土して
いるし、テオティワカンに特徴的な土器がグアテマラなどからも発見されている。また
、グアテマラでしか採れないヒスイを用いた装飾品がテオティワカンから発見されてい
るなど交易の中心となっていたようだ。テオティワカンを発達させたひとつの原因が、
黒曜石だといわれている。宝石として、あるいは武器や調理用具として貴重だった黒曜
石をよく産出するこの地をおさえることで、テオティワカンは莫大な富を集めることに
成功したらしい。ところが7世紀、突如としてテオティワカンは姿を消す。ところが、
この出土するヒスイや黒曜石の形が勾玉そっくりなのである。これほどの隆盛を誇った
テオティワカンだが、7世紀ごろになると急速に衰退し、わずか百年ほどの間に完全に
ゴーストタウン化してしまうのである。その理由については今も謎だ。他民族による侵
略説、神官と貴族の対立説、飢饉説などが提出されているが、いずれも確定されるには
至っていない。ちなみに遺跡には、組織的に計画された放火によるものと思われる大火
災の跡がいくつも発見されているが、その年代や理由までを正確に推測するのは、残念
ながら不可能である。いずれにせよ、こうして中米最大の都市国家は終焉を迎え、緑深
いジャングルのなかで長い眠りについて、現在に発掘され今に至っている。テオティワ
カンの壮大さはピラミッドに登るとよくわかる。頂上からテオティワカンを一望すると
、区画整理されて整然と並ぶ遺跡群に圧倒されるだろう。遺跡の数は600とも700ともい
われており、その中心には幅40m、未発掘部分も含めると全長5kmに及ぶ「死者の道
」が通っている。テオティワカンはここを中心として美しい都市国家を成立させ、最大
で15〜20万人が集まった。最盛期は4〜6世紀といわれるが、同時代に栄華を極めたロー
マ帝国の都ローマに劣らない規模だったという。 テオティワカンが滅んでから600年経
って14世紀ごろ、アステカ人たちはテオティワカンを発見し、これを神々が創ったも
のと考えて、太陽と月のピラミッドをめぐるこんな伝説を伝えた。『神々は4度世界を
創造したが、いずれも災害で滅んでしまった。ふたたびテオティワカンに集まった神々
は、5回目の創造を行うことを決定した。しかし、太陽を創るにはいずれかの神が火に
身を投げなくてはならない。候補になったのがナナワツィンとテクシステカトルだった
。ふたりはふたつの丘(太陽と月のピラミッド)で断食を行い、身を清め、火に飛び込
んで太陽になるが、昼はふたつの太陽が輝き、夜は暗闇になってしまったので、神々は
ウサギをテクシステカトルに投げつけた。テクシステカトルの顔にはウサギ模様がつい
て、夜の世界をやさしく照らす月となった。しかし、無事運行するかに見えた太陽と月
だが、いつまでたっても動かない。ナナワツィンは、自分に血が捧げられるまで動かな
いと悟って血を捧げたという。こうしてアステカでは、毎日人間の心臓と血が生け贄と
して捧げられることになった。』と

346: 名無しさんAA:19/03/20 15:40
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -30

 いまから1〜2万年前では、地球の気温は現在よりも低く、ベーリング海峡は干上がっ
ていて、アジアと北アメリカはつながっていたといわれる。人類はそこを歩いて渡り、
アメリカ大陸にやってきたとされている。紀元前1500〜前1000年前後になるとオルメカ
やクィクィルコなどが興り、やがて灌漑設備や神殿を持つ初代都市国家に発展したのが
メキシコの文明とされる。紀元前後に至るまで数多くの都市国家が成立するが、その一
つとして紀元前二百年前後に建築がはじまったテオティワカンだ。テオティワカンは、
紀元前50年前後に起こった火山によってクィクィルコが滅亡してから急速に勢力を伸ば
し、4世紀前後にはメソ・アメリカ全体に影響を与える最強の勢力に成長した。太陽の
ピラミッドや月のピラミッドは紀元前百年前後から徐々に増築されていったもので、ピ
ラミッドの内部にさらに小さなピラミッドや神殿が発見されており、以前の建物の周り
を取り囲むように増築を繰り返すことで現在の姿になったようだ。タルー(傾斜壁)と
タブレロ(垂直壁の基壇)を組み合わせた形が特徴で、タルー・タブレロ型ピラミッド
はグアテマラのティカルやメキシコ南部のモンテ・アルバン遺跡など、メソ・アメリカ
に広く見ることができる。といわれる。テオティワカンを発達させたひとつの原因が、
何故か黒曜石だといわれている。宝石として、あるいは武器や調理用具として貴重だっ
た黒曜石をよく産出するこの地をおさえることで、テオティワカンは莫大な富を集める
ことに成功したらしい。ところが7世紀、突如としてテオティワカンは姿を消す。北方
民族の襲来や火山の噴火、あるいは干ばつや人口爆発の影響といわれるが、定かではな
い。立ち去ったテオティワカン滅亡後この地に住み着いたのがアステカ人だ。アステカ
人はこの土地を神々が暮らした土地だと信じ、聖地として奉った。アステカ人は農耕神
・創造神も羽を持つ蛇の神ケツァルコアトル(マヤでいうククルカン)を祀る、化身と
して白い顔に黒ヒゲの人・ケツァルコアトルの伝説も伝えられて、ケツァルコアトルは
52年に一度、セアカトル(1の葦)の年に戻ると伝えられていた。この伝説で、人々は
セアカトルである1519年の時に、白人であるスペイン人をコンキスタドール、コルテス
をケツァルコアトルと間違えて神として丁重に迎え入れ、これをきっかけに滅亡する。
実はテオティワカンに関する多くの伝説は、16世紀以降にアステカからスペインに伝
えられたものから解ったものだ。アステカ以前のテオティワカン文明に関しては、文字
がなかったことで、今もほとんどが謎に包まれている。現在も死者の道やピラミッドの
発掘が進められているが、まだ発掘は半分も終わっていない。メキシコシティは標高が
高く、2,240mと高地に位置している。その為緯度のわりには涼しいが、冬は12〜1月
期には冷え込んでしまい、最低気温は5度前後までなる。もっとも暑い4〜5月で最高
気温は27度前後で過ごしやすい地である。日中は冬でも暑いが、冬の夜は結構冷え込
む。雨季は6〜9月で、日本の梅雨のように毎日雨が続くわけではないが、他のメキシ
コの遺跡であるカンクンやチチェン・イッツァなどユカタン半島も同時にハリケーンが
発生する時期は、かなり厳しい期間ではある。


347: 名無しさんAA:19/03/20 15:40
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -31

 チチェン・イッツァとはユカタン語で「イツァ人の湖の畔」を意味する。つまり、「
神の湖畔の宿」と言う事になる。チチェン・イッツァは1988年に世界遺産に登録された
メキシコのマヤ文明の遺跡であって非常に大事な所だ。ユカタン半島のユカタン州州都
メリダの東、約120キロメートルにある後古典期マヤの遺跡で総面積は約1.5平方マイル
。半島のつけ根の密林にあった所を発見された。現在、高速道路により分断されている
が、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がは
っきりと違いを見せているもので、ここの解明がおそらくインカの謎を解き明かすと言
われる。古典期を代表するティカルなどの、マヤ中央部の諸都市は9世紀に崩壊してい
て、ほとんど無人に近い状態になっており、後古典期には北部と南部高地に人口が集中
したといわれる。チチェン・イッツァは、ほぼ北部マヤの中心地であるが、その遺物は
中央メキシコ(トルテカ)の強い影響を受けて、マヤとメキシコの、混合した国際的な
特徴を示し学術的に解明し易い形態をなすからだ。プウク式の建物に残る碑文は、多く
はカクパカル・カウィール(在位869〜881ごろ)に関連する。ここでカトゥン暦が発見
されている。カトゥン暦は、古代メソアメリカ文明で用いられた長期暦で、20トゥン、
すなわち7200キン(日)にあたる単位である。カトゥンの終了にあたる日には、その日
を祝って、石碑が建てられたり、戦争捕虜を生贄に捧げたり、新しい神殿を建築したり
、古い神殿を改築したりしたと言われる。だが、こうした占星術でも13世紀以降になる
と、チチェン・イッツァすら衰退し、中心地は西のマヤパンに移る。マヤパンもシウ家
の攻撃によって1441年ごろに放棄され、チチェン・イッツァがいつ滅んだかは不明だが
廃れた。その後セノーテ(井戸)はスペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として
機能し、その影を繋いだ。「セノーテ(聖なる泉)」は、この岩盤の上のチチェン・イ
ッツァ周辺の川や湖沼がない所での貴重な水源だ。石灰岩の岩盤が陥没して地下水が露
呈した「天然の湖」がセノーテで、唯一の水源であった。かつて 700年頃まで宗教儀礼
に用いられ、雨が降らない時や豊作を願う時、雨と嵐と稲妻の神チャークの予言を伺う
ために、財宝や生贄の人間が投げ込まれいたという。スペイン征服時のスペイン人の記
録では、吉兆を占うために、定められた日に女性を放り込んだとしている。また、この
記録によれば、この女性は後に泉から引き上げられ、吉兆を語ったとされている。後に
アメリカの探検家エドワード・トンプソンがこの泉にもぐり、人骨やたくさんの財宝を
発見した。このティカル王のもともとの名は、「ムトゥル」または「(ヤシュ)ムタル
といい、ティカルは熱帯雨林地帯で栄えたマヤ最大の神殿都市の名となった。最盛期に
は6万人もの人々が暮していて、ティカルの地はカリブ海とウスマシンタ川を結ぶ交通
の要地であり、翡翠やケツァールの羽根、黒曜石などの産出で貿易が行われていた。



348: 名無しさんAA:19/03/22 11:39 ID:jI
EW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -32

 ティカルに集落ができたのは 紀元前800年ごろにさかのぼる。1世紀までに町は現在
みる形になり、ピラミッドが作られたという。後世の碑文によれば、ティカル王朝の最
初の王(アハウ)はヤシュ・エーブ・ショークといい、1世紀後半のころの人物だった
らしい。石碑29はティカルでもっとも古い日付 (292年)を記している。この近くは
、先古典期の築造がある。先古典期(せんこてんき)とは、メソアメリカ考古学上の中
での、新しい時代区分である。今まで5世紀以降の文化とされたマヤアステカ遺跡に、
深くなれば紀元前二千年のものまで現われてきたからだ。そこで、新しく発見されてい
るオルメカ文明が繁栄した時代を、先古典期として呼んだ。その後期に当たる時期に、
エル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれている。
このことが判明してきたために、形成期という用語に代えて、「古典期に先行する古典
期」という意味合いで使われるようになったという。オルメカ文明の遺物は最近では、
グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立してい
たことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている
。アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して、紀元前
2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から、紀元後300年頃を原古典期と
位置づける研究者もいる。メソアメリカの先古典期の土器は、オルメカのジャガーなど
に関連する独特のシンボルが刻まれる一方で、中期段階(マモム期)になるとマヤ地域
では表面にろうのような光沢(waxy)を持つ土器が生産流通した。またエルサルバドルな
どからウスルタン式土器が現れるとそのネガティブ技法ないしレジスト・ペインティン
グや波線文様を模倣する土器も現れている。このウスルタン式土器が又日本の縄文式の
土器の前段階みたいな物だったりする。この歴史の変遷からも、今後の世界つまり現代
のズンダランド クライシスは起こりえる。気候変動である。中国でダムの効用が起こ
り突然に盛んに作った。すると5年間の洪水と干ばつが起こった当然である。あまりに
も大規模だからだ。今はそれがベトナムラオスに起こっている。ダムの本当の恐ろしさ
は気候を変えてしまう事と理解していないのだ。アフリカでもナイル川上流に大きなダ
ムを作っている。これで恐らく上空温度が変化する。この為サイクロンや台風は位置を
変える。砂漠は水が足りるが他が砂漠になる。動植物の生態はそう簡単に移住できない
結果被害は大きくなる。都市は大きくなっても農作物は増えない。当然である新しい環
境には、人間の英知を越えた壁がある。1℃違えば風が起こる。それが台風であり大雨
だ。



349: 名無しさんAA:19/03/23 21:06
  宇宙仏教説     ----   ----  ---- 12

 今度のモスク襲撃に国連のグテレス事務総長は慰問に訪れた。50人が犠牲となった
ニュージーランドのモスク(イスラム教礼拝所)銃乱射事件から1週間の22日に、米国
ニューヨーク・マンハッタンのモスクを訪れた。イスラム教徒らに向け「あなた方は一
人ではない。世界が、国連が、私が共にいる。」と述べ、イスラム社会と連帯する姿勢
を示した。グテレス氏は、事件で亡くなった女性の夫が容疑者を「許す」と語ったこと
などのエピソードに「深く感動した」と話し、「世界中で反イスラムや反ユダヤ主義、
ヘイトスピーチが湧き起こっている。」ことを病気に例えて「治療法を見いだすのが、
われわれの義務だ」と強調した。グテレス事務総長はやさしい方なのだろう。だがやさ
しさだけでは戦争は終わらない。我々はかつて国連が想い描いた平和やIT草創期に描
いた夢を、今だ達成できる技術があるのに達成していない。ガーファと言われる巨大資
本が今だ国民的支持を受けていない事にある。それはTV局が今だ優良コンテンツに恵
まれない事と同じだ。つまり今や批判のある本当の意見が、色々な反対で発せられない
。あまりにも重層な反対で本当の倫理がおざなりにされている。さらによりによって今
中国はイタリアに近づいている。まるで世界大戦前にかき乱したイタリア特権と同じだ
。かつて大戦以前はイタリアは航空技術を米国や中国にひけらかしドイツやソ連に売っ
た。中国王朝はこの事で、イタリアから飛行機を揃えイタリア人飛行士を招聘し軍を作
ったが、行ったのは日本軍に似せた、イギリス艦空爆や上海空爆初め自国虐めで、呆れ
た少佐はさっさと自国に帰ってしまったのだ。つまり東洋思想に何ら共感も理解も指導
も出来なく、単に猿に拳銃持たせる様な過ちを犯したのである。習氏は欧州歴訪でイタ
リアに立ち寄った。イタリアは中国の資金を求め、盛大な歓迎を行なわれた。両国は、
中国がイタリアの港に投資する具体的な計画や、航空宇宙などの産業分野での協力拡大
などで大きく合意している。イタリアはまた、主要7カ国(G7)で初めて中国の「一帯
一路」構想を支持する覚書に署名する可能性もある。この構想は、中国からの借り入れ
で資金調達してインフラ建設を行うもので、中国政府の経済的・戦略的影響力を高める
狙いがある。しかしEUで今一番大事なのはロシアとの対話であり、ウクライナ問題の
解決である。既に天然ガス工事は、ドイツラインもトルコラインも順調に行きついた。
今後中国ラインも完成すれば、今までウクライナを通していた既存の天然ガスラインの
封鎖も簡単だろう。すると北欧も東欧も燃料が切れて、EU全体すら持たなくなる事だ
。イギリスのブレクジットなんてどうでもいい事で英国ポンドが下がっても北海燃料が
安く手に入ればそれはそれでEUには関係ない事だ。問題はロシアのプーチン以上に、
メドベージェフが非情なことだ。


350: 名無しさんAA:19/03/24 00:13
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -34

 じつはここに隠された歴史がある。大航海時代によく胡椒貿易の為に海に乗り出した
様に勘違いする輩がいる。実はこのエメラルドだったり金だったりの鉱物への執着が主
であり、海に乗り出してから胡椒貿易を始めたのである。何故なら胡椒自体は砂漠を越
えて塩やナツメヤシ同様に少ないものの行商と共に入っていたからだ。1817年の話では
、そのエジプト鉱山が、探検家フレデリック・カイヨーによって再発見された。彼は、
その鉱山の再開発を試みました。その後も数世紀に渡って何人もの探検家が訪れ商業的
なエメラルド産出を試みましたが、どれも産出はあったものの失敗に終わり、苦難した
。1899年初めでは、ロンドンの有名な宝石商エドウィン・ストリーターが鉱山の利権を
得て大々的に機械化して進めたが、努力もむなしく、採算が合わないために数年で廃業
に至った。ここにユダヤ資本の祖系デビアス商会が出てくる。キンバリーシンジケート
団を仕切ったセシル・ローズとチャールズ・ラッドがデビアス鉱山会社である。1880年
エジプトの権利は取れず、同じアフリカのを1876年、英領ケープ植民地(南アフリカ)
の権利を勝ち得て設立された。当時、キンバリーでは98の小シンジケートが3600もの、
ダイヤモンド採掘地を持っていた。ところが、取れるものの採算が取れず、1888年に、
デビアス鉱山会社はロスチャイルド家やアルフレッド・ベイトの援助を受けてバーニー
・バルナートのキンバリー・セントラル鉱山会社と合併した。この合併から新デビアス
は、これまでの殺人を含めた闘争が無くなり、ダイヤモンド生産の世界シェアの9割を
握り市場を席巻した。1889〜90年、デビアスは10社で構成され、後にロンドン・(ダ
イヤモンド)・シンジケートを作り、契約を結んで、宝飾加工の相手方へ原石を供給し
た。第二次ボーア戦争終結後、デビアスが南アフリカのケープタウン岸と西ケープ州の
近くにダイナマイト工場を建設した際には、プレミア鉱山は、ロンドン・ダイヤモンド
・シンジケートに登録されたが、プレミア鉱山は1905年にカリナンを採掘し、翌年シン
ジケート団を脱退した。プレミアは原石を増産してアーネスト・オッペンハイマーに売
ったのである。此処に英国・ベルギー・ドイツの国家戦略があり、火薬生産と共に利権
争いが生じていた。第二次世界大戦では、工業用ダイヤモンドがもてはやされた、1942
年の売上げは430万スターリング・ポンドに達し、会社売上げの4割近くを占めた。1943
年と1945年のダイヤモンド市場は2050万と245万ポンドに拡大し、ダイヤの粉すらも鉄の
加工に利用されたのである。ここで今まで宝飾品の水晶との大きな価格差があったので
ある。オッペンハイマー家は、カンタベリー大主教座とのフル・コミュニオン関係にあ
って、カンタベリー大主教座の重要な諸教会によって構成された、聖公会の諸教会の集
まりであるアングリカン・コミュニオンの総首長家の家柄だ。日本聖公会もあり、キリ
スト教のプロテスタント系のバチカンの様な権威団体であり、今では反アパルトヘイト
運動への支援者とされている。



351: 名無しさんAA:19/03/24 00:13
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -35

 実はアメリカにもこうした鉱山経営があって、ゴールドラッシュとなったメキシコの
銀山活況の以前には、水晶がとれたこのアメリカのエメラルドマウンテンに人が押し寄
せて来たのである。近頃になってインカ帝国が発掘され、ミシシッピ文化が脚光を浴び
る事になったが、ミシシッピ文化は、ミシシッピ川のアンクルサムの物語で近代文化の
様に捉えらえがちだが、紀元前におけるミシシッピ川流域の生活形態の事を言うのであ
る。テネシー川渓谷支流の文化も当時のミシシッピ文化の性格を持って発展し始めた。
ミシシッピ文化の遺跡とされる場所の年代は1539年(スペインの探検家エルナンド・デ
・ソトが探検した年)以前に遡り、これらの遺跡ではヨーロッパ白人による遺物がほと
んど見つかっていないので、この文化はほとんどすべてヨーロッパ白人との接触以前の
ものとされている。こうして幾つかの文明史が発掘されたが、何故かなかなか浸透して
は行かなかった。一つはキリスト教は近代人類学を認めなく、今だにキリスト教の天地
創造神話を信じて止まずそうした歴史観を個人の自由だとしてる事だ。2つ目は軍部の
台頭である。アメリカは近年こそ平和だが、戦争に明け暮れていた。侵略戦争から、イ
ンディオ戦争メキシコ戦争独立戦争第一次大戦第二次大戦朝鮮戦争ベトナム戦争と、ど
こかでいつも戦争していた。この戦争が公共事業とされるぐらいの戦争は米国軍部を、
巨大なものにした。原爆実験のネバダ砂漠も、国定森林公園もいやニューヨークタウン
やワシントンDCすらも巨大な国家権力の欧州民支援の体制で占拠して出来ていたから
である。その為国内の考古学には軍事費の1万分の1も払われていない。民間出費や学
校の教育団体が主で、3m級の大体人の発掘もおよそ50体ほどあったが、戦争中に隠
れて廃棄されたと解っている。このミシシッピ文化の遺跡は、インディアナ州や、オク
ラホマ州など、各地に見られる。中でもカホキア墳丘群州立史跡の集落跡は、それらの
中でも最大規模といわれて、12〜13世紀に最盛期を迎え、人口も1〜2万人に達した。と
考えられている。しかし、追われた民は何らかの理由により、16世紀には消滅してしま
った。「南東部祭礼様式」と言われて、サザン・カルトと呼ばれるものの祭具の採用は
何処でも発見される。これは現在でも知られているミシシッピ人の信仰様式であると言
う。サザン・カルトはウィスコンシン州(アズタラン州立公園)からメキシコ湾岸、ま
たフロリダ州からアーカンソー州やオクラホマ州にかけて発生している。広域なのだ。
これは時に、チャンキー(en:chunkey)のような儀式的ゲームに結びつけられた文化と
される。チャンキーはダーツの原型の様な的を射るものとされる。平地に投げられた、
特別の小石に向かって、槍投げや弓などで競う。そして一番近い者を勝者とするゲーム
でである。ゲームとは言えこれは命をも賭けて行われ、その為に大勢の観客の中で行わ
れた事もあったようだ。



352: 名無しさんAA:19/03/24 00:14
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -36

