パワプロ小説


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パワプロ小説

1: 名無しさん@パワプラー:06/04/03 14:15 ID:9./go036
エロではない

201: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:25 ID:W2
「このバカ死んでろ!」
 男が崩れ落ち、その背後から追い討ちをかけるように女性の声が響く。その手には、今しがた起こった惨劇の凶器が握られていた。滴っている赤い液体は絵の具とかペンキとか、その類のものだろう。そうに違いない。
「先輩方お願いします!」
 女性が声をかけると、雲龍の選手二人がこちらに駆け寄ってきて、気絶した男をずりずりと引きずって退散していく。随分と手馴れた様子であった。
「本当にすいません! あの猿いつもあの調子なんです! どうもご迷惑おかけしました!」
 そしてすぐさま、土下座してくる女性。背中にロゴの入ったジャージ姿なところを見ると、どうやら雲龍のマネージャーらしかった。背格好は普通の女の子という感じだが、今時流行らないポニーテールが妙に印象的である。
「い、いえいえそんなとんでもない……」
 そのように樹が困惑していると、後ろから声が。
「奴が雲龍の主力投手、紅咲憂弥だ。少々下世話な面もあるが、気概は良い男だ。気にしないでやってくれ。……久しいな、玲奈。相変わらずで何よりだ」
 玲奈と呼ばれた女性は、すっと立ち上がって二条と顔を合わせた。お互いに遠慮も愛想笑いもない、よく見知った者同士が見せる微笑を浮かべている。
「うん、お久しぶり。二条も相変わらずカタそうな顔してんね。いつもスマイル忘れちゃダメよー」
 和気藹々とした様子の二人に、樹はおそるおそる声をかけた。
「あれ? もしかして、知り合い?」
「昔馴染みだ。小学から中学まで共に学び共に遊んだ」
「共に部活に励んだが抜けてるよ。ところでアンタ、恋恋のキャプテン? 私は小倉川玲奈。よろしくね」
「あ、どうも」
 差し出された手に握手し、恭しく一礼する樹。
「そして、先刻頭部に重傷を負った紅咲も、昔馴染みの一員だ」
「ほんと、不本意なことにねぇ」
 二条とは対照的に、玲奈は吐き捨てるような表情である。
「アホで空気読めなくて礼儀知らずなのはアイツの特徴だから、何かあっても気にしないでやって。……何はともあれ、今日はよろしく」
 それだけ言うと、玲奈は雲龍側のベンチへと帰っていった。それを見送った後で、樹は二条に訊く。
「さっきのピッチャー、やっぱ凄いんだよね?」
「球速の速さ、危険球の多さだけは保障する」
「……それって危ないピッチャーなんじゃ……?」
「そうだな、注意しておけ。そろそろ戻ろう」
 試合開始時刻が近付いたので、こちらも準備運動へと向かうことにする。
 そのとき樹はまだ、二条の言葉の真意には気付けないでいた。


 マウンドに立った紅咲憂弥は、いつも通り守備全体を見渡した後で、青い空を仰いだ。十一月の冷たい秋風が突き抜けて、第一投を今か今かと待ちわびている。まるで自分が世界の中心にでも立っているかのような、このマウンドから見る景色が、憂弥は大好きだった。
 バッターボックスには既に一番打者が構えている。恐らく一年生だろう。まだ中学生野球が抜け切れていないような、真っ直ぐな目。危険な駆け引きには慣れていない様子が伺い知れた。
 反則でなければ何を使ってでも、とにかく勝てば全てよし。それが憂弥の信条である。
 一度だけ深呼吸をしたあとで、大きく振りかぶった。小柄な身体に見合わない、とても大きなフォーム。
 そして憂弥はそのまま、打者の顔面めがけて渾身の球を投げた。





202: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:26 ID:W2

 予想外だった。
 自分の思う高校野球の「良い投手」というものは、球速が一三五キロを超えて、球種は最低でもカーブとスライダーの二種を持ち、ストライクとボール球をしっかり投げ分けることのできる投手という範囲である。これを超えるレベルの投手と言えば、身近には二条と、かの猪狩守ぐらいしか知らない。
 この紅咲という投手は、猪狩守には及ばないかも知れないが、どう控えめに考えても二条のレベルは超えていた。
 速球は明らかに一四〇キロオーバー。キレるスライダーに、急失速するチェンジアップ、右バッターの胸元に食い込むようなシュート。そして何より……。
「うひゃっでやんす!」
「ボール!」
 顔面すれすれの危険球に、打者が尻もちをついた。まただ。またこのパターンである。
 続いて投げられるアウトコースへのただのスローボール。明らかなボールコース。冷静ならば見送るであろうこの球。
 しかし打者はどうしても、手を出してしまう。
 バッターアウトの声が、冷たく響いた。
 巧い……! 樹はベンチから、奥歯を噛み締めた。このピッチャーは、打者の思考を完全に手玉に取っている。
 顔面付近へのボール球は、理性では当たらないと判断できる距離であろうと、この速さの速球が間近に迫れば、逃げ腰になってしまうのは仕方がない。しかも避けずともデッドボールになる球筋ではないので、故意の反則球として訴えることもできない。
 精密なコントロールがあってこそ可能になる荒業だった。インハイに身体すれすれのボール球を投げられた打者は焦燥感が募り、打ち気に逸ってしまう。結果、普段なら手も出さないようなアウトコースの球を打ちに行き、腰の据わっていない状態でスイングをしてしまう。俗にいう「泳ぐ」スイングだ。これでは当たっても内野フライを打ち上げるのが関の山。これには小手先の技術でなく、いかなる状況でも動じない精神力と、より多くの打席に立ったという自信や経験があってこそ初めて対抗できるのだ。
 恋恋野球部の面々には、この経験と自信が圧倒的に不足していた。
 かくいう樹も偉そうなことは言えず、アウトコースには手を出さなかったものの、決め球のチェンジアップで空振り三振を喰らっている。現在は四回表、打者は二順目、二番打者の矢部が三振してとぼとぼと帰ってきたところだ。
 頼みの綱である二条も内野ゴロに終わり、恋恋側のベンチは重苦しい空気に包まれていた。スコアブックをつけているはるかが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。
「西条さん……皆さんが、自信を失くさなければいいんですけど……」
「大丈夫だよ」
 精一杯の強がりを吐き捨てて、樹は立ち上がり、手塚の元へ歩いた。今のところ、手塚の失点は六。そのうち自責点は四。投手として、お世辞にも良い成績とは言えない。
 強く責任を感じているのだろう。皆に会わせる顔がないという様子で、手塚は俯いていた。そこに樹は話しかける。
「手塚、どうして打たれるか、分かるか?」
「…………いえ」
 少し間があっての返事。声の調子から察するに、随分と落ち込んでいるようである。
「あっちのピッチャーがどうして、あそこまで三振を奪えるか、分かるか?」
「……いえ」
「……一つ、お前に指示を出す」
 樹が言うと、手塚はゆっくりと顔を上げた。
「次のイニングス、全球全力で、ショートバウンドしか投げるな」
「……え、えっ?!」
 その発言に驚いたのは、手塚だけではない。近くにいたあおいや円谷も、目を丸くしていた。
 しかしそんなことを気に留めるでもなく、樹は踵を返すと、レガースの装着に取り掛かる。直後に響くバッターアウトの声。
 呆然としていた手塚がハッとして見やると、三振に打ち取られた三番打者が、申し訳無さそうに戻ってくるのが見えた。



203: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:27 ID:W2


 ショートバウンドというのは、キャッチャーのすぐ手前でワンバウンドする、手の届く範囲では一番取りにくいとされるワイルドピッチである。球筋が低い為、キャッチャーは全身を使って球を覆わねばならず、それでも股下をすり抜けて後ろへ逃してしまうことは多々ある。球筋の低さでボール球になることは打者から見ても明らかであり、駆け引きには使えない。変化球のすっぽ抜けやストレートの投げ損じで生じる球である。そんな無意味なものを、故意に投げる投手など存在しない。
 それを、しかも全力で投げろというのが、樹が手塚に下した指示だった。
 マウンドに上がった手塚は、かつてない緊張と不安感に駆られていた。手先が震え、冷や汗が首筋をつたう。今まで散々避けてきたワイルドピッチを、ここで無理やり投げろというのか。
(オレっちが今までやってきたコントロール練習は……伊達じゃねぇんだぞ……!)
 ふつふつと、西条への怒りが沸いてくる。自分は今、中学で積み上げたの野球を全て否定されたのだ。怒って当然。このような横暴には反抗する権利がある。
(わざとじゃねぇんだよ、あの時の暴投は……! なのに、なのに……!)
「手塚の暴投さえなけりゃなぁ……」
「せっかく追いついたっつーのに、あれはマジでねーわ」
「自分の暴投でサヨナラ負けとか恥ずかし過ぎね?」
「一回だけじゃねぇもんな。あれなら俺が投げた方がマシだって」
「なんでピッチャーやってんのアイツ?」
「肝心なときにストライク入らねーとかマジ使えねー」
(ストライク入れればいいんだろ! 入れれば!)
 襲ってくる過去の記憶に、手塚は叫び返した。
(ストライクさえ入れてりゃ文句は言われねぇ……打たれて点が入っても、守れなかったお前らの所為だ……!)
 マウンドを乱暴に踏んで整地し、手塚は西条の構えるミットに目をやった。ミットは、とても低く、ワンバウンドを誘発するような位置で構えられている。
(やって……られるか!)
 渾身のストレートを、アウトコース高めに向かって投げる。高め一杯のストライク。初球としては充分に機能する球である。
 しかし、雲龍の打者はそれを正確に捉えた。
 勢いよく飛んでいくライナーが、手塚の頭上を高くを突き抜け、センターへと飛翔する。が、その飛翔も虚しく、矢部の果敢の猛ダッシュがそれに追いつき、あえなくアウトとなった。
(見ろ、打たせて取るのがオレっちのスタイルなんだよ!)
「タイム!」
 大きく響く声。つられてそちらを見やると、西条がゆっくりとこちらへと歩いてきていた。要求したワイルドピッチが来なかったのが不満だったのか、だが生憎、自分は今しっかりとアウトに打ち取った。文句なんか言われれば、それはお門違いというものである。
 こちらが悠然と構えていると、西条は立ち止まって言う。
「どうした? 随分とコントロールが悪くなったんじゃないか?」
「……え?」
 その言葉は、自分の予想とは大きく違った。
「俺が構えていたのはもっともっと下の方だぞ、アウトハイまで逸れるなんてお前らしくないな。またコントロール練習しなおしたらどうだ?」
 それだけ言い置いて、戻って行く西条。後に残された手塚は、ぎりぎりとボールを強く握り締めた。


204: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:27 ID:W2
(やってやろーじゃんか……)
 西条は自分の中学野球を否定したばかりではない、あまつさえコントロールさえ小馬鹿にしたのだ。
(取れなくても文句言うんじゃねぇぞ!)
 そして、要求通りのワイルドピッチを投げた。ホームベースの向こう側、キャッチャーの手前でバウンドする。理想的なショートバウンドである。判定は当然ボール。
(おらっ!)
 続く二球目も同じショートバウンド。
 三球目も。四球目も。
 次の打者にも、その次の打者にも、全力投球のショートバウンドが続く。流石に異変を感じたのか、雲龍側のベンチが徐々にざわついてくる。何故、あのような暴投ばかりを投げるのか、何故、それでもあの投手を替えないのか。そんな言葉が、聞こえなくとも頭の中に響いてくるようだった。
 ついに押し出しで一点が入る。しかしそれで手塚の暴走が止まることはなかった。真ん中のショートバウンドの次は、アウトコースにスライダーのショートバウンド。わざとホームベースの手前でバウンドさせてみたりと、手を変え品を変え、手塚はあらゆるショートバウンドを投げ続けた。
 気付けば、押し出しでの失点は五点にもなり、塁は全て走者で埋まっていた。
 ここまで連続の全力投球を行なったのだ。手塚の体力は限界だった。肩で息をし、帽子を脱ぎ、袖で汗を拭う。まるで今は真夏ではと錯覚するほどの身体の火照り具合だ。
 西条が、今までと打って変わり、ど真ん中にミットを構えている。これだけ暴投を投げさせておいて、今度は真ん中に投げろとは、随分ワガママなキャッチャーもいたものである。しかし意地を張ってショートバウンドを投げ続ければ、またコントロールがどうのと嫌味を言われるに違いない。
(……わーったよ……投げりゃいいんだろ投げりゃ……)
 手塚はセットポジションも忘れ、大きく振りかぶって、ど真ん中めがけ投げる。
 その時であった。
 指先が、滑る。
 しまったと思った時はもう遅かった。ロージンバッグをおろそかにした為に起こった事故。腕から流れた汗が指先につたっているのに気付かなかったのである。
 今までの行儀の良いショートバウンドとは違う、予測不能な回転と軌道を持った球が西条へと飛んでいく。それはインコース低め、打者の足元という最悪のコースであった。ショートバウンドという凶暴な球に、打者という障害物が加わるのである。
 更に踏み荒らされたバッターボックス内でのバウンドは、方向が定まらない上に地面を蹴って加速する。捕球の難易度は跳ね上がる。
 球の軌道を見た瞬間、各ランナーが走り始める。それに気付いたとき、手塚は恐怖した。押し出しではなく、点が入る。しかも故意ではない、本当のワイルドピッチで。中学二年の大会で経験したあの出来事が、強烈にフラッシュバックする。
「手塚の暴投」
「せっかく追いついた」
「自分の暴投で」
「一回だけじゃ」
「なんで」
「肝心なときに」
「うあああああっ!!」
 ボールがキャッチャーに届く前に、手塚は叫んだ。当然、意味はなかった。虚しくも投げられた球は予想通りの軌道を辿り、打者の足元を打ち抜く。
 スローになった感覚が、その球の行く先を追った。
 打者が飛び退き、速球を避けた。
 やってしまった――。
 スパイク跡の多い地面を蹴って、ボールはホームベースから離れるように外に飛んだ。
 打者は顔ごと身体を逃がし、主審までも飛び退いてバランスを崩している。
 もう、ダメだ――。
 その中で、一つだけ、暴れ球に向かっていく影があった。
 ちくしょう――。
 その影は顔を逸らすことなく球を受け止め、全身で押さえ込んだ。
 また、オレっちは――。
 そしてそのまま送球モーションに移り、腕のしなりだけで三塁へと送球する。
「アウト!」
 手塚の意識がはっきりとしたのは、その声が響いた時だった。すぐさまそちらを見やると、飛び出していたランナーにタッチした三塁手が、こちらへと返球しようとしていた。半ば戸惑いながら、その球を受け取る。
 そして何事もなかったかのように試合は再開し、続くバッターを内野ゴロに打ち取って、手塚はベンチへと引き上げるのだった。


