モラハラ相談


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モラハラ相談

1: 富士山:18/02/06 17:49 ID:
2年間モラハラをうけつづけてきました。内容は理由もなく、無視を続けたり、情報をまわさなかったり、第三者を使って悪口をいっていること、我慢も限界です。辞めるかわりに、報告書をあげたがにじりつぶされそうです!加害者を何とかできないものか?悔しいの一言!会社はネクスコ東日本さいたま保全センター点検診断2課です!ことなかれ主義を廃除したい!

101: 名無しさんAA:18/02/28 09:54
同意や権利の保全が必要だろう。こうした基本の権利が保証される社会が先進国と言え
る。ところが、米英は仏国の足元でしかなく日本も、その権利は足元に及ばない。中国
に至っては別世界なのである。故に輸出入に政府は規制こそすれ解放すべきではない。
特に中国内に メディアも旅行代理店も活動させないで土地の占用すら認めない者を、
何故日本に観光客や留学生として呼ぶのか。全く支援する理由がない。日本はちゃんと
土俵に立つべきで人民が変わるのを待つなどと言う卑怯な言い訳をすべきでない。


102: 名無しさんAA:18/03/02 02:33
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------1>

 およそ世界の軍需産業の7割はロシア・アメリカ・中国にある。核弾頭ミサイルを手
放さない北朝鮮を非道の極悪人の如く言うメディアだが、現実には北朝鮮は日本と同じ
様な地政学的に恵まれない国だし、ロシアアメリカがそう易々と軍備を売ってくれる仲
ではない。日本がこの朝鮮半島の和平に希望と活路を見出したのは、古代の飛鳥時代以
前からだ。当時も今も海の平和は日本の望む物だったが倭寇とされる朝鮮からの船に悩
まされていた。日本では女真族の早船とされ、朝鮮では倭寇とされた中国でも襲われる
村もあったのだろうが、多くの漢民族は海辺の暮らしは遠ざけた暮らしをしていた。何
故ならそれには理由があった。塩や絹やお茶を船で運んでいたからだ。この船の運航で
運ばれるものは高級なだけでなく高貴な物品だった為、護衛がいた。下手な漁船は難癖
を襲われたから小さな小舟は離れて生活していた。更にもう一つ大潮逆流があったから
だ。ブラジルのアマゾン川では「ポロロッカ」が有名だが、中国でも波が上流へと逆流
する「海嘯(かいしょう)」が度々発生している。台風の影響などでも高波となる中で
、時には大きく町さえも壊した。今では堤防が築かれサーフィン大会が開催されような
事もあるが基本津波と同じだった上、毎年やって来る洪水や塩害を前に農地にならず、
生活が出来なかったのが原因だった。その為海から離れて生活をしていた。幸いな事に
中国には揚子江長江黄河と数々の大きな河川があり、海に出なくとも海産物は海から河
へ上って来てくれたのである。この中国の皇帝たちは騎馬民族にやられる前は万里の長
城などと言うものを造る事は考え無かったであろう。しかし残念な事に歴史は長城を築
かせ第二次世界大戦で共産党と言う神の居ない部類非情の信徒を作りだした。狂乱のさ
なかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたのは近代のみではない。しかし
、文革開始から50周年の中国共産党は、当時も今も残虐行為については歴史的事実を
知る限り伝統の性格なのだ。皇帝が妊婦の腹を割き子供を食した話や、自分の糞尿に憎
き宦官を手足を切っては落として刑を執行したなどは、包み隠そうと躍起になっても知
られた話なのである。この非情な民族の特質を欧米列強は知らずに叩き起こしたのが、
第二次世界大戦だった。馬鹿な日本人はそれに輪をかけて日中友好に手を掛けたのだ。
およそ朝鮮半島の民族はそうした過酷な先祖をもって中国から流れ着いた人が大半であ
る。つまり異常の人々である訳だが、厄介な事にかれは普通の人であるし普通のそうし
た過去の先人を持たない人との区別もつかないのである。

103: 名無しさんAA:18/03/02 02:34
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------2>

 ところがこの異常者と言うのは朝鮮人に限らない。例えばアメリカでもブッシュJr
が連れていたネオコンと呼ばれる連中は自分達が発表している嘘が何を意味するのかを
知らずにいた。イラク戦争では独裁者フセインがアルカイダと深い関係を持っていると
嘘が叫ばれ、大量破壊兵器の核ミサイルを隠し持っており、フセインをつぶしイラクの
周辺に平和が訪れ中東は平穏になる、と広告された。それは911を行ったペンタゴン
のシナリオ通りに敢行したに過ぎなかった。だが現実には、フセインはアルカイダとは
全く関係がなく敵対していたし、核兵器の開発どころかウランさえ持っていなかった。
しかもフセインをつぶしたためにイラクは大混乱に陥り、ISILなどという厄介な代
物まで作り出し戦争を続行させた。そして、多くの米兵が命を失った。大成功である。
多くの米国民が、このイカレタ政策全く出鱈目であることを認めた。戦争というものは
、負けても勝ってもダメだと強く自覚し、心から反省した。こうして史上初めて黒人の
大統領であるバラク・オバマが誕生した。オバマ大統領は「米国は世界の警察官である
ことを辞める」と宣言し、「核なき世界をつくる」と提唱した。そうして2016年に
米国大統領として初めて広島にやってきて、安倍首相も国民の多くも、オバマ大統領を
大歓迎した。しかし先のイラク侵攻を画策した者達は、そこに納得が行かないままに、
次を固めた。トランプ大統領は、言ってみればオバマ大統領の戦略を廃棄して、核軍縮
の流れを逆行させ軍事産業の疲弊を止めようとしている者が産んだ大統領だった。だが
その支持層は、ユダヤに操られた無知な福音派と軍産複合体を牛じっているネオコンで
ある。つまり還り咲いたと言う訳である。武器の売りつけに中東に行き、日本とのTP
Pも破談にしてロシアとの協調戦争を模索し保守的なキリスト教福音派のエルサレムを
イスラエルの首都認定の求めに答えた。しかし米国ユダヤ人協会(AJC)の調査では
直ちにテルアビブからエルサレムに移転することを希望したのは全体の16%に過ぎない
という。和平交渉と合わせてのみ移転するべきだと回答したのは35%。全く移転するべ
きではないと回答したのは44%だった。福音派指導者はほぼ一様に首都認定を支持して
いるもののアメリカの5%にも満たない支持なのである。トランプ大統領は、ロシアや
中国が核兵器の拡大を実施しているので、それに対応せざるを得ないのだと強調し、ま
るでロシアと中国を敵役のように扱って新しい冷戦構造をかたちづくろうとしているよ
うだ。だが、この新戦略は難航し、成功する理由がない。まずヨーロッパ諸国の多くが
、トランプ大統領の方針に反対している。次にロシアと中国を同時に敵にはできない。
そんな中で、日本はどうすべきなのか。日本政府の姿勢が世界から注目されている。

104: 名無しさんAA:18/03/02 02:36
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------3>

 今や中国は、奇妙な中立点を模索している。例えば、中国の新幹線工事は今年も営業
運行距離を三千キロ伸ばし、12兆7000億円が投資される。2025年 には全長は35000キロ
になる予定だというから、日本の新幹線総営業距離の十倍以上に相当する。それでも今
だ11兆円強を投資し、成都から西安など辺境の地にまで新幹線の営業距離を伸ばして
いる。これで過去の借入金総額は81兆6000億円にも達し、これは中国鉄道企業の総資産
の64.8%を占めるに至る。ちなみに日本の国鉄が破綻し、清算した際の累積赤字額は、
24兆円だから、すでにその4倍を超えて達していることになる。そもそも収入を度外
視しているから、作れば作るほど赤字は累積されていくのだが、中国の政府は気にして
いる様子はない。かの鬼城の時もセメント工場の供給過剰や粉ミルク事件と同じである
。鉄鋼生産に至っては、過去に毛沢東の行った製鉄・製鋼増産運動があった。これまで
必要であった鍋や釜や農作業用具はすべて炉にくべられ、山の生い茂っていた木々は切
られて禿山になった。その経験があって鉄のありがたさが見に染みているのである。だ
が当然今の中国鉄鋼産業に見れば、人々の浪費が納得できる。中国国内の鉄鋼産業界に
は、余剰生産体制、余剰ストック、潜在失業者と赤字体質そのものの大きな原因として
存在する。しかし、鉄の品質や強度や研究には全く予算をかけていないため、「安かろ
う悪かろう」の生産品でも気に留めない。その為、世界中にダンピング輸出ができる。
欧州には鉄鋼生産の無いスペイン産として英国にどんどん輸出し、その為幾つもの機械
は壊れた。アメリカでは四百%を超える制裁関税をかけられてたが今だ全く気にせず、
メキシコやカナダ産で輸入させた。又有り余る鋼材は新興諸国にどんどん売り込みを図
り、ビルが倒壊しようが、橋が崩れ落ちようが「平気の平左」で送り出している。それ
どころか米国の賠償請求にも無視をし続けている。今の問題になっているベネゼーラや
コロンビアなどは早いうちに高速交通手段のそのプロジェクトは発注している。だがこ
うした背景があるため、世界中で中国主導の新幹線プロジェクトが中止になっている。
世界中に新幹線プロジェクトを輸出することに成功したものの、メキシコは白紙撤回、
アメリカは拒否、ベネズエラとパキスタンでは工事中断、インドネシアでやり直し、そ
れでも懲りずにタイへの新幹線売り込みは強引にまとめたが中断、フィリピンでは橋と
車両の重量差で通れずと言った具合である。タイの道路工事などは十分の1が済んだと
ころで中断されている。途中で、上から下まで役人が汚職に精を出すから。新幹線工事
が中断しているのだ。パキスタンも全く同様で、570億ドルを投じているCPEC (中国・
パキスタン経済回廊)でも、鉄道現場の3カ所で工事を中断していると報じられる。

105: 名無しさんAA:18/03/02 03:05
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------4>

アメリカのドナルド・トランプ政権は、パキスタンへの支援金 2億2500万ドルを凍結す
る措置を取った。するとすくさま中国は、抜け目のなく行動に出た。アメリカがパキス
タンから手を引くと見越して、王毅中国外相は北京官邸にパキスタンとアフガニスタン
外相を呼び付け、自国のCPECにアフガニスタンを加えることに合意させたのだ。つ
まり、アメリカが援助を減らす分、中国はパキスタンやアフガンに高率貸付したという
わけだ。既に中国新幹線の終点は「破綻」と分かっているの承知で何とか軟着陸を試み
ているのである。先の銀行の高利運用の理財商品と同じに馬鹿を見るのは最後に投資し
てたものではある。政府は潰れないを売り文句に買わされた銀行は企業に売り、銀行内
決済からは外されて紙切れになったのである。これは国内では銀行や地方共産党に任せ
銀行倒産には中央から資金手当てを行った。そこで海外に向けて高利貸を行おうとした
声明がABBIの「新シルクロード(一帯一路)構想」の声明である。最近になって、
イメージ地図を公表したが、当初含まれていなかった「南太平洋」までルートが延伸さ
れ自国の経済拡大を優先している事が解る。太平洋の島嶼(とうしょ)国家も対象に含
む新たな戦略が反映され、中国を起点に欧州に向けて陸路や海路でインフラ整備を進め
、巨大な経済圏を構築する資金は更に膨大な物になった。日本でも2010年から始ま
った金融市場への資金投入額は既に80兆円という、国家予算の2倍近い膨大な金額に
達している。今回の日銀の追加資金10兆円は市場の予想を上回るものであったため、
株式市場は値上がりし、国債の金利が下がることから円安に向かったものの、早くも息
切れしてきている。日銀の願っている方向に動いていないということの証である。金融
緩和といえば聞こえはいいが、要は各国の中央銀行が紙幣を刷って市場にばらまいてい
ることに変わりはない。こんなことをいつまでも続けていたら、とんでもない反動が起
きる可能性がある。景気の停滞下でも物価上昇が続く「スタグフレーション」と呼ばれ
る現象だ。更にその先には、世界恐慌であり、米一升を買うのに何万円、何十万円が必
要になってしまう恐怖のハイパーインフレである。既に中国国内では格差社会の中で、
地方の農民層には起こっている。日本でも同じに、年金生活者はおよそかつての1/3
の金で生活を強いられているのである。物価は高くなり支給は小さくなったのだ。これ
を世界中にばらまこうというのである。全くキチガイ沙汰である。


106: 名無しさんAA:18/03/02 03:06
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------4>

アメリカのドナルド・トランプ政権は、パキスタンへの支援金 2億2500万ドルを凍結す
る措置を取った。するとすくさま中国は、抜け目のなく行動に出た。アメリカがパキス
タンから手を引くと見越して、王毅中国外相は北京官邸にパキスタンとアフガニスタン
外相を呼び付け、自国のCPECにアフガニスタンを加えることに合意させたのだ。つ
まり、アメリカが援助を減らす分、中国はパキスタンやアフガンに高率貸付したという
わけだ。既に中国新幹線の終点は「破綻」と分かっているの承知で何とか軟着陸を試み
ているのである。先の銀行の高利運用の理財商品と同じに馬鹿を見るのは最後に投資し
てたものではある。政府は潰れないを売り文句に買わされた銀行は企業に売り、銀行内
決済からは外されて紙切れになったのである。これは国内では銀行や地方共産党に任せ
銀行倒産には中央から資金手当てを行った。そこで海外に向けて高利貸を行おうとした
声明がABBIの「新シルクロード(一帯一路)構想」の声明である。最近になって、
イメージ地図を公表したが、当初含まれていなかった「南太平洋」までルートが延伸さ
れ自国の経済拡大を優先している事が解る。太平洋の島嶼(とうしょ)国家も対象に含
む新たな戦略が反映され、中国を起点に欧州に向けて陸路や海路でインフラ整備を進め
、巨大な経済圏を構築する資金は更に膨大な物になった。日本でも2010年から始ま
った金融市場への資金投入額は既に80兆円という、国家予算の2倍近い膨大な金額に
達している。今回の日銀の追加資金10兆円は市場の予想を上回るものであったため、
株式市場は値上がりし、国債の金利が下がることから円安に向かったものの、早くも息
切れしてきている。日銀の願っている方向に動いていないということの証である。金融
緩和といえば聞こえはいいが、要は各国の中央銀行が紙幣を刷って市場にばらまいてい
ることに変わりはない。こんなことをいつまでも続けていたら、とんでもない反動が起
きる可能性がある。景気の停滞下でも物価上昇が続く「スタグフレーション」と呼ばれ
る現象だ。更にその先には、世界恐慌であり、米一升を買うのに何万円、何十万円が必
要になってしまう恐怖のハイパーインフレである。既に中国国内では格差社会の中で、
地方の農民層には起こっている。日本でも同じに、年金生活者はおよそかつての1/3
の金で生活を強いられているのである。物価は高くなり支給は小さくなったのだ。これ
を世界中にばらまこうというのである。全くキチガイ沙汰である。


107: 名無しさんAA:18/03/02 03:05
 世界新時代−‐‐43   <日本は何をしたいのか------4>

アメリカのドナルド・トランプ政権は、パキスタンへの支援金 2億2500万ドルを凍結す
る措置を取った。するとすくさま中国は、抜け目のなく行動に出た。アメリカがパキス
タンから手を引くと見越して、王毅中国外相は北京官邸にパキスタンとアフガニスタン
外相を呼び付け、自国のCPECにアフガニスタンを加えることに合意させたのだ。つ
まり、アメリカが援助を減らす分、中国はパキスタンやアフガンに高率貸付したという
わけだ。既に中国新幹線の終点は「破綻」と分かっているの承知で何とか軟着陸を試み
ているのである。先の銀行の高利運用の理財商品と同じに馬鹿を見るのは最後に投資し
てたものではある。政府は潰れないを売り文句に買わされた銀行は企業に売り、銀行内
決済からは外されて紙切れになったのである。これは国内では銀行や地方共産党に任せ
銀行倒産には中央から資金手当てを行った。そこで海外に向けて高利貸を行おうとした
声明がABBIの「新シルクロード(一帯一路)構想」の声明である。最近になって、
イメージ地図を公表したが、当初含まれていなかった「南太平洋」までルートが延伸さ
れ自国の経済拡大を優先している事が解る。太平洋の島嶼(とうしょ)国家も対象に含
む新たな戦略が反映され、中国を起点に欧州に向けて陸路や海路でインフラ整備を進め
、巨大な経済圏を構築する資金は更に膨大な物になった。日本でも2010年から始ま
った金融市場への資金投入額は既に80兆円という、国家予算の2倍近い膨大な金額に
達している。今回の日銀の追加資金10兆円は市場の予想を上回るものであったため、
株式市場は値上がりし、国債の金利が下がることから円安に向かったものの、早くも息
切れしてきている。日銀の願っている方向に動いていないということの証である。金融
緩和といえば聞こえはいいが、要は各国の中央銀行が紙幣を刷って市場にばらまいてい
ることに変わりはない。こんなことをいつまでも続けていたら、とんでもない反動が起
きる可能性がある。景気の停滞下でも物価上昇が続く「スタグフレーション」と呼ばれ
る現象だ。更にその先には、世界恐慌であり、米一升を買うのに何万円、何十万円が必
要になってしまう恐怖のハイパーインフレである。既に中国国内では格差社会の中で、
地方の農民層には起こっている。日本でも同じに、年金生活者はおよそかつての1/3
の金で生活を強いられているのである。物価は高くなり支給は小さくなったのだ。これ
を世界中にばらまこうというのである。全くキチガイ沙汰である。


108: 名無しさんAA:18/03/07 14:13
 日本の岐路 10              <日本の不正‐‐‐‐1 >

 県や市などによると、補助金を受けながら全く整備をしていないなどの不正が確認さ
れたのは、10年度〜13年度の2事業366件で、計約4700万円分。旧役員らは
補助金の不正について「当時の職員2人が給料や組合の運営費に充てていた」と説明。
今年2月8日に県から返還命令を受けた約2200万円は、旧役職員が資金調達して納
めたが、近く市からも3月末を期限に、約2500万円の返還を求められる見込みとい
う。‐‐‐このニュースは一体何なんだ。たったの2500万で組合の維持費にしかな
らないのあ当然だ。職員2人に事務の維持費更に山間部の油代とすれば当然最低だろう
。国会議員や地方の役所の退職金にも満たないこんな経費をわざわざ旧役員らは 組合
は13年に解散する際、残余財産として、出資金1口(千円)につき分配金2千円を各
組合員に支払ったと言う。これが補助金の不正として国の会計検査院の指摘で不正が発
覚し。清算を終えて行う「返済命令」がついた。当然であるがこの組合も災害防止を考
えていないのか。又その組合の製品開発なり産品のPRなどなかったのか。不思議であ
る。‐‐‐‐木造で日本一の超高層ビルを建設する。木造で高さ350m、地上70階の日本
一の超高層ビルを東京・丸の内地区に建設する――。こんな壮大なビジョンを打ち出し
たのは、木造住宅のリーディング企業の一つで、国内トップクラスの木材・建材事業な
どを展開する住友林業である。全く馬鹿の極みだ。自らは自由主義の上にどっぽりはま
り資本主義に胡坐をかいて高額な建設費と開発母体のない過去の資産である木材に従事
していながら、全く山を育てていない。里山農家を保護していない。別子銅山の公害の
被害者を捨て山を捨てたかの昔の鬼のような所業と全く代わり映えしない思想だ。この
燃えやすく軽く強いが朽ちやすい木造が進化する事は望ましい事だがなぜ東京にビルと
して建てるのだ。馬鹿もここまでくれば中国の鬼城思想と全く同じだ。廃棄解体すらも
現状の再処理に乗せられないだろう。これでは進化も原子力と同じである。‐‐‐石井

109: 名無しさんAA:18/03/07 14:14
して建てるのだ。馬鹿もここまでくれば中国の鬼城思想と全く同じだ。廃棄解体すらも
現状の再処理に乗せられないだろう。これでは進化も原子力と同じである。‐‐‐石井
啓一国土交通相は6日、閣議後の記者会見で、リニア中央新幹線建設工事をめぐるゼネ
コン大手4社による 談合事件で逮捕者が出たことを受け、事実関係を把握した上で、
関係企業に対し、国交省発注工事の指名停止措置などを検討する方針を明らかにした。
とニュースが流れた。そもそもゼネコン4社大林組や清水建設や大成建設と鹿島幹部ら
の話し合いが談合といえるのか。建築土木は資材や製品と違い予定単価でかしかない。
出来てもいない価格が正答か否かは他の同企業でしか解らないそれが見積もりだ。今回
も過去もその意味では 東京地検特捜部はれっきとした犯罪集団である。最初からこの
大手を入れず 海外で工事調達しなさい。と国土交通相はやるべきで自分達の設計ミス
が怖くて単価発表が出来ないのなら国土交通省に査察して見積もりしなさいと言うべき
だ。全く東京地検も国土交通省も一体なんの為にやっているのだ。国民の為になってい
るのか。安いぶっかけ工事では話にならない。


110: 名無しさんAA:18/03/24 19:47


 今や完全に中国に追い抜かれた日本は 今後国際社会で浮上する事はない。何故なら
議員が悪すぎるし、国会がこんなにもいい加減で自民党が国会を無視した党伐運営を、
全く変える気がないからだ。そもそも子供の教育に今や理科・社会がなくなっていると
いう。こんな話はあり得ない。古代部族ですらルーツとする家や集団の記憶をはじめに
教えて部族の中の家庭の位置を教える。更に理科は信仰と同じに手順や手法の原理を、
学ぶ部門である。木々が南に向かい南とは日の当たる方向である。鳥は音を聞き飛び立
ち魚は上流に向かって泳ぐ。自然の中のこの基本原理を学ばせない国に明日があろう筈
はない。そこに論理や哲学が存在しないからだ。ただでさえ雑草の生える庭をコンクリ
ートで覆い、自然の持つ景観教育が廃れて行っているのに。である。この排気ガスに満
ちた魚さえ獲れずに、農地に蛙さえいないのが今の日本だ。これでは物語すら始まらな
い。政府官僚の馬鹿さはその幼少の時期に力を育てなかった教育にある。安倍の馬鹿さ
も全くおなじである。彼らは英語をしゃべる。金を持つ。そのステータスが能力と勘違
いして社会工作を行っている。非常に危険な独裁政治で中国共産党よりわるい。そこが
今の自民党政治だ。政治家が国家を運営していると勘違いしている。今の日本は子供に
残した先人達の宝である遺産の上にふんぞり返っているだけである。だからこそ国立競
技場が先の競技場より悪く 景気の上向きもなく国債の乱発で持たせているのだ。今や
市町村の悪さは目を覆うぐらいの質の悪い自治しかやっていない。東京都しかり全くも
って税収に頼った能力のない政策ばかりだ。それは選挙で出たリーダーが権力闘争の中
に生き、本来の政治に無能だからだ。森友加計問題を見て解る様に これは全く政り事
ではない。ただの世襲の封建社会の維持のデタラメ政治でしかない。経済も教育も全く
なく社会保障すらまともな仕組みになっていない。NHKの改革同様 労働生産性など
気にしてはいけない。給与を安くして多く社員を入れればいいだけの話で過労死社員を
だすなどというのは 大衆政治ではなく赤軍派や戦前の粛清政治以下である。それを、
今の現代人はもっと知るべきである。大木を切り 山を揃えず、河川をコンクリート漬
けして 道路も橋も開通はいいが全く未来的でなく古きは今や改修もしないとは馬鹿で
ある。税金だけ上げて国が立つと思っている。これだけ自殺者を作っていながらである




111: 名無しさんAA:18/04/07 10:43
 今度の中国と米国の貿易戦争に、日本のアナリストの何と呑気な事か。これは本気で
ある。米国が行いたいのは欧州経済の救済である。今やロシアでは、プーチンが最後の
大統領の政権運営を行おうとしている。米国が望んでいたいたのは、ソ連の自由主義へ
の移行であった。だが最初のプーチンは国内の混乱を抑えるための独裁政治に走ったが
、自由選挙を約束し、更に国民の自由議会を約束し、秘密警察の解体も約束してた。そ
れは ミハイル・ゴルバチョフの書記長就任以降のエリチェンやプーチンまでの一連の
経過の中の西側との契約書のない信用による約束であった。その為EUも米国も混乱に
乗じた軍隊を送り出さず、又表立った空爆などもなく、今のシリアの様な事はなかった
。もちろん地域核の発射の可能性もあったが、実質上は当時の威力はそこは経済封鎖と
空爆で抑えられる中にあった。ただ問題は戦争後の国民の収束が不明で自由を叫んでい
たのはロシアでなくその周辺の東欧や中央アジアの諸国であった。従って多くの独立系
企業がロシア国内を闊歩しそれに呼応して米企業は技術支援や資金供与を行い経済混乱
は収まった。しかしプーチンが政権基盤を整えると次々にそうした企業を乗っ取った。
それはかつての共産主義の復活だった。株式の強制取得、不法な拉致収用、暗黙の暗殺
と言ったものだ。クリミヤ奪還に至ってはジャーナリストの32人が不明な死を遂げた
。そして最後は英国まで来て、ロシア元スパイ殺害未遂事件を行った。重体だったセル
ゲイ・スクリパリ氏はロシアの航空会社用の燃料を供給した人だ。今やガスプロムの、
供給の為のインフラ投資は採算には合ってない。しかし石油大手(ロスネフチ、ユコス
、ルコイル)などを強制統合しドミトリー・メドベージェフ首相がエネルギー長官の席
についている。しかし、そもそもロシアの石油大手ユコスの創業者は、かつて150億
$以上の(2兆円資産)を持つと言われてたミハイル・ボリソビッチ・ホドルコフスキ
ー氏などだ。突然拘束され刑が執行された彼は、モスクワから、ロシア国内のある刑務
所に今でも移送され獄中である。2度目の刑期に服するにあたり、同氏は「ロシアでの
ビジネスには、常に危険がつきまとう」と警告するメッセージを発し「ロシアでは誰も
法律による保護を受けることができない」と述べている。

112: 名無しさんAA:18/04/07 10:43

又亡命したロスネフチ石油のセルゲイ・スクリパリ氏は重役もこのアエロフロート・ロ
シア航空の社長と共に英国に来た。この航空会社は1991年のソ連崩壊後は、80以上の航
空会社を生み出した事業分割や不採算路線の縮小、旧ソビエト連邦時代の機材の退役を
進めるなどのリストラを進めた他、新鋭機のイリューシンIl-96や西側のボーイング767
、エアバスA310シリーズなどの導入を進めるとともに、新規に設立された子会社「ロシ
ア国際航空」を中心にサービス水準の向上も図っていたとされたが、プーチンの一声で
英国で抹殺されたのである。アメリカ合衆国はこの抹殺する暗殺してること自体は特別
な非難はしていない。問題はそうした者を養成し育成してクリミアを取ったような違法
な行動を状態化させている事だ。いずれプーチンも死亡する。すると一体ロシアはこの
違法な行動者が又同じ独裁の国に戻り世界戦争を引き起こさないかと言う危機感が欧州
から伝わって来ることである。つまりソ連はロシアと言う自由主義を標榜する国にする
と約束していながら全く逆行した社会構造に変わって行っているのである。これには、
ユダヤ資本も怒っているのである。今回の石油価格の低下もメドベージェフの石油先物
の乱発にあったとされる。つまり今やプーチンは国家経営には税金徴収に長刀で脅迫し
メドベージェフ他国家資本に頼る企業達はその為に汗をかいて居る始末で国が開かれな
ければ増収が見込めないと言う立場にあるのだ。対立して支払い出来ないとは言えない
かと言ってない物はない。と言う状態だ。ここに中国・北朝鮮の問題がある。つまり、
西側諸国が技術や国際開放しないなら中国が代行サービスする。と言う事が合意されて
ガスパイプラインを引く約束が取り交わされたのである。これによってトルコパイプラ
インが続行出来る事になったし、ウランを必要とする北朝鮮にウラン輸出して外貨を得
るまで至ったのだ。こうして瀕死のロシアは一応立ち直ったのが昨年前の話であった。
アメリカのトランプに期待していたが、トランプ始めユダヤ資本は、この話を聞き入れ
て中国戦略に日本を取り込む事を決めた。つまり関税障壁は、迂回ルートの確立にある
。つまり韓国なり日本なりに会社を置けば難なく直送出来る。逆に言えば多少高くはな
っても物流が止まる事はない。問題はその供給施設を通る事による偽品の混入や品質の
劣化である。例えば中国に行く大豆が日本ルートと韓国ルートで中国で一緒になった時
量が多くなったり少なくなったりする。その上その会社自体が中国企業であったりして
隠れてしまう可能性である。


113: 名無しさんAA:18/04/07 10:43
 ところが 例えば大豆で言えば中国では 今やっと都市部と田舎部の関所である人の
出身地差別の取り払いに着手したばかりである。いままで中国建国で禿山にして農地に
変えて、トウモロコシやコーリャンや大豆などを細々と作って来た農民を開放しようと
変えた矢先である。つまり建設投資によって物流を持って輸入拡大政策によって非効率
な農産物をつぶして行く政策が実を結び、寒村破壊が進んでいる中だったのだ。又IC
部門もやっと先進国に追いついた創造的な負荷の少ないデッサン産業に変わったばかり
であったのだ。さらに世界的に溢れる粗悪な粗鋼物つまり鉄・アルミを国内自給で行う
事には無理がある。これまで発展途上国にインフラ輸出で賄っていたが、それでも高い
先行投資の高利率の返済に中国鉄鋼業の利益還元には全く及ばない中にある。それは、
これまで潰したセメント・コンクリート産業以上の痛手を被るのは間違いない中にある
。ではどうするか、企業としては現地調達をして米国内で製鉄業を行いそこに中国輸入
品を潜り込ませようと画策するだろう。しかしそれは更に需要供給のバランスからは、
供給過剰を引き起こし更なる価格競争に陥る事を意味するのである。これに失敗したの
がインドの英国製鉄の買い取りであった。鉄鋼業のないスペイン産鋼鉄が大量輸入され
て採算割れを引き起こした。英国需要の35%までも凌駕されたこのスペイン産鋼鉄品
は、何のことは無い中国直送品だったのだ。EU内無関税の隙を縫って偽装伝票による
大量入荷を可能にしたのである。これが摘発された後は、英国内の原子力建設は停止に
陥ったのだった。あおりを受けるのは常にこの真面目に輸出していた日本である。日立
は安価な英国鉄素材を期待して、英国内に電車工場基地を作り軌道に乗せて拡大させた
。しかしインド経営の製鉄所が封鎖し労働者が失業に至る事になる寸前で、EU離脱ま
で国民投票したのだ。これには英国に本拠を置いた大小2千社は一挙にフランス移住を
迫られる形に変わる。しかし、フランスはフランス文化がありフランス語であり英語圏
とはかなり勝手が違うのである。中国は大喜びである。陸路であるシベリアの大陸横断
鉄道を整備し高額な飛行機輸送に頼らず欧州圏内に大きく粗悪品を含めた大量輸送商売
ができて 今までの貧乏な中央アジアを相手にせず高額商売が出来るからだ。さらには
中国に増えた上流階層の購買力にあわせた ヒットメーカーつまりブランド品を輸入し
贋物商売と共に流通できるからだ。これが一帯一路のそもそもの目的でもあった。


114: 名無しさんAA:18/04/08 11:34 ID:1OU

 どうして古市の話が分からない様な、東野や松本人志MCをやっているのだろうか。
まず、この婚姻年齢の引き上げは時代に適っていない。人は進化し非行年齢は下がって
いるのにも関らず、こんなバカな少子化促進を出している政治家を非難するべきだろう
。更に妊娠する事が悪の様な教育体制には 教育の資格がない。更に教育とは学校体制
のみが教育ではない。かつてから のれん分けや丁稚奉公は普段からあって昔の日本の
協調社会の在り方であり 養子縁組や家の跡継ぎは他からも取り入れて育てていた。特
に殿様の側室は産むののみの存在で教育や養育係の手に産まれた傍から離された様な、
生活も多々あった。その意味や歴史も知らないなら TVなんぞに出るな。TV局も又
こんな幼稚な人間ばかりを出すな。もっと放送すべき提言は山ほどある。全くの堕落し
た放送に明日があるなどとは思うな。よく考えて配信しろ「屑人間制作機械」と変わる
な。もうすでにIT社会は崩壊しているのだ。犯罪利用される有料番組など、これから
存在できない中で、もっとTV局はしっかりした放送番組を作るべきだ。





