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ちょっくらごめんよ
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30: 09/16 07:52 [sage]
 カミーユはシロッコやヤザンに向かって戦争を遊びにしてどうたらと言っていたが、ここにシロッコとヤザンの対照性を見ることができる。つまり、シロッコの場合は特に遊びという形容は似つかわしくないように考えられるのだが、敢えて言うなら「遊びで戦争をやっている」のがシロッコで、「戦争を遊びにしている」のがヤザンということである。ちなみに、シャアとシロッコの違いもここで明らかとなる。シャアは絶対に遊びで戦争をやったりはしない。逆襲のシャアの第二次ネオジオン抗争(だっけ?)とて遊びでやっている訳ではないだろう。だからシャアは敵役でありながら正義のヒーロー滲みているのである。
 つまり、ヤザンのような人間が生を感じ生きる居場所を得るには、戦争という枠組みが与えられることが必要であって、女性的人間のヤザンには戦争を与えてくれる男性的人間のシロッコのような人間が絶対的に必要なのである。又、シロッコのような男性的人間には戦争において役に立つ駒(とは言うものの彼はきちんと個人個人の人間性を大切にする男、男性的人間であるが)としてのヤザンのような女性的人間が必要なのである。だからシロッコとヤザンは惹かれあうのであろう。
 ちなみに、女性的で殺し合い好きのヤザンは進んで戦場へ出たがるが、男性的なシロッコはその天才的能力でMSを扱っても鬼神の如き強さを発揮できるにも拘らず指揮官の立場でほとんど戦場に出ることは無い。
 関係ないが、もし仮にヤザンとシロッコが同じMSで一対一で戦ったとしたなら間違いなくシロッコが勝つであろう。しかし、この二人の能力はそのようにして比べられるべきではない。ヤザンの能力とシロッコの能力の属性の違いが最も顕著に表れ得るのは、例えばザコMS百体なり千体なりに囲まれた時である。ヤザンならば死を恐れ生き残る為にザコの間を上手く立ち回ってその戦場から脱出して逃げるなどという方法をとるかもしれないが、シロッコは脱出しようとするもヤザン程に上手く逃げられずザコ相手にエネルギー切れを起こしてやられてしまうかもしれない。まあこのような状況においてでも、ヤザンがギャプランなりハンブラビに乗っていて、シロッコがメッサーラなりthe-oに乗っているならばどちらも生き残るだろうが。それぞれのパイロットにはその能力に相応しいMSというものが在り、また必要である。 ちなみにこの作品に登場する女性キャラは基本的にどのキャラも同じように女性性の強い女性であって、あまり語る魅力がない。ファのような男性性の若干ありそうなキャラも居るが。ハマーンあたりも一見一勢力をまとめる男性的人間に見えなくもないのだが、彼女は放映当時に出版された本をみると「強い男性(おそらくシャアのことだろう)に憧れる女性」と書いてあるように、確かにあまり他人を尊重して受け入れるような器には見えない。つまりは、女性的である。カリスマはあるようだが。
31: 09/16 07:52 [sage]
 キャラクターの体型について。また身体論的な話だが、この作品に関して言うならば、専門的知識を得た上で当時の作画さんが設定したのか知らんが、これはもう見事と言うしかない。もし直観で描いたのならばもう天才以外の何者でもないだろう。
 男性性の強いシャアは胸板が厚く手足が長い。そしてさらに輪を掛けて男性性の強いシロッコは胸板が非常に厚く手足が非常に長く、痩せているにも拘らず体格が非常に良い。これは先に説明したコーカソイドの特徴である。男性性の強いコーカソイドの男性は高身長で長足長手である。この肉体と精神を司る特徴が、身体だけでなく顔の表情といい、この二人のキャラでは非常に見事に表現されている。ジャミトフは老齢なので考察の対象外。
 又、女性性の強いヤザンやカミーユはかなりの痩せ型で見事なまでに華奢である。この体型はモンゴロイドの男性に高頻度で見られる。ジャマイカンは中年にしては痩せている。バスクは表面的な男性性が強いせいか、高身長で強面の見た目で描かれている。

