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ちょっくらごめんよ
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1: 09/10 16:47 [sage]
ここ借りるわ。
誰もいない(ことになってる)みたいだし。
27: 09/13 17:03 [sage]
余談9

 色。
 色と脳の認識について。これは色で人格を決めるとかそういったオカルトの類ではない。
 まず赤。これはパラノイアの色、女性の色である。別の言い方で言うとパラノイアや女性がその肉体や精神から発している色であると言ってもよい。理由は簡単、我々によって「赤」「red」「rot」と言った言葉で表される所の色が我々の視覚を通して脳に認知されると、肉体内で男性ホルモンの分泌が促されるからである。男性ホルモンが分泌されると精神は落ち着いてくる。実験としてしばらくの時間赤い色を眺めていて欲しい。肉体も精神もリラックスしてくるのが理解できるはずである。赤い色を見つめているのに抵抗があるというのであれば、オレンジやピンクや茶色でもおそらく大丈夫なはずである。逆に、緑色をじっと見続けているとイライラしてくるのが理解できるはずである。緑色は目によいなどと言われるが、それは眼球やその周辺に存在する視力を司る筋肉にとって好影響であるという話であって、精神的にはイライラしてくるはずである。しかし、緑色はさわやかさをもたらすという言い方もできる訳であって、男性(的人間)から見て緑は精神を爽快にしてくれる色などという解釈も成り立つかもしれない。逆に赤は女性(的人間)にとって心に落ち着きを与えてくれる色という解釈が成り立つだろう。
 だから、我々が子供の頃女子のランドセルは赤だったのであり、「赤い靴をはいた女の子〜♪」という童謡が歌われたり、上で挙げたエビちゃんには赤い服が異様なまでに似合うのである。
 
 エヴァンゲリオンは非常にその辺りのことがよく表現されているアニメであり、庵野秀明監督個人がお決めになったのかどうかは知らんが、登場人物のアスカのシンボルカラーが赤であるのは的を得ているとしか言い様が無い。アスカはこれ以上は無いというくらいの女性的な女性の象徴であり、一目瞭然でヒステリックでパラノイアックである。不謹慎な言い方だが、犯したくなる女である(だからヒロインでありさんざんエロのネタにされるのであろう)。おそらく正常な男性は赤いものを身に付けた女性を見ると性的欲望を掻き立てられるだろう。
 逆にガンダムではシャアが赤い彗星と呼ばれているが、富野由悠季監督がお決めになったのかは分からないが、これはミスマッチとしか言い様がない。シャアには確かに赤い色がよく似合う、しかし、それはシャアがヒーローで金髪で男前で池田秀一氏のカッコイイ声だからである。要するに見た目の問題だ。そんなことを言い出したらキムタクにだってあのキャラで赤が似合ってしまうとも言い切れる。シャアのキャラクター、人柄は赤とは正反対の落ち着いた男性的な男性であり大人である。女性的な子供っぽさはカケラも無い。だいたいが10歳も年下の子供に修正だとかいって拳で殴られたにも拘らず、「これが若さか……」などと言って受け入れてやれる程に大人で男性的な人間である。また、逆襲のシャアでアムロと格闘した挙句に自分の方へ転がり込んできたクェスに手を差し伸べて、絶妙のタイミングで「行くかい?」などと言ってしまえる程に大人で男性的である。もはや大人の男過ぎて笑えるくらいである。むしろ松本人志的な笑いをすら喚起せしめる程である。よってむしろ、シャアはその肉体や精神から緑を発しているような人間であると言うことができる、と私は言いたい。シャアの場合と同じく見た目の問題だけで言うならば違うということになるだろうが、赤が似合うのはむしろカミーユであって、彼は一部で萌え美少女とか揶揄される程に女性的でヒステリックでパラノイアックであって少々いき過ぎていて気狂い滲みている程である。少し前に「赤の肖像」という池田秀一氏の朗読イベントがあったようだが、シャアは「赤の肖像」ではなく、「緑の肖像」である、と私は言いたい。 まあ、つまり何が言いたいかと言うと、赤い色を見るとパラノイアックな苦しい感覚からは少しでも癒されますよ、と言いたい。
28: 09/16 07:51 [age]
余談10
省11
29: 09/16 07:51 [sage]
 ここでヤザン・バスク・ジャマイカンの三者を貫く共通性について考察してみよう。それは恐怖心と恥の意識である(恥意識については後述)。これら三者女性的な人間に共通するものは、他者(男)に犯されるかもしれないという恐怖心である。
 ここでまた身体論的な話になるのだが、小さな子供を持つ親御さんはよく分かっていると思うが、私が書籍で読んだ所に因ると、小さな子供の体を抱き上げたり撫でたりした場合、男の子は平気だが、女の子は男の子に比べてくすぐったがり、その子供によっては非常に恥ずかしがって嫌がるそうである。女性は男性に比べて感度が高いのである。だいだいが大人の男性と女性を見比べても、明らかに男性より女性の方が恥ずかしがりやで体に触れられることを嫌がることを我々は理解できるであろう。
 ヤザン・バスク・ジャマイカンの肉体に服ごしにでも不意に触ってみることを想像してみるがよい。ヤザン・ジャマイカン
ならまだ罵倒されるか気持ち悪がられる程度で済むだろうからマシであろうが、バスクの体に不意に触れようものなら即刻顔面を拳で殴られそうである。これは皆この三者の恐怖心の現れである。
 逆に男性性の権化であるシロッコやシャア(ジャミトフは老齢故別だとしても)の肉体に服ごしにでも不意に触ってみることを想像してみるがよい。「なんだね?」と言ってただ単に疑問符を浮かべられる程度のことであろう。それどころかシロッコにいたっては、「ん、どうしたのだね?」などと言って喜ばれ笑顔を浮かべられそうなぐらいの勢いである。男性(的人間)には他者(男)に犯されるなどという恐怖はほとんど無いのである。

