地震の予言


@3ch掲示板 > 地震の予言
全部1- 101- 201- 301- 401- 501- 601- 701- 801- 901- 最新50

地震の予言

1: 名無しのゴンベイ:11/06/14 17:57 ID:Ns
いろいろな地震の予言教えて

701: 名無しさんAA:18/07/27 08:21
 関東関西地区は、今の内にダムの水は全て放出しなさい。殆ど必要ないぐらい大雨が
降るはずだ。まったく今流さねば流す時期がなくなる。


702: 名無しさんAA:18/07/27 18:50 ID:YYM
 菅官房長官は、声明などいらない。そもそも翁長知事は何を考えているんだ。過去の
沖縄が戦争した事実は隠せないし、政府との約束での辺野古基地の建設は、私が撤回し
たいから撤回させてくれ。などというのは、個人の人権に於いての話であり、県として
或いは国としての行政や歴史は公式なもので何ら変わるものではない。前回の知事選で
「普天間基地の移設を求める」「自民党との話し合いを行う」として当選した仲井真氏
が、辺野古の埋め立て承認をしたことに対しては、多くの県民から「公約違反」という
批判が渦巻いた。しかし中曽根総理大臣以降の中で、橋本竜太郎は国鉄清算や省庁再編
など多くの困難な事業に関わった。中でも「普天間基地や嘉手納基地の危険性に憂慮す
る。」と言う沖縄県民の会の働きかけに答えて海岸埋め立てやV字滑走路整備などを、
検討するに至ったのである。当初辺野古基地は沖縄県がアメリカ軍に押されてアメリカ
軍のキャンプ・シュワブおよびキャンプ・ハンセンにまたがる森林などを切り開き出来
る予定だったが、広がる中部訓練区域の代替え移設地や、沖縄からの森林の返還などを
要望されて頓挫し、アメリカ側から海兵隊のヘリが集結するのに十分な大きさを持つ基
地として、嘉手納弾薬庫地区が最適地に挙げられたりして、キャンプ・ハンセンへの移
転案さえも検討された。その中で4者、アメリカ軍アメリカ政府沖縄県日本政府の意見
の統一が図られてやっとこの辺野古建設が決められたのである。そしてその沖縄県の中
の代表職員として動いていたのが翁長氏である。翁長氏家系は沖縄返還事業の時も日本
への帰還運動を果たした運動家の一族で沖縄23部族の長の一家系である。朝鮮半島の
両班と同じ地主の家系であると言えよう。翁長氏達が運動に求めた金がチャイナマネー
やコリアンマネ―であった。ここに翁長氏は中国の毛沢東や蒋介石或いは韓国の李承晩
の様な勝手な不義と変節のブラックリレーに陥る。つまり死の商人達の戦争画策の為の
、実行保険である。反乱分子に貸付し反対を盛り上げる。例え仁義に劣り道義に反して
も構わない行為である。こうした事を見越したかの様に九州福岡に中国領事館が開設さ
れた。「安全保障は国家がやるべきものであって、自治体が介入するというのは、国際
社会の常識から見ておかしな話。そもそも辺野古移設がこんなにもめるのは、国家同士
が合意しているのに、地元が反対と言うと止まるという、日本社会の歪んだところなん
だ。それは原発から出るゴミの問題も同じ。安全保障課を創るのはおかしい。」と意見
され、仲井真知事はムッとした、ご機嫌斜めになったが安全保障課に「地域」という名
前を付け「地域安全保障課」を創った。それを見て中国共産党は「仲井真は駄目だ。共
産党中国の言うことをきかない」として翁長知事を持ち上げたのである。本来なら翁長
はこの中国の協力を切るべきだった。だが禅譲を期待できない中で辺野古基地反対で、
知事選に出た

703: 名無しさんAA:18/07/27 18:51
仲井真知事はムッとした、ご機嫌斜めになったが安全保障課に「地域」という名
前を付け「地域安全保障課」を創った。それを見て中国共産党は「仲井真は駄目だ。共
産党中国の言うことをきかない」として翁長知事を持ち上げたのである。本来なら翁長
はこの中国の協力を切るべきだった。だが禅譲を期待できない中で辺野古基地反対で、
知事選に出たのである。自分が発案し、自分が進め、自分が反対する。全く小泉氏の様
な、まるで整合性のない他人迷惑な人生である。

704: 名無しさんAA:18/07/28 07:21
 NEW 悪魔の聖杯 0053 ブラックレスポンス  ‐‐‐25

 我々が今素粒子と呼ぶ世界は、単なる時間の世界即ち周期的形状の世界でしかない。
人は小さく細切れにすれば、臓器の集まりである。その臓器は細胞によって出来ている
。しかし最小の細胞である血液中の赤血球や白血球などは原生単細胞として生きている
がその細胞は、小さな有機化合体でしかない。生命維持の最も小さなこの単位は、それ
以下では生きられない。今やこの有機化合体と無機化合体には殆ど垣根がない状態とい
える。強いて垣根を作るとすれば、エネルギーの出入りが意思的に出来るか出来ないか
なのかもしれない。ともあれこうして元素がつながった形がそこにある。この繋がりも
化学的や重力的あるいは電磁気的と色々と言われるが その全てがイオン化のもの。す
なわち元素を形つける原子の回りを回る電子の性格がそれを決めているとするのが、今
の理化学的立場のようだ。その電子の動きを決めているのが原子の様態なのだが、この
原子を知ろうとしたのが原子核問題であり放射能と言うエネルギーの解明だった。この
研究は大正時代に既に終わり、その後は原子核や中性子や中間子陽子の解明に移ってい
る。ところがアインシュタインの相対性理論の証明によって物質とエネルギーの関係が
解明されると光子や量子或いは電磁気スピンなどの計算式が出され、物質と波動素子の
差が無くなってしまった。で此処にきて黄金の火星と紅いの月の時代に入ってしまった
。1609年に望遠鏡を製作したイタリアのガリレイ以来火星は最も観察される星となった
。今回の火星と地球の最接近は、 2018年7月31日に起こる。この時の火星と地球の間の
距離は5,759 万キロメートル。これは、「大接近」とも呼ばれる近い距離での最接近と
なる。このころの火星はマイナス2.8等の明るさで輝き、視直径(注3)は24秒角を超え
る。2003年には、地球と火星が5,576万キロメートルまで接近して、 大きな話題になっ
たが今回も、これには少しおよびませんが、6万キロメートルよりも近い距離での接近
となる。2003年以来15年ぶりとなるがこの6万kmと言うのは自転をセーブしうる力をも
つ。これはどういう事かと言えば宇宙線エネルギーの地球への飛来の増加を示す。重力
問題まで計算すればおよそ31倍程の影響が起こり得るのだ。次に紅いの月の問題は、
地平線低く現れる事を示している所謂自転と月の公転との差が大きい事を示す。つまり
極近くを周回する。その為磁力線変化より多くの宇宙線を地球に取り入れるのである。



705: 名無しさんAA:18/07/28 07:22
 NEW 悪魔の聖杯 0053 ブラックレスポンス  ‐‐‐24

 このブラックレスポンスを読み解くと、大正時代に書かれただろう鍋の蓋理論にぶち
あたる。江藤博士が提唱した鍋のつまみは磁力線の極と北の北極更に自転軸が重なって
いないと表明した理論ではあるが、不思議な無限の接触面と言う時間軸が出て来る。言
葉の意味が今一つ不明だが、この中の独楽の様に回る鍋蓋つまり地球はこの平らな台の
上で鍋蓋の一辺を台につけた形で回っていると説明される。その中心軸は蓋の摘みであ
りその傾きがそのまま小さな回転する角を持つ。しかしこの摘み時間の地平線とは垂直
ではない摘みの高さの分が違うのだ。宇宙の始まりでは回転も速く垂直と同じ様にあっ
たと思われる。この回転が速いと言う言い方は少し誤解になるので、日本語的には形を
保つ力と訳した方がいいかもしれない。この整形保持の力は今だ人類には理解しにくい
。ただ独楽の回転に例えれば立っているエネルギーは回転する遠心力とされる。五円玉
は中が中空なのだが、例えば1m転がして行けば中空の円周と地に当たる円周は違うが
それでも1mを双方共に移動する。では何故それが出来るかは整形保持力に他ならない
。つまり粒子だったり空気などの気体や液体ではそれが出来ない。個体だから可能なの
である。だがその個体でも、今や分子或いは原子や素粒子にまで及ぶと大きな隙間のあ
る空間である事が解っている。この空間を支配している力こそ整形保持の力であろう。
水を入れたバケツを肩を中心に回せば遠心力によって水は落下しない。つまりバケツか
らは漏れ出ない。それは液体が遠心力によって広がろうとするエネルギーを持つからだ
。対してバケツはそれを取り囲んで形を保持しようとする力で外に漏らさない。だがそ
の耐力が例えば10sの紙のバケツで遠心力の力が20sだった時は当然壊れてしまう
。実はこの均衡を壊す力こそがどんな形に見えても、例えば物理的でも科学的でも或い
は磁気的でも電気的でも粒子阻害力と言う微小部分の移動する力なのである。そしてそ
れが独楽の傾きと言う時間と言う単位なのである。時間とは周期とも言える。つまり今
我々が今時間と呼んでる事象は全てに 止まる事のない微細な素粒子運動に起因してい
る。ここに物質があるようでない。あるのはエネルギーの影であり壊れるのを必死に止
めているに過ぎない。


706: 名無しさんAA:18/07/28 07:57
 ところがこの二つの現象はこれに止まらない。太陽に起こる多極化である。つまり昨
年から起こっている太陽の黒点変化は200〜300年周期だそうだがアメリカセミの
研究では多分に極暑化傾向の一辺であろうと言われる。大型のアメリカセミはアイオワ
州などで6月頃から、セミが大発生する。その数はなんと数十億匹で携帯電話すらつな
がらない超短波を発する。この現象はその周期は17年と13年という「半端」な数字
で次が17年後なのか13年後なのかは解らない。この不思議なセミの活動正体は今だ
解っていないが周期ゼミは、なぜ長い間、地中で過ごすのか。なぜ、狭い地域で大発生
するのか。そして、なぜ17年と13年という半端な数の周期なのか。ある日本の生物
学者が、この周期ゼミを「素数ゼミ」と名づけ、長いこと謎になっていた難問を解き明
かし、生物界をはじめ世界中をアッと驚かせた。つまり割り切れない素数因子は自由に
その発生年を変えられるからだ。2億年以上も前に地上に発生したセミは過酷な時代を
生き抜き二百万年前に来た時その「最小公倍数」のセミしか生き残れなかったのだった
。素数同士だと、最小公倍数が素数でない数よりも大きくなるからです。氷河期を生き
延びた“避難所”のセミの周期は、当時は北部では14〜18年と多数の周期があった
。、又南部地域では12〜15年とされる。19年以上だと地中にいる期間が長すぎる
ので、18年が生物限界だった。そうして15〜18年の4種類のセミが出会う周期を見て
みても、数が減って行く傾向にある。つまり種の保存則で増えていくのがこの2種の周
期に限られているのである。同じ様に地球や火星或いは月の配置が今の様になるには、
とある周期律が必要となる。それが元素周期と言う事になる。今年の日本の台風進路で
解る様に異常である。台風12号は関東に接近後、西に大きくカーブして東海や近畿に
上陸、西日本を横断する珍しい経路をたどる。これまでの豪雨災害の地域でも大雨にな
る恐れがこんなに不明な気象は無かっただろう。気象庁は台風の位置にとらわれず雨雲
の動向に注意するよう呼び掛けている。気象庁によると、南の上空に反時計回りの空気
の渦(寒冷渦)がある。台風は渦の東側を北上しており、渦の力で進路が西寄りに変わ
る。上陸後は四国付近を経て九州北部に進む見通し。気象庁の担当者は「統計がある一
九五一年以降、本州付近をこれほど西に進む台風はない」と指摘する。通常の台風は西
から東に進む。これが東から西に進むと、どんな影響が出るのか。台風も反時計回りの
風の渦だ。通常、台風が東に進んで通過すればすっきり晴れ、雨が落ちた後の乾いた北
風が吹く。しかし、今回のように西に進むと、台風通過後から南風が吹く。この風に南
の海から水蒸気が供給されて大気の状態が不安定になり、雨が降り続く。これらの現象
は過去の例がない。実はこの極から離れる寒冷渦こそが赤いオーロラの根源である。つ
まり銀狼紅の牙或いは白熊の赤い舌と呼ばれるものだ。

707: 名無しさんAA:18/08/06 18:15 ID:IEM
 NEW 悪魔の聖杯 0053 ブラックレスポンス  ‐‐‐26

 赤熊の舌とか金狼の牙とされる月が出たのはちょっと意外である。しかし、今回台風
のコースを見れば北極から落ちて来る切り離されたジェット気流で寒冷渦と言う物が、
出来て来るからだとされる。しかし、ちょっと考えて欲しい。この現象がいつもの事な
ら千二百年に一回の或いは五百年に一回の事ではない。更にこの寒冷渦は今に出来た物
ではない1年ないし2年かかって出来たジェット気流の分かれ渦である。極を中心に特
に上空8 - 13km付近で風速が最大となるジェット気流。主要なものとして北緯40度付近
の寒帯ジェット気流と北緯30度付近の亜熱帯ジェット気流がある。長さ数千km、厚さ数
km、幅100km程度で、特に冬季には寒帯前線ジェット気流と 亜熱帯ジェット気流が合流
する日本付近とアメリカ大陸東部では風速は30m/sぐらいで中には 100m/s近くに達する
こともあるが、夏期はその半分程度の風速に弱まる。とされる。なぜこうも渦巻きが、
単体で出るのか。それは樹木の伐採にある。先に述べた様に、虫や小動物の働きは僅か
気温にして1度水温でも2度程度の一般気温との差であり、人間が外にまく内水の様な
ものである。しかしながらそれが気候に大きく左右する。竜巻を無くしたりそよ風を吹
かせたりである。これが今や変わったのだ。シベリアの大木を幾らか残していればそう
はなかったが、機械化した伐採プランでは禿山にする。更にアラスカやアメリカでは、
燃えた雑木をよそから植林する事もない。住宅地であろうが大木を切った土地区画では
自然現象に対応できない。日本が今まで災害が多くても生き残ったのは、雑木と神木の
おかげである。たいがいの大木は御神木として決して切らなかったし、河川の護岸には
護岸木として竹藪や柳を植林した。決して今の様なコンクリートやバックホウのお化け
更には薬などのお世話にならず1万年程度の生活を日本でやって来ていたのである。他
の国も歴史ある国は同じである。その意味ではインカ帝国はすごい。千年間は続いたで
あろうこの文明は、山頂の生垣の石垣の小さい穴から水を出して小川を作って山頂の城
で生活していた。これは今の現代科学でも知らない世界に近い。今解っているのは雪解
け水の多い湖水の傍の水蒸気が岩に吹いて発生しているだろうと言われている。これは
これでびっくりである。直接湖の水を使っていないのだ。クーラーの作ったドレイン水
を飲み水にしているようなものである。電気もない世界で。多分今後のこの気象変動は
こうした世界中の人間の起こした自然破壊が起こしているのは間違いない事実として、
ではこれが戻るのか。未だ中国は廃棄物に追われてそうした自然崇拝はない。アフリカ
もそうだしアマゾンも同じだ。加速するであろうが戻る理由はない。これが答である。

708: 名無しさんAA:18/09/05 23:14
なんだなんだ 今からが台風シーズンというのに何時から日本は
こんなによわくなったの〜〜〜よ〜〜〜

709: 名無しさんAA:18/09/06 17:36

 北海道で地震が起きた。当然だろう。この間まで関東一帯が地震に覆われたのだから
。今度は九州である 大分か天草か長崎か、どこでいつかは不明だが 既に予兆の筑後
の不明な地震は起きているし鹿児島沖も活発なようだ。いやはや どうすればいいのか
検討もつかない。まだまだ台風はやって来る伊勢湾あたりは今年は台風標識が立ちそう
だ。がんばれニッポン。我々は負けない。負けてはならない。
 北海道の崖の下に家があるのは 寒い強風や吹雪の風除けに利用したのであろう。し
かしそれがあだとなったようだ。反対側の段々の整地は全く崩れていない。強風でも持
つなだらかな傾斜だったからか。しかしこの地震は不明な事は多い。余震のない地震な
ぞあろうか。地下も40Kmと一般的10qの断層帯ではない。やはりヨーロッパ素粒子
加速器で作ったブラックホールの研究の影響で、地核が縮小しているのだろうか。



710: 名無しさんAA:18/09/10 18:53

 あちゃ〜  NZランドで地震があったM7、0だ。相当強い。これは又今年又は今
年度中に大阪あたりは危ないかもしれない。九州だったら少し弱い関東だったら強い。
いずれにせよ 日本は要注意 台湾も注意である。



711: 名無しさんAA:18/09/25 12:54 ID:sFs
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐1

 近頃、不思議な感覚に襲われた番組がある。福岡伸一氏(生物学者、青山学院大学教
授)の講演の話である。最近のテレビのコメンテーターとして、また出版活動などで、
注目されている人だそうだ。記念講演は「生命を捉えなおす―動的平衡の視点から」。
福岡氏は、1987年京都大学農学研究科修了、農学博士。米ロックフェラー大学博士研究
員、京都大学助教授を経て2004年より現職。2006年、分子生物学者として斬新なBSE
の分析を行い、この功績に対し、第1回科学ジャーナリスト賞を受賞。2007年、著書に
『生物と無生物のあいだ』で、サントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞している。
同書は65万部を超えるベストセラーとなったと言う。この上梓された『生物と無生物の
あいだ』(講談社現代新書)は、50万部を超えるベストセラーとなった。福岡氏によれ
ば、それまで書いた本の出版部数を全部足して10をかけた数をはるかに上回る予想外の
売れ行きだったそうです。福岡氏は、なぜこれだけの読者を獲得できたのかについては
後付けの理由しか言えないけれども、やはり多くの人々が「生命とは何か」について知
りたいと考えているからだろうと言っている。さて、福岡氏はまず、サブタイトルにも
ある「機械論」と「動的平衡」の違いを説明してくれました。生命を「機械」とみなす
考え方はデカルトから始まっています。デカルトは、心臓は「ポンプ」、関節は「滑車
」、肺は「フイゴ」のようなものと、生命現象を機械にたとえて説明しました。つまり
、生命を様々な部品(パーツ)が集まってできている精巧な機械、あるいはプラモデル
のようなものであるとする考え方、これが機械的な生命論です。この考え方は現在でも
生命観の主流であり、体のパーツのどれかが具合が悪くなったら、例えば臓器移植をし
て取り替えるといった現代の医療行為や遺伝子組み換え技術の発展のベースにあります
。この生命を部品論とすました事は自然界の冒涜であった。と言う。勿論生物も物質の
集合体であり生命維持はしても、それぞれの組み合わせで成り立っている。しかし彼は
言う。例えば樹木でも人でもパーツではなく次々と作られる細胞であって、記憶の形態
である。と言う。つまり「あなたが、あなたで、そこに、いま居るのには理由がある」
と言う訳である。その理由が記憶なのである。と説明する。ではそれはどういう事か。


712: 名無しさんAA:18/09/25 12:55
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐2

 西洋のルネッサンスから出て来た人間賛歌は、人間の生命の本質を探ろうと盛んに色
んな事を行った。その中で錬金術から出て来た科学と言うのも物質の元、その元素たる
ものを探ろうと出て来たものだった。その中で医学と言うのも同じだった。中世時代に
盛んに命を吹き込むと言う魔術を求めて医学が発展していた。ここで大きな意識の中に
子供の視点の認識である。この頃宗教革命など政変が多く公開処刑が市民の手で行われ
ていた。その為大公や諸侯はかなりに怯えていた。この怯えは死ぬことではなかった。
痛い事、苦痛であった。又十字軍の遠征などで、阿片などが入り「人々の安らぎ」苦痛
の除去がテーマとしてあった社会でもあった。その為裁判で死刑となった者を通じて、
かなり多くの実験が行われて来た。つまり裁判で罪も認め死も認めるが痛さは認めない
。と言う話が出て来た。更に考え方として出て来たのが「生命=機械」「部分=部品」
と言う考え方だ。Aと言う囚人に馬の脚を付ければ 早く馬の様に走るAが出来る。或
いはBの体に強い腕、器用な手、早い脚、遠くが見える目などをくっつければ最強兵士
が出来上がる。と言ったものだ。しかし、植物でも動物でも、切ってつなげて使う事が
それが出来る事はまずなかった。一部種が同じ樹には継ぎ木と言う物があったがそれは
東洋の話であった。なぜ出来ないか。その元を探ろうとしました。マイナスの科学の始
まりであった。つまりどれとどれが合うのか気の遠くなる様な組み合わせを探したので
ある。そして今の移植技術に至っている。よく生命が救われた。と言われるがそもそも
何処が死と生の境目か。これが今だに解っていない。かつでは、人が息をせず心臓が止
まり死んだだろうと見える日から 7日後だった。それは宗教的意味で6日間の活動が
人の活動と日本では思われていたからだ。ところが西洋的考え方から3日後に火葬して
死んだ。と言う事にした。その後臓器移植がでてきて心臓が止まり息を引き取ってから
は死とした。しかし、実際は助細動器を見るように、心肺停止しても再開まで少しの間
であれば息を吹き返す事が解っている。ではどこが「死」なのか。じつはまだ完全死は
解っていない。しかし、それでは仕事にならないので脳が死んだ時と決めた。それは何
故か。それは脳が死んでも他の臓器が死んでいなく使う事ができるからだ。生体を部品
として使う。すると使う事で多くの商売が此処に出来り、大きな利潤が出るからだ。こ
の利は誰も損して文句言う者はいない。そういう視点で出来上がったラインだった。


713: 名無しさんAA:18/09/25 12:55
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐3

 しかし果たしてそうか。この部分=部品と見る機械的生命観が、ミクロレベルでも語
られるようになったきっかけは、約50年前、ワトソン、クリック両科学者のDNAの
「二重らせん構造」の発見だった。福岡氏によれば、「二重らせん構造」で重要なのは
「二重」である点だと話す。ワトソンとクイックはネズミを使って病気の元になる遺伝
子の研究をしていた。病気の遺伝子は、要因となるであろう遺伝子を一つずつ取り除き
、その病気の遺伝子がどれかを探り出す作業で解るという。病気の患者にGP2欠損が
見つかり、マウスの実験に移る。GP2欠損は確かにある。間違いない。ところがこの
マウスは元気だったのである。この時体内で何が起こったのか。それぞれがその足りな
い感覚を補い、遺伝子は修復作業を行おうとしていたのである。ここに機械的な部品論
がもろくも崩れ去ったのである。ひとの感覚で 例えばAの人の腕や指がBの人に簡単
につながらない。その中には血管も神経も筋肉もつながっていてそれらは別々に活動し
そのものの活動指令を神経以外でも連絡を取り合って動いていたのである。このDNA
の第一人者のルドルフ・シェンハイマーは、生命は機械ではない流れであると言った。
生命は流れと言うのは、端的に言えば映画の様な話である。我々は理解するのに写真の
様に一コマ一コマを繋ぎ合わせてその時々その行動の瞬間を認識する。しかし現実には
本体の事象物は、間断なくスムーズに動いて事は行われている。例えば栄養とされる食
べ物も口に入れられて排泄に至るまで、人の体で何らかの役割を持って行ってきた老廃
物であったのである。排泄物は決して廃棄物ではない。従来の「人間=機械部品説」に
よれば食べ物は胃や腸に行けば、エネルギーとなり、車に例えれば、排泄物は排気ガス
の様な存在であるかの様に例えられる。しかし近年の研究では、人の体は常に作り替え
られて、生命と言うのは個々でも進化する様に作られている事が解ってきた。個々の体
が作り変わると言う事はどういう事か。それは細胞というのは次々に壊され新たに作ら
れて、一年も経てば殆どが新しいものに入れ替わると言う話である。先の車の話になれ
ば、ガソリンタンクに燃料が注ぎこまれれば、それは新しいボディとなり、新しいタイ
ヤになり新しいエンジンになり新しいドアやあたらしいシートに代わると言う話であり
、人は決して機械部品ではない様な仕組みによって生きていると言う事になる、つまり
一年前のあなたと、今ここにいるあなたは別人と言う事になる。私も同じに此処にいる
私と一年後の私も 全くからだが入れ替わった人間である。と言う事が言える。


714: 名無しさんAA:18/09/25 12:56
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐4

 近年の研究で、一組のDNAは、衣服についている「ファスナー」のように、両側の
凸凹がぴったり組み合わさるような対構造になっている。したがって、DNAを1本ず
つに分けても、それぞれ対となっている相手側を簡単に複製することができる。つまり
、DNAには自分を複製するメカニズムが埋め込まれていたのです。この発見以来、「
生命」とは「自己複製をすることができる機械」という考え方が確立した。そうして、
この部分=部品と見る機械的生命観が間違いで、西洋式の概念が人に間違った常識や考
え方を導いている事が、近年の研究の成果で、どんどん明らかになって来たのである。
ではこの壊して壊して、造って造り続ける作用があるのに何故貴方は貴方であり、私は
私であり続けるのか。果たしてこの生命を「機械とみなしていいのか」という問いかけ
時我々の街並に近い状態にある。つまりエントロピーの大原則によってこの作用が行わ
れている。と福岡氏が発見したのである。これが彼が示してくれたのが機械論とは異な
る考え方である「動的平衡論」です。このエントロピー増大の大原則は、「秩序あるも
のは必ず無秩序に向かって行く。」というもので、昔の日本人の「形あるものは必ず壊
れる。」と言う考え方である。徳川幕府時代に徳川家康公は日光東照宮を作った。この
日光東照宮には、とても綺麗な目を引く「陽明門」がある。その中は、508体の彫刻
の霊獣や花鳥、地紋など彫られ、絢爛豪華な装飾や当時の工芸技術の粋が集約されてい
ると言われている。陽明門は一日中見ていても飽きないことから「日暮門」の別称もあ
るほどだ。この陽明門に4列3本、合計12本の柱がある。その内の一本には魔除けの
逆柱と呼ばれる物がある。陽明門の柱にはグリ紋と呼ばれる渦巻状の文様(魔除け)が
施されている。胡粉(とのこ)が塗られた12本の柱の中で一本だけこのグリ紋が逆向
きになっており、他の11本と異なる仕様となっている。これは決して大工が間違えた
訳ではない。もしその頃大工が間違えたなどしたら打ち首獄門の時代である。では何故
そうした柱を埋め込んだのか。それは「完成無き柱」の伝説である。つまり完成した時
から、この建物は次は劣化崩壊の道を辿る。そこで戒めとして、入口にまだこの東照宮
は未完成のままで、人が入り管理し、改善や修復や或いは改造など大工が入って行う事
をここに埋め込んだのだ。東洋的な「「形あるものは必ず壊れる。」と言う格言や提言
を却下する為に。これが我々の体、生命体と言う中にも組み込まれていたのである。


715: 名無しさんAA:18/09/25 12:56
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐5

「動的平衡論」と言う概念は、これは福岡氏自身が、20世紀最大の生命科学者と認め
ているルドルフ・シェーンハイマーが提唱したものだそうです。シェーンハイマーは、
体の中に入った食べ物がどのように取り込まれるのかを調べるため、鼠を使って実験し
ました。食べ物の分子に色をつけて、細胞レベルでその動きを調べたところ、摂取した
食べ物は体のあらゆる場所にとけこんで、一部となっていくことが確かめられました。
ところが、ねずみの体重は増加することはなかったのです。この実験が示唆していた事
が、細胞の分子がたえまなく新しいものに入れ替わっているという事実だったのである
。摂取された食べ物は生命活動を支えるエネルギー、いわばガソリンとして利用される
だけではなかったのです。また細胞の分子と分子はジグソーパズルのようにパートナー
となる隣り合わせのピースとのすき間をつくることなく埋めていくことが研究でわかっ
ていました。その関係は相補性と呼ばれます。ここで解ったのは、生命とは、常に構成
と分解を繰り返しながら、相補性という 一定の秩序を維持しており、いわば、常に新
しい水が流れ続けている「川」のようなものである、これが「動的平衡」の考え方です
。どんなに、頑丈に作られたものでも、鉄で出来た機械などはは、時が経つにつれ古く
なっていきます。この、ある秩序が徐々に無秩序化していく変化は、先のエントロピー
の法則と呼ばれ、何者も誰であっても鉄でさえも逆らうことはできない。そこで、福岡
氏の言葉によれば、生命は、あえて自らを造り変え交換できるような、「ヤワヤワ・ユ
ルユル」な状態にしておき、自ら古いものを分解し、新しいものに入れ替え続けること
によって命の火を灯し続けている。と言う仮説を建てた。研究者によれば、「舌」の様
な細胞の分子などは、わずか数時間で新しいものと入れ替わっているそうですし、一見
変わらないように見える、「骨」や「歯」といったものでさえ、数ヶ月で新しくなって
います。しばらく会わなかった友人に久しぶりに会った時、私たちはよく「お変わりあ
りませんね。」と声をかけますが、福岡氏に言わせると、分子レベルでは「お変わりあ
りまくり」で同じ状態を保っていると言う。この「動的平衡を保つ」と言うのは絶え間
ない分解と合成を行いバランスを取っているのである。どうして生命は自分を壊すのか
これは、エントロピー増大の法則で、秩序あるものは常に無い方向に動く。そこで先に
行って傷ついた物を敢えて捨てて、新しいものと変えて、同じ形や機能を保っているの
である。

716: 名無しさんAA:18/09/25 12:56
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐6

