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ちょっくらごめんよ
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16: 09/10 16:54 [sage]
 つまるところ、「男性(的人間、非パラノイア)は互いを認め合い、協力できるところは協力して社会を発展させていく。女性(的人間、パラノイア)は互いを憎み合

い、犯し合い、引き摺り下ろし合い、殺し合う。」
 ややオカルト染みていて嫌だが、カバリストの表現を持ってくるならば、男性とは能動的慈悲の生き物であり、女性とは受動的峻厳の生き物である。
17: 09/10 16:54 [sage]
 余談。食べ物について。
 結論だけ。パラノイアは肉を食うな。人類史上パラノイアの象徴であるとも言える、女性的傾向の顕著であったヒトラーが極度の菜食主義であったのは彼自身の自己防

衛本能だろう。あれでヒトラーが肉食を好んでいたらナチスは彼の発狂によりもっと早く崩壊していたに違いない。
18: 09/10 16:54 [sage]
 物事の一面や一点に囚われていては、自分を取り巻く状況を俯瞰的に見ることはできない。その結果はパラノイア化による破滅である。
 姿勢、身に付けるもの、食物として摂取するもの。視覚(見るもの)、聴覚(聞くもの)、味覚(摂取する栄養素、舌のどの部分が反応するか)、嗅覚(色々な臭いの 省22
19: 09/11 13:05 [sage]
余談。

 男性的な女性の例を挙げてみるならば、長谷川京子、今井美樹、持田香織、深田恭子と言ったところか。ご本人たちには失礼だが、どっしりしているというか、落ち着きのある女性たちである。個人的にはこのような女性たちに非常に惹かれる。作家で言うと、小川洋子や内田春菊あたりか。もちろん個体差はあるだろうが基本的に男性的な人間よりも女性的な人間の方が(言語能力全般とは言えないが)ものを書く能力は高い。作品を読んでみれば分かる話だが、内田春菊はほとんど漫画しか読んだことがないのでどうか知らんが、小川洋子にはほとんど文才は無い。にもかかわらず彼女の作品が魅力的なのは、彼女が全体として落ち着いた雰囲気を醸しだす能力を持っているからである。男性性の強い彼女の書いた小説は、読んでいると心が落ち着いてくる。ストーリー構成などはっきり言ってほとんど気にならないほどである。言っては悪いが、そこらへんの無能なオバサン小説家が書いた中年のジジイやババア(言葉が悪くて失礼)がくっついただのはなれただのという気色の悪いものよりは余程読みたくはなる。
 男性性の強い女性というのは基本的に落ち着いており、派手なものもあまり好まないだろう。
20: 09/12 13:19 [sage]
余談2

 ところで何故私がフロイトの理屈を持ち出しながら、フロイトを嫌うのか?それはフロイト本人こそがエディプスコンプレックスにまみれた肛門性格の女性的人間だからである。彼は自分の診断(判断)を受け入れなかったクランケに対して、ヒステリックに「私の診断を受け入れない生意気な小娘め!(?とかなんとか」言ったとかカルテに書いたとかいう逸話が残っている。というかそもそもがエディプスコンプレックスという発想そのものが、肛門のよく締まったパラノイアのそれである。非パラノイアックな男性的人間にはそもそもエディプスコンプレックスという発想そのものが浮かび得ない。
 ところでジークムント・フロイトとよく引き合いに出されることの多いカール・グスタフ・ユングであるが、何でもとSEXと結びつける(本人曰くそれはプラトン的なエロス(?)とのことだそうだが)フロイトとは違って、ユングは例えば「元型」に関する考察に鑑みられるように非常に総体的な鳥瞰図的とでも言おうか俯瞰的と言おうか総合的なものの見方のできる人であり、非常に男性的な男性である。
 ……女性は男性よりも性欲が強いなどと言われるが、SEXのことばかり考えている女性的でパラノイアックなフロイト先生にできることならお伝えしたいが、それはやはりこのようなところからも理解できるものだろう。
21: 09/12 13:19 [sage]
余談3
 