 ミシシッピ文化の大きな特徴は、マウンドとよばれる台形型の祭礼丘だ。遺跡には、
120個ほどのマウンドがある。その中でも最大となるモックス・マウンドは、北米ア
メリカで、最も大きなマウンド38と言われる。このピラミッドには、中2段に構造にな
っており、その大きさがエジプトに匹敵する。南北アメリカの中でも底面積としては、
最大級のピラミッドに近く、高さ30m・南北方向294メートル・東西方向320メートル。
つまり底辺320m級の土砂台であり、今は高くないが昔は祭殿があったものとされる
。発掘により、モンクス・マウンドの上には集落の長が暮らし、神殿や墓が造られて、
高度な文明を築いていたことがわかっている。現在の米国イリノイ州セントルイス近郊
でかつて栄えた先史都市カホキア遺跡は今でも謎は多く遅々として解明されていない。
高さ30メートルにもなる謎の遺跡「モンクス・マウンド」を築くほど繁栄したものの、
大集落は およそ300年で姿を消した。早すぎる滅亡の背景には一体何があったのか、長
い間研究者らの論争の的になっていた。しかし、最新の調査になってようやく幾つかの
学術研究で成果が発表された。堆積物コア分析研究で、カホキアの盛衰がミシシッピ川
の大洪水と連動していたことが明らかになったのだ。この考古学データでは、最初農耕
集落がこの地に現れたのは西暦 400年頃のこととされる。西暦1050年頃、カホキアには
隆盛期を迎え、人口数万人規模の政治的、文化的中心地となっていた。ところが、その
わずか3世紀後の1350年には、カホキアは姿を消す。堆積物サンプルの分析の結果で、
この地域は過去2000年の間に8回の洪水に見舞われていたことが分かった。つまり新た
な農耕文化前を紀元として9回は大洪水に襲われたアメリカ大陸が見えてくるのだ。そ
れが2000年に9回250年に一回等間隔でないとしたら200年に一回ほどは大洪
水だったのだ。研究者らは、洪水の規模と頻度の変化と、考古学的な証拠から得られた
カホキアの全歴史における人口、土地利用、定住集落の変遷のタイミングが一致してい
ることを発見し発表した。 洪水が長いこと起こらなかった期間が西暦600年前後から始
まり、その頃から、ミシシッピ川の氾濫原より外側の高い場所にあった定住集落が低い
氾濫原に移ってくる。そこに農耕が集中して、口も増加し始めた。やがて、カホキアは
米国先史時代最大の都市として栄えていった。8回の洪水を凌いだのだ。この洪水を凌
ぐ為にこの墳墓丘陵が作られたとも考えられる。しかし、都市は滅亡してしまう。これ
まで、干ばつ、資源の過剰搾取、人間同士の争いなどが原因に挙げられてきたが、湖の
堆積物を分析した調査では、西暦1200年ごろにこの地域で稀にみる大規模な洪水があっ
たらしきことが判明する。つまり丘陵宮殿で避難する以上の異常な洪水が起こったのだ
。それは降雨量が30、000oではないだろう。多分その後の自然から食糧が得られ
なかったのだろう。それだけ過酷な環境になったと言える。それは弱肉強食の頂点とし
ての定めで虫が居なくなれば生物はいきれない事を物語っている。


353: 名無しさんAA:19/03/24 00:15
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -37

 今や各地で「副振動」が観測され出した。長崎では突然に海の水が繁華街に流れ出し
50cmもの冠水を起し、雨も無く地震もなく津波が起こったのだ。「副振動」は数分
から数十分程度の周期の水面振動で湾や海峡においてはごく一般的に見られる現象とさ
れる。潮汐によって発生する潮位の変化を主振動と考えて、それに対する用語である。
スイスのレマン湖で発生する同様の現象に対する言葉から「セイシュ」(Seiche)とも
呼ばれる。また、気象現象が原因となっている副振動波による津波は、日本語では気象
津波と呼ばれている。だがこの気象津波は現在の所良く解っていない。日本国内では、
鹿児島県・熊本県・長崎県にかけての九州西岸で見られる。特に長崎湾で発生する副振
動が最大のものとして知られ、振幅が3メートルを超えることがある。長崎は「あびき
」とも呼ばれ、漁業用の網が流される「網引き」が語源であると考えられている。この
あびきの原因は、東シナ海大陸棚上で発生した擾乱による気圧の急変が原因とされる。
2009年02月24日深夜から26日にかけて、長崎県から鹿児島県奄美地方にかけての沿岸部
で副振動が観測された。観測された潮位は熊本県天草市で 197cm、長崎港(長崎市)で
157cm、枕崎港(鹿児島県枕崎市)で 143cm、鹿児島県上島甑島浦で 290cm。天草市で
住宅8棟が床上・床下浸水し、鹿児島県で係留されていた小型船など30隻が沈没、転覆
する被害が出た。上甑島ではマグロの養殖場が被害をうけマグロが湾内に逃げ出した。
。この異常水位で気象津波は数十分程度の周期で潮位の上下を繰り返す。湾奥や海峡な
どの狭い海域では振幅が大きくなる、河川を遡上することすら起きる。漁船など海岸付
近に被害をもたらす、といった面では津波と比較的似通った現象である。ただし、発生
メカニズム等は全く異なるものとされる。通常異常潮位は、暖水渦の、渦上の海流を伴
って回転して周囲よりも海水温の高い領域で起こる事が起因とされる。直径は100〜500
kmで、北半球では時計回り、南半球では反時計回りに回転している。この渦の領域は、
周囲よりも海水面が数十cm高くなる。渦の回転のメカニズムとして、まず何らかの原因
によって直径数百kmの範囲で海水面が高くなり、これを解消しようと周囲に向かっての
海水が流れ出す。このとき、規模が大きいために流れがコリオリの力を受けて、高気圧
と同じように時計回りに傾きながら、周囲に向かって流れ出すものと考えられている。
これと逆に、冷水渦というものも存在する。これはふつう、北半球では反時計回り、南
半球では時計回りをしている。海水面は低く、暖水渦とは逆に周囲から海水が流れ込ん
でいる。ただし、オホーツク海で発生した冷水渦は、塩分濃度が低いため海面が高くな
り、時計回りになる。しかし稀に大気と同じ様に日本海や太平洋の日本近郊では衝突が
起きる。東京近郊の太平洋沖でタンカーが二つにちぎれたり、日本海でソ連船や北朝鮮
船が積み荷を落としたりするのはこの為であろうと言われる。こういった渦は、海流に
乗って移動する。日本の太平洋沿岸で多く発生し、特に本州東方沖では親潮と黒潮がぶ
つかるため、日本では多数の暖水渦や冷水渦が混在する名所となる。

354: 名無しさんAA:19/04/13 18:43 ID:BM
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -38

 実は 地球に7対地軸ががある。とされる地磁気異常帯がある。日本の宇宙観測衛星
が南大西洋上で制御不能になったはその一つとされるバーミューダ―トライアングルの
上空である。ひとみ打ち上げは、2016年02月17日に日本の最新の]線天文衛星だった。
宇宙航空研究開発機構の宇宙科学研究所 (JAXA/ISAS) が中心となり 日本国内の諸大学
、アメリカ合衆国およびヨーロッパ諸国との国際協力によって計画が推進されていた。
ところが突然の不具合により短期間で運用を終了した。すざくに続く日本で6番目のX線
天文衛星として、(NeXT) の 検討が進められてきたが、2008年に開催された文部科学省
宇宙開発委員会において、26号科学衛星として計画が推進されることが正式に決定され
たものだった。国際協力ミッションであり、アメリカ航空宇宙局 (NASA) がNeXT-SXSを
エクスプローラー計画(SMEX) の協同ミッション (MOO) に採択したほか、欧州宇宙機関
(ESA) 、オランダ宇宙研究機関 (SRON)、カナダ宇宙庁 (CSA) などのチームが、競争的
資金を獲得して参加していた。ところが、現在93歳の元カナダ国防相、ポール・ヘリ
ヤー氏の暴露発言からすると日本に厳しい視点を持つ一人の宇宙人の意見があったとい
われる。「米国が1960年代にエイリアンから提供されたテクノロジーによって他を寄せ
付けない先進性を維持していたとしたら、今日はどうなっているでしょうか?しかも、
米軍はエイリアンからもたらされた技術だけでなく、ニコラ・テスラらなどの研究に基
づく荷電粒子砲(particle gun)の開発にも取り組んできました。この技術開発の主な
目的は、弾道ミサイルの防衛でしたが、迎撃技術は攻撃にも使えます。本来の目的では
ないものの、この技術でUFOを撃墜することができるのです。」(ポール・ヘリヤー氏)
作家で原子核物理学社のチャールズ・ジェームス・ホール氏から聞いた話であるという
ことだが、ホール氏がヘリヤー氏に語ったところによれば、ネバダ州近郊の山(シエラ
ネバダ山脈か?)の中腹にUFOの母船を格納できる基地があるという。「米軍にはUFOを
撃墜し無能力化する2〜3つの兵器があると確信しています。しかし、エイリアンは友好
的なのです。友人を撃ち落してどうするというのでしょうか?」(ポール・ヘリヤー氏
)2014年のロシアのニュース番組に出演して自説を語り、エイリアンは我々人類を地球
の「良い生徒ではない」と認識しており、環境破壊と戦争という人類がなかなか止めら
れない“愚行”を非難している。そしてヘリヤー氏は、昨年末から今年にかけてポッド
キャスト番組の出演要請を受けるなど、これまで以上に積極的に発言を行なっている。
ヘリヤー氏によれば、この2018年は人類にとって極めて重要な年であり、影の支配者で
ある“イルミナティ”による金融システムの運営と化石燃料の浪費が止められなければ
、いよいよエイリアンが地球を守るために人類から地球を取り上げる可能性を指摘。「
我々に残された時間はほとんど無い」と警鐘を鳴らしている。ハッハハアと笑えるが、
しかし、地球状態いわゆる人間的環境はすこぶる悪い。


355: 名無しさんAA:19/04/13 18:45
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -39

 シュメールタブレットでは、地球の創造の編の(シュメールタブレットの一つ、エヌ
マ・エリシュ)石版の楔文字では次のように始まります。
e-nu-ma e-li? la na-bu-u ?a-ma-mu
                  上にある天は名づけられておらず、
?ap-lish am-ma-tum ?u-ma la zak-rat
                  下にある地にもまた名がなかった時のこと。
ZU.AB-ma re?-tu-u za-ru-?u-un
                 はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。
mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-?u-un
           混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。
A.ME?-?u-nu i?-te-ni? i-?i-qu-u-?u-un
                  水はたがいに混ざり合っており、
gi-pa-ra la ki-is-su-ru su-sa-a la she-‘u-u
                  野は形がなく、湿った場所も見られなかった。
e-nu-ma DINGIR.DINGIR la ?u-pu-u ma-na-ma
                 神々の中で生まれているものは誰もいなかった。
 つまり、天体にも 地球にも 全てに名が無かった時代に
 初めに「アプスー」があり、全てが産まれたのだが、(「アプス」=熱い溶岩」)
 混沌の神「ティアマト」も又、全てを産みだす母となった。(ティアマト=蒸気)
 「水」は互いに混ざり合い、野は形無く、湿った大地もなかった。(水=海水か)
 まだまだ神々さえも産まれて居なかったからだ。 と言っている。
………こう考えると原始の地球の姿に取れる。彼らが知り様のない昔の地球が何故ここ
に書かれているのか。非常に高度な考古学があったのか。紀元前二千前の文字盤に疑問
である。もう一つ気になるのは、こうした考古学や遺跡の聖地が意図的に戦争に巻き込
まれている事である。湾岸戦争は理解出来ても、イラクのフセイン打倒は全く理解でき
ない米国の蛮行だ。アッバース朝は世界大戦以前から西洋社会と手を結んでいた宗派で
彼のバアス党はその流れを持ちシーア派とスンニ派のクッションになっていた筈だから
だ。かつてあったとされるエジプトの紀元前の古代の図書をエルサレムに持って来て、
守っていた種族とされ、バアス党自体はイランやサウジの田舎者でなく中東の中心宗教
として存在していた筈だったのだ。これを支援して米国が叩いた意味が解らない。


356: 名無しさんAA:19/04/13 18:46
NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -40

全文では他の文字盤と物語は続いている。
上の方では「天」という名前がまだ存在せず、下のほうでは「大地」という名前がまだ
存在しなかった時に、そこはすべての生みの親「アプス」(原書でいうの”真水”)と
、すべての生みの母「ティアマト」(太古の”海水”)がいるだけで、しかも混沌と混
ざり合っていた。ある日、その真水と海水の混沌状態の中から神々が生まれた(正確に
はアプスとティアマトが産んだ)。最初に出現し、名前で呼ばれたのは、「ラフム」と
「ラハム」続いて「アンシャル」と「キシャル」その次に「アヌ」が呼ばれた。アヌは
自分一人で、「エア」神を産む。その後も次々と神々が生まれ、若い神々達は、とにか
くお父さんの言うことを聞かず騒ぎまくった。母のティアマトはひたすら耐えていたが
、父のアプスが「若い奴ら暴れすぎ、うるさすぎ」と、家来であったムンムと結託して
若い神々を滅ぼしてしまおうと画策した。
…… 「ラハム」=大地、続いて「アンシャル」=真水、と「キシャル」=真空気その
次に「アヌ」=植物 「エア」=酸素を含む空気、と勝手に考えると合点が行く。……
ところが、その計画を知った知恵の神エアは、逆にお父さんアプスと、その家来である
ムンムを殺してしまい、原初の真水に住居を構えてアプス(深淵)と名づけ、配偶女神
のダムキナとそこに住まって子供を作った。聖なるアプスの宮居で産まれたこの子こそ
、古代バビロニアの最高神「マルドゥク」であった。
……「アプス」(原書の”真水”)とは熱水であろうか。では家来ムンムとはそこにい
る者の筈だが、水蒸気や雲のことであろうか……
 光輝くマルドゥク、巨大な雄姿のマルドゥクは、二倍の神性さを備えてた、目が四つ
、耳も四つであらゆるものを見聞きし、一言発すれば炎が噴射された、この神の素晴ら
しさを祝して、さらに神々は騒ぎ出し天地を揺るがした。ここまでくると、太古の海の
母ティアマトも怒りが頂点に達し、怪獣(ラパム)、蛇龍(パシュム)、龍(ムシュフ
ッス)、蠍人間(ギルタプリル)、牛頭人間(クサッリク)、魚人間(クリール)、巨
獅子や猛犬など、怪物オールスター軍団を造りだした。邪悪な取り巻きの神々の中で、
頭一つ飛び抜けていた「キングー」を自らの第二の配偶者として、王位に就け、『天命
の書』をその胸に飾りつけ、怪物オールスター軍、全軍の指揮をとらせた。
 光輝く身体を持ち、目も耳も4つ、言葉を発すれば炎を出す。この神を祝い更に騒い
だ。・・・これは一体何を示すのか。虫と植物の関係だろうか。その為に虫を殺す動物
をこの世に創った。獣、鳥、爬虫類、甲殻類、哺乳類、魚類、などを、と言う事か。


357: 名無しさんAA:19/04/13 18:46
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ゼカリア・シッチンは、人類の起源に関して「古代宇宙飛行士説」の書物の著者である
。シッチンは、古代シュメール文化の創造は、アヌンナキ(もしくはネフィリム)による
との考え方をとっている。アヌンナキは、ニビルと呼ばれる太陽系に属する惑星から来
た種族だという。シッチンは、この説を反映したものとしてシュメール神話があげられ
るとしている。いくつかの科学者・歴史家・考古学者は、彼のこの説に対し、古代文献
の解釈や物理学に関する理解に問題があるとしている。勿論一般的解約や科学を逸して
いる主張だ。シッチンのシュメール宇宙論の解釈によれば、太陽系内に、長い楕円形軌
道をした3,600年周期の仮説上の天体が存在する。 この惑星は「ニビル」(バビロンの
宇宙論では惑星マルドゥクに伴っている惑星として表現)とよばれる。シッチンによれ
ば、ニビルは、火星と木星の間に存在していたと考えられる惑星ティアマトと衝突し、
地球、小惑星帯、彗星を形成したという。ティアマトはまた、メソポタミア神話の文書
のひとつエヌマ・エリシュにおいては、女神として描かれている名だ。あるときニビル
の月のひとつと衝突し、ティアマトは2つに割れた。続いて、ニビル本体が衝突して、
ティアマトの1つ目の破片は小惑星帯となった。そして2つ目の破片はニビルの月のひ
とつと再び衝突し、新しい軌道に押し出されて、現在の地球となった。と言う物である
。シッチンによると、シュメール神話ではアヌンナキと呼ばれており、創世記に登場す
るネフィリムだとしている、技術的に進歩した人類と類似した姿を持った地球外生命の
本拠が、ニビルであるとする。アヌンナキたちは45万年前に地球に到達し、鉱物資源、
特に金を探索、アフリカで鉱脈をみつけ採掘を行った。と、シッチンは述べている。こ
れらの「神々」は、ニビルから地球への植民遠征に出された、一般庶民の労働者に相当
する神々であった。アヌンナキは、金鉱山で働く奴隷となる生物として、地球外生命体
の遺伝子をホモ・エレクトスの遺伝子とかけあわせ、人類を遺伝学的に設計したのだ、
と信じている。また、シッチンの古代の文献の物語は、メソポタミアのシュメール人の
人類文明は、これら神々の指導のもとで建設され、人間による王権は、人間とアヌンナ
キの媒介のため与えられたとしている。シッチンは、地球外生命同士の間で起こった戦
争に使用された核兵器からもたらされる放射性降下物(死の灰)が、紀元前2000年ごろ、
シュメールの都市ウルを滅ぼした「悪しき風」であると信じている。その年は正確には
紀元前2024年であるとしている。この事件は「ウルの嘆き」にも描かれているという。
シッチンは、自分の調査は多くの聖書の記述と適合し、聖書の記述はもともとはシュメ
ールの文献から来たものであるとしている。


358: 名無しさんAA:19/04/13 18:47
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 シッチンの著書が出た当時は、シュメール語を読むことができるのは専門家のみであ
ったが、現在は、2006年に出た「シュメール語彙目録」によって、だれもがシッチンの
翻訳をチェックすることができるという。人類学・言語学教授ロジャー・W・ウェスコ
ットは、シッチンのシュメール語分野の専門性の欠如について、以下のように述べてい
る。「シッチンの言語学は良く言ってもアマチュアの領域である。彼の人類学、生物学
、天文学と同様に。例えば、 370ページにおいて、彼は『すべての古代言語は、初期の
中国語を含め、単一の共通の源、即ちシュメール語が根幹である』と言っている。確か
にシュメール語は、他のいずれの主要言語群にもあてはまらない特質を見せており、言
語分類学者も孤立した言語であると呼ぶような、言語の原型のひとつとして数えられる
ものではある。しかし、シュメール語こそがすべての言語の根幹であるというような主
張は、シッチンが参照したシュメール語が口語か文語かという問題をぬきにしても、説
得力は持たない。なぜなら、ヨーロッパのアジール語(Azilian:亜旧石器時代のスペイ
ンからフランスに存在した)やタタール語、さらには、ナイル川からインダス川流域に
かけての文字に準じたさまざまな表記法が、シュメール語の表意文字に先行しているか
らである。と語る。又、シッチンの太陽系創造のシナリオは、地球の軌道離心率がわず
か0.0167に過ぎない点とうまく調和が取ることが困難である。彼の支持者は、これは、
天体の衝突からもたらされる分裂に起因する地球に固有の初期の地勢、つまり大陸が一
方に偏り大洋が一方に偏っていることから説明されるとする立場を崩していない。シッ
チンによると、「人類の基は地球の人類の進化に先立つこと45億年前に、地球より明ら
かに良好な環境のもとで進化していたニビルという惑星があった。」としている。しか
し、ニビルの軌道の99%以上が冥王星の外側であったとされることから、そのような結
果となる可能性は少ない。また放射性減衰からもたらされる熱と大気の層の厚さからニ
ビルの温度が保たれていたとシッチンは説明するが、太陽から離れた宇宙空間では放射
線が届きにくいことと整合が取れない。また、ニビルがどのようにして太陽系に入って
きたのかについて、ネフィリム自身がどのようにして知識を得たのかに関しても、説明
されていない。ニビルが太陽系の内側まで3600年ごとに規則的に戻ってくるという、シ
ッチンが描いたシナリオは、ニビルの軌道長半径が 235天文単位で、最遠点はアステロ
イド・ベルトを超えて太陽と冥王星の距離の12倍のところまで至ることを示している。
「初歩的な天体の摂動論によれば、他の惑星との近接遭遇を避けるための最も好ましい
環境にあったとしても、このような離心軌道(楕円軌道)をもつ惑星は、既存の惑星の
軌道の通過帯域と同じ周期を維持することはできないことが解っている。惑星の数が12
以下の太陽系では、このような軌道を持つ天体は太陽系から排出されるか、周期の短い
新たな軌道上を周回するようになるかのどちらかとされる。このような計算から、アメ
リカ海軍天文台トム・ヴァン・フランデルンなどの冥王星以遠の惑星の探索活動家らは
、シッチンは彼らを従来より支持してきたものの、何の支援もしてはいない。