115: 名無しさんAA:18/04/08 17:55

そもそも15歳からMYナンバーカードを作れと 今度はCMまで動員している。この
間違ったカード利用は全く聞きしに勝る醜態だ。もし15歳からこの大事な印鑑ぐらい
の重要なカード番号の勝手な流行に責任を15歳から持たせるなら 婚姻は12歳から
でも許可すべきだ。その責任や管理をどのような環境とどの状態で保持しセキュリティ
管理するのかというのも大事な事だ。全くセキュリティに責任のない政府に、こうした
CMを出す資格などどこにあろう。間違えた管理方式であり個人の秘匿義務を逸脱した
行為である。役所はアルバイトパートだらけで、入力集金すら間違いだらけ、選挙に至
ってはロシア以上の大きな選挙違反がまかり通っていながら 自民党が当選する有様で
全くちゃんとしていない。まず選挙管理員の公表票数の 入城票まで配りその票数が、
最後の最終下桁まで一致しない場合この選挙を無効とすべきである。こんな ムダ金の
CMをだすぐらいならそうすべきだ。


116: 名無しさんAA:18/04/09 03:55
 相撲協会評議員会の池坊保子議長(元文部科学副大臣)は「親方として残ることがお
できになったんだから、私は幸せだというふうに思います。そしてね、部屋もきちんと
残って、これからも指導することができるんですもの。」とインタビューに答えていた
。さらに「天知る、地知る、人知る。やはり神様というのはね、いろんなことを見てら
っしゃるんだなと。世の中というのは因果応報」と続けていた。これは、3月29日に
開かれた日本相撲協会の理事会で、貴乃花親方(元横綱)が委員から年寄に2階級降格
する処分が決まった。春場所中に弟子の貴公俊(たかよしとし)が付け人を暴行、親方
自身の“勤務態度”も問題視されての降格人事が決まった。その後の発言である。思う
に、全くこのうっとうしい程の悪たれ理事長は言いたい放題で、法の適用もないらしい
。この相撲協会評議員会は、相撲教会の内容を良く指導する為に産まれた言わば第3者
機関で、一般の常識や国の決めた憲法等の順法を指導する機関としてわざわざ作られた
ものだ。ところがどうだこれほど不合理で不平等な裁定を進んで勧めている。全く話に
ならない。これでは、貴乃花親方と言わずとも、弟子が殴られ、酒の席で罠をはり、頭
部に裂傷を負わせるような不幸な出来事では、解明どころかもみ消しに走るだろう協会
に、鳥取県警への被害届を取り下げなかったのは理解できる。事件の全容解明を司直の
手でという思いは、同時に一縷の望みである。だが、協会への報告義務を怠ったことや
、問題解決や暴力根絶策に他の協会幹部とともに取り組む姿勢を見せなかった点は、反
組織的な態度と見なされて、貴乃花親方は昨年12月28日に行われた臨時理事会でも
(1)協会の危機管理委員会の要請した元横綱、日馬富士による暴行問題の調査で、非
協力的な態度を取った(2)巡業部長としても報告を怠った。などとと判断されて理事
の解任決議が可決された。その後今回の事件で、約3カ月で5階級の降格となったのだ
。こんなバカな裁定を何故文部科学省は止めないのだろうか。こんな徒党を組んだ恐喝
まがいの違法行為を何故許されるのか。まず今回の事件も先の事件も同部屋の不始末で
はある。だが親方は公示もし、親方自体に非が無い事はニュースで解っている。ところ
が、調べれば自ら殴った親方の不祥事や、二子山部屋で兄弟子が徒党を組んで暴行して
手術さえさせていない親方達は 入門弟子の人生を無くさせても全くTV釈明どころか
降格も違法もない終わった事だ。と逃げ切っている。こんな不平等なあきれた裁定はな
い。こうした全くの違法行為を認めた松野博一文部科学大臣は全く大臣能力に欠けてい
るとしか言いようがない。安倍首相のお遊びのお友達内閣の歪みそのものである。こう
して今までの豊かな国民生活は 風化促進とひび割れ瓦解に、常に直面する。

117: 名無しさんAA:18/04/10 22:32 ID:SB6
 相撲とは何か。今回とある市長が土俵で倒れた事で 多くの問題が噴出した。しかし
そもそも相撲とは、呼んで字のごとく 仇討ちにに真剣勝負した時代に殺し合いのない
勝負でかたをつける。そう考えたのが始まりだ。それには、あとあとにも恨(うら)み
や怨(はら)みがあってはならない。と言う事で神職者の立ち合いが必要になった。こ
れが行司の始まりである。と当然人々は声援にでた。一方を判官びいきとするや人気で
強いものが応援されるとしても兎も角は二手に分かれた声援が起こる。となれば長半の
博打の世界である。同じ土俵と同じルールで同じ環境で行う。これによって白熱する腕
試しに入場料も御曄も飛び交い商売になった。となるとこれが興行師の差配となった。
そういう歴史の中で、吉田神道の相撲道が生まれた。この相撲は西日本の特に九州では
平安期から既に河童相撲として浜のある海の近くの神社は暇つぶしに行っていたようだ
。当然この力比べは日本の特技であり 日本人に男も女も無かった。殆ど昔の女性なら
特に九州の女性なら土俵に上がったことは何度もあだろうし。あまつさえ祭りのある所
の住民なら、まわしを巻いて、塩を撒いて相撲を取ったこともあるだろう。男性といっ
しょに土俵ですり足をしたり、ぶつかり稽古だってやっているだろう。相撲大会にすら
参加している人もいるだろう。では土俵は女人禁制という伝統はどこから生まれたか。
これは、男性差別から生まれた。というのも多くの武将の太刀持ちは、男色のそれも尻
小姓である。それは中国の宦官制度を真似て出来た天皇の種を他に孕ませない理由から
だった。天皇の場合までは常に野戦に行くのに女性を連れて行く事は多々記録される。
だが武将の幕府が出来た頃から、それは不可能になっていた。子供を孕み生理のある女
性を連れて全国の戦場を駆け回れないからだ。当然それは男性だけの社会となり女性に
は見せられない性行為であったのだ。これが女人禁制の実態である。更に日本でも海外
でも熊や狼あるいは鷲や猿と言った危険で獰猛な動物は多くいた。これらの肉食野獣は
時に狂犬病を感染して人を襲って、村に壊滅的被害を持ち込んだ。これらは血の匂いに
よって村に近寄って来ている。日本人もウイグルなどの放牧民の様に動物を殺し魚を切
り刻んで食して来たことは明らかである。しかし、その生臭さは水のある場所で洗い流
し焼いて食す事で それらの害獣との境界を守っていた実態がある。女性の生理が不浄
としたのは、当然ながらその誘因する匂いにあった。つまり幼児さえも食べられる襲わ
れる危険の回避として、そうした理由をつけて隔離した空間を置いたのである。ちなみ
に、雑食性の健康なうんちの匂いがあれば 強い熊も狼も寄って来なかったと聞く。

118: 名無しさんAA:18/04/11 14:45

 そもそもこの日本はこうした安倍首相のような 欲張り老人ばかりだ。坂本龍馬は、
僅か26で国家を論じているのだ。今の世で60以上で議員とか市長町長などと言うの
は全く日本のろくでもない老化現象で 若者に席を譲り責任を持たせるという懐心の無
さが今の失態続きの明日のない日本の姿になっている。相撲もプロレスも政治もTVも
、ちょっと異常な姿ばかりである。そもそも現代社会は老人のゲートボール大会の様な
馬鹿なコミューン競争社会ではないはずだ。常に仕事しその道を究めて教育する。そし
てとりわけ景観教育には力を入れる。と言う姿でいいはずだ。それがないから山は荒れ
風による災害である 擦り(ずり)災害までもが起こるのである。



119: 名無しさんAA:18/04/11 18:07


国会の委員長は 議長が出来ないなら さっさと議員をやめろ。老いぼれが 首相が、
個人の会話を何故 日本政府として答えられないのか。ちがうだろう。国家間の問題で
はない。 加計学園単体の問題で 政府の問題ではない。勝手なすり替えだ。これでは
国会審議の意味がない。日本の国権の最高機関としての重みがない。何故安倍氏の恥を
国家の威信を落してまで矢面に建たなければならないのか。国家の恥以外何物でもない。




120: 名無しさんAA:18/04/11 18:08
日本はもっと やるべき討議はいっぱいある。


121: 名無しさんAA:18/04/11 23:49 ID:J/A
 今又新たな時代に世界が動き出そうとしている。もしこのまま日本が世界の潮流の中
の一員となりたいのであれば 東洋社会の日本文化を広める事は大事だが、今の漫画や
アニメなどは相当に腐ったストーリーでちゃちな事だ。それよりも最も大事な日本仏教
の大乗教の神髄や、日本神話を進めるべきであろう。せめて入口となる日本語の復旧な
どをグローバル企業に罰則のない法律として課するべきだ。特にODAやNPOなどで
学校教育においては一人の日本語の課外授業をするものを常駐させるぐらいは必要だろ
う。でなかったら、このまま一神教による対立社会のままの人口増加で日本の居場所な
どは無くなってしまう。せめて道徳や倫理のある多神教の社会を構築する気構えがなけ
れば、世界平和や核廃絶などは永遠に近づかない。やさしさや悲しさは誰もが持つもの
だが それを怒りのみに変えて敵愾心を煽るような一神教や共産党社会を平和裏に一掃
する事は大事な事だ。共存社会の構築はお互いの違いがある価値を認めた精神世界が、
ここに最も重要な要因になる。その種ぐらいは蒔く必要がある。




122: 名無しさんAA:18/04/13 00:10 ID:1BM
 老害安倍政権は はたして日本に必要か。もうそろそろ小泉進次郎は石破氏との連携
を考えて日本の未来を話し出すべきではないのか 防衛安保のロシア中国対策、経済の
仕組みのAI対策や仮想通貨、国会など経費と議員や官僚機構の税金徴収の無駄、景気
減速と人口増加 或いは年金や国内貧民の扶助 教育や移民対策 どれをとってもよく
分析していかなければもう間に合わない恐れがある。国際的急務は 中東アフリカとの
先進国のつながりだ。 今やシリアに米国出撃で下がる筈の原油価格が逆に上がってい
る。日本の円高も同じだ全く逆の意志がある。分析のない株価の値上がりと同じだ。サ
ッカー協会も又選手と監督が意思疎通だからといって違法な辞任をさせる事やレスリン
グや相撲の不純な興行師構造はやめさせるべきだ。こんなことを許したら警官が警官を
撃つのも自転車で幼児をひき逃げしたり老夫婦を殺害放火するのも あたりまえの世界
を作ってしまう。おかしい事はとことん整理すべきだ。まずは国会の正常化で言葉使い
で逃げた論戦を無くす事だ。おやじの様な馬鹿をやらない様な仕組みに変える事だ。



123: 名無しさんAA:18/04/13 10:39
 イギリスからの抗議  −−−1

 シリア内戦で、又化学薬品が使われた。一体何故だろうか。これまでも何回か行われ
その度にシリア政府は批判を受けた。まず最初はイラクに於いてクルド人が、化学弾に
よると思われる物が使われた。その後イラク内戦ではアルカイダと政府が一緒になり、
自由シリア軍が相対した時に使われた。この時も又、双方に非難があった。しかしこの
時は国連の査察が入り調査された。その時解った事はサウジの王子が大量に買った物の
一部がイスラエルを通じてトルコ経由で入って来た事が解っている。その時大部分は、
イエメンで使われたとされ、北朝鮮産の薬品で中国企業が作った取り扱いの難しい物で
あった為に、取り扱いを間違えて発射し自爆してしまったものだった。又近年では空爆
によってそうした化学弾が3回ほど騒がれた。この時はソ連軍によって持ち込まれて、
政府軍によって使われたとされ、国連安保理でのソ連側の拒否権発動で秘密裏の話合い
はソ連側が残りすべて管理し廃棄する。つまり今後使わない。と言う約束によって米国
は降りた。その後又使われた。その時も両首脳は化学兵器使用疑惑を含むシリア情勢の
全般に関して意見を交わしたが。ロシアはその時も疑惑について「でっち上げ」と主張
し、疑惑を基にアサド政権に攻撃を仕掛ければ「最も深刻な結果に至る」と米国などを
けん制し米国側は証拠があり我空母にレーダーの機影が映っている。として非難合戦は
1週間以上にも及んだ。トランプ政権になってそれは突然の威嚇によって終止符が打た
れた。つまり、その時はトランプ米政権は6日、内戦が続くシリアで、アサド政権軍の
支配下にある空軍基地に対し巡航ミサイルによる攻撃を行ったと表明した。シリアで、
今週、禁止されている化学兵器を使用したとみられる空爆で多数の死者が出たことを受
けた対抗措置として、米国防総省の報道官は、地中海東部に展開する米海軍の2隻の駆
逐艦から、59発の「トマホーク」ミサイルがシリア政府軍の空軍基地の航空機、防空
システム、燃料貯蔵庫などに向けて発射されたと述べた。しかしそ状況は、すぐさまに
ロシアの国営TVに映し出され59発ものトマホークは飛行場に撃たれたが、一か所の
ミグの戦闘機が格納庫にやられただけで、滑走路も管制塔も他の戦闘機も全く当たって
いなくわざとはずしたようです。とアナウンサーが言う状況が放映された。それは確か
に当たっていなかった。つまり被弾しないように赤外線誘導装置が各所に設置されてい
たのだ
 


124: 名無しさんAA:18/04/13 10:40
イギリスからの抗議  −−−2

 イギリス放送によれば、今回使われた化学兵器ノビチョクは、かつての始めてドイツ
軍が作ったとされる神経ガスの 正当な悪魔の遺伝子を受け継ぐ、大量殺りく兵器であ
る。しかし、このノビチョクに至っては、ロシアの国家機密の中で囲われ、その製造法
も製造器具さえも、他の国では作り得ない化学兵器なのである。これはロシアがどんな
に弁明しようがノビチョクと確定した時点で、ロシアの責任は免れない。それは例えば
核兵器がアメリカだけが持ってたとして、広島や長崎で放射能その他の事象をもっての
非難に「いや知らない。うちじゃない他の国だ。」と言ってる様なものだ。というのも
この猛毒性と特殊性は他には類を見ないものだからだ。ドイツが作ったとされる化学兵
器は殺虫剤や除草剤を作ろうとして偶然にも強力な毒素を持つこの物質が簡単に作れた
G剤とされる有機物は体内吸収が早くアセチルコリン酵素を阻害することで、人間の神
経の情報伝達を妨害し、筋肉を収縮させる性質を持ち攻撃を受けた人間は、激しいけい
れんを起こし、心不全や窒息状態に陥ってたちまち死に至った。今の日本の毒入り餃子
事件で入れられた殺鼠剤である。マスタードガスとホスゲンなどは第一次世界大戦で使
われて、広域に悲惨な被害をもたらした。この結果自軍に影響のない薬剤開発が急がれ
た。ドイツのG剤は進化しサリンやタブン、ソマンなど未知の薬剤が作られた。それに
対して、第2世代の神経剤「V剤」が英国で作られた。V剤の中で最も有名なのはおそ
らくVXだろう。ドイツで新型サリンよりも致死性が高いものとして進化が進みが「V
系X剤」が作られVXと呼ばれ、遥かに容易で毒性の強い物が作られて、第二次世界大
戦は終わりを遂げた。それらを分析進化させ2液反応とさせたのがオウムであり地下鉄
サリン事件が起こった。更にクリーム状としたのが北朝鮮でマレーシアの空港での金正
男暗殺に使われた。これらの研究はほぼどの国でも、殺虫剤製造できる国なら判別でき
るものだった。ところが、今回スクリパリ用いられた神経剤「ノビチョク」は旧ソビエ
ト連邦で大戦後に開発された兵器や暗殺用の専門の薬品である。これらは、以前の世代
のようにガスや液体ではなく、粉末状の状態で保存でき、持ち運びを可能にした特殊な
強力殺傷剤である。先に殺されたロシア人亡命スパイがポロニュウムの放射線障害で死
んだ様に、1980年代のソ連は海外技術の取り入れに必死に足跡のつかない猛毒性の
殺傷剤開発に取り組んでいた。いわゆる第3世代にあたる神経剤や放射能剤で、ゴマ粒
ほどの物で強力に死に至るものの開発・発明である。


125: 名無しさんAA:18/04/13 10:41
 イギリスからの抗議  −−−3

 こうした化学薬品開発には、ソ連崩壊後のロシアでも多くの実験施設が残った。有名
なオリンピックのドーピング事件で見るように、国際社会を欺く為に数々の進化させる
為に国家予算を投じてその開発は進められた。タッカーは1971年、ソビエト連邦共産党
中央委員会とソビエト連邦閣僚会儀によって「第4世代」化学兵器の研究を始める許可
が出されたと書いている。。西側諸国が公けで初めてノビチョクの存在を知ったのは、
亡命科学者ミルザヤノフが「ロシアが化学兵器禁止条約に署名した後の1993年にノビチ
ョク7の実験に成功した」と述べた事からだ。ノビチョクの開発は、@ NATOの標準的
な化学物質検出装置で検出できないこと。A NATOの化学防護を突破すること。 B安
全に取り扱えること。C化学兵器禁止条約により規制された前駆物質のリストを回避で
きる化学物質であること。を基準に開発に予算が付けられた。結果、「ノビチョク7」
までバージョンアップして、現代でも北大西洋条約機構軍からは微量で検知されにくく
、防護服でも歯が立たない程の猛毒性を持ち、さらには2剤を混合のバイナリー兵器な
ので、バラバラなら比較的安全に取り扱える兵器として完成していた。各個で使うと安
全ながらもその使用において混ぜると、きわめて高い殺傷性を持つものだ。ミルザヤノ
フの暴露は重大な反逆行為として、国家機密を漏洩した罪により1992年10月22日に逮捕
され、レフォルトヴォ刑務所に収監された。ノビチョク5でVXガスと比べておよそ5
倍から8倍程強力であるとされる。とノビチョク7は恐らくその発展系で毒素よりも、
確実な安全性とマルチな利用法の噴霧やガス或いは粉や液体といったものに特化させた
ものだろうとされる。特筆すべきは、これら薬剤は、砲弾、爆弾、ミサイル、噴霧装置
を含む様々な装置を介し、液体、エアロゾルまたはガスとして散布することができると
されることだ。A-232/ノビチョク5の前駆物質は、ソ連のカザフスタンのパヴロダルの
化学工場を生産拠点とした。化学兵器禁止条約署名で生産工場が解体されるまで作られ
、その後ノビチョクはソ連のウズベキスタン、ヌクスにある化学研究所で生産されてい
ると言う説があるミルザヤノフ氏の暴露は、彼が責任者であり、外国のスパイが生産の
痕跡を検出できないことを確認するため、化学兵器施設の外からの測定を行っていた。
しかしそれでも致死性物質が安全基準の80倍の量検出されたことで彼は恐れたとされ
環境破壊が著しいものだとして発表している。すなわち これだけの猛毒性は施設や、
その科学的所見や 設備や器具がなければ作れないものであったのである。

126: 名無しさんAA:18/04/16 19:35
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----30  ジャレド・ダイアモンドの視点

インタビューで、環境破壊による世界的な「文明崩壊」の危機に警鐘を鳴らしつつも、
「一度にたくさんの人びとが死亡し、人間の力ではコントロールできないと感じる災害
について、人びとはリスクを過大評価しがちだ」「日本を襲った震災については、確か
に大惨事だったが、社会や文明が突然の天災から受ける影響は総じて限定的である。」
とし、日本が早期に立ち直る可能性を示唆しているた。だが日本の問題は、震災での復
興や悲しみよりは、原発事故による、大きな経済負担と精神的ショックが日本の芯に残
っている事だ。危機的な状態だったが、一応は平常な社会に帰り少しはほっとして、前
向きな気持ちにはなれた国民ではあるが、その安全基準と安全行政には大いに問題があ
る。原子力安全規制委員会は「安全を認めて保証するものでなく、現行規制を通過した
ものである確認に過ぎない。」と自らその力の無さを示している。結局安全規制を創り
自らが原子力災害を止める。と言う固い意志はそこになく原発中止とは言わないまでも
今の便所のないマンション状態の打破や新技術提言は全く何もおこなっていない欺瞞の
ままの政府なのだ。これは野党政権時代にこの規制委員会の国家的位置とその権威や地
位確定を成し得なかった事による。ジャレド・ダイアモンド著書の『文明崩壊 滅亡と
存続の命運を分けるもの』の中で、明治以前の日本について「江戸時代の初期には人口
増と都市化で木材の需要が急増し、森林資源が破壊されかけたが、幕府が主導して森林
管理の政策を徹底したことや、人口のゼロ成長をほぼ達成したことにより、自給自足で
長期的に安定した社会を作り上げることができた。」と分析している。古代マヤ文明や
アンコール・ワットを築いたクメール帝国など、古今東西の文明・社会の多くは人口増
と森林の環境破壊によって滅びたが、江戸時代の日本は、人為的な努力によって、そう
した世界的潮流の環境崩壊を避けた数少ない例外の、稀有な例だと語っている。その為
こうした、近代文明に乗り遅れた中国やソ連のような 悲惨な社会が生まれなかった。
と推測している。多くの国々の文明の発祥地はエジプトやインダス、黄河や長江の文明
発祥地は、固有の文明を持ったが、今尚も、その緑の無いローマ帝国の様な堕落に独裁
を認める国家になっていたのである。


127: 名無しさんAA:18/04/16 19:47
 現代の日本が直面する急速な少子高齢化について、ダイアモンド博士は『昨日までの
世界 文明の源流と人類の未来』の中で博士は、先進国の高齢者を取り巻く 一般的な
状況について「高齢者がかつて社会に提供できていた価値の大半が失われ、健康なのに
哀れな老後を過ごす人が多くなった。」と率直に指摘している。地球温暖化や環境破壊
、資源の枯渇など、地球の現状や未来を悲観的に考える人が増えているが、今後百年後
の地球や人類の未来は今後の僅か10数年で未来が決まる。としている。「百年後の世
界の状況は、地球がいま直面している危機を、今後の数十年の内に克服できるかどうか
によって大きく変わってくると、私は考えています。」と言っている。「なぜかという
と、今私たちは、水産資源、エネルギー、森林など多くの点で、持続可能とは到底いえ
ない道を歩んでいるからです。これから数十年のうちには、私たち自身が望んだとおり
に問題を解決できるか、飢饉や戦争などで、私たちの決して望まなかった形で決着して
しまうか、いずれかの結末が訪れるはずです。次の数十年を生き延びることができれば
、100年後、私たちは明るい未来を迎えられるでしょう。100年後の地球の状態について
、いまあれこれ考えるのは意味のないことです。まず、次の数十年を生き延びることを
考えるべきです。」と提言しているのである。つまり既に多くのもの物質資源も水資源
海洋資源も食料も開発も、「到底、持続可能とは言えない道」を歩んでいる。と結論を
出している。人が滅びるか自然が滅びるか誰も解らない。しかし我々は知恵を持って、
進んで解決策を見つける可能性はある。と一縷の望みも見ているのだ。つまりそれは、
我々が、全自動自動車や巨大なマネー戦争や国の領土や権益戦争の様な 明らかな横道
をせずに、真面目に未開の地のインディオの暮らしのその理由を学ぶべきと示している
。古代から文字のなかった社会では高齢者は「生き字引」だったが、文字や映像が知識
を蓄積してくれる現代では、高齢者の記憶や知恵に頼る必要がなくなった。また、技術
の進化が遅かった時代には、高齢者の持つスキルに利用価値があったが、今や技術革新
の加速により、いまや高齢者のスキルはあっという間に時代遅れになってしまう。さら
に、健康状態が改善し寿命が伸びたことで高齢者の数が急増し、希少価値も減ってしま
った。としている。だが博士は「高齢者の相対的な地位低下は、相対価値が下がったの
みで価値が無くなった事ではない。」として、「政治と社会が適切に対応すれば、決し
て避けられないことではない」と明言した。「特に、日本の場合、政府と企業が協力し
て定年制度を撤廃し、意欲と能力のある高齢者が働ける環境を整えれば、少子化による
労働力の不足を補える上に、高齢者の地位向上にも役立つ」という主張をしているので
ある。

128: 名無しさんAA:18/04/16 19:47
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----32  ジャレド・ダイアモンドの視点

 加齢に伴い人の心身の状況は下降する。が、「管理や監督」「助言」「教育」「戦略
の立案、とりまとめ」など、若年者よりも高齢者の方が 優位なスキルも数多くある。
「私自身も10代の頃は人生の頂点は20代だと思ったが、実際に自分の人生が頂点に
達したのは 60代から70代のはじめにかけてだった。社会全体としてなすべきは、
高齢者が得意とし、かつ、やりたい仕事を高齢者に任せることだ」という。日本で進む
人口減少についても「現代文明は、今や深刻な環境問題に直面しており、近い将来には
食糧や資源の確保が難しくなる可能性が高い。そうした状況下では、人口増より人口減
の方がメリットが大きい」とする。博士のインタビューでは、「日本の経済力や創造力
の源は、人口の多さではなく、大半の国民が 高度の教育と訓練を受けていることだ。
資源に乏しく輸入に依存する国だからこそ、人口が減り、必要な食糧や資源が減るのは
強みになるはずだ。」と言っている。「日本人は人口減少を気にしすぎる。日本にとっ
て人口減はマイナス面よりもプラス面の方が大きい。」と明言し、「確かに日本は資源
が乏しく、天災が多い、小さな島国」という日本に対するイメージがある。しかし「現
代の日本が豊かで繁栄しているのは、日本に火山のあることが大きな理由」という持論
を展開している。博士によれば、火山は溶岩や火山灰を噴き出すことによって、カリウ
ム、ナトリウム、カルシウムなど、植物の成長に重要な栄養分を地表に届けて、土壌を
若返らせる。その結果、「火山が集まる日本、インドネシア、イタリアは、世界の他の
地よりも農地の生産性が高い。」というのである。つまり火山がある事で豊富な森林な
どの植物資源に恵まれている上に、さらに、雨によって土壌から流れ出た養分は、川を
通じて海にも注がれ、日本近海の豊富な海草や魚介類をも育んでいて、海洋資源にも恵
まれ、日本文化は奮弾にそれを利用し取り入れて、豊かな暮らしを実現させている。と
しているのである。「石油や石炭などの鉱物資源には乏しいが、動植物や森林、農作物
などの『生物資源』には極めて恵まれており、狭い土地でも数多くの人口を養える国」
というのが、ダイアモンド博士の日本観だったのである。事実近年は、稀に見る日本食
のブームであるが それらが日本で出来た特異な文化や食生活の辿り着いた過去の遺産
である事にはちがいない。更にそれが美味であり、健康食であり、簡単な調理法であっ
た事が世界に進んだ理由であろう。焼き魚や刺身などは魚と醤油があれば出来る物だ。


129: 名無しさんAA:18/04/16 19:48
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----33 ジャレド・ダイアモンドの視点

 日常を生きる私たちの意識は「いま、ここにある問題」だけに集中し、近視眼的なも
のになりがちだ。一方、ダイアモンド博士は数千年単位・数万年単位の人類史や文明史
、さらには数百万年単位の進化の歴史に立脚した視点を持つことで、まるで遠くを照ら
し出す灯台のように、私たちの進むべき道を指し示してくれる。だからこそ、私はダイ
アモンド博士に魅了され続けている。と解説される。温暖化が進めば、病気を媒介する
蚊などの生息域が現在の温帯地域にまで達し、欧米や日本の温暖な地域にマラリアなど
の熱帯感染症が広まるかもしれません。私たちは、そのことを心に留めておくべきです
。マラリアが広まった場合、欧米や日本の人々も、当然のことながらマラリアのことを
真剣に受け止めざるを得なくなります。「熱帯など特定の地域にふりかかっている問題
であって、私たちには関係ない。」などと、他人事として済ますことはできなくなるで
しょう。とも言っている。一口に感染症の流行を防ぐ対策といっても、インフルエンザ
とマラリアでは、事情がかなり異なっています。まず、インフルエンザについては、さ
まざまなウイルスに対するワクチンを開発できることがわかっています。ところが、こ
のマラリアについては、まだ誰もワクチンの開発に成功していません。これは、マラリ
ア原虫は進化が速く、変わり身の早い病原体だからです。もう一つの違いは、インフル
エンザによる犠牲者の発生や経済への影響が、マラリアに比べればとても小さいという
ことです。インフルエンザは毎年、欧米や日本などの温帯の国々で発生し、人々の注目
を集めますが、マラリアの脅威がこうした先進国に及ぶことはなく、忘れられがちです
(マラリアの流行している熱帯地域を訪れる場合は別ですが)。アフリカの感染症とい
うと、エイズやエボラ出血熱を思い浮かべる人もいるでしょう。なぜマラリアに注目し
たのかというと、まず、マラリアは世界中でエイズに次いで人間への影響が大きい感染
症だからです。また、エイズは人間の死因としては比較的新しく登場したもので、それ
まではマラリアが人間の生命を脅かす最もおそろしい病気でした。そして、マラリアは
、世界のどの大陸よりもアフリカを苦しめています。 もしこの病気がなかったら、ヨ
ーロッパ人はもっとたやすく熱帯アフリカを征服し、そこに定住することができたでし
ょう。マラリア原虫はアフリカ大陸にもともと存在していた土着の病原体で、ヨーロッ
パ人の行く手を阻んだ主な要因の一つとなりました。もっとも、マラリアがもし存在し
なかったとしたら、現在のアフリカはもっと人々が長生きできる、豊かな大陸として繁
栄していた可能性はあります。


130: 名無しさんAA:18/04/16 20:10
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----34 ジャレド・ダイアモンドの視点

 「アフリカに注目した理由はいくつかあります。一つは、貧しさの謎です。アフリカ
は現在、平均的にみて、世界で最も貧しい大陸です。思えば、これは実に不思議なこと
ではないでしょうか。アフリカで誕生した人類が、ほかの大陸にも住むようになったの
は、何百万年も後のことです。もし何事も出だしが肝心ということであれば、先にスタ
ートしたアフリカは最も裕福な大陸になっていてもおかしくないはずです。現代アフリ
カの貧困の背景には、この大陸が南北に長いために、農作物や家畜が伝播しにくいとい
う地理的要因が存在します。このことも、アフリカに目を向ける大きな理由となりまし
た。」と言っている。日本は豊かな国なので、子供が飢えるということは、あまりない
でしょう。でも、アフリカなどの貧しい国は、今でも多くの子供が餓死しています。そ
ういうニュースを見ると、豊かな国の人たちが手を差しのべなければならないなと思い
ますね。日本は、比較的そういったことに対して支援活動を行っている方だと思います
が、なかなか世界から飢えた子供を減らせないでいるので、課題はまだまだ多いといえ
ます。でも、本当に怖いのは、子供が飢えることよりも大人が飢えることだと語るのが
、作家の五木寛之さんです。五木さんは、著書の「大河の一滴」の中で、実際に飢えた
大人を見て恐怖を感じたそうです。五木さんは、終戦を朝鮮北部で迎えました。一時的
ではあったのですが、旧ソ連軍の軍政下で難民として過ごしたそうです。当時は、日本
が戦争に負けたことで、五木さんだけでなく多くの日本人が大陸から引き揚げてこなけ
ればならない状況にありました。当然、大陸に取り残された日本人の暮らしは極貧状態
です。何も口にしない日なんて、何度もあったはずです。だから、子供たちは飢えて痩
せていったことでしょう。飢えるのは、子供たちだけではありません。大人だって食べ
るものが何もないのです。そんな状況で、子供が食糧を手にするとどうなると思います
か。そう、飢えた大人たちが子供たちから食べ物を奪い取るのです。敗戦と引き揚げの
極限状態のなかで、子供たちにとって大人はおそろしい存在だった。子供たちに同情し
て朝鮮人や旧ソ連兵がくれた餅や、黒パンや、芋などを、大人たちにいきなり強い力で
うばい取られることがしばしばあったからだ。「飢えた大人ほど怖いものはない」と、
当時の子供たちは骨身にしみて思い知ったのである。アンパンマンのやなせたかしも又
同じ事を言っている。もし人に、餓死してでも子供を守る機能があるなら、平和だった
だろう。しかし人間は勝手なものだ。夢を忘れ食に満足をしなければ異常な体と脳が出
来あがるのである。今日の犯罪も又満たされぬ脳の仕業なのだ。と。そしてそれは全人
類の全部の脳が満たされなければならなかった。と

