【頑張れ】苑子を応援するSSスレ【ゴッチ】


苑子板 > 【頑張れ】苑子を応援するSSスレ【ゴッチ】
全部1- 101- 201- 301- 401- 501- 601- 最新50

【頑張れ】苑子を応援するSSスレ【ゴッチ】

1: 名無しさん@お腹いっぱい。:2003/11/04(火) 08:21 ID:???
とある年の雨混じりのみぞれ雪が降り注ぐ冬のある日。
埼玉県のとある河原にパトカーが止まり
回転灯が目まぐるしく辺りを赤く照らしていた。
「はい、ええ。遺体はかなり損傷してますがおそらく出血の状態等から死後野犬に食い散らかされたと思われます。鑑識が今調べてます」
橋桁の下で警官達に囲まれた汚れた毛布に包まれた腐乱し幾つにも千切れた死体―所持品は毛布の他は壊れたノートパソコン、キティちゃんの絵柄のノートとやはりキティちゃんの鉛筆とシャーペンのみ―
それは変わり果てた苑子だった
数年前、心労で心も体も徐々に蝕まれ続けた苑子の母は遂に亡くなった。
それを機に父も妻を亡くした悲しみと、妻を死に追いやった死神を血縁上「娘」に持つ心労に妻以上の早さで心と体を蝕まれ、死の直前には薄暗い部屋に籠り部屋の角で「…じゃない……俺はうんこを育てる為に大学に行ったんじゃない…俺はうんこにエサを運ぶ為に働いてたんじゃない…俺はうんこを…」等独り言をひたすら呟き続けたのち妻の後を追う様に亡くなった。
その後妹と苑子は父の兄弟の家で世話になる事になったが
二週間もしない内に苑子の超人的な常識外れぶりに温厚だった叔父も血管を切らしてブチ切れ、馬乗りになって苑子を殴りつけたのち投げ飛ばして窓ガラスをぶち抜き苑子を文字通り家から放り出した。
その後働き始め一人暮らしを始めた妹のアパートを度々「一緒に住ませて」と訪ねた事もあったが激昂した妹に「ふざけんな!!いい加減働け!!」と追い返され、数度目に流石にブチ切れた妹に死ぬ直前までボコられた。
そしてコンビニや飲食店、家庭のゴミ箱を食い漁り、凄まじい異臭を放ちながらデパートの食品フロアで試食コーナーを廻り警備員に叩き出され、
橋の下で暮らし始めれば小学生達に石を投げられ小馬鹿にされ寝ていれば若者達に小便をかけられ殴られ蹴られる日々を繰り返した。
この期に及んでなおいつか芸能界からスカウトマンが訪ねてくると疑いなく信じながら。
「ええ、これから遺体を署に運びます。受け入れの方お願いします」
パトカーや鑑識車が去ると遠めに眺めていた近隣の野次馬たちも引き上げ始め、厄介者が消えてくれたと口々に話しつつ家路に戻った。
その後春が近付いた頃河原の広場で野球に興じる小学生達の姿があった。
「あそこに住んでたコジキ最近みねーけどどうしたんだろうなー」
「知らねー、引っ越したんじゃねー?」

33: 名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/08 01:22 ID:???
ある日の夕食の後の塚御子家。
定期的に繰り返されるやりとりが今夜も起こっていたが、今日の父は少し違った。
「なんでそんな事言うんだ!!ふざけんな!!私は被害者なのに!!
私に理想押し付けるな!!私はまだ子供だ!!」
泣きわめきながら自分勝手な主張を言い張り続ける苑子。
毎回繰り返される、苑子の超人的な非常識な主張と聞き分けの無さに
苑子の父も遂に堪忍袋の緒が切れた。
「いいかげんにしろっ!!」
バキッ!!
父のコブシに体ごと吹っ飛び、苑子はうしろにあったタンスに頭から勢い良く激突した。
予想外に吹っ飛び床に倒れた苑子の姿に我に返った父が慌てて駆け寄ったが、
その瞬間、頭を抱えながら倒れた苑子に駆け寄る自分の行為に父は何故か既視感を覚えた。
「苑子!!大丈夫かっ!!」
苑子の体を引き起こし、揺すりながら声を掛けると、苑子はキョトンとした顔で父の顔を見た。
「・・・あれ?・・お父さん・・・?私・・・どうしてたの?私、馬と遊んでたんじゃ・・・あれ?私何言ってんだろ・・?」
「え?」
何かずれた苑子の反応に父は少しとまどい、「まさか今ので本当に狂ったか」と考え一瞬背筋が冷たくなったが
同じくいつか感じた事の有るその悪寒に父は遠い昔の記憶を完全に思い出した。
あれは苑子が幼稚園位の頃、家族で那須ファミリー牧場に遊びに行った時、
子馬のポニーに怖がる依子を励ましながら乗せてるスキに、
馬のしっぽを引っ張って遊んでいた苑子がハエの様に後ろ脚で10メートル近く蹴り飛ばされ、
先程の様に慌てて倒れた苑子に駆け寄った記憶を完全に思い出した。
直後は奇跡的に何でもなかったが、思い起こせばあの頃から苑子は徐々におかしくなっていったのだ。
そしてその夜以来苑子の変貌は驚くものだった。
自ら両親に頭を下げて通信講座で高校資格を取りたいのでお金を貸して下さいと申し出、
家の家事も手伝うと言い始め、更にアルバイト迄始め、
職場では何かと実際経験の不足故失敗が多かったが、
腰が低く誠実な苑子の人格に同僚も強く当たる事も出来ず、代わりに励ましをくれた。
やがてアルバイトをしながら一人暮らしを始め、遅れながら大学にも入り
地質学や土木工学、等を学んで何をするかと思えば
カンボジア等の後進国にボランティアグループの一員として飛び
現地で土壌改良や畑の開発、井戸の掘削等の仕事に従事し
その後も森林伐採や絶滅危惧動物の保護運動にもあたり続け
第三次世界大戦の折には戦火の中難民や孤児の保護活動に努め、
69歳でノーベル平和賞を授与し、「マザーテレサの再来」・「奇跡の人」と迄呼ばれ
87歳で亡くなる迄精力的活動を続け、ローマ教会で盛大に行われた葬儀には全世界が涙し、
死後ローマ教会からは「聖人」の称号が与えられた。
彼女の遺骨は故郷の埼玉県の当時のまま保存された実家のそばに建立された塚越苑子記念碑の下に納められ、
記念碑に刻まれた彼女の肖像はいつ迄もかつて家族が住んでいた実家を見守る様に微笑み続けていた。


続きを読む
掲示板に戻る 全部次100 最新50
名前: E-mail(省略可): ID非表示