 そして福岡氏は「生命体は個体ではない流体である。」と話すのである。現代科学は
「部分」に捉われ過ぎてしまうことの問題について問いかける。私たち生物は、様々な
現象の中から、一定の法則やパターンを見つけ出す能力、すなわち「象徴抽出能力」を
生まれた時から持っている。これは、生きていく上で大変 役に立つ能力で、個々の識
別に使われ、鳥の例えばペンギンなどの親と子は、あんなに同じに大変な数の巣の中か
ら、生まれた子と産んだ親は、口移しに毎日の仕事として餌を与え続けるのである。と
ころが人間はいつの間にかそうした刷り込まれた識別本能で進化した故に、この科学な
どの社会や学問の中に、逆に自分達が抽出しようとする法則やパターンに縛られ、虚心
坦懐に物事を見る事が出来なくなってしまって行ったのだ。つまり、目に見える範囲、
理解できる範囲だけで物事を決定しがちになってしまい、確定した記憶や論説に入って
しまうのです。その識別本能が、「生体の部分=機械の部品」説なのである。この能力
の躊躇な例として、福岡氏は、能力が招いた好ましくない結果に狂牛病がある。彼自身
この「狂牛病」には長年研究されて、研究成果を上げていた。狂牛病とは、文字通り、
牛が狂ったような奇怪な動きをしたり、歩けなくなって最後は死に至る奇病であった。
この奇病の発生は、本来、羊だけに見られた「スクレイピー病」の病原菌が、種の壁を
越えて牛に感染してしまった結果で起こった物だった事が突き止められた。狂牛病に罹
った牛は、1985年に英国で、初めて発見された。それまで全く起きていなかったこの病
気がなぜ突然発生したか。当時は全く謎だった。様々な原因が考えられましたが、結局
、追跡調査によって、5年も経って乳牛に与える「エサ」に、問題があった事が判明し
た。この時これが人の経済合理主義で生まれた伝染病である事が突き止められた。改め
て言うまでもなく、牛は草食動物です。しかし、農作地に乏しい英国では、乳牛を育て
るだけの十分な穀物がありません。かといって輸入穀物を使うのはかなりに割高でした
。乳牛には沢山の豊富な栄養が必要だったからだ。そこで、死んだ家畜などを原材料に
草食の牛に薬の様に肉骨粉を混ぜて、栄養価の高い、作られた安いエサを乳牛に与える
ようになりました。これがいわゆる「肉骨粉飼料」です。この、牛に肉骨粉を与えると
いう行為は、当然ながら草食動物を肉食動物に変えてしまうことだったのです。



717: 名無しさんAA:18/09/25 12:57
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐7

 そもそも、動物の種がそれぞれ異なる食べ物を摂取するのは、地球と言う生命体が、
生態系全体を維持する為の巧妙な棲み分けであった。しかし、人間の文化生活に於いて
、人は家畜化した動植物によってその糧を得る方法を編み出した。その上に近年の経済
合理主義からの経済至上主義に移行して、目先の畜産効率アップという部分だけで開発
発展を見た結果に起こった悲劇であった。こうして人間の都合で勝手に変えてしまった
のが事の発端だったのだ。狂牛病の第一号が発生したのは1985年近辺で、肉骨粉のエサ
が与えられ始めたのは1920年代からでした。つまり50年ぐらい人は、悪い事など思わ
ず行っていたのである。又、発生の直接の原因となる変化は、恐らく1980年の石油の高
騰により起きたのだ。と推定された。それは、肉骨粉の製造業者が、燃料費の高騰によ
って製造費用を引き下げる為、従来の製造工程を簡略化して、十分な火入れ殺菌作業を
行わなかった為と推論されている。こうした事で今も尚真相は不明のままだが、スクレ
イピー病で死んだ羊の病原菌が死滅しなで、エサとなって流通しこのエサを牛が食べた
事で、ついに「狂牛病」が生産された。生産されても尚、潜伏期間の5年を経て発生し
てしまったので、これらの原因は特定できなかったのである。この時でもやはり、製造
業者達は、経済至上主義で生産効率という部分にだけ捉われ、それによって、どのよう
な波及効果をもたらすかについては、全く考えが抜けていたという事が判明する。その
後10年もの歳月をかけられて、この「スクレイピー病」や「狂牛病」が人間にも感染
していた事が解る。クロイツフェルト・ヤコブ病である。ヤコブ病そのものは、1920年
代の初めに見つかり、ドイツの神経病理学者であるクロイツフェルトとヤコブがそれぞ
れ研究報告を発表した。こうしてクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)と呼ばれるよ
うになった。日本でも症例は多く年間約200例(平成20年人口動態統計)の弧初性
CJD患者が発生している。弧初性というは医学界が勝手に原因不明だとして決めた分
類でその内容は、脳内に「プリオンタンパク質」という異常体増殖によって引き起こさ
れる病気で、脳内の脳組織の海綿(スポンジ)状変性を特徴とする疾患である。と特定
されている。最初に医原性CJDと言う、異常プリオンに汚染された医療器具の使用、
CJD患者由来の硬膜や角膜などの組織の移植や、患者由来の下垂体ホルモンの投与な
どの医療行為を原因とするものが発見され。遺伝性の型ではなく感染性の異常プリオン
がみとめれた。


718: 名無しさんAA:18/09/25 12:58
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐8

 こうした事で感染経路に注目した追跡調査で、牛海綿状脳症を発症した牛を食して、
牛海綿状脳症が人間に伝達(感染)したものであると推測された患者が多数いる事が判
明した。一般的には耳にすることの少ないこの病気が認められ、これまで認知症や症状
がアルツハイマー病に似ていることから、アルツハイマーと診断され死亡した患者を、
病理解剖して、ヤコブ病であったと判明する。いう事実もあるくらいだ。このプリオン
タンパク質自体は誰にでもある物でそれが異常かどうかは、かなりに難しい判定となる
。変異型は異常プリオン蛋白質を含む食肉を摂取したために発症するもので、イギリス
には数多く認められ、ここに端を発し、世界中で社会問題となった。かつてニューギニ
ア島で行われていた葬儀の際の食人習慣に起因するクールー(WHO国際疾病分類で A818
、病名:交換用コードはT284)もこの類縁疾患に含まれていた事が判明した。この時に
社会問題の重大さから、この異常プリオンは、脳体などの「特定危険部位」にしか存在
しないとされた。だが、この政府決定で全く感染経路が特定できなくなったのだ。つま
り発症例が止まる事がなく百%の口内食種感染と出来なかったからだ。そもそも肉食に
火を通す事はおいしさではない。従ってミデアムとかレアーなどと言うは、勝手な調理
法であり、ままごとの贋料理であり、毒薬料理でしかない。こうした細菌予防学では、
この異常プリオンのみならず、どんな新鮮な動物でもある種の菌は繁殖し肉体にいる。
そして人間と違って、ある種泥水をすすり、糞でも食べる。その肉を食べるのだから、
新鮮は安全とは言えないのである。ここに東洋思想の「医食同源」の考え方が必要であ
る。クロイツフェルト・ヤコブ病には4つのタイプがあるとされるが、神経難病の一つ
で、いずれもが、抑うつ、不安などの精神症状で始まり、進行性認知症、運動失調等を
呈し、発症から1年〜2年で全身衰弱・呼吸不全・肺炎などで死亡することから、分類
の必要のない分類と言える。ちなみにタイプ1−散発性(孤発性)CJD は、発症の原因
が不明なものとされ。およそ100万人に1人の割合で発症するとされている。患者の多く
は50歳以上の高齢であり、若年層の症例はまれである。タイプ2−遺伝性(家族性)、
この家族性CJDはしばしば遺伝し、比較的若い年代で発症して長く続くのが通常です。
プリオン蛋白遺伝子に変異がある場合、どの程度の割合で CJDを発症するかについては
、まだ分かっていません。とある。肉食感染が特定されないだけで、毒入り餃子事件と
全く同じに、行政はこうした事に全く解明の力を持たないのは残念だし、裁判所判事達
の異様な勝手な推論感覚には 疑問である。本来なら進んで少年非行の解明に走るべき
だ。

719: 名無しさんAA:18/09/25 12:58
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐9

 こうして自然界も人間の体も、必死に老化や劣化の対策を取るんだけれども人は死に
向かって突き進んでいる事は宿命である。ある種矛盾だが、この死に向かう宿命の中で
死に対抗する方法を常に一生懸命行っている。と言う事になる。この中でこれまでは、
人は色々な事で、薬や手術や仕組みや文化を整えて「不老不死」を求めて来ていた。し
かし、この日本の「医食同源」の考え方から、大きな事が解った。それが何もない水と
純粋な栄養素である。いわゆる@PS細胞的に、今の断捨離の生活による健康長寿であ
る。そこには「喜びの力」や「改善による新改革」など様々な見えないものが見え発見
されだしたのである。ホメオパシーと言う一つの人の気の持ちようで病気の快方が違う
と言う結果や「ストレス」と言う勝手な考え方での重圧が、病気の発生を起こす事など
が此処にあったのだ。「何もない事の大事さ」が実は必要である。と言う結果がDNA
解析から求められた。@PS細胞は色々な臓器を作りだせる人工多能性幹細胞といわれ
ていて、別名「万能細胞」といわれている。それまでは、体を構成する様々な細胞に、
分化誘導できることは胚芽細胞とされES細胞がよく知られていた。しかしES細胞は
発生初期の胚からの初期細胞としての胚しか得ることができず、ヒトES細胞について
は女性の母体から採取できないものだった。しかし通常の植物が再生発芽するように、
人間の一般的細胞からもその分化発育細胞はあると予測されていた。その中で山中研究
班は24遺伝子の絞り込みを行い、最終的に4遺伝子で十分であることを突き止めた。
この4遺伝子はOct3/4・Sox2・Klf4・c-Mycは、発見者の名 「山中因子」とされこれが
@PS細胞となった。@PS細胞で臓器を初め、人体の細胞の作製は着実に進み、一部
で実際に成果が出始めている。メディアで臓器細胞などの作製が@PS細胞で初めて成
されたであるかのような報道は語弊がある。幹細胞と同等の能力を持つ@PS細胞を作
り出す技術と、幹細胞を臓器など他の細胞に変化させる技術は全く異なるものであり、
幹細胞を人体の別の細胞に変化させる研究は@PS細胞より遥かに以前から行われて、
成果も出されている。@PS細胞の功績は他の細胞を作り出すための幹細胞に非常に近
い「素」をこれまでよりも容易かつ大量に得ることを可能にした点にあるといえる。こ
の素の構想こそ、他の阻害要因の排除と言う考え方であった。

720: 名無しさんAA:18/09/25 12:59
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐10

 こうして、肉骨粉が乳牛のコスト安の為に経済合理主義から「スクレイピー病」→「
狂牛病」→「ヤコブ病」→「病死者」という結果になった。更にこの経済合理主義から
自然界や生命共同体でも生態系全体でも「動的平衡」は必要であるが、これを壊す事が
経済効率が高い事は示された。ではおよそ22人の死んだヤコブ病患者は救われたのか
。実は行政サービスのないまま葬り去られたのである。基本的にES細胞技術や@PS
細胞技術は素晴らしい技術であろうが必要のない技術なのである。この意見には猛反対
の意見があろう。しかし、西洋諸国は戦争を必要悪としているが、日本は最初から戦争
などは行うべきものではない。としている。生物進化は物語で検証する事は出来ない。
生命の動的平衡は検証は出来るだろうがまだまだ見つかっていない。しかし、確実にこ
の地球自然はこの「動的平衡」を求めて動き、人々の正義はこの地球活動に添って行わ
ていて人間の文化や生命や科学もその中に居ると言える。何故か自然界や生命共同体で
も生態系全体でも動的平衡は必要であるからだ。人の体は37兆個の細胞から出来てい
る。その中で細胞は作られ続け、死に続けている。排泄は決して食い残しだけではなく
その栄養や細胞となった物の変化した後の姿であり、けっして自動車の燃料の様なもの
ではなかったのである。つまり人間の体はパーツでも部品でもなく、交換できない部位
と言う物だったのだ。役割があり必要とされ、決められた運命によって生きる。つまり
全く人間と同じ命の姿を持っていたのである。この事は日本人の持つ宿命論に合致する
。日本には「有難う」と言う不思議な言葉がある。かつて釈迦(シャカ)が瞑想や涅槃
の修行僧で瞿曇悉達多(シッダールタ)と呼ばれた頃に、提婆達多(ダイバダッタ)と
言う兄弟僧がいた。仏陀(ブッダ)とは目覚めた人と言う意味で、修行僧には付けない
名だった。同じ釈迦族の王子なので、小さい頃からシッダルタと共に勉強もスポーツも
学び、ライバルとして競い合ってきた。しかしの提婆達多(ダイバダッタ)は瞿曇悉達
多(シッダルタ)にだけは勝てなかった。やがて20歳でインド一の美女である耶輸陀
羅(ヤショダラ)姫にすっかり惚れてここでも闘いの火花が舞う。こうしてちゴータマ
・シッダールタは釈迦族の王子となりと彼女と結婚して、一子羅羅(らごら)を生んだ
後出家した。だが彼女ものちに比丘尼(すなわち釈迦の女性の弟子)となってインドを
渡り歩く。

721: 名無しさんAA:18/09/25 12:59
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐11

 ダイバダッタは、ブッダにとっては従兄弟で、30歳年下の愛弟子阿難陀(アーナン
ダ)の兄と言われている。俗にイエスにユダ、釈迦にダイバ、という言葉もあるほど、
常に釈迦の行動を邪魔した。つまり仏法僧の裏切り者だった。これが逆に釈迦には修行
と悟りをさせてくれる存在として「有難い事」とされた。つまり「難が有る」が「有難
う」の意味とされる。人類は特に現代の人間は、時々この不便な事という「有難い事」
の存在を不都合な事と勘違いしてしまい、便利な事を善い事と間違えてしまう。この勘
違いは、実は実生活でも部位を部品としたり、全体像を想像しないで部分を真実と間違
える愚挙を犯す。例えば生死の観念も同じであると言えある。我々は昔から不老不死を
求めたり、不死身の身体を求めたりして、その死を突き止めようとする。しかし死とい
うのは概念であり実体のないものだ。何故なら先に言った様に、37兆個の細胞は常に
死に生産され続けているからだ。ここで死を決めるのは本人や細胞の持つ意識である。
身体の死は細胞の死ではない。人間の機能として、瞳孔が開く→呼吸が止まる→心臓が
止まる→脳が止まる→細胞が死ぬ。という経過を辿る。ここで人は行政によって脳死を
死とした。しかし現実にはこの後も酸素や血液が供給されればいつまでも臓器は生き続
ける。そして死も同じだが、生命も同じである。排卵→受精卵→分裂→心臓が動く→脳
の反応→手足の反応→誕生現出→臍の緒切断→呼吸、現代の科学ではこれらのいずれも
が生命の現出である。これに便宜上人は顔を見せた時としている。仏教経典の「涅槃経
(ねはんぎょう)」にはブッダが弟子たちとともに各地を歴訪した最後の旅が描写され
ている。途中、ブッダは大病を患い死にかけるが、再び元気を取り戻して旅を再開して
いることなどが記されている。その後、十大弟子の一人であり、付き人としてブッダの
身の回りの世話をしていたアーナンダにこう語りかける。「アーナンダよ、四神足(し
じんそく)を成し遂げた者(ブッダ自身)は、望めば寿命のある限り、あるいは寿命よ
りも長くこの世に留まることができるのだぞ。」と説いた。ブッダには、他者の利益の
ために、寿命を伸ばしたり縮めたりする力がある。」とされた。しかしこの問いに、ア
ーナンダの返答は驚くべきものだった。アーナンダはぼーっとした顔でなにも答えなか
ったのだ。ブッダは、「お前が願うなら、私はもっと長く生きることも可能だ」と言う
事は「誰かが願わない限り、私は自分で勝手に死期を延ばすことはできない」というこ
とだった。それは本人の「長生きしたい」という欲望で叶うものではなく、周りの人々
が「どうぞもっと長生きして、私たちを助けて下さい」と願った時、はじめて可能にな
る。と言う節理だった。

722: 名無しさんAA:18/09/25 13:01
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐13     

 その生命の誕生と死を決めたのは、現代経済システムによって臓器移植が認められた
事にある。これらを決めたのは 経済的に利用価値がある為に、商業精神によって臓器
市場が開かれた事に起因する。しかし先に言った様に生命は、それを何等分かに分けた
パーツのみの情報からでは全体を想像することはできない。仮に普遍的と思われる現象
でも全く同じにはならない。そこには時間も空間も同一が存在し得ない世界だからだ。
「動的平衡」の生命論の世界の中にあっては「部分」はないのです。地球生命38億年
の生命現象はたえまのない流れであり、すべてはつながっている。秩序は相補性により
保たれていると、このように考えられる。考えてみれば既に60年も前から発表されて
いたガイア理論のその概念が、まさしくその相互補完による時間軸も含めた維持し続け
る生命体装置理論でありこの理論と全く同じである。そこには人為的などんな現象であ
っても、或いは人間の決めたどんな取り決めて行っても、ものの一部でしかない。大海
の底の魚と同じに「大海は芥を択ばず」と言った処だろう。自然現象をいくら取り込ん
でも、調べて解明して理解しても、それは只の一部でしかないのである。それは物理科
学における有名な思考実験「シュレーディンガーの猫」の考察から量子力学を開いてい
る事ででも証明されている。そもそも何故物量数学が推計の確率数学に代わって物事が
表現できるのか。その理由がそこにある。どんな映画のどんな写真であっても切り取っ
た一部でありどんな緻密な走査線を引いた綺麗な映像であっても、それらは現実以下で
あり現実ではない。それが生命なのである。それはどんな書物で歴史を語ってもそれが
現実でない事と同じだ。では現実世界にいる我々がこの今の現実世界を一番理解出来る
のか。と言えばそれも又違う。そこに居る者がそこに居るからと言って見渡せるもので
はないからだ。歴史書もそれが緻密に詳細に書いてあるからと言ってそれが理解出来る
とは限らない。それが錯覚や知識で理解できる事に人間は進化した。つまり知覚から、
意識へと人の能力は変わって記憶し理解する進化を遂げたのである。よく同じ赤を見て
人によってその赤さは違うと言われる。見えて居る者が同じ物を見て居乍ら違うのであ
る。これは受け取る我々の違いにある。例えて言えば同じ電波を貰いながらAのTVと
BのTVが同じ内容同じ話なのに 音も色も違って脳に届けられている。と言うものの
様な話なのである。それが個の個性であり 生命の実体である。孫悟空の我らは仏の手
の平で違った踊りをしている。知の世界はそういう話で、虚像支配の世界なのである。


723: 名無しさんAA:18/09/25 14:28
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐14   

 「我々は要らない物しか作りださないが、自然界は要る物しか作らない。」と言われ
る。つまり自然現象や偶然で起こっている事象は、必要だから存在する。とされる。し
かし人間が産んだものは人間には必要だが自然界に不必要だから無かったと言うのであ
る。では何故逆に自然界に不必要なものがないのか。そしてそれは、自然界で産み出さ
れるものと、人から作られるものの違いであろう。よく我々は、弱肉強食と簡単に言う
し、強い者が食べる事を得て弱い者は喰われる運命にある。と勘違いしている。実は全
くの誤解で決してそうした事でなく、事象はそうでも歴史上はそうはなっていない。逆
に この食べる者の方にこそ 頂点に立ち常に生存の危機に襲われながら生きていて、
疲れ切った体に鞭打って餌を得る為に、弱者を追いかけ走り回っている。と言う現実が
ある。例えば山の食物連鎖の頂点に鷹がいたが、今や日本の鷹は絶滅危惧種であろう。
或いは熊やクジラでも同じだが、既に九州の月の輪熊は相当年次見つかっていない。又
アフリカでもアジアでも象や虎或いはライオンなど、人間が守らねばならない程絶滅の
危惧の中にある者らは相当に猛獣が多い。かつて地球上を謳歌し闊歩したと言われてい
る恐竜も、実は肉食も草食も強い大型恐竜は生き残っていない。それよりは常に隠れて
木に登って外敵から身を守っていただろう者の一部が、今の鳥などの進化を遂げた。と
言うのが定説のようだ。腹をすかし喰い続けなければならない進化を遂げた鳥は、羽を
休めて飛行する為にも、より高く上空に行って滑空する必要があり、上昇気流が生まれ
易い山に住むか、餌の豊富な水辺や海辺にしか住めなかった。しかし中には木の実を求
め旅をする鳥が現れて、逆に彼らの未消化の糞を栄養とする植物もあった。そしてこの
水や植物を求めて大掛かりな移動生活の動物も居た。そこにやっと猛獣は食を得ている
。従ってこの凶暴な大型の猛獣に対しても、人間の定住は逆にこの絶滅を進展させた罪
はある。又こうした旅行集団は面白い事に個々の労力が低くても良い事が発見されてい
る。先のヤコブ病から見えて来たのは、経済合理性から、百%のより以上の付加価値な
り企業収益なりを追い続けた結果である。と証明されている。しかし自然界では常に、
6割や8割の生産の法則と言うものが存在する。例えば魚などは交尾してふ化し幼魚に
なる時点でなんと4割や5割は消える。更に旅をして捕食者に捕まらず病気にならずに
成魚になるのは僅か5〜1%と言われている。そこで人工授精と養殖での魚が流通する
経済価値があるのだが、この極めて不思議な状態の、自然の揺らぎが、この極限になら
ない生活の安定を実現させて来たのである。


724: 名無しさんAA:18/09/25 14:28
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐15   

 よく知られる様に、樹木や木々の植物は過去の記録の宝庫とされる。その中の一つに
葉緑素の不思議がある。本来の効率よい植物の在り方としては、光の吸収の良い黒か、
若しくは、変化に対応出来る白でなくてはおかしい。と言うのが量子学で光のエネルギ
ーの調査結果から学説が出て来た。これを受けて調べれば、なるほど、かつては植物は
あのもやしの様に白く黄色い物や或いは樹皮や昆布の様に表裏のない分厚い物も存在し
たようだ。とされる。ところが地球寒冷化後は、あまりに活動しすぎて、地球上が酸素
でいっぱいになった。そして温暖化や寒冷化を繰り返して行くうちにピークの光を受け
付けない緑になり、光の無い時に呼吸する葉っぱの裏の気孔が生まれた。とされる。つ
まり植物でさえ活動自粛を自ら行ったのである。この7割活動の原則は蟻の社会や魚類
や鳥の世界にはかなりあって、いわゆる働きアリや旅行する仲間は、常に後ろから元気
のいい先陣屋をついていく事で楽をすると言う。餌をついばんでも2割や3割は付近の
監視役であり上昇気流にのるのも先頭の鳥の横で空気の流れの効率の良い位置につく。
こうした余裕のない法則が消えた場所には明日は無い。と言う事のようだ。これらは蟻
から見えた法則だった。つまり集団は決して百%の守りや攻撃はしないし二割を遊ばせ
目配りさせる。と言う姿である。魚も鳥も昆虫も集団行動のそれは全く同じだった。対
して、弱肉強食の強者の集団を襲う側は、常に個々でも戦い親子や兄弟ですら縄張り争
いの中にあった。従って配合種も巡り合いは少なく 子育ても楽では無く 常に危険の
中にあるため数量は減るのである。それは原始の時代から地球を問わず、理由によって
そこに存在があり、その存在に必要のない事象は切り捨てられる事が、地球上では物で
さえ繰り変えされたのである。生物では捕食と捕食される側は常に智慧を出して追いか
け回る。する側もされる側も 食物連鎖の土俵の上では自然淘汰の掟が存在し、そこに
存在すべき理由があり、必然的に、片方でも存在が消えればたちまちのうちに片方も又
消滅する。これは先の思考実験「シュレーディンガーの猫」と同じに生物学的な確率的
存在となる。必要な食糧と活動量が確保されない限り存在できないからだ。原始宗教の
拝火教は、こうした善悪二元論で構成される。この拝火教は、常に正義の善い行い、善
い言葉、善い考えの三善が求められる。そして常に戦い その戦いは死んでも終わらな
いとされ、その終わらない戦いをする事が正義であり存在意義だとされている。


725: 名無しさんAA:18/09/25 14:28
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐16     

 この拝火教は実によくできた多神教論である。古代人の智慧であろう。そのまま紀元
前三千年頃から、拝火教徒は欧州に伝わり全世界がこの宗教下で生活していたようであ
るが詳しい事は解っていない。ただ日本の神道とするものが、およそ同じで鳥居はその
風葬の名残りであろうとされる。更に山に神を求めたのは水の必要な生活や、木が必要
な家には重要で、更に祀りに生贄では無く火を焚く行為は饗宴として最も当然と思われ
る。とされる。しかし、山の森の木を伐り、街を築き国が出来上がると、指導者たちは
支配者となった。戦争に明け暮れ略奪を繰り返した。西洋史ではキリスト教が広まると
その後はローマ支配が一緒に広まった。ローマの下では多神教徒は、キリスト教グノー
シス派となりグノーシス主義の基本的な世界観となった。彼らはプレローマ主義者であ
り、多神教を信じた為にローマ体制下ではマリア像を拝んだ。教義は、反宇宙2元論を
たてていて、この世は悪の神で打ち立てられていて、信仰して我々が望む「真の世界」
が隠れて存在するはずだから人々は悟り智慧を持つべきだ。と説いた。悪の世界は、「
物質」で構成されているので、故に物質は悪と判断する。物質で造られた肉体も然りで
ある。一方、「霊」あるいは「イデアー」が「真の存在」であり「真の世界」である。
と解釈され、物質の裏にひそむ真実が求められた。これが今の科学の素になった。人は
善悪にも生死にも或いは美の存在であっても、理由を求める。中世のあらゆる発見発明
はそうした疑似科学と言われる、魔術や錬金術から編み出された思想の結果である。別
に西洋人がそうした探求心が強かったわけではない。日本でも或いは東南アジアでも、
インドアフリカ南米とどこででも石の積み城がありその精巧さは、どこの地域も大きく
技術や生活の知恵があった事が解る。中でも南米は水を山に作る技術まであり、作物も
なすびやトマトや芋などかなりに農園での品種改良まで行われていた。では何故欧州に
多くの技術の発展が起こったか。それは災害である。日本は知る様に台風は毎年やって
くる。アメリカも又ハリケーンが来る。インドでもモンスーンの大雨やサイクロンが度
々襲う。更に地震である。南米と日本と中国、更には東南アジアとアフリカの地溝地帯
は火山も地震も津波も多分に多くやって来たのであろう。だがヨーロッパ半島には来な
いのである。地中海が狭すぎてそれ程の気候にはならないのだ。


726: 名無しさんAA:18/09/25 14:29
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐17       

 考えてみれば、我々は全く同じ様に同じ文字や文章を読んだからと 同じ考えには至
る事はほぼない。そこに同じ意見や同じ理解があっても各自にその想いは変化している
はずである。違いの程度はあっても同一はあり得る筈がない。しかし科学の世界は再現
性や普遍性のないものを科学とはしない。この二つに対して個々の成立と、同一無二の
存在はどう考えても二律背反で矛盾する存在だ。ここに生命科学がある。生命の尊重は
そこには二つとない空間と時間が蓄積されたものにある。それが画期的ものであるのは
体験談が他にはない。つまり他人に自分の物語は存在しない。と言う事に尽きる。目や
鼻や口が同じでも同じではないのである。その上でほぼ同等の効能の薬や治療が求めら
れ、それを共有する事で医療が進歩している。この人体を部品として使った黒い物語は
、いまも尚続く。今英国でHIVで死んだ300人以上の患者から事情が判明した十数
人が裁判に向かっている。この裁判はHIVで死んだ補償の裁判ではない。政府が資料
を隠し廃棄したと言う裁判である。その為彼らはこのデモフィルムも広告塔として作っ
ている。1970年代から90年代まで長い間、英国は血液製剤の不足の一部を米国か
ら輸入して来た。その輸入された血液製剤には米国の囚人達の血液製剤も使われていた
。麻薬患者やC型肝炎などの患者やLIBTの性的病症の発症患者など、色々な収容囚
人からよく調べられないままに血液製剤の材料として使われた。又一般でも血液を売っ
て生活を得る者や貧困者や外国人などもこの製剤用輸血に供与された。その上におよそ
三千万人分の血液製剤が送られきたのにたったの十数人しか製剤被害者がいないという
はずはない。と、この被告人達は訴えている。この輸血という考え方の事件は遥か昔の
中世時代までさかのぼる。悪女列伝に名を残す女王メアリーは二人の兄と父の早世によ
り、生後6日でスコットランドの女王となります。そして6歳でフランス皇太子と婚約
をするとすぐさまパリへと移住します。彼女は15歳で婚約を交わしていたフランス皇
太子フランソワ二世と結婚をした。といわれる。しかし、近親婚が多かった中世におい
てはポルフィリン症の患者が多かった。と言われる。ポルフィリン症別名「ヴァンパイ
ア病」は血液のヘモグロビン合成するヘムが正常に働かなく、日光にあたると赤血球が
壊れて皮膚を萎縮させ、血尿を排泄し、犬歯の変形や歯の変色(赤色)及び顔面蒼白など
の症状を伴う恐い遺伝病であった。昔は病気に罹った人が治療のために、人間や動物の
血を欲して襲うこともあったという。場合によっては、患者がいた家庭では、差し迫っ
た血液の供給のために血を供給したこともあったのではないかと推測されている。

727: 名無しさんAA:18/09/25 14:29
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐18       

 このバンパイア伝説を裏付けするのが、女王メアリーの家系の二人の兄と父の早世と
フランス皇太子フランソワ二世の家系である。更に中世のヨーロッパにおいて、医者と
言えばユダヤ人を意味したと言われるくらい、ユダヤ人は医者という職業にこだわった
。なぜなら、人間の命を司る上に、王侯貴族などの権力者にも容易に近づけたからであ
る。そのユダヤ人医師たちが、治療と称して「瀉血」という方法を用いて患者から血を
抜いていた。これはまったくなんの効果もないものだった。というより却って患者を弱
らせる結果を生んだ。ではなぜ、ユダヤ人医師たちは瀉血を行っていたのか。ギリシャ
の「黄金の夜明け団」は、魔術結社として名高い。儀式で使われていたのが人間の血で
魔神に捧げる供犠だった。この現代でいうカーニバルが、彼らの権威の象徴だった。そ
して王女と同じ娘の村人を襲い、牢に繋いで「瀉血」と「輸血」によって治療していた
。とされるその為の拉致監禁の指導者として、魔術師とか賢者とか呪術医などを置いた
。つまり生贄の儀式を行う事で、ユダヤは王や王女以上の権威と畏怖を持つに至ったの
である。元々は、西洋社会には多神教のギリシャ神話があり、生贄(いけにえ)や血の
儀式などとは無縁の世界だった。しかしある時期から都市国家間の戦争が多発し奴隷の
歴史に身を置き、其の為の性の経典がインドやバビロンからもたらされた。それが彼ら
ユダヤの祖がエジプトの農奴として流入して来た時だ。こうして西洋の歴史は王や王家
と言う国家の争いの歴史となった。そこで近親相姦ででもその領主としての権力を守っ
た。それに付いて回ったのがユダヤと言われるユダヤ教を持った人達である。つまり、
銀行も保険も奴隷も石工も医者も弁護士も、すべてをユダヤに任せたのである。宗教の
教義のバチカンと農奴を操る領主以外の仕事は彼らに任せたのだ。そこに錬金術や魔術
がユダヤ人には必要だった。王が絶対権力者であり、自分達の命さえ握る狂気の人々で
あったからだ。6歳と言えば今の小学一年生で婚約し15歳の中学3年生で結婚するの
だ。ましては中世の知識の中でちやほやされて従者が何でもやってくれる中で育つのだ
。国を守る或いは国の安寧を探ると言うどころか、一般人の持つ常識すら備わっていな
い幼稚で稚拙な世界であったと言える。そこにユダヤ人が身の回りの世話役として或い
は家庭教師として配属された。ここで身分の低いユダヤ人は思案するのである。指南役
或いは教師役をどうやって行えるか。と、それが医術や錬金術の素となる奇術や魔術で
あった。最初に畏怖と啓蒙を引き連れて指図したのである。そして金庫番として王家の
財政を握り、巨大な誇大広告で技術や産業を見せつけ、儀式や結社で宗教内宗教で結束
した擁護集団を築いたのである。そうした黒い歴史が輸血には備わっているのである。