359: 名無しさんAA:19/04/13 18:47
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 しかし、実は古代文明と言われる中には随分昔に見つかっていながら、不明な遺跡も
多い。中でも聖書の謎や、ミッシングリンクやオーパーツに対しては答えがないのが現
状である。ミッシングリンクとは、生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、連続性
が欠けた部分(間隙)を指す。祖先群と子孫群の間にいるであろう進化の中間期にあた
る生物・化石が見つかっていない状況を指す語。日本語的には失われた環とも言う。又
オーパーツは現代科学でも造れないものが過去にあった事で現存する遺跡の中の説明が
付かない近代的ものを言う。この中にプマプンプの遺跡がある。荒野とも言うべき場所
に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと
眠っていた。この廃墟群はティワナクと呼ばれる地にある。ピーター・ジェイムズは、
著書の中でこう表現している。「これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡は
きわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボ
リビアのティアワナク遺跡だけは別だ。」まさに他の遺跡とは毛色が違った。新大陸で
略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであったペドロ
・デ・シエサ・デ・レオンは、後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着い
た時の感想をこう述べている。「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大き
な石をどうやって運んだのか、全く想像も出来ない。」と。地元のインディオであるア
イマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろ
うと探検家達は考えた。では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消し
たのか。アイマラ族は言う。「伝承通り、巨人族が造った。巨石族はラッパの音により
空中に浮き、運ばれたのだ、と。様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひね
るばかりだった。1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナ
クの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。「あれほど数学的な正確さと、見事な技術
で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない」たしかに数学的であった
。石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった
。曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度
な加工技術だった。ブロックはプレハブ工法的石材にも見える。この工法を行うには、
工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって
作られた神殿跡だと考古学会では考えられているがしかし、アイマラは石器時代に生き
た人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能である筈なのだ。


360: 名無しさんAA:19/04/13 18:48
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 石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えない。しかし、ブロックの精度の高
さは現代ですら不可能に近い。不思議としか言い様がない。同じ大きさ、同じ形、つま
りは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。このH型石材がそのプレハ
ブ工法用の建材だったのではないかと言う。「こんな古代の人々がプレハブ式工法を古
代人が」と誰もが思うだろう。更に古代と言うが、具体的にいつ頃なのか。これに対し
、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキー博士は50年に及ぶティワナクの
研究成果として、この年代を割りだした。それは「約1万5千年前。」である。これは
尋常な数字ではない。1万5千年前、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかって、
人類がやっとホモサピエンスに代わり、後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前
のほぼ大古世時代。その為他の科学者が偽りだとして検証する作業をした。ハンス・ル
ーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン
天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(
ポツダム天体物理学研究所)の4博士による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。その
結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけたのである。ティ
ワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして
遺跡名という広い意味を持つ。混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大き
な枠組みでティワナク遺跡という遺跡群地帯があり、その中の小ジャンルとしてプマプ
ンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などの各個の古墳があるということになる。
彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ
可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと
言うことになる。ビラコチャ伝説と共に、そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた
遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと話す。このテ
ィワナク周辺には『ビラコチャ創造神』の伝説が語り継がれている。ビラコチャは豊富
なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時
には病気の治癒もした。興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされ
る話だ。遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人
も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くこと
を拒否した。そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある
者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。そ
の大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナク
を拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と
消えた。



361: 名無しさんAA:19/04/13 18:52
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -44

 世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。大洪水
をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャの神は、人類の
根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とは、この
ようなことを言うのだろう。喧嘩両成敗の話だ。ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説は
ティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国も、
ビラコチャを創造神としていた為に、白人をその使いと思って従ったのである。16世
紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は
殆どの場所で生きていたと言われている。ところが多くの伝説では、この神と人間の間
にこうした天使と言われる、使いの者、見張りの者、堕天使、と言った物が階級を作っ
て存在する。魔神アザゼル (Azazel) は、『旧約聖書』レビ記第16章の贖罪の日の儀式
についての記述のなかで言及される名詞である。アザゼルとはゴツゴツした強き物を指
し、日本での天狗の様な羽のある神である。ある日 200人の天使たちの中の一人で、そ
の統率者の一人であったが、アザゼルは人間の女性と交わる誓いを立ててヘルモン山に
集まった。その後 200人の天使たちは女性と関係をもち、女たちに医療、呪いなどを教
え、女性たちは巨人を産んだ。アザゼルは人間たちに剣や盾など武具の作り方、金属の
加工や眉毛の手入れ、染料についての知識を授けた。神の目から見れば、アザゼルのし
たことは「地上で不法を教え、天上におこなわれる永遠の秘密を明かした」ことであっ
た。その為堕天使たちのリストの10番目にその名が挙げられる事になった。『隠秘哲学
』は、四方を司る精霊の王の別名では、対応する悪魔の四君主としてサマエル、アザゼ
ル、アザエル、マハザエルの名を挙げている。東ミカエル、南ウリエル、西ラファエル
北ガブリエルの同義語としている。中国の『春秋左氏伝』文公18年には、以下の四凶に
ついて述べている。大きな犬の姿をした「渾沌」(こんとん)、羊身人面で目がわきの
下にある「饕餮」(とうてつ)、翼の生えた虎「窮奇」(きゅうき)、人面虎足で猪の
牙を持つ「檮骨」(とうこつ)としている。不思議なのは、「渾沌」(こんとん)とし
た中で、天と地を分けて、草木の枝を骨にした「檮骨」(とうこつ)や泥を練ったもの
「饕餮」(とうてつ)の材料で泥人形が作られ、季節であろう「窮奇」(きゅうき)と
言う風の神の息で命を授かったと言う伝説が他の地である点だ。まあいずれにしろ中国
の人面獣身の神の話である。インドの創造神ブラフマー破壊神シヴァ維持神ヴィシュヌ
はいずれも獣身であり、悪者にはアスラ神族「インドラを倒したもの」「インドラを下
したもの」と言う意味で、実際にインドラと戦って勝っている。しかしアスラ族もヤク
シャ族も神になれなかったので神ではない。ソーマを飲むことに成功したラーフは神か
もしれない。こうした天使族は神に従う者と人類に手伝う者と二つに分かれ、更に狼藉
を働く神や、神と戦わない者と別れ6部に分裂している。そして双方に世代交代の時期
で12神族と人類と言う形となって収拾がつかないくらい淫乱な世界を繰り広げる。


362: 名無しさんAA:19/04/13 18:52
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -45

 乳海攪拌の物語は、『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』に語られる。偉大なリシ
(賢者)ドゥルヴァーサスは人間の王たちが彼から助言を受けるべく地上に招き、美し
い花で造った首輪をかけて手厚くもてなしたところ、ドゥルヴァーサスはとても喜び、
王と王国を祝福した。その後彼はこの美しい花輪を与えるべくインドラを訪ね、その首
にかけて祝福した。インドラたちは彼を丁寧にもてなし滞りなく送り出した。その直後
、インドラが乗る象が花輪に興味を示したため何気なく与えた。象が花輪を放り出すと
ころをドゥルヴァーサスが見て激怒し、インドラたち神々に呪いをかけ、神々や三界が
享受してきた幸運を奪ってしまった。三界の繁栄は陰り、植物は枯れ、人間の世界は堕
落し、神々は力を失った。の機をとらえてアスラ(阿修羅)が天へ侵攻した。超常の力
を失った神々はなすすべがなく。インドラはシヴァ、ブラフマーに助けを求めたがドゥ
ルヴァーサの呪いは彼らにも解けず、彼らはヴィシュヌを訪ねた。ヴィシュヌは、不老
不死の霊薬「アムリタ」を飲めば良いと言う。そこで、アムリタを作り出すために乳海
攪拌を実行する。これは大きな事で、神々だけでは不可能な作業でありアスラの協力も
必要だった為、神々はアスラと和睦し、アムリタを分け合うことを条件にアスラは協力
に応じた。ヴィシュヌ神は、多種多様の植物や種を乳海に入れた。続いて、化身巨大亀
クールマとなって海に入り、その背に大マンダラ山を乗せた。山に竜王ヴァースキを絡
ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあ
うことで山を回転させると、海がかき混ぜられ海に棲む生物はことごとく磨り潰され、
大マンダラ山の木々は燃え上がって山に住む動物たちが死んだ。火を消すべくインドラ
が山に水をかけたことで、樹木や薬草のエキスが海に流れ込んだ。ヴァースキが苦しん
で口からハラーハラという毒を吐いたが、シヴァがその毒を飲み干したため事なきを得
たが、この時からシヴァの喉は毒によって青く変色した。こうして千年間攪拌が続き、
乳海からはさまざまなものが生じる。太陽、月、白い象、馬宝星、聖牛、宝石、願いを
叶える樹カルパヴリクシャ、聖樹パーリジャータ、アプサラスたち、酒の女神ヴァルニ
ー、ヴィシュヌ神の妃、女神ラクシュミーらが次々と生まれた。最後にようやく天界の
医神ダヌヴァンタリが、アムリタの入った壺を持って現れた。こうしてアスラは霊薬の
アムリタを要求し、神々との争いになった。アスラは一度はアムリタを手にしたのだが
、機転を利かせたヴィシュヌ神が美女に変身して誘惑し、心を奪われたアスラたちは、
アムリタを美女に手渡した。その結果、アムリタは神々のものとなった。神々がアムリ
タを飲むさいにラーフというアスラがこっそり口にした。それを太陽神スーリヤと月神
チャンドラがヴィシュヌ神に伝えたので、ヴィシュヌは円盤(チャクラム)でラーフの
首を切断した。こうして月となり月食日食の日が現われた。とされている。

363: 名無しさんAA:19/04/13 18:53
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -46

 この乳海攪拌の物語は、別にインド特別の物語ではない。エジプト神話やイランから
ヨーロッパにあるミトラス教には、総合的な研究でミトラス教の小アジア起源説も唱え
られたが、その基本は、古代イランにおけるミスラ信仰でイランを守護する民族の神で
あり、公的、国家的な神だったとされるからだ。ゾロアスターは宗教観の違いからアフ
ラ・マズダーのみを崇拝すべきと考えてミスラをはじめとする多くの神々を排斥したが
、後にゾロアスター教の中級神ヤザタとして取り入れられ、低く位置づけられて入神を
はたしている。遺跡では、獅子頭と翼を持った異貌の神像はこれまでに約40体ほど発見
されているが、神名や、ミトラス教においてどのような役割を持つのか、文献による証
言をはじめミトラス教の碑文に全く現れていない。今もってその正体は不明であるが。
キュモンの説ではこの神は時間の神クロノスとされ、ミトラス教の図像は主に牡牛を屠
るミトラス、岩から生まれるミトラス、獅子頭神が知られている。またミトラス神の物
語を描いたミトラス神一代記と呼ばれる一連の図像群がある。図像はミトラス神による
聖牛供儀の場面を描いていてミトラス神は、マントの衣装に身を包んでおり、牡牛の背
中に乗りかかって左膝をつき、右足で牡牛の後ろ脚を押さえつけている。その左手は、
牡牛の鼻面をつかみ、右手は牡牛に剣を突き立てている。傷口からあふれる血には犬と
蛇が、また牡牛の腹の下ではサソリが牡牛の生殖器に跳びかかっている。ミトラス神の
両側には松明を持った2人の脇侍神カウテースとカウトパテースが侍り、またそれ以外
にも太陽と月、四方の風、十二宮、カラスなどのシンボルを伴う。とされる。しかし、
キリスト教に於いて迫害され、概して女人禁制での密教とされ、入信希望者には目隠し
のうえで厳しい試練的性格の入信儀式が課せられたという。昇級の条件は不明であるが
信者者たちは窓のない神殿で非公開の儀式や礼拝に参加し、性的儀式が数多く行われた
。他の宗教に対しては排他的ではなく、他の宗教の祭礼や皇帝崇拝にも参加したらしい
が積極的な布教活動をしなかったため、キリスト教が受けたような弾圧はミトラス教史
を通じて受けることはなかった。しかしキリスト教者は、「交わりの儀」を「悪魔的に
模倣する」としてミトラス教徒を非難した。2世紀のキリスト教著述家ユスティノスの
一時の感想をこう表現している。これをもとにエルネスト・ルナンは1882年に、二つの
宗教をライバルとして描写をし、「もしキリスト教の成長がいくつかの致命的な病によ
って遅らせられていたなら、世界はミトラス教化されていただろう。」と言っている。
しかし、復活祭やクリスマスは元々は、ミトラス教徒の太陽神ミトラス崇拝の儀式で、
冬至に「再び生まれる」という信仰をもち、冬至を祝った(短くなり続けていた昼の時
間が冬至を境に長くなっていく。)太陽の復活を祝うものだったとされている。


364: 名無しさんAA:19/04/13 18:54
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 キリスト教で一番ミトラ教に近いとされるのがグノーシス派である。グノーシス派は
グノーシス主義を持つユグノー信徒をもっているが、彼らは反宇宙的二元論者とされる
。地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考え、現象的に率直に、
真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」
ではなく「悪の宇宙」に他ならない。と考える。これがグノーシス主義の「反宇宙論」
である。二元論宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教・思想の伝えている神
や神々が善であるというのは、誤謬である、とグノーシス主義は言う。ここで、「善」
と「悪」の対立が二元論的に把握される。まず、善とされる神々が、この悪である世界
の原因であれば、それは悪の神であり、「偽の神」である。となる。その場合、どこか
に「真の神」が存在し、「真の世界」が存在するはずだ、と考え、悪の世界は「物質」
で構成されている。故に物質も悪と判断する。物質で造られた肉体も然り悪である。一
方で、「霊」あるいは「考え方」が「真の存在」であり、「真の世界」である、と解釈
される。善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、思考と物質、という「二元論」が、
グノーシス主義の基本的な世界観である。これが「反宇宙論」と合わさり、「反宇宙的
二元論」という思想になっている。ソピアー神話で、ソピアー又はソフィアの女神は、
古代ヘレニズム世界で、「智慧」を象徴する女神とも考えられた。グノーシス主義やユ
ダヤ教などではアイオーンの名で、この世の起源に関して重要な役割を持つ。人間救済
における元型象徴とも見なせる。キリスト教でソピアーは神の知恵を表している。日本
の文献では早くとも16世紀末から上智(じょうち)という訳語が用いられる。後世には
知恵、叡智と訳され、日本ハリストス正教会では睿智(えいち)と訳されている。しか
し旧約聖書「天地創造」神話を信じる限り旧約聖書、創世記にある天地創造の説話には
大きな矛盾があるということは余り話題にならない。その矛盾というのは、太陽が作ら
れる前に、昼と夜、そして「一日」という概念が出来ていることである。簡単に書くと
第一日・・・初めに天と地を創造し、光を作り、昼と夜を作った
第二日・・・大空と、その下に水を作った
第三日・・・海と陸を造り、草と木を陸地に作った
第四日・・・太陽と月と星を作った
第五日・・・各種の生き物を作った
第六日・・・家畜を作り、人を作り、男と女を作った
第七日・・・休息した。というものだが、驚く事に、4日目の太陽を作るまえに、昼と
夜が作られていて、「三日」が経っている。更に地球上で見える自然光の殆どは太陽が
元になっていて、また昼と夜は太陽が空にあるかどうかで決まる。所が、太陽が出来る
前に、昼が3回来ている話しなのだ。なぜ太陽を先に作らなかったのだろうか。古代人
だって、太陽が決定的な存在だという事は分かるだろうに。というのである。


365: 名無しさんAA:19/04/13 18:55
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 この矛盾に関して、中小路駿逸氏が、「海と人と王権と」という論文で鮮やかな説明
をされている。以下はその説明の骨子部分の要約である。
ーーーーーー要約ーーーーーーーーー
これは天地の「創造」の描写ではない。そうではなくて、ある嵐で流された子供の認識
の順序を描いたものである。あるとき、暴風雨が起き、ある地域が水に覆われ、子供が
小舟などに乗せられて流された。その子供が気がついてから、状況を認識していった順
序が描かれている。最初暴風雨の為に、天も海も見分けが付かない状態だった。しかし
、それが収まってきて、雲を通じて光が見え、昼と夜が認識できるようになった、第一
日。雨が上がって空と海が分かれて見えるようになった、第二日。陸が確認され、その
上に植物などが見えた、第三日。空がやっと晴れて、太陽や月、星が見えるようになっ
た、第四日。海が凪いで、魚などが見え、鳥も飛んでるのが見えた、第五日。陸に上が
り、必要な獣を探し、人を見つけ、男女がいるのが分かった、第六日。そこで生きてい
けるのわかり、安心して休息した、第七日。ここでは、その主人公は子供でないといけ
ない。なぜなら、大人であれば、その前の記憶があるから創造という認識にはならない
。子供であれば、記憶は消え易く、とりわけ3歳時以前の記憶は残らない。そしてその
子供はある集団の始祖となって、自分の記憶を天地の初めの記憶として伝えた。という
事になる。この解釈のポイントは、2日目かもしれない。下の聖書本文から引用すると
、1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。1:7その
ようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分け
られた。と書かれる。つまり、この世界はできた時は水に溢れていた。水は命の根源だ
からなんて解釈がされるのかもしれない。しかし、旧約聖書はユダヤの民の信仰で砂漠
地帯である。一面の海なんて状況を、彼らがこの世の最初の状態として想定するという
のは、大いに不自然である。モーセが紅海を渡った時だって、あれは陸地の間に入り込
んでる障害物でしかなく、川でも湖でもよかったのだ。これがユダヤ人の作った神話で
はなくて、オリエントや他民族の作ったのを借りたものだとしても状況は同じに変だ。
しかも海だけの問題ではなく、上にも水があったのだ。恐らくは、雨、あるいは雲をさ
してるのだろうが、そもそもが、あまり雨は降らないはずなのだが。ここで出てくる「
おおぞら」は多分、青空とかではなくて、上空の空間をさしているのだろう。この解釈
に則れば、それまで風雨の為に海と雲などが見分けが付かなかったということになる。
通常、自分達の住んでる状況を元にして、天地の初めを考えるのである。最初に創られ
た景色が水に覆われた海というのは、この地域の人々の感覚として不自然ではないのか
。なぜ普通に大地、あるいは砂漠にしなかったのか。じゃあ、この解釈の洪水はどうな
んだ、という事になるが、破滅的な災害というのは、稀には起こるものだ。それは通常
は有り得ないような状況をもたらすこともあるだろう。そういう災害に遭遇して生き延
びた子供がたまたまいた、という事になる、この解釈では。しかし、それは恒常的なこ
の世界ではない。神が創るのならば、普通の世界を作るはずではないだろうか。


366: 名無しさんAA:19/04/13 18:55
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こう考えると旧約聖書では人類は何度も新たに作られている。この天地創造と、アダム
とイブの話で。天地創造の時点で人は既に存在している。そして改めて、アダムとイブ
が作られる。なぜ二度なのか。これはこの解釈では明解に説明できる。洪水が起こって
、辿りついた陸地には既に人がいた、当たり前だが。しかし、その後、教義として改め
て人類の存在を説明する必要があった。当時の価値観に合わせて男の一部から女が作ら
れた。と言わざるを得なかった。だから当然、アダムとイブの話は論理的には天地創造
の前になるしかない。つまり鶏が先か卵が先かの理論に男と女の先に神と言う人間を発
たせるしかないのである。こうして、洪水の前と考えれば別におかしくはない。しかし
、この説話を本当に天地創造だと考えれば矛盾してしまう。明らかにおかしい。すでに
陸地にいた男と女は何なんだ、ということになってしまう。第6日の最初の頃の短時間
にアダムとイブは作られたのだろうか。エデンの園や、りんごや蛇の話は、一瞬の内に
起きたのか。素粒子の世界のように、時間のスケールが違うのだろうか。また言い方も
「夕となり、また朝となった。第----日である。」と書く。・・・なぜこの順序なのか
これについては、特に意味は無いのかもしれない。しかし、一日の始まりと終わりをい
つにするかは、その民族の慣習によって違うだろう。しかし、気になる言い方ではある
。これを敢えてこの暴風雨仮説によって説明すれば次のようになるだろう。暴風雨で海
は荒れている。小船は波間で翻弄されている。そんな時に夜が来たら、恐怖心はいや増
すだろう。夜の間生きた心地はしないだろう。やっと朝になっていくらか安心する。夜
を通過してやっとその日を無事に生き延びられたという事になる。そこで第----日が終
ったと言える。「神の霊が水の表を覆っていた」・・・「神の霊」とは何か。昔最初に
聖書を読んだ時不思議に思ったのがこれだった。他に出てくるのは、神以外は自然のも
のである。これだけが何の説明もなく突然出てくる。それも「水のおもて」に。世界を
覆うとか充満するとかいうなら分かるが、なぜ「水のおもて」なのか。これはこの暴風
雨仮説で言えば明らかだろう。靄、水の飛沫、つまり小さいな水滴が空気中に浮遊して
いたのだろう。激しい雨で海水が飛び散っていたのだ。あるいは、温度差による水蒸気
の水滴化もあっただろう。それらは確かに、水面近くにあって、一帯を覆っていたのだ
。それを、後世の説明で霊と言った。ーーーー要約ーーーーーーーーー終わりーーー。