 私個人的にはこのヤザン・ゲーブルという男には非常に惹かれるものがある(大塚芳忠氏の声もカッコイイ)。自分には無いものを持っている感じがするからである。

 女性的なカミーユがあのヒステリックさで暴走して、最後まで死なずに済んだのは(最後壊れたが)、傍に男性性の強い(と言っても彼女も若干ヒス気味だが。これはガンダムキャラ全般に言えてしまうことではある)ファがいて彼をいちいち受け止めてくれていたからである。もし仮にファが居なければ、カミーユはあの勢いで暴走してヤザンかジェリドあたりに斬り殺されていただろう。
30: 09/16 07:52 [sage]
 カミーユはシロッコやヤザンに向かって戦争を遊びにしてどうたらと言っていたが、ここにシロッコとヤザンの対照性を見ることができる。つまり、シロッコの場合は特に遊びという形容は似つかわしくないように考えられるのだが、敢えて言うなら「遊びで戦争をやっている」のがシロッコで、「戦争を遊びにしている」のがヤザンということである。ちなみに、シャアとシロッコの違いもここで明らかとなる。シャアは絶対に遊びで戦争をやったりはしない。逆襲のシャアの第二次ネオジオン抗争(だっけ?)とて遊びでやっている訳ではないだろう。だからシャアは敵役でありながら正義のヒーロー滲みているのである。
 つまり、ヤザンのような人間が生を感じ生きる居場所を得るには、戦争という枠組みが与えられることが必要であって、女性的人間のヤザンには戦争を与えてくれる男性的人間のシロッコのような人間が絶対的に必要なのである。又、シロッコのような男性的人間には戦争において役に立つ駒(とは言うものの彼はきちんと個人個人の人間性を大切にする男、男性的人間であるが)としてのヤザンのような女性的人間が必要なのである。だからシロッコとヤザンは惹かれあうのであろう。
 ちなみに、女性的で殺し合い好きのヤザンは進んで戦場へ出たがるが、男性的なシロッコはその天才的能力でMSを扱っても鬼神の如き強さを発揮できるにも拘らず指揮官の立場でほとんど戦場に出ることは無い。
 関係ないが、もし仮にヤザンとシロッコが同じMSで一対一で戦ったとしたなら間違いなくシロッコが勝つであろう。しかし、この二人の能力はそのようにして比べられるべきではない。ヤザンの能力とシロッコの能力の属性の違いが最も顕著に表れ得るのは、例えばザコMS百体なり千体なりに囲まれた時である。ヤザンならば死を恐れ生き残る為にザコの間を上手く立ち回ってその戦場から脱出して逃げるなどという方法をとるかもしれないが、シロッコは脱出しようとするもヤザン程に上手く逃げられずザコ相手にエネルギー切れを起こしてやられてしまうかもしれない。まあこのような状況においてでも、ヤザンがギャプランなりハンブラビに乗っていて、シロッコがメッサーラなりthe-oに乗っているならばどちらも生き残るだろうが。それぞれのパイロットにはその能力に相応しいMSというものが在り、また必要である。 ちなみにこの作品に登場する女性キャラは基本的にどのキャラも同じように女性性の強い女性であって、あまり語る魅力がない。ファのような男性性の若干ありそうなキャラも居るが。ハマーンあたりも一見一勢力をまとめる男性的人間に見えなくもないのだが、彼女は放映当時に出版された本をみると「強い男性(おそらくシャアのことだろう)に憧れる女性」と書いてあるように、確かにあまり他人を尊重して受け入れるような器には見えない。つまりは、女性的である。カリスマはあるようだが。
31: 09/16 07:52 [sage]
 キャラクターの体型について。また身体論的な話だが、この作品に関して言うならば、専門的知識を得た上で当時の作画さんが設定したのか知らんが、これはもう見事と言うしかない。もし直観で描いたのならばもう天才以外の何者でもないだろう。
 男性性の強いシャアは胸板が厚く手足が長い。そしてさらに輪を掛けて男性性の強いシロッコは胸板が非常に厚く手足が非常に長く、痩せているにも拘らず体格が非常に良い。これは先に説明したコーカソイドの特徴である。男性性の強いコーカソイドの男性は高身長で長足長手である。この肉体と精神を司る特徴が、身体だけでなく顔の表情といい、この二人のキャラでは非常に見事に表現されている。ジャミトフは老齢なので考察の対象外。
 又、女性性の強いヤザンやカミーユはかなりの痩せ型で見事なまでに華奢である。この体型はモンゴロイドの男性に高頻度で見られる。ジャマイカンは中年にしては痩せている。バスクは表面的な男性性が強いせいか、高身長で強面の見た目で描かれている。