728: 名無しさんAA:18/09/25 15:52
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐20       

 血液製剤の裁判は日本でも同じにあったし、同じ様に米国からの輸入製剤を使った事
故も事例もある。しかし日本の裁判官は全く仕事をしない。政治を四流も五流にも下げ
たのは、この裁判官達の全く逸脱した常識のなさだ。まず独自性もなく行政命令も皆無
更に自衛隊裁判でも同じに独自の理論統制した見解すらない。どんな裁判でもその結果
に責任を持つべきだが、青少年の小さな窃盗裁判すらも全く話にならず、過去の食事や
輸入の毒入り餃子すら探らない。自衛隊でも何も日本の憲法のみで裁判しなくとも国際
的に自衛権の行使を認めている事を認めれば、自衛隊違憲裁判は違憲合法論で終わる話
である。それでも、高度に国策に関わる事は裁判しない。と言う判断は無責任にも程が
ある。それは諫早干潟問題にもある。開門して状況調査すべきであって、単に補償金の
補てんや漁協と農水省の協議を促すなどと言うのは愚の骨頂である。日本の未来の姿が
どうあるべきかは行政や立法府の仕事ではない。裁判所の仕事なのだ。この仕事をしな
いのは西部劇の保安官が賊徒と共に街を荒らしまわる事より質が悪い。裁判官は、あの
西部劇の中ですら、保安官を任命し住民に判決の妥当性と公開絞首刑の是非を演説表明
する。それが出来ないで裁判官は務まらない。生命倫理の問題も同じである。医学界や
行政の脳死や人工授精の規定もさることながら、本人の意志も含めた道徳倫理を問うべ
きで、臓器移植に市場の道を開くのか或いは日本の移植治療を捨てるのかは、ちゃんと
倫理を問う表明がなければこんななし崩し的な、それも秘密裡で決まった様な医学界の
論理を持ち込んではいけない。成人年齢や煙草の禁煙処置も税収も同じである。行政や
政府の立法措置が出来たからと言って、それが常識でも道徳でも正義でもないし違法で
ない訳ではない。ちゃんと個人でも政府でも裁かれるべきは裁く力を持つべきなのだ。
その意味では敗戦の歴史は負うだろうが他の国に比べて最低の裁判官達である。日本を
護る気構えが全くない。原子力発電所問題でも全く同じである。活断層とか設備不備の
問題は別にして、事故時の被害とその範囲更に避難が確保できるか、事故後の司令でき
る管理棟やそれを解消し塞ぐ施設が充実しているか。の問題である。要は住民の生命や
生活の問題である。こんな台風や水害の危機管理もまともでない行政が、一体どこに、
こうしたものを同意できる権限があるのか不思議である。権限と責任は一体である。さ
らにその上での町長なり県知事の給与なのだ。なにも選挙で勝った為の職業ではない。
逆にその権限と責任と能力に於いて他候補と同等と威張り競っているのだ。そして席を
得て能力がない責任がないとは 本末転倒である。議員や首長は恥を知るべきだ。

729: 名無しさんAA:18/09/25 21:40
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐21       

 その最高裁判事の任命が今アメリカでもめている。トランプは退任した判事の次期の
判事にカバナンス氏を任命した。しかし、彼がジョージタウン大学大学の頃とある学内
パーティでレイプ未遂をした。と告白したのである。この告白が30年以上の前の話と
して持ち上がり、この大学のパーティ参加者は、カバナンス氏は参加しなかった。と証
言して、この話が終わるかと思われる頃もう一人がの被害者がパーティ会場で下半身を
露呈されキスせよよ迫られたとの証言記事がでたのである。ここで民主党は俄然任命を
避ける行動に出て、市民の反対運動が今起こっているのである。先のミーツウ運動に続
き、「30年前と言えどもこうした者が、アメリカの意志を示す最高意志決定機関に座
る事は許されない。人権が侵害されてしまう。」と運動が広がっているのである。日本
では今「草食系男子」問題がつぶやかれて、少子化問題に多くの議論がある。2017年、
欧米で男性の精子の数を調べたところ、この40年で半減していたという驚きの調査結
果がでた。そして、欧米よりもさらに心配なのが日本だった。精子の数を欧州4か国と
比べたところ、なんと最低レベルだったことが分かったのだ。しかし精子も数だけでは
妊娠可能とは言えず、DNA欠損や運動持久量に問題があれば、着床とはならないらし
い。もともと欧州4か国との比較で、日本人は精子の数が最も少なかったことが過去に
判明している。更に年齢が高くなると一気に「受精卵の細胞分裂をさせる力がない精子
」が急増する可能性がある。WHOによると、不妊の原因は、半数が男性側にあるとい
う。そこで対外受精の出番となる。今や受精卵胚細胞壁移殖手術と言う最も確実な施術
を行っているらしい。男性器にとっては、座りっぱなしの生活は精子の形成に良くない
といわれる。実は、長時間、精巣の血管が圧迫されて血流が悪くなると、活性酸素が溜
まり、精子を傷つけて酸化させてしまうと言う。精巣の温度に敏感で暖かい分劣化する
、精子が熱によるダメージも受ける恐れがある。と言うオフィスワークは少子化に拍車
を掛ける。海外の研究で、1日5時間以上座ってテレビを見る人は、その習慣がない人
と比べ、精子の数が3割少ないことが分かっている。大体において20歳の成人で2千
万個前後の精子を入れた精液が放たれる。しかし40歳だと1千万前後と半減する。更
には、精子に欠損のある状態であれば卵子とのDNA結合がうまく行かないし、運動量
がないと全体が卵までつかない。損傷した精子が30%を超えると自然妊娠が難しくな
ると言われる。WHOによると、自然妊娠するには精液1ミリリットル中に精子が1千
5百万以上でそのうち活発なものが40%以上いるのが望ましいとされている。


730: 名無しさんAA:18/09/25 21:40
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐22     

 こうしたことで不妊症状の割合が厄介だ。男性のみ24%女性のみ41%男女双方が
24%原因不明11%と言う事だがおよそ4分の1が男子そして4分の1が男女に問題
がある。とされる。つまり半分は男子が不妊の理由と言う事になる。そして7割相当が
女性に問題がある。とされる。更に不妊治療の人工授精の子供は全体の1〜2割とされ
5人に一人が産むことに手助けしてもらっている。と言われる。産婦人科花盛りである
。臨床家として、われわれが遭遇する最も難しい問題の一つは、正倍数性の胚を移植し
たにもかかわらず着床に至らなかったカップルから発せられる「なぜ成功しなかったか
」という疑問にどのように答えるかということである。最も端的な回答は「卵子は非常
に大きな細胞で、その細胞質の影響も考えられ、核よりも重要な役割を演じている可能
性がある」と説明することである。卵子の質にネガティブに、またポジティブに作用す
るライフスタイルがかかわる因子についても考えてみる必要がある。と問いかけている
。医師のFrydmanとDomarは心理的ストレスと卵子の対応能の低下との関係について述べ
ている事は「ストレスに対する血管の反応がIVFの妊娠率の低下をもたらす」という
データも発表されている。と言う事だなのだが。果てして先進国と言うのは段々と子供
が産まれない、或いは生まれにくい構造に変わっているのだろうか。ヘブライ大学の研
究者達は、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど西洋諸国
に暮らす男性たちの精子数の推移を調査している。1973年から2011年まで40年分のデー
タを取っていた。これから見えるのは59.3%の減少、さらには今も年間平均で 1.4%ずつ
減っているという現実だった。これまでに のべ185回(被験者数約43,000人)におよぶ
実施調査の結果である。こうして精子の濃度すら薄まっている事実さえも明らかになっ
た。実はこの報告の前に、海洋生物の女性化が盛んに発見されていた。巻貝2枚貝かに
エビ小魚とあらゆる種類が女性化していた。当初は多くの両性を持つ具種から、その時
々の環境によって変化が一様になる現象から生まれた。多くは温度やpH濃度なのだっ
たが、此処に来て思わぬ原因がもたらされた。人々の生活排水に溶け込む抗生物質やホ
ルモン抗体である。英国漁業協会の講演でエクセター大学の魚類環境学者は、「英国の
淡水魚たちの5分の1が、オスからメスへと変化しつつある。」と発表した。そしてそ
の理由が、衝撃的な性転換の原因が、トイレや流し場などから川に入りこむ避妊薬(経
口避妊薬 / ピル)であることを突き止めたのだった。

731: 名無しさんAA:18/09/25 21:41
 NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐23     

 この衝撃的な発表は、英国エクセター大学で開かれたイギリス漁業協会50周年記念
シンポジウムのオープニング講演であり、エクセター大学の魚類生理学者で環境毒性学
者であるチャールズ・タイラー教授である。英国の50の異なる場所で捕獲された淡水
魚のうちの約20%がトランスジェンダーであったという報告で会場を驚かせた。さら
に衝撃的なデータとして、研究者たちは、このミステリアスな性転換の原因が、トイレ
や流し場などから川に入りこむ避妊薬(経口避妊薬/ ピル)であることを突き止めて、
これは、体内から尿として排泄される分と、直接廃棄されて流されるものと両方が含ま
れるものだ。と発表している。タイラー教授はこう述べる。「私たちは、化学物質のい
くつかが、これまで考えていたよりもはるかに魚に広く健康への影響を与えている可能
性があることを知りました。」ヒトの避妊薬は、女性ホルモンであるエストロゲンを魚
に異常な量を与える主要な原因だが、研究者たちは、魚にエストロゲン様の変化を引き
起こす水域に、他にも 200種類以上の化学物質が存在することを発見した。研究者たち
は、「他の研究では、下水処理によって排出される他の多くの化学物質が、魚に影響を
与える可能性があることはわかってきていた。たとえば、抗うつ薬を含むいくつかのの
薬剤は、魚の臆病さを減少させ、それにより捕食者に対する反応がにぶくなってしまう
ことが示されていたりするのです。」避妊薬と化学物質により、攻撃的でも競争的でも
なくなったオスの魚たちは仲間を惹きつけることが難しくなる。この性質的な弱点は、
次世代に受け継がれるわけではないが、それらの性質の変化により生殖行為の総数が減
るため、結果として、その種の魚の数は減っていく結果となります。行動に加えて、こ
の化学物質は魚の物理的特性にも影響を与えていることも、研究者たちは語った。「特
別に作ったトランスジェニック魚を使って、リアルタイムで魚の体内の化学物質への反
応を見ることができます。たとえば、いくつかのプラスチックに含まれる物質は、魚た
ちの心臓の弁に影響することを示しました」プラスチックは現在、太平洋に夥しい量が
漂っていることがわかっているが、それらは、イギリスの魚の心臓不全も起こしている
らしい。これらの解決法について、エクセター大学での講演で、魚生物学者たちは、「
人間の行動の変化が伴わない限り、いかなる解決法もありません」と述べている。つま
り、尿から排水システムに大量の薬が流れていくような生活をやめて、プラスチックの
過剰な廃棄をやめるしかないと言っている。

732: 名無しさんAA:18/09/25 21:41
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐24     

 日本でも、大阪府に住む平均年齢21歳の男子大学生60人を調べ、58人に精子の
奇形が見つかったというデータを出している。それを裏付けた様なイスラエルの大学の
大規模調査である。「男性の精子数の減少は予想を超えたもの」であり、過去40年で
「最大60%の減少」の可能性があると言う。このデータに基づけば「2060には、
男性はほとんど全く生殖機能を持たないことになってしまう。」という事態になる。と
皮肉を言った研究者がいた。「いったい男性の精子に何が起きているのか。」の問いか
けに、「魚の生殖能力の減少」を示唆的した研究者は、「単に生活習慣などによるもの
ではなく、もっと根本的な、地球環境まで汚染する消費文明社会に原因がある。」と話
している。しかし、これは人口削減計画の甚大な結果である。とも見える。又精子に、
これほどのダメージがあるならば、卵子も無事であるはずはなく、絶滅は人類全体の無
関心のせいと言える。つまり、我々人類は現世代の、楽で便利な消費社会で、債権や老
朽化した廃墟のみならず とんでもなく大きな環境負担を次世代に残しているとも言え
る。けれども、あえて言うなら天の助けを受けながらでも、人間は、今後何とか元通り
の美しい環境にできる事を信じたい。だがスティーブ・シンプソン博士は、今できる最
善の策として、「手遅れになる前に、この急速に変化する海と川の魚類の減少を防ぐ方
法を私たちは議論しなければなりません」と言う。この研究の結果にどれだけ起因して
いるかは定かでない。しかし、この40年、男たちのカラダに何が起きて、肉体的にも
、精神的にも、環境が「オトコ」を追い詰めているのではないか。「精子は熱に弱い」
という性質からも、上昇し続ける気温に少なからず影響を受けて、人は男性が要らなく
なったと考え始めたのではないか。と「明確な原因は特定できていないものの、農薬を
はじめとし、化学薬品による影響や、喫煙、肥満、ストレスといった日常の生活習慣ま
で、男性の生殖機能を衰退化させるあらゆる物が存在している。」と言う。男性の精子
減少が必ずしも人類滅亡を助長させるものとは限らない、と反論する懐疑的な見方もあ
るにはあるが、一つの専門家の意見として、「この世に男性と言う、雌雄が分かれたの
は、単に子孫繁栄に対しての拡大策からで、男子のDNAはあくまで多様化の為の布石
で必要性はない。もし今のままで分身するのは女性だけでいいとなる可能性もある。つ
まり科学技術発達と住みにくさが出てくれば当然女性のみの社会で充分だからだ。既に
「予備的男性は、男そのものが絶滅危惧種かも知れません。」と言う。そうか、男性の
DNAは予備だったのか。と改めて思いしらされた。


733: 名無しさんAA:18/09/25 21:42
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐25     

 確かに精子さえ受け入れば、体内で育てて産み落とし、乳を飲ませ、家事を行うのは
女性の特技である。男性の仕事と言うのは文化的な物を除けば 至極当たり前に力仕事
と思っているが実際には、そうそう力は保てていない。子供時代の成長の早さや、瞬発
力や持続力や持久力も女子の能力の方が高い。防御も攻撃も優しさも人間性の心の起伏
も高い事が解っている。「メス化の調査の結果ですが、その内容を読みますと、主要国
ならどこでも当てはまるかもしれないというものでもあります。」と記事は書いている
。又他にも「台湾の民放(中国広播)が伝えたところなどによると、復旦大公共衛生学
院の研究グループが江蘇省、浙江省と上海市の8〜11歳の児童計千人余りを対象に調
査。58%の児童の尿から抗生物質が検出された。このうち25%の児童からは2種類
以上を検出し、中には6種類が検出された児童もいたという。」との記事もある。又、
アメリカでは、著しいペースで「男性が原因と考えられる不妊」が増えていて、また、
男性の精子密度も「年率 1.5%」の割合で減少しているのだという。2年で3%である
20年で30%60年で9割である。そもそも人間は基本的には「口から入った異物を
排出する」わけ、ほぼすべて合成薬は「異物」ですので、ほぼすべての西洋薬は、この
ように分解されず外に排出されている。ということになる。人間にとっては飲む事には
ほとんど意味のない薬も自然の循環の中では大きな影響を与える可能性は高く、日本で
は特に薬の大量投薬は多い。今回の「避妊薬」についての薬効は、排卵の抑制と精子の
子宮内侵入の抑制である。更に受精卵の着床抑制だ。当前ながら、「妊娠させないよう
にする」薬で、今回は「オスのメス化」=「メスの不妊化」は同じ作用とされてもいい
ので、関係する可能性は高い。つまり、普遍的な不妊化ということと関係するかもしれ
ない。そしてそこには「食物連鎖」が歴然とあり、結局、人間に戻ってくるのも当然だ
。今、ヒトの世界も含めて、「不妊」という問題は多くの動物の間で広がっていること
でもありますが、今回の関係が、あるのかないのか不明でも、魚がすでに「汚染」され
ているという事実がある以上、その食物連鎖に関係する他の生き物たちに影響しても、
私たちが不思議がってはいけないのかもしれません。背定的に考えれば、爆発的人口の
増加の抑制機能が働いて、食糧危機や領地紛争や権益戦争などの回避と考えれば恒久平
和の礎となる事なのかもしれない。


734: 名無しさんAA:18/09/26 12:01
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐26

 かつて、好きな女性を求めて、果し合いの決闘すらあったのが、今やそうした感覚が
過去の遺物となろうとしている。日本は大正時代になってモダニズムが沸騰した。これ
まで城や庄屋や寺や長屋などのして伝統的な和小屋造りが、画期的なトラス構造が木造
まで使われだし、構造計算と言うこれまで教条主義の流れの親方の知見で導かれた造り
が一変した。レンガやガラスや鉄の需要も増え、食生活にも牛乳やパンなどが取り入れ
られた。大正ロマンはそうしたモダンリズムとして息づいた。大正モダンとも呼ばれた
。世界的モダニズムは19世紀までの西欧の伝統の、ビザンチン、ゴチックなどの重層
な美からの革新だったが、地域や伝統のスタイルを捨て去って、世界標準の合理的機能
的デザイン(または音楽 や文学 演劇も)を模索したものであった為、日本では逆にホ
テルや東京駅や鹿鳴館などの西洋建築がモダン主義の象徴となった。しかし太平洋戦争
で日本の多くは焼野原になりその中で育った建築家は、例えば石川栄耀などは、都市に
おける盛り場研究の第一人者とされるが、結局行きついたのはくだらない市民生活者の
反対だった。今や新宿歌舞伎町の生みの親および命名者でもある彼は古今の乗っ取られ
たこの界隈をどう見るのだろうか。戦前期から戦後にかけて、都市計画分野最大のイデ
オローグであり、日本の都市計画発展に貢献したものの、日本の西洋化した広大な生活
スタイルは失敗し、かつ復興の為に埋め立てられた小さな河川群は運河にもならない程
又小さくなった。早くから地方計画・地域計画の重要性を認識し、「生活圏」の考え方
を提唱し、アンウィンの採用したパティオのある町や田園都市の軽井沢みたいなものを
モデルとしたが、酒場好きの所詮のんべい理論のたわごとだった。ただ不忍池の埋め立
て競技場には反対し、公園のまま存続させている。こうして新しい機能性をめざすも、
日本は戦争によって挫折した。その後出て来たのが丹下である。丹下健三は美しいもの
だけが機能性である。とした。ヨーロッパナイズされた美観を重視した。確かに、その
感覚は欧米の建築家に負けない美はあった。スマートさと繊細さが機能美を持たせて、
吊り橋構造に似せた代々木体育館などはその代表作であろう。だがその下に働いていた
こうした余分な物を削って美を追求する姿勢に疑問があった。つまり磯崎は、モダンア
ート、ポストモダリズムを否定していたのである。つまり権威主義を否定して教条主義
に走り戦争に陥りこの支配に新たなGHQの指導に権威体制を作り上げ、それに呼応し
たかの様に反米反戦の市民運動家があるような、そうした社会情勢の苦悩がそこにあっ
た。大きな場違いで目障りな構造上の梁や柱や建物と、その裏にある不必要な快適空間
のそのバランスこそ彼の得意とする構造美だった。

735: 名無しさんAA:18/09/26 12:01
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐27

 実は現代の我々は、この磯崎建築の持つ不安と安心のおどおどしい空間を求めている
様に見える。至って無駄で空きのある空間や柱は、その構造上以上の存在感をして人に
訴えかける。それはソ連やアメリカの軍隊の様に至って力はないし必要もないにも関わ
らず、その科学技術力を駆使した最新鋭の軍隊は異様な生活空間であるはずだが、それ
はそれで国家に必要な物となっている。しかし、日本人は元来江戸時代を見る様に特別
に兵士を抱えていたのではなく武士という武家社会があっただけで ペリーを押さえて
薩英戦争や下関戦争をしていた。これがポストモダン建築の旗手と目されるようになっ
た磯崎新のもやもや感であった。東京都庁舎のコンペに今の超高層建築の丹下健三案に
対して、シティホールや都市文明のあり方を問う中層建築の案を提出し評価されなかっ
たが、元来都市とはより以上に活気づいてはいけないもの。である軍隊のように必要上
存在すればいいだけのものだ。というネオ社会主義であった。又戦災や関東大震災があ
る中でも称賛される建物があった。後に東京タワーを建てた内藤多中の建築物である。
塔博士とされた内藤も実は戦前は高島屋や歌舞伎座を手掛けている。歌舞伎座は松竹の
興行の頃漏電で全焼失したその後建設に着手し、躯体のコンクリートが打ち終わった頃
内部木材を搬入して大正12年震災が起こった。そうして一年後再開され2年後大正1
4年には、新築の大劇場で開場式が行われた(第3期)。世界大戦の東京大空襲で全焼
し、大屋根も焼け落ちた。昭和20年から戦後しばらく、歌舞伎座は廃墟の姿をさらし
ていたが、かつての名実共に名所の復活を望む声も大きく、戦争の終了と共に「株式会
社歌舞伎座」が1950年(昭和24年)設立され、1953年(昭和26年)1月に、歌舞伎など
の演劇興行を再開した(第4期)。こうして日本のエンターティナーの御座所が出来た
。この事が彼の名を不屈なものとした。構造計算の父であり日本近代化の旗手であった
。東京タワーとエッフェル塔とよく比べられる。しかしこれは日本とフランスの違いを
よく表している。と言うのも最初からエッフェル塔は万博の為のもので美しさが必要な
塔で東京タワーは電波塔として効率よい塔を目指していた。ところが不思議な事にこの
シンボルタワーのエッフェル塔はパリ市民には不評で「エッフェルを見たくない奴は、
エッフェルに行け」と言われたぐらいで、万博開催に応じて入場者はあったが解体され
る事が決定していた。しかしそれを救ったのが電波塔としての役割だった。一方東京タ
ワーはその役割を終えたが、逆にシンボルタワーとして残った。


736: 名無しさんAA:18/09/26 12:02
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐28     

 我々が考えるべきは、この「役割」と言う名の 権威も平等も規制も抑圧もないもの
かも知れない。軍国主義は航空技術者に国が特攻と言う自爆の役割を強いた。しかし、
本来の目的の、空を飛ぶ自由とその否定とは相いれないものである。それは兵士に国を
護ると言う名目で玉砕戦と言う死を覚悟させた事と同じだ。日本社会は、何故か矛盾の
こうした事に無頓着である。生きると言う事と国を作ると言う事は、子供に教えるとい
う事や子孫に伝い繋げると言う事では一体なのであって決して矛盾はしない。しかし、
日本社会は戦争でその文化を遮断し、戦後は社会運動闘争で又遮断した。その文化伝統
は形も大事だろうが、本来の姿を形作った森や林との共生社会の姿勢がなぜあったか、
この大きな自然利用の作法が重要であろう。経済も発展もここにある。これを日本政府
は今逸脱している。自由主義世界の建設は社会主義福祉との対決ではない。矛盾の昇華
である。不思議な事に日本語はそうした事を示唆する物ばかりで成り立っている。意味
がある事が今やぼけてしまっているが、「有難い」が壁がある事であったり「御蔭様」
が、ありとあらゆる見えない物に対する感謝であったりする。しかしその根本にあるの
は自分自身の至らなさの悔やみである。西洋の悪魔がちゃんと具現化した対外的動物で
あるのに対して、日本の悪魔は何処にもいる門番の阿吽の像の前の一般の人々である。
そしてこの「一般の人々」と言う「一つの般若(はんにゃ)の人」つまり人間を突き詰
めた所の「嫉妬」や「恨み」を面で隠した人間の群れの中で、「一般」ではない「偶然
にも1億の精子の中から選ばれた」人だと言う「沢山の中のたった一つ運命」の本質を
知った人間の役割をもった生命観を暗示し提示している。まさしく「天上天下唯我独尊
」のせかいである。精子の世界であろうとも、現生の世界であろうとも、或いは未来の
無意識の世界や、死んだ来世であろうとも、貴方はやるべき事は善き事や正義である。
と説くのだ。その為の運命であり、仕組みであり、偶然である。これが役割の本質だ、
というのだ。役=地球ないし天国や地獄の空想界でもある仕事であり、割=その一部の
指定された席、という居場所が、誰にもどの生命にもある。これが東洋思想である。が
不思議にも、この選ばれた選民思想は日本人多くは西洋人の白人優位主義とは異なり、
指導=貧者への思いやりと教えられ、般若という原初の智慧を発展させ、和の国=戦わ
ない国を目指した社会だった。作法。つまり作り上げる法や法則は みずからの中にあ
るのである。それが間違いなく果断なく流れる事を 御蔭様としたのである。

737: 名無しさんAA:18/09/26 18:36 ID:2lQ
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐29     

 この東洋的選民思想と西洋的選民思想は相いれない。人間は普遍的価値ある物であり
、唯物主義は取らず、逆に受容者つまり観る者や感じる者や知る者に観念主義を説いた
からだ。言わば理想主義であり、その理想主義の為の行為として考えよ。と言う訳であ
る。白も黒も赤も色はあっても実体のないものだ。と言うのだ。実在論の起源は古代ギ
リシアのプラトンが論じたイデア論にまで遡ることができる。イデアの理論によれば、
感覚することができる世界は実在するものでなく、イデアの射影であると考えられた。
個々の感覚を理性によって把握することによってのみ実在するイデアを認識することが
できると論じている。アリストテレスもまた普遍的な概念として実在を考えており、感
覚によって捉えられる個物を「第一実体」、そしてそれが普遍化されたものを「第二実
体」と呼んで区別した。はるか紀元前からこの論争は続いていたのだった。それ自体と
して実在している実在論とそれを感じて認識して初めて存在するとした観念論は、それ
は神ののいない宗教として取り上げられていた。共産思想はその具現化であると考えら
れた。アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最
上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、
幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは
、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の
形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた。これが幸福主義である
。また、「霊魂」には、理性を必要とし、理性的に生きるためには、中庸を守ることが
重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に
関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関し
ては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳
ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許さ
れない。とした善徳主義を唱えている。ニコマコス論理では、あらゆる人間活動は何ら
かの「善」を追求している、諸々の「善」の間には従属関係がある。として人の生活に
は善が不可欠に必要であると説くのである。後世「万学の祖」と称されたアリストテレ
スのもたらした知識体系は網羅的であった。当時としては完成度が高く、偉大なもので
あったがしかし、アリストテレスの学説の多くは、ローマ帝国崩壊後の混乱によって、
西ヨーロッパではいったんほとんどが忘れ去られたのである。

738: 名無しさんAA:18/09/26 18:37
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐30  

 こうした「霊魂」説にはかなりに子供の誕生の不思議がある。子供と同じに霊魂を育
て、その子供の育て方に理性を必要とし、子供が理性的に生きるためを願った為の考え
方である。DNA解析や胚細胞手術でも子供を授かろうとする夫婦がいる一方で、米国
では、妊娠中絶の論議が白熱化している。それも又、中絶をどう扱うかを決める新たな
最高裁判事を選ぶ中にあるからだ。ISPIの最初黒人主役俳優コスビーがレイプ罪で
有罪になった中で、この非道さは、レイプ犯罪か、妊娠中絶手術かの論争になったのだ
。実はアメリカでは根深い優性遺伝説が根付いている。というのも、あの忌まわしい、
ドイツのナチスには、ユダヤ収容所と共にゲルマン民族の生産工場なるものまであった
からだ。、「ドイツのオックスフォード」と呼ばれたベルリン=ダーレムに「カイザー
・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」が設立された。1942年までの
研究所長はオイゲン・フィッシャー博士であった。「アーネンエルベ」でアーリア人の
チベット起源説が唱えられ「レーベンスボルン(生命の泉)計画」で「劣等民族」を、
絶滅させるための研究と並行して、「支配民族」を育てる「交配牧場」なるものを作る
計画である。IQの高い者同士、または、運動能力の高い者同士のSS隊員とゲルマン
女性を一緒にして、より優れた人間を作ろうとまるで厩舎のごとくに宿舎を作ったのだ
。こうしたものを進めて資金援助までしていたのがアメリカだったからだ。1883年
、イギリスの科学者フランシス・ゴルトンが「優生学(eugenics)」という言葉を作り
出した祖父は医者・博物学者のエラズマス・ダーウィンで、進化論で知られる遺伝学の
チャールズ・ダーウィンは、従兄にあたると言う先駆者だった。エルンスト・リュディ
ン博士は1905年に、ベルリンに世界最初の優生学会「民族衛生学協会」を創設して
世界の先駆となった。1933年には、ナチ内務大臣フリックのもとで、「断種法」の
起草・制定に指導的な立場になって。精神分裂病の遺伝学的研究の世界的権威であり、
ナチ党員であった彼は、1934年以後、終戦に至るまで「ドイツ精神神経学会」の会
長職を務めていた。自ら起草した「断種法」の熱心な遂行者であり、「安楽死論」の支
持者であり続けた。元々ドイツには教育を受けられない浮浪者の溜まり場となっていた
。欧州東西の十字路だったからだ。そうした事でナチス政権が誕生する前に、1932
年に人種研究の行いキール大学の学者たちは近隣の村で人類学調査旅行を行っていた。
調査の財政的出費をしたのは「ドイツ学術緊急援助会」今日のDFGで、「カイザー・
ヴィルヘルム研究所」は、ヴォルフガング・アーベル博士を代表者にして、これに深く
関与していた。

739: 名無しさんAA:18/09/26 18:37
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐31  

