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ちょっくらごめんよ
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12: 09/10 16:52 [sage]
 昔言われていた良妻賢母というのは男性的な女性のことである。落ち着いていて、精神がぶれることなく、慎み深く、自分の役割をしっかり自覚し、賢く子供を育てら
省34
13: 09/10 16:52 [sage]
 身体論的省察2。パラノイアと受動性(依存性)と言語能力と快楽主義的傾向。
 言うまでもなく女性は男性に比べて受動的(依存的)である。これは当然性(SEX)由来のものであろう。受動的な人間というものは概して能動的に自分に接してこよ 省29
14: 09/10 16:53 [sage]
 身体論的省察3。体型と精神にかんする省察。コーカソイドとネグロイドとモンゴロイドの体型について。
 もう面倒なので結果論だけ述べる。興味のある方は専門書でも熟読されたい。 省19
15: 09/10 16:53 [sage]
 我々モンゴロイドはコーカソイドやネグロイドに比べて明らかに、体も小さく手足も短い。
 結論から言うと我々モンゴロイド、特に中国人や韓国人、日本人はまだいいとして、その少なくとも現代の社会においては、非寛容・互いにイジメあうことを好む・残 省32
16: 09/10 16:54 [sage]
 つまるところ、「男性(的人間、非パラノイア)は互いを認め合い、協力できるところは協力して社会を発展させていく。女性(的人間、パラノイア)は互いを憎み合

い、犯し合い、引き摺り下ろし合い、殺し合う。」
 ややオカルト染みていて嫌だが、カバリストの表現を持ってくるならば、男性とは能動的慈悲の生き物であり、女性とは受動的峻厳の生き物である。
17: 09/10 16:54 [sage]
 余談。食べ物について。
 結論だけ。パラノイアは肉を食うな。人類史上パラノイアの象徴であるとも言える、女性的傾向の顕著であったヒトラーが極度の菜食主義であったのは彼自身の自己防

衛本能だろう。あれでヒトラーが肉食を好んでいたらナチスは彼の発狂によりもっと早く崩壊していたに違いない。
18: 09/10 16:54 [sage]
 物事の一面や一点に囚われていては、自分を取り巻く状況を俯瞰的に見ることはできない。その結果はパラノイア化による破滅である。
 姿勢、身に付けるもの、食物として摂取するもの。視覚(見るもの)、聴覚(聞くもの)、味覚(摂取する栄養素、舌のどの部分が反応するか)、嗅覚(色々な臭いの 省22
19: 09/11 13:05 [sage]
余談。

 男性的な女性の例を挙げてみるならば、長谷川京子、今井美樹、持田香織、深田恭子と言ったところか。ご本人たちには失礼だが、どっしりしているというか、落ち着きのある女性たちである。個人的にはこのような女性たちに非常に惹かれる。作家で言うと、小川洋子や内田春菊あたりか。もちろん個体差はあるだろうが基本的に男性的な人間よりも女性的な人間の方が(言語能力全般とは言えないが)ものを書く能力は高い。作品を読んでみれば分かる話だが、内田春菊はほとんど漫画しか読んだことがないのでどうか知らんが、小川洋子にはほとんど文才は無い。にもかかわらず彼女の作品が魅力的なのは、彼女が全体として落ち着いた雰囲気を醸しだす能力を持っているからである。男性性の強い彼女の書いた小説は、読んでいると心が落ち着いてくる。ストーリー構成などはっきり言ってほとんど気にならないほどである。言っては悪いが、そこらへんの無能なオバサン小説家が書いた中年のジジイやババア(言葉が悪くて失礼)がくっついただのはなれただのという気色の悪いものよりは余程読みたくはなる。
 男性性の強い女性というのは基本的に落ち着いており、派手なものもあまり好まないだろう。
20: 09/12 13:19 [sage]
余談2