 Zガンダムというアニメに対する総括的な私見。結論から言うと、これはサタンによる神殺しの話であろう。このアニメを製作当時の富野由悠季監督はニーチェのような人だったのかもしれない。「神は死んだ」と主張した、その思想から言っても女性的傾向の顕著であったフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェはその生存時ほとんど著書が売れなかったそうだが、Zガンダムも放映当時は視聴率が甚だ低く一般受けはほとんどしなかったそうである。
 カミーユファンには申し訳ないが、サタンのようにヒステリックでパラノイアックな気狂い滲みた嫉妬心とも言える程の感情でシロッコを悪役に仕立て上げ殺したカミーユは、このアニメにおける女性性の象徴である。逆に、木星(ジュピター)、ひいてはジュピトリスというのは、古代ギリシア神話の主神ゼウスのことであり、だからこそ男性性の象徴であるシロッコはジュピトリスの艦長であり、MSthe-o(神の意思)のパイロットであり、カミーユの最後の敵なのである。ちなみにゼウスの父クロノスは富野由悠季監督自身かもしれない。

富野由悠季監督はZをキリスト教的受難劇と定義しているとかなんとか何所かで見たが、受難したのはカミーユではなくどう見てもシロッコの方である。 このように、子供用のアニメーションと言えど、まあガンダムは非常な秀作だからかもしれないが、学ぶところは非常に多い。というかZガンダムは子供が見て楽しめるアニメではないだろう。どうみても大人向けである。この辺りが「アニメは子供が見るもの」と言っている宮崎駿監督と、自身のアニメを通して時代の流れや現実を取り巻く状況を感じて欲しいと言わんばかりの富野由悠季監督の違いであろう。宮崎駿監督は子供向けアニメを作る天才であり、富野由悠季監督は大人向けアニメを作る天才であろう。
32: 09/17 06:13 [sage]
余談10修正1

 ちなみにこの作品に登場する女性キャラは基本的にどのキャラも同じように女性性の強い女性であって、あまり語る魅力がない。しかし逆にミライさんなどはあまりに包容力のある男性的すぎる女性でこれまた語る余地が無い(彼女は一目瞭然で良妻賢母である)。
 敢えて語る魅力のあるのはファであって、彼女のような男性性のあるキャラも居る。が、彼女はまだ年齢が若く特にカミーユに対するヒステリックさを抑えることができない。しかし年齢云々はどうでもいいとして、実は彼女はヤザンやバスクと同じように男性性と女性性が入り混じった人間なのである。彼女がヤザンやバスクと違う点は、ファは根が男性的でその表面に女性性が覆っているということである。ヤザンやバスクとは真逆なのである。だから女性的に男性性をやる、ヒステリックでパラノイアックに相手に対して建設的に働きかけようとする、つまりあのような少女の立場の状況で言えば相手におせっかいがましくやさしくしようとするのである。よって無理をして殺し合いの戦争に参加しても本来は殺し合いも殺しもしたくないのが丸見えである(ヤザンやバスクとは真逆)。つまり、一見ヒステリックで女性的なカミーユとケンカばかりしているように見えても、根が男性的なファは、カミーユが心配でたまらなくまるで彼の母親のような役割を担っていることが分かるだろう。余談10修正2