 アメリカでは早くから人種差別の芽はあった。と言うよりアメリカ先住民インディオ
を偏見で追い出して白人社会が居座った国であり、建国前から生き残った白人優位主義
者しか生き残れない様な戦いの歴史だった。こうして劣等人間は作らないと言う意志が
あり、1907年のインディアナ州では、全く世界初の断種法が成立し、その後次々と34
州で断種法が導入された。この世界に先駆けたアメリカの「断種実施国」であった中に
は、「大仕掛けな断種実験場」での「淫行の快楽」は彼ら最も特異な気質だった。アメ
リカ優生学は1910〜20年代にピークをむかえ、30年代にはむしろナチスとの協力関係
が顕著になる。しかし険悪な国情につれて衰退したが、それでも断種の実施そのものは
むしろナチスの刺激を受けて1930〜40年代にピークに達した。研究記述によると、「ア
メリカの優生運動は、社会改革というよりは倫理的変革という意味合いが濃厚であり、
アメリカ社会が優生学を率先して受け容れた要因については、アメリカの「自由」とは
宗教自由の意味であり、移民国家としての多元性が共通の価値を生み出しにくい結果、
自然科学的見解が共通価値の代用だった。つまりドイツと同じに「自然科学的な人間解
釈がとりわけ科学的説明が貴ばれる傾向があり、進化論に立脚して人間改造をめざした
優生学プログラムは、宗教的義務と同じに一部で受け取られた」からだ。当然視された
のが、建国民族たるアングロ・サクソンの民族的優秀性である。これが白人優位主義で
あった。その中でアメリカには開拓にともなう自助と行動主義の伝統があって、知識を
実践に活用する傾向は強かったし先駆者となるに引かない開拓魂もあった。農業国なら
ではの育種研究の発展は、優生学の基礎を提供した為にアメリカ優生学が、中流以上の
白人家族の中に入り込むのは早かった。又白人家庭を守るために優生学を利用した行為
として優生学は、黒人と移民を排斥するための「科学」となった。とりわけアメリカの
良識男性は、当たり前の様に一般常識としてパイプカットの精液線断流手術が行われて
いたのである。19世紀には、アングロ・サクソン系の中流白人家族を社会の基礎とす
る社会は、「家父長たる男性は互いに対等」であり、「同様の価値観を共有」して勤勉
で自助精神に満ち、家族は一体となって共和国のために貢献する事を信仰していた。そ
れは、下僕の黒人や下層民、犯罪者などの異質な部分を排除してはじめて安定的に維持
される均質な共同体社会である。と考えられた。男女の役割は交換不可能で、こうして
「女性には次世代市民の母」となることが義務づけられ、次世代市民の「質」の確保は
母の責任であるとともに、一元的な共和国全体の義務とされたのである。

740: 名無しさんAA:18/09/26 18:38
 この母親の義務が、現代アメリカでは人工妊娠中絶に強い制約が課されている理由で
ある。。中絶論争は宗教観(とりわけキリスト教原理主義の)の争いでもあり、容易に
解決しえない社会問題となったが、南北戦争頃までは、堕胎は日常的に見られるもので
あり、多くは様々な種類の医師や助産婦によって行われる合法的な医療行為であった。
その為、胎児が動いたと最初に感じられる、いわゆる「胎動の始まり」(quikening)の
現象が確かめられるまでは妊娠している。とはみなされなかった。胎動が始まる前では
堕胎は道徳的、あるいは医学的な問題を一切起こさなかったし、19世紀半ばまでアメ
リカ人女性は胎動が始まる前であれば自由に堕胎することができた。こうして1840年以
降、堕胎は次第に一般的であり、堕胎診療所は繁盛し、おおっぴらに新聞や雑誌で広告
を行うまでになっていた。1840年以前には妊娠中絶を行うのは未婚の低層階級の女性が
主だったが、この頃から中上流階級の女性までもがこうしたサービスを利用し始めた。
しかし、この時に医師達に派閥争いが起こった。1850年代の初め、道徳改革運動者であ
る何人かの医師たちが、堕胎の危険性と不道徳性について医学専門誌や大衆雑誌に記事
を書き、議会で盛んにロビー活動を行い始めた。彼らは胎動の始まりと無関係に中絶に
反対し1859年にはアメリカ医師会で中絶への非難決議を採択させたのだ。「堕胎が女性
の健康を脅かすものであり、女性に対する抑圧の一部を形成するものだ」という認識を
植え付け、この改革運動がフェミニストの支持を受けた。宗教界はこの問題に関与する
ことを避けていたが、反対運動の牽引役となった医師達に手を回した宗教者も多くいた
。1866年〜1877年にキリスト原理主義者の医師達は、プロライフ(pro-life)とよばれ、
「胎児は早期から生命であり、中絶は殺人罪を適用すべきだ」と激しく主張した。中絶
は、「刑事犯にあたる」という法律をまで州議会で通過させる重要な役割を果たした。
白人優位主義では、第一に、急激な出生率の低下に対して、医師だけでなく政治家も又
危機感を覚えていた。「よりよい階級の」既婚女性の中絶が出生率の低下に影響し、代
わりに大家族の移民が押し寄せている。事がに彼らを脅かしていた。「堕胎に反対する
立場は「階級差別主義者」や「人種差別主義者」の考えを暗に反映し支持を得ていた。
不安は、単純明快に「アメリカを救うために必要な、壮健でアメリカ生まれのプロテス
タントの血統が充分でなくなる。」かもしれない。と言う理由だ。更に奇妙な事に当時
のアメリカには医師資格の法がなく、多くの者が「医師」を名乗っていた。正規の医師
たちは、科学的で倫理的な医学を標榜し、自分たちの規範としてヒポクラテスの誓いを
採用した。とくにこのヒポクラテスの誓いが中絶を禁じていたのである。医師は専門職
化し、正規医師の独占支配を作り上げるために、この中絶禁止法はその団体の踏み絵で
もあったのだ。

741: 名無しさんAA:18/09/26 18:38
  NEW 悪魔の聖杯 0053 生命の科学   ‐‐‐33  

 正規の医師たちの「文化的および専門職的支配」という社会的な目標は、「道徳的」
および「医学的な言葉」に移し変えられ批判された。結果、比較的短期間のうちに各州
で中絶が違法化され、中絶に対して無関心あるいは寛容であったアメリカ世論は態度は
硬化させ一変することになった。1900年までに、堕胎は違法というだけでなく逸脱して
いて不道徳であるとされたのだ。医師による道徳改革運動は「堕胎を逸脱的行動と定義
する」ことに成功した。こうして合法中絶容認派はプロチョイス(Pro-choice:女性に
よる選択に賛成=中絶の権利に賛成)派と、プロライフ(Pro-life:胎児の生命を守る
ことに賛成=中絶に反対)派の論争はアメリカ社会を二分する意見が蹂躙した。これに
はもう一つの側面があった。「堕胎罪」が制定されたアメリカの「良妻賢母」を女性の
理想とする機運と女性は子供を産み家庭を守るのが生きがいというような価値観が支配
的な市民のプロライフ派は、受精が行われた時点でそこには「個人」が誕生しており、
それを他人(母親)の都合で殺してしまうのはおかしい、という論理を唱えていて子供
が作れず、それこそ胚細胞手術でも子供を授かろうとする夫婦であり富裕層であった。
一方プロチョイス派はプロチョイスに比べて、平均的には「学歴が低い」「結婚期が早
い」「父親の年収が低い」「宗教観が強い」といった傾向が見られ、少し劣等感や敬虔
なキリスト教的価値観が薄れた、1960年代からのフェミニズム運動をリードした運動家
たちで、中絶の合法化を盛んに訴えてきた「生殖の自己決定権」、すなわち女性の権利
を求めた人達でもあったからだ。そして1973年、中絶を憲法で容認するという、「ロウ
対ウェイド判決」が下されました。これは、「憲法は解釈上国家が個人のプライバシー
に介入する権利がないため、生殖は私的領域とする。」みたいな感じで、要は中絶して
もいいよということでした。ただし妊娠期間の初期3分の1の間だけオッケーとかいう
よくわからないものでもありました。ところが、この一連の中絶容認への流れは、保守
層の反動を産んだ。彼らはプロライフは、ビジュアルに訴えかけるポスター(手のひら
の上で胎児が眠っているという)を用い戦略的に大衆の感情を喚起しました。対して、
かつて、中絶をしたくても正しい知識や処置のための費用がない女性が、自らの子宮に
ハンガーの先端を入れてかき出すという大変痛ましい中絶方法があった過去をポスター
にした。合法中絶容認派はプロチョイスのポスターは、洗濯ハンガーの上に、赤いバツ
印が重ねられている絵であった。つまり、適切な手術が確立されている今、その悲劇を
繰り返してもいいのか、ということをポスターは表している。

742: 名無しさんAA:18/09/29 12:07
 人々に驚愕の津波の映像を見せたのは、2004年スマトラ島沖地震(スマトラとうおき
じしん)だった。2004年 12月26日、インドネシア西部時間07時58分53秒(UTC00時58分
)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1 の
の地震である。その後四川大地震が発生、2008年 5月12日 震央は、中国 四川省 アバ
・チベット族チャン族自治州 とされた。その後、カンタベリー地震(カンタベリーじ
しん)がNZで起こった。2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー
地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震。だった。特に被害を受けた
都市のクライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」ともまた単に「ニ
ュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。その一ヶ月後に東日本大震
災(ひがしにほんだいしんさい)に発生した。2011年(平成23年)3月11日 東北地方太
平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害も起こり
。大規模な地震災害と共に津波被害が映像に収められたのである。
2004年12月→2008年5月→2011年2月→2011年3月 となる。
ところがこの前段としてインド西部地震(インドせいぶじしん)は、2001年 1月26日に
インド西部グジャラート州 カッチ県で発生した地震。内陸地殻内地震であり、規模は
モーメントマグニチュード7.7、震源の深さは約16km。インド政府の同年3月27日にその
被害規模を発表した。阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)の、1995年
(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害の後。5年後であ
る。 すなわち1995年(阪神)→
2001年→2004年12月→2008年5月→2011年2月→2011年3月
(インド)  (スマトラ島)  (中国四川)  (太平洋NZ)  (日本) 
 今回もインド北東部のマニプール州で2016年日本時間1月4日の午前8時すぎ、
マグニチュード6.7の地震があり、これまでに6人が死亡し、約100人が怪我をし
ましている。震源は、ミャンマーやバングラデシュとの国境に近く、震源の深さは55
キロ(1月4日)と報道し、地殻の変動を示していたのだ。そして今回のインドネシア中
部のスラウェシ島で発生した地震と津波である。米地質調査所(USGS)によると、
スラウェシ島中部では28日夕、マグニチュード(M)7・5の地震が発生し、M5以
上の余震も10回以上起きている。としている。交通の便が悪く詳しくは不明だが
20011年 → 2016年 → 2018年 →  ?1  →  ?2 → ?3 →
(東北大震災) (インド地震) (スラワシ島)   と続いている?3は日本に違いは
無いだろう。

743: 名無しさんAA:18/09/29 19:24 ID:AHg
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐01

 およそ1万年前に、栄えていた恐竜時代が忽然と消えた。この大型動物の時代の終焉
が謎として、考古学者は沢山の調査を行った。その上でその絶滅原因に最後の氷河期が
認められた。そのポイントの一つになるであろう12,900〜11,500年前に起こった急激な
寒冷期で10年間5℃以上も変化した時期が認められた。それがヤンガードリアス期、
(新ドリアス期)最終氷河期と言われるものである。事象としてヤンガードリアスは、
最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象で、現在からは
12,900年から11,500年前にかけて北半球の高緯度で起こった。という事が知られている
。この変化は数十年の期間で起きたとされている。グリーンランドの氷床コアGISP2の
放射性同位体データはこの間、グリーンランドの山頂部では現在よりも15℃寒冷であ
ったことを示している。イギリスでは甲虫の化石から、年平均気温がおよそ−5℃に低
下し、高地には氷原や氷河が形成され、氷河の先端が低地まで前進していたことが示唆
される。これほど規模が大きく急激な気候の変化はその後起きていない。従ってそうし
た大規模な変化の理由はかなりに問題だった。調べられるうちに、ヤンガードリアスは
ヨーロッパに非常に大きな影響を与えたが、世界各地でも類似の現象が報告されてた。
・スカンジナビアにおける、森林から氷河性のツンドラへの交代。
・世界各地での山岳部、山脈部での氷河作用の進行もしくは降雪量の増加。
・アジアの砂漠起源の塵の地球大気中への増加。
・ナトゥーフ文化で農業が始まった原因と言われる、レバント地方の旱魃。
・南極の氷床コアで発見された南半球の寒冷期。
などだが、しかし、不思議にも南極で見られる寒冷化は、ヤンガードリアスの少し前に
始まっていて、ほぼ同時期に終わっている。又、規模がグリーンランドよりも明らかに
小さく、これが世界的な出来事だったとしても、この時期に南半球には氷河の前進の証
拠が全く無いことが問題視されている。この事から、南の方で何らかの異変が最初に起
こったとも考える学者もいる。


744: 名無しさんAA:18/09/29 19:24
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐02

 この、ヤンガードリアスが何故起こったのかについては結論が出ていませんが、急激
な寒冷化とその終了直後に、急激な温暖化が始まった事が分かっている。現在、有力視
される説は主に二つある。一つは隕石説と海流阻害説である。海流阻害説は、深層海流
の循環に起因する。最終氷河期の終了に伴う温暖化によって、それまで北大西洋中緯度
までしか北上できなかった、メキシコ湾暖流は、インド洋沖でも起こり高い緯度まで達
するようになった。そこで大気中に熱を放出して寒冷流が沈降する。その放出された熱
によってヨーロッパは高緯度まで温暖化が進み、大陸氷床は急速に縮小しつつあった。
しかし、北アメリカでも氷床は後退しつつあったが、突然に融解した氷床は現在の五大
湖よりさらに巨大なアガシー湖を造って溜まり、そこからあふれた大量の淡水がミシシ
ッピ川を通ってメキシコ湾に注いでいた。というものだ。しかし、氷床が北方に後退す
ると共に、セントローレンス川の流路が氷の下から現われて、アガシー湖の水は今度は
セントローレンス川を通って北大西洋に流出するようになった。ハドソン湾の出現だ。
又、この流れ出た水は当然淡水で海表面にしか漂わない。この膨大な量の淡水は、比重
が海水より小さいこともあって北大西洋の表層に広がり、メキシコ湾流の北上と、熱の
放出を妨げた結果、ヨーロッパは再び寒冷化し、世界的に影響が及んだとされる。だが
これでは、なぜ南半球の寒冷化が先に起こったのかが説明できていない。勿論温暖化へ
の世界環境変化や、同じ様な現象が南半球で起きなかったとは言えないのではあるが、
あまりうまくは説明できていないし、その調査も近年では出来ていない。では隕石説は
どうか。隕石説は、北米大陸への小隕石・彗星の衝突により巻き上げられた塵による寒
冷化。米国のオクラホマ州、ミシガン州、サウスカロライナ州、カナダ・アルバータ州
などで、その証拠となる極小のダイヤモンドが、多数約1万3000年前の地層から発見さ
れている。とされる。氷床コアのGISP2の酸素同位体の分析から、ヤンガードリアスの
終了は40〜50年の間にそれぞれ5年程度の3つの段階を経て起きたと考えられている。
塵や雪の堆積速度などの他の指標から、数年で7℃という「非常に<急激な温暖化>」
が起こったことを示している。隕石でそんなに急激に起こるものなのか。という疑問と
共に否定的なデータもでている。ヤンガードリアス期と呼ばれるこの寒冷期は、土壌や
氷床コアのサンプルなど地質学的な証拠が豊富に残っているものをつぶさに調査された
からだ。この寒冷期は、マンモスなど氷河期の哺乳動物が北アメリカで絶滅した時期と
一致しており、中東で人類は狩猟採集生活を営んでいたとされ、人類の祖先が農業を中
心とした生活様式に移行する流れに拍車をかけたと考えられてきた。

745: 名無しさんAA:18/09/29 19:25
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐03

 この約1万2900年前に巨大な隕石が北アメリカに衝突し、これが原因で千年間に渡る
寒冷期が引き起こされたという説は、最近の菌類や昆虫の糞の粒子によって、この説を
反証したとする最新の研究が発表されている。しかし、研究を率いたロンドン大学ロイ
ヤル・ホロウェイ校の古植物学者アンドリュー・C・スコット氏によると、彗星や小惑
星の爆発が寒冷期を引き起こしたとするこの説は誤りだという。隕石衝突説の支持者は
、北アメリカ全土に広がるヤンガードリアス期の炭化した堆積層に微小な炭素の球状体
が見られることを長年に渡って論拠としてきた。この説では、爆発した隕石の残骸が、
地球に降り注いで地上で大火が発生し、その高温に有機物がさらされて、これらの球状
体ができたという。説明や根拠としている。しかし今回の研究発表では、ヤンガードリ
アス期だけでなく、その前後の時代の地層からも炭素の球状体が検出された。そのため
、これらの粒子が突発的な物体の衝突によって生じたものだとは主張しにくくなった。
さらにスコット氏の研究チームは、山火事で中低温にさらされた土壌で、現在も見られ
る固く結球した菌類に、これらの球状体の大半が似ていることを発見している。植物や
土壌菌類は極限状況でも生き残りやすくするため、にこのような球体の物質を作ること
が知られている。また、これらの球状体の中でも細長い形状のものは、現生の昆虫の糞
粒と一致する。「こうした粒子は天然の生物起源のものであり、大規模な野火とも隕石
の衝突とも無関係だ。マスコミや一般の人たちは派手な大惨事がらみの説明を好むが、
その説が成り立たない証拠が出てきたら、その説は捨てるべきだ」とスコット氏は取材
に答えている。ところが、隕石衝突説を支持するカリフォルニア大学名誉教授のジェー
ムス・ケネット氏は「地質学者として、野火の際に形成される生物起源のものを含め、
炭素の球状体が地質学上のあらゆる資料に見られることは専門家のほとんどが認めてい
る。しかし、炭素の球状体が大量に発見されることは少なく、「ヤンガードリアス期の
境目に最も集中して見られる」と話す。さらに、炭素の球状体はナノダイヤモンドと呼
ばれる微小なダイヤモンドと一緒に発見されるのが普通だ。ナノダイヤモンドは天体の
衝突によって引き起こされた条件下で形成されることが多い。と反論した。今回の研究
ではナノダイヤモンドが存在した証拠は報告されていないが、直接の目的がナノダイヤ
モンドを探すことではなかったため、探せば見つかる可能性があるとケネット氏は指摘
する。

746: 名無しさんAA:18/09/29 19:25
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐04

 こうして「したがって、今回の研究で報告されたデータは隕石衝突説と矛盾しない。
」と結論付けた。その後、研究を率いたスコット氏は、ナノダイヤモンドについても、
分析を進めてきたが、結果を発表する段階には至っていないと説明する。しかし同氏は
、発見された粒子がナノダイヤモンドとはまったく違う可能性も示唆する。研究チーム
が分析した菌類の胞子は微細な特徴がナノダイヤモンドに似ているという。「いまの見
つかった胞子がナノダイヤモンドでないことは明白だが。」と微小ダイヤモンドがまだ
みつかっていない事を指摘している。又一般的にヤンガードリアス期は、稲作農耕開始
と関連付けされて語られることが多い。これが、焼き畑農業の初期段階とも捉えられる
し地球地殻の急激な変動も見える。急激な気候変動の、短期間の急激な寒冷化→短期間
の急激な温暖化というは、大型哺乳類の絶滅と密接に関係している事は確かなようだが
。地球上では、最終氷期とは、およそ7万年前に始まって1万年前に終了したといわれ
る。この時期には、大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なっていた
。その結果、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120mも低下していたという
。その影響で、アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北
アメリカに人類が移住したともいわれている。日本列島およびその周辺では、海岸線の
低下によって北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなっており、現在の瀬戸内海や
東京湾もほとんどが陸地となっていた。その後、次第に地球は温暖化していくが、今か
ら1万2800年前、氷河期から温暖化に向かう途中の一時的な寒冷期「ヤンガードリアス
期」があった。この原因に、米大学の研究チームが、小規模な天体衝突があったことが
わかり、この影響で寒冷化が起きたという説を立てたわけだが、私の見解では正解かも
しれない。つまり衝突ではなく天体が近づいた。という現象だろうと思う。氷河期明け
の「寒の戻り」はしばしばある。ただし小さなものだ。今から約6500万年前に恐竜など
の生物が大量絶滅したのは、直径10km程度の隕石が地球に衝突して急激な寒冷化を引
き起こしたからだという説が有力だ。しかし、もう少し小規模ながら、隕石の衝突によ
って寒冷化が起きたことが、比較的最近も起きた可能性がある。それが今から1万2800
年前、氷河期から温暖化に向かう途中の一時的な寒冷期「ヤンガードリアス期」という
ことだ。

747: 名無しさんAA:18/09/29 19:28
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐05

 天体衝突によってもたらされたという説は、当時の地層に残った小球体を米大学の研
究チームが分析したところ、この説を裏付ける結果が出された。調査が行われた小球体
は、北米から欧州を中心とした9か国18か所の「ヤンガードリアス境界層」から見つか
ったものだ。最後の氷河期が終わって地球が温暖化に向かっていた時期にも、何度か「
寒の戻り」と呼べるような寒冷期の、中でも1万2800年前からおよそ1000年続いたヤン
ガードリアス期は寒冷化が顕著であったようだ。マンモスなどの巨大ほ乳類の多くが北
アメリカ大陸から消えた時期や、同じく北アメリカ大陸で広まっていた石器文化である
クローヴィス文化の終焉と重なることからも注目されている。ヤンガードリアス期をも
たらした原因としては、海洋循環の変化によって赤道付近の暖かい海水が北へ届かなく
なったという仮説が有力だった。一方、近年注目されるようになったのが天体衝突説だ
。2007年に、クローヴィス文化の遺跡から相次いで炭素を多く含む黒土が見つかったと
いう発表があり、これは小惑星か彗星が北アメリカ大陸に衝突(または衝突直前に空中
爆発)したことで地上の植生が焼けた痕跡だと考えられた。しかし、火災の多くは人為
的なものだと考えられるので、黒土は天体衝突がもたらしたものとは言いきれない。他
にも様々な反論があげられていた。その中で、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の
ジェームス・ケネット名誉教授らは新しい証拠を見つけた。砂や岩が高温で溶けてから
再び固まったことで形成された、直径1mmにも満たないビーズ状の物体だ。こうした小
球体は火山の噴火や雷の落下に伴って作られることもあるが、ケネット名誉教授らは7
百個近い小球体の成分や磁性を分析して天体衝突以外の要因を反証してきた。小球体は
北アメリカ大陸だけではなく、南アメリカの一部やヨーロッパ、中東にも分布している
。この天体の落下地点を推定するのはまだ難しいが、ケネット名誉教授は「この証拠は
、アメリカの大型動物の大半が悲劇的にも絶滅してしまった主な原因が大規模な天体衝
突であることを示し続けています。幾度もの氷河期をせっかく乗り越えた矢先に、この
天変地異でいなくなってしまったのです」とコメントしている。(2013年5月27日 カリ
フォルニア大学サンタバーバラ校)これがその天体衝突説の記事である。


748: 名無しさんAA:18/09/29 19:29
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐06

 最終氷期という一番新しい氷期のことのこの時期は氷期の中でも地質学的、地理学的
、気候学的にも最も詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下に
より変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。最終氷期の最盛期には、数十万立方
kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なって海水を構成
していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため、地球上の海水量が減少、世界中
で海面が約120mも低下したは。その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。この
海水準がもっとも低下した時代に、東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「
スンダランド」を形成していた。アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され
、ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている。日本列島および その
周辺では、海岸線の低下によって北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなっており
、現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。また、東シナ海の大部分も
陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、対馬暖流の流入
が止まったと言われている。この影響もあり日本列島は現在より寒冷で、冬季の降雪量
が少なかったと考えられている。北海道では永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では
山岳氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。ヤンガードリ
アスは、更新世の終わりのヨーロッパの気候区分で、亜氷期の期間である。この時期は
最終氷期の終了に伴う温暖期ベーリング/アレレード期と呼ばれる亜間氷期の後に 1300
±70年間続いた気候寒冷期である。ヤンガードライアス、新ドリアス期とも呼ばれる。
ヤンガードリアス期の寒冷化はヤンガードリアスイベント(YD)とも呼ばれこの言葉は
、アルプスやツンドラに生息するチョウノスケソウ Dryas octopetala の学名から命名
され、厳しく寒いという意味もある。ヤンガードリアス期の後は完新世のプレボレアル
期(亜間氷期)に移行する。アイルランドではNahanagan Stadial、イギリスでは Loch
Lomond Stadialと呼ばれている。ヤンガードライアス期の年代は暦年代で1万2900年前
1万1500年前、放射性炭素年代で 1万1000年前1万年前とされている。アレレード期の前
の亜氷期が古ドリアス期と呼ばれ、ヤンガードリアス期の およそ1000年前に300年ほど
続いた。ヤンガードリアスは、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷
化に戻った現象で、現在から1万2900年前から1万1500年前にかけて北半球の高緯度で起
こった(Alley 2000)。これほど規模が大きく急激な気候の変化はその後起きていない
(Alley 2000)。

749: 名無しさんAA:18/09/29 19:32
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐07

 ヤンガードリアス期は 日本語で亜氷期と呼ばれる。亜氷期については「氷河期/氷
期/間氷期/氷河時代の後ににやってきくる小氷期のことだが寒冷な時代には違いない
。地球規模の現象だが主に北半球に大きな影響を与えた。「氷期末亜間氷期」と書いて
ある期間がベーリング・アレレード期に相当する。スティーブン・ミズン氏はこれを「
後期亜間氷期」としている。「ベーリング・アレレード期」はヨーロッパにおける気候
による時代区分で、これが地球のどの地域まで通用するか、今だ判然としない。本当は
ベーリング期とアレレード期という二つの亜間氷期で、あいだにオールダードリアス期
という亜氷期があるのだが、ヨーロッパ以外の地域ではこの亜氷期は識別することがで
きないでいる。「最終氷期寒冷期(LGM)」は最終氷期最盛期(Last Glacial Maximum)
のことだが、短い温暖な時代から急激に寒冷な時代に移行した。西アジアではこの時期
はナトゥーフ文化後期と言われているが、この文化もこれに影響を受けた。というのが
定説だが、寒冷なヤンガードリアス期に突入したから「後期」に突入したといえるかも
しれない。ナトゥーフ文化の前期は「先史:定住型文化の誕生〜ナトゥーフ文化」で書
かれたが、それまで定住をしたことがなかった人びとが、有り余るほどの食料資源に囲
まれて定住生活と文化を築きあげたのに、それが突然の寒冷時代の到来で壊滅状態にな
るのがナトゥーフ後期である。とされる長期に渡って詳細な記録が得られるアブ・フレ
イラ遺跡ではこの時期には寒冷または変わりやすい気候の影響で、毎年現れたガゼルの
群れが来なくなり、森林から採集できる食料資源も少なくなる一方だった。ナトゥーフ
文化前期の代表格であるアイン・マラッハも同様に食料資源に囲まれた環境は跡形もな
く、住居の中は壁すら崩れ落ち、生活廃棄物が積み上がっていた。ナトゥーフ文化は、
紀元前12500年から紀元前9500年にかけて、今のイスラエルやシリアとトルコの国境沿
いのレバント(レバノン)に存在した亜旧石器文化とされる。人類史において農耕が始
まる前であるにも関わらず、定住あるいは定住に近い生活が行われていた点に特徴があ
る。おそらく世界最古の都市であるとされるイェリコは、この時期に建設されただろう
と推定されている。いくつかの考古学的証拠は、穀物、特にライ麦の計画的な栽培が、
ナトゥーフ文化期後半にテル・アブ・フレイラにおいて行われていたことを示していた
。、これは人類史における最初の農耕の証拠である。ただし、野生の穀物の方がより広
く利用されていた。また、ガゼルが狩猟が突然に少なくなっている。この突然の寒冷時
代の到来で壊滅状態になるのがナトゥーフ後期である。長期に渡った環境の変化は人間
の身体にも及んだ。

750: 名無しさんAA:18/09/29 19:37
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐08

 この書籍によれば、アイン・マラッハでは身体の成長不良が見え、男性の体格が女性
のそれとほとんど差がなくなっていた。こうして文化崩壊により今後の生活が危ぶまれ
幾つかの迫られる3つの選択肢にあったとされる。多くのナトゥーフ人がアブ・フレイ
ラと同じような状況に陥り、彼らは以下の3つの選択肢から将来の生活を選ぶように迫
られた。 1.故郷を捨て、遊動(非定住)狩猟採集民になる。 2.故郷を捨て、他の定
住先に引っ越す。 3.故郷に居続け、あらゆる手段を使いまたは手段を創出して生き残
る。まずはこの地を捨てるかどうかである。捨てて他の地で生活の見通しがあるかどう
かであったろう。「1」を選べんでも、この近くの、ナトゥーフ文化以外の地域では、
定住と無縁であった事を思えば、遊牧民生活を選ぶことはそれほど無理な選択では無か
っただろう。又そうした時の移住先はをえらぶ「2」であっても、ムレイベトやレヴァ
ント渓谷などがあり、候補地になり得たはずだ。移住先になった地域は新石器時代まで
途絶することなく続いているからだ。長期に渡って詳細な記録が得られるアブ・フレイ
ラ遺跡(Tell Abu Hureyra)で、この時期には寒冷または変わりやすい気候の影響で、
毎年現れたガゼルの群れが来なくなり、森林から採集できる食料資源も少なくなる一方
で一族はしのいだ。ナトゥーフ文化前期の代表格であるアイン・マラッハも同様に食料
資源に囲まれた環境だったろうが跡形もなく、住居の中は壁すら崩れ落ち、生活廃棄物
が積み上がっていた。しのいだ上に耐えられなかった。この極寒の気候に彼らは移住を
目指した結果と言える。ナトゥーフ文化期の人々の健康状態は、とりわけ、子どもたち
のそれは悪化していった。これは彼らの歯の状態から明らかにすることができる。ハ・
ヨニームに埋葬されていた後期ナトゥフ文化期の中の人々の歯は、前期の同じナトゥー
フ文化期の先祖のそれと比較して、形成不全の状態を多く示している頻度がはるかに高
いからだ。彼らが死んだときに残されていた歯の本数も、さらに少なくなっており、そ
の歯も虫歯が多く、これは、いずれも健康状態が悪かったことを示していると言える。
「3」の選択に関しては、報告書ではアブ・フレイラでは少数の集団が居続けたと書い
てあるが、「氷河期以後」では「廃墟」となっている事がそれを示している。「農耕起
源の人類史」では「2000年の明白な居住放棄期間」とある。他の村も同じような環境だ
ったのかもしれない。一時期留まる選択はしたが死に絶えたか歯抜けする状態で、個々
に移動したのかも知れない。集団生活の崩壊である。