205: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:28 ID:W2

「不満そうだね」
 樹がバッターボックスに立っている中、ベンチの隅でふてくされたように座る手塚に、あおいは声をかけた。自分も元ピッチャーだ、今の手塚が考えてることぐらい、大体分かる。話しかけられた手塚は、やはり不機嫌な様子で口を尖らせた。
「当たり前ですよ。ショーバン投げろって言ったり、いきなりストライク要求してきたり……意味が分かりません」
「ははは、だろうね」
 あっけらかんとしたあおいの笑い方に、手塚は一瞬ムカっとしたようだったが、反論する気もないようだった。すぐにまた、ふてくされた顔に戻って俯く。響くストライクは、樹が速球を空振りしたものだった。
「西条君ってさ、凄いよね」
 ぴくっと手塚の肩が反応する。
「あんなにたくさんのショートバウンド、全部捕っちゃうんだもん。最後の一球はヒヤっとしたけど、それでも、全力で向かっていってさ……」
 一旦バッターボックスを離れた西条が、再び構えを取り直す。
「キャッチャーが後ろに逃がしたらワイルドピッチで、捕ったらただのボールなんて、なんか不公平だよね」
「…………」
「……ワイルドピッチってさ、ピッチャーだけの責任に思われるかもしれないけど、キャッチャーの責任でもあるんだよ」
 手塚は、そこで気がついた。
「押し出しで、手塚君の失点は多くなっちゃったけど、暴投で入った点は、一点もないんだよ」
 そうか、そうなんだ。
「全部、西条君が捕ったから」
 今日の自分は、ワイルドピッチを一つも投げていない。
「ボール球投げるのってさ、怖いよね。責任、たくさん背負わなきゃいけないから」
 でもそれは――
「でもね、ボクらは、そんな心配しなくていいんだよ。ボクたちが真剣に投げた球は、どんな悪球でも、必ず、西条君が受け止めてくれるから」
 西条先輩が、全部捕ってくれたから。
「手塚君さ、キミ、一人で野球やってない?」
 そんな言葉に、手塚は顔を上げてあおいの顔を見る。
「打たれなかったらピッチャーとキャッチャーのおかげ。打たれて点が入ったら全員の責任。打たれてもアウトにできたら皆のおかげ。野球って、そうじゃない?」
 恋恋のベンチがわーっ! と湧き立つ。どうやら、西条がレフト前にヒットを放ったようだった。
「キミひとりで責任負わなくても、いいんだよ。今日、西条君のやったことは、多分、俺を信用してくれっていう意味だったんじゃないかな」
 中学の頃の悪夢が、音を立てて崩れていくのが分かった。今まで自分をここまでコントロールに固執させていた何かが、心から消えていく。重く苦しい鉛の塊を、ようやく手放せた気がした。
 一塁に立ちリードを取り、牽制球をヘッドスライディングでくぐる西条を見て、あおいが言う。
「ねぇ手塚君、安心していいんだよ」
 いつの間にか、ベンチが一体となって西条樹に声援を送っていた。
「ボクらのキャプテンは、あんなに頼もしいんだから」
「…………ぁい」
 手塚の震える肩にそっと手を置き、数度背中を叩いてから、あおいは周りに負けじと西条への声援を大きく叫んだ。
 樹の背中に映える青空が、全ての球児たちを応援しているようだった。


206: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:29 ID:W2

「さっきは失礼したな、紅咲」
「ああ、凡打なんてらしくねぇぜ」
 西条の次にバッターボックスに立った神谷と、対峙する投手紅咲の間に、見えない火花が散る。
「お前の球種を忘却していた。同じ失態は犯さん」
「頼もしいねぇ」
 小柄な身体に似合わない大袈裟なフォームで投げられる初球。やはり顔面すれすれを通過したその球を、神谷は身体をそらすことなく見送った。
「流石に見えてるってか」
 キャッチャーからの返球を受け取りながら、紅咲は相変わらずの高飛車な表情を崩さない。
「んじゃ、これはどうよ」
 続いて投げられる二球目は、どう見てもデッドボールコースだった。このまま避けなければ、間違いなく、神谷の横腹を射抜くだろう。一四〇キロクラスのデッドボールが直撃ともなれば、冗談では済まない。
 それでも、神谷は動かなかった。
 すると横腹を狙っていたように見えた球が、突然軌道を変えてインコースぎりぎりのボール球になる。危険球に見えたボールの正体は、とんでもないキレをもったシュートだった。
「そんな棒球より」
 バットの先を紅咲に向けて、
「父上の拳の方が余程強い」
 睨みつけるようにして言い切った。
「……オーライ、分かったよ。やっぱお前にゃ無駄か……なら、真剣勝負といこうや」
「承知」
 三球目は、勝負球。雲龍のエース紅咲の持ちうる最高速度のストレートだった。
 それを神谷は、渾身のスイングで捉えた。
 右中間を叩き割ったライナーは、勢いを殺すことなく一気に転げていく。ここは球場でなく、広いグラウンドである。一般的なグラウンドより少し狭いものの、芝生の無い外野でボールは失速しない。それが幸いした。ようやく外野手がボールに追いついた頃には、神谷は既に二塁を回っている。
 先に西条がホームインし、続く神谷を見守る。外野から返球された球が、中継へと渡った。内野に返球されるまで、あと少し。
 三塁を蹴った神谷はランナーコーチの制止も聞かず、ホームへと突進する。球が速いか、己が早いか。
 そして、神谷は飛んだ。
 遊撃手がホームへと送球したボールとほぼ同じタイミング、だが、キャッチャーのミットは、自分の腕の上に置かれていた。一瞬だが、勝ったのだ。
 セーフ!
 その声に、ベンチからの歓声が応える。二点を奪い取った。試合には負けるだろうが、勝負には勝った。
「西条が、一人の投手を救う、偉業を為した……」
 立ち上がり、土を払いながら言う。
「自分が、屈する訳にはいかない」
 マウンド上の紅咲を見やると、あちらは参った参ったといった表情で、脱いだ帽子をひらひらとさせていた。



207: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:30 ID:W2

「気をつけ、礼っ!」
 ありがとうございましたー!
 両チーム整列し、一礼を行う。結果は14−2と無残だったが、それでも大きなものを収穫することが出来た試合だった。
 今回試合に招いたのは恋恋側なので、グラウンド整備は恋恋側が受け持つ。バスに乗り込む雲龍の皆さんを見送りながら、二条は樹に話しかけてきた。
「良い試合だったな」
「ああ、本当に。また頼めるかな?」
「奴が頷けば、な」
 二条の視線の先を辿ると、雲龍のエース紅咲憂弥が、荷物を置いてこちらへと歩み寄ってくるところが見えた。
「よう、また俺の負けだな神谷」
「戯言を。凡打を喰らった」
「その後、二安打も打ちゃ充分だろうがちくしょう」
 ケッと吐き捨てるように言った後、紅咲のヘビのような目は樹へと向けられた。思わず一瞬あとずさりしそうになる。
「まさか神谷以外に打たれるとは思ってもみなかった。そんで、あんだけのショートバウンドを一つもパスボールしないのは大したもんだ」
 そこで一旦言葉を切る。
「神谷、そんで、西条っつったか。雲龍に来る気はねぇか? 本気で甲子園目指してんなら、悪い話じゃないと思うぜ」
 そう誘いを受けた二条と樹は、少し顔を見合わせたあと、二人して微笑んだ。一流の野球部からお誘いを受けるなんて、高校球児としてこんなに嬉しいことはなかなかない。それでも、頷くのは無理な話だ。
「悪いが、謹んで遠慮させて頂く。自分達は、ただ甲子園に行きたい訳ではない」
「お誘いはとても嬉しいんだけどね」
 二人の笑みから悟ったように、紅咲は「そうかい」とだけ呟いて、背中を見せる。
「んじゃ、証明してくれよ。次は甲子園で会おうや」
 そしてそれだけ残すと、手をひらひらさせて去っていった。その背中に掲げられたエースナンバーは、あまりにも誇りに満ちていて気高く、決して近いものではない。でも、決して届かないものでもないはずだ。
 いつか、会おう。甲子園で。
 いつか、行こう。甲子園に。
「このチームで、ね」
「是非」
 それは寒空の下で交わされた、野球の歴史にも残らない小さな小さな約束だった。



208: 名無しさん@パワプラー:09/02/05 00:32 ID:W2

 解散したあと、夕暮れ時。
 一人でこっそりとグラウンドに戻ってきた樹は、再びトンボを片手に持ち、グラウンド整備を始めた。整備は一回ならしただけではダメだ、最低二回はやれ、というのが中学時代の監督の意向であり、それに慣れてしまってから今まで続いている習慣である。しかしこんなことを恋恋の皆に押し付けるわけにはいかないので、こうしてこっそりとやることにしているのだ。手首や足腰のトレーニングにもなるので、無駄なことではない。元来掃除好きな性格である樹にとって、むしろ楽しいものだったりする。
 また、がりがりと地面が音を立てているとき、なんとなく、心が落ち着く。身体を整備に集中させている最中、考え事をするのが、樹は好きだった。いつもとは違った考えがふと浮かんできそうで、面白いのである。
 今日対戦した雲龍高校は、間違いなく全国クラスの高校だ。話に聞いてはいたが、実際に戦ってみるとその強さは恐ろしいほど分かるものである。
 特に投手の紅咲。あそこまで自信を持って危険球ギリギリのボールを投げられるのは、一級の投手たる証である。自分もかろうじて打てたとは言え、恐らくまぐれというやつだろう。しかも、あちらは随分と手加減をして臨んできていた。それは変化球の使い方を見れば一目瞭然だ。
 次に対戦したときは、勝てるだろうか。勝てるチームになっているだろうか。
(ま、その前に甲子園に行かなきゃ会えないんだけど……)
 ハァと溜め息をつく。なによりも今日の荒療治で、手塚がどこまで成長してくれるかが一番の悩みだ。もしかしたらただ恨まれて終わるだけということも充分にありえる。あんなとんでもな指示を出すキャッチャーなんてどこを探したっていないだろう。
 やりすぎちゃったかなーと、立ち止まって考えていたときだった。
 がりがりと、トンボで地ならしをする音が聞こえる。いつも自分が聞いている音と同じだが、少し違う。しかも自分はいま止まっている。音なんて出せるわけがない。え? じゃあ何? しないはずの音が鳴ってるの? いないはずの何かがいるの? え。B級だろうがホラーは勘弁してよちょっと。
「先輩」
 声がかかる。ホラーな何者かに先輩扱いされるなんて思ってもみなかった。だがここで慌てては相手の思うツボに違いない。ええいそんなことになってたまるか。
「オ、オンハラビンケンソワカ……だっけ? いや違うな、南無妙ほうれんそじゃなくてゲキョー」
「先輩」
「うわ手塚だったごめん!」
 振り返ってみると、正体は真剣な表情をした手塚だった。いやはや、勘違いとは時に恐ろしいものである。
 ……真剣な表情?
 訝って、樹はそーっと聞いた。もしかしたら退部届けとか提出されたりして……いや本当にどうしよう。
「あ、え、えっとどうしたんだ? 今日は、あ、あんだけ投げたんだから、うん、その早く家に帰って休んだほうが……ああ、これは決して帰れ! って言ってるわけではなくて」
「先輩!」
「わっ!」
 一瞬手塚が勢いよく動いたので、拳の一つ飛んでくるのではないかと咄嗟に顔を守る。しかし数秒待っても何も起こらないので、強くつぶった目を薄っすら開いてみると、手塚が脱帽して深く頭を下げていた。
「ありがとうございましたっ! オレっち……オレ……、オレなんか……オレのために……」
 手塚の言葉は、その肩と一緒に震えていた。
「目が、覚めました……! オレの野球、ダメです……! ひとりで、ひとりで投げて! 先輩を、……キャッチャーを……全然、信用してませんでしたっ……!」
 それだけ言ったあと、手塚は言葉を失う。礼の姿勢を崩さず押し黙ったまま立ち、ただその嗚咽をのみ響かせていた。その足元の土が少しずつ濡れていく。樹は、なんだかほっとして声をかけた。
「お前のコントロールは一級だよ。それは間違いない。自信持って、ボール球、投げてくれよ」
「…………はい」
「全部、捕ってやる」
「……はいっ!」
「よし、んじゃ、グラウンド整備続けるぞ、ピッチャー手塚」
「はいっ!」
 それから二人は無言でグラウンド整備を続け、終わった後も、無言で別れた。無言の中に、何か通じ合うものがあった。それが何なのかは分からないけど、悪いものではなさそうだから、それでいい。
 自転車を押しながら、夕焼け空を眺めて思う。恋恋高校野球部の絆は、また少し深まった。
 樹は、ただそれだけに満足した。



 今回の更新はここまで。見てくれてる人は次回をお待ち下さい。

樹が手塚にショートバウンドを投げろと指示するくだりは、松坂大輔選手と高校時代にバッテリーを組んだ、小山良男選手の指示を参考にしています。甲子園で松坂選手の緊張をほぐす為に、初球を思いっきりバックネットにぶつけさせたとのこと。こういうアツい話大好きです。
典拠:旺文社刊 松坂大輔「160キロへの闘志」