367: 名無しさんAA:19/04/13 18:55
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 実は様々な検証から、紀元前1千年以上前に、地中海、オリエント方面でなんらかの
水害が起きた事は事実らしい。オリエントの多くの神話に洪水伝説がある。その原因と
なるものとして考えられるものは、一つには、紀元前2900年頃に、トルコの山に降
った雪でチグリス川が大氾濫を起こしたことがあるとか。また地中海のサントリーニ島
火山が紀元前1600年頃に大爆発し、火口が陥没して周辺地域に大水害を起こしたこ
となど。これがアトランティスの伝説の元になったという説もある。ポンペイの火山の
爆発が、十戒で有名な出エジプト記の時だったとするのは、恐らくほぼ定説となってい
る。面白い事にこの発表に付加されている質疑で、進化論と天地開闢神話論との裁判が
起こっている。第二次大戦前、アメリカでこれに関係した裁判があって、ある教師が、
敬虔なカトリック信者から学校で進化論を教えたことで訴えられたのだ。この時弁護士
は、聖書は合理的でないから進化論を教えてもいいはずだ、という言い訳をした。その
時この太陽が4日目に作られてるのに、その前に3日が経ってるという事を例にあげ、
合理的進化論を教えていいはずだ。と言って、矛盾する信仰に勝訴したらしい。実は今
この科学の進歩と共に神がかり的に信者が増えている。古代宇宙人説も荒唐無稽だが、
一般的に信者は多い。縄文海進はこの話とは直接の関連はないが、縄文時代初めに急激
な海面の上昇があったことが知られている。100mほど海水面が上がった。当時は、
千葉県は島、大阪平野は海の下、内陸部に貝塚が残っている。これによって対馬海流が
日本海に入った。それまでは、新潟辺りは乾燥していて雪も多くなく住み良かったとか
。雪が増えたのは海水が流れ込み、暖流から出る水蒸気の量が増えたからだ。その辺の
変化が千葉ニアンの「地球磁場逆転期の地層」があるが、千葉ニアンその者は約77万年
前に地球の磁場(N極・S極)が最後に逆転したことを証明する地層だが、その上層に、
貴重な地層としてあるらしい。国際機関の審査する程地質時代の区分として世界的な有
名なポイントらしいが縄文時代の地層も展示すべきだろう。最近の温暖化論で違和感を
感じるのは、本来地球の環境は一定である。という暗黙の前提である。全くそんな事は
ないのだ縄文海進の頃は、1年に数センチの速さで海面が上がったらしいが陸地にあっ
た氷河が溶ければ増える。平安海進というのもある。規模は大きくないが。今の温暖化
論でも海面上昇が言われているが、実際に観測された例は現代のみ。ミクロネシアの島
が水没するという話もあるが、通常の侵食作用のせいでも沈んでいると聞いた。


368: 名無しさんAA:19/04/14 09:56
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -51

 こうした古代人の物語を紐解くと、時々ドキッとする文献にぶちあたる。それは今の
クマプンクの物語でも日本の神話でも同じだが、今でも宇宙大戦争の中に人類がいる。
と言う予言めいた言葉である。クマプンクでは、旧い創造神から逃げた新しい神々は、
地球の方々に逃げ回った事になっている。その一人はチチカカ湖に沈んだが、攻撃を受
けて湖から泡と共に浮きあがったとされる。つまり隠れて創っていた都市が攻撃された
と言う事になる。又拝火教すなわちゾロアスター教の黙示録神話を伝える『バフマン・
ヤシュト』によれば預言者ザラトシュトラの死後千年後は、教えは衰えて、邪悪な者た
ちの支配時代が来る。と予言する千年続いたあと、アフラ=マズダーが正義の熾天使の
ミトラに率いられた天使団を送り込み、司祭ペショタヌと50人の勇士を導かせ、悪と
戦わせている。彼らは真の回復者の出現を待ちながら進軍を続けてやっと回復者ザラト
シュトラと息子のフシェダルが現れた。とする フシェダルは彼らを迎え入れ彼らとと
もに千年王国を築き、ミトラに譲られ正義の統治を築く。そしてキリスト教とイスラム
教のメシア到来信仰を取り入れさせて死んで行く。又その為に予言書をムクランに隠し
ていた。と言う。日本の神話でも伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)は
神であっても最下位の神で、先代の天地開闢において神世七代の最後に生まれた言わば
下っ端の神だ。そして高天原の神々に命令され、しぶしぶ海に漂っていた脂のような国
土を固めるべく、天の浮き橋から天沼矛で海をかき回し、出来上がった淤能碁呂島にて
伊邪那美命と結婚したのである。そして産まれたのが天照大神である。最後に火照り姫
つまり火の神を宿して十六夜がやって来る。即ち15夜の満月を過ぎた下り坂である。
つまりある意味地上に火を与えて死んで行き、黄泉の国に住む事になる。しかし伊邪那
美を忘れられない伊邪那岐は逢いに行くが、既に黄泉の住民となった姿にあわてて帰る
。追いかける醜い伊邪那美に、追いかけられる伊邪那岐は、もっと人類を増やすから。
といって舞い戻り泉で禊を果たすのだ。ありていに言えば死と生の戦いの宣言である。
近頃賑わかせる「ストーンサークル」なる幾何学模様がある。私が犯人と名乗り出てい
る輩もいるが、この現象は実はエジプト時代から見つかっている歴史の古い物だ。ただ
大きくは出て来ない。中世時代にも見つかっているが悪戯として処理され、ナスカの地
上絵の様に近代の航空機などで見ないとその図柄は見えない。よく見るとデザインが凝
ったものもあって、当然十数人が何日も取り組めなないと出来ないデザインがあって、
人では不可能な物も多く、本物と贋物があり本物は穀物を折っては居なく放射能までも
出ている。つまり此処に幾何学模様のこの白人種の宇宙人とナスカの地上絵の様な有色
種の宇宙人の戦いが見えてくる。古代宇宙人説によれば、恐竜は宇宙人の食糧として作
られ、その管理に人間を作ったと言う。だが言う事聞かないので壊滅作戦を行った。と
される。


369: 名無しさんAA:19/04/14 09:56
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -52

 この時穴に逃げて、火を持たせた宇宙人が神とされ、氷河期を生き残らせたという。
死海文書ではノアの箱舟の様な話が何回も綴られて、恐らくはその記録だろう。死海文
書に記述されている宗教観の多くは、エッセネ派のものと酷似しており、当時の死海周
辺にはエッセネ派のグループが存在したという記録が残る。また、クムラン教団に縁の
あるヒルベト・クムラン遺跡には一切の古書が発見されていない。にも関わらずインク
を入れていたとみられる壺が発見されている。これらのことでクムラン教団が死海文書
を作成し、洞窟に隠したのだと考えられる。死海文書は現在ではすでに存在しない古代
ヘブライ語で記述されている。また、比較的保存状態が良いとはいえ、2000年近く前の
古書であるため箇所によっては損傷が激しく、肉眼での解析も困難を極め、赤外線解析
まで行い、後の世に伝わっている旧約聖書は死海文書の時代からほとんど編集されずに
引き継がれている。とされる。この死海文書の近くのカッパドキアの洞窟住居は近年に
地上の家が引き払われて、巨大都市で地下18階の住居跡である事が解っている。もし
これらが只の住居なら地下深くする必要はなく、何らかの攻撃に身を隠したからとされ
る。そして又地上での戦いなら通風口を塞ぐだけで、この地下生活は終わる。ここに、
飛行する敵を目を欺く為と言う古代宇宙人説が現われる。その信ぴょう性はともかく、
死海文書には後世に伝わっていない謎の記述も存在しており、これがキリスト教の新た
な真実の予言書ではないかとうわさされている。それが@イスラエルの破滅A光と闇の
最終戦争B日本人メシアの誕生と言われている。死海文書には「イスラエルが国家とし
て立ち上がるも70年にわたって長い混乱に見舞われる」という予言が存在し、さらにそ
の混乱の最後には破滅が待っている。と言う。又「光の子と闇の子のあいだに最後の戦
いが生じ世界が崩壊する」という予言も存在する。------神に寄り添う者には栄光が訪
れ、サタンに寄り添う者には絶え間ない破壊が訪れる。光の子も闇の子も天使と共に戦
うが、神は光の子に微笑むだろう。と言う言葉だ。この光と闇の最終戦争においては、
「光と闇の両軍にそれぞれのメシア(救世主)が誕生する」という予言も存在し、その
メシアの一人が日本人から誕生するのではないかという噂がある。このユダヤ教エッセ
ネ派は思想的に第二神殿(エルサレム神殿)の権威を否定していた。とはいっても神殿
の概念を否定したわけではなく、自身の共同体を新しい神殿とみなしていた。ユダヤ戦
争の結果、70年にエルサレム神殿が崩壊し、神殿を権威の根拠としていた他派のグルー
プは終焉を迎えたが、エッセネ派も期待した勝利を得ることがなく、結局対立グループ
の消滅とともに自らの興じた活動は見えなくなった。しかし「神殿によらずして神に仕
えることができる。」という発想はその後のキリスト教の発生に影響を与え、神殿崩壊
後のユダヤ教を支える思想的な基礎としてエッセネ派は残り他派がキリスト教に言って
も秘密主義のユダヤ教として残り続けているものと思われる。清貧教徒で神的なものへ
の敬虔は独特なものでありこの教派の行為は一切口外出来ないとされる。富を軽蔑し、
財産を共有制としている。エッセネびとの宗団には、すぐには入団できない。志願者は
1年間メンバーと同じ生活が課され、その後さらに2年間その性格が試されてから、入
団が許可される。


370: 名無しさんAA:19/04/14 09:57
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -51

 イエスは、前半生のかなりの部分が明らかになっていない。が、エネッセ派の誓いの
ひとつである「彼らの派に属さない者たちには、たとえ暴行を受けて死ぬほどになって
も何一つ明らかにしないこと。」という掟からすれば、イエスがエッセネ派内で充分に
修行をしてきて、そのことを明かさないというのはありそうなことであると言う。とこ
ろで話しを戻して予言の話では、これには世界的に有名な予言者「ノストラダムス」の
話がある。実は世界的にはノストラダムスの予言は間違いない物と見られていて、な〜
んだ1999年の恐怖の大王なんてハズレてんじゃないか。と思っているのは日本人だけな
のである。それほどこの予言は的確であると思われていて、権威がある書とされる。
 地球の真ん中から地震が火を噴き         ---キラウエア噴火
 新しい都市の周辺をゆるがすだろう        ---東北大震災
 二つの巨岩がながらく戦争をつづけ        ---米ソ冷戦
 やがてアレトゥーサが新しい川を赤く染めるだろう ---中国台頭

 空は燃える 45度で               ---バトルブリテン
 炎は近づく 大いなる新都市に          ---都市空爆
 時をうつさず ばらまかれた巨大な火が跳ねまわる ---原爆投下
 ノルマン人を試さんと欲するとき         ---ノルマン上陸

 大都市に組する国は強情なために同意しないだろう ---温暖化対策
 王がトランペットを吹きならす          ---トランプ政策
 外に出よと命じるために             ---世界貿易政策
 壁に梯子がかけられ都市は後悔することになるだろう---共産党対策

などと、実は当たっていた話しは数多いが、中でもアメリカの航空宇宙局(NASA)
がノストラダムスの予言の「空から降ってくる恐怖の大王」の正体としてすぐさまに、
スペースシャトル計画を止め精力を挙げてつくったものがある。ニュー・フロンティア
計画の3番目のミッションとして2009年に再提案された「オシリス・レックス」計画だ
。当初は「オサイリス (OSIRIS) 」という名称で、2004年にアリゾナ大学とロッキード
・マーティンによりディスカバリー計画の11番目のミッションの候補として初めて提案
されたが、チャンドラヤーン1号へ相乗りする観測機器が選定されたため採用されなか
ったものだ。しかし世界的に有名な予言者「ノストラダムス」。1999年にハズレたと思
われていたノストラダムスの予言の年に、ベンヌ(またはベヌー:101955 Bennu) とい
う小惑星が発見されたのである。





371: 名無しさんAA:19/04/14 09:57
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -53

 これはアポロ群に属する地球近傍小惑星で1999年にリンカーン地球近傍小惑星探査 (
LINEAR) によって発見されたもので地球の望遠鏡では見つけるに不可能に近い小ささだ
った。アレシボ天文台の天体レーダーとゴールドストーンのディープスペースネットワ
ークによって詳細に観測されており、平均直径は 560mほどで、今度の日本において、
ハヤブサが到着したリュウグウの2割ぐらいだ。が、NASAはディスカバリー計画の
$425M,までという予算枠に対して、高すぎると判断され却下されていたが、発見後には
宇宙探査をオサイリス・レックス計画に名称変更し、ロケットを除き$650M,までとディ
スカバリー計画より多い予算をもつニュー・フロンティア計画の3番目のミッションと
して2009年に再提案されたミッションデザインで登場し、遂行される結果になった物だ
。その理由は、2009年にアンドレア・ミラニと共同研究者が報告した力学的研究による
と、惑星ベンヌは2169年から2199年までの間に8回地球に接近し、そのどれかで衝突す
る可能性が 高い事が判明したからだ。この小惑星を構成する物質が何であるかは、今
の所ほとんど分かっておらず、衝突の可能性もその内容に左右されるが、衝突の確率は
8回の現在の可能性では合計でも最大0.07% であるという小さな結果を出している。し
かし要素数値が不明でベンヌが地球に衝突する可能性をさらに精密に計算するには、こ
の小惑星の形状をより正確に把握し、少なくとも複数年に及ぶレーダー観測と光学観測
を続行してヤルコフスキー効果による影響がどの程度かを見極める必要がある。と判断
されたからだ。地球からの探査機打ち上げ時に大きな加速 (Delta-V) を必要としない
。そのことから、ベンヌはオシリス・レックスを含む天体調査ミッションの調査対象と
して何度も候補になってきたがやっとそれが出来る事になった。2014年4月にミッショ
ンの詳細設計審査 (CDR) を終了し、製造フェーズへの移行が認められ、2016年9月9日
に打ち上げられたNASAの小惑星探査機「オシリス・レックス」が、2年3か月に及ぶ約20
億kmの旅の末、日本時間12月4日午前2時ごろに目標天体である小惑星「ベンヌ」へやっ
と到着したのだ。このオシリス・レックスは、現在ベンヌの上空約19kmに位置している
。探査機はまず数か月かけて、ベンヌの上空約7kmまで接近しながら、北極から赤道領
域、南極の順で予備的な探査を行い、ベンヌの質量や自転速度の見積もり精度を向上さ
せ、正確な形状モデルを作成する。その後、探査機は12月31日にベンヌを周回する軌道
へ入る。ベンヌの幅は約492mで、これは探査機が周回する天体としてはこれまでで最小
のものだ。探査機はベンヌの表面に約1.25kmまで接近し、サンプル採取に最適な場所を
選び出すための全球地図の作成を2019年から始める。そして、オシリス・レックスは、
ベンヌの表面へ降り立ってサンプルを採取し、それを2023年9月に地球へと 持ち帰る
計画となっている。小惑星からのサンプルリターンは、NASAの宇宙探査史上としては初
となる。はたして 当時は (101955) 1999 RQ36と仮符号で呼ばれていたこの小惑星がエ
ジプト神話の不死鳥にちなんで「ベンヌ」(Bennu) と命名した小惑星は地球に何をもた
らすのか。又他のもっと小さな衛星を引き連れているのか。ウイルスや水やその他何を
持っているのか不安である。リュウグウと比較すると、ベンヌの直径はリュウグウの約
半分、体積は1/8とずーっと小さい。


372: 名無しさんAA:19/04/14 13:14
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -54

彼(=ノストラダムス)は予言のたった12の百詩篇を書いた。それは四行詩で簡潔に
まとめられたもので、彼はギリシャ語で Propheties と名付けていた。そのうち、7巻、
11巻、12巻は不完全なものであって、11巻と12巻は長らく閉じ込められ、今なお、時の
悪意にさらされているが、我々はそれらに門戸を開いた(=それらを公開した)。とい
う。これらの詩篇の真偽については、議論が分かれるがほとんど偽書とされる。ちなみ
に、第11巻以降の詩で、シャヴィニーの紹介に含まれていなかったものを紹介する者達
もいるが、それらは疑わしい事この上ない事だ。たとえば、アメリカの信奉者アーサー
・クロケットは、ノストラダムスが晩年を過ごした家の地下室から新発見の四行詩群が
発見されたと喧伝して、日本でもそれを本物であるかのように紹介した文献がいくつも
存在している。しかし発見時の状況説明の不自然さや、文体・表現の不自然さなどから
すれば、偽作であることは明らかとされ、海外の実証的論者も一蹴している。実はこの
『予言集』では、四行詩100篇ごとのまとまりを表す言葉としてサンチュリ((la) Cent
urie / 複数形 レ・サンチュリ Les Centuries)の言葉が用いられている。これらは、
「百集めたもの」の意であるため、『百詩篇(集)』のほか、『詩百篇』『百詩集』な
どとも訳されてもる。これに対し『諸世紀』は、英訳からの転訳で生じた誤訳である。
つまり地方言葉で書かれたものが『予言集』の主要部分であり、しばしば『予言集』そ
のものが『百詩篇集』(または誤訳の『諸世紀』)と呼ばれるのはそのためである。
多くの解釈が重ねられてきた一方で、フロンドの乱、フランス革命、第二次世界大戦、
アメリカ同時多発テロ事件など、歴史上の大事件の際には、それに便乗する形での偽の
詩篇が追加されているし、一部の詩句が改竄されたりもした。本のの内容についても、
ノストラダムスが何らかの方法で未来の情景を知覚してそれを詩にしたとする説と、彼
自身の体験や同時代の事件・風聞、古典文学などに題材をとって書いたとする説に大別
できる。1594年のシャヴィニーによる注釈書以来長らく前者の立場が有力だったが、後
述するように、特に1990年代以降には後者の立場からの研究も少なからず現れている。
この点、ノストラダムス予言の典拠も大事に見ておかなければ恐らく改竄されて改訳を
ほしいままに綴られる。サンチュリ語はそういう便利な言葉であったのである。つまり
だれでも知ってるアルファベットで誰でも知らない高級言語で一般化するには言葉を変
えなければならない詩編だったのである。そしてもっともらしく、これに続く詩編が、
各々に作られて繋がり、今や、四行詩100篇が『百詩篇(集)』として読まれている。
と言う物である。


373: 名無しさんAA:19/04/20 17:19
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -55

百詩篇第1巻48番

 月の支配の20年が過ぎた。             ---20年=欧州バラ戦争
 7000年、別のものがその体制を保つだろう。     ---7000年=カバラ7万年
 太陽が残された日々を受け取るであろう時に、    ---西暦誕生後
 私の予言は成就し、終わる。            ---予言は成就しない=、
                            終わらない
百詩篇第6巻のラテン語詩

 愚かな批評家に対する法の呪文           ---古代ローマ法文への言及
 この詩を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい。  ---クリニトゥスの学識者へ
 俗人、門外漢、無知な者に近づいてはならない。   ---ローマ皇帝カリグラ暗殺
 占星術師、愚者、野蛮人は全て遠ざかっていなさい。 ---卜占官(augur)の儀官へ
 さもなくば儀式に従って呪われるがよい。      ---儀式廃退

百詩篇第1巻35番

 若きライオンは老いたるに打ち勝つだろう      ---アメリカの台頭
 、一騎討ちによる戦いの野で。           ---第2次世界大戦
 黄金のカゴの中の両目を、「彼」は引き裂くであろう。---ドイツ分断統治
 二艦隊の一方、そして死す、酷き死。        ---日独同盟と日米同盟

百詩篇第10巻72番

 1999年、7か月、                  ---黄禍論的解釈
 空から恐怖の大王が来るだろう、          ---「支払い役の大王」
 アンゴルモワの大王を蘇らせ、           ---フン族のアッティラ王
 マルスの前後に首尾よく支配するために       ---農耕国家の支配


374: 名無しさんAA:19/04/20 17:22
 NEW 悪魔の聖杯 0059   ズンダランド クライシス    ‐‐- -56

 実は多くの予言書では西暦2015年は晦日年で2016を新年代世紀としている。
2016年は、多くの画期的なものが見つかっているし、又新しい事が起こっている。
2015年は、政治面では過激派イスラム組織ISILによる日本人殺害を含む各地でのテロリ
ズム事件に明け暮れ、地政学リスクが際立った。これに伴い中東方面からヨーロッパへ
流入した難民問題が顕在化した。日本では東芝債権事件が米国原発子会社購入と共に発
生し、日本消費も、2000万人近くに及ぶ過去最高の訪日客数による爆買いやインバウン
ド効果や、日銀政策などによる円安傾向の持続、大幅な原油安を背景に、輸出や消費で
回復基調にあり、学業面での、ノーベル生理・医学賞を大村智が抗寄生虫薬のもとにな
る物質発見でのノーベル物理学賞を、梶田隆章が素粒子ニュートリノの質量発見と共に
それぞれ受賞した。日本のスポーツ界もラグビー日本代表のW杯における歴史的3勝や
、羽生結弦によるフィギュアスケート世界記録更新とGPファイナル3連覇などの記録的
な快挙も見られた。なお今年の漢字は「安」で、政情不安や安保政策などを司るもので
あった。こうして年を越し、フロリダ銃乱射事件、ブリュッセル爆発、アタテュルク国
際空港襲撃事件、仏ニーステロ事件など、欧米を中心に各国でISILによるアローンテロ
行為が頻発し地政学上のリスクが顕在化した。また長引くシリア内戦から波及していた
アレッポなど混乱した中東情勢をめぐる複数国の対立に変化し、一帯一路政策を進める
中華人民共和国の台頭で、南沙諸島の人工島開発、北朝鮮核問題(日本海へのミサイル
発射、水爆実験)など、国際的な緊張が高まりG7による伊勢志摩サミットは、主な議
題が経済とテロ、北朝鮮となった。夏季にはブラジルの2016年リオデジャネイロオリン
ピックが開催され難民選手団を含む 206の国・地域が参加し無事行われたが、天災も起
こりチリ、ニュージーランド、台湾などでの大型地震のほか、ジカ熱の流行などがあっ
た。ところが政治・経済では、シリアで人民議会選挙を執行、アサド政権与党アラブ社
会主義バアス党が圧勝し、イギリス国民投票の結果を受け、デーヴィッド・キャメロン
首相が保守党党首及び首相を辞職する。中華民国総統選挙の結果、民進党の蔡英文が与
党・中国国民党や野党・親民党を破り初当選を果たし、台湾初の女性総統が誕生となっ
ってアジアの安定を果たした。しかし大韓民国では、与党・セヌリ党が敗れ連立与党で
新議会が発足し混乱をする結果となった。熊本でマグニチュード (M) 7.3・最大震度7
の地震が発生し福島原発や東北震災と共に日本は復興工事を更に増やす結果となってい
る。こうしたことのあった2012年を境に 世界は確かに変わったのだろうが、わた
しには気付かない事も多い。