751: 名無しさんAA:18/09/29 19:43
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐09

 どの選択肢を採るにしても、人びとは この時期を生きるためには、あらゆる手段を
模索した。アブ・フレイラに残った人びとは食用にあまり適さないが、乾燥に強いクロ
ーバーやウマゴヤシにまで手を出した。さらに彼らは食物栽培あるいはそれに似た行動
も行っていた。当時の遺跡から植物栽培化されたライムギの種子が発見されている。し
かし、この努力は実らずに村は廃れてしまったようだ。また獣肉に頼る人びとでも個体
数の少なくなった獲物を高確率で仕留めるために「ハリーフ尖頭器」なるものを 開発
していた。それだけではなく、前期では食肉はガゼルのみでも賄われていたが、後期は
そうもいかず数多くのネズミやキツネなどの小型の動物も食べるようになっていた。こ
のヤンガードリアス期では、寒冷化だけでなく乾燥化も進んだとされている。レヴァン
ト南部では寒冷化はしたが乾燥化はしなかった事が幸いだった。レヴァント南部と他の
地域の環境の差は、比較的温暖で安定した気候を保った事だ。レバント南部にあるヨル
ダン渓谷には、北のガリラヤ湖と南の死海とそのあいだのヨルダン川で構成されている
が、移民が集中を促し、後の穀物の生産つまり農耕の誕生に大きな影響を及ぼしたとい
う。この論文では研究材料としてHayonim の狩られたガゼルの歯を用いている。この論
文が正しいとすると、先にで引用した『氷河期以後』の文章「ハ・ヨニームに埋葬され
ていた後期ナトゥフ文化期の人々の歯は、前期ナトゥフ文化期の先祖のそれと比較して
、形成不全の状態を示している頻度がはるかに高い」をどう解釈すべきなのだろうか。
エン・ゲヴ遺跡のナトゥーフ文化後期の層を調査した結果、ヤンガードリアス期におい
てもエン・ゲヴの住人は遊動(非定住)型狩猟採集民になることを迫られるようなこと
はなかった。エン・ゲヴ遺跡からはナトゥーフ文化と新石器時代をつなぐ橋渡し的な段
階も見出すことができる。という論文は先の前期の論文と合致する。エン・ゲヴ遺跡は
ヨルダン渓谷にある村だ。ナトゥーフ期・続旧石器時代、ピピンA期、ピピンB期に、
おける遺跡の分布の、ヒルマン地図によるヤンガードリアス乾燥寒冷期のはじめ(紀元
前11,000年頃)の野生穀類の自生地分布では、かなり範囲が上下する事もしめしている
。これは2つの論文が正しければ、ナトゥーフ文化前期に拡大した範囲が、後期になっ
て縮小して「核地域」の範囲に戻った、と言えるかもしれない。寒冷化・乾燥化の影響
でヨルダン渓谷などに人口が集中し、そのストレスが農耕社会への移行を促したという
説がある。ヤンガードリアス期が終わって安定した温暖期(完新世)になってから農耕
社会が劇的に繁栄したといえる。もしも寒冷のままでいたら、農耕技術は狩猟採集社会
を補完するだけのものとして 存在しなかったのかもしれない。

752: 名無しさんAA:18/09/29 19:50
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐10

 最後の氷河期の来る前の文化も少しだが発見されている。ナトゥーフ文化の期間は、
前 12500〜9500年だが、後期の千数百年間はヤンガードリアス期という亜氷期と重なる
ため、全く違う文化だと思うが。この記事ではそのヤンガードリアス期の前期の話のみ
を書く。前 12700年(14700年前)に温暖期(ベーリング/アレレード期、亜間氷期)が
始まり、急激に気温が上昇する。この頃が西アジアにおけるナトゥーフ文化期の前期に
あたる。ブライアン・フェイガン著「古代文明と気候大変動」によれば、「前 13000年
以降、2000年にわたって降雨量が増加した」と書いてある。ナトゥーフ式の新たな生活
様式が生まれたのは、その前に幾何学ケバラン期の末期頃に始まった、気候の乾燥化に
起因するのではないかといわれている。それによって、内陸乾燥地を含む広域に展開し
ていた集落が、ヨルダン渓谷に沿った比較的湿潤な疎林地域に集中するようになった。
ナトゥーフィアン前期の遺跡分布域は、かなり小さい地域である。その為に生じた人口
の集中と資源に対するストレス増が、定住や集約的な穀物利用という新しい生業・集中
システムの発生につながったと考えられるのである。ナトゥーフ期に開花している各種
の芸術様式も、上部旧石器時代後期にヨーロッパで流行した芸術と同様、近接する集団
間の社会関係を円滑にするための表象ではなかったかといわれている。定住性や資源の
集約的利用、社会関係の保証など、新石器時代文化の基礎となる諸要素のすべてが、こ
の時期のここに準備されたものと考えられる。ナトゥーフ文化が起こった地域は、ヨル
ダン川と地中海沿岸に挟まれた「丘陵地帯」だが、このあたりは森林ステップ(森林と
ステップが入り交じる推移帯)気候になっていた。集落はこの森林ステップに隣接する
オークの林地の内部に形成された。発見者は、人々が人口の過剰によってそうした生活
様式を強いられていたわけではなかったことをほぼ確信する。ナトゥーフ文化期の遺跡
は、それ以前の時代と同じように、決してその数は多くない。人口の過剰があったとし
たら、それは、ケバーラ文化期に、遺跡の数が劇的に増加し、細石器の形式の標準化に
拍車が掛かった 紀元前14500年の時点だったと言える。その後二千年の歳月が流れて、
最初のナトゥフ文化期の集落が出現したとき、人口の増加を示している痕跡は見つかっ
ていない。そればかりか、ナトゥーフ文化前期の人々の骨は、彼らが適度に健康であり
、食糧不足のせいで望ましくない生活様式を強いられていたような人々とはまるで異な
っていたことを明らかにしている。[中略]


753: 名無しさんAA:18/09/30 11:31
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐11

 アイン・マッラーハを発掘したフランソア・ヴァラは、ナトゥーフ文化期の集落が、
たんにケバーラ文化期の人々の特定の季節における集合から生まれたのだ。と考えてい
る。ヴァラは、世紀の変わり目の頃、北極地方の狩猟採集民たちと生活を共にしたこと
がある文化人類学者マルセル・モースの著作を想起している。モースは、周期的な人々
の集合が密度の濃い集団生活という特徴をもっており、そうした生活が、祝祭、宗教的
な儀式、知的な議論、頻度の高い性行為を共なうことを認識していた。それとは対象的
に、それぞれの人々が小さな集団を形づくって互いに遠く離れて暮らしている遺跡で、
一年のうちのそれ以外の期間は、いずれかといえば活気がない。という遺跡だったから
だ。ヴァラは、ナトゥーフ文化期以前の移動性の狩猟採集民たちの集合が、それと似通
っていた可能性が多々あり、ナトゥーフ文化期の人々は、集合する期間を延長する機会
を得たその結果として、一年を通してそうした状態を効果的に持続するようになったに
すぎないのだろうと推測提唱している。事実、ナトゥーフ文化期の集落のすべての基本
的な要素、つまり、石組みの住居、石臼、ツノガイの数珠玉、遺体の埋葬、ガゼルの骨
などは、ネヴェ・ダヴィッドにおいても、すでに存在していた。気候がしだいに温暖化
して来て湿潤(しつじゅん)になるにつれて、植物と動物がより多様で豊かになってい
た事から、人々は、冬期の集合場所により長時間滞在し、より速くそこに帰って来るよ
うになり、一部の人々が年間を通してその地に留まるようになっていったのであろう。
地中海東岸地帯のレバノン,シリア,イスラエルなどに分布する終末期の旧石器文化は
、非幾何学形細石器が特徴の単にケバラ文化(ケバーラ文化)と呼ばれる古い段階と、
長方形もしくは台形の幾何学形細石器を特徴とするジオメトリック・ケバラ文化と(幾
何学ケバラン文化)と呼ばれる新しい段階とに分けている。古い段階の地中海性気候帯
にある遺跡には製粉具,麦類,鎌の刃に使われた細石器などがあり,穀物が前1万 5000
年頃から利用されていたことが明らかになっている。穀物を採集,製粉し,食料にした
と考えられるている。紀元前 12500年までに、幾何学ケバランの細石器インダストリー
はつづくナトゥーフ文化へと発展した。ケバーラ文化とナトゥーフ文化の大きな違いと
しては、遺跡の数と面積がナトゥーフ期に飛躍的に増加したことがあげられている。「
近東考古遺跡地図帳」には、この時代の遺跡としてレヴァントに74地点、またアナト
リアとザグロスでは同時期の非ナトゥーフ文化の遺跡として26地点の遺跡があげられ
ている。


754: 名無しさんAA:18/09/30 11:31
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐12

 しかし、この非ナトゥーフ文化の遺跡は数だけではなく遺跡の面積についてもナトゥ
ーフ文化の全域をとおして、幾何学ケバランの平均的なおおきさよりも5倍も大きくな
ったと見積もられている。このことはヤンガードリアス期(紀元前11000〜9500年)の開
始よりも前に、とくにナトゥーフ前期に人口が急速に増加していたことを示唆している
。気温が上がるにつれて、ヨーロッパにいたクロマニョン人の子孫のように、ケバーラ
人も木の実と種子に関心を向けるようになった。水に恵まれたオークとピスタチオの森
がある一帯では、そうした傾向はとくに顕著に見られる。そのころには森はユーフラテ
ス川の流域の中ほどから、ダマスカス付近を抜け、ヨルダン川まで広がっていた。これ
らの高地を歩けばラジンの遺跡からは、収穫した種子や木の実を加工保存するための擦
り石と擦り台が見つかった。降雨が季節的に偏り、周期的な干ばつに見舞われる地域で
は、食糧の保存は不可欠だ。前 11000年頃になり、量が時代の大型動物のいなくなった
世界にヨーロッパ人が適応していたころ、ケバーラ人は植物性食物を重要な常食の一部
にするようになっていた。この地のオークとピスタチオのベルト地帯が、おそらく聖書
にあるミルクと蜂蜜の流れる地の着想の源だろう。ここでは驚くほど多様な植物性食物
が収穫できた。どんぐりがもたらした影響で住はじめ、収穫して生活した。この地に住
んだ人びとは、移行帯の、つまり接し合う二つの生態学的領域の境界にある土地を好ん
でいた。ここなら、一年の別々の時期に、別々の食糧を採集しえたからだ。先人達とは
異なり、多くの集団はこのころには一年中、洞窟を利用するようになっていた。そこな
ら雨を防いで、植物性果実を乾いた場所に保管しうるだろう。このころには春と初夏に
は野草、秋にはどんぐりとピスタチオなど、植物性食物がきわめて豊富になったため、
多くの集団は一時的な野営地ではなく、もっと大きな常設の共同体で暮らすようになっ
た。そうした場所で、彼らはかなり広い草葦屋根の丸い住居を建てるようになった。と
考えられる。[中略]毎年、秋になると、ナトゥーフ人は何百万個となく、どんぐりと、
ピスタチオを収穫した。どちらの木の実も保存が容易で、昆虫やげっ歯類にやられない
かぎり、二年以上はもつという利点があった。収穫方法は単純だった。枝をゆするか、
木に登って熟した実を集めればいいのである。[中略]


755: 名無しさんAA:18/09/30 11:31
 NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐13

 収穫高に関するデータは、残念ながらなかなか手に入らないが、カリフォルニアのノ
ースコースト一帯では、1ヘクタール当たり590キロから800キロという大収穫も珍しく
ない。かりにそれほどの生産量があれば、ヨーロッパと接している地域よりも、50倍は
多くの人を養うことができただろう。どんぐりは栄養価に富み、炭水化物が70パーセン
トも含まれ、タンパク質は5パーセント、それに脂肪も4.5パーセント 〜18パーセント
含有する。ただし、大きな難点が一つあった。加工に手間隙がかかったのだ。どんぐり
の殻を割り、粉にするのは、野草の種を挽く以上に時間を要する。そうなってもまで、
食べることはできない。どんぐりには苦いタンニン酸、つまり渋が含まれていて、時間
をかけて水にさらしてからでなければ、調理できないのだ。どんぐりと、ピスタチオが
充分すぎるほどの余剰食糧を生み出したおかげで、ナトゥーフ人の共同体は一箇所に長
くとどまれるようになった。だが、その余剰分には犠牲が共なっていた。膨大な労働力
が日々費やされたのだ。人類学者のウォルター・ゴールドシュミットがかつて観察した
ところによると、カリフォルニアでは一人の女性が3キロのどんぐりを砕いて粉にする
のに、3時間かかったという。挽き割粉を、流水に浸けてさらすのに、さらに4時間が
必要だった。7時間の労働のあと残るのは2.6キロの食用の粉で、家族は数日間、それ
を食べて過ごせる。一方、狩人が鹿の皮をはいで肉をさばくのは、数分ですむ。狩りは
どんぐり拾いより時間がかかるかもしれないが、食事の用意をするのは簡単で、費用効
率も高い。どんぐりが必需食品となると、共同体の生活は大きく変わった。男も女も木
の実を収穫したにちがいないが、それらを保存し加工する作業は、全面的に女性の肩に
かかってきた。それまでの何千年間も、男は狩りをし、女は、野草などの植物性食物を
採集して処理してきた。こうした処理も時間がかかったが、どんぐりに必要な作業とは
比較にならない。毎日消費するためのどんぐりを挽き割り、さらすには、女性の仕事に
大転換が必要であり、その結果、女たちは擦り台と擦り石だけでなく、貯蔵庫にも釘付
けになった。何万年も自由に動きまわる生活をつづけてきたナトゥーフ人は、この時代
になると どんぐりの収穫のせいで、長期のベースキャンプから離れられなくなった。
しかし収穫はおおむね予測がついたし、適切な貯蔵庫があれば、こうしたほぼ恒久的な
定住地も充分に存続可能だった。[中略]


756: 名無しさんAA:18/09/30 11:32
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐14   

 貯蔵可能な食糧が豊富に得られるようになると、ナトゥーフ人の共同体は急速に拡大
した。イスラエルのフーラ川流域にあるマラハ遺跡は1000平方メートル以上にもおよび
、初期の狩猟採集社会のどの野営地よりも広大だったようだ。ここの住民は膨大な労力
を費やして丘の斜面を壇上にならして、そこに家を建て、上等な漆喰を混ぜて壁を塗り
、貯蔵用の穴蔵を掘った。マラハのような場所は、何世代にもわたって人びとが永住し
た村だったと思われる。ナトゥーフ文化誕生の原因がすべてどんぐりが原因とまでは言
わないまでも、要素の一つくらいにはなっているだろうと思う。ムギ類・マメ類などの
穀物に話が集中して木の実が軽視されているように思われる。この時期道具類も多様化
して、この中に細石器が着柄された石鎌が登場し、骨角器は釣り針や編み棒、装飾具が
発見され、その他多彩な装飾具も見られるようになった。トルコ産の黒曜石などが南レ
ヴァントで発見されるなど、広範囲の交易は行われていることも示唆されている。定住
に適応した文化としてナトゥーフ文化は発展した。定住適応するために開発された文化
だとも言えるだろう。人びとは有り余る過食植物と定期的に現れるガゼルの群れに囲ま
れてそれまでのどの文化よりも安定した生活を享受できた。開発に成功した文化はその
後二千年に渡って続き、世代交代は50回も繰り返したと言われる。しかしそれは前期
の時代で後期には氷河時代が迫り突然の寒冷化がこの村を襲ったのである。以前、ホモ
・サピエンスは文化の力でネアンデルタール人との生存競争に打ち勝ったことを書いた
が、この説明では、初期人類も身体の進化ではなく、文化の力によって、採集民からの
変化で、狩猟採集民になったという。何時、最初の狩猟採集民が誕生したのかは分から
ないが、その最初の人類はホモ・エレクトゥスと呼ぶらしい。火の使用も彼らが最初だ
という。この狩猟採集民になった化石人類は、低緯度の熱帯森林を出た人類たちで、数
百万年間低緯度から出なかった。しかし、50万年頃に中緯度に進出する。つまり、こ
こで出アフリカを達成したのである。彼らはホモ・エレクトスと呼ばれる「北京原人、
ジャワ原人」などで、もちろん狩猟採集民だった。低緯度と中緯度の環境のちがいは、
当然温度である。低緯度より年間の気温差が激しく冬は可食植物を探すことが困難にな
ったはずだ。中緯度に進出した人類は狩猟の技術を高めて克服しのだろう。その技術は
マンモスのような大型動物まで狩ることができた。と考えられている。


757: 名無しさんAA:18/09/30 11:37
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐15  

 この最初の定住生活が、中緯度地域の温暖化による森林化を背景に出現したと説明さ
れているが、こうした気候と植生の変化は、人類が中緯度に進出してから何度も起こっ
た事であった筈だ。ではなぜ、定住生活が、最後の氷河期のあとにしか出現しなかった
のだろうか、このことについて考察しておかねばならない。定住化現象の以上の理解か
らすれば、それ以前の温暖期に、定置猟具による漁労や、デンプン質ナッツの大量調理
・大量貯蔵を発達させる技術的・経済的な前提条件を欠いていたからだろう。と考えざ
るをえない。定住生活は、一面において、自然環境の大変化に応じた適応形態として、
現出する訳だが、同時にそれを可能にした人類史的な環境が前提のあることに注意を向
けなければならないわけである。[中略] 定住生活者が採用した生計の手立てと性質を
見れば、自然や労働、あるいは時間に対する認識の仕方にも、大きな変化の生じたこと
が予想される。定置漁具の制作に多くの労力と時間を費やすし、1〜2ヶ月の間の、激
しい労働の連続にも耐えることは必要である。その日の食料だけを考える遊動狩猟採集
民の行動原則とは、大きく異なるもので、木々の移殖や罠と似たような仕掛けや道具が
必要となる。遊動狩猟採集民達が、明日の食料について心配しないのは、自然の恵みを
確信しているからであり、食料を蓄える行為は、いわば、自然に対する食糧供給の信頼
を放棄することにほかならない。自然のなかで、自然に頼って生きるブッシュマンなど
の自然観とは、おのずと異なる自然観となる。漁網を編み、ナッツを大量に拾い、加工
するなど、単純な作業の反復を重ねて、自然が制御されるし、食べられないものも加工
し、醸造や腐敗や乾燥などの変化を見極めて食する事になる。定住生活者に予想しうる
自然や労働に対するこうした認識のあり方は、森を拓き、土を掘り、水の流れを変える
農耕民のそれと大きく共通するところがあるのだろう。自然に対する認識の変化と同時
に、定住生活者とその周囲の植生との生態学的関係が、遊動生活者のそれと、大きく異
なることに注意しなくてはならない。[中略]又、遊動生活者といえども、環境に対して
何ほどかの影響を与え、それを改変改善はするだろう。だが、狩や採集によって環境が
変われば、すなわち、食料や薪が減少すれば、キャンプを移動させ生活する。彼らの立
ち去った後のキャンプ地は、自然の回復力に委ねられ、やがては元の自然に戻る。彼ら
が環境に与える影響の大きさは、チンパンジーが果実を食べてその種子を分散させ、肉
食がシカの生息密度に関係している程度とほとんど変わらないくらい小さい。


758: 名無しさんAA:18/09/30 11:39
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐16  

 遊動狩猟採集民は、環境的には、自然が生産する資源に「寄生」して生きている人々
といえる。ところが、人間が定住すれば、村の近くの森は、薪や建築材のための伐採に
よって破壊され続ける。焚き火や家や道具など、そこには、開けた明るい場所を好んだ
陽性植物が繁茂して、もとの森とは異なる植生へと変化するのである。定住者は、自然
としての環境ではなく、人間の影響によって改変された環境に取り囲まれることになる
のである。日本風に言えば山と里山の違いである。日本の縄文時代の村には、こうして
生じた二次植生中に、彼らの主要な食料であったクリやクルミがはえていて植物遺伝子
の解析で植林していた事が解っている。ヨーロッパの中石器時代にはハシバミが増加し
、西アジアの森林植生中には、コムギやオオムギ、ハシバミ、アーモンドが増加する。
これらの植物は、いずれも、伐採後の明るい場所に好んではえる陽性植物であり、しか
も、食料として高い価値をもっているものである。人間の影響下に生長してきた植物を
、人間が利用する行為の出現である。生態学的な表現をすれば、これは明らかに植物と
の共生関係であり、人文学的にいえば、栽培や農耕にほかならない。食料生産の出現は
、火を使う人間は、定住したことによってほぼ自動的に派生し、調理したと言われる。
意外な進展が、しかも人類史上、きわめて重要な現象であったのがこの時期なのかもし
れない。「食料生産」の出現は、火を使う人間は、定住したことによって派生したのち
は伝承したであろう。自動的というのは大げさだと思うが、狩りも火も調理も定住化は
ゆとりの中の子供への伝承をして、かなりに時間的ロスや予測の生活を可能にしただろ
う。縄文時代は食料生産の出現は無かったとされていたが、それは稲に限っての収穫の
少なさであり、近年では縄文時代にも定住によって生産活動が明らかになっている。又
周囲の環境が変わっていく様子は定住者によって観察されていたことだとしたら、他に
も言語や記号にも影響があったはずだ。彼らの中にはその様子をただ見ているだけでは
なくて、故意に変えていこうとした人達がいた。これらの中で「実験」の中で成功した
者や火のつけ方を知った者らが互いに教え合い食料生産の出現につながったのだろう。
又この頃の鳥は重かったとされ、長時間飛ぶ事や高い空に飛ぶ事は苦手だったと言う論
説もある。つまり木を植林した事は 他にも焼き畑農業の発見や動物の誘い込みなど、
道具の開発や家畜の飼いならしなど色々な利用も考えたのではないだろうか。

759: 名無しさんAA:18/09/30 13:39
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐17  

 私はこの頃の時代を創造するに、鬱蒼とした森が寒冷の中所々に地熱によって出来て
いたのではないか。と考えている。つまり今のグリーンランドの様に寒い処で果実が実
っていた。そこに幾つかの家族は行きついていた。と考えるのである。アダムとイブだ
。旧約聖書『創世記』によると、アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムが
作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。アダムはエデンの
園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識
の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主
なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の
木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(エバ)が創
造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べ
た後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに
気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。この結果、蛇は腹這いの生物
となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、
額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神
は言い渡す。アダムが女をエバと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木
の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守
るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する剣の炎を置いた。その
後、アダムは 930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない。また「善悪
の知識の木」の実(禁断の果実)はよく絵画などにリンゴとして描かれているが、『創
世記』には何の果実であるかという記述はない。創造記では、第一日目:何もない真っ
暗な世界に、神は光を与え、天と地を創る。第二日目:大空を創り、第三日目:海と大
地を創り、そこに草や樹を芽生えさせた。としている。そして第四日目:太陽と月、星
を創り、第五日目:地上に動物と鳥を創った。第六日目:神は自分を模って男と女を創
造し、第七日目:天地万物を完成させた神は安息し、第七の日を聖別し祝福した。これ
は常に極寒の水蒸気でブリザードの続く中の洞穴の中の生活からの歴史ではないか。と
思う。つまりしばしば寒くて真っ暗な世界が押し寄せ動物が獲れる季節まで休む事が、
必要だった。そして祖先からイチジクなど軟らかな糖分の実を食べていけなかったが、
それが酒を造り得たので食して、伝染病が起こったと考えられる。

760: 名無しさんAA:18/09/30 13:40
   NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐18  

 この時何が起こったのか。蛇と言うのは恐らくロープであり綱の事であろう。つまり
智慧を用いた人類は 最初に石の弓矢などをもちいて、石包丁を使った世界だった。火
を使い洞穴において住居とした。しかし、ここでは動かず熊の冬眠の様な生活で一生を
過ごしていたと思う。エデンの園は、そうした世界でも充分に食糧が獲れる時代だった
。更には湯が溢れていて氷河の後退期でも、この園には動物が押し寄せて来て食糧確保
には充分だったと考えられる。この時代には悩みや病いに呪術師が居た事は当然で当初
は彼らも充分な信用を得て居たが、それが温暖化によってそうそう崇められなくなった
。と言える。この伝説や慣習や言い伝えを教示する彼らの造った神こそヤフェーの神で
は無かっただろうかと推測する。アダムは男性とされるが、実はその原語の意味は人類
である。ではイブ又はエバとは何か、それは新時代や永遠、世代と言った意味で子供の
様な意味合いである。ではそもそもの絶対神ヤフェーの神はといえば、寄り添う者ある
いは共に歩く者、教示する者と言う日本的には「先祖の霊」みたいなものだ。よく言え
ばこの先導する呪術師を指している。とも考えられる。第5日、動物と鳥を創った時神
は祝福して言った言葉は「産めよ、増えよ、水や地に満ちよ。」である。第6日地の獣
、家畜、土に這う全てのものを創った。神は自分を真似て男と女を創造した。神は人を
祝福して言った言葉は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせ、全ての生き物を支
配せよ。」なのである。第7日は、こうして天地万物は完成し神は仕事を離れて安息し
た。となりこうして人はこの日を祝福しこれを聖別し安息日としたのである。イラクと
トルコには多くの古代遺跡が存在する。その中に興味そそられるのがまるっきり泥の中
に埋まっていた遺跡が見つかった。ギョベクリ・テペの遺跡である。この遺跡の遺丘に
残された構造物は紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられたとされる。遺跡と
してはかなり古くエジプトの遺跡が古くとも前4000年だからその倍か3倍の古さである
。この遺跡が何かは今だ不明だが、放射線年代測定ではその年代は確かなようである。
イスラエルと言いこの地といい。何故か現代のユダヤの金融家の目の敵にされ紛争や戦
争の中心となる。古くからの聖域だからだろうが、余りにも悲惨な現状は目を覆う程だ
。ただこうした巨大遺跡はロープ無しでは造り得ないであろう。象や大木を使っての、
大事業としても、そこには人の知恵やロープ無しには造り得ない。


761: 名無しさんAA:18/09/30 13:40
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐19   

 私個人の意見としてはヤンガードリアス期は、宇宙放射線の嵐があったのではないか
と考えている。隕石や小惑星は別にして、太陽に異常現象が起こったと考えられるので
はないか。と思う。地球の動きは色々あっただろうが、10年間で5〜6℃の海水温の
変化というのは、これだけの熱量は太陽や宇宙の現象以外他に考えられない。確かに、
今や温暖化に入った地球なのだが、空気に対して海水比熱は4倍で体積比熱で1千倍の
カロリーが必要だ。つまり地球上の空気が1℃上がる事と海水全部1℃上がる事では、
一千倍のエネルギーの違いがあるのだ。今の産業革命から1〜200年で、空気が2℃
〜3℃の上昇に我々は温暖化と騒いでいるのだ。恐竜絶滅に匹敵する現象が起こっても
不思議ではない。それが見つからないというのもなかなか常識的ではない。ただ近年の
周期的な空気の温度現象が太陽光の変化にある事が最近では解っている。この事を調べ
る前に少し不思議な生物実体を書きたい。それは素数セミと呼ばれるアメリカに現れる
周期セミの実体である。実はこのセミの周期は17年と13年周期と決まっている。こ
の周期が何故現れたかを日本の数学の先生が解き明かした。それは簡単だった。3つの
条件があったからだ。その一つは18年以上は土の中に居られない事もう一つは天敵に
食べられても生き残る事、そして一緒に同じ周期の雄雌が出て来て交配が出来る事。だ
った。これらを加味すると氷河期以前は毎年に色々な周期のセミが現れていたという話
になる。つまりこれらは偶然でなく素数と言う割り切れない周期を選んだ。というか、
選ばされたのである。どういう事かと言えば、簡単である。たとえばある年、種類が同
じで周期だけが違う15年と18年のセミがいっしょに出て、子どもをつくったとします。
15年後に15年ゼミが、18年後に18年ゼミが地上に出てみたら、ほかの周期のセミはいな
いので、以前よりもずいぶんと数が減ってしまっています。さらに、15年ゼミと18年ゼ
ミで交雑すると、その子の周期はどうなるのでしょう。16年だったり17年だったりする
かもしれません。このように、たまたま15年ゼミと18年ゼミが出会ってしまうと、何万
年もかけてどちらのセミも数が減り、やがて絶滅してしまうのです。こうして残るのが
素数の同期と言う事になる。素数が周期ゼミが入ると最小公倍数が大きく、単種の保存
が各段に長い更に18年以上は土の中に入れないとなると一番長く単種の周期を保存で
きる種が17年と言う事になる。更にこの最大の長い年数は外に出る回数も少なく天敵
からの捕食も少ない事になる。こうして残ったのが13年周期と17年周期という事に
なる。周期年数が違う群れと交雑しにくく天敵に襲われにいことがわかります。


762: 名無しさんAA:18/09/30 13:40
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐20  