 バレンタイン編?
 間に合うわけがない。

209: 名無しさん@パワプラー:09/02/07 20:35 ID:5Y
今回もおもしろかったです
紅咲もいいキャラしてますね
再登場に期待しています

あと、樹達のクリスマスはナシデスカー

210: 名無しさん@パワプラー:09/02/21 02:07 ID:j.
寄り道番外編
  クリスマス・キャロル


 クリスマスと言えば、イエスキリストの生誕日を祝う記念日。
 辞書を引けば大概そういった内容が出てくるだろうが、昨今の日本ではちょっと事情が違う。街を歩けばこれでもかとイチャつくカップルが溢れ、キリスト教徒でもないのに家庭の食卓にはローストチキンやケーキが並ぶ。要は世間様一体となってお祭り騒ぎができる特別な日と言うことだ。
 さて、世間がそんな盛り上がりを見せている中、甘ったるい愛を語らう恋人も伴侶もいない独身軍団が孤独を味合わず、この時期を乗り切るにはどうしたらよいか。徒党を組めばよいのである。
 そんなわけで、恋恋高校野球部もご他聞に漏れず、こうして孤独を謳歌している連中が寄せ集まり、一時の安らぎを得ようと虚しく群れていた。二年生だけであるが。
 午前中の焼肉パーティを終えて今はただ、のんびりと行く宛てもなく彷徨っているところである。
 街中に飾り付けられた電飾がきらきらと光り、どこか浮ついた気分にさせる。そこらの店から無遠慮に垂れ流される気の利いたBGMも、この浮かれた雰囲気を演出するのに一役買っていた。
「ケッ! 昼間っからイチャついてるんじゃねーでやんす!」
「矢部、口上が泥酔者だ」
「うう……眼鏡が曇って何も見えないでやんす……」
「難儀な」
 おいおいと泣き崩れる矢部を宥めつつ、神谷は街の様子に目をやった。
 皆が楽しそうに笑い、軽やかな足取りで街を往く。恋人同士は腕を組み、親子は微笑ましく手を繋いで。こけてしまった小さな女の子を、通りすがりのおばさんが気遣う。ないている女の子には悪いが、心温まる光景であった。
 例えこの日が本来の意図とは違う様相になっているのだとしても、こんなにも楽しく、平和なのだ。それで良いではないか。
 クリスマスに家族で過ごすなどという習慣のなかった神谷にとっては、今日はとても輝いて見えた。
「誠、良き日哉」
「ちくしょーでやんす! こうなったら、帰ってマスクドライダーのDVD全部観てやるでやんす!」
「普段との相違はあるのか?」
「いやまぁいつも通りなんでやんすけど……」
 大人しくそう言ったあと、矢部は何かを考えるように押し黙ってしまった。手を顎に添え、無い髭をいじるような仕草で神妙な表情をする。
「違うでやんす……」
「……如何に?」
 思わず聞き返す神谷。
「ツッコミのテンポというか……なーんか調子が出ないでやんす」
 ふむ、と神谷もつられて考える。確かに何かがいつもと違う。そういえば今まで、神谷が矢部にツッコミを入れるなんてことはなかった。いつもどこかから傍観して、微笑ましく見守ると言うのが自分の役割ではなかったか。
 何か重要な役が、誰か重要な人物が、この空間には欠けている気がする。
 そこまで考えたところで、神谷は気が付いた。



211: 名無しさん@パワプラー:09/02/21 02:08 ID:j.

「ほらこっち! 遅いよ! ちょっとなまってるんじゃない?」
 皆との焼肉パーティを終えて気だるく街を歩いていたところ、突然あおいから腕を引かれた樹は、抗う暇もなく街外れの静かな一帯に来ていた。大通りから外れて数分も走ればご覧の通り、閑静な住宅地に辿り着く。子どもたちの登下校の時間帯ぐらいしか賑やかにならない、家庭の暮らしのにおいに溢れた場所だ。
 その一帯を更に奥に入ったところに、小さな山と、古びた階段がそびえていた。
 苔むした石造りの階段は山の斜面に沿ってはるか上空に続いており、駆け上れども駆け上れども一向に頂上に届かない。
 が、そんなことは些細な問題であって、ついでにここまで走ってきたということも大したことではなくて、樹が今この階段を上るのに苦労している理由は、もっと別にある。
「疲れたんなら、少し休む? じっと下を見下ろしながら」
「いえ遠慮します頑張ります」
 樹は高所恐怖症である。ジェットコースターは好きだが観覧車には絶対に乗りたくないという人種だ。
 今まで駆け上ってきた高さから見下ろせば、間違いなく冷や汗と足の震えが止まらなくなる。なるべく上だけ見て、のぼることだけに集中しなくては。
 そんなわけで、今はこうしてあおいにからかわれながら、必死で石段にしがみつきながらゆっくりと上っている始末である。
「知ってる? 前傾姿勢とってる人の額を軽く押すと、それだけでバランスが崩れ」
「うわああああ聞きたくない聞きたくない!」
「あははははは」
 見せ付けるようにして、、あおいは軽快に階段を上っていく。それを恨めしく見上げながら、樹は両手をつき、這うようにその後を追った。年末の寒波が押し寄せているはずなのに、極度の緊張と直射日光により、むしろ暑いと感じる。
 へこへこと上り続けていると、いつの間にか頂上が見えていた。あと十数段というところで、階段は途切れている。
 安堵して、樹はゆっくりとそこに至った。
 開けた場所に転がり込む。
 あー疲れたと寝っ転がって天を仰ぐと、あおいがこちらを見下ろしていた。
「お疲れ様。でもちょっとだらしないかな。年明けの練習メニューはランニング増量ね」
「……はい」
 もはや反論する気力も沸かない。
 立ち上がって周りを見やると、どうやらここは神社らしかった。石造りの階段から続く石畳が広い境内を突き抜けて、奥の本堂まで続いている。御神木らしい太い木に巻かれた注連縄(しめなわ)が、いかにも厳粛な雰囲気を帯びていた。
「へぇ、こんなところに神社があったんだ……全然知らなかった」
 高台の上を丸々と使った境内は広く、端にあるコンクリートブロックで作られた壁には、野球の壁当て練習をした跡が無数についていた。軟式ボールの跡のようである。恐らく小学生か中学生が、ここを自主トレの場として使っているのだろう。
「ほら、お参りするよ」
 あおいに急かされて、本堂へと駆け足。
「え? お参りって、一週間早くない?」
「気にしない気にしない」
「……皆をおいてきて、一体何をするのかと思ったら」
 毎度のことだが、あおいの相変わらず突拍子もない行動に、樹はハァと溜め息をつく。
「はい、十円玉」
 手渡される、茶色いコイン。樹はきょとんとした。
「え? 五円玉じゃないの?」
「はいせーの」
 手を掴まれて、無理やり放り投げさせられる。手を離れた十円玉は、あまり綺麗とは言えない放物線を描いて賽銭箱の中へと吸い込まれていった。チャリンという音が響いた後で、手を合わせる。一礼二拝だったか逆だったか、神社に参るときの作法があったはずだが忘れてしまった。気持ちがこもっていればよいのである。
 しばらく手を合わせて、お参り終了。
 ふと横を見やると、真剣な表情であおいが手を合わせ続けていた。

212: 名無しさん@パワプラー:09/02/21 02:09 ID:j.
「……よほど大変な願い事なんだね……」
「え?……あ、ああ、まぁ、まぁね! あはは! そ、そういう西条君はどうなのさ!」 
 慌てたように取り繕い、逆に質問をしてくる。樹は答えた。
「絶対に甲子園に行ってみせます」
 その答え方に、あおいは一瞬、え? という顔をする。恐らく、自分の願い事とやらが「願い」の形式をとっていなかったことに対しての疑問だろう。
「お参りってね、願い事を頼むんじゃなくて、一年の目標と誓いを神様に報告するものなんだってさ。だから『こうしてみせます。見ていて下さい』っていうのが正当なんだって」
「えぇっ?! じゃあボクの願い事は無効?!」
「それを実現できるかどうかは、あおいちゃん次第ってこと」
 言って、樹は神社の脇から、下に広がる街を見下ろす。下はなだらかな傾斜なので、怖くは無い。高所恐怖症の人間は、絶壁や宙吊り状態には弱いものの、山の傾斜から見下ろす景色なんかは案外平気なのである。
 今頃この景色のどこかでは、矢部君たちがこちらを探しているに違いない。そう思うと、どこかおかしかった。つい笑みがこぼれてしまう。突き抜ける青空は平和そのものだった。冷たい風に身を預けて、髪が散らばる感覚を楽しむ。
「ボ、ボクさ、あの……」
 後ろからあおいの声が聞こえる。らしくない、吃音ったような声だった。
「ボク……好き、なんだ」
「この景色? 俺も好きだよ。こんな綺麗な場所があるなら、もっと早く知っとけば良かった」
「…………」
 あっけらかんと樹が答えると、あおいはそれっきり黙ってしまう。不審に思った樹が振り返ると、ふてくされたように頬を膨らませて、あおいが睨んできていた。
「え? な、なに? どしたの?!」
「別に!! ほら! 帰るよ早く! 皆が心配してるよきっと!」
「じ、自分が連れてきたんじゃん!?」
「ほら走る! ダッシュ!」
 あおいの怒りの剣幕に気圧されて、樹は逃げ出す。今にも殴りかかってきそうなあおいが相手なのだから仕方あるまい。
 樹を追い払った後で、あおいは肩で息をしつつ、振り返った。その視線の先には、今しがたお参りした神社が鎮座している。
「……うそつき」
 神様に向かって一言、すねたような顔で呟くと、あおいは駆け出した。
 神様にはいろいろある、学問に安産、商売繁盛に家内安全。そしてこの神社に奉られているのは縁結びの神様。クリスマスの日に、二人で十円玉を投げ入れると相思相愛になれるんだとか。どこにでもそんな女子高生の間の伝説はあるもので。西条樹への告白もままならぬまま、早川あおいの恋は前途多難。
 あとにはそ知らぬ顔で空に舞うカラスが一羽。高笑いでもするかのようにカーカーと鳴いて、暫く冬の寒空を盛り上げたかと思えば、いつの間にかどこかへと消えたとな。




 樹たちのクリスマスなのでした。
 バレンタイン編?
 なにそれおいしいの

213: 名無しさん@パワプラー:09/02/28 20:30 ID:02
肝試しは高木さん、クリスマスはあおいちゃんのターン!
ということはバレンタインははるかちゃんですね わかりますw

214: 名無しさん@パワプラー:09/03/18 00:36 ID:Zg
『最強のバッター』の巻き 時代設定パワプロ9あかつき

三本松「七井!小波!飛距離で勝負しないか?」
小波「はい!」
七井「望むところネ!」
三本松「カキーン140m」
七井「カキーン138m」
小波「カキーン130m」
三本松「ほぅ・・・130m(汗)」
七井「なかなかやるネ・・・」
小波「いやぁそんなぁ・・・まだまだですよ。もっと頑張らないと」
千石「ほうなかなか言うなぁ」
小波「あっ!監督」
千石「いや、お前らを見てると私の教え子の武藤を思い出してな」
小波「武藤って誰ですか?」
千石「武藤はプロ野球選手だったんだよ。パワーもあり、打撃センスも抜群だった。しかし、それが仇となって24歳の若さで辞めたんだよ」
三本松「どんな選手だったんですか?」
千石「武藤は長打力を買われてドラフト4位で阪神に入団したんだ。当時阪神が貧打に苦しんでいたのもあり、1年目からレギュラーで活躍し、3割30本という成績を残した。ファンは武藤を清原2世と呼んだ」
七井「1年目から3割30本は凄いネ!」
千石「彼の打撃技術にあのイチロー、松井、落合。さらには天才前田智徳も彼を天才と称した」
小波「なぜ!?そんな選手が24歳で辞めたんですか?」
三本松「スランプか怪我でもしたのですか?」
千石「いいや、彼は2年目のジンクスをもろともせずに打ちまくった。4年連続3割30本以上。4年目には22歳の若さにして二冠王に輝いた。人々は平成の王貞治と呼んだ」
小波「凄いじゃないですか!!何が駄目だったんですか?」
千石「打点だよ。1年目から彼の成績をいうと31本塁打31打点、35本塁打35打点、38本塁打38打点、49本塁打49打点」
三本松「へ?打点はそれだけですか?」
千石「そうだ」
小波「つまり・・・本塁打は全部ソロホームランで、打点も本塁打だけってことですか!?」
千石「その通りだ。得点圏打率は.025。ランナー二塁の時の内野安打だけ。二冠王時の成績は.356 49本 49打点。ソロばっかりだから付いたあだ名は球界の桑田佳祐」
七井「それはひどいネ」
小波「でも、プロは打率3割残せば一流って言うじゃないですか」
三本松「そうですよ。打率が高いなら1番に置けばいいじゃないですか」
千石「そう、だから1番を打った時期もあった。しかし、ミート技術が良すぎたから駄目だった」
小波「へ?」
千石「ミート技術が良いから三振は規定打数に達した打者では毎年1番少ない。多くて2年目の29三振。だが、ボール球にも手を出すから四死球はゼロ。しかも初球からガンガン振る。出塁率は打率と一緒。付いたあだ名は究極進化を遂げたイチロー。」
七井「色々あだ名がある選手ネ」
千石「おまけに足も遅い。付いたあだ名は虎の前田智徳(アキレス腱断裂した直後)だから1番転向も駄目だった」
小波「でも、3割30本の成績なら改善の余地があるじゃないですか」
千石「そう、打撃だけならな・・・」
三本松「という事は守備が下手とか?」
千石「いいや、打者のフォーム、投手の投げる球、それを打つ打者の馬力を全て計算して、どこにボールが飛んでくるのか予測出来る。常に打球の正面にいる。武藤は牛若丸の再来と呼ばれた」
七井「凄いネ!守備だけでも食べていけるネ!」
千石「ところが・・・」
小波「嫌な予感」
千石「武藤のキャッチング、送球があまりにもお粗末過ぎた。キャッチボールもろくに出来なかった。エラー、トンネル当たり前。守備率は常に.360前後。首位打者レベルの守備と言われた。付いたあだ名は虎の(吉田義男+仁志)÷(古木+巨人で外野を守るペタジーニ)または帰ってきたラッキーゾーン」
小波「駄目だこりゃ・・・」
千石「トレードでDHの使えるパリーグに出そうかという話も出たが、当時パリーグのDHには強打者が沢山いた。そのDHを守備に回すと他の野手がベンチ入りする為どこも武藤を欲しがらなかった。そして武藤は球界を去った。」
三本松「なんか勿体無いような気もするが・・・」
千石「まぁ野球は打撃ばかりが全てじゃないって事だ。じゃあな」スタスタスタ・・・
小波「ちょっと監督ー!オチは?」