131: 名無しさんAA:18/04/30 04:15 ID:gyk
 北朝鮮の金氏と韓国の文氏が出会い、その光景をオープンに記者団にイベントとして
見せた。この事自体は何も気になる事ではない。だがこの二人の握手の後の両首脳が、
「朝鮮半島でもはや戦争はない」とした共同宣言に署名した後、抱擁を交わして全面的
信頼の様相を示した事だ。つい一年までの韓国を火の海にするとまで言及んだ関係とは
全く違って違和感だらけだ。共同宣言で両首脳は「韓国および北朝鮮は、完全なる非核
化を通じて、核のない朝鮮半島の実現という共通目標を確認した」と微妙な言い回しの
非核化宣言を発表している。さらに両国が、65年前に平和協定ではなく休戦協定という
形にとどまっていた朝鮮戦争の終結を、年内に目指す方針を示した。「朝鮮戦争の終戦
を宣言し、恒久的で強固な和平の体制の確立を視野に」、この朝鮮半島で戦った両国に
加え関わった米国、および可能であれば中国との4ヶ国会談を目指していくことも明ら
かにしている。その模索の中で朝鮮戦争で離散した家族の再会の場を設けるとも表明し
ている。光復節を契機に、南北両国が離散家族の再会事業を進めていくことで合意した
という。恐らく今回の会談はこの離散家族の再会事業が主眼であろう。しかし双方共に
今や尻に火がついている状態にある。白い目で見る韓国人が言う様に今回の会談の設定
は文氏が行った成果ではない。北の核開発とロケット開発に米国を始めとする国際社会
の危機感による経済制裁で経済封鎖されて居る為だ。が、この和平外交を批判する者は
皆無であろう。現に今まで一触即発の核戦争まで予想された中では、今回の和平ムード
は胸を撫でおろするものだ。此処に二つの思惑がある。北朝鮮はこのまま片意地貼って
シリアの様な空爆の街にしたくはない。更に平坦であっても金王朝政治の継続が続けれ
ばいいと言う判断だ。加えて斬首作戦などと言う事が行われなければいいのである。核
やロケットよりは国民の食料と自分の命なのだ。この点はアサド大統領とは違っている
。もう一方の文政権は更に大きく短かに自分の政権批判が出る恐れがある。かつて、同
大統領にとって政治の先輩である盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領に続き、韓国首脳と
して11年ぶりの訪朝となる。その前の金大中も訪朝し握手したもののその政権を降り
た以降は全く良い人生だったとはとても言えない状況なのだ。例え評価が無くとも犯罪
者との汚名で次の大統領の政敵にならない為の方策が必要なのだ。それに慮り金委員長
は、「過去の両国の合意が頓挫してきた不幸な歴史を繰り返さないよう最大に努力する
。」と、両国が緊密な連携を図っていくはからいを見せ、「道の半ばでは反発や困難、
失望もあるかもしれない。しかし勝利は苦痛なくしては達成されない」と述べたのだ。
また文大統領は今秋、平壌を訪問することも発表し、晩餐会では「自由な往来の未来が
築けるように」と乾杯している。

132: 名無しさんAA:18/04/30 04:16
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐2>

 しかし、事はそう簡単だろうか。まずこの声明には、一言もこれからの核開発を止め
てミサイルの開発を放棄するとは謳っていない。従来道理朝鮮半島の非核化を進めてい
く事を明言し署名したに過ぎない。つまり予想通りの展開で、この最強の和平ムードに
よって経済制裁にかかる敵対ムードが融和政策に変えたいと言う双方の願いが叶った事
だ。又、終戦を宣言すると言う事は、単に和平時の朝鮮に戻す事にはならない。何故な
ら戦前の朝鮮半島は統一国家だったからだ。この論理ならば国家の分断を放棄する。と
言う事になる。しかし事はそう簡単には行かない。となれば、金王朝の下の韓国議会を
開き中立地帯に皇帝宮を建設する。とでもなれば別だが、金王朝は朝鮮社会主義憲法の
第11条の「朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の指導の下にすべての活動を行う
」と規定されており、朝鮮労働党は国家行政機構より事実上の上位にあって、一党独裁
制の上にある。かつて建国当時は、金日成では、労働党独裁ではあっても多派閥を認め
他の集団と共にソ連軍の指揮下の共産党勢力であったものの自由主義思想があった。と
ころが、1953年には領袖の朴憲永を始めとして南労党派の主要な構成員が「アメリカの
スパイ」などの容疑をかけられて逮捕され、粛清されまた、1956年には宗派事件が起こ
り、ソ連派や金科奉らの延安派(中国派)が粛清され、他の党派は壊滅した。金日成の
ライバルの粛清と並行して国内に金日成に対する個人崇拝が強化し、1966年第2回に党
代表者会で自主路線を定式化してイデオロギー的にソビエト連邦・中華人民共和国から
自由であることを謳い、党組織の改組が行われ、党中央委員会委員長に代わって、中央
委員会党総書記が設置され、金日成が総書記に就任したのである。ここで並み居る党の
長老派閥の長であったのが国家の長と決めたのだった。その上ソ連や中国を介在した者
を認めない自主の党だと宣言したのだ。こうして1967年の第4期党中央委員会第15回総
会では唯一思想体系の確立が強調されて、北朝鮮独自の主体思想(チュチェ思想)を掲
げ、「首領は脳髄、党は神経、人民は細胞」という有機的国家論を唱えた。この間粛正
を続け、国内パルチザン派とも呼ばれた甲山派の領袖の朴金浮ェ反党・反革命分子とし
て批判を受けて抗議のため自殺を図るなどし、多くの構成員は粛清され壊滅していった
。こうして国外パルチザン派の満州派が党内の主導権を確立して、1930年代に金日成が
行った抗日パルチザン闘争のみが朝鮮革命運動で唯一正当な闘争であるとの思想統一に
変化しこの抗日戦線の金日成こそが、「革命規律」であると言う「革命伝統」で金日成
への「無限の忠誠心」が強要され、首領の指示を最後まで貫徹する事が国民に強要され
て国家組織になった。

133: 名無しさんAA:18/04/30 04:16
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐3>

こうして、金日成が固めた社会主義国の執権政党で、マルクス・レーニン主義を指導理
念を元に作られた国家だったのだが、しかし、国家運営には朝鮮戦争の負債が漂い、又
技術的進展も経済的発展もそこには起こらなかった。更に金日成の晩年には、金正日と
の2重系統の命令系統となり、確執が生まれようとしていた。つまり任せていた国家の
経営の中で国外対策に於いて違いが生まれていたのである。金正日は1983年の訪中から
帰国した際には、中華人民共和国の改革開放を「社会主義や共産主義を捨てた」「修正
主義」と国内では批判した。それに対して中国のケ小平は「なんて馬鹿な奴だ」「世間
知らずの小童」と唾棄した。これに焦った父・金日成は謝罪を約束してそれを拒む金正
日と口論にさえなっていた。生粋の共産主義者として金日成に仕えていたのである。こ
こで金正日は父親排除に乗り出した。金日成が又政治の表舞台に出ようとしたからであ
る。しかし国家予算は古くからの金日成の仲間によって守られ簡単に思う通りに行かな
かった。そこで目を付けたのは党預金である。党財政は労働党書記長によって細々と、
国内寄付金で賄われていた。従ってほとんどが監査や承認の必要の無い勝手な資金だっ
た。この事で党への上納金を課税した。当初は偽札や麻薬や銃砲などの裏世界への流通
によって拠出金を上納していた。それが金総統への直接賄賂であり、自分の地位向上で
あった。又金正日は旧来からの金日成の部下の人心掌握の為の贈り物として使われた。
高級洋酒からハイクラスのベンツ車やかの資金で作った家への居住権や家具などが密輸
入して贈られたのである。当初は、国家資金の半額にも満たなかったが、年間50億$
は変化せずデノミ開始に至っては、この裏資金の調達・管理を任されていたのが「労働
党39号室」という特別機関でが最上の経済機関に至っていた。元々は北朝鮮国内の金
・銀鉱山などの管理を独占や、水産物やマツタケの輸出などは行っていなかったが、資
源収入が無くなって手がけるようになった。こうして39号室の金庫番となって金正男
は各国を販売集金していた。金正日が死ぬ頃その金は3千億$相当あって金正恩(キム
・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の後ろ盾となった張成沢がその金庫番となっていた。
その張成沢を勝手に国家予算に組み込もうとした。しかし、かつて金正日が飢餓で国民
が飢えた時も食料を輸入しようなどしなかった様に、金正恩も又国民には冷たかった。
かつて70万人の国民が飢えで死んでも、私をまもる3千人がいれば良いと言ったとい
う。今の日本の有権者を抱えた自民党政治家と同じである。

134: 名無しさんAA:18/04/30 04:17
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐4>

 27日の首脳会談を扱った別の記事では、板門店宣言について「北南(南北)関係の
画期的な発展を成し遂げることで、共同繁栄と自主統一の未来を速める上で転換的な意
義を持つ新たな道標となる」と評価した。恐らくこのシンボリックなこの出来事は、文
氏の術中にはまった形で我々はいるのだろう。平昌オリンピックの北朝鮮の参加はこの
共同造反の第一歩であったはずだ。女子アイスホッケーの合同チームやわざわざ出迎え
の応援団のバスやホテルを用意した催し物は多大な出費であったはずだ。それよりも、
何よりも、あの国際的経済制裁下での万景峰号入港と給油をして国際批判をされなかっ
たのだ。もともと選挙出馬時からも制裁時に人道支援物資を送る宣言までした人間で、
北への視線も熱い人だった。国際社会の求めに反して核開発を続ける北朝鮮に対しても
、もっともっと厳しい制裁は出来ない事情がある。人道的見地の「世間体」である。専
門用語で「smart sanction(スマートサンクション)」といわれ「国連には、制裁をす
る権限があるが、相手国の国民生活を奪う権利はない。」と言うという西洋流の暗黙の
ルールである。」つまり政権は倒しても、北朝鮮の人々が餓死をしてしまう程の厳しい
経済制裁を加えることは出来ない。と言う規定だ。これまでも日本や米国や韓国などは
赤十字を通じて何回か人道支援を行っている。しかしながらこうした国では多くは軍事
政権の独裁者の意のままに配られてしまい本来の貧民層までは届かない。又それを利用
して国民生活に構わず外貨獲得に専念している。それは先の別会計の金氏の個人財布と
される革命資金に上納しなければならないからだ。一つは北朝鮮にある潤沢な鉱物資源
の輸出。燃料源として非常に良いとされる無煙炭やウラン鉱石の輸出だ。 二つ目は、
通常兵器の北朝鮮による輸出です。北朝鮮はリビアやコンゴ、スリランカなどに装甲車
などの通常兵器を輸出していた。これらは中国の共同制作の車で外側を米俵で覆われた
中に装甲車が摘発された事例もある程、隠れて世界中に鉱物や通常兵器を輸出すること
を行い、核・ミサイル開発の外貨を稼いでいたのである。これまでも、国連などが取り
入れてきた制裁で「禁止」されている。しかし、やっかいなことに国連加盟国の半分以
上は、この北朝鮮からの輸出入に対しても徹底した管理をしていなく、今も「抜け穴」
が至る所にあるのが実情だ。しかし、この所この政府予算と別の隠し口座の閉鎖されて
行き詰りが確認される。韓国政府で発覚した、北朝鮮の隠し口座の預け入れ金額は、マ
カオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)に預けられていた金正日総書記の統治資
金2500万ドル(約24億円)よりもはるかに多いことから、これらの口座を金融制裁対象
に含むことができれば、BDAよりも大きな制裁効果があるとみている。

135: 名無しさんAA:18/04/30 04:17
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐5>

 今日本では、防衛論議が盛んになり、集団的自衛権や、基本的生活権や平和的生存権
などの言葉がが、裁判や政治で現れ始めた。しかし、国際問題となれば、平和的共存権
の問題であろうと思われる。今回の南北朝鮮の会談ショーは、これまで陰険で悪態の国
とされる北朝鮮には、飢餓、暗殺、処刑とおぞましい行為の続出事件が多発し、君臨す
る若き将軍様の姿は、人々はならず者国家と呼び独裁者の代表ヒットラーと同じ印象や
面影を見ていた筈だった。だが今回の初めての公式な西側政府に登場した事で、一変し
たのである。是こそが文政権の特筆すべき能力であろう。ある意味五輪開催では韓国は
北朝鮮が反対しない事で成功とは言わないまでも失敗しないで済んだ。かつての反対し
た為に起こった大韓航空機爆破事件の様な危険で不参加になる五輪にはならなかった。
こうした借りとなり、或いは制裁違反で韓国は西側の一員かなどと蔑視されても北朝鮮
を引き入れ、それをそのままミサイル発射や核開発を止めて今日の南北首脳会談になっ
ている。図らずもかつて罵倒しあった緊張時にティラーソンが言った「ともかく会って
茶飲み話でもしようじゃないか。世間話でもいいから。」と言った事が現実に起こった
事だった。この笑顔の金正恩の顔の裏には、経済制裁によってあと一年は持たないとさ
れた秘密口座の問題がある事は間違いない。一昨年、2016年6月北朝鮮の朝鮮労働党の
秘密資金を管理していたヨーロッパの北朝鮮駐在員が、巨額の「秘密資金」を持ち逃げ
して姿を消したと報道された。「朝鮮労働党39号室大聖(テソン)指導局ヨーロッパ
支局の総責任者、キム・ミョンチョル氏(仮名)がヨーロッパのある国で、2人の息子
とともに6月に姿を消し、極秘裏に現地当局の保護を受けている。」としたニュースだ
。「キム氏が管理していた資金は、ユーロやポンド、ドルなどをすべて合わせて約4000
億ウォン (約360億円)に達するとみられており、すべて持ち出したと聞いている。」
と明らかにした。こうした北朝鮮駐在員の「脱北」ラッシュが続いている。中央日報は
「2016年に韓国に入国した北朝鮮の外交官は、テ・ヨンホ公使のほか、少なくとも6人
いると、政府幹部が語った」として「以前とは異なり、韓流などに触れ、家族とのより
良い暮らしを求める『移民型脱北』が増えている」と、統一省関係者の話を伝えた。こ
の統治資金を北朝鮮に送金しなければ圧力を本国から受ける立場で、本国に召還される
負担などを感じて亡命を申請していると思われると伝えている。つまり彼の個人の財布
が空に近い状態で切羽詰まっている状態なのだと推定されている。


136: 名無しさんAA:18/04/30 04:18
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐8>

問題は他国の平和的共存権の問題である。言い換えれば生存権はどこの国にもある。し
かし、中国の様な止まる事のない貪欲な大型搾取の現状や、米英の様な威圧する政治形
態、この北朝鮮の様な愚万な政治や韓国の様な愚衆の政治が果たして、今後の未来の人
類に信用できる社会を築けるのだろうか。残念ながらこの平和的共存共済社会を求める
とは限らない。そこに倫理や道徳規範が必要だからだ。これが国際社会の偽わざる混迷
の元なのだ。よく朝鮮半島の不幸は世界大戦の名残りの様に言われる。しかし現実は違
う。本来朝鮮半島は日韓併合で一つの国になった。それまで李氏朝鮮には地図も無く、
一部しか治めて居なかったし、済州島すら李氏朝鮮の物でなく、この頃は壱岐対馬の宗
氏や長崎氏の物となっていた。その理由は朝鮮時代には江華島と並ぶ流刑地の一つであ
って、主に政争で負けた王族や両班などの逃亡の流刑者の地だったからだ。日本統治の
決まった頃にはまだ朝鮮語は無かった。ロシア系中国系日本系ウイグル系の言語がそれ
ぞれに散在して使われて、統一言語も統一文字もなく産業も借財や国の観念もなかった
。それが日本統治時代に、古文から朝鮮文字を引き出して教育を興し、西洋以上の一大
産業地帯を築き国の形としたのだ。そして世界大戦敗戦時には、日本は引き渡し書状を
書き、降伏文書に調印した1945年9月2日以降、朝鮮では呂運亨らによって9月6日に朝鮮
人民共和国が宣言されていたのである。しかし、中国で活動をしていた革命テロ活動家
李承晩、、金九なども、アメリカの支援を受けて、大韓民国臨時政府を叫び、朝鮮の正
統な政府としての立場を主張したのだ。しかし連合国の、アメリカ及びソ連は朝鮮人に
よる自主的な政府樹立の動きを承認せず、共同統治を宣言し北緯38度線以北にソ連軍が
、以南にアメリカ軍が進駐し、共産主義体制、資本主義体制をそれぞれの支配地域で確
立していったのである。この時38度線以北(北朝鮮)で、ソ連軍政も、以前から存在し
た共産主義系の独立運動組職の抗日パルチザンを使い、主要な親日派人士を弾劾・粛清
していった。当時少数の勢力に過ぎなかったが、ソ連軍政はこの後金日成ゲリラをわざ
わざ連れて来て重用し、朝鮮国内派や中国派、満州派といった他の共産主義分派達を、
金日成率いる朝鮮共産党(後の朝鮮労働党)の下へ強制的に編入させて、金日成を首班
とする朝鮮民主主義人民共和国の樹立が宣布されて、社会主義政権が発足されたのだっ
た。


137: 名無しさんAA:18/04/30 04:19
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐9>

 当初は、アメリカ合衆国極東軍司令部(最高司令官マッカーサー)も南朝鮮に軍政を
布くこと宣言する。しかし、統治に当たった軍政庁は、朝鮮を効果的に統治する経験も
能力も有さなかったことから、朝鮮総督府に従事していた日本人や親日派の朝鮮人人士
をそのまま登用し、実質的に朝鮮総督府を継承していた。ところが革命分子の李承晩が
突然1946年1月、信託統治の反対声明書を発表し、主要人物の暗殺をしだした。 1946年
10月1日、大邱10月事件が起き、南朝鮮人230万人がアメリカ軍政に抗議して蜂起し,136
名の犠牲者がでた。李承晩などの南朝鮮単独の独立を強行する動きに対して、1948年3
月には独立運動家の自治防衛を担っていた金九らが、南朝鮮の単独総選挙反対声明を発
表する。このような政治的対立が生じ騒乱状態となり、ストライキや主要人物の暗殺が
相次いだ。1948年には大韓民国の独立を認めない済州島民や左派勢力などによる済州島
四・三事件が起き、反乱住民に鎮圧部隊を南朝鮮から送り込んで鎮圧を図った。この、
かつての正当な国民政府と革命分子と叛乱分子更にパルチザンと満州防衛から来た兵士
といくつもの主張する政府がまとまらなかったのである。もし米国がもっと日本人の事
を理解していたならこうはならなかっただろう。ところが安重根を初め李承晩などの、
近代中央集権国家に於いて李氏朝鮮が奴隷制度廃止に従い、多くの国民が解放されて、
かつての王族や両班や領主達の中には、領地や奴隷が取られて、日本を恨む事で海外で
も悪口を吹聴して生活を得ていたのである。具体的にも李承晩は対日スパイとして米軍
の下っ端の情報屋や日本悪玉説の宣伝活動を担った存在であった事が資料から出て居る
。つまり今の北朝鮮も韓国も全く正当な政権でもなく、時の民衆から支持を得た政権で
もなく今に存在しているのである。正統な呂運亨の臨時政権は暴力に訴える事も無く、
逃げる事もしなかった為知日派や親日家たちは次々と李承晩に殺され、およそ3万人は
粛正されて脳みそが食されたと言う。又北に逃げた多くの知識層も又金成日に糾弾され
て労働刑務所に送られた。こうして双方が武力統一を望みそれぞれにソ連と米国に後ろ
盾を求めていたのである。仁川に上陸しあアメリカ軍政は、朝鮮人民共和国の建国準備
委員会を否認。独立は失敗に終わり、1945年8月、建国準備委員会を立ち上げ、9月には
朝鮮人民共和国を結成されていたが1947年、ソウルからの移動中、白衣社の李弼炯ら5
人によって狙撃され、殺害された。既に朴憲永を代表に朝鮮共産党も、或いは湖南財閥
を中心に右派の「韓国民主党(韓民党)も、又組織諸派をまとめあげた朝鮮人民党も、
結成し存在していたのである。だがこの議会のここに金日成も李承晩もいないのである。

138: 名無しさんAA:18/04/30 04:20
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐10>

 この時本来の正式政府は正統な呂運亨の臨時政権であったし、例え米ソが認めないに
しても日韓併合して多くの国家や国際機関に認められた自治政府だったのである。この
全く国際規範に基づいた国や行政でも全く意に解さない無意味な行為を朝鮮人自身が、
米ソにさせたのである。それが李承晩の持つ白衣社集団だったのであったのだ。朝鮮人
の復古主義者や愛国主義者は朝鮮が独立したままを嫌うと言う少し違った人々だったの
である。朝鮮では伝統的に、一般庶民が日常生活で着る服は白一色であり、宮中など特
権階級を除いて、色物や柄物の衣服はほとんど着ない。つまり他の国にある染色技術な
どは全く普及してない世界だったのだ。そのため朝鮮民族は白衣民族とされ自らも伝統
衣装としていた。だが日本統治時代には色服が現れ推奨され流行し、洋服も普及した。
これらが気にいらなかった人達だった。又、朝鮮民族の特徴は、「道徳志向性」がよく
挙げられる。又朝鮮民族が「道徳志向的」であるというのは、朝鮮民族が道徳的である
ということではない。「道徳志向性」とは、相手が道徳的に劣ると主張しては非難し、
自分が相手より優位に立とうとする事である。とされる。朝鮮半島では、道徳性を巡っ
て争い続ける。北朝鮮で「将軍様」に大声で涙して競い合って別れを惜しむ兵士の姿と
同じである。つまり他人よりより多くに喜怒哀楽を告げねばならず、必要以上の儀礼の
ふりをしなければならない世界なのである。「理」の世界とは別に、「理」の世界から
は弾き飛ばされた「気」の世界がある。そこには道徳など無関係で、世界に比類のない
下品さがあって、白色主義も人に色や柄で批判されない事の方便であって不気味な批判
主義の社会構造を持つ思想だったのである。ニョッポギ(覗き見)イガンヂル(告げ口
)ウルァビョン(鬱火病)の世界である。そも李氏朝鮮は安東金氏が縁戚であり勢道政
治を行って権勢の中心だったはずだ。皇帝が幼い場合でも、垂簾聴政(すいれんちょう
せい)を行い宮中に女性を送って皇后・皇太后が代わって摂政政治を行っていたのだ。
実は、韓国の正統王朝の高宗と側室・厳妃との間に生まれた庶子・英親王李垠(イ・ウ
ン)は1907年に純宗として即位し同時に韓国最後の皇太子となっていた。幼くして日本
に連れてこられ、日本で教育を受けた。韓国併合と同時に日本の王公族である李王世子
に封じられていた。終戦時には、現在のグランドプリンスホテル赤坂別館に暮らしてい
て、帰国を望んだが韓国政府は特に李承晩は全くそれを許さなかったのである。


139: 名無しさんAA:18/04/30 04:20
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐11>
 又、米国軍事政権時も解っていたが、逆に封建社会や柵封国家を潰して自由主義の旗
手を自認する姿勢であり、最後の皇帝夫婦も敢えて朝鮮半島の権利を主張しなかった。
1917年に日本の陸軍士官学校を卒業(第29期)し、翌年日本の皇族梨本宮守正王の第一
王女である方子女王と結婚した。純宗が没した1926年には李王家を正式に継承している
。二人は東京・赤坂の邸宅(現在のグランドプリンスホテル赤坂別館)に暮らしたが、
李垠は日本の軍人として宇都宮連隊長などを経て終戦時には中将にまで昇進していた。
敗戦後、李垠夫妻は1947年に臣籍降下によって、伯爵がはく奪され日本国籍も離脱した
。しかし、李承晩政権時代には彼らの帰国を許さず、二人がようやく韓国に帰国できた
のは朴正煕大統領となった1963年のことであった。つまり既に、傀儡として今の日本の
様な象徴天皇制の国家元首として既に李皇太子がいたのである。にも関わらず、全く足
蹴にした形で2つの政権は中国政権の様に出来上がり、大手を振っているのである。こ
の朝鮮人や中国人のつけあがりが今の自由主義と出来ない政権の馬鹿さなのだ。この李
王には子孫がいたその子孫も日本の横浜で客死した。又この李王の末裔もまだ生きて居
らっしゃった。東京の私立中学校の教頭先生であるが、私は絶対に韓国には行かない。
と主張していた。今回の北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の行った
南北首脳会談は、国内の閉鎖経済の打破と共に自分財布のとりわけ銀行預金の引き出し
であるには違いない。ニョッポギ(覗き見)イガンヂル(告げ口)ウルァビョン(鬱火
病)の文化が「道徳志向性」と言う物というのは触れたが、これは俗に言う「御都合主
義」と言う物で日本人の多くもそうしてやって来た政策でもある。ただ、中国人や朝鮮
人とは違っていて、日本人には、その芯となる「相互共存」平和的共存主義を心から貫
いている事であったしその為に西洋化もいち早く行い、西洋列強との付き合い方の取り
組みも善く行い、その目的や効果も見抜いていた。それは戦前でも戦後でも歴史的にも
、嘘や塗り替えはせず真摯に向き合っている事である。従って独島は自国の領地だ。と
か日本人は南京大虐殺を行った。などと言う途方もない嘘はつかない。南京事件が無か
ったとは言わないが内情を知れば大虐殺がある筈はなく仲間や部下の死も厭わない策略
である事が解る。現実にあったとしても嘘は嘘であり真実ではない。それは、慰安婦が
朝鮮人達の貧困脱出の手段として自ら集団で志願している物を、日本軍の拉致強制と言
って難癖つけている事や、植民地奴隷化の反対する同盟国としての、学徒動員や徴用工
を日本政府や日本財閥の悪行の様に言う姿勢である。つまり今回の首脳の同意が結局は
国民救済ではなく、アメリカの様なATMとしての日本を見た行為であるなら がっか
りである。

140: 名無しさんAA:18/04/30 22:13
日本の岐路 37              <朝鮮難都至近‐‐‐‐12>

 今や米朝協議に日本は蚊帳の外だ。と安倍政権は批判される。だが私に言わせれば、
蚊帳の外万歳である。なまじっかアメリカの手先になったり、南北合意の間にたっては
苦しめられて双方に八方美人となっても、先に言った様に平和的共存主義の無い特定亜
国に近寄らないほうが国益にかなうのである。そもそも、ミサイル開発も核開発も一体
何のために行ってきたか。すべて国際社会に振り向いてもらうためである。本当に戦争
の為ならその開発は静かに行い成功させて今や韓国を乗っ取り米国と対峙してロシアの
支援を受けているだろう。つまり朝鮮半島がシリアの如くなって中国すらも戦禍に及ん
で居なければおかしいのである。今回もイスラエルやパレスチナ訪問には反対である。
ヨルダン国王には会うべきだろうが、PLOもアラファトを失いイスラエルもラビンを
暗殺するぐらいの大したことのない下らない国家なのだ。ただ単にキリストもイスラム
もユダヤも霊廟の丘として聖なる場所だが、この醜い領地争いに興じても全く恥として
いない。聖書は言う。ソドムとゴモラは神の雷(いかずち)によって滅びた。と。まあ
、それは兎も角。日本の場合朝鮮半島や中国大陸と関わりのなかった時代には、大きな
功績なり国が充実した大国化していた。それは太古の昔から同じだ。遣隋使や遣唐使が
300年続いたがこの平和な時代は朝鮮半島が日本に何もせがまなかったからだ。だが
その後元寇で散々な目にあったがその前後は常に沿岸地域は大陸からの海賊に見舞われ
た。それを終わらせたのが秀吉の朝鮮征伐だった。これによって絢爛豪華な桃山文化や
平和な江戸の庶民文化が花開いだ。開国した当時は、欧米列強の大きな圧力はあったが
同じ様に大陸でもあった為に、日本人の努力は報われた。その後日韓併合がおこるが、
それが日本を狂わした。つまり韓国人を教育する負担が大きく、本国日本の社会を大き
く損ねた上に、ロシアとの競争で満州国まで成立させねばならなくなっていたのである
。当時も今もロシアの工業生産量やGNPなどは、総じて西日本か日本の半額程度であ
った。対して日本が大陸に投資した金額は国家予算の倍額である。インフレによって、
海外製品は安くなったが、多くの山村の娘達の日本人は身売りをしてその窮地をしのい
だと言われる。その後も日清日露の戦争も第一次世界大戦も日本を強くはしたが、日本
の国民生活の特に一般の生活を変えたのは技術力だけで、食費や学費や物価には 何ら
生活苦を解くまでには至らなかった。つまり正しく中国大陸特に朝鮮半島に関わって、
日本はろくな事は無く、大きな痛手しかないのである。アメリカも馬鹿で米朝会談をす
るなら日本でする。と言えばそれで何でも解決するだろうに。金氏も隠れて何回も日本
には来ているのだ。まあ幼少の頃ではあるが。

141: 名無しさんAA:18/05/02 11:23
ピーターバラカンは何故干されたか

「こういうことになってしまったのは、ある意味、僕がね、執行委員としてコマーシャ
ルなことをやっていれば、こういうことにはたぶんならなかったんだろう。でもそれは
ね、たぶん、できない。だから、最初からね、そういうコマーシャルなものを求めてい
た「InterFM」が僕を起用すること自体が、ある意味 間違っていたかもしれませんね。
」と言っている。2012年9月から2014年6月まで「InterFM」の執行役員を務めていた バ
ラカンさんが、放送している最中に放送局を名指しして「間違っていた」と指摘するの
は、欧米では当然でも日本では非常に大胆な行為に見える。今年の初頭、この番組内で
「東京都知事選が終わるまでは、原発問題に触れないように2つの放送局から言われて
いる。」と発言したことは波紋を呼んだ。放送法でも日本国憲法でも定められた知る権
利の侵害が公然と行われ、パワハラの下で個人の意見を言う人権侵害まで行われていた
からだ。こうした非常識が放送業界で特に東京では常識として行われたのである。他局
で受けた規制について言及するのと、放送している自局に直接苦言を呈することは次元
が異なるとする意見があるが、自身の告発であろうが他人の批判であろうがそれが出来
る事が人間という自浄作用をもつ大人への登竜門であり、日本人は幼児化してそういう
事が出来る人は普通の人は非常に少ない。2012年、「InterFM 」がテレビ東京の傘下か
ら木下グループの子会社になった際には社長になって欲しいとのオファーまであったと
いう程人間性のある大人だった。執行役員を退任した後だとはいえ、局の顔を打ち切る
行為は唐突に過ぎる。実は、バラカンにはまったく一方通行ながら恩義を感じている。
ちょうど1年前、東京五輪が決まったその日、「福島の汚染水は完全にブロックされて
いる。」と、明白な嘘をついてまで五輪招致のプレゼンを行なったことに不可解さを呈
し首相の在り方の疑義をはさんだ原稿をウェブ上に公開すると、旬なネタということも
あってか、かなりのアクセス数となった。彼のメールボックスには「反日」「売国奴」
「死ね糞野郎」等々、ありとあらゆる罵詈雑言が殺到した。そんな折に「ラジオでは、
2020について発言するのをとりあえず我慢しています。が、リスナーの方からいただい
たこのリンクはシェアしましょう。」とFacebookに書き込んでくれたのがバラカンだっ
た。しかし、このタイミングを境に、届くメールの内容が真逆になったことに驚いてい
る。