 こうした数学が入り込んだものに天文学がある。バランス比と呼ばれるものだが、そ
れは素粒子の電子と原子の配置や大きさ距離の比率が非常に似ている事だ。太陽につい
て言えば、太陽の直径はおよそ139万キロメートルもあり、その大きさは地球の約100倍
に相当します。仮に地球を1メートルであるとした場合、太陽は東京ドームほどの大き
さがあることになります。質量も33万倍と非常に大きく太陽がいかに巨大な天体かがわ
かる。又太陽の重力は274 m/s2と地球の約28倍もある。太陽は灼熱の天体であり地表面
が存在しないため地面に降り立つことはできません。仮にそれができたとしても地球の
生物は満足に活動することは不可能。体重60kgの人間も太陽の重力下ではおよそ1.7tの
高重量になり、海からあがったクジラのように自分の体重によって押しつぶされてしま
います。ちなみに人類が絶えることができる重力は最高でも体重の6〜7倍といわれてい
ます。太陽は地球がある太陽系の恒星であり、太陽系の物理的中心となっている天体で
す。太陽の質量は太陽系に存在する全質量の99%を占めており、その強力な重力で太陽
系のすべての天体に影響を与えています。この太陽がたまに発光ミスを起こす。それが
太陽フレアと呼ばれるかなりの高熱炎である。色が無い分より高い温度で地球に飛来し
てデリンジャー現象を引き起こす。これは地球上の空気の層と宇宙の境目溜まった電離
層と呼ばれる膜を破る。結果電波障害などを引き起こす。多くの場合、持続時間は数十
分から数時間の程度であるがまれに数時間以上も続く場合もある。多くは太陽フレアが
原因とされる。太陽フレアが発生すると太陽で発生するX線や紫外線が急増し、それら
が電離層に到達することで電離層のD層の電子密度が増加する。通常の場合には、短波
(3 - 30 MHz)はD層を通過しF層で反射されるがこの現象が発生すると電子密度が増
大したD層で短波が吸収されるようになり、長距離通信が不能となってしまう。短波よ
りも高い周波数の電波や中波などには影響は少ない。電波は見えない光とされるエネル
ギー体である。この放射線でウランやプルトニュームなどは崩壊熱や収縮熱が出る。こ
れに水を熱して今の原子炉が成り立っている。私は今の温暖化が嘘だと言わないし、又
人間の工業化が環境に影響してないなどは言うつもりはない。しかし地球の歴史におい
ては、今の温暖化は微々たるものに過ぎない。つまり、この人間生活の工業化が与えた
影響も大事なのだが それ以上に宇宙の変化にもっと気を付けるべきと思う。月にまで
いけるのだから、そこで宇宙放射線の変化などを観測する必要もある。宇宙線は常にふ
り注いでいるのだから。


763: 名無しさんAA:18/09/30 13:41
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐21  
 宇宙にはいわゆるプラズマ帯流という流れがある事が知られている。今もまだ内容は
不明だが周期的なのか単なる流れとしてやって来ているのかは不明だが、超新星爆発や
外宇宙のブラックホールなどから破壊的な放射線が流れてくる。この事でカミオカンデ
は中性子衝突から出る素粒子のニュートリノの観測をした。そしてニュートリノは地球
さえ抜けてやって来るという粒子で微量の質量を持つことが解った。ある学者によると
、このプラズマ帯流は川の様に流れていて太陽系や銀河系が宇宙の海を漂うとしている
。銀河宇宙には軌道があり、周回があるとしている。そしてそこにやって来た時異常に
反応して色々な現象を起こすとしている。よく普通の浜で沖に流される事がある。それ
はパラボラの集音効果のように、向岸流と言う普通の波がやってくるが、陸地に上がれ
なく並岸流という岸を並行に流れて行く波となる。しかし右も左もバラバラで、やって
来る方向は一定ではない。しかし陸には登れないし海底にも上空にも行けない水は、あ
る所で行き場がなく向かってくる波に一点で離岸流となって表れる。この事に似ている
と言う。こうした行き場のない流れが作る影響は、自然現象では何処にでもある現象だ
。例えば気象でも、地球は赤道から極までに、三つに分かれた偏西風が出て来る。所謂
極で極東風とジェット気流と赤道近くの偏西風だ。しかし中間近くの風はかつて帆船貿
易の頃の船の運航を決めていて貿易風とも呼ばれていた。しかし極地偏西風と赤道偏西
風によって同じ様には循環できない。従って季節毎可笑しな逆風も吹く。これらの風は
実は暖かい海水や地上へ戻る作用であり、地球が球面で必然的に、赤道に近い側の水蒸
気の蒸発量が多く上昇気流となる。そしてそれらは実は南北方向の風であるはずだった
。しかし、この地球の自転によって同じ経度のところを循環しない。地球が24時間で
一周する速さの中での空中を「上昇気流」「降下気流」を起こしている。その中で極気
流と赤道の偏西風の回転に釣り込まれ途中の日本付近の編成風は逆回転する。それが南
からの風である。こうして日本付近に下降流となって海面(地表面)に吹き下りる。こ
の変動が亜熱帯気候の特徴である。この降下して吹き込む力が、北が強いか南が強いか
常に戦っている。それを高気圧が阻む。しかしそれでも表面積の割合で南が勝つし、本
来なら上昇気流になる処が下降気流となる。だがそうして下降気流の中で中間部はギヤ
の様に逆転するため力の行き場が無く、偏東ジェット気流が上昇気流に生まれている。
そこに余分な力がコリオリの自転の力と合され、大きなジェット気流に変わるがこの気
流は自転について行けないでそのまま逆方向の流れの強い風になる。これが極の編成風
と合されば寒い北風となり四季を織りなすのである。この上空の風が先の離岸流と同じ
に宇宙まで登れない空気の流れなのである。

764: 名無しさんAA:18/09/30 13:54
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐22  

 宇宙でも似たように逃げられないエネルギーの流れがあると思われる。それがどうい
う姿で影響かは不明だが、おそらくそれらは歴史を形成し、人の生活にも及ぼしている
。実はプラズマ帯流は、固体・液体・気体 の次に来る第4の物質形態で電波体とされ
る。稲妻が光ると電気が流れ電波が生じるのは、その為とされる。つまり電気体や帯電
体は中お電子のその動きそのものがエネルギーに変化したものである。重力による位置
エネルギーと同じに磁場による位置エネルギーが生じる。それが電気だなどと説明がな
くとも現代生活に人々は充分体感し、モーターは色々なところに使われている。実はい
まの新型原子炉はこのプラズマによって封じ込めて核融合を起こす事を目標に開発され
た。しかし、それが今や日本のこの技術はサイクロトロンなどの粒子加速器として使用
され、研究機関の施設で運用されて、事情が変わった。ヤンガードリアス期に戻って、
推考すると、この頃にすでに農耕の芽生えの定住化があったのは確かなようだ。東京の
古代オリエント博物館では、世界各地の古い土器など約200点を集めた博覧会が開か
れたが、研究員の西アジア考古学は、「今の処、東アジアの土器が世界で一番古いのは
間違いありません」と言う。現在の世界最古と考えられる土器の一つが、青森県大平山
元T遺跡の縄文土器である。この土器の放射性炭素年代から推定すると、約16000
年前。これらのことは、遅くとも15000年前には日本列島で土器が使われていた。
と考えられる。ところが、他地域の最古の土器をみると南アジア、西アジア、アフリカ
が約9000年となっている。これは、四大文明の故地と比較しても、日本はとびぬけ
て古い。又、ロシアの遺跡などでは、約15000年前と考えられる土器も見つかって
いる。この所、平和で遺跡が見つかりやすくなり世界で発見が相次いだ。日本だけが古
いというより、東アジア全体は古い時期に土器が生まれ発達した。と解った。中国湖南
省でも約18000年前のものとされる土器が確認された。「なぜ東アジアなのか」は
、未だ不明だが。日本考古学者は言う。「土器の誕生は、当時の環境の変化と深いかか
わりがあると考えられ、日本では、氷河期が終わりに近づいた16000年前〜150
00年前、気温上昇にともない、亜寒帯的な森林から落葉樹もまじる森林へと変化した
結果出来た。どんぐりなどの植物性の食糧が入手しやすくなり、それらを食べるための
、あく抜きに必要な容器として土器が生まれたのではないか。」と。現在国内最古と考
えられているのは、模様のない無文土器である。東日本で出土している。約14000
年前になると粘土紐を張り付けた縄文土器が生まれ、全国へ広がる。「固い果実類であ
るコナラ、樫、椎などの分布が広がったことで、土器も普及したのだ。」という。

765: 名無しさんAA:18/09/30 14:25
 一方やはり最古級の土器が出土したロシアでは、防寒や調理に使う魚油を取るために
、魚を土器で煮ていた可能性が指摘されている。「土器使用の始まりには漁労も大きく
関わっているとにらんでいます」と古代オリエント博物館研究部長の石田恵子さん(西
アジア考古学)はいう。つまり生まれた理由は様々なのかもしれない。とされる。さら
に、土器はある一か所で誕生し広がったのではなく、おそらく複数の場所で前後して、
発明された可能性も指摘される。「日本列島に関しても、最古級の土器は東日本に多い
が、遅くとも13000年前ごろに鹿児島でも無文土器が使われていたと思う。北と南
で別箇に土器が生まれ、それらが広がったと考えるべきだ。」と、南九州縄文研究会代
表は指摘する。土で作られた容器としての土器が、中東などでどうしてなかなか作られ
なかったのだろうか。西アジア先史学によれば、「西アジアでは土器の利用以前から焼
いた土製品は作られていたという。つまり彼らは粘土を焼くと固くなることを知ってい
たのである。つまりは、見つかっていないだけかも知れない。だが実際に土器が使われ
始めたとされるのは9000年前で、理由について常木さんは「西アジアでは先土器新
石器時代から小麦が主食。パンを焼くのに、土器を作る必然性はなかったのだと思いま
す」と語る。つまり土器そのものがパンなどを焼く窯が作られてそれが土器を作った。
とも考えられる。ロシアの零下では魚は釣った途端に氷冷され凍ってしまう。それがそ
のまま売られている。これはこの時代からの伝統ではなかったか。それを解氷するには
この窯や炉や囲炉裏などは重要な物だったと思う。つまり氷でコーティングされた品物
は、次にいぶされ油煙でコーティングされたのだ。現代の干物である。少し前までの、
歴史学、考古学では、土器の誕生は農業や牧畜の開始、ひいては文明の発生と関連づけ
て論じられることが多かった。だが近今の東アジアでの発見は、狩猟や採取を基盤とす
る社会でも、土器が必要とされ、生まれ得ることを示唆する。歴史発展のモデルは決し
て一つではなかった様なのだ。最古の土器たちは、そのことを改めて教えてくれている
。縄文土器の作り始めの時期には土器の制作量はそれほど多くなかった。次の早期に入
ると、たちまち増加し、遺跡には夥しい数が残されるようになった。実際、農耕社会の
弥生時代における弥生土器の量に肩を並べるほどであり、本格的な農耕を持たない社会
としては、世界のいかなる地域の土器保有例と比べても縄文時代は断然際立っている。
それだけ、土器の使用が盛んだった理由は高温多湿の中の食事には、細菌汚染に乳酸菌
やそうしたコーティングのものが必要だったのだろう。このことは、縄文人の食事には
既に煮炊き料理が主流であった事実をよく物語っている。獣類、魚介類の大部分は生で
食され美味である事はよく知られている。しかし、日本では適さず又植物性の多くは、
生食には適さず、火熱を通してはじめて食物となるものが多い。

766: 名無しさんAA:18/09/30 15:21
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐24   
 人間の消化器官が生理学的に受け付けないシロモノを火熱によって化学変化を誘発し
て消化可能にする作用は、さらに重要な分野に好影響をもたらした。渋みやあく抜き、
解毒作用にも絶大なる効果をもたらした。どんぐり類がやがて縄文人の主食の一つに格
付けされ、食糧事情が安定するのは、まさに土器による加熱処理のおかげである。改め
て、狩人一辺倒としての縄文人のイメージを拭い去る必要がある。ただし、肉類の摂取
を低くみてはならないし、狩人としての活動は縄文社会ではきわめて重要な位置を占め
ていた。それにしても、この植物食の開発と利用の促進によって、食糧事情が旧石器時
代の第一段階の当初とは一変し、比べものにならないほどに安定したようだ。まさに、
第二段階の縄文社会が、大陸における農業を基盤とする新石器社会に負けをとることな
く、堂々と肩を並べるほどの、文化の充実を保障した。実は人間の進化は農耕に食生活
が変わったとされるが、逆で食生活で農耕に変わったと私は見ている。生の危険性は、
極寒時代とは比べ物にならないぐらいだった。煮炊き料理の普及はこの生命維持の有力
な要因となったのである。つまり経験的に人は知識を蓄え子孫に残して料理を紡いだの
である。土器の絶大なる歴史的意義は、高く評価されなければならない。それは何故も
こうも人が早く進化したのか。の答えがこの火を使った食生活にあったと思うからだ。
火を使う事は、一つは常に光の赤外線を浴びる事だ。更に細菌を遠ざける事は程々に体
内に受け入れる。と言う事でもある。そして、植物などの租借は唾液などを促し、脳の
活性化があった。ヤンガードリアス期が10800年前だが、その前に、氷期末亜間氷
期と言う温暖期が14000年前にもあった。この時は恐竜時代 ではあったろうが、
土器が作られていないのは新鮮な肉が手に入ったからかも知れない。今、古い遺跡とし
て知られるのは、ギョベクリ・テペの遺跡である。この遺跡の遺丘に残された構造物は
紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられたとされる。祭祀に用いられたと考え
られたこれらの構造物には2段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A)では
巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。物理探査(リモートセ
ンシング)により石柱の総数は2百本以上、それらの描き出す円が20以上確認されて
いる。各石柱は6メートル以上、重さは20トン。それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ
込まれている。第二段階(先土器新石器B)では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床
を持つ長方形の部屋に立てられた。遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は
1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィック・スキャンによって明
らかにされたという。これはともすれば更新世を1000年遡行することになる。先土器新
石器B期が終わると遺跡は打ち捨てられた。とされる。

767: 名無しさんAA:18/09/30 15:21
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐25   

 現存している世界最古の建造物と言えば、エジプトのピラミッドを思い浮かべる人が
多い。しかし、それよりも遙かに古い時代の建造物が発見されたと話題になった。それ
がこのトルコのギョベクリ・テペ遺跡である。ギョベクリ・テペの石造構造物は、放射
性炭素年代測定により、なんと紀元前1万年〜紀元前8000年に建造されたと特定されて
いる。石柱には複雑なレリーフが施されており、この時代には考えられない高度な技術
が使用されていて注目される。鉄もない石器時代に、なぜこのような建造物が造られた
のか。これがトルコの世界最古の建造物「ギョベクリ・テペ遺跡の謎」とされる。この
巨石の配列を見ると、イギリスのストーンヘンジが真っ先に思い浮かぶような円形だ。
しかし、トルコのギョベクリ・テペ遺跡はストーンヘンジよりも、さらに古い時代に造
られている。ストーンヘンジは、紀元前2500年〜紀元前2000年の間に建造されたと考え
られていて、ギョベクリ・テペ遺跡は、それよりも7〜8千年も昔に建造されている。
ギョベクリ・テペ遺跡では、巨大なT字型の石柱が、いくつも円を描くように並べられ
ていて各石柱は6メートル以上、重さは20トンもある。どうしてこうした巨石が積み
あげれたか不思議だが多分に象や恐竜が使われたのかも知れない。ギョベクリテペは何
と一つの建造物ではない。巨大サークルの集合体である。最初は祭祀用の神殿と思われ
た。しかし神殿遺跡としては不釣り合いに、付近一帯に同じ幾つかの建造物が確認され
ている。今やそれらを総称してギョベクリテペと呼んでいる。主に円形を中心に考えら
れたデザインは、パッと見中世のヨーロッパの城を彷彿とさせる物がある。しかしこれ
は単に土圧に強い形を見い出した結果が円だったと思われる。私は動物を入れた檻であ
ったと思っている。農耕でない肉食での食の保存はその動物を飼うこと以外にはない。
重さ平均50トンもの巨石を幾つも切り出し、加工し建築にあてた理由は猛獣だったから
に他ならない。中心部分には二本の柱が立ち、その周りを円形の壁に覆われている。こ
の壁が城壁の様にも見えますが、特筆すべきは内部の巨石の殆どはT字型に切り出され
ている事だが。これは屋根をつけ日差しや雨や砂嵐を避ける為に梁を通そうとした為と
考えられる。つまり厩舎だったのだろう。こうした事は、いずれにせよ当時から巨石を
切り出す技術、人員は存在し巨木があった事になる。更に柱の装飾として野生の動物達
が彫刻されている。これには集団と技術が必要だ。一説のこれは落とし穴の罠と同時に
、動物を飼っていた言う説の確証だろう。この温暖化はその後も様々な事をもたらした
とされる。しかし天候は常に変わり、またも氷河が訪れたり洪水などが村を襲った。


768: 名無しさんAA:18/09/30 15:24
 NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐26   
 1万2千年前頃にアラスカを通って、北米大陸に渡ってきたとされるネイティブアメ
リカン伝説は、洪水があったことを語り継いでいるが。それらは現実的に認められ、そ
れによってギョベクリテペは全滅したのだろうととも考えられている。旧約聖書に出て
くるノアの方舟時代だが、多くの遺跡は、その実存した時期がある事が発見されている
。実はこの洪水に関する話は、北米だけに限ったことではない。中国南部、沖縄から東
南アジアに広く分布する 「洪水説話」 というものも存在する。日本においては、伊邪
那岐(イザナキ) ・伊邪那美(イザナミ) という二柱の兄妹神による国産みの説話が
それにあたる。この「洪水説話」というものは、世界の諸神話に共通して見られるテー
マでもある。 聖書 (旧約聖書)『創世記』 のノアやノアの方舟、 インド神話、ヒン
ズー教のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオン、および『ギルガメシュ叙事
詩』のウトナピシュティムの物語などは、よく知られた神話である。現在の世界の文化
のうち大部分が、古い文明を壊滅させる「大洪水」物語を有している。この「大洪水」
に関する物語の起源について、何人かの地質学者は、遠い過去に実際に起きた河川の大
氾濫が、こうした神話に影響を与えたのだと考えている。だが、その観点だと、これだ
け共通した神話を世界中で語り継がれている理由には答えられない。そこで答えられる
ものとして、ただ一つ、この伝説になるような大雨が降り、世界中が大洪水に巻き込ま
れた。と考えられている。そうした中には、幻の大陸というものも幾つかある。その中
で有名なのは、アトランティス伝説である。「今から約1万2000年前、現在のジブラル
タル海峡の西に、アトランティスという巨大な島があり、そこに高度な文明を持った王
国が存在した。」という伝説です。この国はあまりにも栄えたため、国王も人々も堕落
し、それが神の怒りに触れ、大地震・大洪水を起こされ、一昼夜にして島ごと沈没した
とされている。更に又ムー大陸がある。「イギリス陸軍大佐を詐称したアメリカの作家
である、ジェームズ・チャーチワードが「失われたムー大陸」(1926年、1931年)をヒッ
トさせ知れ渡った。一連のその原著は、チベットの寺院で発見した古代の粘土板の中に
求めた。と主張し話題になった。今から約1万2千年前の太平洋の中央一帯にあったも
のとされるが、しかし、このムー大陸の存在はほとんど専門家には戯曲とされて信じら
れてはいない。世間の認知度は高いものの、現存する以外の大陸規模の陸地があったと
する説には否定的である。しかし近年の地質学的知見を元に、氷河期に陸地として存在
した東南アジアのスンダランド、オーストラリア大陸とニューギニア島などを合わせた
サフールランド、東シナ海や琉球古陸、などが現在の大陸棚にの上に存在した。とする
報告が相次いで上がって来てにわかに調査対象となる事になった。

769: 名無しさんAA:18/09/30 15:31
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐27   

 実は、その他にも例えば、エジプト文明なども3千年前であり、この1万2千年前で
は始まらない。いわゆるノアの箱舟の神話時代の話である。しかしこのノアの箱舟も又
『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティムの物語の塗り替えである。と見られてい
る。では世紀末的洪水の地層にある遺跡の確定証拠は何処にあるのか。実は1996年に、
ハッブル宇宙望遠鏡は宇宙の遥か彼方に存在するフォトン・ベルトの撮影に成功してい
る。先に言った宇宙のプラズマエネルギーの対流帯である。実は宇宙は幾つもあって、
その中に我々の銀河宇宙が球形で存在する。その中に銀河星雲とかアンドロメダ星雲と
かが収まりその中に銀河系がある中のミルキーウェイつまり天の川銀河の端に太陽系が
収まっている。この中で大熊座からものすごい回転エネルギがあってその方向に地軸は
磁気を帯びている。ではそれはどういう形かと言えば多くの天体を輪切りにする形に薄
く放射した重力プラズマ帯が2次元の紙の様に存在する事が解ったのである。これが、
水面の波の様に3次元に放射したものか、逆に横切る膜の絵や垂れ幕の様に横から来て
いるのか不明だが、これまでオカルト科学だったフォトンベルトを捉えられた事は事実
となった。この軌道をもつとされる銀河系や太陽系は、凄まじい速度でフォトン・ベル
トに近付きつつある。とされる。様々な預言では、既に過ぎた2012年や2015年に地球が
大変革することが語られていた。科学的にも歴史的にもこの伝説は証明されているよう
だがその事実はない。NASAをはじめとした科学技術集団は公言はしないが、スペー
スシャトルを飛ばさないのは、こうした事が費用対宇宙リスクが割に合わないと判断さ
れたから、と言われている。伝説ではこのフォトンベルトは一万二千五十年周期とされ
先の1万2050年に大洪水が起こった。2万4100年に氷河が去った。3万6200年に恐竜が
絶滅した。と断言されている。なぜ1万2050年かが解らないが、この伝説によれば既に
その川縁に今、銀河系は行きついて来ているとされる。又去年から太陽光の分極運動が
認められて いままで覆われていた放射能は何%か何割か不明だが、普通より8%以上
は、多く放射熱線や放射光は放たれているはずだと言われる。オカルト科学では、フォ
トンは、物質すら変質させてしまうという程のすさまじいエネルギーの塊で、人体をラ
イトボディ化してしまうといわれる程だ。人体がライトボディ化しさらには覚醒すると
、それまでとは一変し覚醒化により、至高感、平静、無条件の愛、洞察に満ちた意識の
状態を体験するようになり、これまでは封印されていた超能力も開花するのだともいわ
れる。ほんまかいな。人間が超能力者に変化する?と騒がれているのである。

770: 名無しさんAA:18/09/30 15:59
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐24   

 まあ、フォトン・ベルトが人類を霊的人間に進化させると言う説は、信じないのだが
、このフォトン・ベルトは、漂う膜なのか浴びせられる波なのかは解らないが、すでに
地球のある太陽系に影響を及ぼしている。と言える。木星や地球も人体も通り抜ける様
なこの見えない光は、少なくとも太陽には影響を及ぼして不完全燃焼し、強力な太陽風
を起こしたみたいだ。フレア嵐の異常は地球上を生き地獄にしている。異常気象である
。サハラ砂漠に雪がふり、アメリカが気温40℃〜−30℃の世界に入った。日本にも
竜巻が起き、大型台風が来る時代に入った。欧州は雪山が消え、山火事と洪水が頻発す
る。宗教家は言う。「この地球に生き進化の頂点にある筈の人類である我々は、果たし
て高次元への進化と「意識体」としての完成を心がけている人たちがどれだけいるのだ
ろうか。」と。「地球を、つまり生命体としての「母なる地球」を傷め、穢(けが)し
続けて、ついには死に至らしめるような行為に恥じることもないような存在にまで落ち
ている。そのような存在は、神の意思によって浄化されても仕方がない。「終末」とは
、「古い終わり」の終わりであり、「新しい始まり」の始まりなのだ。と思えば、地球
の進化に、ついていけない人々もでてくることになる。つまり選ばれし者と選ばれざれ
し者とが生まれることは間違いない。」と唱える。つまりオカルト信者の勧誘である。
しかし、「明確にいえば選択権はその人自身が持っているということである。……」と
結ぶ。シュタイナーが霊視した「アカシャ」に記録されているとされる宇宙は、更には
この地球の進化にあわせ、自らも霊的な存在であることを強く認識し、次段階の高次元
のステージへの進化と魂の完成に向けての自意識をもつことが重要。と説く。このアカ
シャもアカシックレコードの「アカシック」で、サンスクリット語の「アーカーシャ」
からきていて、日本での「虚空」の概念で「虚空藏菩薩の経典」に由来した、その英語
的な変化形である。オカルト科学界では、アーカーシャは近代の西洋オカルティズムを
作ったエーテルに置き換えられ説明され宇宙にまで発展した。ガイア理論にも影響して
いるが、元来はインドの伝統的な概念であって、オカルト的ニューエイジ的な意味合い
は全くないものだった。しかしアカシックレコードという言葉は全く近代ヨーロッパで
は魔法の媚薬的な言葉で神秘を輝かせた。世界大戦中に近代神智学を創始したヘレナ・
P・ブラヴァツキー(1831年〜1891年)などは、勝手にこのアーカーシャを生命力のよ
うなものと改訳し、これを以てアーカーシャは神智学の用語となった。古代思想が、近
代オカルト科学に変化した瞬間だった。


771: 名無しさんAA:18/09/30 16:03
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐29   

 近代神智学系の思想家・オカルティスト達の中で、エドガー・ケイシーなどが、物理
界・幽星界・神界・天空などの世界の果てに、それを取り巻くように不思議な境界線が
遠く伸びて、ここには全宇宙の歴史が時間の流れに従い、配列されており、これがアカ
シャ年代記を綴っていて、このアカシックレコードで決められた歴史を辿る。として予
言をし数々あてた。こうしてアカシックレコードは解読不能な言語によって記された書
籍やレコード盤みたいな存在と理解され「宇宙図書館」として重宝された。霊能者の、
ヒーディングセミナーもいろいろ開催され、盛んに謳われた。その中に、バルカン群の
小惑星の「想像バルカン群」がある、SFでの宇宙大作戦ではバルカン星人として有名
になったものだ。水星の内側の安定な帯を公転する仮想的な小惑星の群で、1915年に、
その存在が否定された仮説上の惑星バルカンに因んで名付けられた。バルカン群の小惑
星はこれまで発見されておらず、存在するか否定も肯定もされず、はっきりしていない
。もし存在するとしても、非常に小さく、また明るい太陽の近くにあるため、検出は難
しいと考えられる。また太陽に近いため、地上からの探索は、薄明時か日食の時にのみ
行うことができる。バルカン群の中の小惑星は、直径約100mから6kmで、恐らく重力的
に安定な帯の外縁近くの円形軌道にあると考えられている。バルカン群が発見されれば
、惑星の形成の最初期の物質や初期の太陽系の環境に対する洞察を与えてくれる。太陽
系の他の全ての重力的に安定な領域には天体が発見されているが、ヤルコフスキー効果
や、太陽系の形成と進化の初期の惑星の移動の影響等を、重力以外の力がこの領域から
小惑星を駆逐したのかもしれない。ヤルコフスキー効果は、ロシアの土木技術者イワン
・ヤルコフスキーによって見出された。基本的にラジオメーターの様な力だが朝の光に
よる熱の吸収と夕方の熱の放射拡散に時間差の違いがあって回転力を産む。という法則
なのだが、科学者でなかったヤルコフスキーは余暇に科学の研究を行い、1900年頃にこ
の研究成果を発表した。この自転する小惑星などの天体の「1日」の熱放射の不均一に
よって生じる微小な力の積み重ねが長い時間がたつと、その小天体の軌道を変化させる
と主張したものの彼の主張は長い間忘れられた。しかし、エルンスト・エピックによっ
て、小さな回転しない太陽系内の隕石軌道の変化などに、重要である可能性が再検討さ
れて大きく日の目を見た。しかしながら多くの小惑星は表面に凹凸があり球面が一様な
力を示さず、衛星などの大天体も表面に磁力線や電離層などで覆われ、その計算は今で
もかなり難しいとされる。

772: 名無しさんAA:18/09/30 16:04
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐30   

 実はバルカン群の小惑星の「想像バルカン群」が論文と共に重要視されたのが、この
地球に近づく隕石の様な物体である。近年ではロシアに隕石が落ちて、映像が取られて
かなりの反響を呼んだが、日本でもハヤブサUをのせて、JAXAは小惑星リュウグウ
表面に着地させて、その起源や組成を探査している。そうした小惑星の脅威を発表した
のが米国のNASAであった。2004年12月24日のクリスマスイブの日に、アメリカ航空
宇宙局 (NASA) が発表したニュースが世界を驚かせた。「2004 MN4 が2029年4月13日(
金曜日)に地球に衝突する確率を300分の1」と言う物だった。つまり小惑星が地球めが
けて飛んできている。と言う話である。一般にはそれがどういう意味だか見当もつかな
かった。この地球に接近する小惑星は「アポフィス」と名付けられてその後軌道や観測
が各国で行われ、後に2036年4月の接近時までは地球に衝突しないことが、軌道計算よ
り求められて発表された。この小惑星アポフィスに関しては一安心であるが、この時に
こうした直径が小さい500q未満の惑星は、かなり発見が難しい事が証明されたので
ある。近年、地球に接近する小惑星やカイパーベルト付近の小惑星がたくさん見つかっ
ていてこれらが衝突や何かの変化で地球に向かう事が判明した。これには周期的にやっ
てくる彗星が発見されたことが主な要因だった。それは1993年に発見された「シューメ
ーカー・レヴィ第9彗星群」である。この彗星が発見された後、その軌道を計算すると
、木星の回りを周回している軌道を重なって描いていることが分かった。その為にこの
シューメーカー・レヴィ第9彗星群は1992年に木星のごく近くを通過し、彗星の核が20
個以上に分裂していました。最小のものは45m、最大のものは1,270mです。そして 1994
年7月に木星に次々と衝突したのです。残念ながら衝突地点は地球とは反対側だったた
め、直接観測することはできませんでした。しかし、衝突地点が木星の自転で地球の方
を向いたときに、その衝突痕が観測される程凄まじかったのである。巨大な木星の最大
の衝突痕は、直径12,000kmと地球とほぼ同じサイズのものでした。木星は巨大な惑星な
ので、たった1kmほどの大きさの天体の衝突はたいした影響を与えないものと思われて
いました。しかし、衝突から何時間も経ってもはっきりと衝突痕が見えたことから、た
った1km未満の天体が地球に衝突したら、とんでもないことになるという危機感から、
地球に接近する小惑星の探査が本格的に始まったのでした。


773: 名無しさんAA:18/09/30 16:26
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐31   