218: 名無しさん@パワプラー:09/04/08 01:15 ID:0w
業者書き込みのたびに>>212が更新されたと思ってワクワクしながらこのスレを開いてしまうのは俺だけでいい。

224: 名無しさん@パワプラー:09/04/18 15:27 ID:oQ
流れを止める業者はマジで死ねばいいのに
ホント負け組は底辺仕事に熱心だな

225: 名無しさん@パワプラー:09/04/20 21:46 ID:rA
学歴もなくコミュ力もない屑業者がアホみたいにURL張ってるなw
屑なのはお前の生活だけで充分だってのwwこんな小中学生ばっかりのところまで来てエロの宣伝とかマジで恥ずかし過ぎるww

おかげで小説は更新されないし
現実で空気読めなくて仕事ないことには同情してやるけど、ネットにまでKY持ち込むなよカス

226: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:17 ID:zE
 大変長らくお待たせしました。
 ここから先は、全てノンスットップで終わりまで突っ走ります。
 見てくれている方はお付き合い下さい。
 >>212からの続きとなります。




227: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:18 ID:zE
12.バレンタイン・キッス


 目の前の小箱を一つ一つ慎重に手に取り、じっと睨みつけ、充分に吟味する。
 しかしそれで結論など出るわけもなく、さっきからあの箱この箱そっちの箱と行ったり来たりする。
 赤いラベルが良いのか、青いラベルが良いのか。ミルクが良いのか、それともビターが良いのか。買うときになってあれこれと迷い始めるのが、こういうことの常というもの。そして実はこの時が一番楽しいものなのだが……これに関して右も左も分からない彩乃は、そんなこと思いもせず、目の前に積まれたチョコ群に右往左往していた。
 市街でも有数のデパートの地下、食品コーナーのある一角にて、道行く女性の誰もが歩みを止めて集まっている場所がある。時は二月に入ったばかり暦の上ではただそれだけのことだが、世間様はそれどころではない。二週間後に迫ったバレンタイン。女性達は意中の男性のハートを射止めようと小さなチョコレートに命運を託し、製菓企業はそれを狙ってあらゆる手を尽くし自社のチョコレートを売り込みにかかる。国内のお菓子業界がここまで盛り上がる日と言うのは、他に例を見ない。
 そんなわけで彩乃もまた然り、憧れの西条樹のハートを射抜く最後のチャンスだと己に言い聞かせながら、こうしてバレンタイン商戦に参戦しているわけである。
(わ……分かりませんわ……)
 しかしそもそも、今時の女子高生たちの流行もろくに知らない彩乃が選べるはずもない。あれを手に取りこれを手に取り、落ち着かない状態が続く。
 西条樹に想いを寄せるようになってから、丸二年が経過しようとしていた。その間、接触できたことは幾らでもあるが、会話ができたのは数度。勉強を教えてくれと言われたことが二回、そして廊下ですれ違いざまに立ち話をしたことが三回。よく数えてみたら合計五回である。少ない。あまりに少ない。しかしそれが恋愛ド素人の倉橋彩乃の限界だった。
 だから恋愛を極めんと、一般的な女子高生が買うような妙にキラキラした週刊誌や月刊誌を読み漁り、恋愛とは何かというとても哲学的な問いにまで発展しかけたのだが、よく分からない単語が頻出するので購読を止めてしまった。「男とハメる三つのテク♪」など、指輪を嵌めるのにも「テク」なるものが三つも必要だと知った時は驚いたが、しかしテクという単語が分からない、といった調子だったのだ。どうやら昨今は雑誌を読むにも特別な知識と、辞書が必要になっているようである。
 少しレベルを落として少女漫画雑誌のバレンタイン特集に目を通したものの、総じて手作りチョコに関する話題だったため、これも論外。危ないからと台所に一人で立たせてもらえない彩乃に、調理能力は皆無である。


228: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:19 ID:zE
 だから手っ取り早くベストなチョコが選べる情報が欲しかったのだが、それがない今、こうして大量のチョコを目の前に一人悩むしかないわけで。
(うう、多過ぎますわ……あら?)
 チョコの特設コーナーの端っこをチラと見やると、見覚えのある顔があった。普段学校の中で何度もすれ違ったことのある顔だ。同学年のはずであるが、名前は思い出せない。もう三年生になろうかというのに、あまつさえ念願の生徒会長にまでなったというのに、未だに顔と名前が合致しない生徒は同学年に多い。あの程度よく日焼けした肌と、羨ましいように大きな胸が、記憶に引っかかってはいるのだが。
(確か理事長賞の賞状をお渡したことがある、えっと、運動部の……どこの運動部でしたっけ?)
 そんな彩乃の頭の中は概ねそんな調子だった。
(彼氏さんにでもあげるのかしら……ハァ、手馴れてる感じが羨ましいですわ……)
 溜め息をつき、吟味を再開する。手に取った、クマさんがプリントされた小箱に少し和んだ。




229: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:19 ID:zE
 目の前の小箱を一つ一つ慎重に手に取り、じっと睨みつけ、充分に吟味する。
 しかしそれで結論など出るわけもなく、さっきからあの箱この箱そっちの箱と行ったり来たりする。
 赤いラベルが良いのか、青いラベルが良いのか。ミルクが良いのか、それともビターが良いのか。買うときになってあれこれと迷い始めるのが、こういうことの常というもの。そして実はこの時が一番楽しいものなのだが……これに関して右も左も分からない幸子は、そんなこと思いもせず、目の前に積まれたチョコ群に右往左往していた。
 去年の合宿での雪辱を果たすべく、西条樹への想いを胸に片っ端からチョコを見ているのだが、いかんせん幸子には女子高生としての知識が不足していた。どんなものを選べばいいのか皆目見当もつかないのである。一応部室で、先輩や後輩の話しに小耳を立てつつ近頃のバレンタイン事情など窺ってはいるのだが、チョコの詳しい銘柄を言われてもよく分からない。そして男になんてまだ興味はない、と周囲には言い放っているため、選ぶのを手伝ってくれともいえない。全く救えないものである。
 ついでに言うと、好きなチョコの話題をそれとなく友達と話した日には、どこから聞きつけたのか、幸子が好きだと言ったメーカーのチョコがバレンタイン当日に下駄箱や机の中に詰め込まれることになる。主に同輩後輩の女子から。それは中学の頃からの経験で重々承知だった。
 同性からの評判が高いのはもちろん嬉しい話であるが、今は場合が違う。とにかく西条樹という異性の心を射止めなければならないのだ。
(うう……全然わかんない……なんだよこれ、え? ワイン入ってんの? こっちはウイスキー? いつの間にチョコってこんなに進化したんだよ……)
 見慣れないチョコの群れに戸惑う。どうやら幸子の知らぬうちに、世間のチョコ事情は随分と様変わりしてしまったようである。
 手っ取り早くベストなチョコが選べればそれに越したことは無いが、いかんせん情報に疎い幸子に、それは無理な話であった。決まる見通しなど立たぬままに右往左往していたそのとき、ふと横を見やると、見覚えのある顔がこちらを見ていた。
 よく校内でも見かけるが、以前全校集会の際に、ソフト部代表として理事長賞の賞状を受け取る際に、それを渡してくれた人である。というか、恋恋の生徒会長だったはず。世間知らずな顔と綺麗な金髪に白い肌、おおよその女の子が望む可愛らしさを兼ね備えた顔は、それだけで強く記憶に残っている。
 確か、名前は……。
「あ」
「あ」
 思い出す間もなく、互いに目が合った幸子と彩乃は、脊髄反射で二人同時に会釈をしていた。




230: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:20 ID:zE


「知り合いがいて安心しましたわ。高木さん、手伝って頂いて恐縮です」
「い、いやー、アタシもたいしたことはしてないし」
 会釈後の挨拶もほどほどに、二人はお互いのアドバイスの上でそれぞれのチョコを買い、デパートを後にしていた。可愛らしくラッピングされたチョコを、大切に緑の袋に入れて片手に提げている。デパート前の大通りは、こんな時間でも人通りで溢れていた。雑踏の中に紛れて話す。
「にしても流石は高木さんですのね、チョコ選びも手馴れていらして、羨ましいですわ」
「あ、うん、ま、まーね」
 幸子は倉橋彩乃からチョコの選び方を問われ、つい手馴れているフリをして偉そうにアドバイスをしてしまっていた。頼られるとつい見栄っ張りになってしまうのが、幸子の悪い癖である。ちなみに幸子も、彩乃の意見を取り入れつつ、自分のチョコは確保してある。
「にしても、会長さんがチョコ買いに来てるとは思わなかったよ。恋愛とかしそうに見えないからさ」
 あっけらかんと、思ったままの感想を述べる幸子。倉橋彩乃という人物に対する評価は、自分の周囲でもかなり様々と分かれている。幼くてわがままそう、祖父の威光を駆って威張っていそう、可愛い抱きしめて振り回したい、世間知らずそうなところが愛らしい、などあるが、誰もが口をそろえて言うことには「男には縁がなさそう」ということだった。それには自分も全く同意見だったため、幸子にとって今この状況はかなり意外なものなのだ。
 幸子の言葉に、彩乃はすこしムッっとして答える。
「し、失礼ですわね。わ、私だってその、恋愛、ぐらいしますわよ」
 胸に手を添え、背筋を伸ばして主張する。どうやらお嬢様の機嫌を損ねてしまったようだ。可愛い仕草だな、と幸子は思った。
「ごめんごめん。でも、会長さんが惚れるって、どんな男子なんだろうね。想像できないよ」
「そんな、普通の男性ですわ」
 正直言って、倉橋彩乃という人物の持つ容姿は、とても優れている。綺麗な天然の金髪に、長い睫、大きくて潤んだ瞳、雪のように白い肌にすらっとした細い指先。「深窓の令嬢」という言葉をそのまま具現化したようなその姿は、とても並みの男子風情では手も届くまい。どんな育てられ方をしたらこうも美しく、人形のように整った女の子が育つのか。
 そんな令嬢が自らチョコを渡そうなどと考えるほどの人間なのだから、相手は相当な美男子に違いない。間違っても普通の男性なんてことはないだろう。
(やっぱあの二条とかいう野球部のヤツかな。去年もウチの部から相当な人数がアタックしてたし)
 恋恋高校男子勢一番の人気は、勿論野球部の美男子、二条神谷である。ここ二年間で相当な人数が、彼に告白し、そしてその高い壁の前に散っていった。なるほど、あれぐらいの人間だったなら頷ける話だ。
「……もしかしてさ、その人、野球部?」
「っ!!」
 途端に彩乃は目を見開き、顔を真っ赤にして驚愕した。声にならない叫びを上げたいらしいが、それもままならず、口をパクパク手をバタバタさせている。
「っい、いやっ、ちが、そんな……っ!!」
 大慌てで隠そうとする彩乃。いやこれは抜かった。どうやらお嬢様は予想以上にこういった局面に慣れていなかったらしい。こんな大通りでパニックになられては大変と、幸子は慌ててなだめにかかる。
「うわぁっ! ご、ごめんごめん! そんなつもりじゃなかったの! 別に特定しようとかしてるわけじゃないし誰にも言うつもりないから! うん大丈夫! 落ち着いて! ごめんね!」
 それだけまくしたてると、少しは気持ちがおさまったらしく、彩乃は数度の深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻したようだった。
「……あまりからかわないで下さい……心臓が止まるかと思いましたわ」
「本当にごめん! あはは……アタシも間が悪いなぁー」
 その後しばらく、気まずい時間が流れる。お互いに会話の糸口をなんとか探ろうとしているとき独特の、あの何ともいえない重く鈍ったような感覚が支配する時間である。
 責任を感じて、幸子は口を開いた。
「いやその、実はアタシのチョコあげようかなと思ってるやつも、野球部なんだ」
「え……?」
 その言葉に興味を示し、彩乃の顔がこちらを向く。あちらも相当意外そうだった。
「あ、でも! 多分、会長さんの好きな相手とは、全然違うと思うよ。そいつ、結構地味だし、特に顔が良いってわけでもないし、目立つような人間でもないから」
 言っていて、なんだか自分がしょうもうない相手を好きになっているような気になってくる。が、断じてそんなことはない。