142: 名無しさんAA:18/05/03 18:22
 日本の岐路 40  (影の人達-------2)

 日本の今の労働時間はどういう考え方なのだろか。かつてニューディール政策で鳴ら
したあのルーズベルトでさえ、最高週44時間 即ち8時間労働で5日間とし、4時間
の残業を最低の水準として適正労働法を決めたのだ。これは戦前の国際標準の話である
。最低賃金を決めたのもこの時である。1937年の春には、最悪の景気後退は終わったか
のように見えた時、失業率はまだ高いけれど、生産、利益、賃金は1929年の水準を回復
したが、国のPWA(公共事業局)とWPA(雇用促進局)の予算が大幅に削減され、失業率
が急上昇し、工業生産は33%減少し、賃金は35%低下を引き起こした。ルーズベルト不
況である。この時最低賃金を決め労働法を作り、これによって、こうして経済が持ち直
したのである。この時のニューディール政策は、セカンドニューディールと呼ばれて、
やっと近代的政策がなされ、この時に制定された法律と発足した機関が現代で機能して
不況をとめているのである。
WPA(雇用促進局)=米国最大の雇用主となり、何百万人もの技術の未熟な労働者に
           仕事を提供し、学校、病院、図書館、郵便局、住宅を建設
REA(農村電化事業団)=農村に電力を供給するために設立、米国農場の98%に電力
             を供給し過疎地のインフラ整備を行った
社会保障法 = 失業保険制度、国の年金基金、労働災害犠牲者のための給付を確立し
        株式運用を認め、退役軍人への即時給付などを可能にした。
全国労働関係法(通称:ワーグナー法)= 労働者が労働組合を組織する権利と、最低
        賃金、労働時間、を決め最低保証と 労働条件の交渉のための団体交
        渉権の保証し、労働闘争を可能にさせた。
公正労働基準法= ブラック企業を摘発し、破産させ 児童労働を廃止し、従業員の勤
         務時間を制限した。アルカポネすら不況時に救済に乗り出した為に
         従ったとされる。
この時こうした政策を提言したのは 夫人であるアナ・エレノア・ルーズベルトであっ
たとも言われる。共産党の芽吹く頃にアメリカ合衆国第32代大統領のフランクリン・
ルーズベルトの妻(ファーストレディ)は、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家で
リベラル派として高名であった。つまりあくまでもリベラル派(自由主義者)なのであ
って、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的をし、明確に一線を画していた。
 はたして日本の議員や議員夫人に こうした高尚な事が理解出来ているのだろうか。


143: 名無しさんAA:18/05/03 18:40
 日本の岐路 40  (影の人達-------3)

エレノア・ルーズベルトは10歳で孤児になり、内気で自信のない少女だった。彼女は一
家の習慣を引き継いで、社会奉仕に携わり、セツルメント・ハウスの教師を務めた後、
1905年に外向的ないとこのフランクリンと結婚した。2人の間には6人の子どもが生ま
れたが、1人は幼時に死亡した。1910年に夫がニューヨーク州議会上院議員に選出され
たことで、エレノアの政治的協力者としての人生が始まった。エレノア・ルーズベルト
の伝記作者の間では、彼女が1918年に、夫がエレノアの私設秘書と浮気をしていること
を発見した心的トラウマが、社会活動にのめり込む原因となったという見方もあるが、
一方、彼女の受けた教育と交友関係の広がりが社会活動のインスピレーションになった
という意見もある。1921年にフランクリン・ルーズベルトがポリオに罹ってから、エレ
ノアは彼の政治家としてのキャリアと彼女自身の社会正義の理想を推進するため、ます
ます熱心に政治に取り組むようになった。ルーズベルトが大統領に当選すると、エレノ
アは大恐慌に打ちのめされていた米国の各地を巡り訪問して回った。そして、詳しく各
地の実態を夫に報告するとともに、女性や少数民族の平等の権利、子どもの福祉、住宅
政策改革などをたゆまず提言し促進し続けた。彼女は大統領夫人として初めて、定期的
に記者会見を行い、各紙に配信されるコラム「My Day」を書き、ラジオ解説番組に出演
し、また講演旅行に出たり政治大会で演説をしたりもした。彼女はシンボリズムを非常
に有効に使った。例えば1939年に愛国婦人団体「DAR」(DAR-アメリカ革命の娘たち
)」が、アフリカ系米国人の歌手マリアン・アンダーソンが同団体のホールで公演する
ことを彼女の人種を理由に禁じたとき、エレノアはすぐさまDARを脱退し、代わりに
アンダーソンがリンカーン記念堂で歌うことを提案した。そのコンサートは7万5000人
の聴衆を集めた。などなど逸話は尽きない。ルーズベルトの大統領任期中に、ファース
ト・レディの役割を大きく変えた彼女は、権力を持たない者(少数民族、女性、貧しい
人々、弱い立場にある人々)に発言権を与えることによって、世界中の何百万もの人々
に強い希望と勇気を与えた。一方、人権、公民権、そして女性の権利に献身する彼女の
活動は賛否両論を呼んだ。ルーズベルトの死後、トルーマン大統領ですら、エレノアを
国連代表に任命した。彼女は、国連人権委員会の委員長を務め、世界人権宣言の草案作
成と採択に主導的な役割を果たした。ジョン・F・ケネディ大統領により「女性の地位
に関する大統領委員会」の委員長に任命され、1962年に死去するまでその任を務めた。

144: 名無しさんAA:18/05/03 19:36
 日本には「御蔭様で。」と言う言葉がある。日本独特のものだ。今や中国など新興市
場の急速な台頭と技術移転に伴い、日本の製造業は、大きなダメージを受けて尚、荒波
行く覚悟の中にある。しかし、この状況は明治維新から、戦前・戦後の姿と変わらない
。いやもっと前の太古の平安時代から全く変わらない姿かもしれない。平氏の時代にも
日本では鋳造する銅銭を金銀で買う行為すらしていたのだから。日本国憲法に改憲論議
がある。「戦争の出来る、普通の国にしたい。」この思いは現実主義からは、自衛隊の
中途半端な立場からも熱望する論理派は多い。さながら「日本国憲法の世界平和の夢。
」として70年間の核廃絶と無駄な経済浪費である戦争を否定してきた実績は、日本人
の誇りと経済成功の基いでもある。長時間かけて発展してきた日本の製造業は、これま
で積んできた製造体系と他国を超越する理念を持っている事で生き残っている。それは
製造業従事者に限らず、日本人として、高い国際社会的地位とともに、強い使命感を持
っていた証左でもある。同じ道を歩みながら腐れ切った韓国と素晴らしい台湾が違う様
に、日本には平和を愛してやまず、世界平和を祈願する心があり、ブータン王国やチベ
ットウイグルに尊敬して止まない心持ちがある。これらは中国人は全く理解不能であろ
う。彼らに言わせれば、「日本人は量より質を重んじており、細かい部分に非常にこだ
わる」とし、「日本の十数人規模の小工場が、わが国の数百人規模の大工場に比肩する
力を持つ。なぜなら、日本の企業は核心技術を有しているからだ。日本の企業は、例え
ばユニクロに衣服の生地を提供すると同時に、ボーイングに炭素繊維の複合材料を提供
することができるのだ。」と論じているぐらいに、唯物主義しか眼中になく、自らの持
つ、腐れた精神文化を問う事はしない。僅かに香港で雨傘運動が起こり台湾にひまわり
革命が起こっている程度で、中国発展時の、焼身自殺やチベット・ウイグルへの虐待に
も余り気にする事無く、ただ単に自分の給与や待遇においてのみ大規模なデモを行い、
その上に愛国無罪を主張する。聴けば、中国人にも「自分が従事している職業に対する
排斥感」があると聞く。中国の製造業は往々にして伝統は受け継いではいない。それは
文化大革命時代に、過去からの仏法伝統も、近代文明の西洋文化も捨てて、中国独自の
毛沢東崇拝によって作られた社会で、それに応じた商売で世代交代がうまくいかないの
だ。大部分の人が「日本は古き良きものをしっかりと守ってきたが、中国人はとにかく
新しもの好きであり、伝統的な工芸技術が歴史の大河の中に埋もれてしまっている」と
し、旧来の古風な漢民族の旧市街地は、今でも壊され続けている。現代において過去を
棄ててまで未来世界のポジションがあるとは全く思えない。又更に影で支えて来た個人
を罵倒し自然との調和共存した伝統の家屋すら棄てて一体何を望むと言うのだろうか。

145: 名無しさんAA:18/05/05 04:15 ID:LUE
麻生は馬鹿か。国家公務員と言う公職者の威嚇や強要と 被害を受けた一般市民の記者
では当然罪はある。公務員法でも違法であり偽証罪もある。更も公序良俗の違反もある
。 当然処罰の対象であり 刑事罰である。それが微罪で重なっているからセクハラな
のだ。


146: 名無しさんAA:18/05/06 15:04 ID:IEM
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----30  ジャレド・ダイアモンドの視点

インタビューで、環境破壊による世界的な「文明崩壊」の危機に警鐘を鳴らしつつも、
「一度にたくさんの人びとが死亡し、人間の力ではコントロールできないと感じる災害
について、人びとはリスクを過大評価しがちだ」「日本を襲った震災については、確か
に大惨事だったが、社会や文明が突然の天災から受ける影響は総じて限定的である。」
とし、日本が早期に立ち直る可能性を示唆しているた。だが日本の問題は、震災での復
興や悲しみよりは、原発事故による、大きな経済負担と精神的ショックが日本の芯に残
っている事だ。危機的な状態だったが、一応は平常な社会に帰り少しはほっとして、前
向きな気持ちにはなれた国民ではあるが、その安全基準と安全行政には大いに問題があ
る。原子力安全規制委員会は「安全を認めて保証するものでなく、現行規制を通過した
ものである確認に過ぎない。」と自らその力の無さを示している。結局安全規制を創り
自らが原子力災害を止める。と言う固い意志はそこになく原発中止とは言わないまでも
今の便所のないマンション状態の打破や新技術提言は全く何もおこなっていない欺瞞の
ままの政府なのだ。これは野党政権時代にこの規制委員会の国家的位置とその権威や地
位確定を成し得なかった事による。ジャレド・ダイアモンド著書の『文明崩壊 滅亡と
存続の命運を分けるもの』の中で、明治以前の日本について「江戸時代の初期には人口
増と都市化で木材の需要が急増し、森林資源が破壊されかけたが、幕府が主導して森林
管理の政策を徹底したことや、人口のゼロ成長をほぼ達成したことにより、自給自足で
長期的に安定した社会を作り上げることができた。」と分析している。古代マヤ文明や
アンコール・ワットを築いたクメール帝国など、古今東西の文明・社会の多くは人口増
と森林の環境破壊によって滅びたが、江戸時代の日本は、人為的な努力によって、そう
した世界的潮流の環境崩壊を避けた数少ない例外の、稀有な例だと語っている。その為
こうした、近代文明に乗り遅れた中国やソ連のような 悲惨な社会が生まれなかった。
と推測している。多くの国々の文明の発祥地はエジプトやインダス、黄河や長江の文明
発祥地は、固有の文明を持ったが、今尚も、その緑の無いローマ帝国の様な堕落に独裁
を認める国家になっていたのである。


147: 名無しさんAA:18/05/06 15:05
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----31  ジャレド・ダイアモンドの視点
 現代の日本が直面する急速な少子高齢化について、ダイアモンド博士は『昨日までの
世界 文明の源流と人類の未来』の中で博士は、先進国の高齢者を取り巻く 一般的な
状況について「高齢者がかつて社会に提供できていた価値の大半が失われ、健康なのに
哀れな老後を過ごす人が多くなった。」と率直に指摘している。地球温暖化や環境破壊
、資源の枯渇など、地球の現状や未来を悲観的に考える人が増えているが、今後百年後
の地球や人類の未来は今後の僅か10数年で未来が決まる。としている。「百年後の世
界の状況は、地球がいま直面している危機を、今後の数十年の内に克服できるかどうか
によって大きく変わってくると、私は考えています。」と言っている。「なぜかという
と、今私たちは、水産資源、エネルギー、森林など多くの点で、持続可能とは到底いえ
ない道を歩んでいるからです。これから数十年のうちには、私たち自身が望んだとおり
に問題を解決できるか、飢饉や戦争などで、私たちの決して望まなかった形で決着して
しまうか、いずれかの結末が訪れるはずです。次の数十年を生き延びることができれば
、100年後、私たちは明るい未来を迎えられるでしょう。100年後の地球の状態について
、いまあれこれ考えるのは意味のないことです。まず、次の数十年を生き延びることを
考えるべきです。」と提言しているのである。つまり既に多くのもの物質資源も水資源
海洋資源も食料も開発も、「到底、持続可能とは言えない道」を歩んでいる。と結論を
出している。人が滅びるか自然が滅びるか誰も解らない。しかし我々は知恵を持って、
進んで解決策を見つける可能性はある。と一縷の望みも見ているのだ。つまりそれは、
我々が、全自動自動車や巨大なマネー戦争や国の領土や権益戦争の様な 明らかな横道
をせずに、真面目に未開の地のインディオの暮らしのその理由を学ぶべきと示している
。古代から文字のなかった社会では高齢者は「生き字引」だったが、文字や映像が知識
を蓄積してくれる現代では、高齢者の記憶や知恵に頼る必要がなくなった。また、技術
の進化が遅かった時代には、高齢者の持つスキルに利用価値があったが、今や技術革新
の加速により、いまや高齢者のスキルはあっという間に時代遅れになってしまう。さら
に、健康状態が改善し寿命が伸びたことで高齢者の数が急増し、希少価値も減ってしま
った。としている。だが博士は「高齢者の相対的な地位低下は、相対価値が下がったの
みで価値が無くなった事ではない。」として、「政治と社会が適切に対応すれば、決し
て避けられないことではない」と明言した。「特に、日本の場合、政府と企業が協力し
て定年制度を撤廃し、意欲と能力のある高齢者が働ける環境を整えれば、少子化による
労働力の不足を補える上に、高齢者の地位向上にも役立つ」という主張をしているので
ある。

148: 名無しさんAA:18/05/06 15:05
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----32  ジャレド・ダイアモンドの視点

 加齢に伴い人の心身の状況は下降する。が、「管理や監督」「助言」「教育」「戦略
の立案、とりまとめ」など、若年者よりも高齢者の方が 優位なスキルも数多くある。
「私自身も10代の頃は人生の頂点は20代だと思ったが、実際に自分の人生が頂点に
達したのは 60代から70代のはじめにかけてだった。社会全体としてなすべきは、
高齢者が得意とし、かつ、やりたい仕事を高齢者に任せることだ」という。日本で進む
人口減少についても「現代文明は、今や深刻な環境問題に直面しており、近い将来には
食糧や資源の確保が難しくなる可能性が高い。そうした状況下では、人口増より人口減
の方がメリットが大きい」とする。博士のインタビューでは、「日本の経済力や創造力
の源は、人口の多さではなく、大半の国民が 高度の教育と訓練を受けていることだ。
資源に乏しく輸入に依存する国だからこそ、人口が減り、必要な食糧や資源が減るのは
強みになるはずだ。」と言っている。「日本人は人口減少を気にしすぎる。日本にとっ
て人口減はマイナス面よりもプラス面の方が大きい。」と明言し、「確かに日本は資源
が乏しく、天災が多い、小さな島国」という日本に対するイメージがある。しかし「現
代の日本が豊かで繁栄しているのは、日本に火山のあることが大きな理由」という持論
を展開している。博士によれば、火山は溶岩や火山灰を噴き出すことによって、カリウ
ム、ナトリウム、カルシウムなど、植物の成長に重要な栄養分を地表に届けて、土壌を
若返らせる。その結果、「火山が集まる日本、インドネシア、イタリアは、世界の他の
地よりも農地の生産性が高い。」というのである。つまり火山がある事で豊富な森林な
どの植物資源に恵まれている上に、さらに、雨によって土壌から流れ出た養分は、川を
通じて海にも注がれ、日本近海の豊富な海草や魚介類をも育んでいて、海洋資源にも恵
まれ、日本文化は奮弾にそれを利用し取り入れて、豊かな暮らしを実現させている。と
しているのである。「石油や石炭などの鉱物資源には乏しいが、動植物や森林、農作物
などの『生物資源』には極めて恵まれており、狭い土地でも数多くの人口を養える国」
というのが、ダイアモンド博士の日本観だったのである。事実近年は、稀に見る日本食
のブームであるが それらが日本で出来た特異な文化や食生活の辿り着いた過去の遺産
である事にはちがいない。更にそれが美味であり、健康食であり、簡単な調理法であっ
た事が世界に進んだ理由であろう。焼き魚や刺身などは魚と醤油があれば出来る物だ。


149: 名無しさんAA:18/05/06 15:05
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----33 ジャレド・ダイアモンドの視点

 日常を生きる私たちの意識は「いま、ここにある問題」だけに集中し、近視眼的なも
のになりがちだ。一方、ダイアモンド博士は数千年単位・数万年単位の人類史や文明史
、さらには数百万年単位の進化の歴史に立脚した視点を持つことで、まるで遠くを照ら
し出す灯台のように、私たちの進むべき道を指し示してくれる。だからこそ、私はダイ
アモンド博士に魅了され続けている。と解説される。温暖化が進めば、病気を媒介する
蚊などの生息域が現在の温帯地域にまで達し、欧米や日本の温暖な地域にマラリアなど
の熱帯感染症が広まるかもしれません。私たちは、そのことを心に留めておくべきです
。マラリアが広まった場合、欧米や日本の人々も、当然のことながらマラリアのことを
真剣に受け止めざるを得なくなります。「熱帯など特定の地域にふりかかっている問題
であって、私たちには関係ない。」などと、他人事として済ますことはできなくなるで
しょう。とも言っている。一口に感染症の流行を防ぐ対策といっても、インフルエンザ
とマラリアでは、事情がかなり異なっています。まず、インフルエンザについては、さ
まざまなウイルスに対するワクチンを開発できることがわかっています。ところが、こ
のマラリアについては、まだ誰もワクチンの開発に成功していません。これは、マラリ
ア原虫は進化が速く、変わり身の早い病原体だからです。もう一つの違いは、インフル
エンザによる犠牲者の発生や経済への影響が、マラリアに比べればとても小さいという
ことです。インフルエンザは毎年、欧米や日本などの温帯の国々で発生し、人々の注目
を集めますが、マラリアの脅威がこうした先進国に及ぶことはなく、忘れられがちです
(マラリアの流行している熱帯地域を訪れる場合は別ですが)。アフリカの感染症とい
うと、エイズやエボラ出血熱を思い浮かべる人もいるでしょう。なぜマラリアに注目し
たのかというと、まず、マラリアは世界中でエイズに次いで人間への影響が大きい感染
症だからです。また、エイズは人間の死因としては比較的新しく登場したもので、それ
まではマラリアが人間の生命を脅かす最もおそろしい病気でした。そして、マラリアは
、世界のどの大陸よりもアフリカを苦しめています。 もしこの病気がなかったら、ヨ
ーロッパ人はもっとたやすく熱帯アフリカを征服し、そこに定住することができたでし
ょう。マラリア原虫はアフリカ大陸にもともと存在していた土着の病原体で、ヨーロッ
パ人の行く手を阻んだ主な要因の一つとなりました。もっとも、マラリアがもし存在し
なかったとしたら、現在のアフリカはもっと人々が長生きできる、豊かな大陸として繁
栄していた可能性はあります。

150: 名無しさんAA:18/05/06 15:06
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----34 ジャレド・ダイアモンドの視点

 「アフリカに注目した理由はいくつかあります。一つは、貧しさの謎です。アフリカ
は現在、平均的にみて、世界で最も貧しい大陸です。思えば、これは実に不思議なこと
ではないでしょうか。アフリカで誕生した人類が、ほかの大陸にも住むようになったの
は、何百万年も後のことです。もし何事も出だしが肝心ということであれば、先にスタ
ートしたアフリカは最も裕福な大陸になっていてもおかしくないはずです。現代アフリ
カの貧困の背景には、この大陸が南北に長いために、農作物や家畜が伝播しにくいとい
う地理的要因が存在します。このことも、アフリカに目を向ける大きな理由となりまし
た。」と言っている。日本は豊かな国なので、子供が飢えるということは、あまりない
でしょう。でも、アフリカなどの貧しい国は、今でも多くの子供が餓死しています。そ
ういうニュースを見ると、豊かな国の人たちが手を差しのべなければならないなと思い
ますね。日本は、比較的そういったことに対して支援活動を行っている方だと思います
が、なかなか世界から飢えた子供を減らせないでいるので、課題はまだまだ多いといえ
ます。でも、本当に怖いのは、子供が飢えることよりも大人が飢えることだと語るのが
、作家の五木寛之さんです。五木さんは、著書の「大河の一滴」の中で、実際に飢えた
大人を見て恐怖を感じたそうです。五木さんは、終戦を朝鮮北部で迎えました。一時的
ではあったのですが、旧ソ連軍の軍政下で難民として過ごしたそうです。当時は、日本
が戦争に負けたことで、五木さんだけでなく多くの日本人が大陸から引き揚げてこなけ
ればならない状況にありました。当然、大陸に取り残された日本人の暮らしは極貧状態
です。何も口にしない日なんて、何度もあったはずです。だから、子供たちは飢えて痩
せていったことでしょう。飢えるのは、子供たちだけではありません。大人だって食べ
るものが何もないのです。そんな状況で、子供が食糧を手にするとどうなると思います
か。そう、飢えた大人たちが子供たちから食べ物を奪い取るのです。敗戦と引き揚げの
極限状態のなかで、子供たちにとって大人はおそろしい存在だった。子供たちに同情し
て朝鮮人や旧ソ連兵がくれた餅や、黒パンや、芋などを、大人たちにいきなり強い力で
うばい取られることがしばしばあったからだ。「飢えた大人ほど怖いものはない」と、
当時の子供たちは骨身にしみて思い知ったのである。アンパンマンのやなせたかしも又
同じ事を言っている。もし人に、餓死してでも子供を守る機能があるなら、平和だった
だろう。しかし人間は勝手なものだ。夢を忘れ食に満足をしなければ異常な体と脳が出
来あがるのである。今日の犯罪も又満たされぬ脳の仕業なのだ。と。そしてそれは全人
類の全部の脳が満たされなければならなかった。と

151: 名無しさんAA:18/05/06 15:06
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 1

 ところが私はちょっと違うと思っている。NHKもよく欲望の資本主義の中で西洋主
義で説かれるが、基本的にに人間性の欠落した視点であると思う。たとえば資本主義と
いうものがさも変形して最もいいものとして生まれた様に説明される。しかし資本主義
とは幻想の世界であり共産主義や社会主義が相対するするものでもなく、軍国主義や絶
対王政が封県社会と考えるのは現代人だからであって、本来絶対王政であろうが、自由
主義であろうが、拡張した威嚇と軍事力での隣国が脅かされるのなら、その隣国にとっ
ては、生存権や防衛権で戦うしかない。それは当然の事だ。その威嚇の中に人類愛やら
隣人愛がなければ平和的共存主義は成り立たない。現代に問われているのはそこである
。もともと西洋の議会政治の仕組みは国や王に対する要望のつてとして多数の議会同意
を取り付ける形だった。対してロシアやチベットなど過酷なところでは、戦乱そのもの
が双方の絶滅を意味する。特にシベリアやアラスカなどでの部族の統一した戦いなどが
あったとすれば双方の原住民は孤立無援のまま過酷な自然と対峙して絶滅する。そこで
アジア的にジャングルなどの密林やアマゾンなどでは、自然の恵みをそのままに逆にそ
の日暮らしでの狩りや木の実などの生活で欲張らないで定住しない身軽な生活が求めら
れて少数部族の集団での移動生活となった。恐らく今の中央アジアも又そうした状況の
伝統で遊牧民が生活していたのであろう。しかし、自然は過酷で波があり、突然に稲穂
や魚でのより良いところでの定住生活者が出て来て文明が起こった。恐らくそれは火の
民だった。浮稲や貝や魚は彼らに恵みを与え貯蔵する術を与えた。この発見は、今まで
見向きもしなかった、虫や草を食べて過ごす事を可能にした。そこには定住の村が起こ
り、木々のたき火が絶えままなく必要だった。当初は日干しのものだったが、加工や、
種として越年する事や栽培が飼育が可能になったのである。これはアフリカ諸国にとっ
ては厄介な問題だった。荷物が多い事や移住をしない事は災害にも猛獣にも弱くなった
のだ。そこで木の家から土壁の家煉瓦の家石の家と変化した。その時点で自然と離れた
営みは世代を超す毎に忘れられた。だが地球的規模の災害はいとも簡単に人に襲いかか
る。もちろんその人達には罪はない。例えば糞尿を薪にして、獲れた魚や食べられる草
や鶏や牛で水さえも大事に使い地産地消でその村で全て閉じた社会が存在していた。と
ころが愚かにも、中国やアフリカ、或いは北アメリカの様な広大な土地のその中には、
いまだ遊牧する民がいて、猛獣もいた。つまり大きくなった集団は守る為に王や呪術師
の存在は、相談者指導者として欠かせなかったのである。これが文明の偽りだった。

152: 名無しさんAA:18/05/06 15:07
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 2

 つまり共産主義も社会主義も或いは自由主義も資本主義も言わば意味のない「幻想宗
教」に過ぎない。人の何かにすがろうとする弱さに付け込んだ尤もらしい分類や選別の
中で生まれたものだ。現実は生きるとか食うとか占有すると言う行為に理由を付けたに
すぎない。何故なら結果的には、人がちゃんとした分別をし知識を持ち言葉を話して、
智慧を持って生活できれば、何らその集団には選別の必要がないからだ。だがこの教育
が人類は出来えないでいる。それは環境の変化と知識の変化が激しく世代間落差による
ものからだ。このギャップに悪魔がささやく。「もっともっと。もっといい方法がある
。と。よく産業革命で人々は搾取され労働が酷使されたが、結局は利益を得たのは安い
安価な衣料を得た市民である。などとおかしな経済論を振りかざす人がいる。だがそれ
は全く違う。まず安価な安い布は結局は今まで技能や智慧を重ねて来た家系の人を無能
にした。更に経営者に高額の機械設備の投資を促し、販売を広域にし利益を減らし人々
は例えば今の登録機能付きの携帯電話で現代人が電話番号を覚えない様に人を白雉化さ
せて自然の摂理と離したのだ。それは、今の農業が化学薬品と機械栽培と一律化生産を
して巨大化した品の良い農奴化したのと同じ様なものだ。消費者の贅沢を促し労働者の
質や人間性を落としたのだ。では何故そうした事を起こしたのか。それが王侯の欲であ
ったのだ。こうしてどんどんと過酷になる競争に市民たちは対抗した議会を作ったのが
西洋社会だったのである。ところがロシアや中国などは、その広さ故にその対抗はその
まま種族の闘争であった。基本的に放牧民や狩猟民を定住化させる力も余裕もなかった
のである。又過酷な生活の上では圧政による管理しかなく、より以上の高い技術は出な
かったのだ。ところが日本や東南アジアやインドなどは又違った統制をした。アフリカ
と同じく信仰による統制だ。他の地域もそうした事が無かった訳ではない。しかし神は
人が作った物だ。傲慢な人間は傲慢な神と同化した。ISILの神が同じイスラム教で
戦え聖戦士どもと変化させた様に勝手な解釈を付け加えた。しかし東洋社会はそうした
自我を許さなかった。物事の真実と心理は外にはない。自分の意識の中にあるとした。
この教えの違いが、一神教と多神教の違いだ。唯一神は絶対神だが、多神教は大乗仏教
の様に全体の問題をとらえて、都合のよい神を選ぶ事ができたのだ。それが分化社会を
認める事につながったのである。


153: 名無しさんAA:18/05/06 15:07
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 3

 西洋文化史はこうして都合のよい解釈で歴史を見た。特に経済史の中で産業革命での
富の蓄積や文化の進化を公然と謳われる。例えば人の人口増加が産業革命で起こった様
に言うそして資本主義が誕生したかの様に誤解されている。しかし、それは現実とは違
う。ユグノー教団が出来た時既に人口増加と病気の蔓延があった。ユグノー技術者集団
が職能集団として力を付けてプロテスタントを産んだ。新たな宗教の発生である。元々
は多神教であったギリシャ文明の多様化が復活したのだ。こうしてエホバしかなかった
神がイエスやマリアを神として許したのである。ユダヤの行っていたユダヤ以外からの
利子を設けて良いと言う教えは、キリスト内でも旧約聖書上公然と行われていた。同じ
教徒では出来ない利子を他の集団には行い日本の幕府の様に裏で教会は利益を受けてい
たのである。逆にこれが禁止になったのだ。そこで日本の様に平等な金利を宣言したに
過ぎない。つまり他民族や他教団でも王の下で平等にしたのである。これが投資になっ
た。よく不確定要素とリスクは違うと言われる。だがそれも尤もらしい嘘である。この
リスクは勝手に計算された大まかな概念であり分類である。基本的にどれを取っても、
不確定要素であり、事細かに決定する事は出来ない。人が二百年も生きられない。だが
かと言っていつ死ぬかは決定されない。つまり本来は同じなのだ。この時王の相談役が
呪術師から司祭や法王に変わった。今まで王が「戦いの未来を当てよ。言わねば首を取
る。」と宣言され呪術師は一生懸命自らの知恵を絞って答えていた。うやむやでも戦に
負けても自分の命が危なかったからだ。だが聖職者になって集団化すると「情報」と言
う事によって政治的な提言が出来た。金融も又沢山の資産保有が可能な経済に変わった
。そこで人を詐欺る為の工夫が必要だった。それが数学であり科学であり経済であった
。そこに資本論や国富論が登場するのである。元々同じ信徒では利子はもめ事の元であ
り取れなかったのが信徒が増え征服すると利子や利潤がなくなると言う矛盾に落ちたの
である。ところが東洋では違った。もともと利子と言う意識もなく経済と言う意識も全
く育たなかった。特に日本では、道すがらの他人でも助け弱者救済は常識であり、物の
交換は通貨価値ではなく生存価値すなわち生きて居てもらう為の布施の行為だった。そ
の為事を興し資金が必要なら自らが利子を決めた。日々6部即ち一般的に0、06%の
月5分、年利2割が通常だったが、持ち出しの講制度は結局は借りる側の自由入札制度
だった。これが高金利になったのは江戸になってからだ。米と青空は江戸の華とされ、
食べるものは比較的安く、物は貸し借りが出来る質入れ屋がいたのである。それは何故
か。実は糞尿が高かったからだ。

154: 名無しさんAA:18/05/06 15:08
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 4
 人々は何を求めたか。それは今の物の有り余る世界や強欲な者が闊歩する社会ではな
い。日本でも西洋でも人々は抑圧からの解放である。只西洋社会が現生界に求め日本は
精神界にそれを求めたのである。よく見世物小屋で使われたのが、親の恨みが子に移り
と言う言い方をして人を諭した。つまり今のお前の非道は、子ではない孫に現れるのだ
。と。それは言いがかりのようだがそうではない。まず現代科学は胎教の勧めを説く。
即ち、産まれてくる子供の子供の性格や体質が思った以上に親の腹の中から20才まで
の環境に左右される事が解っている。特に4歳までの深層記憶はその後子供の人生を変
える。一方その子供を幸せに出来るのは親の環境を整えるのは、その親の持つ知識であ
りそれが正しい事にできたか祖父や祖母のふるまいにかかっている。つまりは世間知ら
ずの固い親や甘い親では孫に殺される環境まで作ってしまうのだ。よく先天性の難病児
に親が苦心するが、それはその親の親が危険性の高い有毒な物や 常識的行動に注意が
おろそかなる環境を作って育てた事にある。カネミ油症事件でもチッソの有機水銀でも
、結局は子を産んだ親ではなく その工場を良く知らなかったその親達祖父たちに問題
がある。それは戦争でも同じ事が言える。日本では今や団塊世代は多くの悪行を起こし
た。それは戦争をおこした親達の責任で、今の子供の少子化やゲーム世代の凶悪な思想
は、学生運動を起こした世代を教育出来なかったからだ。そして今自民党の債権政治は
結局は自国民の未来を奪い、機械や金によって奴隷化した国民を増やすことになる。そ
れが経済の仕組みだ。バブルの高度成長は戦前の明治の日本人が、精神論によって西洋
化の波に上手く智慧を絞って来ていたからに過ぎない。ルックイーストと見習いされる
程の人種を作った文化を作り上げた事による。つまり今の我々の所業は未来から審判さ
れるのである。どんなに泣きわめいても呪っても戻らない時間には仕方がないのだ。こ
の現実に日本人は 呪う事よりは祈祷して悪行を払う事をきめたのである。戦時中に、
「散って花実が咲くものか。」と言ったのは戦前まで「死んで花実を咲かせましょう」
と言うのが常識だったからだ。つまり「家柄」と言う物を一本の幹に例え、根を先祖、
花を自分、実を孫としたのである。そして「散る桜、残る桜も 散る桜」と言う言葉は
世界の潮流を季節に見立てて 日本の興亡この一戦にあり。と言う決意をすべての国民
が意識に持っていたからだ。実情はどうであれ、時の日本政府の置かれた状況は、窮鼠
猫を噛む状態だった事は国民だれもが知っていたと言える。だからこそ、真面目に万歳
クリフの、自殺行為が行われたのだ。所ジョージの様な 今が大事と言う言葉は東洋的
には馬鹿の思想というのが常識であり、又だからこそ今の苦境があり地獄の様態がある
のである。