 ところで何故私がフロイトの理屈を持ち出しながら、フロイトを嫌うのか?それはフロイト本人こそがエディプスコンプレックスにまみれた肛門性格の女性的人間だからである。彼は自分の診断(判断)を受け入れなかったクランケに対して、ヒステリックに「私の診断を受け入れない生意気な小娘め!(?とかなんとか」言ったとかカルテに書いたとかいう逸話が残っている。というかそもそもがエディプスコンプレックスという発想そのものが、肛門のよく締まったパラノイアのそれである。非パラノイアックな男性的人間にはそもそもエディプスコンプレックスという発想そのものが浮かび得ない。
 ところでジークムント・フロイトとよく引き合いに出されることの多いカール・グスタフ・ユングであるが、何でもとSEXと結びつける(本人曰くそれはプラトン的なエロス(?)とのことだそうだが)フロイトとは違って、ユングは例えば「元型」に関する考察に鑑みられるように非常に総体的な鳥瞰図的とでも言おうか俯瞰的と言おうか総合的なものの見方のできる人であり、非常に男性的な男性である。
 ……女性は男性よりも性欲が強いなどと言われるが、SEXのことばかり考えている女性的でパラノイアックなフロイト先生にできることならお伝えしたいが、それはやはりこのようなところからも理解できるものだろう。
21: 09/12 13:19 [sage]
余談3
 
 「男性的な人間(非パラノイア)より女性的な人間(パラノイア)の方が客観的である」、という俗説がある。これは、基本的には正しい。(ちなみに「パラノイアとドイツ語の音韻・文法形態と客観性の認識についての考察」などというタイトルで一つ論文が書けそうだ(笑))
 しかし、そこに人間関係が入ってくると事態は逆転する。「男性的な人間(非パラノイア)より女性的な人間(パラノイア)の方が客観的に物事を見ることはできるが、女性的な人間(パラノイア)はその得られた具体的内容の中から都合のいいものだけを取り出して伝達し、認知した情報を正確に相手に伝えようとしない」。つまり、いくらパラノイアが客観的であっても、客観的であるはずのパラノイアの言い分を真に受けることはナンセンス、ということである。
 つまり、パラノイアの物事の認知形態は非パラノイアよりは客観的であるということはできても、パラノイアの発言に客観性は全くと言っていい程無い、ということであり、パラノイアの発言内容は極度に(その当人の都合に合わせて)主観的になってしまうということである。
 これは女性的な人間、特に女々しい男(パラノイア、肛門性格者)によく見られる、自分の要求が受け入れられないと直にイライラし(自分より弱い相手に自分の要求を押し付けたがる)、ということにもよく見られる。認識した客観的事実の内、相手をやりこめるのに都合のいい要素要素だけを小出しにして、「ホラ私は俺はこんなに客観的なことを言っているのにオマエは納得しないのか?」、と。自分にしか通用しない「普通」や、自分にしか通用しない「常識」を他者に押し付けようとすると言ってもよい。受動的峻厳というのは基本的に他、他者を認めようとしない。その内面を敢えて言葉にするならば、「自分はこんなにすごい!自分はこんなに苦労した!だから自分が!自分だけが〜!」といったところか。だから膣(肛門)を意識するパラノイアックな感覚の持ち主というのは、仮に上辺だけは合わせても、互いに憎み合い引き摺り下ろしあい犯し合い殺し合う訳であって(まさに女という生き物のそのものであるかのようである)、基本的に他者と協力して社会でも何でもよいが何かを建設的に創り上げていくという発想が無い。
 もう一つ、女性的な人間(パラノイア)には「大局的に見てどうでもよい細かな下らないことにこだわる」ということがある。これは、上述のゴマカシにおいて話の本筋とは関係のない細かいことを小出しにして話を逸らして逃げていくという手段に用いられる。しかし、これに関してはプラスに働く場合も無きにしも非ず。何か創作物、絵画でも彫刻でも文学作品でもよい、このようなものを創り上げるにおいてこの認識は作品を仕上げる上でおおいに役立つと言えるだろう。アニメや映画等チームワークでやるものについてはどうだか詳しく知らないが。
 その他、女性的な人間、特に女々しい男(パラノイア、肛門性格)に多く見られるの特徴としては、「自分にとって都合の悪い人間は何でもキチガイ扱い」「自分に(自分の足りない頭で)理解できないものは何でも否定する」、これにおける後者などはまさに「抗う病気・パラノイア」と言うことができるだろう。上にヘーゲルやカントの例を挙げたが、彼らのような認識に耐えることはパラノイアと言えども(カントは健康だったそうだが)彼らのような強靭な精神の持ち主だからできることであって、(さすが歴史に名を残すくらいのことはあって)彼らは特別である。
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sage
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