375: 名無しさんAA:19/04/20 17:35
ジュメール デ・シュメール ---------10

 これは又、人類の大きな文化損失である。先のウインザー城の火災といいノートルダ
ム大聖堂の火災といい、或いはグレンタワービルといい欧州人の火に関しての知識やら
余裕が少ない。やはり石作りの街の安心からだろう。とはいえ日本も最近では、多くの
工場やら民家やらが失火は多い。このウインザー城もノートルダム大聖堂も工事中の火
である。昔の絵や色々な化合物があり、おそらく高熱と自然発火と管理ミスが多いのだ
ろう。こうした100年経ったものは火災対策は充分できる物ではない。日本ほど高温
多湿の雨の多い所では無いからだ。しかし、今年はアメリカやイタリア或いはスペイン
などで大雨になりイランすら洪水である。つまり気候が変化して、今までは火が付かな
かった物質も自然発火の恐れが出て来たのである。工事前に日本の技術の水ガラスの噴
霧などがあったなら少しは発火が止められていたかもしれない。しかし昔の大川の風浪
宮のような作りで良く出来ている。つまり内部は石膏で覆われた天井や壁で、貴重な飾
りの多くは、助かっているようだ。今の日本の社寺建築もどうやっているかは知らない
が、建築をかじった物としては、この泥と漆喰壁とされる分厚い石膏や泥の壁は日本の
多くの古い寺院では行っている。しかし、修復修理の状況をみると明治に起こった簡素
な作り方を踏襲した修復がTVの中継で見える。フランスは大変な時に大変な事が起こ
った。今のイエローベスト運動はかつてのイギリスファシスト党が、貴族院の強化や、
参政権の制限、そして、反労働組合的な主張などを様々に展開する為、党員のために、
軍服風の上着と制帽からなる青い制服を採用した事を思い出す程だ。ヨーロッパ社会で
ナチ政党が台頭していたが、第二次大戦前はその前身とも言えるファシスト政党が猛威
をふるった時代があった。1930年代はナチスを始めとしたファシスト政党が主にヨーロ
ッパを中心に台頭し、武力を背景に法や経済を牛耳り、世界恐慌後の混乱した情勢を乗
り切ろうとした時代があった。政党ではなく今の市民暴動に近く、ユダヤから金を借り
ながら活動し、銀行資本や金融部門がユダヤしかいなかったから反ユダヤ主義を取った
。ファシストといえば極右、というイメージが強いが、実は定義は曖昧で未だに議論が
あるほどだ。ファシスト哲学は、右派左派的な思想が混在しており、学術上は一概には
極右と見なせない。このような政党はドイツ・イタリアの専売特許ではなく、他の国々
にも普通に見られ当時の「流行」でもあったようだ。ロンドンのファシストは中身はな
かったが、今のブレクジットの様に展望のない目標に突進し、ユダヤのチャーチルを、
議員にさせた。住民の危機意識の反抗からだ。ドイツのナチス党も同じにファシストと
共産党を危険視して中道の社会労働党ナチスが大きくなった。言わば愚民大衆主義の、
権威として労働者の党ができたのだ。しかしそれが大勢のファシストを抱え込んだ形に
膨れ上がったのである。歴史好きならこうした危険性は大きな危惧する現代であろう。


376: 名無しさんAA:19/04/20 17:35
ジュメール デ・シュメール ---------11

 しかしまた日本の安倍総理もそうだが、韓国社会はなぜこんな事が解らないのかと言
う程、公明、正大、公平には遠い醜悪社会になっている。その根本原因は、財閥が自ら
の権力維持に政治力を利用しようと裏に表に政治の口出し呪縛をかけ続けている事だ。
その政治も又同じ様に、知らんふりしながら私は三権分立をしてますよ。と言わんばか
りの声明を発しながらも、裁判官に圧力をかけ人事を掌握し、更に逮捕までしている。
信じられない。この信じられないのがまたこの裁判所の一切の条約や国際協定や国際的
合意を踏みつぶした判例である。慰安婦なり徴工問題もそうだが、他にも原子力やら、
軍備やらオリンピックの統一旗や合同チーム問題でも、全く政治力は使わないとした、
一切のオリンピック精神を逸脱している。確かに政治・経済・司法に垣根はあっても、
閉ざした社会体制ではない。しかし、その理由は自由主義が人間の尊厳に根差した思想
だからであって、特別の場合を想定した規則で、規律の中では政治・経済・司法などの
三権分立に垣根と自主独尊を強いている。こうしてそれを犯してまでも、何処に韓国の
特別な場合があると言えるのか。全く無い独裁なだけだ。こうした旧東側社会の様な事
していてはまず国の発展はない。発展があればそれは格差社会のブルジョアファッショ
である。軍部のいい加減さや協定違反は、レーダー問題でも信じられない程だが、政府
の漁船員の拘留をしないのも又信じられない事だ。裁判官が過去の国家間の条約すらも
取り扱わないと言う国権無視はそのまま人権無視にも繋がって、財閥頂点の経済格差で
コリアンカーストが今だ引きずっているのが事件に見える。結果奴隷の様な社員なり、
船長なりは、全く違法のまま突っ走りセヲォール号の様な事故を起こす。これで経済が
成り立つ筈はないが、中国式を当たり前に真似している様は、既に共産国家さながらで
ある。かつてファシスト党なる物が存在した。右翼でもなく左翼でもなくイタリアの、
ムッソリーニが言いだし「革命行動ファッショの精神」並べた立て「イタリアの戦闘者
のファッショ」を設立した。同団体は独自の政治理論であるファシズム(結束主義)を
掲げて、現状の社会主義も民主主義もリベラリズムにも反論し猛烈な批判を展開した。
彼の異端思想はイタリア・ナショナリズムとされ、サンディカリズム(組合主義)、コ
ーポラティズム(共同体主義)、アナーキズム(無政府主義)、リビジョニズム(修正
マルクス主義)の運動家達に多大な集結を試みられた。初期のファシズムは良識派から
批判され広範な支持を得らなかったが、国家協力の民兵組織「行動隊」による直接行動
いわゆる官製テロを駆使して段階的に影響力を高めていった。日本と違うのは大陸事情
で日和見主義は許されず、大国主義に走る小さな小公国がいわゆるバチカンやらロシア
皇帝やら一次大戦前の、ハプスブルク家やドイツ皇帝など、常に戦争に勝つ国について
行かねばならなかった事と、そうした大国の重しで多くの自由が奪われる事の目算や算
段や駆け引きが必要だった事だ。


377: 名無しさんAA:19/04/20 17:37
ジュメール デ・シュメール ---------12

 こうして欧州社会を駆け巡り、様々な思想を育み、さながら中国の諸子百家のごとく
あってバルカンに降り立った「革命行動ファッショ」から「ホッジャ主義」なるものが
出来た。「ホッジャ主義」は言わば駄々っ子の主張で、権力闘争が服を着たようなもの
で、一般国民からしてみたらいい迷惑の国家主義だった。協調と援助を謳ってちかづく
ソ連の共産党の無神論者危険な軍事拡大主義はいまの中国と同じく無分別に明るい未来
を描きインターナショナル武力革命を論じ、国際旅団と共に無償の武器支援をちらつか
せ軍人政権をのぞんだのである。ホッジャ主義とは、アルバニア労働党の指導者エンヴ
ェル・ホッジャ(1908〜1945)が掲げたイデオロギーだが、結局は、ていのいい独裁主
義であり、国内の国民に付いて来いと言って虐げられ、オスマンから離れトルコからも
離れドイツ・ソ連・中国と渡り歩くもこのユーゴスラヴィアの地の従属脱却が出来ず、
結局はソ連に占領され、指導者の個人崇拝、帝国主義との軍事対決、国家による厳格な
国民統制、外国人の入国を厳しく制限する鎖国政策など、時々の独自のイデオロギー政
策を実施するしか無くなったアルバニアの民族物語である。1968年にワルシャワ条約機
構軍が突入し、いわゆる「プラハの春」でチェコスロヴァキアに侵攻した際アルバニア
はこれを激しく非難しワルシャワ条約機構から脱退した。1956年のフルシチョフによる
スターリン批判でソ連と断交し、次いで文革終結期の中国の対外方針転換で中国と断交
。こうしてヨーロッパでの孤立を深めたアルバニアの思想は、貧困にあえぎコソボ内乱
まで綴られる事になった。当初、中ソ関係は良かった。しかし1958年のフルシチョフ・
毛沢東会談で、フルシチョフが中国の社会主義建設路線を批判したことで険悪化する。
翌年ソ連が中国への原爆供与協定を破棄し、対して中国がフルシチョフの「西側諸国と
の和平路線」を批判した。こうしてあくまでの帝国主義との闘争路線維持を言うソ連に
離れ、ホッジャは、思想的共鳴から中国との連携を強化する。中国は、ソ連断交により
アルバニアが失なう工業品や食品、その他品目の約90%を補償して、積極的な経済支援
を行なった。党の幹部の相互訪問の他、中国人労働者をアルバニアに行かせて働かせた
。現地アルバニア人と同水準の労働と賃金で多すぎる中国人排出にいい国であり、労働
者不足のアルバニア人にとっても好評だった。しかし、国内経済が、ソ連や東欧諸国に
依存し突然関係が絶たれた国に、これまで通りの工業や設備は使えなくなり、経済破綻
は免れず低迷した。さらに、1966年から中国も食糧不足で文化大革命が始まると、ホッ
ジャはこれに共鳴しアルバニアでも独自に「文化革命」を開始した。青年組織を動員し
、モスク、教会、修道院、宗教施設を閉鎖し倉庫や体育館などに改修させ、宗教活動を
全面禁止すると「無神国家」を宣言し、非道な無神国家としてそうなったが中国がそれ
を真似をして世界に暗闇を広げた。




378: 名無しさんAA:19/04/20 17:37
ジュメール デ・シュメール ---------13

ところがこうして一段と高まった経済疲弊は、中国に1970年に入りベトナム問題介入に
走らせ、日本やアメリカを接近させた。1971年に国連の「中国代表」は、中華民国から
中華人民共和国に移す、いわゆる「アルバニア決議」が採択されるが、それはこれまで
の親中国のアルバニアの友好を示すもので強行採決だった。こうして中国の国際的地位
向上に協力し、文革終了後に主導権を握ったケ小平は、「3つの世界論」を唱え、チリ
のピノチェトやスペインのフランコ、コンゴ民主共和国のモブツなど、反共右派の独裁
政権とも国交を樹立した。対してアルバニアではこれを「修正主義」と批判したが、直
ぐに中国は在アルバニアの中国人を引き上げ、援助もストップした。こうして更にアル
バニアは極度の物資不足と経済不振に喘ぐ。1976年に毛沢東が死亡した時は動きはなか
ったが、1978年にはアルバニアと中国は国交を断絶した。ホッジャの心中は、1976年に
宣言された夢の様なスターリン主義に基づく新憲法を採択し、国名を「アルバニア社会
主義人民共和国」に変更した。マルクス・レーニン主義に基づく国作りを明確に打ち出
して、ホッジャへの個人崇拝の強制と厳格なイデオロギー統制した全体主義を敢行し、
当局による国民監視、国民総武装体制、国内のいたるところにトーチカを建設するなど
、外界と閉じた鎖国状態に突入する。こうして独裁者ホッジャは、首相のシェーフとの
対外路線について衝突し1981年にシェーフが突然「自殺」したと当局は発表された。後
に殺害されたことが明らかになるが、ホッジャはシェーフが実は「アメリカ、イギリス
、ソ連、ユーゴスラヴィアのスパイだった。」と更に発表している。シェーフは「犬の
ように埋葬された。」という。こうして独裁者ホッジャは、例に洩れず政敵を屠っては
権力を保持し続け、ユーゴスラヴィア、ソ連、中国と協力国と次々に断交してはアルバ
ニア経済を破綻させていく。しまいには自身を崇拝させる硬直した独裁国家を作り上げ
てしまい死んで行くが、こうしたホッジャが権力者であり続ける闘争に勝ち抜くための
手段で声明を出すが、世界にはソ連や中国の「修正主義」を正面から批判し、昔ながら
のマルクス・レーニン主義を維持し続けるアルバニアを賞賛して、自国流の「ホッジャ
主義」を掲る共産主義政党が数多く生まれていた。日本でも、中国で文化大革命が起き
ると、日本共産党は中国共産党から「修正主義」であると批判を受けて、これを機に党
内では文化大革命支持派と反対派に分裂し、日本共産党は親ソでも親中でもない「自主
独立」路線を確立した自主路線・現実路線を取り、親中政党でありながら「日本共産党
(左派)」の主流派はホッジャ主義といわれている。


379: 名無しさんAA:19/04/20 17:38
ジュメール デ・シュメール ---------14

 これまで、文明の大きな要素である文字は今までの人類史で独自に発明されたとみら
れるのはシュメール、中米、中国くらいで、その他の エジプト文字などはそこからの
模倣によって生まれたとの立場をジャレド氏は取っている。ジャレド氏は、環境によっ
て文明の歩みは違ったと論じますが、決して人間個人の自主的な先取性を否定するわけ
ではなくて。けれど大河のような歴史を科学するという上で、人類の歴史のメカニズム
を解き明かそうという大事業のの前には今だ解明されていない文様文字がある。所謂、
渦型円紋と三角紋の言葉である。我々は先のシュメールの楔型文字から絵文字と発展し
た中で言語を持っている。と言うのが現代言語であろう。しかし、今や古代科学の中で
失われた文明が数々発見されるに及び、かつてあったであろうアトランティスを考える
事になる。この幻の大陸は紀元前のギリシア詩人プラトンの文献では、紀元前800年
にあった王国と言われている。近頃判った事は恐らくは恐竜時代にも人類は生活してい
た。と言う事実であろう。となればその長い間に我々の知らない意思通信の言語形態が
あったとしても不思議ではない。文明の進化の上では「なぜユーラシアの中でも欧州が
特に力を持ったのか」などの残された課題もジャレド氏は語っている。豊富に獲れた農
業生産とさらに家畜と共に暮らした結果の効率化による耕作とが人口を増やして行った
。と見られている。そしてそれは家畜由来の病原菌が人間にも発病させ、その結果免疫
を発達させることになったこと。がヨーロッパ人にとって他の大陸を征服するのに有利
に働らいた理由とされる。逆に平和理に生きていたジャングルのインカ民やネイティヴ
アメリカン、そしてアボリジニやポリネシアの人々などは、直接殺されるよりも欧州人
が持ち込んだ病原菌で夥しく死亡していくこととなった。とされる。これらの病気が蔓
延するためには人口が大きいことが必要ですが小規模血縁集団(バンド)から部族社会
(トライブ)、そして首長社会(チーフダム)から国家(ステート)へと巨大化してい
くには食料生産も大きな要因で、社会の規模が大きくなると灌漑なども整備で樹木や、
さら草木に集約的な食糧生産が行え、人口が増え、平等な社会から集権的なシステムが
さらにつくられるという流れも発達していく必要があった。栽培植物の伝搬に於いても
ユーラシア大陸が東西に長かった事の理由で発達に大きく関わりました。というのも、
同じ緯度だと日照時間や雨などの気候条件が同じになりやすいため。これに対して南北
アメリカやアフリカでは、緯度が大きく異なるために栽培植物を伝搬させることが非常
に難しかった。と分析している。


380: 名無しさんAA:19/04/20 17:38
ジュメール デ・シュメール ---------15

 こうして古代人の足跡を見て行くと、今だ恐竜の突然の絶滅に決定的要因が見つかっ
ていない事が解る。学術的には隕石の飛来は認められるもののそれが定説とはなっては
いない。この程見つかった脳化石は非常に驚く事が見つかっている。脳組織はデリケー
トなもので、まっ先に腐敗してしまう。その為化石になることはめったにない。だが、
2004年に英国サセックスの浜辺で発見された 1億3300万年前の恐竜の化石には、驚くべ
きことに脳の組織が含まれていたことが、米国ユタ州で開催された脊椎動物古生物学会
の年次総会で発表された。この化石は、白亜紀前期に生息していた、代表的な草食恐竜
イグアノドンの仲間のもので、大部分は、頭蓋骨の内側に入り込んだ「エンドキャスト
(頭蓋内鋳型)」と呼ばれる堆積物だった。古代の動物の脳については、普通はこうし
たエンドキャストからの間接的な情報に頼らざるをえない。しかし、今回はエンドキャ
ストの上面に脳組織が石化したような微細構造が見られた。との発表を行ったのである
。エンドキャストの表面についていた繊維状の模様は、脳を包み込んで保護する髄膜の
一部かもしれないとされ、石化した血管網(なかには人間の毛髪より細いものもある)
も、表面を縦横に走っていたのだ。そして、髄膜に見られる波状の模様は、脳の表層の
皮質のしわの跡かもしれないという。かつて恐竜は、両生類が別れ哺乳類と爬虫類に分
かれたが、その爬虫類と思われていた。しかし今の鳥類への変化や鱗皮が羽毛であった
とする変化は、現在主流でありそうなると産毛もあった事になる。先の脳科学の世界で
も、エンドキャストが認められた事から、ワニぐらいの知能から一気にチンパンジーの
知能は有に持っていたと考えられる。即ち計算し会話が出来る脳である。ただ巨体維持
の為のエネルギーの消費に、常に食べ続けている必要に迫られたとされる。しかし恐竜
時代の植物は巨大で恐竜自体も餌として追われていたと思われる。どうも、我々は恐竜
のことについては大きくて厳つくて肉食で大暴れしたこと、など目に付く大まかな事し
か分からない状態だけで推測しその段階で、「地球の誕生以来、地球上では我々人間が
最も進化した知性的な生物である。」と決めて掛っている。これまでの歴史は人類誕生
以来5〜600万年程で、人間らしい能の働きを持つホモ・サピエンスの起源は約20万年前
とされる。稲作など自ら食物を作るようになってからでは約1万年ぐらいしか経ってな
い。これに比べ恐竜の生息期間は長く、約1億8千万年、数ある恐竜の中の1種ティラ
ノサウルスを例に上げても 約300万年もの生息期間がある。約10倍である。隕石落下な
ど地表の大変化で絶滅しなければあの巨体がもっともっと人を喰い、更に合理的な生き
方と社会を作っていたかも知れない。現在偉そうな顔をし乍ら矛盾ばかり生み出す人間
のような無様な社会とは大違いだったかもしれない。


381: 名無しさんAA:19/04/20 17:39
ジュメール デ・シュメール ---------16

 脳の性能は体格と、脳の大きさの対比で決まる」などと云う説が横行するが、決め手
はない。それもそうだろう、恐竜の頭をかち割って調べない限り脳の実際の大きさと働
きは決められないし、性能確認に至っては「大脳より小脳辺りが発達していたようだか
ら運動神経は発達していたらしいが知能は大したことがなかったらしい。」と云った旨
を述べているぐらいで確証はない。恐竜の知能については、多々疑問や異説がある。草
食恐竜は群を作って行動し、数百頭もの群れで餌を求めて移動したり営巣地への渡りを
行っていた。つまり今の象ぐらいの知能はあったのだ。近年象は絵を描いた事で人より
認識の頭脳は遥かに高く更に、水のにおいさえ嗅いで歩く事から犬より鼻が利くとされ
ている。肉食恐竜は、群れで狩りをしたのだが。群を作れると言う事は、ボスやリーダ
ーを決めて、集団がまとまれる知能はあったと解釈できる。現代の動物ではライオンも
犬もオオカミも群を作りボスやリーダーを決めて従っている。しかしライオンもオオカ
ミも作戦を行うが、恐竜ほどの大食漢ではない。なのに恐竜は 300万年もの生息期間が
あるのである。この竜脚類は知能というより本能に基づく行動と思われるが、ディノニ
クスやラプトル等の小型獣脚類の行動は犬程度の知能は有にあった。恐竜が獲得したこ
とは、二足歩行を行ったことで、大型化も出来たとされる。それは鳥類にもほ乳類にも
引き継がれている。大型の恐竜はそれほどでもないですが、小型の恐竜では脳の比率が
大きいものもいる。恐竜は足の位置が体の左右にあって、股関節の前と後ろのバランス
をとる形で動いていたとされる。つまり人と違って重心を真下にした動きはしなかった
。つまり犬や猫と同じに狩りや逃げる速さからそうした進化をしなかったと見られてい
る。この4本足の生活から抜け出さない事と掴む為の指が出来ないつまり掌がない状態
は続き今の人類の様には発達しなかった。結局上体の先端の頭の大型化は、不利だった
のだ。ほ乳類は、恐竜に比べて身体の効率が良く、人類並の脳を持つ地上生物はいなか
った。股関節を体の下部につけたのが成功したからで、そのバランスで人類が獲得した
知能は、当時では実現不可能だった。だが、だからと言って頭が悪いとはならない。実
は、恐竜と哺乳類はかなり近い時期に誕生したと見られている。恐竜が絶滅するまでに
人類の知能のように発達した種は恐竜も哺乳類も現れていない。恐竜は脳が小さく愚鈍
だというイメージは今や、一部の小型肉食恐竜は当時の哺乳類よりも脳が大きくあった
とされ当時の生物の中では、最も知能が高かったと考えられている。この恐竜よりも、
数段知能が劣っていた哺乳類から人類が誕生した以上、脳が小さいというのは恐竜から
人間のような生物が誕生しなかったことの理由にはならない。とはいえこの恐竜が絶滅
して人類は繁栄した。当時が今よりずっと安定した環境で食料が豊富にあり楽に生きて
いけた。と言われるが、恐竜も他の生物同様、絶滅と生き残った種の適応放散を繰り返
して多様な種類が誕生し恐竜のいた時代の環境がどれだけ安定していたかには疑問符が
つけられる。実際に恐竜時代もは、地球の生命史での五回の大絶滅の一つである約2億
年前の三畳紀末の大絶滅や、白亜紀の中ごろのマントルプリュームの噴出を原因とする
地球規模の温暖化などの大規模な環境の変化も経験して生き残っている。