155: 名無しさんAA:18/05/06 15:09
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 5

 この「今が大事、今日が大事」と言う悪魔的西洋思想は、敗戦しての日本人の心に深
く取り入ってしまった。本来日本語的には「未来の為に、今が大事」と言う古代人の中
の思想だったが、明日はない。と言う兵士思想が中国や朝鮮社会をを進歩の無い社会に
して日本より遥かに遅れた文化と羨しさや恨みや独裁者を作り、人類を脅かす野蛮な存
在にしている事は歴史的に充分すぎるほど証明出来ている。俗悪魔物の人類の思いあが
ったこの思想は温暖化でも気候変動でも各種汚染問題でもマイクロプラスチックでも、
絶滅種やアマゾン開拓でも戦争問題でも核問題でも、どこにでも顔を出している。この
野蛮脳とされる文化に対して、文化脳とされる人間的ものつまり共和生存権の文化はそ
の行為は止められない。それはネズミの集団自殺を止められない事と同じだ。本能的に
人は食欲や性欲や攻撃欲が備わりそれが脳を喜ばせるからだ。それが生体生存主体行動
として虫から恐竜まで備わっている。人間が持った知見はそれを自分自身が教育する事
を教える行為の発展的経過でしかない。つまり生命の危険である痛さとか醜さや恐怖を
得て学んだだけで、その本質は生命の営みに過ぎないからだ。この矛盾は何処の社会で
もどの世界でも見える。しかし、西洋はこれを最適なバランスで考えようとする。しか
し東洋では一切を悪行として認めて始まろうとしている。最小生活や省資源化は東洋的
思想からの実体化である。しかし西洋では今でもどこかに欲望を満たす物を探すのであ
る。経済実態でのルール変更はそこにある。つまり西洋社会は何百年も前から不労所得
の金満家の傲慢さに、革命や戦争を起こして世界を悲惨にさせても、決して資本家は、
その欲望や財力を捨てる事は無かったしこれからも永遠にないのである。一神教に学習
能力がない事と同じに他を攻撃する事を止めないのだ。対して日本はいつも敗者である
。そして神風に助けられて生き延びて来たのである。もともと持ちなれない金や財力は
持たない主義なのだ。もとより資本を集める気になったのは戦後である。更に国富論的
経済は江戸幕府が開港してからである。その前までは天災や飢饉の為の備えしか頭には
なく、たまたまその備えが国難を救って明治に成功し、その成功精神が敗戦後の復興ま
でも後押ししただけである。つまり偶然にも恵まれた環境にあっただけだ。それでも、
勝ち続づける西洋社会も常に東洋経済を見習う事しかできない。それはキリストの愛を
つまり神からの愛を聖書からは引き出せない。東洋世界の人間の中からしか感じられな
いからだ。その意味ではユグノー資本主義は精神資本主義で今の投機と投資の違いであ
る。全てが投資家であり生活の技術者である事を強要する資本主義である。


156: 名無しさんAA:18/05/06 15:09
 よく中国社会を見て 独裁社会や共産主義がすっぽり見せかけの資本主義を飲み込ん
だとか、自由主義の中に共産主義は社会は作れるが、共産主義の中に民主主義は作れな
い。とかいう。しかしそれは二項対立としか見ない西洋的見方であって、システムは、
それ自体に何ら主義主張はない。規格化した管理社会かあるいは、自由な放漫社会かで
ありそのどちらでも拡大化を求めてやまない事に、博打経済を取り入れているに過ぎな
い。つまり賭博場でカードゲームをしているのかルーレットゲームをしてるかの違いで
しかない。大きな問題はそこにゲーム上で掛け金を振り込んでいる場所だと気づいて、
立ち去るか熱狂し後世の子孫の資本まで使うのかどうかである。トランプ政権は現代が
産んだ異物である。人気投票で得た権力者である。一方プーチンは古来通りの運のいい
努力した独裁者であろう。一方日本の天皇は恐らく最も古く続いた世襲統治者である。
日本は形の上は民主主義とされロシアは社会主義とされる。しかし資本主義と言う賭博
経済の中で、一応は貿易立国になっているに過ぎない。一応は国際社会の一員として、
現代社会の一翼を担っているが、そもそも担いたくないのが真情である。最も高い平和
主義観念の民族性からして西洋列強に追随するのは恐らく好きでも嫌いでもなく国家の
存続だけの欲望からだ。ロシアの様な拡大希望も米国の様な支配欲求もEUの様な絡み
あう民族問題もあまりない。日本人と言うのは、「昔の暮らしが良かった。」と常に思
って居た様に思う。時間は遡れないが明治時代は江戸時代を平成時代は昭和の時代を、
心のどこかに「昔は良かった。」と思ってると思う。と言うのは豊かな自然の中で文化
的暮らしが出来ていた適応した民族性があり、さかのぼる程に子供が大事にされていた
からだ。言わば南米の様な文化だった。南米社会はスペインの一番野蛮な時期の上陸地
で世界で一番悲惨であろう。そもそもアフリカの様に早くからの人の営みはない。個人
としては今の文明社会が発展した社会とは決して思わない。未だ戦争し殺戮を繰り返し
地獄の様な難民を作りながら乞食のような救済貧困社会や格差社会を作り人口増加に対
するのに中国の様な強制堕胎まで行う社会が何故に発展進化した社会だろうか。ジャレ
ド・ダイヤモンド博士の言うアフリカ社会が発展していない。と言うのは西洋人の傲慢
である。確かに昔6人産んで1人しか成人式が出来ない事が現代医学で4人以上が今や
育つ社会になった。と言う。しかしそれは西洋人が勝手に決めた理屈で、アフリカ人と
ひとくくりに言う事や一部の資料で全体を言い表す事は出来ない。更に黒人社会が西洋
に負けたとはいえ、繁栄していなかったのでなく、既に女性にも男性にも結婚しないで
いる自由があった。今でこそイスラム文化圏に属するが、果たして密林も海もあって、
豊かで満足に暮らせば、人口はもともと減る傾向にあるのは今の現在の先進国も同じ傾
向ではないのか。と思う。

157: 名無しさんAA:18/05/06 15:10
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 7

 チューリップ景気でバブルに踊ったのは庶民ではない。既にそういったブルジョアの
金満啓蒙主義で投資家になった王侯諸族であった。これはユグノー資本での潤った産業
でもたらせられた財産を市民に返さなかったからに他ならない。つまり守銭奴が更に又
儲けようとしたに過ぎない。当初トルコから持ち込まれた花はただ単に飾られるだげの
もの珍しい花に過ぎなかった。しかし王侯貴族はこの高価な花をステータスとして買い
求め、遂にはバブルを作った。元々西欧主義には明日はない。突然未知の世界に鉄砲を
持って乗り入れ、自然環境を破壊し原住民を虐げながら、それで苦しむ人々を救済と称
して利用し消費文明に取り込んでは、更に苦境を与えたのがエジプト文明以来延々と続
けてきた、ローマ帝国の完成させたキリスト教の歴史だっただけの事だ。元々この教職
者達に、どこに生産性があっただろうか。働いて生産に従事した者や下層民は南米のイ
ンディオと同じに、征服され奴隷とした人々だった。だがそうした思想は日本にはない
。勿論仏教でもそうした宗教家の人達はいた。だが例えば士農工商でもその宗教者は、
全く入っていない。この言葉には入っていないが一般的にに宮公士農工商民奴卑とされ
た。宮とは宮中つまり朝廷であるし天皇家である。公家はその差配する人々である。い
わゆる御公家と呼ばれ幕府外としたのだ。そして奴とは奴隷の事でこれが神主や仏師と
している。卑とは卑民とされ犯罪者で一応は民なのだ。何故奴隷なのか。実は神や仏の
下に手足をもがれている状態と見ていたのだ。民とは楽団でありサンカの狩猟の民や土
民の事だ。信長時代から乞食坊主や物乞い神職としか見て居なかったのが山法師である
。そもそも当時の奴隷の意味は、今の奴隷の意味と少し違う。賤民(せんみん)として、
通常の民衆よりも下位に置かれた身分またはその者を指す物や言葉で、穢多・奴他・非
人と言うのは幕府の関知出来ない物を示しただけである。アイヌや漂着民がいたのだ。
これが奴隷船貿易の奴隷が外国船船長の管理下である事から、今の奴隷とした言葉とな
ったのだ。そもそも「隷」とは従属した飾りを示していて、今の奴隷と言う意味では、
土師(はじ:官使)が連れて行くと言う生口(なまとう:贈り物)名称の方がふさわし
いのである。少し語弊があるが所謂捕まって捕虜となった「生首」と同じ意味が少しあ
る。それは悪党が「強い者」と言う意味と同じで現代人には少しわからない言葉なのだ
。歴史は兎も角チューリップ景気はそれ以降、バブルははじけ投機と投資は人々を狂わ
せる歴史を綿々と続けて西洋社会は拡大していくのである。


158: 名無しさんAA:18/05/06 15:10
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 8

1%の富裕層が50%の資産を握る。7%の人間が95%の金融資本を握る。それでも
人は、資本主義体制は、民主主義と言い通す。トマス・セドラチェク (チェコの経済
学者)は言う。「そう自由とは、かつて『物からの自由』を意味していた。今や自由と
いえば『消費する自由』だからね。消費できるほど自由を感じる。消費できないと自由
じゃないと思ってしまう。だから人は毎日働かないといけない。まるで映画『マトリッ
クス』の世界。要らないものを買うために、仕度もない仕事をする。エデンの園の呪い
だね。…もう消費の大聖堂だね。(僕は)いつもリュックひとつで旅をするんだ。僧侶
みたいだろ。手で持てる以上の物は僕はいらない。『CUBE』っていう映画を知ってるか
い。『CUBE』はカフカの不条理劇にも通じるんだが、気がつくと四角い空間に閉じ込め
られていて…物語の終盤、実は自分たちが『CUBE』を作っていたことに気がつくことに
なる。専門化した社会では、自分のしていることが分からなくなる。フランスの哲学者
ラカンはこう言った。『分かっているけど 止められない』 私たちの問題は分かって
さえもいないことだ。どんなに働いても(人の)欲望を満たすだけのものは作れない。
」「共産主義だった国から来た身としては、共産主義政権を捨てて資本主義をインスト
ールしていた頃、民主主義国家での資本主義は、何よりも自由のためのものと信じてい
たさ。成長は良いものかもしれないけれど、例えるならば、車の「最高速度」だ。それ
は大事なものか。 一番大事なものか。…たしかに資本主義は「成長」のための豊かな
土壌を提供してくれる。しかし、この20年間で、二つの関係がひっくり返って、私達
は成長を資本主義の「絶対必要条件」だと信じ込んでいながら、「共産主義」を取り入
れ繕っている。」何故か。今や車の燃料も少なくなり、タイヤもパンク寸前で、乗り合
いバスは停車場を地図を見ながら探しているんだ。おかしいだろう。バスに乗り込んだ
時人類は「明るい未来行き」としてチケットを購入していたんだ。ところが今やどこか
の列車の天井まで人が乗る様に乗り遅れまいとぎゅうぎゅう詰めで、息が出来ないくら
いじゃないか。夜になって星空も見えず眠る事も出来ないくらい人は文句を言っている
んだ。「おいおい、俺たちをどこに連れて行く気なのか。」って。運転手の傍にいる者
は道路を知るが、夜のとばりが降りて、乗ってる者はお寒いばかりである。中には体の
弱った人は、今や死に絶えようとしているんだ。あまりに早いスピードにめまいがして
。人々は思っている漠然と。「本当にこのおんぼろバスは、こんなにスピード出してま
で、一体どこに行こうとしているのか。」と不安になりながら。


159: 名無しさんAA:18/05/06 15:11
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 7

 ドリカムが太陽の塔で世界中からサヨウナラを歌っていた。私は不思議に思った。こ
の歌は我々経済学の主題歌ではないか。と思った。岡本太郎は太陽の塔について話す。
「アメーバ―、原生動物に人間は一回戻るべきだ。と思うんだ。それが自然なんだ。我
々の体の中にこの血が流れているんだ。だがら誕生の瞬間があるんだ。チンパンジーも
象もキリンも、その何とかと言う動物もも、みんなそのアメーバ―が流れているんだ。
この現生動物が細胞の一つ一つの中にいるんだ。アメーバ―達がみんなで手をつないで
支えているんだ。僕の中にも君の中にも。それが生命なのだ。誕生なのだ。と僕は思う
んだ。」と熱く語っている映像がブラウン管に映る。これは衝撃的な事件である。彼は
既に文明批判と文化礼賛を同時に行っていたのだ。生命が生まれた事実は二つの交わり
である。厳しい環境の中で身を守ってきた外殻、常に動き回って分裂し壊される部分を
非常にも切り離して動き回る核とが出会い、その運動の為に外殻を食べた核は実は外殻
に食べられていた。と言う何とも不思議なアニメのガンダムの様な世界観である。外殻
が核を外敵から保護したのか、はたまた外殻が食われて核がその中心の椅子を奪ったの
か。勝者がどちらだったのか不明のままだ。だがいずれにせよ単体では生き残れなかっ
たのでアメーバ―と言う細胞が生まれたのである。我々は法や秩序を中心にしたが、金
融や資本を外殻として守らねば国は出来なかった。これが経済であった。それが貿易と
言う手を取り合う唯一の経済の言葉なのかもしれない。輸入品の合法非合法を問わず、
それを決めるのは国の首座である。だが足らない物を補い、要らない物を取らない事は
その輸出入を管理する港であり民衆なのだ。イギリスで発生した資本主義が、デジタル
化やグローバル化をAI学習を経て、金融資本主義というべき形態に変貌した。そして
現在は未来に向かって進む。金融もこのAIも人の事は考えない。そして経済も国の事
も国民の事はは考えない。悩ましい事に考えるのは指導者や独裁者なのである。万博の
時日本は希望にあふれていた。そして「世界の国からこんにわ」と三波春夫は歌った。
だが人類がその時出会ったのは、資本主義がつくった物欲科学万能社会だった。しかし
、今や資本主義は臨界点を迎え、新たな経済形態が発生する事をこの地球自体が警告を
発している。まるでネズミの自殺行為の様に。人を豊かにする投資と金持ちにする投機
とを分けない。そこで新しき法則の「人の視点」が必要になる。AIが自動運転ではな
く追随運転、記録運転しかできない様に「人の能力」が常に必要だ。


160: 名無しさんAA:18/05/06 15:12
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 8

 生きている人間はそれだけて生きる資格は持たない。人間であることが大事である。
国や国家権力者は常にそうありたいと願って欲をだす。人が賭博経済に身を乗り出す理
由である。人も物も道具も進化する。だがこの指導者達は良民の安定さえ得られれば、
それで良かったのだが、それを常に模索する程に、常に自然は安定をもたらさない。雨
が太陽が風が病気が地震が人々を不安にする。更に他国の侵略だ。人々は盲目的に神を
信じた。平和を希求したからだ。それは平和的生存権の主張でもあった。それが人権で
あり、生活権であった。国民はゆとりある生活では欲を出し、貧しき中では批判をする
。王は常に孤独で危機の中にいた。そこで王は相談役の呪術師を必要とした。呪術師は
考えた。本当は人は宗教も金も要らなかった。だが呪術師は王に取り入る術が必要だっ
た。庶民を納得させる必要からだ。そこで宗教や魔法が登場する。日本語的に妖術であ
る。ここで妖術経済が成り立つ。遥か昔から利子の概念はあった。牛を貸して子牛が生
まれた時その子牛は誰のものかで裁判になっているのだ。それは紀元前8世紀の物語で
ある。エジプトでは奴隷のユダヤがもたらした富は森林の伐採による火の技術だった。
その時、契約では奴隷の子は奴隷とされ主人の持ち物とされた。そうでなければ、王に
権利が無くなってしまうからだ。家を作ったものが家の所有者とはしない。それが中央
集権の資本主義の始まりだった。紀元前8世紀にはその考えがあったのだ。だが、本来
個人の権利の及ばない共有の山は、その果実と言う利子に於いて人は生きて居た。しか
し王は富を求め人を増やし国力とした。結果、人口増加で禿山となり却って滅亡の憂き
目にあった事が、多くの国の歴史の事実だ。呪術師はある時から宗教家となった。そし
て利子と言う概念を、規制した。つまりキリスト教もイスラム教も仏教もすべての宗教
が欲を捨てる事を強要した。程よい人口によって共存権を得ようとしたのだ。しかし、
残念な事に、ユダヤ教だけがその欲を認めたのである。何故か。彼らこそが流浪の民で
あったからだ。放牧民でもなく漂着民でもなかった。彼らには国も金も国民も無かった
。自分の為の道具に過ぎないからだ。多くの人は知っていた。又人は国の宿子だった。
しかし宿主の王や国も自然の宿子だった。もっと言えば地球の宿子だった。宿主がいな
くなれば、則ち家が無くなれれば、それは当然厳しい自然の猛威が、人々に過酷に当た
る。雨が風が寒さや暑さが弱き者の命を奪った。人に試練がのしかかる。ユダヤが笑う
。利子は、恩恵は、技術は我々のものだ。と。だが人々は愚鈍のままに基の木も燃した
。たちまちの内に国は飢餓に陥って行くのだった。

161: 名無しさんAA:18/05/06 15:14
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 11

 ところが、世にも不思議な物語が人類に起きた。この人類の経験学習の中で、つまり
キリスト教もイスラム教も仏教もすべての宗教が欲を捨てる事を強要し、程よい人口に
よって共存権を得ようとした中でも ついつい大きな都市作り森を砂漠に変えた西洋的
技術や思想の中で、その矛盾を抱えながら発達する世界の中で、東洋の端では全く違う
経済観念が生まれていた。真面目に利子の概念のない救済の経済学である。信長が謳う
「人生50年、下天の内に比らぶれば、夢か現実か幻か、……の世界である。」つまり
どうせ百年生きても二百年生きようが、或いは千年生きても楽しくなければ同じじゃな
いか。と言うのである。逆に利子も経済も無い世界。講の出現だ。人は救済の為に仕事
をする。赤ちゃんを見てろよ。弱いから助けるんだ。元手すら無くなってもいいではな
いか。みんなで出し合って欲しい者に与えようではないか。と言うわけだ。講は市場の
如く人は金も智慧も出し合った社会だった。手を挙げた者が入札し利子を決めた。ある
時は借りなくていい者さえ利子を付けて返した。胴元への寄付である。志であり布施で
あった。返す当てのない者も借りて元金から無くなる事もあった。それでも続けられた
。恵比寿祭りは、それが始まりだった。天の岩戸を開いたのは祭りと称した宴(うたげ
)の始まりである。禊(みそぎ)とは心を入れ替えよ。考えを変えよ。悪かった過去を
振り返るな。と至って能天気な陽気な教えである。つまりユダヤは計算して利子を決め
たが、日本人は利子どころか貸付の概念がなく、「救済」つまり布施、華料、賽銭の、
元手の返済すら考えない寄付の考え方しかなかったのだ。どうせ死ぬのだいいではない
か。と言う訳だ。財産や家も、養子で名や家柄だけ残せば事足りた。「生きている人間
はそれだけて生きる資格は持たない。」生きてる事にそれぞれの役割があったからだ。
つまり呉服商は商売とは言え、服を売る事を途絶えさせてはいけなかったのだ。他人で
も何でも暖簾を守る事が大事だった。茶碗売りも、ソバ屋も商店街の何もかもが、繁盛
する事は時の運だった。それ以上にこの地域に根付いた役割を担う事が大事だったので
ある。祭りの祭主だったり、神輿の担ぎ手だったり、祝詞の演者だったり、その役割が
大事だった。だから他人でも丁稚でも養子でも誰でもよかったのだ。一子相伝の後継者
のみにその大事があったのだ。それが変わったのが、戦後だった。有史以来綿々と受け
継がれて来た事は、何も天皇家だけでは無かったのである。だが江戸開国以来、その事
が廃れてしまったのである。山の教えも川の教えも奥深い自然との接し方も西洋かぶれ
の行政で歴史も文化も食生活も経済活動も大きく変わってしまったのである。

162: 名無しさんAA:18/05/06 15:16
 禅姿資本主義(ぜんししほんしゅぎ) -----35  トミーの視点 12

 日本人はとっても不思議な民族である。というのも、殆どの国で例えば大和朝廷が生
まれて千年たった後も、日本の中でおよそ列島の半分しか統治していない。鎌倉室町時
代になっても、依然として東北の蝦夷地や鹿児島の土蜘蛛の世界が歴史に現れている。
西洋に於いては、否、大陸中国ですら、こんな小さな面積の領土の統治は、百年も経て
ば忽ちの内に、巨大な絶対国王が武力で統治し、隣の島へ遠征に行くぐらいの小さな島
国なのだが、それでいながら、巨大なインドや中国さえも立ち向かう事のなかった西洋
列強を相手に、果敢に挑み、世界大戦の一つの勢力として原爆まで落とされた国家とな
ったのだった。今、国家給付や税の再配布としてベーシック・インカム(最低生活保障
)の論議が高まっている。しかし、この論議も又紀元前からの思考の論理なのだろう。
というのも国家や国民と言うより、集団維持の為の最低生活保証の方法の論議であるか
らだ。その集団が国家であれば社会主義か自由主義かの論議となる。つまり方法論で、
独裁を批判し、管理社会を批判し、自由社会を批判し、経済流通の肥大化を問うのだ。
かつてソ連のゴルバチョフは、訪日して、最も成功し完成した社会主義国だ。と称賛し
シンガポールのリィー・クワンユーは、行き過ぎない完成した自由主義国と言った。又
インドのとある主導者はあるべき仏教国とした。つまり1970年代もしくは60年代
には、かつてなく日本に日本観が溢れていたのである。そして各主観の答えがあったの
だ。共産主義は資本主義経済を取り入れ自由市場を模索し、自由民主主義国は道徳観念
の教育に力を入れて未来の計画設計に力を入れた。此処に現れたのは、結局は市民衆情
の安定化であった。結局は日本ゼロサム経済社会、象徴天皇が欲しない姿での君臨統治
の在り方、恥の文化が作った国民福祉の美徳。こうしたものが西洋社会で語られる事に
なった。共存共済主義はソ連の窮状に米国が小麦輸出をし北朝鮮に人道援助を果たした
。南米で自然保護に「多様性文化の受け入れ」を宣言し南米での核放棄を宣言させた。
結局この仕組みはどの国もどこの世界でも何の方法を取っても問題が起こる。一番問題
が起きなかったのは、アフリカやアマゾンや東南アジアの原住民インディオ達だけだっ
た。つまり大きな事。本当の問題は「景観教育」と言う人間環境の教育であり、国家的
ストレスを貯めない文化的生活の保持の仕方であった。消費経済を捨て拡大管理体制を
捨てて、結局は、自然に負担の無い自然との共生社会の完成を果たす事だったのだ。そ
してそれを最も完成させていたのが日本だった。江戸の街はリサクルの還元システムに
溢れていた。人情も社会も物質も。ただ一つの苦悩は火山の噴火や地震の多発だった。


163: 名無しさんAA:18/07/27 09:00

友田有(ともだ たもつ)は山口県議連に名を連ねる 自民党国会議員の要職にある。
だが彼は平気で嘘をついた。首相は25日午後6時42分に官邸から公邸に移り、その
まま宿泊。県議たちは午後8時半過ぎに公邸から出てきた。友田有・自民県連幹事長は
記者団に「首相とは会っていない。公邸の見学をした」と語った。しかし実際には首相
との会合や写真撮影が行われ、首相は「復旧した上で今後の災害を防がねばならない」
と熱弁を振るった。 ツイッターでばればれの情報なのだが 敢えてこうした忖度する
のが安倍政権のいまわしさだ




164: 名無しさんAA:18/07/28 08:00
たぶん あと3年もすれば異常気象で アマゾンネットは潰れてしまうだろう

165: 名無しさんAA:18/07/28 08:48
 まるで18世紀の様な手法でソフトバンクを作った馬鹿の孫は、今でも日本の長者番
付で上位者だろう。人の良いホリエモンと違い冷酷無比でおべんちゃら詐欺の手法で、
何処に行っても恥と言う言葉を知らない非常識人間だからだ。かつてNTTに良心的に
通話の回線サービス代行代価交換でもNTTのわずか3割の顧客しかなかったにも関わ
ずワン切り操作で30倍の料金請求をしたトップ詐欺師である。先月19日、孫氏は、
日本政府に対して、ライドシェアサービスの規制に対して「こんなバカな国はない」「
過去を守りたい、未来を否定する、もう考えられない状況だ」などと発言した。と盛ん
にまくしたてた。この発言の背景の現在の日本の、安全上の理由から、プロではないド
ライバーによる営利目的の旅客輸送を禁止している事の批判だった。しかし19日、ソ
フトバンクグループは滴滴と合弁で日本にタクシー会社を設立した。と紹介している。
つまり日本の大手・ソフトバンクの孫正義社長が「こんなバカな国はない」と日本政府
を批判した事のニュースだ。まあ孫がウーバーへの出資を迷っていたのは2014年。時価
総額は1兆円を超えた時期であり、その成長性も含めて、最後はカネを入れなかったが
今や出資できる力をもってこれを本人が提携したからだろうが。しかし普通の常識ある
人なら「ネット配車を認めている国こそ、バカな国」「日本こそ賢明な国だと思う。目
先の利益のために国民経済秩序全体を破壊する人種は馬鹿だ。」「日本政府が正しいと
思う」「日本のように高度に発展した国は、シェアリングエコノミーはいらないと思う
」「日本のタクシーは清潔で、供給量も十分。そもそもネットで配車予約するニーズは
ない」など、その大部分が孫氏の見解に否定的な見方を示したが当然だろう。一方では
顔認識など犯罪防止の本人確定や危険防止を企画しながら、一方で無防備な消費者への
危険な商行為を誘発させて儲けをとる。中国人の考えそうな清野作戦であろう。商行為
は何も金儲けの為に国は許可していない。逆に国の貧民保護や国民生活の福祉サービス
の補助として民間委託して営業させているだけである。それをわざわざ日本政府は馬鹿
だから国鉄を民間とし電電公社を民間に変えた。今やスペインでは民間タクシー業界は
食べて行けずにストを起こしウーバー個人タクシーの車は空港で襲撃される有様だ。こ
の治安の悪さを孫はカバーするのか、この人々の生活に孫は援助するのか。何もできな
いだろう。イラクの戦争の難民さえ援助もしないし、死んでもいいと思っているぐらい
だろう。つまるところ孫正義なんぞは生きて居る資格さえない人間なのだ。


166: 名無しさんAA:18/08/03 05:41 ID:6IE
 楽天の詐欺商法が明らかになった。イニエスタの契約内容を明かすことなくチケット
販売を行っていた。言わばメインキャストであるべきイベントにメインのスターが存在
しないと言うファンを落胆させたままのフェスティバルなのだ。この詐欺が、何故法令
違反とならないのか。およそチケットと言うのは契約に分類される。契約社会において
間違えやすい小さな明記やわざと似せた記述は殆ど犯罪と認められるのが通常だ。これ
に照らしてイエスタ選手が出ない故の明記や宣伝或いは公示がないと言うのは詐欺その
ものなのである。イニエスタの一時帰国は神戸のオーナー楽天と結んだ契約書通りだっ
たというのは別に楽天側の言い分であって。欧州リーグを8月〜9月初めにかけて開幕
する時期の日本の酷暑の中でプレーするのは避けたい本音もファンには全く関係ない話
だ。ちゃんとした商取引をしていない以上警察ないし行政は取り締り処罰しなければ、
社会正義に反している。東京医科大学の話も同じで、女性が出産などで云々〜〜などと
言うのは2の次3の次の話である。まず学校と言う名と言う公正を進めるべき為に存在
する教育機関が、その試験内容や仕組みについて女性の2割減点処置を明示しないで、
さも公平な試験をした。などと言う行為は大きな組織犯罪行為である。更に公示をして
いても、私的な就職面接試験でさえ平等な権利の逸脱行為で憲法違反である。又卒業後
のその女医の問題は例えあったとしてもかなりの部分的な狭い視野での意見である。な
ぜなら、これだけ隠れている病院の錯綜殺人の中で女医は増やすべき所にある。更には
犯罪捜査の基礎である疑義的死体に今死体検視や検体を行っているのは僅か1%に満た
ない中にある。医療業界が如何に貧しい職業集団であるかを物語っている。大きなビル
や高度医療や臓器移植までやって居ながらも 普通の一般人は救急医療すら困難な中で
止血や近くの緊急病院の受付すらも出来ない中にあるのである。こんな殺人国家はない
。更にスポーツ界への文科省の指導力の無さは一体何なんだ。レスリング界のパワハラ
異常指導者は、ラクビー界ボクシング界バトミントン界相撲界と蔓延しているではない
か。まず一般のクラブと公共施設を使うクラブ更に権威のある公式クラブと援助や補助
のあるクラブを別けよ。一般クラブはクラブとしての会員則と主旨と会員名簿のみとし
公共施設使用の専属クラブには、公式な議事録や選挙による理事選更に届け出に主旨の
説明や経営基準を明快につけさせよ。更に会費があればそこにある公式グッズに理事の
縁戚は関わらない事の誓約をつけて苦情受付まで明示せよ更に補助や援助の場合は人事
や組織の図表と2年以下の任期を付帯させよ。それらを明確に公示しないクラブはどん
なスポーツでも違反者とするべきである。


167: 名無しさんAA:18/08/05 11:04
       世界閲覧 32     世界の中のトランプ戦略 57

 人間の粗悪品には決してなるな。これが父の遺言だった。恐らくかつての日本人の殆
どの人の意志であったろう。よく鬼畜のごとく、とか、畜生に生き方、などと比喩され
るが鬼畜とはいう事の通じない獣の事ではない。通じない蛇や魔物はそれなりに通じた
ものだ。逆に言葉も話せて正常人の様な姿形の全く普通のものの問題の無い問題者の事
を指す言葉なのである。日本語的に五体満足の癖にと言う輩の事だ。大陸人中国人には
日本人はなんと優しかった事か。と言う老人に会うのは稀ではなかった。中国を渡り歩
いた人なら聞いた事のある言葉だろう。本当に戦争を知っている人はそう言った。日本
人は如何に生きるかを問い詰めた種族だ。中国人や朝鮮人の様に生きればいい人種では
ない。西洋や東欧の様に快楽を求めたりもしない。インドやアフリカの様な階級社会を
信じてもいない。すべてが教育にあると信じていた。人には産まれながらにして七つの
大罪と十の戒めが必要であるとされる。生物の長としてどう生きるかが試されると言う
のである。所謂食欲に死や殺しはつきものであるこれだけで4つの罪を作る更に子孫は
性欲によって残されるのである。この現実を前に法が導かれて社会が築かれたのである
。恐らく今後10年も過ぎれば、災害によって人類の3分の1は死に絶え3分の1は病
気になる。残った3分の1も半分は、つまり6分の1は意味もなく戦争に走るだろう。
この戦争も又実質的な今の様な戦争でなく文化戦争であり供給戦争である。つまり経済
戦争であろう。そして、それを仕掛けるのは当然乍ら中国大陸とインドである。受けて
立つのがロシアと米国であろう。今回の貿易関税は、恐らくそれの防備にあたる無意識
の人類の社会現象なのだろう。では何故10年前後で人の退廃が起きるのか。一つは、
人口推移である。所謂統計が取れる先進国では人口が増えている国は一つもない事実が
ある。国民自体は増えているもののフランスもドイツも教育を受けた先住民が増えては
いない。これは安住して幸せな家庭になると少子高齢化が進みより以上の豊かさを求め
子孫を作らないらしい事が統計学的にあるようだ。逆にインドや中国或いは南米アフリ
カなど半未開地で特に中東などでは、教育が無くなり戦乱で死者が多くなるとその保険
的意味合いからか或いは寂しさを紛らわす為か多産化してその後の文明移入で一時的に
多くなる。日本の団塊の世代と同じで大きなうねりを持つのである。医療の進化で死者
も減り、海外流出も多く更に国内活況での国勢謳歌も果たす事が知られている。それら
は人口ボーナスと呼ばれる。