231: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:21 ID:zE
「……でも、そいつ、格好良いんだよ。なんていうか、見た目……表面じゃなくってさ、背中で語るっていうか、すっごく純粋で、真っ直ぐな性格っていうか……ああ、なんだか自分でも分かんなくなっちゃった」
 よくよく言葉にして考えようとしてみると、何故自分がアイツを好きになったのか、具体的な理由が全く出てこない。いつの間にか好きになっていて、好きになってから見つけたことが大半だ。恋愛とはそういうものなのだろうが、モヤモヤと頭の中に残る違和感にこらえきれず、幸子は髪をくしゃくしゃと揉んだ。
 あははと照れて笑ってみせると、彩乃もそれに同調して微笑んでくれる。はにかむ様子もお上品だった。
「高木さんは……立派に恋をしてらっしゃるのですわね……羨ましいですわ」
「……え? どういうこと?」
「私、一目惚れでしたの」
 街の雑踏を歩く中で、喧騒に掻き消されそうなぐらい小さい声で、彩乃は語り始める。二人の横を、腕を組んだカップルが通り過ぎていった。
「入学式で見かけて、すぐに好きになってしまって、何度かお話する機会は持ちましたけど、結局想いの丈の少しも伝えられないまま、ずっと片想い……どうして好きになったのかなんて理由、考えたこともありませんでしたわ」
 手に提げたチョコの袋を胸に抱えるその横顔は、不安に満ちた表情だった。
「恥ずかしいことですけれど、私、今まで恋なんてもの、したことがなかったんですの……だからこれが本当に恋なのかと疑うことだって、よくありましたわ……」
「会長さん……」
 おしとやかで世間知らずなお人形さんにはとても似つかわしくない、とても人間味溢れる悩みに、幸子は少し驚いた。理事長の孫にして才色兼備のお嬢様ともなれば、自分とはやることも悩みも全て違うものだという先入観があったのだが、それがこのほんの少しの時間で一気に覆されてゆく。
「でも、もう覚悟を決めないと、あと一年で、彼とは会えなくなってしまう……。ですから、今年の、バレンタインこそは勇気を持って……彼に告白しようと、決めましたの」
「幸せモンだね……そいつ」
「え……?」
 幸子の一言を理解しかねたらしく、彩乃が言葉の意味を求めて振り向く。
「こーんな美人な会長さんに、ここまで想ってもらえてるなんてさ。やっぱ得な人間ってのはいるんだね」
「っあ、あの、いえ……そんな……」
 女の自分から見たって、倉橋彩乃という人物から好かれるなんてとても凄いことだと思うし、こんなにも純粋な思いで好きでいてもらえるなんて、それはとても素晴らしいことだと思う。幸子は白旗を揚げたい気持ちで一杯だった。
 街中で周りに溢れる恋人達を眺めながら、思う。この中に、これほどまでに純粋な願いから恋の成就を果たした人間がどれほどいるのだろうか。恋の程度に優劣をつけるなんてナンセンスではあるが、それでも、こんな彩乃の思いを聞いた上では比較せずにはいられなかった。

232: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:22 ID:zE
「会長のは立派な恋だよ。アタシのなんか比べ物にならないくらい……だから、自信持って。大丈夫! 会長なら絶対イケるよ! アタシが保証するって!」
「……はい、ありがとうございます」
 ペコリと頭を下げる。その動作すら、子猫のようで愛らしかった。やはり世の中、得な人間ってのはいるもんだ。
「二条か……アタシには高嶺の花だね。釣り合わないったらありゃしない」
「……?」
「たくさん玉砕してるから不安かも知れないけど、大丈夫だよ。会長さんくらいの可愛らしさがあれば、絶対」
「……はぁ……そうなのですか…………えっと、あの」
 直後、幸子の頭に衝撃が走ることになる。
「二条……とは? どなたのこと、なのですか」
 走った。ご丁寧にズキューンという効果音まで添えて。
「……へ?」
 ほとんど声にならない疑問符だった。その様子を受けて、彩乃はまた訊いてくる。
「二条とは、どなたですか? 顔が思い浮かばないので」
「え? あ、そう、なの……?」
 よもや、好きな男性の顔を知らないなんてことはありえないだろう。もしかすると、別の二条という人物のことを話していると勘違いしているのかも知れない。
「いやだから、ほら、野球部の、ね」
「野球部……二条という方がいらっしゃるのですか。その方が、高嶺の花ですの?」
「そ、そうそう、アタシにしちゃ手も届かないような美男子! でも、会長さんなら……」
「私なら……?」
「絶対大丈夫だから頑張って……」
 そこまで言って、幸子は沈黙した。冷や汗をかきながらしばし黙り込む。片手を唇に添え目は泳がせて、必死に思考をめぐらせるその様は、明らかに動揺を隠しきれていなかったが、幸いにも彩乃は全く気付いていない様子だった。
 二条では、ない。
 それが、このたった少しのやり取りで判明した。彼女の想い人が野球部にいるだろうことは先程の反応を見る限り明らかなので、それは野球部男子における二条以外の誰かだということになる。
 背筋に、ゾゾっとした悪寒が走った。
 周囲に知り合いが一切いないことを確認してから、幸子は強行手段に出た。普段なら決してしない暴挙であるが、こちらも一世一代の恋が懸かっているのだ。
「会長さん」
「? どういたしました?」
「矢部!」
「?」
「宮岡!」
「?」
「黒田!」
「はぁ……?」
「藤木!」
「あの……高木さん?」
「久保木!」
「あの、意味が」
「……っ、西条!」
「ぇっ!!」
 それが野球部二年男子の名を順々に言っていった結果だった。何を語らずとも、彼女の真っ赤に上気して慌てた表情を見れば分かる。そうでないことを願いつつ、すがるように最後に回した名前で、彼女は言葉を失った。そして自分も。彼女は自身の想い人を言い当てられたという焦りで落ち着かずわたわたとしているが、こちらの絶望感はそれ以上だった。
 まさか自分の恋敵がこんなにも間近にいて、しかもこんなにも強敵であろうとは、到底予想もできなかった。
 だがしかし、諦めるつもりは、
「あああああの、どうか、その、そのことは、御内密に……っ!」
 ない。真っ赤になって取り乱す倉橋彩乃に、幸子は面と向かって告げた。
「会長さん」
「な、なんですの……!?」
「勝負だよ」
「…………え?」
「アタシも西条が好きだ。すっごい好きだ。だから会長さんには譲れない」
 きりっとした目つきで言うと、向こうも状況を把握したようだった。一瞬ハッとした表情になったかと思えば、幸子と同じく、戦う女の目つきになる。さながら縄張りを争う野性の猫のように睨みあう両者。
「私とて、西条様を想って二年……愛で負けるつもりは御座いませんわ」
「上等」
 路上で火花を飛ばしあっていた二人は、しばし経つと踵を返し、お互いに逆の方向へと消えていった。その手に、決戦兵器であるチョコの入った袋を提げて。
 かくして、一人の男を賭けた乙女の熾烈なバトルが幕を開けたのだった。



233: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:22 ID:zE



それから何事もなく、二週間が経った。





234: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:23 ID:zE

 待ちに待ったバレンタイン。数少ない男子たちのハートを射止めるために奮闘する女の子もいれば、ただ友達とチョコの交換をするだけの女の子もいる。この日ばかりは学校側もとやかく言わずにチョコの持込を黙認しているため、学校中が慌慌ただしい雰囲気に包まれ、一大行事のようになる。特に男子生徒の加入から際立った熱気を見せるようになったこの日であるが、その中でも、やはりこの者の存在は欠かせない。
「…………」
 靴箱を前にし口を半開きで顔面蒼白になり無言で震える男子生徒が一人。彼の前には、はちきれんばかりにチョコの詰め込まれた靴箱と、足元に散乱するラブレターの大海原が広がっていた。
 言わずもがな、彼の名前は二条神谷という。去年一度経験しているはずなのだが、どうやらバレンタインという日そのものを忘れていたらしい。呆然と立ち尽くし脳の処理が追いついていない様子が、その表情から読み取れた。
 そんな様子を傍観しながらしみじみ呟く影が二つ。
「二条も大変だね」
「まったくでやんす」
「矢部君、今年は?」
「去年の百倍もらったでやんす」
「ゼロは何倍してもゼロってね」
「うるせーでやんす! ほっとけでやんす! そういう西条君はどうなんでやんすか」
「靴箱あけてみるまで分からない。もしかしたら三つぐらい入ってるかもね」
「シュレーディンガーのチョコでやんすか。せいぜい妄想平行世界で楽しむでやんす」
「そだね。さっさと教室に行こう」
 正味な話、学校の女子の話題は全て二条がかっさらっているため、樹たちがこの日をわくわくして待つことはない。一部野球部内でも彼女ができた者がいるようだが、それも少数派だ。大部分はこうして、周囲の雰囲気に当てられて多少はワクワクするものの、結局は肩を落として空っぽの笑いをこぼしながら帰るのである。
 矢部も樹も、例外ではない。
 はずだったのだ。
「さてと」
 靴を脱ぎ、上履きに履き替えるために靴箱を開ける。すると中にゴミが入っていた。チョコがもらえないばかりかゴミ入れのいたずらまであるとは、勘弁して欲しい。浮かれた気分のなかで悪戯心があるのは仕方ないとも言えるけど。やけに角張ったゴミを、樹は靴箱から払い落とした。朝からいやな気分である。
 靴を履き替えて見やると、矢部が驚いた顔をして地面を見つめていた。
「どうしたの矢部君?」
「あ……ああ……あ……!」
 わなわなと震え、がくがくと首を振り、ぷるぷると手を動かしている。どこからどうみても動揺し、気分が悪そうであった。樹の直感が働く。
「?! 矢部君?! どうしたの?! 気分でも」
「さ……さい」
「さい?」
「西条君のでやんでぇばっきゃろー裏切り者―! でやんすーっ!!」
「ち、ちょちょっと、矢部君!!」
 叫ぶと同時に大量の涙を流しながら駆け出して遠ざかっていく矢部の姿に、樹はしばらく呆気にとられていた。何が起こったのか理解できず、しばらく時間が過ぎる。
 そして自身の足元に落ちた、ゴミだと思っていたもの。それが一つのチョコと、一通のラブレターであると気付いた瞬間、樹は口を半開きで顔面蒼白になり無言で震えるのだった。




235: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:23 ID:zE

 ラブレターなんてもらった日には、その一日何事にも身が入らず、ぼけーっと上の空になってしまうのは全男子共通のことである。樹は退屈な授業中、いつもの野球ノートを開くこともせず、ただぼーっと窓の外を眺めていた。
『放課後、屋上で待っています。』
 それは、例え文面がこのように月並みであっても変わることはない。
 未だにこれが自分のもらったものであるのか疑問に思えてならず、しかし文章の最後に添えられた「西条樹様へ」の一言がそれを証明しており、樹は困惑の中にいた。確かに嬉しい。嬉しいのだが。ただどんな表情をして会いにいけばよいのか、どんな態度でまだ見ぬその人と話せばいいのか、そんなことを考えるたびに頭の中がぐるぐると回っていた。
 告白なんてものは、小学校以来だ。あの頃は子ども同士の他愛のない、可愛らしい恋だったから、難しく考えるようなこともなかったけど、今度は少し勝手が違う。相手は同じ高校生。もう恋愛の何たるかも理解できている年頃。だからこそ、真剣に考える必要がある。
 恋愛とは、自分の時間を相手に与えること。そして相手の時間を奪うこと。自分のやりたいことと、恋愛、その二つを量りにかけて、重いのは果たしてどちらだろう。
 溜め息すら重くなる。ちらっと二条の方を見やると、あちらは既に落ち着いた様子で授業に聞き入っていた。一流の選手であるならば、自己の精神の操縦はお手のものといったところか。そう考えると、自分はまだまだ三流だろう。
 断わるか、受け入れるか。イエスかノーか。どちらが正解とも言えぬもの。樹は答えつきの問題集を恨めしそうに睨んだのち、ノートにアミダくじを作った。
 さっそく入り組んだ縦棒と横棒をなぞると、結果が出る。
 そこでチャイムが鳴った。