 「男性的な人間(非パラノイア)より女性的な人間(パラノイア)の方が客観的である」、という俗説がある。これは、基本的には正しい。(ちなみに「パラノイアとドイツ語の音韻・文法形態と客観性の認識についての考察」などというタイトルで一つ論文が書けそうだ(笑))
 しかし、そこに人間関係が入ってくると事態は逆転する。「男性的な人間(非パラノイア)より女性的な人間(パラノイア)の方が客観的に物事を見ることはできるが、女性的な人間(パラノイア)はその得られた具体的内容の中から都合のいいものだけを取り出して伝達し、認知した情報を正確に相手に伝えようとしない」。つまり、いくらパラノイアが客観的であっても、客観的であるはずのパラノイアの言い分を真に受けることはナンセンス、ということである。
 つまり、パラノイアの物事の認知形態は非パラノイアよりは客観的であるということはできても、パラノイアの発言に客観性は全くと言っていい程無い、ということであり、パラノイアの発言内容は極度に(その当人の都合に合わせて)主観的になってしまうということである。
 これは女性的な人間、特に女々しい男(パラノイア、肛門性格者)によく見られる、自分の要求が受け入れられないと直にイライラし(自分より弱い相手に自分の要求を押し付けたがる)、ということにもよく見られる。認識した客観的事実の内、相手をやりこめるのに都合のいい要素要素だけを小出しにして、「ホラ私は俺はこんなに客観的なことを言っているのにオマエは納得しないのか?」、と。自分にしか通用しない「普通」や、自分にしか通用しない「常識」を他者に押し付けようとすると言ってもよい。受動的峻厳というのは基本的に他、他者を認めようとしない。その内面を敢えて言葉にするならば、「自分はこんなにすごい!自分はこんなに苦労した!だから自分が!自分だけが〜!」といったところか。だから膣(肛門)を意識するパラノイアックな感覚の持ち主というのは、仮に上辺だけは合わせても、互いに憎み合い引き摺り下ろしあい犯し合い殺し合う訳であって(まさに女という生き物のそのものであるかのようである)、基本的に他者と協力して社会でも何でもよいが何かを建設的に創り上げていくという発想が無い。
 もう一つ、女性的な人間(パラノイア)には「大局的に見てどうでもよい細かな下らないことにこだわる」ということがある。これは、上述のゴマカシにおいて話の本筋とは関係のない細かいことを小出しにして話を逸らして逃げていくという手段に用いられる。しかし、これに関してはプラスに働く場合も無きにしも非ず。何か創作物、絵画でも彫刻でも文学作品でもよい、このようなものを創り上げるにおいてこの認識は作品を仕上げる上でおおいに役立つと言えるだろう。アニメや映画等チームワークでやるものについてはどうだか詳しく知らないが。
 その他、女性的な人間、特に女々しい男(パラノイア、肛門性格)に多く見られるの特徴としては、「自分にとって都合の悪い人間は何でもキチガイ扱い」「自分に(自分の足りない頭で)理解できないものは何でも否定する」、これにおける後者などはまさに「抗う病気・パラノイア」と言うことができるだろう。上にヘーゲルやカントの例を挙げたが、彼らのような認識に耐えることはパラノイアと言えども(カントは健康だったそうだが)彼らのような強靭な精神の持ち主だからできることであって、(さすが歴史に名を残すくらいのことはあって)彼らは特別である。
22: 09/12 13:19 [sage]
余談4

 ここへ来て、父親に性的虐待を受け続けた女の子の告白のような雑誌の記事が某所でupされているのをチラ見したわけだが、そこには彼女の受けた被害の必死の訴えを、「それをお前は免罪符としていて、結局はキサマが悪い(なんか少女がやったということなのか?)」「そもそも手紙の書き方が悪くだらしがない」みたいに返すおそらく中年男性の返信が同時に載っていたのだが、これは明らかに対応の仕方が愚かしいだろう。
 彼女の記事もヒステリックで気狂いじみていたが、それに対して「それ(非虐待)をお前は免罪符としていて、結局はキサマが悪い」「手紙の書き方がどうたらこうたらだらしない」などと言うこの中年男もまた女々しい。理解できないか?基本的に、上で説明しているが、女性がパラノイアックな感覚に取り付かれ易いのはもう身体的特質から言って仕方の無いことであって、それは誰もが否定できるものではない。それを否定したら人類は滅びるしかないのだから。それを理解せず叩き返すというのは、互いを疑い合い憎み合う女性的な世界であり、肛門を力んでいるパラノイアックな女々しい男としか言い様がなく、まさに受動的峻厳の世界である。
 男性的というのは、こういった場合には「君は充分苦しんだ(相手が苦しんだことをきちんと受け入れる)。だが、これ以上自分に害を与えた相手を憎んでいると、君は余計にパラノイアックになってさらに苦しむことになる。だからこれからのことを具体的に考えよう」ときちんと説明し、あわよくば女性を見守り・癒し、具体的相談に乗り始めるくらいの能動的慈悲の世界の人間のことである。手紙の書き方がどうとかテーマの本筋からズレたどうでもいいことはどうでもいいのだ。上述してあることを鑑みれば分かることだと思うが、明らかに男性より女性の方がただ存在するだけで苦しみに耐えている。それを癒して少しでも社会を建設的方向へ持っていくのが男性的人間の役割だろう。
 苦しんでいる人間をさらに苦しめようとするような所謂女の腐ったような性根の持ち主はまたその苦しんでいる人間と同類であるとしか言い様が無い。パラノイアとパラノイアで引き摺り下ろしあって犯しあって殺しあえば?と言いたくなるのも無理は無い。この中年男性は「犯罪被害者に相談を持ち掛けられるという被害」にあっている(と思い込んでいるパラノイアックな)女性的人間である。……ちなみにパラノイアというのは思い込みがその程度が深刻になる程に激しくなっていく。女性の依存性や思い込みの激しさというのは見ればわかるだろう。
23: 09/12 13:21 [sage]
test
24: 09/12 13:22 [sage]
余談6