 Zガンダムというアニメに対する総括的な私見。結論から言うと、これはサタンによる神殺しの話であろう。このアニメを製作当時の富野由悠季監督はニーチェのような人だったのかもしれない。「神は死んだ」と主張した、その思想から言っても女性的傾向の顕著であったフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェはその生存時ほとんど著書が売れなかったそうだが、Zガンダムも放映当時は視聴率が甚だ低く一般受けはほとんどしなかったそうである。究極のNTとやらのツァラトゥストラのようなカミーユにゼウスを倒させて無神論滲みたものを主張したかったのかもしれない。
 カミーユファンは怒るかもしれないが、サタンのようにヒステリックでパラノイアックな気狂い滲みた嫉妬心とも言える程の感情でシロッコを悪役に仕立て上げ殺したカミーユは、このアニメにおける女性性の象徴である。逆に、木星(ジュピター)、ひいてはジュピトリスというのは、古代ギリシア神話の主神ゼウスのことである。このゼウスなる主神はインド=ヨーロッパ語族の神であることが確かな唯一の神であり、まさにコーカソイドの男性の象徴である。だからこそ男性性の象徴であるシロッコは、MSというガンダム世界を成立させる上で必要不可欠なモノを動かすのに必要なヘリウム3という物質を木星から運搬する役割を負った超巨大輸送艦ジュピトリスの艦長であり、MSthe-o(神の意思)のパイロットであり、カミーユの最後の敵なのである。イマヌエル・カントが言うところの「(おそらく神によって為される)最高善」、そしてそれが為される過程で犠牲になっていった(主に)女性達の魂(思念?)を自らの内に取り込んでサタンの汚名を被り神(the-o、シロッコ)に復讐を果たしたのがカミーユである。しかしタダで神を殺せる訳も無く、その代償として、パラノイアの象徴であるサタンの末路として、精神崩壊した。富野由悠季監督はZをキリスト教的受難劇と定義しているとかなんとか何所かで見たが、受難したのはカミーユではなくどう見てもシロッコの方である。
 ちなみにゼウスに王座を奪われたその父クロノスは富野由悠季監督自身であるかもしれない。シロッコというキャラに機動戦士Zガンダムという作品自体をのっとられたのである。まあ、それは冗談としても、おそらく監督を始めとして製作者サイドにはシロッコは扱いにくいキャラクターであったに違いない。
33: 09/19 05:42 [sage]
余談11

 真面目。「真面目」とは一体何であろうか?私は、自分が「真面目である」と思ったことも、自分は「真面目ではない」と思ったことも、一度も無い。自分が「優等生である」と思ったことは幾度となくある。少なくとも中学までの私は、学校の勉強の成績はそれなりに良くゲーム好きの太ってメガネをかけた所謂どこにでもいるようなオタク少年であった。ネタキャラではあったが昼休みには校庭でサッカーの群れに交わり、帰ってからは友達とゲームをやるかゲーセンにでも行くか公園や放課後の小学校に忍び込んで玉ころ遊びに熱中するか、そうでなければ家で一人でピコピコRPGやるか、といったごく普通の生活をしていた。そのような私でも、自分が「真面目である」と思ったことも自分は「真面目ではない」と思ったことも一度も無いし、そして自分が「優等生である」とは頻繁に思い浮かべていたことではある。
 「真剣に」や「本気で」や「誠意をもって」といった表現ならば、それがどのような状態か、どのような感覚もってして物事に対しているのか、理解はできる。しかし、「真面目に」というのははっきり言って理解できない。
 私の通った中学校は公立だったが少々おハイソだったので不良少年少女というのは居なかったが(となりの普通中学校から原付に乗った不良少年が攻めてきた(笑)ことはあった)、不良少年達というのはどうやら「優等生」をさして「真面目である」と評するらしい。単純な彼らの頭の中では、優等生イコール真面目と見なしてしまうので、おそらく「ワル」に対する「真面目」という構図が出来上がってしまっているのだろう。まるで小学生用の漫画の世界である。真面目であっても優等生になれない頭を持った人間はいくらでも存在するし、真面目でなくとも優等生になってしまう頭の持ち主もいくらでも存在する。
 未だに私には「真面目」の定義も理解できないし(例え辞書を引いても)、感覚も理解できない。
34: 09/19 07:19 [age]
別箇所にblogの形で内容を修正してupしました。

いつまでも2ch2の管理人さんや住人に迷惑かけるのもアレなので。(2ch2の管理人さんと板管理人さんへ)失礼しました。

このスレッドは削除していただいて結構です。
35: 11/05 05:15
野外八メ in 近所の公園
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7万もらってやってきたw
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