236: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:24 ID:zE


「この勝負」
「勝った方が」
「西条様に」
「告白する!」
 昼休みのテニスコート。そこには二人の女の子……いや、互いに敵対心をむき出しにした二人の夜叉が立っていた。互いに想うは同じ人。ならばその想い、ぶつけって勝った方が強いは道理。ぶつけてみせましょ春の花。散らずに魅せます女の意地。とかなんとかそんな名乗り口上が聞こえてきそうな役者振りで、二人は睨み威嚇し合う。
 片やソフトボール部のユニフォーム、片や女子テニスの公式ユニフォーム。ズボンとミニスカートの特異な組み合わせであった。手に持つものもまた然り。バット及びグローブとテニスラケットでは一体何をどうするのか皆目見当もつかない。
 すっと、高木幸子がソフトボールを掲げる。
「宣誓ーっ! 我々ーっ! 選手一同はーっ!」
 それに応える倉橋彩乃。
「日頃の練習の成果を、十二分に発揮し!」
「正々堂々ーっ!」
「相手が!」
「この恋を諦めるまで!」
「戦うことを!」
『誓います!』
 二人が同時に声を上げたところで、戦いの火蓋は切って落とされた。
「うおおおおおらああああああっ!!」
 幸子が渾身の力を込めて投げたボールが、彩乃を狙う。しかし彩乃はひるむことなく、
「余裕ですわっ!」
 打ち返した。とても深窓の令嬢とは思えない身のこなしである。しかしスポーツ少女が引けをとることもなく、幸子はそれをバットのスイングで持ってまた弾き返す。
 再び迫るボールを、彩乃が弾き、それをまた、幸子が返す。ラリーの応酬だ。
 先にミスをしたのは彩乃。上手く返せなかったボールが自身の足に当たる。
「きゃっ!」
「その程度かい会長さん!」
「隙アリですわっ!」
「うっ!」
 油断した幸子の横っ腹を、一瞬のスマッシュによるテニスボールが射抜く。
「……やるじゃん」
「全部、本気で行きますわよ」
「のぞむところぉっ!」
 聖戦が始まった――。
「くらええええっ!」
 幸子の投げたドロップボールが彩乃の前で急失速。コートをえぐり、地面の破片を空中にばらまく。
「くっ……!」
 視界を乱されたことを悟った彩乃は横っ飛びし、すぐさま打ち込まれる無数のソフトボール弾の連射をかわした。破壊された元の居場所は、もはや見る影もない。まだ続く、爆発したようにえぐりとられていく地面は、もはや子供の遊び場のようだ。
 彩乃は反撃に出る。
「えいっ、やあああああああ!」
 近場にあったテニスボール入れごとボールを宙に放り投げ、落ちてくるボールを全て打ち飛ばす。
 幸子はいくつかを喰らいながら、大半をキャッチした。しかし威力が高い。とり逃したボールは全てネットを突き抜け、外へと飛び出していった。そして彩乃の攻撃は終わらない。
「えいっですわっ!」
 飛んでくる予備のラケット。防ぎきれず、幸子は左手をやられた。
「あうっ!」
「おーっほっほっほ! もう終わりですの? 高木さん?」
「んなわけ」
 バットを握り締め
「あるかぁー!」
 気合とともに地面を踏みつける。その衝撃で、一斉に宙に舞い上がるテニスボールたち。幸子は一瞬の計算で全てを見切ると、その中の一球を、別の方向にある一球に向けて打った。
 その球に弾かれた球は別の球に向かい、それに弾かれた球はまた別の球に向かい――。
「!!」
 彩乃が気付いたときにはもう遅かった。ビリヤードの要領で連鎖を起こした球は、予測不能な動きで、確実に彩乃に迫る。
 右か左か――!
「きゃぁ!」
 正面だった。腹をぶち抜かれて、彩乃は倒れかける。しかし倒れるものか。
 落ちる球を足でリフティングしスマッシュのポジションにする。そして真上に打つ!
「なにっ?!」
 一瞬の不可解な出来事に目を丸くした幸子。戦場では一瞬の躊躇が命取りにことを、彼女はまだ理解していなかった。
 彩乃がソフトボールとテニスボールの連打をしかけてくる。弾道が低い。反応に遅れながらも、幸子は天高く飛び上がってかわした。
 地上でニヤりと笑う彩乃の姿に気付いた頃には、もう遅かった。
「まさか!?」
 彩乃も高くジャンプし、先程打ち上げたボールに追いつく。
「ジ・エンドですわ」
「しまった――っ!!」
 そして彩乃は空中で、幸子に向かって、ボールを、打ちそこなった。
「…………」
「…………」
 両者着地。
 しばし無言。
「まだまだですわぁー!」
「上等だぁー!」
 何事もなかったかのように戦いは再開した。
 とっくに昼休みなど終わり、既に午後の授業が始まっていることにこの二人が気付くのは、あと四、五時間ばかり後のことである。



237: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:25 ID:zE


 いつも通りの道順で、三年間馴染んだ屋上へと歩みを進める。しかし今の心境はとてもいつも通りとは言えない、むしろ初めて体験しているものである。何しろこれから樹が向かうのは、自分にとって全く未知の空間なのだ。
 一歩一歩を踏みしめる毎に、胸がズキリと痛む。一段一段踏み上がる度に、つらくなる。答えはもう用意してあるが、この答えを告げたとき、果たして、女の子はどう思うのだろう。もし相手が傷ついたならば、そのとき、自分はするべきなのだろう。冷たくあしらうことが、優しさなのだろうか。
 考えている間に、ついに屋上へと続く扉の前に到着してしまう。思った以上に重い扉をぐいっと押し開けて、樹は屋上へと出た。扉の開閉の金属音が、甲高くこだまする。
 二月の夕暮れは早い。まだ五時を回ったばかりだというのに、空には夜の帳が降りかけていた。冷たい風が、樹の冷静ぶった心を象徴するかのように、すーっと吹いてはすぐに消えていく。手のひらに風を感じて、そこで初めて手汗をかいていることに気がついた。
 屋上には、一つの人影すらなかった。風が突き抜ける寂しい空間には、ただ静けさだけが佇んでいる。コンクリートの地面が、やけに重々しく思えた。女の子は、まだ来ていないのだろうか。屋上のいつもたむろしている辺りまで来て思う。今日見下ろす景色は、いつもよりひっそりとしている。
 安心したやら拍子抜けしたやら、樹はほっと溜め息をつく。そうか、きっと、いたずら手紙dあったのだ。今頃物陰から、自分のことを笑っている人がいるに違いない。よかった。
 樹は振り返り、帰ろうとする。
 扉のところに、七瀬はるかが立っていた。
 無言のままに、お互い歩み寄る。そしてあと数メートルというところまで近づいたところで、どちらともなく立ち止まった。
「あおいは、私の憧れでした」
 夕焼け空が徐々に夜に呑み込まれていく。その様子はどこか幻想的で、悲しくて、切なかった。冷たい風は、今はもう吹かない。

238: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:26 ID:zE
「私は生まれつき身体が弱くて、内気で、人と接するのが苦手だった。そんな私を変えてくれたのが、あおいだったんです。あの子は、どんなことがあっても自分を諦めない。強くて格好いい、私の理想像でした」
 痛いように冷たかった風は、優しい空気の流れへと姿を変えている。何かを包み、何かを運ぶような。あるいは、何かを慈しむような。
「だから高校になって、あおいが野球を続けると聞いたときは、私も喜びました。これからは、私があおいを支えていこうと思っていたんです……あの時、怒られてから、いろんなことを考えました」
 樹はじっとはるかの瞳をみつめ、はるかも樹の視線から目をそらさなかった。
「私の方があおいのことを理解しているはずなのに、どうして私が間違うんだろう。私の方があおいの為を想っているのに、なんで私が……たくさん、たくさん考えました」
 はるかの髪が風に舞い、栗色のいくつもの曲線が景色に溶け込む。しなやかな指先がそれをかきわけ、淡い香りがあたりに散らばった。
「しばらくして、わかったんです。やる気だけが空回りして、正しい知識も持たないままに、ただあおいの役に立ちたいだけの思いで、何度も足を引っ張っていたことが……優しいあおいが、私なんかが期待をかけているあまり、無理をしていることに、気付いたんです。」
 はるかはそっと深呼吸をして、またそっと目を開いた。それは呼吸を整えるためのものではなく、決意を固めるためのもの。
「あなたが怒鳴ってくれなかったら、きっと私は、またあおいに無理をさせていた。あのまま、あおいの役に立っているつもりで、あおいに気を遣わせていた……本当に、ありがとうございました」
 樹の中にあった七瀬はるかのイメージは、優しく臆病で、大人しい女の子というもの。しかしこの、今目の前にいる七瀬はるかは、そんなイメージとはかけ離れた、強い意志と迫力を持った女の子のように思えた。
「そんなことで、怒鳴られたのがきっかけなんて……すごく、情けないですけど、それでも……言います」
 風が、ぴたりとやんだ。無音の空間の中、お互いの鼓動が聞こえる。
「あなたが、好きです」
 その一言が、いつまでも耳に残った。
 とても強い意思と、ダイヤのような決意。彼女の想いが、痛いほど伝わってくるその言葉に、樹はしばらく絶句した。しかし、答えなければならない。全身全霊の想いを、ありったけの想いをぶつけてくれた彼女に、自分はまた、強い意思で答えなければならない。
 それが、こちらの義務である。
「俺も、あおいちゃんが大好きだ。はるかちゃんに負けないくらいに。
 だからこそ、まだまだ支えていきたい。あおいちゃんと俺に限界がくるまで、全力で支えていきたい。
 それが、チームメイトの仕事。俺からあおいちゃんにしてあげられる精一杯だ……だから」
 深々と、頭を下げた。
「だから今は、ごめん」
 全力で野球をやりたいのに、出来なくなった。そんなあおいの為に自分がしてあげられることは、自分が全力で野球に挑むこと。今、他に大事なものは作るわけにはいかない。
「でも、本当の返事は、まだ言わない。いつか、俺から言うよ。ありがとう、はるかちゃん」
「……はい!」
 抱え込んでいたものをはき出したような、元気な笑顔。今まで見たことのない活き活きとした顔だ。強く返事をして、はるかは堂々と足取り軽く屋上を出て行った。
 樹は、七瀬はるかのことは好きだ。友人としてもチームメイトとしても、異性としても。でも今はまだ、自分に大きな仕事があるから、付き合うことに全力は注げない。はるかが納得してくれるならば、全てが終わったあとに、答えを出そう。七瀬はるかという女の子に全力で向き合うには、まだまだ自分は未熟だ。
 薄雲を覆うように夕闇がかった空を見上げながら、ひとしきり感傷にひたった後、樹は屋上から去ろうと扉に近付いた。
 その瞬間、扉のある壁の陰から、何かが飛び出してくる。
 人影だった。
「えっ?! あ、あおいちゃ……!」
 言葉に詰まる。というより、それ以上喋れなかった。唇が動かなかった。動かせなかった。
 目を閉じたあおいの顔が目の前にあり、鼓動が高鳴り、息すらも止まる。

 キスをしていた。

 驚きと緊張から時間感覚が狂う。どれほどの時間、唇を重ねていただろう。分からない。甘酸っぱい味なんて、するわけがない。
 ふっと唇が離れる。完全に硬直してしまっている樹から体を離すと、早川あおいは真っ赤な顔で
「今のファーストだから!」
 とだけ叫んで屋上から走り去った。全ては一瞬の出来事。
 樹はその後、たっぷり十分ぐらい、その場で棒立ちになっていた。



239: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:27 ID:zE


 夕暮れも過ぎた夜。恋恋高校テニスコートで、疲労のあまり倒れている二人がいた。
「な、なかなかやるじゃん、会長……お嬢様だと思って……油断してたぜ……」
 ガクッ
「あ、あなた、こそ……でも、西条様は……渡しません、わ……」
 バタッ
 この後、たまたま通りかかった守衛さんに発見され、二人は無事保護される。
 そして翌日から、この二人の間には固い友情が芽生え、周囲の人間を驚かせたのだとか。しかし何故この二人がそれほどの友情を培ったのかについては、誰の知るところでもなかったといふ。
 二人の鞄の中に残された、それぞれの渡せぬチョコだけが、全てを物語っていた。




 バトル編が一番書いていて楽しかったです。
 それでは続きます。



240: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:28 ID:zE
 13.恋恋高校野球部


 いよいよ高校三年というものを迎えた。今更ながら言うまでもなく、野球部として過ごせる最後の年である。甲子園という華の舞台を目指せるのも残すところあと一年……いや、あと半年だ。樹ら三年生は最後の後輩を迎え入れ、最後の夏へと向けて一層の闘志を燃やしていた。
 放課後の練習グラウンドに声が響き、白球が飛び交う。元気の良い、いつも通りの恋恋高校野球部の練習風景だが、ここしばらくは様子が違った。
 グラウンド周りの道路には多くのワゴン車が止められており、大きなカメラを抱えた報道陣が、その練習の様子を真剣な表情で撮影している。まるで一流スターを取り囲むかのようなカメラの量は、とてもではないがただの高校に相応しいものとは思えない。
 ことあるごとにシャッターをきるカメラマンたち。彼らのお目当ては、グラウンドの隅で投げ込みを続ける一人の女の子。三つ編みが特徴的な、早川あおいという人物である。
 樹たちが一年間に渡って続けていた活動が実ったとき、日本スポーツ界は大きく揺れた。あおいの出場停止処分を皮切りに続けていた、ビラ配りや高野連への抗議活動がいつの間にか肥大化し、強い声となり、ついに高野連が女性選手の公式戦への出場を認めたのである。過去八〇年余り続いてきた日本野球界の負の伝統を、健気な野球少女が覆した。この出来事は野球界、スポーツ界に限らず、日本全国を沸き立たせた。
 そんなわけで、野球少女早川あおいは一躍時の人。その練習姿を求めてグラウンド周辺は連日報道陣で賑わっている状態だ。中には、彼女を一目見ようと方々からやってきた一般の人もいる。
「一昔前のアイドルみたいでやんす」
「世論を大きくしないと、高野連の意見は動かなかった。とは言え、ちょっと話題性も大きくなりすぎたわね」
 ベンチで溜め息をつくの矢部と加藤監督。珍しい組み合わせである。
「おまけにファンレターまで山ほど届く始末……。破って捨てるわけにもいかないし、どうしたもんかしら」
「あ、おいらもファンレターは出したでやんす!」
「……ハァ……」
 加藤監督の再びの溜め息もごもっとも。慣れないカメラマンたちの視線に、部員たちはすっかり浮き足立って集中力を欠いている様子。
 結局平静を保って練習できているのは、早川あおい本人を含む三年の一部メンバーだけであった。
「一昔前のアイドルみたいだね」
「ファンレターだって届くんだよ」
「え、そうなんだ」
「あれ? 妬いちゃった?」
「いや、すごく嬉しい」
「あっそ」
 面白くないといった様子でそっぽを向くあおい。その様子がおかしくて、樹はくすりと笑ってしまった。野球に復帰できると聞いたときに人目も憚らず破願して嬉し泣きしていたあおいだが、ここ数日はケロっとして久しぶりのキャッチボールを楽しんでいる。とは言え、一人でこそこそ自主トレはやっていたようで、その球筋はあまり衰えてはいなかった。それは、実際に球を受けてみれば分かる。伊達に、ずっと彼女の投げ込みに付き合っていたわけではない。