 衝突する可能性のある小惑星は、アポフィスだけではない。2018年にアメリカ航空宇
宙局(NASA)の打ち上げた宇宙探査機「オシリス・レックス」が小惑星「ベンヌ」に到
着した。実はこのベンヌ小惑星も2169年から2199年の間に8回地球に接近し、そのどれ
かで地球に衝突する可能性が0.037%あるとされています(2016年時点)。現在、AIコ
ンピュータが格段に進歩して、複雑な軌道計算ができるようになったにもかかわらず、
衝突するかどうかは今だ確率でしか出ない。それだけ未知数が多いのがこの小天体とさ
れる小惑星である。これはコンピューターの軌道計算で生じる誤差の問題もあるのだが
、それ以外の要素も大きい。小惑星に限らず、太陽系の周りを回っている惑星や小惑星
等の天体は、「万有引力」の力によって運動している。その為、大きな天体の、惑星や
小惑星の引力の考慮して次々と位置を割り出していけば、何年後にどの天体がどこにい
るのかは比較すれば単純にわかる。しかし、小惑星や彗星のように小さい天体には、万
有引力もあるが、それ以外の力によっても大きく左右され、万有引力だけを考慮した様
な軌道計算では、直ぐに位置がずれてくる。昔の書籍には非重力効果というキーワード
と書かれている時もある、万有引力以外の力は、小天体ほど影響が大きいのである。地
底から出たガス噴出の力や先に述べた「ヤルコフスキー効果」と呼ばれる効果による力
だ。特に数km未満の小惑星でヤルコフスキー効果が大きく現れる。このヤルコフスキー
効果の、太陽の熱によって暖められた天体の表面からの熱放射の量が朝の地点と夕方の
地点で異なるため、その差によって力が生じる効果は地球上にも存在する。夕方の地点
が太陽によって十分暖められているため、熱放射の量が多くなります。それに対し朝の
地点は夜の間に冷えているので、熱放射の量は夕方の地点に比べて少なくなります。こ
の差が自転力のひずみとなって現れる。しかし計算上は、熱放射の差によって生じる効
果であまり大きな力ではない。そのため、天体が大きく重いとヤルコフスキー効果は現
れなくなる、特に地球には水蒸気気流に吸収されてそのエネルギーは内部に保存される
。つまりヤルコフスキー効果は困ったことに天体ごとに異なるものだった。天体によっ
て形が違い、また地表の物質も異なる。同じ太陽の光を浴びても暖まり方が天体によっ
て異なるためです。どのくらいの影響があるかを調べるためには、天体ごとの長期間の
観測を継続したり、もしくは探査機を飛ばしての観測やサンプルリターン調査を行い、
調べます。観測と軌道計算の差を見ることで、どのくらいの力が生じているのかを調べ
てやっとその計算が当たっているどうかが判明する。そうした類のものだったのである


774: 名無しさんAA:18/09/30 16:37
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐32    

 こうした観測の精度を上げる事によって、こうして万有引力以外の力を考慮した軌道
計算を行うことができて、ここ数年は飛躍的に軌道計算の精度があがった。精度の上が
った軌道計算を行うことによって、対象の小惑星が地球に衝突する危険性をより正確に
調べることができ、万一衝突すると判明した場合、地球に小惑星が衝突する前に対策を
練ることができる。その対策がスターウォーズ計画だったが、壮大な馬鹿げた計画だっ
た事がそこで新たにでたのが、4次元軌道計算の難しさだった。こうした研究は地味な
研究のようでいて、衝突による大被害を防ぐためには大事な国防研究となった。又小惑
星がどのような物質でできているのかを調べるということは、太陽系がどのようにして
形成されたかを知るためだけでなく、構成されている組成によって万有引力以外の効果
を調べる研究にもつながっている。特に組成を調べる研究は地球科学の枠組みで研究し
ている研究者も多くいる。以前は地球の研究と地球以外の研究は全く別物として考えら
れていた。近年になって地球科学と宇宙の領域は密接に関わり合っていて融合している
事が認められられて常識となっている。こうして宇宙を研究する分野は、天文学や物理
学だけではなく地球物理の枠組みでも宇宙の研究を行っている。今回見つかった、一万
二千五十年周期のフォトン・ベルトの発見と、二万数千年ぶりに地球が遭遇するフォト
ン・ベルトに、色んな分野が色めいている。というのもこの一万二千年前に人類は画期
的発展をしたし、二万五千年前に恐竜は鳥に変わった。現代の科学では138億年前の
ビッグバンの誕生後始まり、この銀河を持つシリウス宇宙が広がったとされる。理由も
巨大ブラックホールが巨大質量を持ちこたえられなかった為起こったとされる。ブラッ
クホールの回転は中央に質量やエネルギーを閉じ込めたが、行き場のないエネルギーは
兆特定波動の第3のエネルギーの塵の様なもの中芯から吐き出す。と言われる。しかし
まだまだ未定で宇宙は永く大きい。46億年前にこの太陽系が形成され始めて、45億
年前に原始地球が誕生した。ぞの後2億5千万年前に恐竜が突如出現し、6千5百万年
前まで繁栄していた。この2億年間も生きて居た恐竜が、これまた突如5千万年前には
居なくなっている。通説としては、6550万年前に巨大隕石の落下による環境の激変
があったとされる。生物の大量絶滅、そして恐竜も生き残れず絶滅したと言われている
。その恐竜が出現したころから絶滅までを、中生代という。この恐竜時代の中生代は、
最初に三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と過ぎる。三畳紀の名は、南ドイツで発見された地層
がこの世紀において、「赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩」の堆積条件の異なる
3層の地層の時代が重畳していたことに由来する。

775: 名無しさんAA:18/09/30 18:19
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐33    

 実際のドイツ周辺の地層は三畳紀中期のみの年代に限られる事だった為、三畳紀全体
を編年するにはアルプス山脈、ヒマラヤ山脈、および北アメリカ大陸北部の海生動物の
化石に富む地層が併用されて、国際標準を作って三畳紀と呼んだ。しかし、この赤色の
砂岩は地球が未だ火山噴火の多い時代であり、又、白色の石灰岸は海の中までも、酸素
が多くあり貝殻をまとった生物が闊歩していた事を示した。その代表的な物がアンモナ
イトや、三葉虫の化石である。しかしここでは、地球史上最大の大量絶滅があったとさ
れる、地球内部からのスーパープルーム(地殻変動)による火山活動(シベリア台地玄
武岩の形成)が認められ、地球上の生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅し
たといわれている。三葉虫、葉状サンゴ、紡錘虫類は絶滅し、繁栄した単弓類の種や属
のレベルでは絶滅し、大きく衰退した。軟体動物や、様々な二枚貝が死滅し、亜種のア
ンモナイトのゴニアタイトも絶滅し、アンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受けた
ようだ。腕足類二枚貝もまたスピリファを除く全てが滅んだ。棘皮動物においても同様
の傾向があり、海生生物の多様性は著しく種を失った。こうして生物は火山と共に海が
沸騰し死滅した。しかし、同時に盛り上った海底は、この時ほとんどの大陸が合体し、
三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸の形成もあった。その中
で極北や極南の入り江や沼などには比較的被害が少なく生き残った物がいたのだろと言
う。海中の泥に沈んで生き残った生物だ。元々貝も海中をカメの様に泳ぎたかったとさ
れるが、生き残りの種が三味線貝の様に砂の中の者らだったとされる。こうして今は、
あまり泳ぐことのない地表の貝は死滅し、又地中を住処とした貝が生き返り石灰を含む
砂岩の海に覆われた。この為に発見された3層の地層があると言う。しかしこの時に、
生物空席と言う時代となり、アンモナイトの変化から巻貝のもタニシ型からデンデン虫
型の太鼓型が飛躍的に増えた。つまり生き残った数種も又泳ぎ始めた変種が優位になっ
たのである。こうして「セラタイト型」が、爆発的に増えたのだ。セラタイトととは更
に貝の殻に強度や厚さを持たせた種族である。覆う殻を厚く固くして泳いだのだ。こう
して幾種ものアンモナイトの中で標準型となった。この三畳紀の海成層の示準化石を見
れば殆どの種が進化した事が解ると言う。翼形二枚貝、原生動物の放散虫、貝蝦(エス
テリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス(ミミズ型海
虫)など根本から形を変えた多様性が生まれたのだ。



776: 名無しさんAA:18/09/30 18:19
 NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐34    

 これに対し陸上も又変革を得た。動植物は最終局面のペルム紀中に、大変革を終えて
、海生生物の程には劇的ではないが、それでも主竜類などをはじめとするこの甲羅をま
とった様な爬虫類が、水中から陸上生活に適し増加し、三畳紀の最後には体躯の大きな
ものも出現して繁栄したのである。主竜類はワニに近かったと見られ、恐竜の祖先とさ
れる。エオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニの原種も出現し、また主
竜類に近い系カメ類が現れた。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚
をウロコや硬い甲羅でおおうことによって、乾燥した陸地への生活に適応していった。
これが恐竜時代の幕開けである。この時に既に多くの生命体の形態が初期型としてあっ
たらしく、人間の種もハツカネズミの様に小型の初期型哺乳類の祖先として生きて居た
とされる。昆虫も海洋生物が同じ様に陸上に這い上がり、植物との共生生活を模索して
いた。植物は光合成を思いっきり出来たらしく大木となる様に準備した。木々の木陰は
湿地を守り虫たちを繁栄させた。この虫や植物の新芽を餌にして確実に生物の楽園が生
まれていた。この虫や植物が捕食され、こうして生物の楽園となり、恐竜時代つまりは
大型動物の天下が始まった。三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と過ぎるが、ジュラ紀はそうし
た恐竜や原始植物の闊歩した時代だった。よく映画のジュラシックワールド恐竜世界は
この時代である。この恐竜の時代といえるジュラ紀の名前は、フランス東部からスイス
西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなんだ名前で、地中海
の家の外壁が白いのはこのジュラ紀層の石灰石が豊富に取れて外壁に利用されうつくし
いエーゲ海風の家の外観が出来ている。言わばジュラの風景なのである。ジュラ紀開始
も三畳紀末の大量絶滅から始まっていて。絶滅は地上と海洋の両方でおき、地上の方が
数百万年早かったと言われている。海洋生物の2割と恐竜・翼竜・ワニ以外の祖竜(主
竜類)、獣弓類が死滅し、その後に繁栄したとされる。大気中の二酸化炭素濃度は高く
、ジュラ紀は現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高かった。そのため動物、植物
はともに種類が増え、大型化していった。植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が
大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。またジュ
ラ紀の後半に被子植物も現れた。海洋でも再びアンモナイトや、プランクトンが繁栄し
、地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果た
し、始祖鳥が現れたのもこの時代である。ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での
魚類と言われ、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。また無脊椎動物には
いくつかの新しいグループが現れた。

777: 名無しさんAA:18/09/30 18:19
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐35    

 この恐竜が謳歌した時代に、大陸も前期ジュラ紀を通じてパンゲア大陸が、北のロー
ラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂した。白亜紀は地層学では、明確に違う性質の
土質の地層が出て来ている。成分の違いである。ジリコニアなど金属粉末はこの石灰岩
がその後セメントとして利用される化学反応の素になったが、超大陸パンゲアの分裂が
一層進んだ時の火山活動か隕石の影響かは、今でも議論がある。しかし、これで地理的
な隔離が起きたため、陸上の生物の多様性を更に高めた。地上の動物は、恐竜やワニな
どの爬虫類が支配的地位を占め、ジュラ紀に続いて全盛期は続き、地上、海洋及び空を
含め多種多様な進化を遂げて、そのまま白亜紀に移行している。そして巨大トンボまで
飛び交ったこの恐竜時代は何故だか突然終了する。 -Pg境界(ケイ・ピージーきょうか
い)と言われる地層境界である。この地層境は明快に見える。漸新世のはじまりとされ
6千550万年前とされる。生物発祥時代とsれる顕生代の大きな区分の一つである。
古生代・中生代・新生代と分かれる地質の時代区分の一つで、約 6,500万年前から現代
までに相当し、恐竜、海中ではアンモナイトと海生爬虫類が絶滅した後、哺乳類と鳥類
が繁栄したことで特徴づけられる。と説明される。古生代に存在した超大陸パンゲアは
中生代に分裂し、各大陸は移動し始める。新生代が始まると、これまで無かったインド
洋が湾であった物が切り離される。中生代の地球環境は温暖であったが、新生代に入る
と地球は徐々に寒冷化してゆき古第三紀の漸新世以後は南極大陸に氷床が発達し氷河期
に入る。動物は、新生代の始まりである「K-T境界」を境に中生代に栄えた 大型爬虫類
の多くが絶滅し、地上は哺乳類と鳥類の適応分散が始まった。植物では中生代白亜紀に
生まれた被子植物が全世界に広がっていった。暁新世末の約5500万年前に突発的な温暖
化が起こり、海洋の中層から低層に生息していた有孔虫の35-50%が絶滅した。この時、
海洋深層水の温度は5〜7℃、気温は6〜8℃上昇し5万年から10万年かけて元に戻った。
原因として当時の海底に大量に存在していたメタンハイドレートが融解し、数千年の間
に炭素量換算1500ギガトンのメタンガスが大気中に放出され、メタンによる温室効果と
その後メタンが酸化されてできる二酸化炭素による温室効果が想定されている。また、
この時メタンが放出されたとされる地形が北大西洋のノルウェー沖で見つかって2004年
に発表されている。1500ギガトンという温室効果ガスの量は、産業革命以来人類が発生
させてきた二酸化炭素量と今後発生させると予想される二酸化炭素量の合計に匹敵する
とされている。

778: 名無しさんAA:18/09/30 18:25
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐36    

 K-Pg境界(ケイ・ピージーきょうかい)とは地質年代区分の用語で、約6550万年前の
中生代と新生代の境目に相当する。顕生代において5回発生した大量絶滅のうちの最後
の事件。恐竜を代表とする大型爬虫類やアンモナイトが絶滅したことで有名であるが、
海洋のプランクトンや植物類にも多数の絶滅種があった。種のレベルで最大約75%の
生物が絶滅した。また個体の数では99%以上が死滅した。とされる。この時の異常さは
かなりの痕跡は残っている様だ。これまで地上・空・海で繁栄していた爬虫類であった
が、白亜紀の末には急減した。大量絶滅の影響を受けたためである。白亜紀末には地球
史の上で5回目の危機で、規模としては古生代ペルム紀末期の大絶滅( P-T境界)に次
ぐ大規模な絶滅が起きたのだが今だ原因は判明していない。ただ最も有力な説ではK-Pg
境界では、前述するように、メキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石(
チクシュルーブ衝突体)が落下したことが知られている。この隕石落下が、大量絶滅の
引き金になったとされるのが、今の定説に近い。この大量絶滅で、陸上生物の約半分、
海洋生物の約4分の3、生物全体で約7割が絶滅したと考えられてる。哺乳類・爬虫類
・鳥類の多くが絶滅し、特に恐竜は(現生種につながる真鳥類を除いて)全てが絶滅し
た。また、海洋においても、カメ、カンプソサウルス(チャンプソサウルス)類以外の
全ての海棲爬虫類、全てのアンモナイト類が絶滅している。しかし、アメリカで、この
大量絶滅から70万年後とされる地層からアラモサウルスの化石が発見され、議論を呼
んでいる。この発見は、カナダのアルバータ大学などの研究により確認され、論文がア
メリカ地質学協会の専門誌に掲載されている。地球惑星科学を専門とするポール・レニ
ー教授らが発表した研究成果によれば、精密な年代測定方法によって衝突時期が約6604
万年前(誤差は前後3万年)だったと特定された。前述の発表の 研究成果においては
、6604万年前に超巨大隕石が衝突し粉塵などが大気に広がったのと時期を同じくして、
6604万年前(誤差は後5万年)にデカントラップからの溶岩流出量が増加している事が
確認された。溶岩流出は隕石衝突で誘発されたものであり、この二つの事象が、同時に
作用して大絶滅が引き起こされたとも考えられている。こうした海の生態系が回復する
まで約四十万年かかったと推定されていて、その四十万年の中で恐竜は鳥に変わった。
と言われる。オカルト宗教科学では「浄化と癒し」というすべての惑星が体験するとい
う「通過儀礼」によって、「神の意思」は達成されて、進化が起きることが、宇宙の法
則であるという。惑星としての地球や我々人類が進化をするために必要な必然の出来事
の一つだ。という。

779: 名無しさんAA:18/09/30 19:42 ID:gyk
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐37    

 この小惑星衝突は、小さくともかなりのエネルギーがある事が解っている。隕石の衝
突では、隕石の持つ運動エネルギーが衝突時に解放される。運動エネルギーは隕石の質
量に比例し、速度の二乗に比例する。隕石の落下速度は、隕石の軌道が地球軌道とどの
ように交わるかで 大きく変化するが、少なくとも15km/秒、時には50km/秒を超える。
これを時速に換算すると最も遅い隕石でも5.4万km/時で、その落下速度は(空気抵抗に
よる減速を考慮しなければ)ジェット旅客機の巡航速度(約900km/時)の60倍に相当す
る。隕石が小さい場合は空力加熱(隕石前面の空気が圧縮されて摩擦加熱する)で地上
に落ちるまでに燃え尽きてしまうが、もう少し大きいと空気抵抗によって減速されなが
ら落下し地上に隕石として残る。直径50m以上の大きさで鉄隕石のように硬いものだ
と空気抵抗による減速の影響は少ないまま地上に激突する。この場合は隕石の持つ運動
エネルギーが大きいため、隕石本体は地面にもぐりこみながら激しい衝撃により爆発す
る。そのため隕石衝突のエネルギーを比較するには、核爆弾と同様に爆発のエネルギー
(具体的には代表的な火薬であるTNTの重量TNT換算)で表記する。ユカタン半島のメキ
シコ湾を作ったチクシュルーブ・クレーターを形成する隕石の衝突エネルギーはTNT
換算3×108 - 109メガトンと計算されているが、この量は冷戦時代にアメリカとソ連が
持っていた核弾頭すべての爆発エネルギー104メガトンの1万倍以上に相当するという。
隕石衝突で大気中に巻き上げられた塵や煤は、大きなサイズのものは対流圏(高度、約
11000m)まで上昇し数か月後には地上に落下するが、1000分の1mm以下の小さなサイズ
のものはその上の成層圏や中間圏まで上昇し、数年〜10年間とどまる。太陽光線に対
して不透明で、隕石落下後には地上に太陽光の量を100万分の1以下に減少させる。この
暗闇は対流圏に、大量に噴き上げられた煤や塵が地上に落下するまで数か月続き、その
期間気温が著しく低下し、光不足で植物は光合成ができず、北アメリカのK-Pg境界には
相当する時代の地層のハスやスイレンの化石からは、隕石は6月頃に落下したこと(ジ
ューン・インパクト)、落下直後には植物が凍結したことが分かった。またK-Pg境界の
直後の海洋においても植物プランクトンの光合成が一時停止したことが判明している。
隕石衝突で地上の暗黒化・寒冷化を「衝突の冬」と呼ぶ10年間をおこしたが、その後
、蒸発した石灰岩から放出された大量の二酸化炭素で温暖化が数十万年続いた可能性が
指摘されている。以上のように巨大隕石の衝突は衝突地点での破滅的な状況のみならず
、数ヶ月〜数ヶ年におよぶ地球全体における光合成の停止や低温を引き起こし、その後
も続いた環境の激変を生起させた結果多くの生物種が滅びた歴史を作った。とされる。

780: 名無しさんAA:18/09/30 19:42
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐38    

 白亜紀/第三紀(K/T)境界にジューン・インパクトが起こったとされるが この約6550
万年前(中生代と新生代の境目)の事件は、地球での宗教さえ産んだ様な事件だろう。
メキシコのユカタン半島に小惑星が衝突し、地層に K-T境界前後の花粉分析のから、そ
の花粉中に、ユリの花粉が発見されて、衝突時期は6月だと推定されてジューン・イン
パクトと呼ばれている。この衝突によるクレータのチチュルブ・クレーターは既知の中
の地球上のクレーター(隕石衝突跡)では三番目の規模である。この生物進化時代の始
まりがこの破壊的事件とされる。生物のいる顕生代(5億4200万年以降)以降に形成さ
れたことが確認されるものとしては最大級である。この衝突が、恐竜を含む大型爬虫類
はじめとする多くの生物が絶滅した白亜紀末の大量絶滅の原因として考えられているが
、問題は、この時に衝突した小惑星の大きさは直径10-15km、衝突速度は約 20km/s、衝
突時のエネルギーは広島型原子爆弾の約十億倍、衝突地点付近で発生した地震の規模は
マグニチュード11以上、生じた津波は高さ 約300mと推定されている。こうして地球
は氷河に覆われて行く。その最も初期のものの年代値は約6億3250万年前とされる。年
代分析によれば多細胞生物が見つかったドウシャントゥオ層の直前に、地球全体が赤道
部まで氷河に覆われ凍結したスノーボールアース時代があった事を示した。すなわち、
「スノーボールアース」期間が終わった直後に多細胞生物の繁栄が始まった可能性が高
いと考えられる。これは先の1万2050年周期説にも裏付けられるかも知れない。オカル
ト科学では、プレアデス星団の部分に今やフォトンベルトにかかって位置している事か
ら、銀河星団の中心には常にフォトンベルトが見えない星団としての直角に広がってい
る。と考えられている。私たちの銀河はちょうど今の宇宙時間にこのベルトに入ったと
言われる。フォトンベルトは長い間この太陽系の外にあったが、今、太陽系の中に入っ
て、今後地球に大きな影響を与える。と推測されるている。見えないフォトン(光子)
は高速で振動し、太陽系を刺激し激しく太陽フレアを誘発して太陽風、コロナ質量放出
を起こし、影響で地球の自然に変動を引き起こす。太陽のフォトンのエネルギーは、又
私たちの生体に影響してDNAを変え、私たちは高い周波数の中に飛び込みDNA変化
をさせ活性化させていくだろう。と言われる。かつての恐竜時代の時程には家の中で休
む為に、宇宙放射線は浴びないだろうが、それでも作物や他の生態更には気候など環境
悪化は、全く避けられない現象でこれが社会生活に悪影響を起こすのは決定的かも知れ
ない。


781: 名無しさんAA:18/09/30 19:43
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐49    初期の多細胞生物はこの時生まれ、エディアカラ生物群に代表される硬骨格を待たな
い生物であり、活動範囲も固着生活 または海底表面を這う生活であったとされる。生
物の這った痕や足跡の化石は生痕化石とされ、生物活動の中では重要な証拠とされる。
ところがある時期に一斉に多数の多細胞生物が硬い殻を持つようになり、海底に穴を掘
ってもぐるようになった。これが初代生物の顕生代の始まりである。カンブリア紀であ
る。カンブリア紀の示準化石はフィコデス属ペダム種の生痕化石とされ、その年代は、
ナミビア南部にある先カンブリア紀からカンブリア紀へ連続している地層の年代分析か
ら約5億4200万年前とされた。すなわちスノーボールアースが終わってわずか1億年弱
の間に多細胞生物は硬い殻を持ち海底の泥の中にもぐるようになった。硬い殻の獲得と
海底地下へもぐる行動は、いずれも強力な捕食者から身を守るための手段であったと考
えられる。実際カンブリア紀の地層からは当時としては、強大な肉食動物のアノマロカ
リスや、食物となる生物を捕獲するための長いノズルを有するオパビニアなどが見つか
っている。ショウジョウバエの研究では放射線はそうした細胞変化に傷をつける事が解
っていて、更に@PS細胞研究では、それらはわざと分化を抑えて細胞を保持している
事が解っている。つまり人の細胞に過去の地球の歴史が詰まっている事になる。軟体動
物→甲殻動物→恐竜→羽毛動物 軟体動物→表皮膚動物→哺乳動物と二つの系統は、今
後も共生して生きて行かなかければならない。人は複雑な細胞を持って数多くのDNA
を有した生物だが、恐らく危機対応の為に半分以上は機能せず過ごしているのではない
か。と思われる。脳細胞の進化と同じである。このこれまでの危機がDNA記憶の中に
詰まっている。と言う事になる。それが精子と胚卵に分けた雌雄の生物根源かも知れな
い。何回もあったガンマ線バーストも、それでも多くの生物は生き残り進化して地球を
覆って盛り返した。氷河期時代の当時の哺乳類は、身体が小さく、地下の穴に隠れたり
小回りが利いて、食べ物は、ほとんどの種類が昆虫食だったのだろう。その為恐竜の様
な大量の食糧は必要なく、少ないエネルギーで活動でき食べ物の昆虫と共に災害の影響
を、それほど受けなかった。又哺乳類の繁殖のサイクルは早いため、環境の変化に世代
交代を素早くして、適応しリスク回避できた。又哺乳類は胎盤を進化させて、十分成長
して子供を産んだ。か弱い存在である子供を影響の大きい卵から生存させることは、し
なかった。これは三畳紀から存在していた 初期の哺乳類のまだ卵を産んでいたと考え
られる中で、外敵からの保護した自然淘汰だったのだろう。中国の白亜紀前期の地層か
ら発見された哺乳類は、最古の完全な胎生の哺乳類だったことが判明し、その後の哺乳
類も胎生になったことが生存に有利に働いたと考えられている。比較的早くから胎盤の
胎児育成を図っていたようだ。

782: 名無しさんAA:18/09/30 19:46
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐40    

 アノマロカリスは、今から約5億2千万〜4億1千年前頃の地球に生息していた水棲
の絶滅動物である。、氷河時代から再生生命紀であった時代に、早く溶けたであろうと
思われる海底の火山などの温暖化した海中で他を捕獲して生きて居た。シーモンキーと
して有名なアルテミアの形をしたものだ。もっと言えば日本の水田に生息するホウネン
エビによく似た姿をしている。ヨーロッパ、北アメリカなどの内陸塩水湖(有名なとこ
ろではボンネビル・ソルトフラッツなど)に多く生息する。日本でも塩田に発生した例
があるが、持ち込まれたものと思われる。アルテミアは、節足動物 甲殻亜門 鰓脚綱
サルソストラカ亜綱 無甲目 ホウネンエビモドキ科 の属名で1科1属であり、所属す
る9種の総称ともなっている。しかし古代のアノマロカリスは、バージェス動物群と呼
ばれる分類群に属する生物であり、現在の常識では考えられないとても奇妙な姿をして
いた。アノマロカリスはカンブリア紀の地球において最大の生物であり、生態系の頂点
に君臨する最強の捕食者だったと考えられている。近年ではメディアで取り上げられる
機会も増え、世界中に多くのファンを持つ古生物となったが、アノマロカリスの名前は
「奇妙なエビ」という意味でつけられた。これはアノマロカリスが発見された当初には
触覚部分の化石しか見つかっておらず、研究者がこれを古代の奇妙な形をしたエビのよ
うな生物であると解釈したことに由来している。その後、口や胴体の化石も発見されま
したが当時の研究者はそれらを全く別の生物だと考えました。口の化石は太古のクラゲ
として「ペユトイア」、胴体は原始的なナマコだとされ「ラガニア」という名前まで付
けられいた。しかし長い間疑問だった研究者は、これらの化石を合わせた。古代のエビ
であるとされていたアノマロカリスの化石には肢が生えておらず、クラゲの一種とされ
ていたペユトイアの内側には歯のような突起物の痕跡があったからだ。これらの疑問を
受けて化石の再調査をおこなった結果、3つの生物に分けられていたそれぞれの化石は
、同じひとつの生物だということが判明した。これらが持ち合わされシャッパの様な、
泳ぐエビである事が判明した。この化石が最初に発見されたアノマロカリスの大きさは
1mもあった。この大きさは生物種のほとんどが小型だったカンブリア紀においては相
当に巨大なものでした。またその後、1995年に発見された「アノマロカリス・サロン」
はそれまで見つかっていた中でも最大で、その全長はなんと2メートルを超えていまし
た。アノマロカリスは圧倒的な巨体でカンブリア紀の生態系の頂点に君臨していた事で
あろう。

783: 名無しさんAA:18/09/30 19:47
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐36   

 アノマロカリスは多くのヒレを持つことによって当時の生物の中では、一番高い遊泳
能力を持っていました。アノマロカリスの体は横に平たい形状になっており、胴体部分
には13対にもなるヒレのような部位を備えていた。シャッパのヒレがおおきくなった
ようなものだ。尾に当たる部分にも3対のヒレがあり、これらを器用に動かすことで泳
ぐための推進力を得ることができた。頭部には横に突き出した1対の大きな眼があり、
下部には丸い円のような口が存在しました。触覚で捕まえた獲物をこの口に運び、逃が
すことなく食していたと考えられています。大きな眼で獲物を見つけ出すと、触覚を器
用に使って捕食することができました。カンブリア紀の地層から見つかる三葉虫の化石
には何者かに噛みつかれたとみられる傷跡が残っていることがあり、これらはアノマロ
カリスによる攻撃痕であると考えられています。アノマロカリスの仲間の中には小型の
種も存在していて、これらは触手に付着したプランクトンなどを食べる濾過摂食性(ろ
かせっしょくせい)の生物だった。と考えられています。大小様々な種が存在したアノ
マロカリスは、当時の海で特に繁栄に成功した生物のひとつといえる物でしょう。アノ
マロカリスの眼は複眼になっていて、ひとつの眼に1万6千個もの個眼があったことが
わかっている。複眼を持つ生物は現在でも存在しており、飛翔するために視力を発達さ
せたトンボやハエなどがこれに当たる。アノマロカリスの複眼はトンボに迫る数であっ
たことから非常に優れた視力を持っていたと考えられています。こうしてアノマロカリ
スの生態はかなりエビやシャッパに近く、今日本のシャッパでも水槽のガラスを割るぐ
らい腕の力はすごい。化石の研究が進むうちにアノマロカリスの口は2つあったことが
わかった。2つの口といってもそれらは別々の場所にあるわけでなく、頭の下部にある
口の中にもうひとつの口が存在していました。人間でいう唇と歯の様な関係の口だ。ア
ノマロカリスの口は二重構造になっており、内部と外部が交互に開閉する仕組みになっ
ていたのです。そのためアノマロカリスに噛み付かれた獲物は咀嚼されながらも、必ず
どちらかの口に捕らえられている状態である。アノマロカリスの口は一度食らい付けば
決して獲物を逃さない非常に恐ろしい構造になっていたのです。とは言え多分に噛む力
は弱く、脱皮した同じアノマロカリス類の幼虫や柔らかい三葉虫や硬い外殻を持たない
生物を主食とし、口が体の下側にある事でで最初は海底を這い回る生き物達を食ってい
たようだ。その後、次第に海中で泳ぐ遊泳性の生き物に進化し、肢を退化したのではな
いかといわれている。


784: 名無しさんAA:18/09/30 19:47
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐37   