 もちろんこれは、薬物に関する私の実体験の話以外は、何かを実証している訳でもなく論証している訳でもなく、感想文とまでは言わないがカントの言うところの単なる弁証の類である(まあ昨今のマスコミ様の「素晴らしい」新聞記事よりは数段マシだとは思うが)。よって、このような場所に書いているわけであるから、信に足らずと思えば無視してもらえばいいし、罵倒など別の場所でいくらでもやってもらってかまわない。
25: 09/13 17:02 [sage]
余談7

 頭髪。
 基本的に短髪というものは精神を落ち着かせるであろう。まあいわば男の場合だと髪を切るとスッキリするというやつである。アメリカの女優さんで役柄上か何かで丸坊主にした人が居たと思うが、女性についてもこれは同じである。むしろパラノイアックな感覚に陥り易い女性だからこそ短髪をお勧めする。とは言っても誰もやらないだろうが。たしかに美形好みで審美的な女性としては長髪の方が美しいに決まっているからである(何度も言うが、美形好みで審美的というのはパラノイアを喚起する膣・肛門感覚に由来する)。そういえば日本の女性ミュージシャンで丸坊主にした人がいたような気もするが。長髪ならば長髪で後ろに一束ねにするというのも手ではあるかもしれないが、おでこを出してオールバックにすると逆にパラノイアックな感覚が喚起されるということもあるので(実際におでこを出してオールバックにしてみれば「頭蓋の右斜め後ろ辺りに意識が集まり苦痛を感じイライラしてくる」ことが理解できるだろう)、何とも言い難い。ともかく、男性が男性性を得る為には短髪が好ましく、女性が女性性を得る為には長髪が好ましいということである、がやはり女性も短髪の方が精神を落ち着けるにはいいのではないか、とは思う次第である。ヒトラーがアウシュビッツを初めとする強制収容所に収監したユダヤ人の中、写真に残っているが、少女たちは皆頭髪を坊主頭にされている。これはやはりヒトラーがユダヤ人を女性的な(差別的であまり言いたくないが、劣等な)民族と見なしていたからであり、彼女らに男性性を強制しようとしていたのであろう。これは女性的なヒトラーによる同族嫌悪以外の何ものでもない。このことは、やはりユダヤ人の選民思想と同じく、女性性の極度に強かったヒトラーも自分を過度に特別に選ばれた人間と見なしていたということの証の一つとなろう。
 ところで私は長髪である。抗精神病薬の投薬のせいで体重は激増し、肝臓をやられ体と首と顔はむくみあがり、もはや私の見た目は妖怪の様相を呈しており、不細工な顔と相俟って所謂キモオタそのものである。それで背が高く手足が長いので尚気味が悪い。にも拘らずそれを自覚しながら何故髪を切らないか?「髪を切ると自分の女性性が失われるようで恐ろしい」のである。男性にも拘らず女性性が失われるのが恐ろしい、これは間違いなく抗精神病薬の投薬によるパラノイア化・肛門性格化・女性化によるものである。10代の頃の私は今より遥かに痩せて普通に髪を切っていたどころか丸坊主にもしていたぐらいである。
 先にパラノイアの代名詞といって例に挙げたかの三島由紀夫も、ほとんど坊主頭であったが、その作品中には髪を伸ばすことについては憧れであると語っている部分があるし、東大生時代には普通程度には髪を伸ばしている写真を我々は見ることができる。というか、大学を卒業し彼が坊主頭を採用したのは、ヒトラーの菜食主義と同じく自己防衛であった気配が強い(というかヒトラーも坊主頭にすべきであった)。ボディビルについても同じく。身体に関する科学的な知識を得て、要所要所に筋肉をつけ、パラノイアックな感覚から逃れようとしていたのかもしれない。
 しかしあまりに男性性の強い男性というのは、逆に女性的意識(パラノイアックな感覚)を求めて髪を伸ばすということがあるだろう。男性性の強いコーカソイドの男性に、女性性の強いモンゴロイドの男性と比べて、遡るは中世から長髪が多いのはその為だろう。比べて女性性の強いモンゴロイドの男性は、男性的意識を求めて剃髪するくらいである。ネグロイドの男性は短髪長髪色々居るようだが。
 ちなみに男性が女性化(パラノイア化)すると間違いなくハゲる。少なくとも我々に、短髪の禿げのよりも長髪の禿げが多いのはそのせいである。上にも挙げた最悪の抗精神病薬リスパダールを投薬し続けていた間、私はパラノイア化のストレスで髪がボロボロボロボロ抜け洗髪時は言葉にできない程悲惨なものであった。今や20代にして私の頭髪は禿げ二歩手前といったところである。
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