168: 名無しさんAA:18/08/05 11:04
       世界閲覧 32     世界の中のトランプ戦略 58

 今や世界的に気温上昇して大変な時代に突入したかに見えるが、実は温度上昇のみで
はなく気候変動の予測によれば、暑い所はより暑く、寒い所はより寒くなる。と記述し
ている。というのはどういう事かと言えば、海水面温度の高くなる事は水蒸気量がかな
り変わり、その空気が動く事で、雨の降る所がより多くの雨になり豪雨災害は避けられ
ず、乾燥する所は熱波によってより酷く乾燥する。としているのだ。この事は非常に重
要な予言になるだろう。海の恵みの多い所は海の試練が始まると言う事になる。しかし
それは実は昔からの事だった。つまり自然の猛威はここ二百年ほど鎮まってはいたが、
地震や飢饉や色々な古文書を読めば昔からそういう土地柄はそういう土地でも生きてい
くと言う決心の下で工夫して生きて来たのが人類だったようだ。つまり昔から過酷だっ
たのである。経済も又これに連動している。ニューヨーク株価の流れに引っ張られがち
だが、米国で今起こっている事は実は日本でも起っててる。というのも例えば今まで、
日本は移民や避難民を受け入れていない。と散々報道から叩かれていた。しかし実質は
留学生や介護の短期実習生など様々な形でかなりの人達を訪日させている。又テロ防止
で米国は国境封鎖や移民資格を厳しくして強制退去が人権侵害などと声が上がったが、
日本ではあり得ない程の密入国者の量を減らす事に力を入れただけだ。貿易障壁でも、
今回EUや中国などと関税戦争が勃発したが、中国脅威論とパンアメリカン主義を考え
れば昔からものである。それは北朝鮮問題と同じで国内的の主張で核開発やミサイル開
発してきたのであって、決して完成を求めてはいなかったのだ。ところが金正恩は間違
えてしまい、高度に早期に完成させてしまい、本当に実験が必要になったのである。と
いうのも、自然現象は人々に休みや進化を与えないぐらい過酷であり、北朝鮮の生き延
びる手立ては日本に頭を下げる事しかない。つまり日本の様な生活を求めるなら、中国
の真似も大国でない為効かない。つまり韓国の様に国際社会を騙し続けて脅迫と詐欺で
生き残るか、或いは西側陣営になり日本の様にアメリカの番犬となるかしかないのであ
る。又今後やって来る3大クライシスである、食料・水・人口増加に今やゴミ・老朽化
という5大危機がある。これを越える技術は、世界広しと言えど日本しかない。今問題
のスポーツクラブの汚職は昭和の群像を見てるほど悲哀に満ちている。リーダーシップ
とカリスマを勘違いしながらも、強い集団像と上意の下達の一方通行を好しとした司令
塔判断におもねいてしまう忖度などは、戦後復興の集団心理では無かったかと疑う。


169: 名無しさんAA:18/08/05 11:10
 こうした事で今後の経済を考えれば、民間の増長を止めることしか将来はない。この
自由に金を吸い上げて長者になるシステムを変えると言う事は並大抵では出来ない。が
それが出来なければ人類の未来は無い。が、その未来を救うだろう社会が戦後の欧州や
日本の復興である。欧州は石造りとカトリックの伝統は消さなかった。つまり何十年と
言う月日を継いでも煉瓦や石を一つ一つ又元通りに積み上げていったのだ。これは日本
などの老朽化に悩む様な木造や森の伐採を棄てた文化を継承して、負担の少ない地域に
添った国造りになった。又日本は、ゴルバチョフが完成された社会主義国と称賛した様
に基本的には、補助のない認可と登録制が全てにあるような自由社会だった。その為に
その頃の補助率は低く助成金すら少ない、国鉄最後の時代だった。もちろん英国に鉄の
女サッチャーが民営化を大胆に提言してはいたが、日本自体は、ゆりかごから墓場まで
の社会福祉体制を標榜して模索していたのである。今や代わってしまい規制緩和などの
デタラメ行政を敷いて汚職のるつぼと化しているが、基本的な加工貿易による復興は、
成功していたともいえる。今の中国とのアメリカの貿易戦争は当然と言えば当然である
。というのも国内事情であろうがやりすぎなのだ。全く躾や教育が整わない段階で軍隊
は最高の資金と装備を持とうとして、その無駄にする資源浪費をそのまま他の国や人民
につけ払いさせているからだ。仮に中国の思うようなルールで過去からあったのなら、
それはそれで世界は収まったであろうが、中国は進化に負けた王朝である。ならば今の
常識やルールは守って改善の方向に進むべきで、海洋進出や孤島の軍事開発や資源爆買
いや世界企業の乗っ取りなどを行うべきではない。ましては貧困国への高利貸しなどは
もっての外で世界戦争を焚きつけているようなものだ。この日本での昭和のカリスマ的
手法が今でも中国やアメリカに残って居ると言うのは不思議な感触である。日本国内に
は既に、結果良ければいいだろう。なんて言うのは通らない。逆にその時の手法こそが
大事である。と言う認識があってそれこそが守るべき物とされる。そんな中で五輪を待
たずにスポーツ関係団体の不祥事が次々明るみに出て居る。考えれば今回の五輪は盛り
上がりに欠ける不祥事続きである。というのも当然ながらこの昭和の意志が巨頭の闘い
になっていて、例えば東京都知事なんぞは実力や智慧もなくこれまでの路線変更を投げ
かけて失策続きである。考えてみればかつての東京五輪や万博や新幹線や都心復興など
は明治の思想が漂い、若者に道を開けると言う思想のもとに出来ていた。その部下尊攘
を良い事に中曽根などが日本を壊してしまったのである。官営で国民の負担を減らし、
組合で食い合いを無くして、国力増進・健康生活の確立を目指した。がまともに政府は
その国鉄経営すらできなかったのに消費税なんぞをいれたのである。

170: 名無しさんAA:18/08/05 14:35
       世界閲覧 32     世界の中のトランプ戦略 60

 食料・水・人口増加に今やゴミ・老朽化という5大クライシスが起こりうるとされる
。この危機のきっかけは自然現象であろう。しかし今やこの自然現象そのものが危機の
中心になろうとしている。これに対応するかの様に日本化現象、すなわち少子高齢化現
象が起こっている。この少子高齢化に伴って起こったのがマイナス金利現象である。そ
の為に起こった事がこのトランプの企業捕獲の為の関税による貿易戦争である。昔に戻
った様に見えるが、実はそうではない。企業誘致は、日本でも昔から市町村自治体さえ
もしていたし、昔からあって途絶えてはいない。又中国でもその為の汚職が中国共産党
のやり方で札束でほほを叩いて海外企業まで乗っ取った形に過ぎない。では日本では何
が起こっているか。実はアメリカで起こっている事と後進国で起こっている事が同時に
進行している。アメリカに起こっている事は、さびた都市のラストベルト地帯が、にわ
かに仕事や商店など住民サービスを行いだした。一つは台風など災害による避難民や移
民が増えた為だろうが、IT大手のグーグルやアマゾンなんかの企業誘致に優遇措置を
大幅にやりだした。それは日本の自動車会社が進出して州財政が潤ったからだ。そこで
住民に安い住宅や安価でも労働場所を提供する下層の住民にも教育を行う。と言った事
だ。日本でも同じ事が田舎に起こっている。つまり0円物件の家屋を市町村が管理し、
改装の上に地方移住者を増やそうと言う画策である。勿論マンションや鉄筋コンクリー
トなどには5万とか10万とかの破格の物件で人を呼んでいる。しかし住居に及べば、
同額の住民税と資産税が入るのである。つまり 年金だろうが若者だろうがお構いなく
市町村の収入が増えて財政再建に役立てられるのである。中国でも恐らくこうした事に
なるだろう。というか田舎に新しい団地形成し住民を移住させ高利をむさぼる事や海外
事業で国に高利貸し事業を行う事は既にやって居る。そうした目を付けられた後進国と
同じ様に、日本の土地は買い漁られている。特に北海道などでは富良野やニセコなど、
6割の市町村にその中国の原野買いや建物や企業買いはある。シャープも体よい利権や
特許や技術盗みに過ぎず、決して従業員保護や会社の立て直しなど殊勝な行為ではない
。ホンハイなどに資金はなく彼らに貸付して高利をとる中国の銀行資本つまり共産党が
いるだけで巨額の資金を見せ金として入れているのである。これに日本の大手銀行が、
全く無防備に連携を取って利権を差し出している。全く国も銀行も馬鹿だからである。
山一証券を存続させなかった罰当たりの議員村の村長がガラパゴス化していたのを見て
戦略を作ったのである


171: 名無しさんAA:18/08/08 21:52
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー01

どうも古今の汚職や不正は全く自分達がやってる事に自意識が無い。例えばアマチュア
ボクシングの山根会長は、自分が悪い事をしていると言う自覚があったのだろうか。通
常の社会の中で、暴力団やオウムなど反社会的行為に対しては、ちゃんと反目する気質
と規律を明示するのがクラブの伝統的しきたりだ。でなければ極道や暴走族と同じ集団
であり、迷惑や実質的被害が証明されなければ何をしてもいいなどと言う、とんでもな
い馬鹿な話になる。そういう社会を許さないとするのが通常で当然の常識だ。ところが
このアマチュアボクシングクラブには、そうした規定すらない、全くもってかなりの人
か異常の人かの集まりになっている。或いは東京医科大学は、大学として寄付金募集の
為に裏口入学を開いていたと言う極めて反社会的悪質な詐欺行為を働いている。通常の
社会で消費者や顧客を誘導し先導してサービスする行為は多くある。しかし例えば会員
とかカードとかある種の特典に於いては法務省や労働省や警察認可が必要である。使用
者や占有者特権が反トラスト法つまり独占禁止法にかかるからだ。つまり裏口入学だけ
でもそれは憲法違反行為であるのに更に、点数をさじ加減で一斉減点している。学校で
なく一般販売であっても、特定の不平等売買は禁止している。今では朝鮮人悪口すらも
只の言葉が嫌がらせとされヘイトスピーチ禁止法すらある。それらは事実の告知でも、
警察取り締まりの対象である。だが大学は補助金を貰い公的施設の宣言をしながら隠れ
て違法行為を続々としているのである。こうした事が許される筈はない。いや許される
というより許してはいけない人格づくりをするべき機関なのだ。それを強いて隠れて、
不平等采配を行っていたのだ。謝って済む問題ではない。公然と年齢制限や性別制限を
掲げるハローワークの違法行為より大きな悪質行為である。ここにあるのが大学がやっ
ていて個人でやっていないから汚職でも違法でもない。と言った思いあがった。言わば
開き直った考え方だ。今の安倍内閣や東京都知事の言い分に似ている。だが悪は悪であ
る。善い事ではなく諫めるべき行為であり言動なのだ。全くふざけている。伊佐早裁判
でも同じだが、そこにある矛盾は行政の怠慢であり嘘の禍舌の判断である。政府であろ
うと、集団であろうと個人だろうと守るべきを護り、諫めるべきは諫め 取り締まりを
正道として政治でも経済でも行うべきは当然で、それを行わないから災害が大きくなる


172: 名無しさんAA:18/08/08 21:52
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー02

 日本ボクシング連盟の山根明会長(78)が身を引いた。一般社団法人で公益社団法
人では無いと言うボクシング連盟は選手にとっては全く無知な話である。一般社団法人
は営利目的は可能であるが理事を監査する審議会がない。つまり理事と言うのは都道府
県やそこそこの団体の長の集まりであり、税法上の優遇も公益上の審査もない。こうし
た中で朝鮮風の威嚇と脅しと脅迫でめきめきと頭角を現し手腕を発揮して終生名誉会長
に成り上がった。と見られるが、新たに入る例えば中学や高校や大学のスポーツクラブ
は、こうした違いをみながら、ボクシングをやるか柔道をやるかレスリングをやるかな
どは決めていない。単に身体能力やら校内クラブとの環境の近さや近親な接点で初めて
いるのが普通であろう。しかし一向にに政府はこうした違いを顧みない。つまり整備を
しようとはしていないのである。これは選手にとっては苦痛である。新規クラブには、
殆ど応援がつかない。例えは女子サッカーやフェッシングなどはマイナー競技としては
苦渋の出費の中で活躍している。この山根は不正判定疑惑や助成金流用、反社会勢力と
の交流などが問題になって日本ボクシング連盟の辞任の記者会見を開いたのだが、この
人には朝鮮人の持つ鬱屈した香りが漂う。彼自身は日本人だと称しているが一時でも、
朝鮮人に戻った者の衝撃は更に大きい。秘書役でもあった澤谷廣典氏は、「山根会長は
自身が暴力団員であったことを親しい人には隠すことなく『抗争のときは指揮役をやっ
た』などとしゃべっていた。五輪競技でもあるボクシング連盟のトップがこんなことを
公言していいのかと疑問に思ってました。」と話す。本人にすれば正義で生きて来た。
というつもりで何も悪い事をしたつもりも隠す事であるつもりもないのだろう。ここに
昭和の香りすら漂う。昭和の時代にこうした胡散臭い奴は沢山いたし、そいつらは何故
か威張っていた。日本が敗戦によって本当に偉かった人達が声が上げられない雰囲気の
中だったから、何も知らない馬鹿な内地人が外地に戦いに行った兵士が悪いと言ったの
である。又GHQもそうした日本軍悪玉論や民主教育とに力を入れて宣伝した。しかし
そうした集団には粗悪の者も多かった。その極め付けが連合国軍の民族だとした朝鮮人
だった。実はここに朝鮮人の鬱積がある。かつて日本は日韓併合をした。同じ極東の弱
小国家が、片方は自立独立した帝国となり、片方は純然たる隷属国家で中国からロシア
日本そしてアメリカの属国或いは冊封国家のままで有り続けたのだ。ある時大韓帝国軍
と名付けて東南アジアに国連軍として参加したのだが、全く米国の洗脳でモコモコ隊で
風評がたつ程の冷酷だった。

173: 名無しさんAA:18/08/08 21:53
      世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー03
「猛虎部隊」の分隊長(韓国軍)キム・イルランさんの証言は辛らつだ。「寝て起きた
ら戦闘、そしてまた戦闘。その繰り返しです。すると、戦場で人を殺すことまでもが、
ストレス発散方法になりました。誰がいちばん早く人を撃ち殺すかで、ビールを賭けま
した。人の命で賭けをしていたのです。」「村につくと、ベトコンを探し出すのが難し
くて、私たちは見せしめのために村長の娘を木に吊るして腹を切ったんです。それでも
、村長は何も言わなかったので、二番目の娘も同じようにして殺したんです。そして、
三番目の娘を吊るしたら、とうとう村長が口を開きました。こうやってベトコンを全部
探し出しては、村長も含めてそこにいた人たちを皆殺しにしていきました。こんなこと
は数えきれないくらいありました。私たちは人間ではなかったんです。」ベトナム戦争
に参戦した韓国軍元兵士たちの証言は、ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為の様子を、
ベトナム人の生存者すら解っていた。まあ白人や黒人じゃないから直ぐにわかるわな。
証言では、韓国軍の掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、地
上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブル
ドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開していた。生存者の証言で共通な点は、無差
別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。「女
性と老人、子供たちを一ケ所に集めた後、機関銃を乱射して抹殺する」「住民達を家と
一緒に、死亡者も生存者も全部燃やす」「子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったり
四肢を切断して火にほうり込む」「女性を強姦した後に殺害して、妊産婦の腹を胎児が
破れ出るまで軍靴で踏み潰す」「住民たちを村のトンネルに追い詰めて、毒ガスを浴び
せて窒息死させた」「子供達の口にはキャンディーが与え、老人たちの口にはタバコが
咥えられていた。村人を安心させながら、一ケ所に集めた。虐殺する手段だったのだ」
「第二次世界大戦後、我々はフランスとの戦争を含めて合計三十年間にわたって侵略者
と戦ってきた。そのため国土は破壊され、経済成長は遅れてしまった。その中で特に、
残虐で野蛮なのは韓国軍であった。村を丸ごと焼き払い、死者の耳までそいでいった。
アメリカの捕虜になった者は待遇が良かった。韓国の捕虜になったらなぶり殺しされる
のである。韓国兵はベトナム人を蔑み、人前で平気でビンタをとる。ベトナム人に美人
が多いのか、女は皆、慰安婦にさせられた。韓国との混血児は名乗りでないので、はっ
きりとした数は判らないが、一万人以上はいるはずだ。ライタハン(混血児)として」
ベトナム戦争当時(1965〜73年)は、韓国軍兵士は特別に、軍属の韓国民間人を
ベトナムで、強姦・非管理売春させていた。しかし白人に対しての慰安婦が多く韓国人
にはそうした虐殺者の身内を現地妻として保有していたのである。

174: 名無しさんAA:18/08/08 21:53
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー04

 これまでの通説では、アメリカの要請に応じて朴大統領は派兵を決意した。というこ
とになっている。ところが、近年の研究者などの間では、逆に韓国側から派兵を持ちか
けたとする論が出され、こちらの方が説得力を持つ。というのも国内では暗殺も多くあ
って、軍の整理もおぼつかなかったからだ。更に先の李承晩派も又多くいてこれらの排
除も必要だった。更に北朝鮮の負けた作戦が北からの兵站の分離であり、山に逃げ込ん
だ北朝鮮兵と韓国の平民と分ける事は不可能だった。いずれにせよ、アメリカは派遣さ
れたすべての韓国兵には、戦闘手当てを支払ったし、その大半は右から左に韓国本国へ
送金されたのだった。これらを含む、アメリカからのベトナム特需の総額は十億ドル(
当時で三千六百億円)をはるかに上回り、実質的には、朝鮮戦争時の日本における朝鮮
特需以上の利益を韓国にもたらしたのである。」こうした自国の建設には力を入れず、
棚ぼた式によその国から援助を貰う話は、韓国には実に多い。アメリカに渡った慰安婦
や遊女にしても、韓国内の女郎を置く女衒屋も、日本の補助や援助も、北朝鮮赤十字の
人道支援も全く多い。ロシアからの共産思想もあろうが、統一教会事件や今流行りの、
ナッツリターンや水掛姫或いはセォール号事件や財閥破産でも、かなりの面で非道でも
コリアンスラムスタイルのコリアンカーストの頂点を狙う事が常識の様な雲行きだ。韓
国人男性は、今でもベトナム人の女性を侮辱して「違法集団見合い」をすると言う。韓
国メディアの情報では1月16日、ベトナム人女性たちが韓国人とみられる男性たちの
前で、全裸になる動画がインターネット上で物議をかもしていると報道している。動画
では、白いガウンに身を包んだ10人の女性が登場し、司会者に名前を呼ばれた女性は
全裸になって男性の前をウォーキングして、男性が指差しながら品評する内容でした。
複数の男性が「韓国人」と言われたのは、ベトナムのメディアにおいてが「今まで摘発
された韓国人男性の違法集団見合いが摘発されたが、それと同じと指摘する人が多い」
と報道したからである。日本人はオンリーワンもありだが、韓国では常に大衆王道で、
人の目を気にした行動が大事とされる。それが今は法を司る大法院や裁判所でも同じで
今までの習慣や国民の声に応えるか、国際法や法秩序の正義に応えるかは、全く考える
事なしに前者を判断する。これは韓国人の宿命的性格とされる。つまり長い物に巻かれ
る隷属国として生きる。強者に反転渡り歩く。と言った裏技は虎の威を借りる行為と、
表裏一体のものだったのである。

175: 名無しさんAA:18/08/08 21:54
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー05

 ところが、日本はこうした事に高見の見物は、足元をさらわれる。現に日本が第二次
世界大戦に陥ったのも、その後に負けてしまったのもこのコリアンクレージーによる。
まず日本を知っている人間が軍人になったまでは良かったが、中には反日両班が紛れて
いて大いに日本の戦争の勝利に足を引っ張ったとされる。日韓併合以降に、教育水準が
低く、日本は多くの小中学校に資金を提供した。朝鮮半島で義務教育を行う為だった。
しかし当初順次増えて修学施設は五千以上になったが、3年位過ぎてから両班という、
先の皇帝の宮廷給仕官やその権力下で治めていた領主達は、抗日戦線を牽いたのである
。ソ連からの共産党資金が入ったのだ。レジスタンス運動をドイツ系ロシア人から教わ
り朝鮮学校に変えて、日本政府に学舎の廃止届が3千以上も多く届いた。教育ボイコッ
トをしたのだ。代わりに据えたのがこの抗日の義士になった日雇い両班達や農地経営に
破産した領主達だったのである。この頃には農地改革も行われ土地改革で官僚たちが、
無職で溢れていたのである。この時も今の北朝鮮の様にある種の朝鮮人の憂鬱や欺瞞や
鬱積があった。つまり当初冊封国家として中国の配下で属国だったのだが、中国内では
朝鮮人は決して中国の漢人や汗人などの民族には組み入れられなかった。つまり中華人
にはなれなかった。それは中華が蒙古人の征服王朝で占領国家だったからだ。朝鮮人の
金王朝などこの漢人が逃げてきて朝鮮半島に王朝を作ったが、朝鮮が攻めて乗っ取った
事は一度もない。それどころかある種常に、中国王朝の属国として 事ある度に助けを
求めていた。つまり隷属国のままだったのだ。ところが中国王朝がアヘン戦争で敗れて
国内は3つに割れた、そのまま中国についていく派とロシアにつく派と日本につく派で
ある。英国に同盟を結んだ日本はその後日清戦争を朝鮮半島で起こした。1860年代朝鮮
は変革の時代を迎えて、1880年代以降、国内の動乱期を乗り越え日本がアメリカ合衆国
、西欧の列強が加わって条約である日朝修好条規(江華島条約)を結んだ。しかし閔氏
政権の開国政策により外国資本が進出してくると、閔氏政権の重税政策、両班たちの間
での賄賂と不正収奪の横行、そして条約による外国の進出等、当時の朝鮮の民衆の生活
は苦しい状況であった。ここに宗教的な東学党の乱が起こった。東学とは儒教・仏教・
民間信仰などを融合し、「西学」すなわちキリスト教に対抗する「東学」を新たなに創
始した宗教だった。しかし、一大勢力にはなったが古来の儒教や朱子学などの民からも
新しいキリスト教を守る権力側からも虐げられた。その為宗旨にはない武力蜂起に及ん
だ。一応は教団幹部の逮捕によって収束したが、その処断を巡り大日本帝国と清国の対
立が激化し、日清戦争に及んだのである。

176: 名無しさんAA:18/08/08 21:54
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー06

 これは、朝鮮半島の次の時代に向けた模索の中で混乱期を迎えた両班の仕組んだ事で
それには洋務運動の一つであったと言える。この時には、殆どが、西洋列強さえ、西洋
思想が排斥され大国中国が勝つと思われていた。しかし日清戦争は日本が大勝したので
ある。この時の戦争は、近代化された日本軍が、近代軍としての体をなしていなかった
統率のない清軍に対して、1つずつ戦勝して行き終始優勢に戦局を進めて、朝鮮半島や
遼東半島などを占領していった。またこの時は、戦争指導のために、わざわざ明治天皇
は速報に触れる為として大本営を広島に作り移り住んで、臨時第七議会を召集された。
こうして朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争で、イギリス帝国に接近し
、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は、
戦勝国ではあったが、多くの兵を病死させていた。またこの時買った英国船などの兵器
は、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた程だ。条約で台湾を譲り受けた日本は
、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出
した元になった。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出して大陸進出
の足掛かりとなった。納まらなかったのが作戦を立てた両班達だった。砲艦外交を目指
す西郷隆盛や板垣退助y江藤新平などに対して、対日融和外交を主張した李鴻章の尽力
によって、日清修好条規および通商章程が締結された。この外交成果を利用して日本は
、清と宗藩関係にある朝鮮に対し、再び独立国としての国交交渉に臨んだ。国交交渉に
進展が見られないまま1873年、国内では、対外戦争を招きかねないとしたが、日清戦争
後に起こった3国干渉によって、朝鮮半島の領有権を返した。日本は、特命全権大使に
黒田清隆を任命し、軍艦3隻などを伴って朝鮮に派遣した結果(砲艦外交) 翌1876年に
やっと日朝修好条規が調印された。こうして清国の冊封体制から離脱したものの、閔氏
は両班の勢いを止めれなかった。満洲を勢力下においたロシアに朝鮮半島に持つ利権を
手がかりに、南下政策を取りつつあるロシアに、朝鮮の利権は次々と売り払われたのだ
。鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの、国家基盤を取得し
朝鮮半島での影響力を増したロシアの南下政策に、当然日本は危機感(1861年)を持ち
日本がこれらを買い戻し回復させたりした。当初、日本は外交努力でこの衝突を避けよ
うとしたが、しかしロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増し、小中華と自負
する朝鮮国民は朝鮮半島をロシアに利権を売った。ロシアも又国際資金で鉄道港湾要塞
などを活発に建設したのである。大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島や満洲南部
と、日本海を主戦場として戦争が発生するのは必然だった。

177: 名無しさんAA:18/08/08 21:55
       世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー07

 しかしこの時の日露戦争も又、各国の思惑を外して勝って行った。バルチック艦隊が
大西洋やインド洋を越えて、7ヶ月に及んだ航海の末日本近海に到達して、5月27日
に連合艦隊と激突し日本海海戦を起こした。しかし5月29日にまでわたるこの海戦で
、6月1日にはバルチック艦隊はその艦艇のほとんどを失い、司令長官が捕虜になるな
ど壊滅的な打撃を受けて敗戦に及んでいた。これに対して連合艦隊は喪失艦がわずかに
水雷艇3隻という、近代海戦史上においても例のない一方的な圧勝に終わった。この海
戦の結果、日本側の制海権が確定し頼みの綱の、バルチック艦隊を完膚なきまで叩きの
めされ追い込まれたロシア側は、やっと和平に向けて動き出し、アメリカの仲裁で日露
の和平会談が行われた。戦勝に沸く日本を尻目に、朝鮮は慌しく各国に飛んだ。米国も
日本が軍事大国で強い国になる事を善しとはしなかった。米国へ行った両班の中に李承
晩の父や縁戚などがいて、更に戦争が続行される様に働いき、アメリカの介入も扇動し
た。こうした朝鮮両班の働きかけであったが国際社会は動かなかった。日韓併合はこう
したどうしようもない朝鮮人の動きに、国際社会と日本の合意による物だった。ここに
も今の北朝鮮同様の、八方塞がりになった八方美人外交や全く自国の努力をしない天秤
外交や陰口外交の破綻である。現在の文氏の隙間外交が海外から批判され、国連で中国
やロシアさえも合議に至った経済制裁で封殺されても尚、五輪の国際基準を無視して、
政治利用した外交をした様になりふり構わずであるのと同じ思考が此処にある。ここに
は弱者保身と血迷う威嚇しかない。この時国内に残った領主は次々と偽の神父になる者
が多くいた。これまでには政権が変わった時にはその臣下の処刑が習わしだったからだ
。本来日本もそうした旧宦官たちに処刑を命じた方が後顧の憂いが無かった。しかし優
しい日本人はそうはしなかったし、休戦のままで今だロシアは敗けを認めて居なかった
上に、日本もこれ以上の国費は既に無かったのだ。こうして、何故だか朝鮮人とりわけ
韓国人には節操とか反省と次に続く為の反省・分析・改善などの投資がない。技術は盗
め、企業は買え、人は騙せ、金は盗め、の精神である。何故か国益も正義も和平も捨て
ている。今回の北朝鮮外交も韓国にとっては一銭の得にはならないはずだ。既に何年も
前から韓国は地上戦では高射砲の範囲である。今更ミサイルや核が出来た所で何ら防ぎ
様がない。それよりも日米の防衛に寄与して後ろに強い味方がいて威嚇してもらった方
がより平和で豊かな暮らしが運営できる。事実今の平和や豊かさの享受はそこにある。

178: 名無しさんAA:18/08/09 01:52 ID:XMs
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 朝鮮半島は、どう考えても半島国家である。半島国家は島国でも大陸でもない。言わ
ば中途半端なシーランドとハートランドの前線位置にある。地政学的にこの半島は何処
であっても何時にあってもこのシーパワーとランドパワーの戦いには常にある。大陸と
海の文化価値の違いの戦争である。その為に地政学的に韓国が卑屈で鬱積した中あるの
は当然などと言われるが、それは違う。朝鮮人民は何故か隣にある同等の小さな島国を
相当に気にしている。それは太古の昔からの話ではある。そして近代でも、片方は自立
独立した帝国となり、片方は純然たる隷属国家で中国からロシア日本そしてアメリカの
属国或いは冊封国家のままで有り続け渡り歩いた。今や独立国となって自立し近代産業
を築いているが、独立も他国の贈り物であり、自ら勝ち得たものではない。更に産業は
乞食や下賎宿や追剥ぎの様に物乞いや威嚇や脅迫によって勝ち得た経済であった事は、
事実であるが、それを地政学的に仕方がないと言うのは違っている。よく半島文化を、
この朝鮮半島とスカンジナビア半島或いはベトナムやマレー半島に良く比較される。し
かし内容的は大きな違いが出て居る。北方のスカンジナビアはスエーデン・ノルーウェ
ー・フィンランドに分かれて国が成り立っている。当然ながらフィンランドはロシアの
影響を強く受け「フィン」つまり薄い羽根の降り立つ所、すなわち北国への入口として
の羽根休みする場所としての認識である。「ノル」「ウェイ」つまり北方と言う北海の
国と「スウェイ」「デン」と言う欧州の端に岸を持つ国と、当然三つとも文化や認識は
違っている。しかし何れの国もこの朝鮮半島の様に他国に憎しみや恨みの感情はない。
つまり国民性が違うと言えばそれまでだが、他国が産業発展したと言う事で妬みはない
。似ているとすれば、イタリアやギリシャの方が近い。しかしこの二つの国はいずれも
早くから戦乱にうずもれながら都市国家を運営し、欧州の基礎を成したと言う自負があ
るし文化や生活や観光に於いても欧州の初期的味わいの古代建築を残して石造りの街並
みを残す程である。マレーシアとインドネシアもタイなどかつては戦争はあったのだろ
うが、韓国の様な鬱積された陰湿さはない。実はこの違いが宦官制度奴隷制度があるか
ないかの様だ。グヮン王朝以南では同じ中国の属国でありながらも宦官制度を持たなか
った。又朝鮮半島の新羅や高句麗は宦官制度を持って世襲制度を高く見ていたが、百済
や日本は同じ世襲制や奴隷制度を持っていたが、宦官制度は持たなかった。