 Zガンダムというアニメに対する総括的な私見。結論から言うと、これはサタンによる神殺しの話であろう。このアニメを製作当時の富野由悠季監督はニーチェのような人だったのかもしれない。「神は死んだ」と主張した、その思想から言っても女性的傾向の顕著であったフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェはその生存時ほとんど著書が売れなかったそうだが、Zガンダムも放映当時は視聴率が甚だ低く一般受けはほとんどしなかったそうである。
 カミーユファンには申し訳ないが、サタンのようにヒステリックでパラノイアックな気狂い滲みた嫉妬心とも言える程の感情でシロッコを悪役に仕立て上げ殺したカミーユは、このアニメにおける女性性の象徴である。逆に、木星(ジュピター)、ひいてはジュピトリスというのは、古代ギリシア神話の主神ゼウスのことであり、だからこそ男性性の象徴であるシロッコはジュピトリスの艦長であり、MSthe-o(神の意思)のパイロットであり、カミーユの最後の敵なのである。ちなみにゼウスの父クロノスは富野由悠季監督自身かもしれない。

富野由悠季監督はZをキリスト教的受難劇と定義しているとかなんとか何所かで見たが、受難したのはカミーユではなくどう見てもシロッコの方である。 このように、子供用のアニメーションと言えど、まあガンダムは非常な秀作だからかもしれないが、学ぶところは非常に多い。というかZガンダムは子供が見て楽しめるアニメではないだろう。どうみても大人向けである。この辺りが「アニメは子供が見るもの」と言っている宮崎駿監督と、自身のアニメを通して時代の流れや現実を取り巻く状況を感じて欲しいと言わんばかりの富野由悠季監督の違いであろう。宮崎駿監督は子供向けアニメを作る天才であり、富野由悠季監督は大人向けアニメを作る天才であろう。
32: 09/17 06:13 [sage]
余談10修正1

 ちなみにこの作品に登場する女性キャラは基本的にどのキャラも同じように女性性の強い女性であって、あまり語る魅力がない。しかし逆にミライさんなどはあまりに包容力のある男性的すぎる女性でこれまた語る余地が無い(彼女は一目瞭然で良妻賢母である)。
 敢えて語る魅力のあるのはファであって、彼女のような男性性のあるキャラも居る。が、彼女はまだ年齢が若く特にカミーユに対するヒステリックさを抑えることができない。しかし年齢云々はどうでもいいとして、実は彼女はヤザンやバスクと同じように男性性と女性性が入り混じった人間なのである。彼女がヤザンやバスクと違う点は、ファは根が男性的でその表面に女性性が覆っているということである。ヤザンやバスクとは真逆なのである。だから女性的に男性性をやる、ヒステリックでパラノイアックに相手に対して建設的に働きかけようとする、つまりあのような少女の立場の状況で言えば相手におせっかいがましくやさしくしようとするのである。よって無理をして殺し合いの戦争に参加しても本来は殺し合いも殺しもしたくないのが丸見えである(ヤザンやバスクとは真逆)。つまり、一見ヒステリックで女性的なカミーユとケンカばかりしているように見えても、根が男性的なファは、カミーユが心配でたまらなくまるで彼の母親のような役割を担っていることが分かるだろう。余談10修正2