382: 名無しさんAA:19/04/20 17:39
ジュメール デ・シュメール ---------17

日本で、神代文字とは、漢字伝来以前に使用されたものであるという。この主張ととも
に紹介された多様な文字や文字文様のものを指して、神話や古史古伝に深く結びついた
神代に使用された文字であると主張されている。後代になって、この後神代文字の一種
とみなされるようになったものがいくつか発見された。それは主に神社の御神体や石碑
や施設に記載されたり、神事などのご幣に使われており、一部の神社では符、札、お守
りなどに使用するほか、神社に奉納される物もあった。機密文書や武術の伝書のほか、
忍者など一部の集団で秘密の漏えいを防ぐために暗号として使用され生きていたという
。また、江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものも
ある。「艮」の意味は、方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角のこと
とされるが実は良くない事、良い事に一歩足りない様を言う。易の八卦の一つで八卦(
はっけ)は、古代中国から伝わる易における8つの基本図像。すなわち、(乾ケン、兌ダ
、離リ、震シン、巽ソン、坎カン、艮ゴン、坤コン )の中の「艮 ゴン」の日本語読みである。算
木で動きのとれないさまを表し、北東(うしとら)の方角に配する。この風水になった
八卦は実は中国に輸出されたものとする見方も強いというのも、日本の縄文期のサーク
ルにそうした意味が説かれているからだ。八卦文字は3x3=9を示す。最上のものが
「乾ケン」とされる1だ。従って王と王が交流しないものを2番目ベストじゃないがベタ
ーとして「兌ダ」とする。王は、仲良いが人の交流が無いものを3として「離 リ」とし
ている心が無い物。とされる。更に王も人も交流がないものに物のみ交流があるものを
「震シン」震えるべき国家像と言う訳で4としている。人と王は交流し物が交差しないで
いるもの「巽ソン」は自立をいい、日本語では「たつみ」としている「立つ身」と言う訳
だ。臣下のみの親しいのを「坎カン=6」、王のみの親しいのが「艮ゴン =7」という事
となる。そして王も人も物も切れた状態は8として西洋の永遠の数とされる。この三つ
の棒や紐を使った6個の形態に順序と言う2つを使った文字は古代のコンピュータとも
言われる。つまり今や0と1の2進法の羅列でノイマン型コンピュータを動かしている
が、古代人は3進法とその順序をつかった8進法の羅列で言葉をしゃべっていたのであ
る。これは、恐竜と人の足跡が残る時代に起こった渦巻き紋様や三角文はその意味では
言葉を放っている。最古の言葉とされるシュメールの楔型文字より、遥かに千年程古い
言葉である。インカ帝国では人の数をそうした紐言葉でしゃべっていた。とされる。そ
れは多数の言語より、「数字」でしゃべった方が広域に理解され伝わったからである。
つまり数学や数式は音楽の様に皆んなの共有する言葉だったのである。

383: 名無しさんAA:19/05/01 18:31
 悪魔の聖剣の猛攻       ----01

 おそらく洋学洋書では表沙汰にならない経済理論は、確かだろう。つまり人々が、今
政府の貨幣価値は、単なる基準でしか見ていない。つまり金の価値観よりも生活の価値
が上回る世紀が現れたということになる。天然資源を食い尽くした後に残った、乏しい
水や食料を如何に分け与えるかが、今後の国家権力の宿命になった。不思議なことだが
今人々は、地球上で支配する最高の生物として、霊長類、ホモサピエンスサピエンスと
して君臨していた。と思っていたものが崩れ去って行くようである。アメリカ経済が、
衰退して双子の赤字をもって維持していたとき、三つの事に頼って復活した。一つは、
戦後に培った軍事力を背にした威嚇と戦争である。つまりこれまでアメリカという国は
「戦争が公共事業だ。」という事を実証してきた。戦後復興による不況はどこかと戦争
し軍事物資が必要な事で保持してきたのである。二つ目は西側の同盟国からの搾取であ
る。戦後のフランスの金庫はドイツによってこじ開けられたが、それらはドイツ敗戦に
よってアメリカ国内に持ち去られた。ロシアにあった貴重な貴金属類も又同じように、
中国軍部の盗難で北京についたが、日本軍に接収され日本にあった隠し金塊や宝石は、
今でもたまに競り落とされる事から、進駐軍時代に合法的に持ちされたのがわかる。こ
うした引き揚げ品の他にも、IC技術や宇宙技術あるいは原子炉でもドイツや日本の持
っていた物がアメリカで完成を遂げた。戦時中の原子爆弾中性子爆弾でも殆どドイツの
研究によるものだ。だがうまく経済の波に乗せて自動車から石油あるいは新産業の発展
に乗せたのである。三つ目は中国などの未開の非民主主義国を取り入れた事だ。ニクソ
ンショックはまさしくアメリカ国内の膨大な浪費のツケを石油資源に頼って中東諸国を
組み入れた経済を構築した。その後もそうした消費拡大策を懸念しながらも改める事は
なかった。その為その後は、あれほど「中国大陸は放っておくに限る。」とレーガンは
言い放っていたものが、あっという間にFRB議長の先導でかWTOに加盟させ、国債
や企業債権である株価の値崩れ抑えに経済体制下に組み入れた。しかしそれでも南米の
金融危機やロシアやアジア、韓国・タイと言った金融危機は襲ったし、LTCMの廃業
やリーマンショックなど、多くのツケを国際社会にふりまいて今に至ってる。今ややっ
と米国は大人しくなり世界が穏やかになるかと思えば、ロシアの南下政策・欧州の傲慢
な利己主義、パンアメリカ主義、中国の中華王権支配など、カントリーファースト主義
いわば一国覇権主義が頭をもたげて来ている。これは一体何なのだ。しかし米国・中国
アフリカは、恐らく「ビーバーの雨」が襲う。アフリカで言えば今回の2回のハリケー
ン様な事が頻繁に起こるということだ。アメリカのラスベガスで発見され事は野生動物
の行動一つでも、その土地の天候を変えていたと言う事実である。おそらくアフリカは
中国が起こした開発はオカバンゴデルタの水を排出させないで、度を越した開発で上昇
気流を多くし、海風を大きくしたのだろう。その現象は中国大陸でも同じである。米国
とロシアは気温上昇による極の偏西風の増大で水が溢れるほど降る雨や雪は厄介な存在
になるであろう。



384: 名無しさんAA:19/05/01 18:32
 悪魔の聖剣の猛攻       ----02

 こうした天然災害で潤うのは、消費経済が大きくパイを持つと言う事で産業や経済は
大盛況であろう。ところが果たしてそれが人々を潤わせるかというとそうではない。そ
の現実は日本の少子高齢化より厄介なものだ。もともと人に経済などない。金融という
国家の資産尺度があって、その尺度の貨幣価値が存在するだけである。その元になった
のが世界的に希少価値として存在して人々が認めていた金の価値である。そうした事で
金から石油にかわりより実存の価値を高くしてその流通社会が生まれているにすぎない
。つまり災害も戦争もどんなに景気を良くしようが、人類の中での生産性には繋がって
はいない。つまり所詮西洋の経済学は一国の成り上がり経済理論で、社会の経済論には
なっていない。よく日本に少子高齢化は危機だと叫ぶバカがいる。日本の危機は海外の
干渉であり搾取である。戦後からも借金や援助や世界政府機能の課金を多額に負担して
きた。それは、仏英よりずっと貧しくずっと援助もなく自立復興しながらもおよそ3〜
5倍は払ってきたし、またそうした中でもアジア支援特に韓国や中国の支援は継続して
行ってきたのである。対して広大な土地を持つソ連邦や巨大な軍事力を持つ米国さらに
最大の人口を持つ中国が日本ほどの負担をしたか。といえば今でもやっていないのであ
る。巨大である事強大である事さらに多大であることを瘡にして、人類の発展には国家
よりも個人的手腕に任せていたのである。そして今日本の国家像は大きく揺らぐ。中国
も韓国も北朝鮮も国家としての在り様を変えない。ロシアも米国も人類の悲願であるだ
ろう不戦の誓いの意味をせせら笑っているかの如き態度なのである。日本がもし彼の国
のような姑息な手立てを用いるものなら、今までにも中国も朝鮮半島もロシアも大きな
疲弊と更に徹底した叩き潰しは何時でも出来たであろう。例え行く数倍の原爆が日本に
落とされようとも、朝鮮人の様に、日本人が誇りも栄誉も捨て放浪の民となる決心をし
ていたなら戦後すぐにでも第三次世界大戦が起こっていたであろう。それが気がかりだ
ったのが日本政府自身で、徹底した平和論を掲げて米国と付き合ったのである。それは
日本人の世界愛や人類愛あるいは自然愛という持って生まれた気質からである。日本人
を信じる。と福田首相、田中角栄、宮沢喜一その他大勢のものが国家観に日本人の誇り
をもって歴史を紡いで来た。オイルショック時に出光がイランから石油持ち帰ってきた
時、英国の諜報員は政府に詰め寄った。「普通の国なら国家反逆である。日本は西側の
一員として正義と責任を全うすべきである。」と、この時の通産官僚は言った。「そう
です。日本は普通の国ではない敗戦国だ。だが敗戦国だからと言って自治を捨てた属国
になった訳ではない。少なくとも独立国で先進国の凶悪な我儘に付き合って国民の糧を
取引するなとは共産国にやり方だ。自由社会の西側ではあり得ない言葉だ。」とやり返
した言われている。

385: 名無しさんAA:19/05/01 18:36
 悪魔の聖剣の猛攻       ----03

 この時英国はかなりにイスラエルに参っていた。中東戦争はその後のフォークランド
紛争の様に短期間にイスラエル空爆で終わっていたと思っていたからだ。だがそうじゃ
なかった。中東は一つになって原油権益の確保に出ていたのである。そもそも開発経済
は妄想である。西側は東側を見ながら開発に勤しんでいたが、自然現象は神が操る領域
である。アフリカでのハリケーンは恐らく原始時代の様に苛酷で厳しいものであろう。
だがそれ以上にこの地で起こった上昇気流は気になることがある。実は日本も朝鮮経済
で漢口の奇跡が起こっていたときには、大きな問題が引き起こされていた。工場の一つ
もない壱岐対馬で福岡以上のスモッグが検出されて、福岡市内には水飢饉が毎年の様に
起こり、機械工場の水洗いと農業用水使用者に亀裂が起こり、市民は節水運動が高らか
に鐘がなり、ドライクリーニングには、嘘つきのレッテルが貼られたのである。同じ様
に、このアフリカの無謀な開発はアフリカの生態系を変えようとしている。オカバンゴ
デルタは今後氾濫の危険に指定される。この開発経済には大戦時も大戦後も油は欠かせ
ない技術であった。そのアラブへの反撃が今やアメリカを支配した贋のユダヤ人が中東
を火の海にした。大体あれほどバカのブッシュJrが大統領になった事自体が、狂った
米国社会を見せている。だが徴兵制時代に理由なきベトナム戦争を更に続けようとした
中で撤退を決めたニクソンだったがウォーター事件で引きずり降ろされた。今回日本は
令和の年に変わる。多分日本の明治の時代は正に天孫降来で徳川幕府の時代から、急に
天皇勅語の時代に替わり政治は議会制民主主義に開かれたのだが、庶民生活は秩序ある
世界から混沌とした精神世界に変化したのだろう。これまでの幕藩体制が、そのまま県
令などの自治体になった訳でなく、青年期の反逆時代のように明治は殺戮に明け暮れた
。幸いな事は幕藩体制に教育された人々が、世界では最低の死傷者であり、最高の無血
革命であった事だった。その意味ではその後の大正時代が世界の新秩序を模索する時代
と日本の模索した時代は殆ど一緒の流れであったろう。この事が勤勉な日本人には好く
働いた。石油石炭の内燃機関も、発電や電信電話あるいは水道道路のインフラにも日本
は西洋社会のシステムをよく受け入れた社会を構築した。しかし国際社会に狭い見識は
昭和の時代に日本の参加を許さなかった。戦争に至った経緯や理由は色々論議されては
いる。しかし結果において「西洋の黄禍論」からくる有色人種への偏見や差別は今でも
無くならない。かく言う私も黒人種よりは白人種の方が違和感はない。こうしたことを
踏まえても日本がどんなに頑張っても、世界の偏見や差別は無くなならないだろう。し
かし、それでも格差の是正は出来る。経済偏重主義を捨ててしまえばいいのだ。米国が
嫌がるのは解る。しかしロシアにしても、経済は5%にも満たないが物量や国土や軍事
では如何に巨大で勝手な威勢を張っているか。それは解っているはずだ。


386: 名無しさんAA:19/05/01 18:36
 悪魔の聖剣の猛攻       ----04

 この中東の石油決済もそろそろ終わりを遂げる。どんなにもがいても地球温暖化は防
げないからだ。サウジでも大雨や洪水が起き砂漠の砂は海に流れ出る。イラクのバスラ
は今や乾燥し20年来の湿地が干上がりそうと言う報告だ。この地が乾燥するという事
は80年周期で起こるらしい。しかし、今回は特別らしい。というのもいつもなら食糧
が無くなり飲み水がなくて都市が無人化するのだが、今回はごみの山の発生で人がいな
くなるという。それでも乾燥化は避けられない。欧州では今後ずっーと山火事が絶えな
いほど乾燥するだろう。またアフリカや東南アジアやアメリカはハリケーンが多発する
。恐らくは、今後に中国や米国あるいは日本やベトナムもかなり大形で台風は多発する
。もちろん豪州も又同じである。しかし、オーストラリアは又違った要因もある。南極
や極洋の解氷と温暖化である。今や太陽は分極化の4極太陽光である。この光はあまり
わかっていないが、おそらくは非常に電子レンジに近い周波数をもつ光ではないかと考
えられる。ただ、地球にこうした悪影響を起こしても、広大な地球上には空気や雲に遮
られる為に多少の変化はあってもすぐには捉えられない位に僅かな数値であろう。こう
した地球環境変化は科学的には既に過去にも起こっている。しかし明確な解析には至っ
ていない。オカルト科学では、今の科学文明は第3の文明とされている。つまり、恐竜
時代の前と後に2回人類に似た文明があったとされ、又遥かシュメール文化の前にも、
局地的に大きな文明が栄えたというのだ。この突拍子もない学説は、変わった話でもな
い。と言うのも地球創造から2億年、生物生誕から50万年前の世界では解明しように
も その分析相手も分析技術もいまだとんと低いからだ。さらに恐竜時代があり、恐竜
が栄えた事も解ってはいるが、その絶滅も推定でしかない。さらに、これまでの学説で
はあり得ないとされる、恐竜と人の足跡がでてきたり、古代にはなかったとする技術や
遺物が数多く出てきている。そもそもがあのエジプトの巨大ピラミッドすらもまだまだ
不明な事は多く推論で成り立ちながら現物がある状態だ。現代文明はこのままの姿は、
おそらく50年ともたないだろう。と懸念される。既にアフガンや中東は戦闘の貧困で
、都市部の空気汚染は慢性的だ。今やインターネットによって繋がる中での情報の交信
は、混沌に満ちていて、常に悪魔の食指に気付かない騒ぎ様だ。そうした後進国は一様
に文化の段階を踏まず今の最先端技術文化に飲み込まれた。植民地時代の君主国への憎
しみがそのまま民族、宗教間の緊張の文化を残し、リテラシー(読解力)の低い人々が
感情的にネット利用しネット炎上が起こり多くの情報操作が行われている。いわゆる、
フェークニュースの近代戦である。すでにアフリカ各地ではロシアのネット世論操作が
確認されている。アフリカには植民地時代のなごりからフランス語人口が多い。そのた
めロシアのプロパガンダ媒体であるRTとスプートニクのフランス語版がよく読まれてお
り、政治の場面でも引き合いに出されている。RTとスプートニクの編集者もアフリカの
大衆が関心を持ちそうな話題を過激な論調で取り上げている。さらにアフリカの新聞や
メディアが、AFPやロイターと一緒にロシアのプロパガンダ媒体のニュースを取り上
げているために信憑性があるように錯覚してしまう。たとえばセネガルでは国内4位の
ニュースサイトでスプートニクの記事が頻繁に紹介されている。このサイトのフェイス
ブックページには150万人の参加者がいる。


387: 名無しさんAA:19/05/01 18:37
 悪魔の聖剣の猛攻       ----05

 綺麗好きの日本は何と馬鹿なくにであろうか、こんなにもゴミやくず人間を産みだし
て。と思うが、他国はもっと酷い。つまり総じて今の文明は中国に象徴される程醜い。
ロイター報道はこう述べる。「クリーンなエネルギーシステムがこれほど喧伝(けんで
ん)されているにもかかわらず、大気中の二酸化炭素(CO2)は急速に増え続けてお
り、改善の兆しは見られない。大気中のCO2濃度が上昇を続け、気候変動防止目標は
手の届かないものになっており、政策担当者らは居心地の悪い選択を強いられるだろう
。このままCO2濃度が上昇し続ければ今世紀中には、気温が現在よりかなり高くなる
世界に向けた計画を練るか、大気中からCO2を除去するため未検証の戦略に頼らざる
を得なくなるだろう。」と予想している。これらは近々の課題の筈だが政治家はトラン
プをはじめ急激な経済縮小には同意しない。「国連気候変動枠組み条約(UNFCCC
)の締結国は、地球の平均気温が産業革命以前の水準を超えて上昇することを阻止する
との宣言はしている。」しかし、どれだけの人がその厳しさを認識しているだろうか。
「同条約に基づき2015年締結されたパリ協定では、署名国は地球の平均気温の上昇
を摂氏2度未満に抑えること、さらに摂氏1.5度に抑えるための努力を推進すること
を公約している。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)に、助言する科学者らの
試算は、これらの上限設定は、大気中のCO2濃度が450ppm(2度以下)または
430ppm(1、5度以下)を超えないことを意味している。」だが現在の動向から
考えれば、2020年代後半から2030年代後半には、こうした上限値に達してしま
う。エネルギーシステムとグローバル経済に大規模な変更を加えるには、あと10年か
20年しか時間しか残されていないことになる。」と言う。わずか十年で何が出来よう
か。だが、エネルギーシステムの進化ペースは遅いことで有名だ。家電製品や産業機械
、発電所、パイプライン、送電システムといった長期に及ぶ設備投資に組み込まれてい
るからだ。現在使われている設備の予想耐用年数と更新ペースの遅さを考えると、今後
20年間にわたって大気中のCO2濃度を430─450ppm以下に抑えるシナリオ
を描くことは、ますます困難になってくる。ハワイ島マウナロア山での計測によれば、
大気中のCO2濃度は2019年初めにすでに約410ppmまで上昇している。10
年前は387ppm、観測開始した1958年には314ppmだった。これとは別に
、世界各地の観測ネットワークが海面で計測した大気中のCO2濃度は、2018年が
平均407ppmで、10年前の385ppm、1980年の339ppmから上昇し
ている。米政府機関の地球システム研究所は、地球の平均CO2濃度は、過去10年間
で年平均2ppm以上、つまり1年に約0.6%のペースで上昇しているという結果だ
。重要なのは、観測からは、大気中のCO2濃度の上昇が減速し、いずれ横ばいになる
兆候が見られない点だ。これまでの推移で、CO2濃度は、この政策担当者の設定した
パリ協定の目標を超過し、地球の平均気温も2つの目標を簡単に超過してしまうことは
ほぼ確定的だ。どちらも数10年間、目標値をオーバーシュートした後、今世紀後半に
目標値に向けて戻り始めると、ICPPの「Mitigation of climate change」(201
4年)は予想する。