179: 名無しさんAA:18/08/09 10:18
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 西郷隆盛は江戸城開城した後も、850万石の江戸の徳川幕府を77万石の会津以下
に決定していた。彰義隊が上野の山に集まりつつある。奥羽列藩同盟も聞こえて来る。
禁門の変では、京都を6割を焼いて2割の市民が死んだ。大村益次郎は、兵法洋学者で
あった。兵学を修め,宇和島藩御雇となったのちに蕃書調所で教授手伝い、講武所が作
られた時教授を歴任した。明治2 (69) 年,兵部大輔となり,諸藩混成の士族的御親兵
を国民的な近代軍隊へ改組する為に、フランス陸軍やイギリス海軍を模範として習い、
日本の中に一連の兵制改革を行なった。戦略に長けていたのだろうか、西郷が江戸が既
に開城されて、薩長の新政府は西郷以下殆どが東北の新政府打倒に群がるのを危惧して
いた。しかし大村はその足止めと江戸での上野決戦を叫び、ここで江戸幕府が滅んだ事
を示す事が大事だと訴えていた。ここに日本式の西郷や大村の矜持がある。ちゃんと、
宣戦布告して上野に集まる様に仕向けて、江戸幕府が終わった事を指し示す事に終始し
ているのだ。1868年(慶応4年)2月、慶喜が謝罪恭順を決意し、上野の寛永寺大慈院に
謹慎蟄居すると旧幕臣の一派が、慶喜の身を守ろうとする運動を始動し、幾度となく、
浅草本願寺で会合が開かれた。同志が集まり慶喜の身を護衛しようとする目的で彰義隊
を結成した。この旧幕臣たちの取り扱いに頭を抱えていたのが勝海舟で、勝は幕府総裁
となっており、事実上の幕府全権を持つ幕府の最高責任者だった。都内では徒党を組む
旧幕臣たちが闊歩し、市内は不穏な動きに満ちていた。勝は江戸無血開城後も江戸市内
の治安権を西郷たち新政府側から任されていたからだ。新政府側は旧幕臣たちは排除し
ようとすればたちまち江戸が戦乱となる事を予想してはいたのである。勝は旧幕臣たち
の俸禄や物資供給を停止するなど様々な手段を行って、徒党の解散を促した。これによ
って半分程ににはなったがそれでも大勢が集まっていた。頭が痛いのは無法者の集団で
はなく、徳川家のために徒党を組んでいる。と言う集団だったからだ。それまで、慶喜
の警護の任には、山岡鉄舟が率いる精鋭隊と見廻組があたっていたが、彰義隊もこの任
に名乗り出て加わった。これにより公認となり、彰義隊の名が知れると彰義隊に入隊す
る者が日増しに増えて行った。4月11日、江戸城が無血開城を成すと、慶喜はこれを
契機に表舞台から退くべく、水戸藩へと旅立った。この慶喜の行動に彰義隊内部は二つ
に分断した。渋沢達家臣達の警護派と、天野八郎らの再決戦派である。水戸について行
くべき警護だが、これに反対し、江戸に留まることを主張したのである。実は慶喜の、
水戸への帰郷はこうした江戸の治安維持を願ったものだった。


180: 名無しさんAA:18/08/09 10:19
 しかし、これで二分された。彰義隊は再決戦派の天野八郎らが残り、上野でますます
盛況振りを現した。山岡鉄舟を使者に立てて、上野東叡山の覚王院義観(かくおういん
ぎかん)の協力を得て、彰義隊を説得し、解散させようと試みたが、幕府によって開山
した上野では、徳川家に恩義を報いない逆臣呼ばわりをして、協力しない旨を伝えてき
た。こうして頑固一徹な彰義隊の説得が出来ない事で、武力によって、鎮撫することを
決して、岩倉たちは幕末において、軍略の才随一と称えられる大村益次郎を呼び、江戸
市中の秩序回復を図るよう命じたのである。新たに軍防事務局判事の肩書きを得た大村
は江戸へ向かい、着いた早々から、軍議を開いて善後策を議論した。薩摩藩士で西郷と
ともに東征軍の軍務に携わっていた海江田信義と大村は馬が合わず、連日大激論を交わ
し、激しく対立した。しかしついには西郷の弱腰政策を非難し、大村は西郷に代わって
東征軍の全権を掌握した。大村は平和的な懐柔策を捨て、彰義隊を市中取り締まりの任
から解き、討伐の準備を進めた。海江田信義は、彰義隊が篭る上野の拠点を攻めるには
、今の手元にある軍勢の十倍は必要と主張した。大村はこれを斥け、現行の軍勢のまま
で討滅戦を行うことに決した。これは今の部隊には厳しい物だった。又、夜襲策が提案
されていたが、これも排して朝命による討伐には白昼堂々と戦うのが原則だ述べ、白昼
戦で一日にて決着をつけるとした。大村は、彰義隊は規律によって動く部隊ではなく、
義によって動くことを知っていた。新政府軍は正々堂々と彰義隊に戦いを挑むと明記し
た挑戦状を、江戸市中各所に布告し、上野の彰義隊拠点までにも伝令した。決戦日時ま
で敵方に報せた大村は、なんとしても江戸市中にまで戦火が広がることを食い止めるた
め、極めて特異な作戦を立てたのである。5月1日に江戸警備を新政府があたると布告し
、名目を失わせた彰義隊の討伐に乗り出した。この布告にはちゃんと彰義隊を賊と明示
して正義の意志あらば江戸を去る事を勧めている。 5月15日は、前もって大村が提示し
ていた決戦日で、上野の彰義隊の拠点には、3000名もの彰義隊士が集結した。新政府軍
は上野を正面の黒門口と背後の団子坂、側面の本郷台の三方向に布陣し、東の三河島方
面だけは、逃げ口として空けておいた。逃げ口を設けることで、敗走者が江戸に舞い戻
ることを防ぎ、探索の手間を省くという利点を得られる。何と優しい戦い方だったか。
本郷台には、アームストロング砲が設置され、後方の団子坂には長州藩・大村藩・佐土
原藩の三藩軍が設置され、長州藩軍には最新式のスナイドル銃が装備された。激戦が予
想される正面の黒門口には、薩摩藩・因州藩・肥後藩、筑後諸藩、の軍が配置された。
つまり日本人は 幾重にも決戦をさけ人命を逃す道を探り、5回も10回も回避の道に
導いて尚残った輩と決戦したのである。これが中国清や朝鮮或いは西洋の殲滅作戦思考
と違うところである。

181: 名無しさんAA:18/08/09 11:12
      世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー12

 日本人は古来から、敵は敵であって憎み合い殺し合うべき相手でなく、共生し合うべ
きライバルで、現世代に於ける同じ世紀を生きる共同体と見ている。中国からきた「敵
」と言う言葉は、日本人の持つ「敵」の概念とは大きく違う。殺し合うべきは「仇」で
あり「敵」とは知らない物を指す言葉だった。江戸時代から「的」を「まと」として、
泥棒のことを「泥的」、官僚のことを「官的」というような俗語が使われていた。外国
人の言葉も解らない会話のできない者、心が通じない者を同じ様に「てき」としていた
のである。「素敵」の「素」という漢字は、「素顔」「素手」「素材」のように「もと
のままで、手を加えない」という意味で使われます。それが「素敵」となると「もとの
ままの敵」となって、最初から解らない「敵」の人々を指す言葉として使われた。つま
り官僚や泥棒と違って、話したが解らない人ではなく、話さえも解らない人なのである
。事実、「すばらしい」を「素晴らしい」と書くことから生じたのだが、あえて古語で
「すてき」を「素的」と書く書き表し方もあるが、「素敵」は好意的見方であり「素的
」は否定的味方の意味の違いがある。「民衆の敵」「社会の敵」「ぜいたくは敵だ」な
どとは明治に流行ったフレーズだが、敢えて言えば「敵」であり「仇」ではない。又、
殺すべき「仇」は「かたき」とも呼ぶが「あだ」とも呼ぶ。「あだ花を咲かす」とは、
徒花(あだばな)に実は生らぬ事で、どんなに見かけが良くても、内容が伴わず着実に
おこなわれない計画は、よい成果が得られないという事。と説明されるが、日本語流行
語からは「仇華を咲かす」事であり、不名誉な事で名が知れ騒がせる事を指す言葉だっ
た。よく無駄花と同じに使われるが、敢えて知って行う行為が「あだ花」で結果を意識
しないものが「無駄花」なのであって厳密には違っている。仇名「あだな」というのも
渾名/綽名(あだな)と同じに使われるが、集団外から噂されるものが仇名であって、
憎しみの目印である一方渾名は自らつけたもの綽名は仲間からつけられたニックネーム
で付けた人によって同じでも変わっていたのが、日本語のややこしい所だろう。そもそ
もあだ名の「あだ」は、「他のものである」「異なっている」という意味の形容詞で、
「あだし」の「あだ」で、外から(他人が)付けた別の呼び名とする説が通説となって
いる。不倶戴天の仇は「共に天を頂かず」で同じ空の下に住まない事を意味している。
「仇」は中国では男子が元服の際につけて通用させた別名で、その意味で用いられた「
あざな(字)」と、「男女関係のうわさ」や「浮名」を意味する「あだな(徒名・仇名
)」が似ていることから、混同され今に至っている。

182: 名無しさんAA:18/08/09 16:14
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 日本で日本医科大学での女性差別や、ボクシング協会の汚職疑惑などが噴出している
が、こうした事は元をたどれば米国のシステムの不備だ。今でも銃器所持を認め麻薬の
輸入や拡大に業を煮やしている行政だが、その為か大学にもレガシー枠だとかマイノリ
ティー枠などが存在する。一般でも学業のみにこだわらず、SATの共通テストが良く
ても「課外活動が十分ではない」「リーダーシップが欠如している」などという理由で
、アジア系の学生が不合格になることもある。この制度は百年前の昔から続いているが
、多様性を阻害しているという批判もある。白人や富裕層だけに有利な制度で、多くの
大学がいまだに制度を維持しているためだ。実はここにある「アジア系の学生が不合格
」と言うのが実は大きな問題で、海外の大学ではこのアジア系留学生を非常に危険視し
ている。というのも韓国人や中国人は母国に帰っても就職口がなく大学の研究所に多く
いる。中でも中国の場合、その中の著名で実務的成果ある有能な人材を引き抜いて母国
に連れて帰る。日本でも同じ様に大企業の研究者OBが韓国企業に引き抜かれ、完成真
近い特許請願の製品が次々に市中に未完成のまま放出され 製品市場が汚されシャアが
奪われると言う事件が多々起こった。近年の純度の低い危険なリチューム電池爆発も、
完成度の低い電池が破裂発火し、飛行機などが飛べなくなるなどが起こった。韓国製の
ギャラクシーモデルが主であったが、サムソンは中国の電池メーカーとの非難をしたが
結果は何がどうだったのかは不明のままだ。回収には務めているものの大きな航空会社
は独自に乗り込む際のチェックすら入ったとされる。つまりここには、この未完成製品
がどんな社会不安を残すか、影響がどんな方向に出るかは関係ないのである。かつて、
LGが出した液晶TVは確かに省エネではあった。又LED電球も同じで裸電球よりは
電力は少なかった。しかしそれは日本製品の様な大きなものでなく非効率な省電力だっ
た。それでも日本の良品出る頃はシェアを奪われ安売りによって抑えられたのである。
そうした製品は開発者は、日本の退職者の高級優遇の嘘の虚遇の引き抜きで出来た物で
だった。中國はもっと大胆に元紙幣どんどん刷って企業を買い付けた。M&Aや買収や
ありとあらゆる経済活動と情報盗作を行った。中国の軍事で公開された次世代ステルス
戦闘機の「殲20(J-20)」のデモ飛行では、アメリカから盗んだステルス技術が採用され
ていると、多くの関係筋がみていた。J-20やT-50は「汚れた」ステルス戦闘機だといわれ
中国やロシアに、機体の表面をミリメートル単位できめ細かに成形するために必要な精
密技術は無かったが、双発であることを除けば形状がF-35に類似しておりF-35は中国人
クラッカーによりアメリカ国防総省からデータが盗まれている。その真意は不明だが

183: 名無しさんAA:18/08/11 00:52
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 石橋 湛山(いしばし たんざん)は、日本のジャーナリストだったが、政治家を志し
立正大学学長をやった教育者でもあった。立正大学は有志の者で作った大学でその頃、
少し変わった大学だった。1580年に設立された日蓮宗僧侶の教育機関飯高檀林を淵源と
する大学で、「真実を求め至誠を捧げよう・正義を尊び邪悪を除こう・和平を願い人類
に尽そう」と言う日蓮教学の立正(正しき教えを立て国と社会の安寧や和平のために尽
くす)という精神に学ぶことを建学の理念としていた。国柱会が大きくなる頃石橋湛山
はこの立教大学の方針を変えた。福沢諭吉などと同じに、脱アジア論に傾いていた。既
に、日本は西洋の技術や風土を取り込んでいた。当時の統計によれば、日本の海外領土
・租借地との貿易は、合わせて9億円余りだったが、対して、日本がアメリカ合衆国と
行った貿易はすでに14億円を越え、英領インドとも5億8万円、イギリス本国とも3
億円を越えていた。つまり日本の貿易、ひいては経済を成り立たせているのは、海外の
植民地よりも、英米特にアメリカとの関係だったのである。このまま海外領土の領有に
固執すれば、英米との対立を惹起し、かえって危機をもたらしかねない、というわけで
ある。これは大正10(1921)年の東洋経済新報の「大日本主義の幻想」という論説で頭
のフレーズに「朝鮮台湾樺太も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリヤに対する干渉は、
勿論やめろ。」と言う話をしている。伊藤博文は1909年10月26日に午前9時にハルビン
に到着し、ロシア蔵相ウラジミール・ココツェフと会談するためにハルビンへ赴き満州
・朝鮮の問題に関して話合う予定の時暗殺されている。1910年(明治43年)「韓国併合
ニ関スル条約」に基づいて大日本帝国は、大韓帝国の要請のに応じて日韓併合したが、
これは国際社会の動乱の予兆とも見れた。案の定シベリア出兵を連合国(大日本帝国・
イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)から要請を打診され「革命
軍によって囚われたチェコ軍団を救出する。」という名目の大義名分に、拒否していた
が重い腰を1918年に上げて、国際非難で1922年までシベリア出兵した後意味も無く撤兵
した。1910から起こったこのこの国難を察知していたのは何も石橋湛山のみではな
かった様だ。ただ第一次世界大戦という大正の「天佑」を奇貨として、青島(チンタオ)
占領・二十一カ条要求など、中国への「干渉」を強めた日本の行為に強く反発している
声の代表が「反骨の言論人」たる石橋湛山が筆頭だった、戦前の日本の中で最も著名な
ジャーナリストの一人で、「大正デモクラシーの陣頭」「最前線」に立って、大陸進出
と戦争に突き進む日本の時流に抗したであった。石橋いわく、「我が国民の支那に対す
るや、彼を知らず、我をも識らず、ただ妄動している。」というのある。

184: 名無しさんAA:18/08/11 00:53
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 この石橋湛山(いしばしたんざん)はとても面白い意見を持っていて、彼は大陸から
手を引け、と論じ、大戦以前に日清・日露の戦役で、日本人が血であがなった地を棄て
ろ、とも訴えた。いわゆる「小日本主義」を押し通し、海外領土は日本にとっては有害
無益だとの主張している。日本政府は耳を貸さなかったが、その後には、近隣諸国に甚
大な被害を与え、自らも傷ついてほとんど滅亡しかける戦争にはまった。結局海外領土
を全て失ったあげく、戦後の日本は「小日本主義」を実践し、高度経済成長を実現した
、そして今や戦前にも勝る大国の地位を築いて、今に至っている。かつて「我が国民が
満蒙問題を根本的に解決する第一の要件は、以上に述べたる支那の統一国家建設の要求
を真っ直ぐに認識するということだ。」と満蒙占領批判を述べ、「大日本主義の幻想」
と石橋本人は叫び、これを中国に対する日本人の「同情」と称した。しかし、中国に対
する干渉・侵略を鋭く非難する論鋒と、権益保持と対中蔑視をとなえる当時の大多数の
世論を2つとも敵に回し、火を焚きつけ油を注いだ。当時の中国に対しても、「駄々ッ
子」と物申し、南京国民政府が統一を果たした1928年の中国に「すべて政治は実力だ。
実力を伴わぬ主張は、どんな立派な主張であっても、空言だ。……支那の第一革命以来
の国民運動は、言葉だけはいかにも立派であったけれども、その為しつつある所を見れ
ば、ことごとくその言葉の実行力無きを証した。当時の中国には、税制はおろか法律も
、裁判も警察も不完全で治安維持ができる「実力」はない。とても生命財産を託しうる
ような「世界の文明国」ではありえない。」と断じたのである。中国の「国民運動」を
理解せよ、と日本人に迫った石橋は、ほぼ時を同じくして、その「国民運動」は「言葉
だけ」だと批判した。これはどう見ても朝鮮社会の日本の悲劇から見た視点である。十
年二十年三十年と、日々進化して治政良く進歩する台湾に比べて、工業力は伸びても、
国民が全く良くならなかった上、治安やコリアンカーストが台頭して間違いなく国民の
生活が貧苦のまま麻薬も出回っている朝鮮の実態が刻々と日本にも伝えられていたのだ
。日本以上の電力供給日本以上の経済流通日本以上の投資と工業力があるにも関わらず
ちっとも政治や経済や社会体制が良くならなかったのである。石橋湛山と「小日本主義
」は正に予言書であった。特定アジアの特定の嗜好と思考に、関わるな、諦めたが良い
。見らぬ良い。同情するな、日本は欧米列強と歩け、列強と共に行っても茨の道だが、
大陸の夢より堅実な発展や国民の幸福がある。と説いていたのである。

185: 名無しさんAA:18/08/11 00:53
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 「中華の夢」は習近平が言った言葉だが、実は世界の国々はその時々の歴史で一番の
権力があった時代を懐かしむ物である。中国は海外がまだ遠い時代「鄭和の大航海」の
ころ明王朝時代をを望みロシアは「ガガーリンの宇宙遊泳」の輝かしいソ連時代又米国
は戦後のパンアメリカン時代を模索しているとも言われる。その頃のアメリカが暗殺や
キューバ危機があり、輝かしくもそうそうバラ色ではなかった様に日本の大日本帝国の
時代も戦争で悲惨な世代を産んだ時代であった。それでも朝鮮人はそれを羨ましがって
いる。それは囲まれたロシア中国日本に一回も彼らと戦い勝った事若しくは対等に戦っ
た時代が無かった事だ。もちろん国民は戦った。それは悲惨なくらいに国内で戦おうが
国外で戦おうが、それは国民にとっては変わりはしない苦痛だ。しかし政府は違ってい
た。小さいながらも胸を張って勝利を味わった過去を誇りたい。と常々思っている。そ
してそれを外交に生かしたいと思う。それが鬱積し屈折し恨みと呪いで現代を形つくる
。核を持ち米国に挑む。大陸進出した日本は傍若無人で非道を起こしたなどと嘘をつく
。男は轡(くつわ)に繋がれ労役に駆り出され、女は連行され慰安婦に連れ去られた。
と。しかし歴史を語る新聞記事は多くが違っている事が解る。日本が日韓併合を決めて
乗り込んだ時、朝鮮社会は異様な社会だった。全てがコリアンカーストの中にあった。
土地を記帳すると全てが王朝の持ち物で両班達の支配するものだった。それは人間も又
同じだった。つまりその土地にある全てを支配する権限を持ち人間も奴隷と家畜だった
。下関条約での交渉でもその意味合いに於いてはロシアが簡単に線路を敷き要塞化が出
来たのかはそこにあった。日本の様に土地と人を分けない支配がそこにあったからだ。
又奇妙な事に生まれて来る子供も王朝のもので両班の支配を受けた。10〜15歳にな
れば、両班に差し出す為にどこの家庭でも子供が父親の子を産んだ。近親相姦である。
逆に子供が出来ない女性は早くから売られた。つまり子供でさえも税の献上品だったの
である。戸籍を作る日本軍は驚いている。だがこの考えは東欧やロシアも同じだったの
である。家畜と同じく支配地の子供は支配者の所有物だったのだ。つまり世界標準と言
えば標準的考えで古かっただけだった。しかし日本にはそうした考えは無かった。特に
何度も朝鮮に対しては売春婦の年齢の引き上げを指令したが、因習で聞かずに困ってい
た話が幾つも出て来る。国連から18歳を成人として売春労役を指導していたのだ。


186: 名無しさんAA:18/08/11 00:56
 日本でも不作や凶作になれば、食い扶持減らしに子供を丁稚や女衒に売り渡ししてい
た。しかしそれは内容に於いて違っていた。育てられる子供が他人の子供である事は、
極めて少なく、我が子を愛情持って育てているからだ。両班に孕まして貢ぐ為、老齢の
親が若い男をわざわざ金を出してまで孕ます事を頼み、揚げ句には気に入らないと里に
返され、泣く泣く農奴や女郎に落ちると言う顛末は無かった。そのまま育てた我が子を
泣く泣く手放す事はあっても 寒村でさえ村の宝であり働き手であったのから。逆に、
日本の場合は人を増やす為の集団淫行などの風習が横行して止まない事は多かったが、
韓国は逆だった。増やしたい両班と食えない農民や農奴がそこに居たのである。チベッ
トなどの一婦多夫制はそうした中で日本式考えに近い。働き手が欲しくても食い扶持を
増やしたくない者が正式に結婚した生活を認めた家族制度である。東欧や韓国の様に、
子供を取り上げ選別し、奴隷に売って税収とする事を時の官僚が行うなどとは鬼畜とさ
れた。子供にすれば同じだったろうが、生まれて直ぐに実父でない境遇では、かなり違
いがあったと言える。ともあれ、日本が大陸進出の為に赴いた朝鮮半島は、日本人の想
像を絶した因習と環境にあり、明治の殆どの偉人は、直ぐにそこから離れる事を示唆し
教示し警告している。無慈悲な非道が常識ならばとても手に負えないと感じたのだろう
。しかしこうした朝鮮でも中国は違っていた。習近平の思う明時代は日本の秀吉時代だ
が、この時九州地方から吹いて来たのは、西洋列強の大航海時代の風だった。この頃は
朝鮮半島で圧政や腐敗によって不満を持っているものも多く、秀吉の朝鮮征伐を後押し
し道案内までかって出ている。キリスタンは日本戦略に多くの朝鮮人も奴隷として上陸
させている。信長などは黒人奴隷を気にいって余助として武将にした程だったが、その
朝鮮で戦線が膠着した時和議が成立すると思っていたらしい。豊臣軍に味方した者も、
相当数に登った中でも明の援軍が進出し、豊臣軍は交渉解決へ移行して戦線が膠着し、
翌年、日本と明は和議交渉の過程で朝鮮南部の沿岸へ一旦兵を引き上げた。が明軍では
漢城を放棄しないと決めたのである。これを見て越冬と恒久占領の為に休戦期の3倍ほ
どの地域へ布陣した。2回目の侵攻は広域で全羅道と忠清道への掃討作戦を行い進んだ
。しかし突然秀吉は危篤状態になり死んだのである。こうなると泥沼状態になり戦争は
秀吉の死去によって終結した。この7年間の戦乱は、腐敗の朝鮮の政治を崩壊寸前まで
追いこみ、経済的に破綻寸前の状態に陥った。この時朝鮮は増収案として「納粟策」を
提案し、穀物や金を朝廷に供出した平民・賤民などに、賤民も一定の額を払えば平民に
なれ、平民も一定の額を出せば両班になれる制度を作り、朝鮮の身分制度は大きく流動
して、新しい体制が生まれたといわれる。一時的に刷新された政治は一時的に再び活気
が蘇ったのである。

187: 名無しさんAA:18/08/11 00:57
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 福沢諭吉は江戸時代の末期から明治にかけての蘭学者であった。例の投獄事件によっ
て蘭学者は少なく又名乗る事も出来なかった。時はまさに明治維新の最中に生きた人だ
。福沢諭吉は武士であり、啓蒙思想家であったが、その福沢でさえ、朝鮮には行くな。
と言明している。福沢諭吉は、天保5年12月12日(太陽暦1835年1月10日)に産まれている
。大坂堂島の玉江橋北詰にある中津藩蔵屋敷というから今でいう大阪市福島区あたりに
誕生した事になる。しかし父親は、現在の大分県中津市にあった「豊前国中津藩」の、
下級藩士で、蔵屋敷のある大阪に出仕していただけの、九州の扶持侍だった。福澤百助
と、その妻である「於順」の二男として産まれいたのだ。1822年、百助は31歳(数え年
、以下同様)のとき、廻米方(かいまいがた)として大坂勤務を命じられて、中津藩の
蔵屋敷を管理する役人として、年貢米や物産を収納し換金する業務を担っていた。当時
のお抱え商人の加島屋をはじめとする豪商を相手に、藩の借財の交渉にあたる事が仕事
で心痛も多かったであろう。福澤の『福翁自伝』には、父親の仕事については「大阪の
藩邸に在勤して、其仕事は何かと言うと、大阪の金持、加島屋、鴻ノ池といふやうな者
に交際して藩債の事を司る役である」と記されている。大同生命大阪本社(大阪市西区
)で開催中の特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」では、中津藩蔵屋敷の
記録を収めた判書帳(はんがきちょう)が一般に公開されてその内容が知れる。明治・
大正期の女性実業家・広岡浅子はNHKの連続テレビ小説「あさが来た」では、五代友
厚(ディーン・フジオカ)の誘いを受けて上京したヒロインあさ(波瑠)が、福澤諭吉
(武田鉄矢)に出会うシーンが登場し、浅子が経営に参画した大阪の豪商・加島屋(ド
ラマでは加野屋)が、生命保険事業に参入するに至った経緯等についてご紹介している
。福澤記念館(大分県中津市)には、百助の署名が入った中津藩の借用書と、百助に宛
てた加島屋当主・広岡久右衛門からの手紙が保管されている。手紙には「寒中見舞いと
して酒印紙(酒の商品券)を贈る」などと記され、加島屋として贈答を行うのは大坂の
蔵屋敷宛(あるいは大名宛)なので、当主が大名の役人個人に対して贈り物をするのは
珍しいことであり、よほど百助とは親しかったらしい事が見える。実際、加島屋は18
世紀中期以降には、蔵元業務から手を引き事業を、大名貸しと入替両替に特化させた。
しかし、中津藩については、明治初年に至るまで蔵元業務を継続していたし、加島屋の
経営文書でも、大名の名前列挙の中では、奥平家(中津藩)と毛利家(長州藩)は別格
扱いで、百助が仕えた中津藩と加島屋が特に親密な関係にあったことが偲ばれるとされ
る。

188: 名無しさんAA:18/08/11 00:58
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 ところが、福澤諭吉は、大坂の中津藩蔵屋敷で百助の次男として生まれたその翌々年
に親である百助は亡くなってしまう。その為、残された家族は母子6人で中津に帰郷し
て育った。福沢諭吉は母と兄・姉と共に生活をしていましたが、幼いころに、叔父であ
る「中村術平」の養子となり、「中村」の姓を名乗って育った。体格がよかったことも
有名で、当時の日本人としてはなかなの大柄だったと言われている。1836年に父が逝去
し、大坂から大分県の中津市に移り住み幼少の頃から漢学と一刀流の手解きを受けた。
19歳で長崎へ遊学して蘭学を知り幕末の時勢の中、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で
猛勉強に励んでいる。そして1858年、藩命により江戸の中津藩中屋敷から、自前で蘭学
塾を開こうとした講師が見つからないそこに福沢諭吉に下命が下った。これが慶應義塾
のはじまりである。こうして1858年に中津藩邸の蘭学塾の講師として江戸へ出た。蘭学
を通じて諭吉は、幕末の思想家の志士達、吉田松陰(四つ年上)、橋本左内(同年代)
、坂本龍馬(一つ年下)、高杉晋作(五つ年下)とも同世代で話はしているようだ。安
政5年(1858年)4月は、大老に就任した彦根藩主・井伊直弼は、将軍継嗣問題と修好
通商条約の締結という二つの課題に直面していた。第13代将軍・徳川家定の後継をめ
ぐっては、体が弱く世継ぎが出ないと踏んだ徳川御三家は南紀派と呼ばれる会津藩主・
松平容保や高松藩主・松平頼胤らと、一橋派の水戸藩主・徳川斉昭や福井藩主・松平春
嶽ら、の熾烈な内輪もめが起こっていた。従弟の紀州徳川慶福と水戸一橋慶喜を推挙し
あったのだ。血縁を重視する慣例から慶福がすんなり養子と決められてしかるべきだっ
たが、一橋慶喜が聡明と噂され、現将軍・家定の内意「時節柄、次期将軍は年長の人が
望ましい」とした朝廷の意見もあり多くの波乱を起こした。そこに黒船来航でもう一つ
の懸案である修好通商条約の締結についての騒動が起こっていた。お馬鹿天皇孝明天皇
は皇室復興派の強硬意見を取り勅許を与えず、攘夷派の反対論が勢いを増し直弼は困り
果てて居た。基本的には無勅許条約調印に反対であったが、止むを得ない場合調印して
よいかとの下田奉行・井上清直の問いに、その際は仕方がないと許可を出していた。こ
こに騒動での一番悪い知識人から知識を得られないとする体制になる。そもそも天皇の
知りたい見識が天皇擁護派で囲われ、日本が合議し智慧を持って臨むべき条約が恣意的
に荒らされ水戸の隠居した馬鹿殿が蘭学の知見も無く蘭学者の頂点に立つと言う中にい
た。現代の各種のスポーツクラブや文科省下の教育機関の仕組みと同じに飾りの権威が
汚職や独裁の元になったのである。

189: 名無しさんAA:18/08/11 00:58
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 こうしてにわかに蘭学者達が中心に声を上げ始めると、勢い幕府は強硬策を取った。
安政の大獄事件である。江戸時代後期の日本には、外国船が相次いで来航した。清朝が
アヘン戦争に敗れると、日本国内でも対外的危機意識が高まり、幕閣は海防問題が議論
され日本の守りににわかに議論された。おりしも大奥が権限を持ち始め、黒船が来航し
た1853年には、第12代将軍徳川家慶が死去し、第13代将軍に家慶の四男・徳川家定
が就任しても病弱で男子を設ける見込みがなかった。だが此処には、日本の和平主義に
対する朝鮮半島の裏切りがあるのが歴史の表に出ない。実は時のロシア皇帝は一足遅れ
た大航海時代を迎えていて、海外派兵を積極的に進めていた。日本にも文化露寇(ぶん
かろこう)として、文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ
派遣された外交使節だったニコライ・レザノフは、朝鮮でも、極東でも、北米でも米国
でも大暴れしていた。その為簡単に部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件
が起こっていた。ロシア側からはフヴォストフ事件と呼ばれている。若き野心家のレザ
ノフは、ロシア帝国の外交官の地位を買い、極東及びアメリカ大陸への進出に関わり、
ロシアによるアラスカおよびカリフォルニアの植民地化を推進する露米会社(ロシア領
アメリカ毛皮会社)を設立した会長であった。クルーゼンシュテルンによるロシア初の
世界一周航海(1803年)を後援し、自ら隊長として日本まで同行し、日本来航(1804年
、文化元年)はアダム・ラクスマンに続く第2次遣日使節として行っている。ロマノフ
王朝ロシア帝国は、この大航海時代に動きが無かった訳では無い。話は遡るが陸軍中尉
の軍人ラクスマンは北部沿海州ギジガ守備隊長でロシア最初の遣日使節となっていた。
父はフィンランド生まれの博物学者キリル・ラクスマンで、漂流民大黒屋光太夫の保護
と帰国に尽力した人物として知られる。1789年、ラクスマンはペテルブルク大学からの
派遣でシベリアのイルクーツクに滞在中に、伊勢国出身の大黒屋光太夫ら漂流者6名と
出会った。父の支援を受け、光太夫を連れてペテルブルクの女帝エカチェリーナ2世に
謁見させて光太夫送還の許しを得た。こうして女帝の命により光太夫、小市、磯吉の3
名の送還とイルクーツク総督イワン・ピールの通商要望の信書を手渡すために、ロシア
最初の遣日使節となって来日していた。 寛政4年(1792年)9月24日にエカテリーナ号
でオホーツクを出発、10月20日、根室に到着したという。随分前の話だが、この時江戸
の幕府がもっと知見を広めたいとしていたならば随分違った歴史になったであろう。