 Zガンダムというアニメに対する総括的な私見。結論から言うと、これはサタンによる神殺しの話であろう。このアニメを製作当時の富野由悠季監督はニーチェのような人だったのかもしれない。「神は死んだ」と主張した、その思想から言っても女性的傾向の顕著であったフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェはその生存時ほとんど著書が売れなかったそうだが、Zガンダムも放映当時は視聴率が甚だ低く一般受けはほとんどしなかったそうである。究極のNTとやらのツァラトゥストラのようなカミーユにゼウスを倒させて無神論滲みたものを主張したかったのかもしれない。
 カミーユファンは怒るかもしれないが、サタンのようにヒステリックでパラノイアックな気狂い滲みた嫉妬心とも言える程の感情でシロッコを悪役に仕立て上げ殺したカミーユは、このアニメにおける女性性の象徴である。逆に、木星(ジュピター)、ひいてはジュピトリスというのは、古代ギリシア神話の主神ゼウスのことである。このゼウスなる主神はインド=ヨーロッパ語族の神であることが確かな唯一の神であり、まさにコーカソイドの男性の象徴である。だからこそ男性性の象徴であるシロッコは、MSというガンダム世界を成立させる上で必要不可欠なモノを動かすのに必要なヘリウム3という物質を木星から運搬する役割を負った超巨大輸送艦ジュピトリスの艦長であり、MSthe-o(神の意思)のパイロットであり、カミーユの最後の敵なのである。イマヌエル・カントが言うところの「(おそらく神によって為される)最高善」、そしてそれが為される過程で犠牲になっていった(主に)女性達の魂(思念?)を自らの内に取り込んでサタンの汚名を被り神(the-o、シロッコ)に復讐を果たしたのがカミーユである。しかしタダで神を殺せる訳も無く、その代償として、パラノイアの象徴であるサタンの末路として、精神崩壊した。富野由悠季監督はZをキリスト教的受難劇と定義しているとかなんとか何所かで見たが、受難したのはカミーユではなくどう見てもシロッコの方である。
 ちなみにゼウスに王座を奪われたその父クロノスは富野由悠季監督自身であるかもしれない。シロッコというキャラに機動戦士Zガンダムという作品自体をのっとられたのである。まあ、それは冗談としても、おそらく監督を始めとして製作者サイドにはシロッコは扱いにくいキャラクターであったに違いない。
33: 09/19 05:42 [sage]
余談11

 真面目。「真面目」とは一体何であろうか?私は、自分が「真面目である」と思ったことも、自分は「真面目ではない」と思ったことも、一度も無い。自分が「優等生である」と思ったことは幾度となくある。少なくとも中学までの私は、学校の勉強の成績はそれなりに良くゲーム好きの太ってメガネをかけた所謂どこにでもいるようなオタク少年であった。ネタキャラではあったが昼休みには校庭でサッカーの群れに交わり、帰ってからは友達とゲームをやるかゲーセンにでも行くか公園や放課後の小学校に忍び込んで玉ころ遊びに熱中するか、そうでなければ家で一人でピコピコRPGやるか、といったごく普通の生活をしていた。そのような私でも、自分が「真面目である」と思ったことも自分は「真面目ではない」と思ったことも一度も無いし、そして自分が「優等生である」とは頻繁に思い浮かべていたことではある。
 「真剣に」や「本気で」や「誠意をもって」といった表現ならば、それがどのような状態か、どのような感覚もってして物事に対しているのか、理解はできる。しかし、「真面目に」というのははっきり言って理解できない。
 私の通った中学校は公立だったが少々おハイソだったので不良少年少女というのは居なかったが(となりの普通中学校から原付に乗った不良少年が攻めてきた(笑)ことはあった)、不良少年達というのはどうやら「優等生」をさして「真面目である」と評するらしい。単純な彼らの頭の中では、優等生イコール真面目と見なしてしまうので、おそらく「ワル」に対する「真面目」という構図が出来上がってしまっているのだろう。まるで小学生用の漫画の世界である。真面目であっても優等生になれない頭を持った人間はいくらでも存在するし、真面目でなくとも優等生になってしまう頭の持ち主もいくらでも存在する。
 未だに私には「真面目」の定義も理解できないし(例え辞書を引いても)、感覚も理解できない。
34: 09/19 07:19 [age]
別箇所にblogの形で内容を修正してupしました。

いつまでも2ch2の管理人さんや住人に迷惑かけるのもアレなので。(2ch2の管理人さんと板管理人さんへ)失礼しました。

このスレッドは削除していただいて結構です。
35: 11/05 05:15
野外八メ in 近所の公園
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