388: 名無しさんAA:19/05/04 17:02 ID:jA

 試合で乱調だった投手の「強制帰宅指令」に賛否両論の声が出ている。4月28日のオ
リックスー西武(京セラドーム大阪)だった。オリックスは今季初先発・K−鈴木が7回
無失点の快投で2−0とリードしていたが、8回に誤算が生じた。この回だけで計6四球を
出す自滅で逆転負け。西村徳文監督は試合途中に「強制帰宅指令」を出し、近藤と山崎
福は2軍降格が決まった。山崎福は2017年5月26日のロッテ戦(ZOZOマリン)に先発して
3回途中4失点KOを喫した時も、当時の福良淳一監督ら首脳陣の判断で試合途中に帰阪を
命じられた。実はプロ野球界で試合途中の「強制帰宅指令」は珍しいことではない。
 近年で回数が多かったのは中日だった。14年4月26日のヤクルトー中日(神宮)で、
先発・大野雄大が立ち上がりに3安打3四球で6打者連続出塁を許す不安定な内容で1回5
失点KO。ベンチにいることも許されず、試合途中に新幹線で名古屋に「強制送還」され
た。強制帰宅指令は不甲斐ない結果だった投手への奮起を促す意味合いが強い。
 だが、ある投手は「一番責任を背負い込んでいるのは試合を壊した投手本人です。そ
こまでやる必要があるのかなと……。チームの雰囲気もますます重くなりますし」と、
そのショック療法を疑問視する。ファンからは「強制帰宅指令と言うけど、使っている
首脳陣にも責任があるのでは。球場に見に来たファンからしてみれば、責任転嫁してい
るようにも感じる」という指摘もある。一方で、このやり方に賛同する声もある。ある
球団OBは「昔は強制帰宅なんて珍しくなかった。ベンチにいても居心地が悪いし、それ
なら帰って反省した方がいいでしょう。今の選手は恵まれているよ。誰とは言えないけ
ど、当時は監督がベンチ裏で打たれた選手を殴る蹴るが当たり前の時代だったから」と
振り返る。などとニュースは言う。これはこれは常識はずれの文言である。かつてのよ
うに人権のない指導法などあり得ない中で、さらにブプロ野球は年棒制である。つまり
球団オーナーと選手との契約であり、あくまで監督の地位はその管理であって「強制帰
宅指令」などというのは憲法違反と共に越権行為に当たる。罰則措置ならばかげた措置
で、あくまで試合で負けたのであって乱闘や麻薬あるいは八百長の様な事件ではない。
内容の悪さは、人間監理の出来なかった監督の不首尾であり能力がなかった事に尽きる
。ただそれだけの話である。調子が悪い怪我をする。そうした事は罰則ではない。年俸
に対してのポイント減数にはなっても、職場払いやローテション外の憂き目を合うべき
ものではない。そうした常識外れが今だ職場の草野球の様に大手振って行われてる事は
異常なのである。つまりプロ野球の球団連盟すら非人道的違法団体ということだ

 

389: 名無しさんAA:19/05/09 07:06
 悪魔の聖剣の猛攻       ----19

 当然ながらこうした事はIT業界のみではない。色々な処でそうした先行標準の話は
多い。つまり便利であれば、一気に広がって誰でもが使い出すのである。スタンダード
モデルとされるこうした物は常に先行モデルとされ、後追い製品がどんなに良くても、
一般化されなければ存在は薄れてしまう。韓国のLGの薄型液晶TVは日本に先駆けて
、今だ消費電力も明るさやくっきりさには不足の物だったが、それでも大量生産と販路
拡大で一気に世界を席巻した。慎重に技術を高めて遅れて商品化した日本では、価格差
に於いて出し抜かれ大変な苦戦となった。NTTの携帯電話のお財布携帯も先行したと
言い難いほど販路を作らなかった。その為今の中国のスマホに追い越されてしまった。
日本の放送形態もNHKは受信料徴収に力を入れるあまり、海外コンテンツをおろそか
にしフィリピンの放送局を作っていながら中国方式に変えられ日本製品が売れくなった
。こうした日本の継続努力の力無さや偏見思考で消えて行った経済は多い。一番大きい
のは、日本の銀行経営モデルである。かつて昔日本は、古い株式の帳簿の簿価基準での
貸出しをしていた。それこそ生保や損保などの簿価は現品単価で1000円以上でも、
5円とか10円だった。だがある時突然日本政府は変えた。金融ビックバンである。つ
まり現物簿価で記載する事になったのだ。これにより、銀行資産は増え税収が増えるこ
とは明らかだが、その分銀行は負担に耐えれず保険株や持合いの企業株銀行株を放出し
た。当然そうした保険や企業は、乗っ取りを恐れ買い戻すしか手はない。そうして弱っ
た処に、バブル崩壊が来た。町工場は銀行の勧めで、海外進出を試みたが多くは中国に
工場を置いたまま逃げ帰っている。中国の共産党法律で資本も技術もお客も工場も乗っ
取られたのだ。その後経済に疎い竹中平蔵が、銀行のバランスシート問題を盾に整理を
強制し日本経済潰しをやった。こうしてそのしわ寄せは、採算性が小さい町工場の貸付
に向かい、不良資産や不良貸しはがしが大ぴらに行われ日本の産業潰しに向かった。正
に昭和の激動時代を生き抜いた人達は、竹中や小泉あるいは橋本などの、中曽根マジッ
クでペテンにかけられカモにされて、平成時代に潰されたのである。その名残を持った
安倍は今度は優に余って税率を変えて税収を上げようとしている。中曽根の国鉄売却か
ら始まり、次々と政府の増益部門を切り売りし、小泉など原子力監査を放り出して山林
売却で採算合わせしていたものが、今では売るものが無くなったと税率アップである。
野党もバカ揃いで合意して政権を譲るのだから、国民はどこにも信頼を置けず仕方なし
に自民党が政権を握り、公明党のいいように操られ、今でもバカ竹中は、公共物の運営
オークションを狙う。公共部門は採算価値がない処と高収益の処との差が大きくバラン
スや秩序のない国土となる。例えば緑や公園や道路や鉄道を取ればすぐわかる。山の上
の一軒家ならずとも土地に制限のある土地や、自由な広場に収益はなく誰も金をつぎ込
んで欲しいと願わない。小学校すら数人の学舎を保存しようとしない程貧困である。だ
が、それは貴重な集会場だったり、記録や記憶の宝庫だったり、地球資源の景観教育の
基だったりする唯一無二の場所である。水の供給も同じである。人間が一人しか住んで
いなくとも村や自治体には供給する責任がある。これは法律になくとも国民が人間だっ
たら当然の事だ。銀行の融資も同じである。これを竹中はわかっていない。


390: 名無しさんAA:19/05/09 08:05
 悪魔の聖剣の猛攻       ----20

 これからは激動の時代がやってくる。竹中に言わせると、「昭和は第二次世界大戦や
高度成長、オイルショック、バブル経済を経験した『激動』の時代だった。平成は人口
こそほとんど変わっていないが、平成初期に先進国で最高水準だった貯蓄率が大きく落
ちるなど「激変」の時代だったといえる。令和は人工知能(AI)などによる第4次産
業革命で変化している世界との競争にさらされる『激震』の時代になるだろう。と地獄
に日本を突き落した本人が言っている。全く今になって遊びのごとく首相を引いてから
その力が無くなってから小学生でも知っている原子炉の危険性を行脚して説いている。
ブラックストーリを地で行く漫画のような劇場ストーリである。以下に青年時代不勉強
のまま遊興に明け暮れていたかがわかる。これまでに日本人は民間技術の進歩に邁進し
建設・医療・輸送・食糧・加工品と それはとどまる事を知らないぐらい技術を蓄積は
してきた。それは今も明日も変わらないだろう。この国のこの確かな技術や、真面目な
国民性によって培われて来たのだが、かの素人政治家はその日本を内部から壊しまくっ
たのである。稀にみる真面目な国民性はこうした島国の天然自然の脅威によって育てら
れた。そもそも日本では逃げ場がないくらい狭い国土にひしめきあって暮らしている。
当然ながら その暮らしは諸外国のようなギスギスした契約社会の裁判文化の形では、
生活は存在しえなかった。小泉首相が目指した欧米流の、トップダウン式のリーダーの
世界の風を真似て器用に右に左にと国際社会を泳げるような人間は育ってない。又多く
の共産主義や社会主義が持つような 疑心暗鬼の二面性文化を持つ非人情な冷酷人間も
、そうした育て方をこころよしとはしない。つまり「友達と仲良く」は合言葉でもあり
母親達のスローガンだった。つまりかつても今も、日本は東洋であっても 中国・韓国
・ロシアのような民衆を扇動させる賢さをも 持ち合わせてはいない民族なのだ。それ
は投票率をみても同じだ。戦前すら総投票ではなかったし戦後の婦人参政権をみても、
いかに民衆は政府など頼らずやってきて税を献上するものと思って来た事か。いわば世
界大戦の死も強要されない皇道や仏道あるいは武道の精神的捧げる命に類したものだ。
この事から生真面目一徹、政治不要の技術立国で明治以降というよりは徳川時代でさえ
剣を持つ者の武士道さえも又、究極の人間を目指し、民間の百姓や商人も又時の醤油や
刺身・味噌・歌舞伎・店卸など多くの独自のものを確立してきたのである。間違えては
ならないのは、これまで日本は、軍国主義や自虐史観、ガラパゴス文化や護送船団方式
などと揶揄されながらも、新幹線や原子炉技術あるいは航空技術やロケット技術を完成
させてきた力だ。今回また改憲論議を自民党が行おうとしているが、改憲する理由は、
日本には一つもない。やるなら北朝鮮と同じに原爆ミサイルを持つことだけだ。つまり
他国にのこのこ出かけて行って殺されるよりは、核を全世界に打ち込める。とした方が
より効率的な防衛力であるからだ。ということは既に日本は世界に威嚇する技術を持っ
ているのである。今更世界から経済封鎖されるような核開発でもないだろう。だから、
米国の核の傘でいいのだ。



391: 名無しさんAA:19/05/09 22:35
 悪魔の聖剣の猛攻       ----21

 放送作家・鈴木おさむ氏は平成での一番の改革テレビ番組だと思っているのは、自分
が構成していたからというのは抜きにSMAP×SMAPだと思っている。平成の時代はCDに
移行し、デジタルコピーメディア時代で、IT復活によって庶民には余裕の金がなく、
アイドル達は冬の時代に突入し、アイドルが出演する歌番組の減少などで一番の冷え込
む中から、アイドルがテレビの露出を増やすにはバラエティーしかない。と方向転換し
ていった時代だった。そんな中でSMAPをバラエティーに身を投じることに成功し、「ア
イドル」×「バラエティー」という形を作った先駆者だった。と自負sている。それま
でもアイドルがバラエティーに出ることはありましたが、ゲストとして「ちやほや系」
がベース。以降、「アイドル」×「バラエティー」という形を作っていった素になれた
。という。それまでもアイドルがバラエティーに出ることが、ゲストとしての「ちやほ
やされる」というのがベースで、お笑い人気で干されたアイドル達が、メインのMC起
用にこぎつけ、一気に変化しアイドルを活かす事につながった。というのだ。もちろん
そうだろう。私も否定しないし同意だが、だが異論もある。そもそも流行とは気移りの
多い人間の性が、生ぬるく感じる時の寝返りである。つまり生活に苦しくなって余暇を
してどう過ごすのか、生活に何を求めるか。というものが人の生活と流行だろう。人も
生物の域を出ない。特に同じ年代層では、同じ思惑を持ち同じ興味がある。たとえ内容
や相手が違っても同じ思考の視点で見てる。これは最も基本的な文化人類学である。人
は、言葉同じ方言が同じでもほっとするのだ。アイドルを同意見るのかは色々あろう。
しかし、明治昭和にかけては、今のアイドル感覚では天皇であったろう。現人神となっ
た理由は平凡な日本人像の象徴であったからだ。最も敬愛する生活実態の模範者として
あった。それを軍部は神格化した。まあメディアが今ほど流行していなかった中でも、
かつての浮世絵のごとくに明治天皇や大正天皇の家族写真が各家庭で購入し飾られた事
でも解る。その後敗戦しては野球カードやプロマイドなんて言うのが流行った。これが
美空ひばり時代の始まりで、昭和の終わりにには日本人は、誰もがTVを知り映画に触
れ、音楽があふれる街ラ社内ジオが普通の中でし生活していた。ここで画期的にも携帯
電話は瞬く間に増えていったのである。すでに未来を映したアニメは予告はしていた。
しかしまともな人間は、例えばスーパージェッターなど腕時計の無線映像電話があった
が、「TVのブラウン管があんなのに収まる訳ないだろう。」と言っていた時代が来た
事に気付かない中にいた。平成はこうした画期的技術の黎明期であった。そして日本の
経済もそうした過去の偉業に乗った経済だった。しかし進化する欧州文化や米国文明は
消費社会や使い捨て時代を作り、使い捨てカメラからデジタルカメラ、デジタル音源の
変化した。つまり天然唯一の物が共有コピー化の時代つまりシェア社会に変化したのだ
。当然アイドルも唯一無二の信仰する相手ではない。常に寄り添う自分の為のフギィア
の様な身近な存在で、数々のアングラ女王が、ボディコン時代から綿々と繋がりホビー
ユーザーからオタク文化に変わった。しかしアイドルオタクであれ鉄ファン達のオタク
でも要は小さな自分の持つ趣味でありそれで生きる事はオタクでは出来ない。本業を疎
かにして趣味で生きる事が出来ないからだ。ところがこれを平成は変えた。それがこの
SMAP×SMAPである。つまりアイドル歌手からアイドルに変え、事務所を支える芸能人か
らも廃業に近い、個人営業に変えた。まさにITの経費削減の直販文化である。この所
のこうした事の危険性は電話詐欺でもあらわに起こっている。こうして人を教育しない
。躾けもできない、いい様に若者をこき使う生活を、これが文化と言えようか。

392: 名無しさんAA:19/05/13 04:00 ID:BM
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 71

 つまり隣の韓国や中国さえベトナム戦争や中東戦争南米紛争など、数々兵員を送った
。近頃のPKO部隊でも、軍隊であったが為にアフリカで乱暴を働き、原住民に追われ
て兵站や弾薬がつきて日本から応援される事態すら起こっている。日本ほど法を変えな
い国はない。そして法に守れている国は無い。その上日本の法は荒唐無稽なデタラメな
穴の多い、抽象的言葉で後を伝統的慣習や人々の想いや常識的正義に任せた物は世界的
にも珍しいものだ。それは天皇についても言える。もし仮に天皇が私欲の高い権力に飢
えた人物だったなら、ほぼ戦前の現人神と祭り上げられて、軍部増強の中国の様に、今
だと言わんばかりに1970〜80年代の米国に追従し、世界から大きな批判があり、
国力はあっても武力であり経済もこれほどの豊かさはなく今頃第三次世界大戦に翻弄さ
れていたであろう。と予測される。古来より日本は多くの海外の仕組みを受け入れては
来たが全く人々の常識や良識で篩にかけている。仏教や道教が入っても、インドや朝鮮
のような不平等なカースト制は引かなかったし、中国の皇帝や官僚制が入って来ても、
宮中行事に宦官や天宮のような皇后支配はさせなかった。もともと火薬や鉄砲が入って
も大砲や銃に頼らず、刀剣社会に戻り、火薬作りを残す為わざわざ花火大会するぐらい
おとなしい国家だったのだ。さらにもっと酷く江戸の終わりには、刀剣さえも美術品の
や歴史の遺物として残っていたぐらいだったのだ。開国後も同じである。アメリカの様
な独立に国民の声を大にした憲法は作らなかった。抜刀令を敷いて徐々に銃刀を国内か
ら引き揚げさせた。アメリカの様に自由の権利としなかったのだ。その為戦後も天皇を
残したがった。というより、天皇の居ない国が考えられなかったのだ。GHQも国民も
この戦争を終息させた功労者が天皇である事を知っていたし、そもそもがさっきまでは
現人神であったのだ。つまり嘘とは知りつつ万世一系の方針に沿って生活していたので
ある。我々は曲がりなりにも憲法に沿い憲法を利用し、その憲法に守られて平和国家で
経済発展を遂げたのである。西部氏の言う様に、地球の裏まで自衛隊派遣するには無理
があり、紛争地のPKOなど平和部隊でも、軍隊の持つ特別裁判所を持たない国家は、
世界的にない。更に国内法では違法であっても、独立国の自衛権は認められ、そもそも
が個別的自衛権だの集団的自衛権だの分かれた話でなく、民族の殲滅作戦などに民族の
自決権や対抗対応権や国の防衛権を当然として認めている話である。さらに日本の自衛
隊は特別警察隊からの発足であり、軍隊ではない名目のままで国連の呼びかけすらも、
対応出来ず、今や日本のこれからの進歩に足枷となっている。と言う危機感はある。し
かし、それでも、私はいまのままでもいいと言うのが本音である。と言うのも現代の言
う危機よりずっと高い危機は戦後の政府は何回も潜り抜け越えてきた。それはまさしく
福田首相ではないが、「人命は地球より重し」の合言葉が当時の野党まで、国民合意で
肝に銘じていたからだった。はたして、今の議員にその国民を守る熱意はあるのか。


393: 名無しさんAA:19/05/13 04:01
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 72

 今注目される企業がある。アマゾンだ。これはリターンのないリスク商法といわれる
。つまり、ウーバーと同じに責任のない販売責任のない運送に特化した商売であるから
だ。これまで進んでいた小売り店へ段階卸しの中規模収集販売のネットワークが壊れ、
広域化と集約化更に多元化となった。これを一挙に広げ国や世界に広げたのが、FAX
からインターネット販売であろう。つまりそれまで貸倉庫や地方の販売ルートを持って
専業化していた団地化していたミニ工場や問屋、市場や小売店は一挙に消えたのである
。一元管理の名の下で、今や中国の仮想店舗のインターネットのアリババでは大安売り
では一兆円を売り上げる。じつは今回ポイント制でのカード決済を求めている日本政府
はこれで80兆円の無駄を省くと言う。つまり紙幣発行に従い起こる80兆円の仕事が
無くなるのである。じつはウーバは400億円の仕事がシェアエコノミーに奪われた。
とされるスペインやフランスは要は400億円のタクシーの仕事が消えたという話であ
る。が決してそれで国民は幸福になっていない。駅前タクシーは柄が悪くなり、常に使
うある作家はこれだけ足止めさせて素人運転手を産んだタクシー業界の都合と民間運送
で殺人事件まで起こるウーバーは、一体社会の何を目指しているんだかと悔やんでいる
。かれらの商法はシェアエコノミーの後にくるエアーエコノミーの時代にマッチしてい
る事だ。特徴は大きすぎて赤字か黒字か分からないし赤字でも閉鎖できないほど影響が
大きいことだ。その影響も三大自動車と違ってほとんど顧客としての影響も販売店とし
ての影響も全く政府では掴めないことだ。この姿はプリペイド発行の電子通貨も同じだ
。3億でも20億でも盗られたと言われてもピンと来ない。だが確実に日本の利益が、
国家規模で盗まれて疲弊させられているのだ。5億円の金塊の盗難と同じに。この空虚
感乖離感が今の日本の元凶であろう。北朝鮮のロケットに対する韓国国民の様にある。
もう一つ言えば、イラクのフセインのバース党解体でイラクの再生が出来なかった事と
今再生のできない程アメリカナイズされた論調の経済構造である。イラクはイラクから
分離独立した。米国の応援によって起こされた。少数派バース党は教義上は一番西側に
近く世俗的宗教にイスラムを押しとどめそれは強圧的ではあったが、バース党の階層ピ
ラミッドや政治的市町村掌握の仕組みなど多くの解明し勉強し検討するべき組織像や実
態は、まったく検討されずにフセイン大統領は死刑となった。かくして、ISILは、
このイスラム教を上手く利用し破壊のネットワーク化を果たしした。これまでアルカイ
ダとフセインが戦っていたせいで、新たな戦いがイラクに起こり、バース党・シーア派
・スンニ派・アルカイダと4字巴の乱雑な紛争地帯となった。シリアに逃げれば更に、
クルド愛国社と、シリア政府・シリア人民戦線・自由イスラムなど12の対立構図とな
って最終的に22もの独立戦線の兵士が現れた。最終的にはロシアが政府軍として平ら
げたが、トルコに逃げた退役兵士が何食わぬ顔で様子をうかがっている。




394: 名無しさんAA:19/05/13 04:01
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 73

 今後の子供達の悲惨さは、このシリアのロシア軍の空襲みたいな災難だろう。いまの
文明社会の仕組みにおいて、ウーバーやメリカリやアマゾンの様な、まったくリスクの
回避や消費者の安全を管理しない無駄な会社が大きく成長する事だろう。かつてゲーム
業界で、ゲーム業界の審査に嘘の申告で名を馳せた「ドラゴンクエスト」なるゲームは
大ヒットを飛ばした。同じように、ユーチューブやフェイスブックなどは、危険のたれ
流しで活況を呈している。なるほど殆どの人間8割ぐらいはおよそ真面(まとも)な人
間だろう。しかし後の2割は無教養なあばずれや無法者でありその中の2割は異常者で
常に刺激を求める信者なのだ。この教養ない粗野な信者は、頭は通常の人より「すごく
」頭がいい。だが世間では普通に食えない人たちだ。でウーバーのタクシーで犯された
り殺されたり、アマゾンで偽発注で破産させられたり、ユーチュ−ブで犯罪や戦争に、
生々しい殺人光景依存者にさせられたり、メリカリなどで盗品売りつけさせられたり、
フェイスブックで軍や反乱者やテロリストにシャアされて「いいね。」をつき合わされ
たりするのだ。このフィッシング勧誘は、それそのものに悪さはない。現実世界でもあ
る事だと発明運営者は言う。確かに一般社会でも詐欺や殺人がない訳ではない。だが、
通常の一般社会では、少なくとも工場から卸問屋に行きその後小売店に商品は流れて、
逆にその商品の代金はそうした流れを遡って届く。その間で詐欺や事故あるいは贋い物
(まがいもの)や不良品はその品質は製品と共に設置者や販売社や販売員の信用と共に
売られるし購買する。これが今狂ったように安値販売や経済利益の競争化し、勝手な言
い分として自己責任という言葉が流行る。ではこのインターネットによる毒物や贋物の
販売で自己責任というのは出来ようか。たまたま乗ったタクシーが殺人犯だった。たま
たまシェアした人が凶悪犯だった。こうした事がどこでわかるのだろうか。ほぼ偶然の
産物に違いない。昔ならそうした運転手そうしたお客には風評がついた。しかし、今は
皆無であり、逆に風評のいいものほどあくどい商売を行っていて、アルバイターの経済
テロと呼ばれる店は知らぬ間に幾多の映像取り上げでニュースの話題に上り警察が動く
。なんともむなしすぎる社会である。ところがこれが世界的傾向ともなると、倒閣社会
を嘆いてばかりでいられない。特に、優しい日本人はすぐに鴨にされてしまう。この鴨
がしょい込んだネギが家電品や米である。馬鹿な農協は一時期低温倉庫を潰し米を混ぜ
品質や銘柄や産地を偽って売っていた。多分野菜も果物も米も農薬もそうした事で流通
に混ぜて全農など建っている。今でも補助金の運用や嘘の開発で潤っている。中国より
まともだから質が悪い。家電も同じに冷蔵庫に鍵もつけず、映像には著作権や8K対応
などのバカをやる。本来政府対抗の自由の戦士であるべきが今やお上の言いなりで悪評
のコピーガードに技術を注ぎ、本来の工場や家電メーカーは安値で叩き売る始末である
。まったく馬鹿げた政府指導やNHK様である。NHKなど、中国に自由取材の圧力を
なぜかけないのか。少しは考えろといいたい。