190: 名無しさんAA:18/08/11 02:29
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 この頃既に大陸縦断として、カムチャッカ沖を港として北方ビジネスで多くの潤いを
得ていた。我々は四角い地図によって欧州が随分遠い所として認識しているが、実は、
北の大地の極寒を自由に行ける智慧があるならカムチャッカからカナダやアラスカは近
く日本へ行く事の方が海流や気候的にも遠かった。この時根室では直ぐに幕府に報告し
た。報告が届くと老中松平定信らは、漂流民を受け取るとともに、総督ピールの信書は
受理せず、もしどうしても通商を望むならば長崎に廻航させることを指示し、そのため
の宣諭使として目付石川忠房、村上大学を派遣した。石川忠房は翌寛政5年(1793年)
3月に松前に到着。幕府はラクスマン一行を陸路で松前に行かせ、そこで交渉する方針
であったが、陸路をロシア側が拒否したので、日本側の船が同行して砂原まで船で行く
こととした。しかしエカテリーナ号は濃霧で同行の貞祥丸とはぐれ、単独で6月8日、
箱館に入港した。ラクスマン一行は箱館から陸路、松前に向かい6月20日松前到着。
石川忠房は長崎以外では国書を受理できないため退去するよう伝えるとともに、光太夫
と磯吉の2人を引き取った。ラクスマンらが別れを告げに行った際、宣諭使両名の署名
があるがそこには「おろしや国の船壱艘長崎に至るためのしるしの事」と題する長崎へ
の入港許可証(信牌)を交付される。6月30日に松前を去り、7月16日に箱館を出港した
が長崎へは向かわずオホーツクに帰港した。帰国後は1794年、女帝に日本に関する様々
な書物や名品を献上したことを賞賛されて、大尉に昇進した。1796年のエカチェリーナ
2世の死去により失脚し、以降の消息は不明であるが、1806年に『ラクスマン日本渡航
日記』を完成させていることから、少なくともそれまでは生存していたものとされる。
こうした事から既にオホーツク海や日本海はロシア船が就航していた事が解る。しかし
なぜ大陸を南下して、ウラジオスットクや北朝鮮などに陸路を求めて港を開かなかった
か。と考えるのは当然だろう。実は歴史には載っていないがこの頃大きな海戦はあった
のである。レザノフの部下は、文化3年(1806年)には樺太の松前藩居留地を襲撃し、
その後、択捉島の駐留幕府軍を攻撃した。幕府は松前奉行を司令官に、津軽藩、南部藩
、庄内藩、久保田藩(秋田藩)から約三千名の武士を徴集し、宗谷や斜里など蝦夷地の
要所の警護にあたられた。文化4年(1807年)には斜里に駐留していた津軽藩士70名
が厳寒の越冬中に病死事件が起る(津軽藩士殉難事件)。しかし、これらの軍事行動は
ロシア皇帝の許可を得ておらず、ロシア皇帝は1808年全軍に撤退命令下し日本側も撤収
した。

191: 名無しさんAA:18/08/11 02:29
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 なお、この一連の事件では、日本側に、利尻島で襲われた幕府の船から石火矢(大砲
の一種)が奪われたという記録が僅かに残っている。1804年(文化元年)日本との交易
を求めて長崎に来航したロシア使節レザノフは日本側から快い返事を得られないままに
失意のうちに帰国したが、その翌々年の1806年から1807年にかけては、こうしてレザノ
フの部下フヴォストフらによる樺太・千島方面への襲撃事件が起こっていた。そして、
その4年後の1811年(文化八年)、千島方面の測量探検航海の任に当たったゴロヴニン
らが今度は日本側によって捕らえられ、2年余にわたって松前に幽閉されるという事件
がおきている。この授業では、ゴロヴニンが帰国後まとめた『日本幽囚記』を読めば、
蝦夷地を舞台とした当時の日露双方の「相手理解」が希薄であった事や粗暴で支配して
きた欧米列強の姿が見える。シトカの戦いはヨーロッパ人とアラスカ先住民との最後の
大きな戦闘であるとされる。だがそれは違っていてロシア人と最大民族トリンギット族
の戦いだった。ロシアはロシア・アメリカン会社(露米会社)の代理人をシトカ島の中
のキクスアディ派トリンギット族に決めていた。しかしこの頃イギリスがカナダからの
毛皮を輸入し、採算が合わなくなったロシアは原住民との取引には値引きでなく横領を
選んだ。これにより対立しロシアの最初の攻撃時に遠征隊長のアレクサンドル・バラノ
フは反撃され重傷を負った。この為海軍の応援を頼み、トリンギット族のシスキノーウ
砦に艦砲射撃を加え、数日間後に周辺の森の中のトリンギット族を追い出しにかかった
。ロシアの勝利は決定的なものであり、トリンギット族は先祖伝来の土地から恒久的に
追い出される結果となったのだが、こうしてトリンギット族は北方に逃げて隣接する、
チチャゴフ島に新しい集落を造る事になった。両者の間の敵愾心は大方は消えて行った
が、先住民族からの散発的なロシア開拓地に対する攻撃が1858年頃まで続いた。戦場跡
はシトカ国定歴史公園として保存され2004年9月、戦闘から200周年を記念し、ロシア側
指導者バラノフの直系子孫が出席して、キクスアディ戦士子孫と伝統的な「泣きの儀式
」を行って、亡くなった先祖を公式に弔った。トリンギット族は口伝史承で伝わっては
いるが朝鮮ではそれがなかった。今は無くなったが朝鮮語の1つに恵山語(へさんご)
というものがあったが九州弁やアイヌ語に近かったと言われる。口伝物語では、白頭山
伝説と同じく、海からやって来た外敵に山からの白い帽子の民族が馬を駈けて応援して
無事村を守ったというものだが、これがいつの頃かが解らないのである。

192: 名無しさんAA:18/08/11 02:30
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 伝説では、チベットでは、「蒙古人の祖先は犬」と信じられている一方で、蒙古では
「チベット人の祖先は猿」なそうである。まさに犬猿の仲なのだが、蒙古人とチベット
人は至極仲が良い。モンゴルの英雄・ジンギス汗は”蒼き狼”の子といわれ、モンゴル
神話では蒼き狼と白い牝鹿とが天の命でやってきて、生まれた最初の人間が「バタチカ
ン」だと伝えている。蒼き狼の名はポルテ・チノ、白い牝鹿の名は コアイ・マラル。
作家・井上靖は「蒼き狼」の小説を書いたが、ジンギス汗の征服欲の根源は、蒼き狼の
血だと評定した。「蒼き狼」と言うのは「青天の夜の王」を意味する。つまり北極星で
ある。旅の道標とされて、昼は暑いが夜はこうして歩けるのだと言うエジプト伝承に近
いもののようだ。ポルテ・チノの狼血がジンギス汗に流れて、殺戮の征服欲の根源にな
ったという説は「モンゴルの秘められた史(ふみ)」という歴史書に依拠している。こ
の井上靖は小説を書くに当たって、この狼始祖史料を使って書いた。実は、もう一つの
犬始祖伝説がある。ジンギス汗は、むしろ蒼き狼の血統ではなくて、黄色い犬の血統だ
という。ジンギス汗はモンゴル族の中でボルジギン氏族に属していたが、この氏族に伝
わったのは犬の始祖神話。蒼き狼のポルテ・チノから十二代目の子孫にドブン・メルゲ
ンという人物が妻のアラン・コアとの間に二人の男子を生んだ。ドブン・メルゲンの死
後にもう一人の男の子が生まれて、この子は狼始祖を持つドブン・メルゲンの血を受け
継いではいない。したがって、アラン・コアは、男の子の父親は黄色い犬だといった。
その犬の子・ボドンチャルがボルジギン氏族の始祖となったのである。これはジンギス
汗は狼の血統ではなく、犬の血統だったことになる。腹心の功臣であるジュベ、フビラ
イ、ジュルメ、スペエデイの四人も「狗(いぬ)」に比せられている。黄色と言うのは
黄河の砂漠を意味し、大陸では白ロシアとか赤の民族とか、土の色でそこに住む民族を
表した。ここで犬とは誰とでも性交を恥じない事を意味している。公けの淫行である。
 草原の民である遊牧民族には、こような狼始祖や犬始祖の「獣祖神話」が多い。豊か
な牧草地をめぐって遊牧民の間では、争乱が絶えなかった。戦いに当たっては「獣」の
ごとく勇敢で、残忍になることを祈った。「獣の掟」の中から「獣祖神話」が生まれた
と言われ、我々の獣と言う意味よりは、糞は燃料血は飲料水肉は命を長らえる物として
もっとも尊い命として捉えていた表現だったようだ。


193: 名無しさんAA:18/08/11 02:31
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 もう一つのこの砂漠の放浪者は略奪婚は掟であった。それは現実的な問題であった。
遊牧民族の間では既婚の妻でも奪い合いの対象になる。力の強い者が美しい女性を独占
する「略奪婚」は日常茶飯事で常識だった。定住のない草原の民には「一夫一婦制」は
存在しない。しかも略奪者が戦死すれば、美しい略奪品は強い新しい男のものになる。
かくして父親が分からない子は多く産まれ集団で育つ。その父親を蒼き狼とか黄色い犬
の子に擬したのはその一つの民族隊一つの集団の生き残りを賭けた伝説であった。ジン
ギス汗ですら父親が定かでない。父イエスゲイ・バアトルは毒殺されたが、母ホエルン
にはイエケ・チレドウというメルキト族の前夫がいる。しかも相思相愛の仲であった。
それをイエスゲイは略奪して妻にしている。どちらの子であるか、母ホエルンしか知ら
ない。いやホエルンすら解らないのかも知れない。この話には続きに、ホエルンを略奪
されたメルキト族は、復讐に燃えて9年後をそれを遂げる。略奪者の父は毒殺されて、
この世にいないので復讐が息子のジンギス汗に向けられる。ジンギス汗には一歳年上の
ポルテという妻がいた。不意打ちをかけたメルキト族はポルテを捕らえて、チルゲル・
ポコという男の妻にしてしまう。そしてジュチという男の子を生んだ。その後又ポルテ
はジンギス汗によって奪還され、ジュチがチルゲル・ポコの子なのか、ジンギス汗の子
なのか、ポルテ自身にも分からない。ポルテが略奪された頃が妊娠月だからであるから
だ。しかし草原の民は、おおらかなもので、ンギス汗はジュチを長子として遇する。ジ
ンギス汗の死後、このジュチの子であるバトウが、十万の騎馬軍団を率いて、ロシア平
原に現れ、モスクワを陥れ、キエフを抜き、さらにハンガリー、ポーランドに侵入し、
ワールシュタットの原野でドイツ・ポーランド連合軍を粉砕する。正に王の子であった
。彼らは生きる事が仕事であり、それ以上もそれ以下も無かった。子孫を残し略奪続け
る。ただし懐に入れて財を蓄える事は無い。目の前の食べ物に水に権力にに固執したの
みであり、乱暴の自由を守るおおらかな集団だった。その為、強い事が象徴だった。ア
ジアの遊牧民族伝承には、狼始祖や犬始祖の「獣祖神話」が多い理由だろう。海を渡っ
た日本で、このような獣祖神話が見当たらない。稲作文化が入り、古代漢族や朝鮮半島
にみられる「感精(かんせい)神話」が広まった。感精とは超自然力の天降る霊物など
を意味する。しかし、南方からの稲作文化の前の縄文文化の時代は、「獣祖神話」とも
いうべき伝承があったろう。古墳の発掘で縄文式古代人の墓から埋葬された犬の骨がで
ているからだ。北方の狩猟の時代には、犬は人間のパートナーとして大切にされた。早
い時期に稲作文化が入った中国の江南は、鳥の様に犬はもっぱら食用として飼われてい
る。しかし長江流域にも犬食文化は存在したが、その多くは黄河流域の文化だった。

194: 名無しさんAA:18/08/11 02:32
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 この黄河流域の文化が舞い降りた朝鮮半島には、日本軍が上陸した時、熊も犬も殆ど
居なかったとされる。鶏さえもいなく狸やキツネの類も少なかった。日露戦争で203
高地で戦った乃木将軍は言った。「そこはまるで暑くて寒い砂漠だった。本当にただの
高地だった。獣どころか水も木も無い原野で、送ってもらった缶詰は本当にありがたか
った。」と立花公に報告したとされる。つまり中国との国境沿いは、既に古代中国から
清野作戦や細々と暮らす地元民で荒地であり、放牧にしか使えない土地になっていた。
と言う事だった。そこは沼地でありながら山がありながら木が生えていないと言う奇妙
な台地であったのだ。此処にもう一つの朝鮮の姿がある。今でこそ朝鮮民族などと言う
が、朝鮮に朝鮮語も朝鮮民族などと言う全半島を統一した部族など皆無であったのだ。
そこは東南アジアやアマゾンの奥地の様な言語も文化もそれに性格も食生活もばらばら
の単位部族の集落の中の集まりでしかなかったのだ。王朝と言えども中国からの司令に
対応した部族のみの集合体で、とてもTVドラマの様な王朝気風のある模様ではなかっ
たのである。実はだからこそ王朝内では他民族排除のピラミッドのコリアンカーストが
必要だったのである。基本的には両班と言うのはそうした幾つかの班とされる部族を治
めた長を指していたのである。これは通訳いらずの地元の言葉と王朝の言葉を解した者
であり、両方の橋渡し役に過ぎなかった。つまり王朝側からの官僚ではなかったのだ。
その為に朝鮮では中国や日本の様な条里制の遺跡にまっすぐ伸びる道はそうそう大きく
は無い。小さな集落がそのまま大きくなった物で新たな遷都といった作業はなかったと
考えられる。日本を度々襲った女真族はそうした部族の1つだった。725年、唐から
の安東都護の薛泰は、黒水靺鞨に黒水州都督府を置き、その首領を都督とし、各部部族
長を刺史として、この地を監督することを奏上した。渤海が強盛となり、唐が衰微する
と、その南部の拂涅、虞婁、越喜、鉄利部などは、渤海に併合された。契丹の興隆後、
契丹人は、彼らを女真(女直)と呼び始め、靺鞨の名前は使われなくなった。と言われ
る。女真は満洲に住していた黒水靺鞨と呼ばれた集団の、彼ら自身の自称を当て字した
ものとされ、主に農耕・漁労・牧畜・狩猟に従事していて、中国との間で、朝鮮人参・
毛皮を貿易して暮らしていた。黒水部・粟末部など様々な部族が在り、長く統一される
事がなかった。また10世紀後半から11世紀に掛けて頻発した高麗軍の入寇のうち、1019
年の刀伊の入寇において対馬、九州の大宰府を襲った「刀伊」(朝鮮語で外様)という
海賊集団は、女真系の一部族が主体だったと考えられている

195: 名無しさんAA:18/08/11 02:33
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 12世紀に阿骨打が出て女真の統一を進めて遼から自立して金を1115年建国した
。金は、遼、北宋を滅ぼし中国の北半分を支配した国となり大きな支配を得た。しかし
それでも朝鮮半島を統一に至っていない。金の時代に、漢字や契丹文字の影響で女真文
字もつくられたが、元・明の間に忘れ去られたと言う。金がモンゴル帝国に滅亡させら
れた時、その土地はモンゴル軍に奪われて、中原の大勢の女真がモンゴル人と漢人双方
からの攻撃で大半が死滅し、中原の女真の集団は消滅したと言われる。果たしてそうか
。又一方で、故地に残って集団を保っていた女真は、モンゴル、元に服属した元時代の
、女真は満洲から朝鮮半島北部にかけて居住して元の支配を受け、元寇となって多くが
女真兵として加わったとされる。しかしベトナムで元が敗退し元は滅亡する。、女真は
又モンゴルから離れ、小集団ごとに明などに服属した。この時多くが日本にも渡って来
たと言えるし、朝鮮半島にも残った。高麗に変わって登場した李氏朝鮮が世宗の時代は
こうした女真族の多くを抱えた王朝で、ここでコリアンカーストが敷かれ少数支配を可
能とした朝鮮半島が出来た。しかし契丹時代に既に中国化の度合いによって熟女真と、
生女真の2大集団に分かれていた為、北部の女真居住地域をも征伐し、平安道、咸鏡道
に組み込まれて治世を行ったとされる。こうして半島北部からは生粋の女真人の姿は失
われたが。15世紀から16世紀にかけて、満洲最南部の朝鮮に接する鴨緑江や豆満江流域
の女真人たちは、たびたび李氏朝鮮に反撃を仕掛け、豆満江南岸地域の争奪を繰り返し
た歴史を残す。中国明王朝はその迷惑さに、女真を部族ごとに衛所制によって編成させ
、部族長に官職と朝貢の権利を与えて間接統治を行った。これが両班の始まりとなった
。それでも明代後半、女真は大きく3つの集団のままで建州女直(自称は「マンジュ」
(満洲))5部族と海西女直(自称は「フルン」)4部族と、東方に住んでまとまりの
弱い野人女直(じょいちく)4部族があった。しかし当時では、この野人女直は女真族
の集団の中では最も勇猛だったと呼ばれる。16世紀末に建州女直から出たヌルハチは、
これら13部族を統一して、1616年に後金を建てたとされる。明末清初に解っているの
は渥集部(ウェジ部)、瓦爾喀部(ワルカ部)、庫爾喀部(クルカ部)の3部族の存在
が確認され、マンジュ政権からは東海三部と総称していた。1635年にホンタイジが、中
国を制して、モンゴルのチャハル部を下した。こうして元時代のの玉璽を入手すると、
漢字では蔑称であった女真の民族名を嫌い、民族名を満洲族に改めさせた。こうして満
州の名が出来たのだ。また、それまでは女真族王朝である金の後裔として「後金」と名
乗っていたが、民族名の変更に伴って翌1636年に国号も「清」に改めさせた。

196: 名無しさんAA:18/08/11 02:34
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 白頭山周辺は、もともと穢・貊・粛慎らの部族が居住しており、彼らの聖地だった。
その後この地における穢・貊の勢いが衰え、粛慎の流れを汲む女真がこの山を聖地とし
た。それが金一族である。金は、1172年には山に住む神に「興国霊応王」の称号を贈り
、1193年には「開天宏聖帝」と改めて差配した。白頭山は中華人民共和国(中国)吉林
省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)両江道の国境地帯にある標高2,744mの火山であ
る。別名、長白山(ちょうはくさん)と言われ中国国境の山だ。実は騎馬民族とは、日
本人のこじつけであり、彼らは遊牧民族であり、それぞれに馬、山羊、トナカイ、牛、
豚などあったと思われる。当然牛や豚などは放牧に適しなくて定住化の方向で進み集落
は作っただろうが、定住しても他の部族に襲われ成り立たなかった。遊牧民で馬と言う
物がこの満州族に於いては大きな負担となった。馬は特にサラブレッドは家畜に適さな
いからだ。牛肉の様には多くなく乳しぼりも出来ない。それでも荷車を牽き、遠くに行
くには馬が欠かせないのである。つまり馬と犬などで他の牛や羊の管理をする。こうし
た家畜の使用しかなかったのである。定住化を果たならば今のの管理農場の放牧の移動
手段や農耕馬や山の木こり馬など有効ではあるが、こうした遊牧民で移動する民には、
良く食べ肥えない大型獣は負担だった筈だ。つまり犬や猫ならともかく馬が大事な遊牧
民の世界はそれその物だけでは存在しえない世界だったのである。この矛盾がフン族の
世界だった。海西女直族は自称は「フルン」と言われたが日本語的に当て字の糞族が使
われた。これは燃料に糞さえかき集めて生活する状態からつけられたが、彼らは旱魃や
水害において一番影響を受けた。つまり農耕する他民族からの供給で不足をあがなって
いたからだ。此処に朝鮮族の苦悩がある。その意味では建州女直「マンジュ」は建国を
目指した一団だったのだろう。では野人女直の女真族はどうだったのか。渥集部(ウェ
ジ部)、瓦爾喀部(ワルカ部)、庫爾喀部(クルカ部)とされるが、豆満江南岸地域の
争奪したと言うからこの部族は北朝鮮の最北端かいまのウラジオストックあたりの部族
と言う事になる。この辺は人類の最終原人とされる山葡萄原人が人肉を喰って生きてい
た。とする伝説があったが近年では悪魔の洞窟門の新石器時代のDNAが探られて朝鮮
人の祖先とされた。悪魔の洞窟門は地域で、そこに住んでいた人は色が黒かったのだと
思われた事で黒い山葡萄原人と言われたらしく、北朝鮮では「我々は猿人と現代人の中
間の山葡萄原人が祖先である。我々朝鮮人から現代人は生まれたのだ」と自慢している
が、DNAではそれが当たっているから不思議だ。ロシア側からはウルチ族とされ、ウ
ルチ族はロシアに数千人しかいない。

197: 名無しさんAA:18/08/12 12:12 ID:fQ2
「ウリチ族とチヴェルツィ族はドニエストル川のほとりに居住し、ドナウ川に接してい
た。その数は多く、ドニエストル川沿いに海(黒海)まで広がっていた」という主旨の
記述があり、10世紀の前半に、ウリチ族は独立性の保持をかけてキエフ大公国と戦い
、結果的にはキエフの政権を承認し、その領域はキエフ大公国の一部に組み込まれた。
とされる。つまりヨーロッパ側に行ったウルチ族はここで混血の時を迎えたのである。
では、そのまま東にいたウルチ族はどうなったか。彼らはエベンキ族と間違えられなが
ら生き延びていた。エベンキ族はトナカイを飼育する遊牧民で森の遊牧民と言われてい
た。中でも江戸時代に熊の胆のうや毛皮を日本人と取引していたとされる。ツングース
族とも言われ、そりにする板で家を作り、その家は便所であり、彼らそのものはその回
りに森の木を立てかけて雪のかまくら状態で住み火を焚いて暮らしていた。というのも
トナカイの集合場所として、或いは獲物の熊などへの威嚇やおとりとして人糞の匂いが
必要だったようだ。生活の知恵だろう。「悪魔の門の洞窟」で発見された民族は、邑婁
(ゆうろう)という中国東北部からロシアのアムール川近くに存在するウルチ族とかな
り同じらしい。1.邑婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活している
。2.部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったと
いう。3.邑婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。4.夏にはほぼ全
裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの
厚さに塗って風や寒さを防いだという。5.爼豆(そとう:机や祭器)を使う習慣が無く
、鼎や瓶や平皿を用いて炊事や食事をする。6.毒矢を使用する。これが邑婁(ゆうろう
)人の生活習慣である。だがこの生活習慣は、明治時代の朝鮮半島に関する書物「最近
朝鮮事情」やイザベラバートの旅行記の記録にある朝鮮人の生活習慣と一致するのであ
る。壁に糞尿を混ぜて塗り込むから部屋は臭く、小便や糞を瓶に詰め薬として飲んだ。
と書いている。又田舎では竪穴に住み、真ん中に糞尿のツボがあり暖かく過ごしていた
。問題はこうした生活ではなく、この生活習慣が何百年も続いたと言う事だ。通常アリ
さえも穴倉では、生活する部屋と排尿やゴミを置く部屋は違うし、換気すら行う。が、
この生活にはそうした事が無かったのである。欧州や中東でも、例えばシチリアなどに
崖を掘り通路がありキリスト教が穴の中に住んだ。しかし、それは蟻の様に集会所や、
他の小部屋や水を得る場所など、色々な工夫をして防衛として行っているが、朝鮮形態
にはそれがないのである。なぜローマの様に下水道など作らないで生き延びたのか不思
議なのである。こうした朝鮮半島の未確認の民族を穢族(わいぞく)といった。


198: 名無しさんAA:18/08/12 12:13
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 しかし、不思議なのは、DNA的には 日本人である大和民族は全くこの朝鮮民族と
似ていないのに、顔かたちが混合一体となっている事だ。肢体については1割ほど低く
痩せているとはいえ、同じアジア系といえぬほど似ている。基本的に古来からの台湾族
とベトナム人と日本人とは似たDNAの縄文人型を持つ。しかし飛んで琉球から北海道
に近くなりアイヌ系により近い形がある。つまりアイヌ人は同じツングース族でありな
がらイヌエットのエスキモーとは近くならないのである。実はC1系はインド起源でベ
トナム台湾を経て熊本で大きく止まる。又ビルマあたりを起点に入る遺伝子と思われる
D系は中国を経て朝鮮からはいる遺伝子だが代わりに南方のニュージーランドまで存在
する。又中国のO系の遺伝子は日本にはやって来ていない。モンゴルに多いCN系や、
満州に多いCS系も又日本には来ていない。更に不思議なのは先のD系も関西と関東の
中間点でぴたりと止まる。ただ今度は北の方からC3系が南下してくるのである。とこ
ろが朝鮮人はQ系の言わばアルタイ付近の人が韓国まで来ても海を越えて来ていない事
である。こうした不思議な事は文化でも数多くある。先の「獣祖神話」が突然、朝鮮で
天下りの「降臨神話」になった訳ではない。朝鮮には両方の神話が存在する。しかし、
日本では僅かに白山信仰による白蛇神話しか見当たらない。仏教伝来でも同じ事が起こ
る。日本にやって来た宗教は順序として、拝火教→キリスト教→仏教→回教→儒教とな
っているはずで他の地域にも多くがそこに理由があって戦いや争いの歴史があってその
断面が読み取れる。ところが日本に至っては、ほぼ拝火教の形をとどめた山岳信仰とか
陰陽道や神道になっている。日本人の多くは今日本で行う寺の儀式ややり方考え方を、
古来からの仏教と思っている。偉いお坊さんが唱え説教するのだから間違いない。と、
考える。しかし、弘法大師空海や伝教大師最澄などの頃は不明だが、今の時代は確実に
名実ともに日本仏教と新たな名称の宗教と断言していい程の違いがある。拝火教の香り
の焚き行をし、仏教の像の前で、回教のお盆をし 儒教の教えの孝徳を説くのだから、
全く新しい物と見てもおかしくはない。ところが例えば、厩宿(うまやど)皇子とされ
キリスト教が入っていたと感じて聖水と同じに香炉を焚いてもキリスト教など古代には
出てこない。それどころか神社の鳥居が拝火教の鳥葬の名残りとしても鳥葬を見る事は
ない。いや葬儀そのものが神社では行わないし、氏子産子生子も重なってもいい国なの
のである。この不思議さは今のクリスマス、正月、お盆、という生活文化にも現れる。
日本民族独特の間合いの感性なのだろううが、それが美しさを与える。

199: 名無しさんAA:18/08/13 22:24 ID:1BM
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 不思議なのは言語や習慣にも現れる。基本的に関が原で日本の嗜好する味付けが変化
するし習慣も変わる。いわゆる関西圏と関東圏と言われる物だ。更に言語になれば5つ
に分かれる。北海道は勿論昔はアイヌの言葉だったろうが、南も同じ様に中国語でも、
ポルトガル語でも取れる様な言葉が琉球や鹿児島になどに存在する。更に不思議にも、
西日本と東日本更に奈良〜関東圏の言葉がある。何故か。実はそこに古代日本と朝鮮と
の繋がりがある。恐らく今の朝鮮人がアルタイの末裔としたら日本はツングースアイヌ
の末裔だったのだろう。更に九州の方は南方からやって幾種類も来たに違いない。その
中で中心だったの出雲だったとされる。それは風除けの天然の湾毎に集落が存在したの
だろうと思われるからだ。つまり日本海は大きな湖でありその湖のの周りに集落があっ
たと考えられるのである。従って紀元前1〜2世紀頃に後から来た朝鮮からの移民は、
行くところも無く宮崎大分に移り住んだと言われている。その為に九州の太平洋側に、
つやのある細目のモンゴル系人間が多い。一方沖縄〜鹿児島〜熊本〜福岡〜四国につな
がる瞳鮮やかなくっきり目の人間が旧来からの原住民と言う事になる。一方アイヌ系と
は別に北欧系が佐渡から関東に居る。これが又不思議で東北系の住民というは少し違う
。体格もよく肥えている。博多が長脛族とされた理由がそこにある。かつて白人(はく
と)伯族(はかた)とされた長脛彦は出雲の安曇族と戦ったとされる。そして戦略から
新潟の佐渡や能登半島に住んだがそのまま追われて秋田まで落ち延びたとされる。長脛
彦の末裔を称する秋田氏の伝承は、日本神話や東日流外三郡誌とは重要な一点、つまり
安日王や長脛彦の存在を肯定することで一致している。その上で現在の田村地域におい
て、秋田の名の元になった証が、いくつか残されている。秋田美人と言われるがこの容
姿はヨーロッパ系の顔や姿や肌色に起源がある。こうして日本は日本人と言う混血人種
というのが良く解る。朝鮮半島や中国ではそうした歴史が少なかった。と言うより世界
的にも、日本の様な宗教融和や人種融合を果たし、言語さえも自ら変えていった例は、
極めて珍しいのだろう。442連隊は「ゴー・フォー・ブローク」日本語では2世大隊
とも呼ばれた。日系二世の志願兵の連隊だったが、ここに朝鮮人2世のヨンオク・キム
朝鮮系アメリカ人としては唯一の第100歩兵大隊の一員として入隊している。上司は
心配して他の隊への転属を勧めたが、「ここには日系人も朝鮮人もいません。国を想う
アメリカ人だけです。」と答えて断ったと言う。彼も又差別社会に戦いを挑んだ一人だ
った。


200: 名無しさんAA:18/08/13 22:25
      世界閲覧 33        コリアンクレージーパワー31

 彼も彼の友人の日系人も地元のベルモント高校を経て、ロサンゼルス市立大学に入学
した。しかしそこでは差別が横行し学業意欲を失ったことや、家計を助けるという理由
もあって、僅か1年で中退している。その後は様々な職を転々としたが、人種差別の壁
が立ち塞がることとなり、いずれの仕事も長続きしなかったという。第二次世界大戦の
勃発に伴い、陸軍を志願した際も、同様の理由で拒否される。しかしその後、アジア系
アメリカ人も徴兵の対象となることが連邦議会で制定され、1941年に陸軍への入隊を果
たした。アメリカ本土では第100大隊は半ば隔離的に訓練をしていた。しかし、1943
年にイタリア戦線に送られ、第34歩兵師団(レッド・ブル)に配属された。この赤い猛
牛のマークはアメリカ歩兵連隊の伝統的価値を持ち、イタリア戦線においての、モンテ
・カッシーノの戦い、ベルベデーレの戦い等が当時の新聞などでも紹介された。また第
34歩兵師団所属中の日系二世兵士たちは、この頃ヘルメットの前面に師団シンボルであ
る「レッドブル・赤牛」をペイントしていたが、師団長の命令によって行われた物でア
メリカ市民としてやっと受け入れられた事を示す。第百歩兵大隊は北アフリカに送られ
を戦勝を経てイタリアへ送られた。イタリア開放の先発隊には含まれなかったのである
。モンテ・カッシーノの戦いでは、平原の中で機関銃が配置され大勢の死傷者で前線の
部隊はイタリアの都市に入ることができないでいた。その時投入された100連隊では
、地図判読に基づくキムの技術と決断力はその力が発揮された。多くの戦闘といくつか
の不可能と見られていた作戦の成功につながり、彼の技術は認知されるようになった。
その中でも、アンツィオの戦いでのエピソードは、特に知られている。連合軍では、ド
イツ軍の装甲部隊の位置を特定する必要があったが、キムでも判読出来なかった。そこ
でキムは情報を得る為にドイツ軍の兵を捕らえることを申し出て見事に捕虜を捉えて、
戦勝に導いた。終戦後、キムは陸軍大尉で退役したものの、就労には恵まれず、自らは
当時としては珍しいセミセルフサービス方式のコインランドリーを開業し成功をしてい
た。しかし、間もなく朝鮮戦争が勃発したことから、キムは事業を断念し、陸軍に復帰
した。陸軍は、僅かでも朝鮮語を解する彼を陸軍保安局に勤めた。しかし、キムは一兵
士として戦闘に従事することを希望し、彼の要望によって、朝鮮語を全く解さない振り
をして東アジアへ派遣された。


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