241: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:29 ID:zE
 この復帰で一番喜んでいるのはもちろん他ならぬあおい自身であるが、チーム全体の盛り上がりだってとてつもない。今まで以上に皆が一丸となって、あおいを甲子園に連れて行こうと、このチームで甲子園に出たいと願っている。キャプテンとして、こんなに頼もしいことはない。今年こそは、行けるかもしれない。
 樹のワクワクは募るばかり。
「どうしたのニヤニヤして、なんか気持ち悪い」
 思わず顔に出ていたらしい、あおいに見られ、ツッコミを食らった。そんな気持ち悪い顔のまま言う。
「行けるよね」
「どこに?」
「甲子園」
「あったりまえじゃん」
 あおいも、笑顔。後ろで鳴るバットの音は、矢部が外野に向けてノックをしている音だ。ノックを受けた三年生の外野手は、いとも簡単にそのボールを捕球して見せる。その姿に、あの頃のおぼつかなさは全くなくなっていた。
「成長したね、皆……」
 ぽつりと樹が言う。これも、あおいはしっかりと聞いていた。
「うん……ねぇ、樹君、憶えてる? 一年の最初、ここで、君がやたら重い溜息ついてたの」
「…………憶えてない」
 必死で思い出そうとしたが無駄だった。そんなブルーになったことがあったっけ。
 樹の記憶には、一年生の頃と言えば、ただがむしゃらに練習だけをしていた様子しか残っていない。
「憶えてないなら……いいよっ、と!」
 突然あおいが振りかぶり、ボールを投げる。しかしそれは樹のミットではなく、遥か後方にいた矢部を狙ったものらしかった。横腹を射抜かれた矢部が「ぎゃっでやんす」という断末魔の叫びを上げて崩れこんだ。さらに「デジャヴでやんす」とか呟いている様子を見る限り、重傷ではないらしいので放っておくことにする。
 いろんなことが、あった。
 いろんな人と、出会った。
 いろんな壁に、ぶちあたった。
 でもそのたびに、乗り越えた。
 樹はもう、これだけで充分過ぎるほどに恋恋での野球を楽しんだ。
 最後の仕上げ。最後の踏ん張りどころ。
 それがあと、二ヵ月後に迫っている。
「あおいちゃん」
「なに」
「絶対、行こうね」
「うん!」
 会心の笑顔。
 一通りの考えをそう完結させて、ようやく復活したらしい矢部君を横目に見ながら、樹はグローブを見た。そこには入学決定と同時に書き入れた一行の文字が、かすれかけた黒で、ぼんやりと浮かんでいる。
 目指せ甲子園。
 樹は、そのグローブを高く掲げ、そろそろ本格的に全体練習を始めるために、声を張り上げた。
「集合ー!!」
 キャプテンの声を聞いたチームメイトが、グラウンドの隅々から駆けてくる。
 全ては、たった八人から始まった。。
 チームすら組めなかった愛好会の意地が、こんなところまでやってきてしまった。
 やれる気がする。
 やってみせる。
「俺たち三年の最後の大会まで、あと二ヶ月、皆に、お願いがある」
 全員脱帽した選手たちが、キャプテンの次の言葉をじっと待つ。
「全力で、野球やろう!」
 応っ!!
 力強い声が、グラウンドに響き渡った。
 恋恋高校野球部の、長い夏の幕開けだった。




242: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:30 ID:zE


『今年もいよいよ始まりました夏の甲子園大会。全国四〇〇〇校の中から選ばれた強豪たちが、優勝旗を手に入れるために、ここ甲子園球場へと集まりました。今年はどんなドラマが、奇跡が、この甲子園で生まれるのでしょうか。天気は快晴。気温は三〇度。激闘に相応しい日和となりました。さて、間もなく入場行進です』

 今日も、グラウンドに響く声がある。

『最初に入場するのは勿論、前大会優勝校である帝王実業高校。キャプテンである阿南が、優勝旗を高く掲げて先頭をきります。注目の選手は四番の伊達裕介。高校通算三八本のホームランを放っています』

 今日も、グラウンドに響く足音がある。

『続いて流星高校。綺麗に足並みを揃えて入場します。前大会では惜しくもベスト8入りならず。今大会はリベンジをかけて一層の練習を重ねてきましたと、宇田監督からコメントが出ています。俊足が売りのチームです』

 今日も、グラウンドにはバットの音がこだまする。

『さぁ満腹高校です。高校生とは思えない巨漢揃いのチーム。地方予選を全てコールド勝ちして上がってきました。キャプテンは四番の高橋修』

 今日もグラウンドに流れる汗があり、涙がある。

『次は雲龍高校が入場です。今年も甲子園へやってきました。注目の選手は投手の紅咲憂弥。地方予選の被安打数四、失点は一という好成績です。今年は優勝を狙えるチームに仕上がっていると、東寺監督からは力強いコメントをもらいました』

 今日も、グラウンドで語られるドラマがある。

『そしてなみのり高校。三年ぶりに甲子園に帰ってきました。全寮制の学校であり、夜間の練習も苦に思わず続けてきました。その結果を遺憾なく発揮してもらいたいものです。野球部は今年、創設四〇周年を迎えます』

 その一つ一つを踏みしめ、乗り越え、球児たちは成長していく。

『そして、さぁ、あー球場が沸きますね。観客席が、ワーっと立ち上がって拍手を、声援を送っています。今大会一番の注目校、恋恋高校です。投手である早川あおいの話題性は今や日本中を席巻。創設三年目ながら、地方予選では強豪あかつき大附属を下し、見事初出場を果たしました。続いてこちらも初出場アンドロメダ高校…………』

 甲子園で有名になった選手を、テレビを観る多くの人々が語り継ぐが、その影で、戦いに敗れ散っていった選手たちが多くいることを、知る者は少ない。

 皆がそれぞれの想いを抱え。
 皆がそれぞれ悩み。
 皆がそれぞれ努力をし。
 皆がそれぞれの結果を出す。
 決して表舞台で語られることのないドラマが、そこには確かに存在する。
 華々しい栄光の道を歩む者、挫折し志半ばで終わる者、努力の限りを尽くした結果に満足する者。それぞれにそれぞれの道があり、それぞれが己の人生を歩む。
 しかし、彼らに共通することは、誰もが己の青春の舞台に、このグラウンドという場所を選んだということ。それには、何か理由がある。

 きっと、こんな言葉が、彼らの耳に聞こえたからに違いない。



 ねぇ



 野球しようよ!





243: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:31 ID:zE
 14.終わりのあとで




 また今年も様々な野球部おけるドラマと時代が一幕を閉じ、多くの者が晴れ舞台を去る。
 数年を友にした仲間との別れがあり、新たな出会いに向けて歩みだすこれからの季節。
 後に残る者は、去る者の意思を継いでまた新たな時代を作っていく。それはどこの世界でも同じこと。
 早川あおいのプロ入りが決まってからというもの、日本では毎年のように女性プロ野球選手が誕生しており、その度に話題になる。まだしばらくは、日本スポーツ界も騒がしいだろう。だがそれは喜ばしいことであり、今後あらゆるスポーツの世界で、女性選手が台頭することを願ってやまない。
 なんてね。

「こら!」
「あいてっ」
 横から頭をはたかれて、ハっとしたように樹は我に返った。負傷部をさすりながら見やると、ふてくされたような目をしてこちらをジーっと睨みつけるあおいの顔があった。

244: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:33 ID:zE
「人が真面目に相談してるんだから真面目に聞きなよ全く」
「あー、ごめんごめん。ぼーっとしてた」
「ちょっとはるか、旦那のしつけがなってないよ」
「う、うーん、そう言われても……」
 寒さが一段と増す真冬の十二月。野球シーズンも終わり、選手達はオフに入る。そこで、久しぶりに会わないかという提案をあおいから受けた樹はそれを快諾。市外にある遊園地まで家族連れでやってきていた。
「でさ、カメラマンが近くまで来るわけ。それって練習妨害だよね、っていうか営業妨害だよ。練習だって仕事なのにさ」
「人気者の宿命だよ。我慢する他ないって」
「怒鳴り散らしたいんだけどさ、そんなことしたら翌日スポーツ紙に乗っちゃうじゃん? 芸能人じゃないんだからもう勘弁してくれないかなー」
 有名になりすぎるのも考えものである。
「おれんじジューしゅ!」
 と、我が家のお姫様の注文が決定したらしい。
「由佳はオレンジだって、あおいちゃんはメロンパフェだったよね。はるかは?」
「あ、わたしはホットコーヒー」
「じゃ、俺もそうしよう」
 全員の注文を確認したのち、樹は店員さんを呼んでそれらを伝える。その際に俯いて顔を隠すあおい。冗談でなく、特定されるとサインや写真がどうたらと面倒らしい。どうでもいい話だが、遊園地の喫茶店にはどうしてあのピンポンボタンが無いところが多いのだろう。
「ああああああああ由佳ちゃんかわいいなぁー、ねぇねぇ、今度ボクに貸してよ」
 由佳のほっぺをぶにぶにといじくりながら、至福の表情で羨ましがるあおい。由佳は樹とはるかの第一子で、先月一歳を迎えたばかりの女の子だ。うまいこと母親に似てくれたおかげで可愛く利口に育ち、いろいろと助かっている。いや本当に可愛い。親のひいき目もあるだろうが本当に可愛いものは仕方がない。ちなみに二人目の予定は今のところ無い。
「ダーメ。あおいに貸したら、おてんばな子になっちゃいそうだし」
「ムカッ、こらはるか、今のどういうイミよちょっと」
「そのままのイミ。あおいがもうちょっと料理できるようになったら考えてあげてもいいかな」
「う……な、なんかはるかが強くなってる……」
 母は強しである。
「ねー、ユカもママと一緒がいいよねー」
「まますきー」
「くぅっ……! か、かわいい……っ!」
 屈託のない笑顔で母親の首に抱きつく由佳に、あおいは思わずよろめいた。
 すると間髪入れずに、
「おばたんもすきー」
 と一言。
「な……」
 おばさんと言われたショックは計り知れない。だが、
「っ……! お姉さんも由佳ちゃんだーいすきーっ!」
 可愛ければ全てヨシだったようである。調子に乗って運ばれてきたパフェを全て由佳に食べさせようとするので、そこは断固として制した。虫歯になりやすいこの時期、幼児に迂闊に甘いものを食べさせるわけにはいかない。あおいからはブーブーと不満が聞こえるが、親の愛は絶対なのである。
 こうしてあおいと、直に会って話すのは本当に久しぶりだ。結婚式以来だから、実に三年ぐらいは会っていない。テレビの中でちょくちょく顔は見て、電話も時々してはいるものの、やはり会って話すに越したことはない。電波越しでは思いつかなかった話題が多く生まれてくる。
「矢部君は元気? あんまり話題にならなくなったけど」
「うん元気元気。たまに試合で会うよ」
 実はあおいがプロ入りを果たした八年前のあの時、にわかには信じがたかったが、矢部も同時にプロ入りを果たしたのである。見せ場は少なかったとは言え甲子園で好プレーを見せ、あかつき大附属と戦ったときにも好成績を残していたから、それがスカウトの目に留まったのだろう。プロから見て魅力ある、光るものを持っていたに違いない。現に矢部は今、「早川あおいの同級生選手」という扱いでメディアから騒がれていた頃に比べれば影は薄くなったが、一軍選手として悪くない成績をキープしている。
 本当は今日、矢部も呼びたかったのだが、あちらの都合が合わないということで今回は断念。ついでに言うと二条も呼びたかったのだが……。
 樹は、ちらっと、付近の席に無造作に放置されたスポーツ新聞の一面記事を見やった。そこには堂々たる大文字で『三大会連覇!! 二条神谷――二条流極武館師範』の見出しが踊っている。今や破竹の勢いで日本武道界を躍進しているホープに、とても声などかけるわけにはいかい。聞けばあの顔の良さが売れて、お茶の間のおばちゃんたちに大人気、芸能界からも声がかかっているのだとか。忙しい身分が落ち着いてから、また実家の方に出向いてみることにしよう。
 と、他人のことはこれぐらいにしておいて。
「樹君はもう現場になれた? 今の時代先生って大変でしょ」
「そうだね。でも楽しいよ。高校生ってさ、先生の目線から見るとこんなんなんだって、まだ毎日が新鮮だからさ」
 あの日、恋恋高校は甲子園一回戦で惜しくも敗れ去った。そして最後の試合を終えた後、樹は猛勉強を行ない、首都教育大学へと進学、卒業し、今は公立そよ風高校の社会科の先生となっている。野球部の副顧問もやっており、何かと忙しい毎日だ。目標は勿論、甲子園である。
「高校、そんで高校野球か……懐かしいなぁ。そういえばボク、初恋は樹君だったっけ」
 危うくコーヒーを噴き出しかける樹。味が一瞬にして吹き飛んだ。
「な、なななな、えっ?!」
「あれー、憶えてないかなー? 確か二年のバレンタインの日、はるかが最初に玉砕した後に、証明したと思うけどー」
 そこまで言って、あおいは悪戯っぽく口を閉じた。口笛でも吹いていそうな暢気な表情で、ニヤニヤと視線を泳がせている。身に憶えのありすぎる樹は、しばらくコーヒーカップに口をつけた状態のまま硬直した後、そーっと妻の方を見やった。
 よかった。妻は天使のような笑顔だった。
 しかし残念。その背後には何かしらダークな雰囲気が立ち昇っていた。
「あなた、どういうことかしら?」
「い、いや別に、あの特に何も、ねぇ?!」
 あおいに撤回とフォローを求める。
「あのときはボク、初めてだったからさー。ちょっと恥ずかしかったなー。でも一瞬だったから、痛くもなかったし、お互い意外と平気だったよねー」
 わざと誤解を含んだ物言いをするあおい。ダメだ。これはダメだ。火に油どころか爆薬を注いでいる。完全に判断を誤った。とてつもない後悔をしつつ見やると、おめでとう、妻の背後に鬼神が見えた。