395: 名無しさんAA:19/05/13 11:31
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 74

 2018年、夏に日本を含む世界各地を襲った異常気象が、北半球のジェット気流の
変化によって引き起こされた可能性が高いことが3日までに、英オックスフォード大な
どの研究で明らかになった。気流の変化は近年増加傾向にあり、研究者は「気候変動や
地球温暖化によって将来さらに頻繁に発生すると予想される」と警告している。研究の
結果によると、中東域やバルカン諸国を襲った集中豪雨、北米や西欧など各地の記録的
高気温が、いずれも上空1万メートル付近を吹くジェット気流の変化と強い関係があっ
た。特定の気流の蛇行パターンが影響していたという。この結果、何週間も熱波が一部
の地域に滞留するなどし、「暖かな晴れの日は高温と干ばつに、雨の日は洪水に変わっ
た」とされる。同様の気流の変化は03年や06年、15年などにも見られ、近年増加
傾向にある。同大のカイ・コーンフーバー氏は「18年夏に異常気象が起こった場所や
時期はランダム(でたらめ)ではない」と強調。異常気象に見舞われた地域は、いずれ
も世界の穀倉地帯と重なっており、食料生産のリスクを増幅する可能性があると指摘し
ている。さらに乾燥地帯の雨は凄まじい雨量になる。と勧告する。当然である。朝倉・
浮羽を襲った洪水は、これまでの偏西風の向きすなわち雨雲が北上し南でなく西風とな
り山に当たる風が変わった事で起こったとされている。今後アフリカの豪雨やアフガン
やイランの乾燥が予想され、フィリピン・ハワイの造山運動と共に海水面上昇。それに
伴う中国・日本・アラスカ・西海岸・南米の地震が想定される。気がかりなのは中国と
米国の東沿岸の寒気と台風の雨量だろう。昔ほどではないにしろ、スモッグで温暖化す
る都市の上昇気流はおそらくとんでもない雲の成立になり、今流行りの連続発生積乱雲
、つまりバックビルディング現象や線状降雲帯などと云われるものの、単純発生性であ
る。日本外多くの研究所で雲の発生メカニズムには中心核が必要とされ核のない処には
湿度百%でも雨雲は発生しないとされる。つまり上昇気流や下降気流に軽くて押し出さ
れ只の霧にすらならない。処が、その核分子なり化合体或は有機体が浮遊すると途端に
空中の水分を寄せ付ける。そして重くなり下降するに従い上昇気流を発生させる。摩擦
熱なり太陽光の影響を受けるからだ。こうして均衡が破られると空気は更に拡散力で上
に行き氷となる。雪のの形状が六角形なのは、多くの雪の核つまり、雨の核と同じに、
化合物塩が中心にあるからだとされる。つまり氷はそのものが六角系になり易いもので
あり、氷に塩を振ってより冷やし固めるのは、そうした影響にあるからである。問題と
なる大量洪水は、一つは海洋温暖化で蒸発気流が強く多くの水分を空気中に放出するか
らだが、もう一つはこの芯になるスモッグが多量にあるからだ。更にもう一つ空気中が
こうしたゴミの様な大きな芯であると雨粒も高い位置まで飛ばされないし、水素酸素な
どの原子に変化しにくく、より大きな雨量を持つ表面積が高く上昇気流で大きく水分が
取り込める機能を持つ。こうした事は逆に海に遠いところはより乾燥する事になる。程
良さやバランスは、自然界に住む生物の繁殖には不可欠な要素であるが、人間は守らな
い。特に大国は場違いな主張して止まない。つまり米国・中国の災害は天の怒りとも言
える。


396: 名無しさんAA:19/05/14 17:04 ID:EM
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 75

 24日公開の映画「空母いぶき」に総理大臣役で出演する佐藤浩市は、9日発売の漫画
雑誌「ビッグコミック」(小学館)のインタビュー記事内で「最初は絶対やりたくない
と思いました(笑い)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕
らの世代の役者には残ってるんですね。」と語り、さらに自身の役柄を「ストレスに弱
くて、すぐにおなかを下してしまうっていう設定にしてもらったんです。」と発言。こ
の発言が、ネット上で過去に潰瘍性大腸炎の悪化で首相を辞任したことがある安倍首相
をやゆしていると受け取られ、炎上騒ぎとなった。−−−−とニュースが言う。これは
恐らく勉強し色々な資料や知見からの意外な自分の素顔を見た「佐藤浩市」の意識であ
ろう。これに2人の大人が言い合っている。一人は作家の百田尚樹(63)で百田は佐藤
の発言に「三流役者が、えらそうに!! 何がぼくらの世代では、だ。 人殺しの役も
、変態の役も、見事に演じるのが役者だろうが!」と怒りをあらわにした。「私は自分
の作品の映画化に関して、キャスティングに口出ししたことは一度もない。しかし、も
し今後、私の小説が映画化されることがあれば、佐藤浩市だけはNGを出させてもらう」
と宣言した。この百田がこんなバカとは・・・びっくりなのは私一人では無いだろう。
役者とて一人の人間で、何も軍国主義の中の兵士やアルカイダの中の戦士の様な人生を
犠牲にして強制されるものではない。誰にも権利や権限はある。それに戦い人生を築き
自由を標榜してこそ人類である。仕事や役者と言う言葉で金科玉条の様にロボット行動
で拝礼服従というのは人の姿ではない。その為に海賊船長の小説を書いたのでは無かっ
たのか。これに対してラ・サール石井は、「佐藤浩市氏のどこが三流なのか。役者の何
を知ってるのか。自分の意に沿わないと三流なの?」と疑問を呈し、「今後映画化され
るほどの小説がまだ書けると確信してるんだ。謙虚さのかけらもない。何様?」とつづ
った。これも又老境に行った達観者のもはや世間にお辞儀する必要性のない思い上がっ
た様や今までの役者の苦労した鬱憤を吐露した発言である。人類は何かにつけ教える側
と教えられる側、伝える側と伝えられる側に分かれ分業化して生きる。監督・脚本は、
どうしても指導する側であり、俳優はそれを演じる側で確かに、役側の地位や権利と共
に使われてなんぼの世界にある。問題は他にもある。つまり報酬格差である。同一労働
同一賃金などと訴えているものの。ソニー平井27億、ゴーン20億、三菱他1億と言
われ、はたしてこれが自由社会の戦いだろうか。たまたまいい経歴と偶然を、こんなに
搾取の原料にしていい筈はない。よく日本の議員や官僚はいい給料を貰うから遺跡すら
崩しにかかる。と言われる。まさしく地方自治体も会社もそうである。1割の給与でも
十分な遊びのような仕事に、地方公務員の肩書や農協職員の肩書で糞みたいに血税が払
われる。これでは国会も発奮しないし国民の為にもなってない。兎も角は、議員や閣僚
あるいは企業役員や経営者の給与を下げて権力を下げ、庶民膝を割って話よく指導する
ことだろう。対立した経済格差は何も生まない。


397: 名無しさんAA:19/05/14 23:24
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 76

 日本人はこの経済格差がなくなればいいとは思っていても、あってもそう問題にはし
ていない。他の諸外国に比べて江戸時代からの平均化政策が功を奏し、明治から今まで
に7回も起こった藩政改革や小作人解放或は財閥解体のち、贅沢品に物品税、税の納税
者権利に選挙権付与など、多くの事で均等化政策を行った。高額の遺品の分与税譲渡税
も同じ趣旨だ。だがこれに抜け道作ったものがいる。それがこうした高額の給与所得者
すなわち官僚や議員や悪徳商法の商店主更に国策企業団体である。この問題にはトラン
スジェンダー、すなわち同性愛錯覚者問題が横たわっている。この百田尚樹(63)氏の
発言は、まともに言えばヘイトクライムのいわゆる差別発言だ。しかし、それを叩けな
いのは、叩いたからと言って今後にこの人の差別や偏見視点が治らないだろう。という
事とそれを批判するには、こちらも暴言を吐くしかない事にある。俳優の黒沢年雄(75
)は、自身のブログで漫画誌に掲載されている俳優の佐藤浩市(58)のインタビュー
が「安倍晋三首相の持病を揶揄している。」などと批判されている問題に言及して、「
佐藤君を大目に見てやって下さい」と懇願した。黒沢は「話題の佐藤浩市」のタイトル
で記事をアップし「世の中いろんな人がいるからこそ、面白いし、楽しい。思想もそう
……」と前置きした上で、「時代に産まれ育った人間で変わってくる人もいる…だから
今回の佐藤君の安倍総理に対すると思われる揶揄とも取られる発言は、まだ彼が若い部
分があるという事で許してやって下さい。」と綴っている。黒沢は「話題の佐藤浩市」
のタイトル記事で「世の中いろんな人がいるからこそ、面白いし、楽しい。思想もそう
…」と前置きした上、佐藤を「三流役者」などとツイッターで批判した作家の百田尚樹
氏(63)に対しても「作家の百田尚樹さん、僕は貴方の本のフアンです。佐藤君を大目
に見てやって下さい…」とメッセージし、「安倍総理は、佐藤君の、小馬鹿にしたと、
取られ易い言葉等何とも思っていないと思います。」と、「世界各国を見て来た僕から
見て、日本は最高の国です。安倍総理・日本の為、国民の為に頑張って頂きありがとう
ございまーす。」とも、綴っている。多様性を受け入れる社会の大事さと、寛容性文化
の醸成が出来た日本の偉さであろう。トランスジェンダー、は言わば少数者や弱者の中
にある。歴史でも言語でも文化でも少数者や弱者というのは、世間が取り上げないと、
見失いがちである。朝鮮人学校も止むを得ず作られた経緯やそれ故に差別された記録が
そこに或る。言語でも文化でも一般の広く進められるモデルが正しいとは限らない。こ
こに日本の立ち位置がある。そもそも各国共にそうそう一体化した自由主義の中にない
。日本でも山本太郎は、ある程度知名度のある俳優でMCすら出来る立場だった。つい
本音である日原発反対を言明した。すると瞬く間に彼の仕事は無くなり、議員になるし
かなくなった。日本では中立の立場があると信じる者がいる。しかしそれは不可能であ
る。例えば原発反対としてはいる自民党も現状の原発廃止しない以上容認派であり、結
論的には賛成派という事になる。つまりかつての原発盲信派では無くなっただけである
。だがこれを賛成反対で論じていいものだろうか。


398: 名無しさんAA:19/05/14 23:24
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 77

 もし賛成反対のみの考えならば、車も排気ガスをだし、道路も勝手な行政で農地分断
し、自衛隊も経済主導の今の消費社会も反対に票を入れてよい。だがそうした反対票を
いれたからといって、かつての原始人のような生活の容認や提言或いは進言をする立場
にはない。やはり豊かで物のあふれる今がいいのである。ではこれを維持をするには、
仕方がないのだろうか。実は違う。それが科学技術である。われわれは中国や米国の様
な非情な考え方はしないし、欲を出した実態を作らない。と言うよりは作れない程小さ
な島国の存在である。つまり世界の中で経済大国などと評価され、日本絶賛や世界第4
位の国として米国・ロシア・英国などの先進国の仲間入りしているのはおこがましい程
の国土なのだ。ただし中国や韓国の様には大手は振らないものの、今まで先人達が築い
た国家の体やは守るべきものだろう。今日本は世界最先端の技術は幾つも持っている。
しかし、経済三流政治四流では、常に世界から狙われる。ここはしっかり日本は自由を
守る強い国である事は示さねばならない。つまり、今の世界のゴミ問題や、排気ガスの
問題は、例えば発電すらする焼却場建設や、トヨタの持つ燃料電池車や海洋からの水素
取り込みや薄膜濾過水による水供給など新時代技術は持っている。問題は如何に売るか
である。安倍氏はそうした技術を知らないでもないだろうが、馬鹿なことに東芝原子炉
を売り歩いたのである。これではいけない。もし原子炉を売るほどや、北方領土などの
返還であれば、日本は軍部強化を図る事しかない。日本はやっと民間ロケットを飛ばし
、世界水準の戦闘機エンジンを誕生させたぐらいの後進国である。XF91は国内では、初
の快挙であっても実用エンジンには程遠い。というよりも試作エンジンであるに留まる
。もし今後も日本の国際的地位を考えるならば、ダグラス・ボーイング社を助けるしか
ないだろう。アメリカ空軍向けに作られたノースロップ(現・ノースロップ・グラマン
)/ マクドネル・ダグラス(現・ボーイング)社の、選考除外された試作ステルス戦闘
機YF-23をベースにして三菱との共同開発で作られた世界初の第6世代多目的用途戦闘機
は一度売り込みされた機体である。設計し実機が飛び期待されたが、第5世代時代でも
あって、1991年にF-22がATFとして選定されたことで潰えた。しかし、その後 その特殊
性から機体はアメリカ航空宇宙局に移管され、後にNASAに送られたが、YF-23 は、
飛行研究機体となり、エンジンなしでドライデン飛行研究センターに譲渡されたままで
一切研究されてはいない。つまり、日本はこの機体生産に科学技術庁が買い付けして、
独立生産すべきである。そうしないと恐らく今後の3年後は、最新鋭旅客機ボーイング
737MAX8の墜落事故を巡って相当な痛手を負う。ボーイング関連の社員は3千人以上
である。日本も下請として大きな人数が職を失う可能性がある。さらに米紙によれば、
米紙米連邦航空局(FAA )が新型機として認証した事まで問題になっている。ここは一
つ日本の国産旅客機MRJを早く飛ばして、ボーイングを助ける様に政府は動くべきで
はないだろうか。

399: 名無しさんAA:19/05/15 01:17
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 78

 今後の戦争は色々な意味において宇宙空間が利用される。地上の兵士達はおそらくは
何もできない。地雷原はずしか、住民の監理ぐらいで、かつて日本で行われた合戦など
とは遥かに違い、弾は空から突然やってくる。北朝鮮のロケットもロシアの宇宙空間か
らの攻撃も恐らくは随分と進化した形態ともとれる。又今の電子空間も5G時代にはな
ったものの、これも結局は伝搬する電波の話であり、無人飛行機の攻撃も衛星を使った
戦争という事になる。更に言えば、これが経済力の話であり、米国は中国が開放社会の
体制に移行しない限り、貿易戦争は止めないだろう。ロシアも大きく独裁をやめない限
り、大統領の死去の度に人類に核戦争の危機が迫っても、これは北方4島どころの話し
ではない事になる。東側世界は、市民の権利が高くなることが、直接的に自らの独裁の
存在の否定となり、体制崩壊につながると危機感を露わにして米国を敵視しているが、
この米英の体制も、ブレクジット問題や汚職や司法問題などを引きづっていて完成され
た体制とは全く言えない。ニュースでは立憲民主党の辻元清美国対委員長は、北方領土
へのビザなし交流の訪問団の一員として同行した、日本維新の会の丸山穂高衆院議員が
「戦争でこの島を取り返すのは賛成か、反対か」などと訪問団の団長に質問したことに
ついて、「丸山氏の発言は軽い。どれだけ大きな影響が内外に出るかということもわき
まえていないのではないか。聞いたときに震えがきた」と述べた。確かにそうだ。だが
国会内で記者団に語った辻元氏に「維新が丸山氏の戦争発言について、どのような対応
をするのかしっかり注視したい」とも強調しているのは間違いだ。同日午前に開かれた
野党5党派の国対委員長会談でも、「丸山氏は議員辞職すべきだ」との意見が出たこと
も明らかにした。」と言う。しかし、平和ボケした日本人のこの辻元の言葉こそ暴論で
ある。平和の中でボケまくる日本人は、戦争の実体が領土の取り合いの抗争がその一部
である面を知らないでは済まない。人種抗争宗教抗争貧困や経済抗争での戦争は確かに
あるだろう。だが基本は、土地争いや権力抗争はこの重要な要因の一つである。その中
で、少なくとも日本人よりはロシア人達には、広く第二世界大戦の勝利品という見方も
強く、戦争で盗まれたものは戦争で取り戻したらどうだ。と罠を張る人も多い。つまり
日本列島があり、原爆を持った大国としての優位者の言葉である。つまり戦えば日本人
など関係ない。例え日本列島が破壊されても領土拡張されれば我々は良い。という思考
である。つまりいつでも原爆は落とせる。という意見で、とんでもない話である。辻元
の意見は、その意味では完全に間違っているのである。つまり日本人は常に戦争のキバ
が迫っているのだ。その中での辻元議員が言っている事は、単なる平和論の残したいと
願う中での世論であって空論である。日本人や国家論としては存在し得ない。例え空威
張りであろうが、国家の威厳は必要である。ここに懸念がある。そもそも今ロシアは、
北朝鮮と同じに経済制裁中なのだ。なぜか。それは、クリミヤ半島を軍事で奪取したか
らだ。この事の分析を日本はあまり良くsていない。それどころか、意味もなく鳩山が
訪ロをして賛意したり、逆にその発言に批判があったりで、現状が認識されていない。
日本はまったく能動的に平和に動いていない。


400: 名無しさんAA:19/05/16 05:00 ID:vw
 宇宙仏教説     ----   ----  ---- 78

 なるほど、そりゃそうだ。「菅義偉官房長官は15日午前の記者会見で、戦争による
北方領土返還を元島民に質問し、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員について
「誰が考えても不適切な発言だ」と非難した。責任の取り方については「国会議員なの
で、自らの発言には自らが責任を持つということだ」と語った。 ロシアとの平和条約
締結交渉への影響に関しては「丸山氏の発言は政府の立場と全く異なる。交渉に影響は
ない。」と重ねて強調した。とニュースは伝える。勿論誰も戦争は望んでいない。今の
北朝鮮の金正恩すらも、核実験やミサイルを飛ばしているが、おそらく戦争は望んでは
いない。否まして大国米国と大きな戦力差がある中では、敗戦覚悟死を覚悟で戦う事は
恐ろしくてできない事だろう。恐らくロシアのクリミア奪還を果たしたプーチンでさえ
も、世界を敵に回してまでも奪取を望んだのは、相当な覚悟であった筈だ。だからこそ
ロシアの郷土料理として、女性の履いた靴の汗の料理をオバマ大統領に振舞ったのであ
る。この大統領の肝を図る為に。これは野蛮な世界の肝試しの一環である。今度北方4
島のテコ入れに軍事拡充を図り核ミサイル施設まで織り込み済みのロシアに、今急襲し
世界に先駆けて対抗する事は、先進国群は望んでいる。しかし、それが出来るのは米国
於いて他にない。つまり、「我々は先の大戦で報奨として戦利品として北方四島を持っ
た。」などと勘違いしてるロシアに我々は一体どんなアプローチが必要なのか。これの
一つにその戦争論がある。つまり、この政府や島民の望みである平和的帰着が望めない
中では、この丸山発言はより危険で悩ましい反対するに限る暴論であるが、そこは先の
ロシア料理を御馳走として大統領に出した国なのだ。成敗しかない中に存在する。大体
一体全体日本の議員は国際情勢をどういう視点でものを言っているのだろうか。今回も
議員辞職勧告に及ぶだろうが、それはおかしな事だ。TVのニュースで例えば今回習氏
は、「しつこく国に干渉したり文明改造はとても愚かだ。」とまで言い拍手を浚った。
が、である。中国思想はこれまで一体人民に何をしてきたか。いや現中国共産党軍が、
一体本当に日本軍と戦ったのか、国を作り上げたのか。全くやってない。海外から投資
された時、中国にはすぐに近代船の大砲におののき負けて1842年の南京条約に開港した
上海などには、突然と租界(外国人居留地)などが作られた。その後の中国は英国投資
に関わらず、ドイツ、ロシア、日本、イタリア、米国・・と転々と支援を求め裏切り、
悲惨な国民党軍や共産党軍を作っては、国民を残虐し続けていた。一九三八年、日本軍
の行軍を阻む為、黄河の堤防爆破によって11の都市と、4千の村が水没し、水死者が
100万人、その他の被害者6百万人という大惨事を起こした話は有名な事だ。これ程
体制や軍を重宝し政権にしがみつき自国の人民を殺してきた国や文明こそが愚かである
。こうした事に今の日本人は先の大戦の英霊に対して、何も思わないほど馬鹿になった
のか。成程確かに大陸進出には日本の思惑もあっただろう。しかし、多くは世界からの
求めに応じた形である。日英同盟・シベリア出兵・孫文支援や愛新覚羅の満州国、その
事は多くの事実が今説かれる歴史や論説と異なっている。そうした事も言わないTV局
は何故か戦争アニメのガンダムニュースを流している。ちょっとこの平和ボケは異様す
ぎるのではないか。日本の戦争の目的は、常に防衛であったし、相互扶助の精神だった
。米国の大統領が戦争好きで欧州戦争に行く為の口実に日本に経済制裁がかけられた事
がなかったら、世界大戦が太平洋で行われてはいない。この現実を軽く見てはいけない




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