245: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:34 ID:zE
「あなた……?」
「は、はるか、違うって! 怖いから、本当に怖いから!」
「ママこわいー?」
「まましゅきー」
「そーだよねーママすきだよねー」
 由佳をあやしつつ、禍々しい威圧感でもって樹を威嚇している妻はるか。黒い。オーラが黒い。数年前までの箱入り娘っぷりが微塵も感じられないその様子に、あおいは思わず笑い出した。
「あっはっはっは! ごめんごめん、からかいすぎた! もう、はるかってば本気にし過ぎ! 本当にからかいがいがあるよねぇ、はるかは」
「え、あっ……! も、もう、ひどいよあおいー」
「ごめんごめん、許して。したのはキスだけだから」
「…………え?」
「そ、そういえばさぁ!」
 慌てて話題を逸らす樹。その不自然さは、もはや清々しい。
「まだ今日、全然乗り物乗ってないじゃん、せっかくフリーパス買ったのにさ! ほら、由佳も遊びたいよねー」
「ゆか、おばたんとあそぶ!」
「かわいいいいい! あ、もう今日は一日ボクが由佳ちゃん連れまわすから! よっし、レッツメリーゴーランド! 由佳ちゃんおいでー」
 トテトテと一生懸命に走る由佳にトキメキつつ、中腰になってその手を引き、あおいが駆けて行く。樹とはるかも、歩いてそれに続いた。歳の離れた姉妹のように微笑ましい後姿に、思わず見入る。
 はるかのお腹の中にいるのが女の子だと知ったとき、樹はとても嬉しかった。それは男の子だったとしても同じことだったろうが、それでも、早川あおいという少女の成長を見続けていた樹にとって、女の子を授かるということはとても特別なことだったのだ。この子がどんな女の子に育つかは分からないし、育ち方を強制するつもりもない。自由に、自分の好きな事を見つけて、一生懸命に生きて欲しいと願うばかりだ。だが、それでも、ほんの少し、希望を言わせてもらうとすれば、野球をやってほしい。野球というスポーツの楽しさを知って、野球というスポーツを通じた仲間との成長を体感して欲しい。かつて自分や早川あおい、そして多くの高校球児がそうだったように。
 そして願わくば、その成長の中で最高の伴侶を得て欲しい。とりあえず樹は、娘が最愛の妻に似て生まれてきたことだけで幸せだった。
「あおいちゃんに、由佳の専属野球コーチを頼もうかな」
「あら、あなた、あの子に野球やらせるつもり?」
「やってくれれば嬉しいなぁって思うだけだよ。子供とキャッチボールするのは父親の夢だからね」
「じゃ、次は男の子ですね」
「そうだなー……へ?」
「さっきの話、もっと詳しくお話しして下さいね。それから」
 妻の笑顔がとても美しく、そしてどこか邪悪に輝く。
「今夜は覚悟しておいて下さい」
「…………はい」
 思わず気圧されて頷いてしまう。意外と尻に敷かれているのが樹なのであった。
 と、前方が騒がしい。ふと見やると、油断した所為か、かの早川あおいであると周囲にバレた彼女が、集まってくる人だかりから逃げようともがいている。
 樹とはるかは大慌てで、とにかく我が子を救出せんとその渦中に割って入っていった。


                            終

246: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:41 ID:zE

 これで西条樹たちの物語はお終いです。約二年に渡る気の長い連載でしたが、最後まで見てくださった方には最大限の謝辞を。
 途中、スレッドが大量に削除されるという出来事があり、物語最初の部分は消えてしまいましたので、この後に補完したいと思います。
 良くも悪くも、自分の中での彼らの物語はこれで完結。気楽になったような寂しいような。
 輝かしい青春は戻りません。今を最大限に楽しむべし。そんな気概を、この物語からちょっとでも感じて頂けたら幸いです。

 
 それでは、最初からでも途中からでも、今の今までお付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 またどこかのパワプロ小説でお会いしましょう!



 最終更新を見に来て下さった方はここからどうぞ>>226->>245

247: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:45 ID:zE


 以降は、以前のスレッド削除の際に巻き込まれて消えてしまった、>>21から始まっている物語の前部分です。
 ここに補完しておきますので、初見の方はこちらからご覧下さい。



248: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 01:48 ID:zE

 1.俺? 俺は


 ああそうだ。
 こんなことは知っていた。
 というかむしろ覚悟していたはずだ。
 そう、落ち込むことなんてない。全ては納得の上での行動。そこに後悔や不満が起こること自体が間違っているのだ。悪いのは自分。世間様は何も悪くない。
 と言いつつ、この落ち着かない感情の捌け口を探しているのは、自分の思考の幼さ故か。
 一度の、深い溜め息。
「愛好会……か」
 そりゃ俺だって馬鹿じゃないさ。去年まで女子校、今年からやっと共学になるというこの恋恋高校が、他校と比べても劣らない程の運動系の部活を持っているなんて期待、初めからしてなかった。あってソフトボール部ぐらいだろうとか、少なくとも高野連に登録できない女子高に、硬式野球部があるなんて期待していなかったのだ。
 で、その期待は極自然に――本当に、何の差し支えなく――通ったわけだけれども。(というかそもそも、入学案内さえ見れば一発だった)
 だからこそ、この自分が創始者となって、ここから野球部を始めていこうと、そう思って俺は入学を決めた。何も初めから在るものに頼る必要は無い。無ければ創ればいいだけのことだ。自分が入学したことに代表されるように、今年からは男女共学。男子生徒の入学生も多いはずだ。幸いここ恋恋高校は部活動必須なので、その大半は女子の花園に埋もれることを避け、この野球部に入部を求めてくるはずである。うーん完璧だ。実力はまぁ後からついてくるだろう。まずは野球を始めて、練習試合でもいいからとにかく試合数をこなしていきたいところである。
「愛好会だって立派な活動だよ。野球ができるんだから、ほら、文句言わない」
 例え入部男子が未経験者でも構わない。むしろ変なクセがついていない分、素人の方が指導しやすいし。練習で基礎を磨き、試合で技術を向上させる。よし。これで見るに耐えないチームとはならないはずだ。俺って何て頭がいいんだろう。もしかすると地方でも結構通用するようなチームにすら成り得るのではないか? それは少し夢見がちか……いや、やる気さえあれば、そうなることも容易い。そうだ。目標を小さくしてどうする。
 そして地方さえ乗り越えれば、ついに幼少の頃夢見た甲子園に……。
「行きたかったんだよ俺は……」
「どこに?」
「甲子園」
「何で過去形かなぁ。まだ一年生だよ? これからだって」
 そう言われても、あまり夢に浸る気にもなれないのが現状だった。
 今年の恋恋高校、男子の入学生総数は、自分ともう一人を含めても、全部で七人。この野球愛好会への入会数も、やはり七人。今、捕手である自分のミットに力いっぱいの投球をしている女の子は、やる気も素質も充分な投手であるが、所詮は一人だ。そう、この数字が重要。
 会員全員で八人だと知った時。この時ばかりほど、野球に九つのポジションがあることを恨んだときはなかった。
 つまり、チームさえ組めないのである。
「あーもう、そんな鬱な顔しない! ボクのやる気まで一緒に失墜しちゃうじゃないか!」
 そうは言っても。
「あ……! ほら、キミがそんな表情してるから、思わず図らずワイルドピッチだよ!」
 いや絶対ワザとだろ? 今のは。二メートルは外れてたって。
 俺は渋い顔をしながらも、さっさとボールを拾いに走った。ダイヤモンドは現在、他の部員が守備練習――投手と捕手と左翼手と右翼手がいない、である――に使用しているので、こちらはグラウンド脇に作られた手製のブルペンを使っているのだが、これが後ろにネットが無い分、一度ボールを逸らすと取りに行くまでが少し辛いのだ。
 と、飛んできたボールに反応してくれたらしい、自分の守備位置である右翼を放ったらかしにしているノックバッターが、それを片手でキャッチしてこちらへと投げて寄越してくる。
 眼鏡をかけているわりにちっともインテリっぽくない、この愛好会の中でも貴重な一応の野球経験者。彼は、矢部明雄と言う。入学初日に出会ってから三ヶ月というもの何かとウマが合い、以来付き合いのある友人だ。矢部君と呼んでいる。うん、とてもベターな呼び方だ。
「ありがとう矢部君」
「どういたしましてでやんす」
 もう聞き慣れた、独特の口調で返してくる矢部君。こちらに視線を向けている間に返球されたボールが脇腹に当たったようだが、まぁ身悶えしている程度なので気にはしない。

249: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 12:14 ID:zE
野球愛好会。人数不足で部とすら名乗れないこのちっぽけな野球好きの集合体は、正直なところで“暇なときのスポーツ”張りのベクトルしか持っていない。野球の楽しさを知らない未経験者が多いのも理由の一つだが、 硬式野球のくせに甲子園さえ目指せない。あまつさえ試合にも出れない。そんな環境が、最も大きな原因だろう。しかしそんな状況下でも目標を失わずに居られる人間は、強い人間なのか、果たして空想主義の夢見人なのか。
少なくとも自分は、空想主義に属していると思う。何せこんな愛好会を甲子園まで導こうなどという絵空事を、軽々しく描いているのだから。それが、楽しくてしょうがないのだから。
そうだ。野球は楽しい。
九人揃えば。 
「はぁ……」
矢部君――まだ脇腹を痛がっている――から受け取った球を、土を盛り上げただけのマウンドに立つ投手へと返球する。その瞬間、溜め息が漏れた。
彼女はそれを見逃さなかったらしい。
「ほーら、何溜め息なんてついてんのよ! キャッチャー兼キャプテンのキミがそんなことしてたら、皆のやる気にも響くでしょ?!」
さきほどからやたらやる気やる気と五月蝿いのは、この愛好会唯一の女性会員、早川あおい。本当はマネジメントを受け持つ女の子がもう一人いるのだが、選手としての活躍を望んでいるのはこの早川あおいだけだ。“自由とやる気は世界を変える”が持論――意味は理解しかねるが――で、とにかくメンタル面での云々を全ての重点に置いており、それがそのまま彼女の人格を作っていたりする。早い話が、普段からやる気満々な気分屋で、結構な前向き思考を持っている女性選手だということだ。この上、天邪鬼だったりしたら最悪な性格だったことだろう。ちなみにあおいちゃんと呼ばせてもらっている。
ソフトボール部には目もくれず、唯一野球をすることを好んでいる女の子であるあおいちゃんは、何を隠そうこの野球愛好会の創立者だ。
俺や矢部君と同時入学且つ同級生且つ同い年なのだが、野球愛好会創立に関しての手はずは彼女の方が早く、しかもテキパキとしていた。一応三人同時に立ち上げたことになっているのだが、彼女の方が一足早かったのだ。それは認めるべきだろう。
短気が故に行動が突飛で微妙に無計画なところがあるが、それあっての彼女でもある。

250: 名無しさん@パワプラー:09/05/02 12:17 ID:zE
規制を受けたのでワンクッションおきます。

251: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:44 ID:YE
 野球愛好会。人数不足で部とすら名乗れないこのちっぽけな野球好きの集合体は、正直なところで“暇なときのスポーツ”張りのベクトルしか持っていない。野球の楽しさを知らない未経験者が多いのも理由の一つだが、 硬式野球のくせに甲子園さえ目指せない。あまつさえ試合にも出れない。そんな環境が、最も大きな原因だろう。しかしそんな状況下でも目標を失わずに居られる人間は、強い人間なのか、果たして空想主義の夢見人なのか。
 少なくとも自分は、空想主義に属していると思う。何せこんな愛好会を甲子園まで導こうなどという絵空事を、軽々しく描いているのだから。それが、楽しくてしょうがないのだから。
 そうだ。野球は楽しい。
 九人揃えば。 
「はぁ……」

252: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:45 ID:YE
 矢部君――まだ脇腹を痛がっている――から受け取った球を、土を盛り上げただけのマウンドに立つ投手へと返球する。その瞬間、溜め息が漏れた。
 彼女はそれを見逃さなかったらしい。
「ほーら、何溜め息なんてついてんのさ! キャッチャー兼キャプテンのキミがそんなことしてたら、皆のやる気にも響くでしょ?!」

253: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:45 ID:hg
支援

254: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:45 ID:YE
 さきほどからやたらやる気やる気と五月蝿いのは、この愛好会唯一の女性会員、早川あおい。本当はマネジメントを受け持つ女の子がもう一人いるのだが、選手としての活躍を望んでいるのはこの早川あおいだけだ。“自由とやる気は世界を変える”が持論――意味は理解しかねるが――で、とにかくメンタル面での云々を全ての重点に置いており、それがそのまま彼女の人格を作っていたりする。早い話が、普段からやる気満々な気分屋で、結構な前向き思考を持っている女性選手だということだ。この上、天邪鬼だったりしたら最悪な性格だったことだろう。ちなみにあおいちゃんと呼ばせてもらっている。
 ソフトボール部には目もくれず、唯一野球をすることを好んでいる女の子であるあおいちゃんは、何を隠そうこの野球愛好会の創立者だ。

255: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:48 ID:YE
>>253
リアルタイムでどうもありがとうございます。
支援していただいてなんですが、どうやら頻出ワード(とくに「やんす」の彼)が規制対象になっているようで、書き込めません。
既出分(但し削除済)の補完ですから、気長に更新していきたいと思います。

256: 名無しさん@パワプラー:09/05/03 01:49 ID:YE
 俺や矢部君と同時入学且つ同級生且つ同い年なのだが、野球愛好会創立に関しての手はずは彼女の方が早く、しかもテキパキとしていた。一応三人同時に立ち上げたことになっているのだが、彼女の方が一足早かったのだ。それは認めるべきだろう。
 短気が故に行動が突飛で微妙に無計画なところがあるが、それあっての彼女でもある。
「よっしいくよ、必殺シンカー!!」

257: ラリク:09/05/14 18:49 ID:C.
面白かったです!
とてもきにいっていて、ずっと読まさせていただいてました。
読んでいると、自分も小説書きたくなったので、今少しずつ書いたりしてます。
この小説のおかげで、今の学生時代の大切さが分かった気がします。
これからは樹たちのように精一杯楽しもうと思います。
最初の話を読んでいなかったので最後の部分がよくわかりませんでしたが、補完のおかげでわかりました。
ありがとうございます。
終わってしまったと思うと、なんだか寂しい気もしますが、これも小説の特徴ですね。
ゆっくり余韻にひたりたいと思います。
本当に面白かったです。ありがとうございました!!


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