 ところがこのアノマロカリスの口の力は弱かった事は他でも証明される。強力な肉食
イメージを持つこの恐ろしい口は、そのイメージに反して意外にも貧弱だったとする研
究結果が多数出でいる。アメリカの古生物学者ジェームズ・ハガドーン博士はコンピュ
ーターを使ってアノマロカリスの体の構造を調査し、アノマロカリスの咬む力は現生の
捕食者に比べると非常に弱かったことがわかったのです。こうして数百にも及ぶアノマ
ロカリスの化石が調査され、硬い獲物を噛み砕いていたのなら当然あるはずの傷痕が見
つからない。また、胃の内部や排泄物からも硬い殻を持った生物の痕跡は発見されてい
ません。このことからアノマロカリスは脱皮直後の柔らかい三葉虫や硬い外殻を持たな
い生物を主食にしていた可能性が高く、巨大な体と二重構造の口を持つアノマロカリス
は当時の海においてクジラがオキアミを取るようなシステムなど他に理由があったと思
われる。長きにわたってカンブリア紀より新しい地層から化石が発見されていなかった
為に、アノマロカリスはカンブリア紀にのみ生息していた生物である。とされたが、近
年になってオルドビス紀やデボン紀の地層からアノマロカリスの化石が発見され始めた
。これはアノマロカリスがカンブリア紀からデボン紀のあいだを生き抜いていたことを
示している。デボン紀の地層から発見されたアノマロカリスは「シンダーハンネス」と
いう名前の小型種で、体長は10センチメートルほどしかありませんでした。このシン
ダーハンネスの発見によりアノマロカリスはおよそ1億年にわたって繁栄した種である
ことがわかった。このシンダーハンネスの発見によりアノマロカリスはデボン紀の前期
まで生き残っていたことがわかった。しかし、大型のアノマロカリスはオルドビス紀の
後期に起こった大量絶滅によって地球上から姿を消してしまったと考えられています。
オルドビス紀の大量絶滅の原因は諸説ありますが、現在では地球の近くで発生した超新
星爆発による「ガンマ線バースト」がその原因だといわれています。ガンマ―バースト
は大型の恒星が寿命を迎える際には超大規模の爆発を引き起こし、その後ブラックホー
ルが形成され、その過程で生命に有害なガンマ線を大量に噴出する自然現象が起こる。
とされる事象だ。これがガンマ線バーストです。ガンマ線バーストは、たった数秒しか
地球に降り注ぎませんでしたが、その一瞬で全生物種の85%が絶滅してしまったとされ
る。大型のアノマロカリスもこのガンマ線バーストによって絶滅してしまったのです。

785: 名無しさんAA:18/09/30 19:51
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐38   

 ガンマ線バーストを起こす元となる仮想的な天体をガンマ線バースターと呼ぶ。2005
年現在では、ガンマ線バーストは極超新星と関連しているという説が最も有力である。
超大質量の恒星が一生を終える時に極超新星となって爆発し、これによってブラックホ
ールが形成され、バーストが起こるとされる。多くのガンマ線バーストは何十億光年も
離れた場所で生じている事実は、この現象が極めてエネルギーが高く、太陽が百億年間
で放出するエネルギーを上回るとされる。しかしそれは、めったに起こらない現象であ
る事を示唆している。一つの計算では1つの銀河で数百万年に一度しか発生しない。と
されていて、これまで観測された全てのガンマ線バーストは銀河系の外で生じている。
似たような現象として軟ガンマ線リピーターがあるが、これは銀河系内のマグネターに
よるものである。ガンマ線バーストが銀河系で生じ、地球方向に放出された場合、大量
絶滅を引き起こすと仮定されている。しかし、天体物理学界ではガンマ線バーストの詳
細な発生機構についての合意は得られていない。 ガンマ線バースト(GRB)は、天文学
の分野で知られている中で最も光度の高い物理現象である。ガンマ線バーストでは、ガ
ンマ線が、数秒から数時間にわたって閃光のように放出され、そのあと]線の残光が数
日間見られる。この現象は天球上のランダムな位置で起こり、一日に数回起きている様
だ。そこでガンマ線バーストの名前は、略称の「GRB」に、発生時刻 の西暦下2桁、月
、日の6桁の数値で決まる。同日に複数のガンマ線バーストがあった場合は、A、B、C
…という順にアルファベットが付けられる。例えば2008年9月16日に3番目に発生したガ
ンマ線バーストは「GRB 080916C」となる。ガンマ線バーストは1967年7月にアメリカの
核実験監視衛星ヴェラによって発見された。発見されたGRBは後にGRB 670702 と名づけ
られた。ヴェラは核兵器の爆発実験により放出される放射線を検出する目的で作られた
衛星だが、発生源が不明のガンマ線のバーストを検出することで問題があった。1973年
にアメリカのロスアラモス国立研究所の研究者が、この衛星のデータから、これらの、
バーストが太陽系外からやってきていることを突き止めた。宇宙から飛んでくるガンマ
線は地球の大気によって遮られるため、ガンマ線バーストは大気圏外でしか観測できな
い。その為、研究者たちは、より高性能のガンマ線検出器を衛星軌道上に打ち上げれば
「GRB」の位置を迅速に求められると考えた。しかし残念ながら、1970年代になって、
高性能のガンマ線センサーが打ち上げられたものの、バースト源の位置を特定して詳細
に調べるが特定出来ず。衛星が示したバーストの発生位置付近を可視光で観測しても、
それらしい天体が全く見つからなかった。この問題はそのまま進展しなかった。

786: 名無しさんAA:18/09/30 19:52
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐39   

 しかし1991年にアメリカ航空宇宙局はコンプトンガンマ線観測衛星を打ち上げた。コ
ンプトンに搭載された新しい観測装置 BATSEはガンマ線バーストを検出し、その天球上
の位置を十分な精度で決定することに成功した。 BATSEによって、ガンマ線バーストに
は少なくとも2種類、「硬ガンマ線バースト」と「軟ガンマ線リピーター」が存在する
ことがわかった。 BATSE観測は、毎日2、3個の GRBを検出し、それらが天球全体にわ
たってランダムに分布することを発見した。バーストが我々の銀河系内で起きているの
であれば、銀河面に沿ってより多く分布するはずである。バースト源が銀河系の銀河ハ
ローに付随しているとしても、銀河中心により多く分布するように見えるはずである。
またもしそうなら、近傍の銀河も同様の銀河ハローを持つと期待されるが、これらの事
で、銀河の銀河ハローに暗いガンマ線バーストの輝点が見られるようなことはなかった
。この後も観測、議論が続けられた。1990年代末には GRBが銀河系内で起きるとする説
は否定され、イタリアとオランダの BeppoSAX衛星によってもたらされたデーターから、
天体外天体、つまり銀河宇宙外からのものと判明した。又、巨大望遠鏡を持つアメリカ
のキットピーク国立天文台の90cm望遠鏡を使って光学天体を検出した。このスペクトル
の吸収線の結果は大きなドップラーシフトを示していた。 赤方偏移の値は 0.835 であ
った。ハッブルの法則を当てはめるとバースト源は数十億光年の彼方にあることになる
。これらの観測に続いて天文学者たちは、バースト発生の数時間後あるいは数日後に、
より暗い可視光や電波の残光を検出することにも成功した。赤方偏移のデータもより多
く集まり、バーストが遠方の宇宙で起きていることがはっきりした。このGRB 発生位置
の可視光観測によって、バーストと超新星の間につながりのある可能性が浮かび上がっ
てきた。これらの観測は決定的なものではなかったが、これらのデータからは、天体物
理学者たちは GRBが超新星と関連していることに自信を持つようになってその後の観測
衛星がいくつも打ち上げられた。この頃、非常に高密度の環境では光子は外へ逃げ出す
ことができないため、天文学者たちは最初天体から物質のジェットとしてエネルギーが
放出され、ガンマ線は天体からある程度離れた領域で内部衝撃波によって作られると理
論付けている。2001年11月21日、BeppoSAX はある GRB を捉え、このバーストはハッブ
ル宇宙望遠鏡によって観測が行なわれた。 GRB 011121 の進化が長期間にわたって追跡
され、観測が得られた。光度曲線は超新星の光度変化モデルと一致した。しかしながら
GRB 011121 のスペクトルは得られなかったため、超新星とのつながりを結論付けるこ
とはできなかった。しかしこの観測で 超新星爆発によるものが決定的だろうという。

787: 名無しさんAA:18/09/30 20:11
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐40   

 宇宙空間を飛び交う高エネルギー放射線は「宇宙線」と総称されるが、これらは絶え
ず地球にも降り注いでいる。そのほとんどは、地球を包むオゾン層に阻まれ、弾き返さ
れている。しかし中にはオゾン層のバリアを無効にするほどの強大なエネルギーを持つ
宇宙線がある。それが、広大な宇宙のどこからともなく放出される「ガンマ線バースト
」である。もしガンマ線バーストの直撃を受ければ、地球が破局を迎えることは必至で
、たとえ近くをかすめただけでも地球上の生物の大量絶滅につながるということになる
。こうした大いなる脅威であるこのガンマ線バーストの正体は、もう少し探って行きた
い。基本としてガンマ線バーストとは、宇宙空間の、突然の放射線大閃光である。ごく
僅かな間(0.01秒〜数分)放たれるが、ある意味では一大スペクタクルともいえる演出
を伴うアニメチックなドラマ的な現象だろう。現在の天文技術になって、1日に約1回
の割合で観測されているが、その原因や正体はまだまだ謎に満ちている。ドイツのデザ
イン会社が、「宇宙からやってくる死 ― ガンマ線バーストの解説」という動画を投稿
し、その解説によれば、ガンマ線バーストには“ショート”と“ロング”の2種類あり
、それぞれ発生原因が異なるという。放射時間が短い「ショート・ガンマ線バースト」
は、2つの中性子星同士の衝突と合体によって引き起こされていると考えられている。
一方「ロング・ガンマ線バースト」は、大質量の恒星の最期を飾る超新星爆発によって
発生していると考えられるという。この大爆発では、星の両極から極めて高エネルギー
のガンマ線バーストが高速で放出され、その宇宙を剪断する「レーザービーム」は数千
光年もの距離にまで到達するという。まさに、はるか彼方から射撃を試みるスナイパー
のようなもので、宇宙空間はいつどこからガンマ線バーストに「撃たれる」のかわから
ないというスリリングな状況の中に地球いや太陽系はある様なのだ。今の宇宙科学では
この中性子星の衝突合体も超新星爆発も、その後ブラックホールを発生させる場合があ
る。としている。ガンマ線バーストとは、威容を誇り君臨していた星が、最期に放つ「
断末魔の一撃の光」の様に見える。もちろん、地球をはじめとする小さな星にとっては
危険この上なく迷惑なことだが、しかし、大局的に見れば、宇宙のスケールの大きさの
中の一つ現象にすぎない。ただ問題はこうしたエネルギー照射による地球の地殻や火山
活動の活発化が未だシュミレーションは出来ていない。つまり地震や噴火活動と宇宙の
関係が今やっと注目されただけで、解明まで至っていない。太陽に大きく左右されなが
らも地球環境はあまり解っていないのである。


788: 名無しさんAA:18/09/30 21:55
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐45   

 宇宙空間を飛び交う高エネルギー放射線は「宇宙線」と総称されるが、これらは絶え
ず地球にも降り注いでいる。そのほとんどは、地球を包むオゾン層に阻まれ、弾き返さ
れている。しかし中にはオゾン層のバリアを無効にするほどの強大なエネルギーを持つ
宇宙線がある。それが、広大な宇宙のどこからともなく放出される「ガンマ線バースト
」である。もしガンマ線バーストの直撃を受ければ、地球が破局を迎えることは必至で
、たとえ近くをかすめただけでも地球上の生物の大量絶滅につながるということになる
。こうした大いなる脅威であるこのガンマ線バーストの正体は、もう少し探って行きた
い。基本としてガンマ線バーストとは、宇宙空間の、突然の放射線大閃光である。ごく
僅かな間(0.01秒〜数分)放たれるが、ある意味では一大スペクタクルともいえる演出
を伴うアニメチックなドラマ的な現象だろう。現在の天文技術になって、小さなガンマ
線バーストは外宇宙からやって来ての1日に約1回の割合で観測されて宇宙放射線とな
っている。が、その原因や正体はまだまだ謎に満ちている。ドイツのデザイン会社が、
「宇宙からやってくる死 ― ガンマ線バーストの解説」という動画を投稿し、その解説
によれば、ガンマ線バーストには“ショート”と“ロング”の2種類あり、それぞれの
発生原因が異なるという。放射時間が短い「ショート・ガンマ線バースト」は、2つの
中性子星同士の衝突と合体によって引き起こされていると考えられている。一方「ロン
グ・ガンマ線バースト」は、大質量の恒星の最期を飾る超新星爆発によって発生してい
ると考えられるという。この大爆発では、星の両極から極めて高エネルギーのガンマ線
バーストが高速で放出され、その宇宙を剪断する「レーザービーム」は数千光年もの距
離にまで到達するという。まさに、はるか彼方から射撃を試みるスナイパーのようなも
ので、宇宙空間はいつどこからガンマ線バーストに「撃たれる」のかわからないという
スリリングな状況の中に地球いや太陽系はある様なのだ。しかし今の宇宙科学では今の
外宇宙からの入射で、内宇宙の中性子星の衝突合体も超新星爆発も、その後ブラックホ
ールを発生させる場合が無い限り危険性は薄い。ガンマ線バーストとは、威容を誇り、
君臨していた太陽の様な恒星が、最期に放つ「断末魔の一撃の光」の様なものだ。もち
ろん、地球をはじめとする小さな星にとっては危険この上なく迷惑なことだが、しかし
、大局的に見れば、宇宙のスケールの大きさの中の一つ現象にすぎない。ただ問題はこ
うしたエネルギー照射による地球の地殻や火山活動の活発化が未だシュミレーションは
出来ていない。つまり地震や噴火活動と宇宙の関係が今やっと注目されただけで、解明
まで至っていない。太陽に大きく左右されながらも地球環境はあまり解っていない。

789: 名無しさんAA:18/09/30 21:56
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐46   

 もしもガンマ線バーストが地球を直撃したり付近をかすめたりした場合、具体的にど
うなってしまうのか。核ミサイルで攻撃される、もしくは巨大隕石が衝突する惨状を、
イメージしてしまいがちだが、ガンマ線バーストの直撃を受けても、実のところは目に
見える被害はあまり起きない。しかし、地球環境を保護しているオゾン層が破壊されて
しまい。宇宙線や電磁波が直接地上へと届き、まず電気系統のインフラに深刻な影響を
及ぼす。これによりコンピュータや電子機器をはじめ、一瞬だがサーバーやデータセン
ターなどが壊滅する。もちろん携帯電話なども使えなくなる。人工衛星も、ほとんどが
機能不全で停止するだろう。まさに今の便利な、現代文明が崩壊するといってもよいだ
ろう。次には、大量のガンマ線に晒されることで生物の遺伝子が損傷する。がんや染色
体欠損異常が多発することになる。もちろん人間だけでなく、ほかの生物も遺伝子レベ
ルの深刻な被害を受ける。しかし生体にはその修復作業を起こし修復出来なければガン
となる。又、一度破壊されたオゾン層が復元するには、少なくとも数年は要するので、
その間に急激に進む気象変動と環境の過酷化で、生物の大量絶滅を迎えると考えられて
いる。こうした事は 地球の歴史上、これまでも何度か生物の大量絶滅が起こったと考
えられている。その中でも直近では4億5000万年前のオルドビス紀末の大量絶滅は、一
説によればガンマ線バーストが引き起したものである。といわれている。この絶滅の起
因説は、2005年になって米・カンザス大学とNASAの共同研究で指摘された説で比較的近
年に解った事である。約6000光年先から発射されたガンマ線バーストが地球を直撃した
という推測だが、この時は、たった10秒間ほどの強烈なガンマ線が地球に照射された
。となっている。このことでオゾン層の約半分が破壊され、これまで守られていた地表
が宇宙線や電磁波、太陽フレアに晒されることによって生命の大半が死滅したという事
を指摘している。はたして、このような大量絶滅が近いうちに再び起こるのだろうか。
災害や事故など、日常生活の上で幾つものリスクを抱えて現代人は暮らしている。地球
にとって宇宙空間もまた実に危険に満ちた安心できない環境で宇宙放射線は飛び交い、
空気や酸素どころか重力さえない。+130〜−60℃の環境では人は生きられない。
ロシア科学アカデミーの宇宙学者の「第3段階」の文明を持つ宇宙人はこの超大質量ブ
ラックホールの内部で暮らしている。などという指摘をして驚かせている。宇宙戦艦ヤ
マトのアラミス人の世界である。隕石衝突での津波の発生だけでも人類は破滅的な弱者
となる。しかし不思議にも現代人は自らにこのオゾン層破壊を行っている。

790: 名無しさんAA:18/09/30 22:53
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐47   

 おそらくこれから50年後の2050年頃は、真の宇宙意識がAIで持てるかもしれない
。人類が生き残る為に一体何を模索するか、どう進化するかにかかっている。これまで
パンアメリカン主義で、貿易拡大主義で消費社会拡大主義を取って来た。しかしここで
決定的な事態に遭遇する。つまり難民支援や貧民支援はできない程大きく多くなる可能
性が高い事だ。これまでの産業革命以降の自然負担は、科学技術による自然進化阻害は
甚だしかった。その為AI頭脳に近づいてきた今日になって、その人類秩序の矛盾が噴
出した。自然破壊と無駄な便利さの追求だ。4億5000万年前にガンマ線バーストが地球
を直撃して人類を誕生させていたが、今後やって来るDNA変化は恐らく死滅を予測す
るだろう。AIの便利さはこの電磁破壊で一瞬に文明は壊される。この後やって来た、
ヤンガードリアス期などの温暖化は、恐らく宇宙放射線変化による地殻運動がこの環境
を作ったのだろうが。一万年前の完新世時代に急激に温暖化し氷河期を終わらせて地球
は人類発展の穏やかな地上を作った。完新世の気候最温暖期は、北極付近では4℃以上
上昇した。シベリアでは冬に3-9℃、夏に2-6℃というデータもある。ヨーロッパ北西で
は温暖になったが、南部では寒冷化した。年平均気温の変化は緯度が高いほど顕著に現
れ、基本的に低・中緯度ではあまり変化が無かったという。熱帯のサンゴ礁は1℃に満
たない程度である。世界平均では、おそらく20世紀半ばと比較して、緯度による違い
、季節性、応答パターンの違いを見積もってても 0.5-2℃の穏やかな変化を維持し続け
た時代で温暖だった。と言われている。はるか離れた南半球のニュージーランドや南極
などでの、完新世で最も温暖になったのは、およそ8,000年前から1万500年前の間、最
終氷期が終わって間もなくである。6,000年前までの 温暖期は北半球の気候最温暖期と
関連付けるのが普通だが、これらの地域では、当時は既に ほぼ現在と同じ気温に達し
ており、北の気温変化とは関連が無いとされている。しかし、何人かの研究者は、南で
早くに起きた温暖化も「完新世気候最温暖期」とみなしている。ほとんどの低緯度地域
ではそれほど著しい気温変化は見られ無かった。それでも気候の変化は報告される。ア
フリカやオーストラリアでは湿潤になり、特にアフリカを襲うモンスーンが強力になっ
たために現在サハラ砂漠の広がる場所は緑の植生が広がっていた。アメリカ中西部は、
砂漠に近い状態であった。南アメリカのアマゾン周辺では気温が上がり、乾燥化した。
などだが、だがこうした小さな変化は人類の誕生から進化まで壁にはなっても、そう大
きな全地球的な障害とはならなかった。これをみると如何に人類が、環境に見守られて
生きて来て世代をついできたかが解り得る。温暖化して今の気候が続いて今に至ったのだ

791: 名無しさんAA:18/09/30 23:00
 NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐48   

  9,000年前は、軌道要素では地軸の傾きが、24°で今の23°より傾いていた。極
域の夏に最も太陽が近づいており近日点や偏心率は、北半球が受ける日射量が極大とな
る。ミランコビッチ要素の計算からは、更に北半球の夏の日射量がより増加し、より熱
せられるという結果が導かれる。また、太陽黒点の活動も活発な時期であった。この為
、雷を伴った嵐が活発な「熱帯収束帯」と呼ばれる地域が南へシフトしたと予想されて
いる。軌道要素の計算結果では、北半球で発見された気候の極大反応より数千年程早い
。この遅れは地球が最終氷期から脱する時からの、気候の継続的な変化や、氷のフィー
ドバック効果と関連した結果であろうと思われると結論づけている。気候変動が異なっ
た地域ではしばしば時期がずれたり、その継続期間も異なるということを考察する際に
も同様である。幾つかの地点のこのイベントに伴う気候変化は、早くて およそ9,000年
前から始まったり、 4,000年前まで継続している場所もある。と言う。しかし確かに氷
山の浮遊や氷河などの還流せき止めなどが地域気候を変化はさせる。しかし何千年も、
それが続いたとは考え難い。更に付け加えると、北半球から離れた南半球の最温暖期は
、北半球の温暖化に先立ち非常に早く起きている。この時期には最終氷期終了以降、も
っとも北半球の氷床が融けていたため、世界的な海水位が最も上昇していた。この海水
位の上昇は日本では「縄文海進」と呼ばれ、海面が今より3〜5メートル高かったと言わ
れている。こうして 日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでいた。気
候は現在より湿潤で年平均で1〜2℃気温が高かったという。未だマンモスがロシアでの
発見の多さの明確な原因は未確定であるが、有力な仮説として氷河期末期の気候変動に
伴うこの真水の漂流が気候変化を起こし、植生の変化を起こした事が原因とする説があ
る。約1万年前に氷河期が終わり、高緯度地域の気温が10度も上昇した。この温暖化
以前のシベリアは乾燥した大地で、柳やイネ科の草が生息する草原が広がっていた。シ
ベリアで発見されたマンモスの胃の内容物から、イネ科の植物がマンモスの主食であり
、他にキンポウゲ科やヨモギ類などを食べていたと推測されている。ところが、この温
暖化に伴った湿潤化で、一年の半分は大量の雪が降り積もる植物の生育に適さない大地
へと変貌していった。というのだ。マンモスの食料となる草木は激減し、マンモスも又
シベリアから消えていった、というストーリーである。はたしてこの南北の違いは深層
海流の深さと地殻の熱さの不均衡では無かったかと、私は思っている。ぶり返したヤン
ガードリアス期の寒さの謎は、そこにあるのではとも思っている。


792: 名無しさんAA:18/09/30 23:01
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐49   

 マンモス絶滅には、その他の、有力な仮説としては、ヒトの狩猟の対象になったこと
を原因として北方に逃げたとするものがある。アメリカ大陸に、1万年前後から人類が
進出した。人類がマンモスハンティングに使用したクロビス石器が登場する、1万1000
年ごろと相前後して、マンモスは地上から姿を消し始める。シミュレーションによれば
、アメリカ大陸に人類が進出して八百年ほどでマンモスは絶滅している。子供を一度に
1頭しかうまない大型動物で狩猟にはマンモスは、圧倒的に弱い動物であった。今の象
と同じに小さな集団生活で小象を育てているが、それが困難になった事だ。と言われて
いる。又、人間の神の存在はこうした環境に与える気象条件に起因する。どこの国家で
も集団でも、原始国家像の中では、食糧生産をこの安定した気候に頼っていたからだ。
従って旱魃・洪水いづれもが神のなせる業とされたのだ。しかし大局的には「完新世気
候最温暖期」の、この気候事件は、おそらく地球軌道の変化で簡単に説明が付くし、最
終氷期終了の延長的な現象と思われる事も説明できると学者は言うがこんなに何千年も
北と南に差がつく気候があるとは思えない。更に不思議なのはモンゴロイド達のベーリ
ング海を渡って定住したと言う説だ。この渡来説には大いに疑問がある。と言うのも、
南米の遺跡調査更は今のアメリカインディオに近づくほど近代に近い。メキシコからペ
ルーやアルゼンチンと南下するに従いどんどんと古くなる。つまり、末端のペルー人は
一番古く、南洋から渡航してやって来たのが最初だった。と考えるのが一番妥当な移動
となる。わざわざ寒い氷の上を歩いて渡って来る必要などなかったのである。1万4000
年〜1万3000年前のアラスカの遺跡が出ているが、同時期に1万3500年前のアメリカの
ニューメキシコ州には多数のクロビス型石器が出ている。この事は既に双方に文化文明
の基礎の生活があったと言う証になる。又8万年〜5万5000年前に 新人類は出アフリカ
をした(DNA:ハプログループ分析)という話があるが、5万年前のアメリカ(サウスカロラ
イナ州)の石器と遺跡が出ている。此処に新たな科学的手法が入った。それがDNAの
考察である。バイカル湖の傍のマリタ遺跡はシベリア原住民と見られていた。更にロシ
ア連邦、ボロネジの南約30キロメートル、ドン川右岸の段丘に形成された後期旧石器時
代の遺跡群がある。遺存例の少ない住居址(し)や埋葬人骨などが出土したことで世界的
に知られているコステンキ遺跡がある。シベリアで発見された2万4000年前の幼児の腕
の骨のゲノム配列を解析したところ、この骨から抽出されたDNAには、今日の西ユー
ラシア(中東およびヨーロッパ)に見られる遺伝子と、アメリカ先住民に特徴的な要素
が見られたが、現代の東アジアの人々との関わりを示すものは含まれていなかったのだ

793: 名無しさんAA:18/10/01 09:54
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐50   

 1万4000年〜1万3000年前のアラスカの遺跡が出ているが、同時期に1万3500年前の
アメリカのニューメキシコ州には多数のクロビス型石器が出ている。クロビス型は日本
での石器の事でクロビスに出土した地名からこう呼ばれている。又この事は既に双方に
文化文明の基礎の生活があったと言う証になる。又8万年〜5万5000年前に 新人類は出
アフリカをした(DNA:ハプログループ分析)という話があるが、5万年前のアメリカ(サウ
スカロライナ州)の石器と遺跡が出て、此処に新たな科学的手法が入った。DNAの解
析と考察である。バイカル湖の傍にマリタ遺跡はシベリア原住民と源流見られる遺跡が
発見されている。また欧州に近いロシア連邦の、ボロネジの南約30キロメートル、ドン
川右岸の段丘に形成された後期旧石器時代の遺跡群がある。遺存例の少ない住居址(し)
や埋葬人骨などが出土したことで世界的に知られているコステンキ遺跡がある。ここは
欧州人の源流だろうとされていた。このシベリアのマリタ遺跡ので発見されたとする、
2万4000年前の幼児の腕の骨のゲノム配列を解析したところ、この骨から抽出されたD
NAには、今日の西ユーラシア(中東およびヨーロッパ)に見られる遺伝子と、アメリ
カ先住民に特徴的な要素が見られたが、これまで伝えられていた、現代の東アジアの人
々との関わりを示すものは含まれていなかったのだ。つまり、アイヌやエスキモーの血
でなく、バイカル湖や中東トルコや東欧州に近かったし、アメリカインディオにも近い
事が解ったのだ。この事はおおきな意味を帯びている。これまでユーラシア大陸とアメ
リカ大陸をベーリング海の氷上を渡って来たとされたアメリカインディオは、全く東ア
ジア人とされる朝鮮人や中国人、或いはアイヌ人や日本人の特徴を持たずに西ユーラシ
ア特にヨーロッパ人の特徴が多くあったと言うのである。「今回の研究によって(通説
が)書き換えられる。アメリカ先住民の祖先のうち少なからぬ数の人が、東アジアでは
なく今日の西ユーラシアに起源を持つと分かったからだ」とウィラースレフ氏は言う。
「ゲノムの約3分の1というのはかなりの多さだ。だから、歴史をかなり書き換える事
になると思う。」と話した。今回の研究では、アメリカ先住民は2つの異なる集団の邂
逅によって生まれたものと考えている。一方の集団は東アジア、他方は西ユーラシアに
起源を持つとウィラースレフ氏は説明する。又、ワシントン州で発掘されたケネウィッ
ク人は、いくつかの研究によって、現代のアメリカ先住民とも東アジアの人々とも身体
的特徴があまり似ていないとされた。「おそらく祖先の3分の1が、東アジアではなく
西ユーラシア辺りから来たためではないか。」と推定している。


794: 名無しさんAA:18/10/01 09:55
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐51   

 更に「コステンキ14」と名付けられた、3万7千年前のロシアの男性。彼の骨から得
られたDNAが、有史以前の源流のヨーロッパに人類の祖先と見られ、その純血を見よ
うとDNA解析されたが、現代のヨーロッパ種が共通して持っている遺伝子が、これま
での推定よりもずっと古い時代からの混血であることが、この先史時代のロシアの男性
のDNA分析で判明したのである。分析の対象となったのは、3万7千年前に生きてい
た、男性の脚の骨の小さなかけらだ。採取したDNAの断片を調べたところ、この人物
が遺伝的には現在ヨーロッパに暮らしている人々と驚くほど似通っていることが分かっ
たのである。つまり既に混血で他民族の子孫であったのだ。現代のアメリカ大陸先住民
と遺伝的には近縁で、東アジア人には類似していない領域があることが明らかな上に、
ヨーロッパ系がもともとポロネジなどスラブに何万年も昔の早い時期から住んでいた。
そして2万年も前から北米アメリカに上陸していた。マンモスハンティングに使用した
クロビス石器が出た頃のアメリカに住んでいた。という事になる。今までの人類の移動
の話とは異なるのである。クロビス石器とは石包丁とか弓やの矢じりの先に石をつけた
頃の話となる。マンモスの消えて行く頃の矢じり跡がマンモスにあったと言われた頃に
既に欧州人が北米にいたのである。こうした人類移動の謎は、人が歩いて或いは遊牧や
そりや馬に乗って移動したという先入観からのものだ。ノアの箱舟伝説からは、かなり
古い時代から船を造り操作し運用ていたと思われる。実は天体の動きが、数々の遺跡か
ら掘り出されるが、農耕の日数よりはこの船や風や気候を読む事の方が大事であったの
だろうと思う。海に繰り出し船で移住したと思えば、この話は納得できるし従来からの
すこしずつ転住していった説が間違いだろうと思われる。遊牧して狩りによって移住し
たというのは解るが、そもそも単純に住みにくい場所に新しい村を構える必要はない。
雪が積もり凍り付いた湖の傍よりは、沢でも川でも年中暖かい場所が選ばれるし、そり
にしても一気に1年や2年でアメリカにはたどり着く。さらに3万年も前の大陸では、
ロシアカナダも凍らないでも結構な温帯ではなかったかと考えられる。それは先の地球
ヒョウタン型理論である。つまり南極に大陸が厚く高く山があってそれが今台地に変化
し地の底ではマグマが丸く削って行っているだから表層が対流が起こって地震がある。
と言う説を私は信じていいと思う。つまりそこで低い所薄い所が火山を作っていると言
う話である。日本海溝はその名残りで深いと思っている。


795: 名無しさんAA:18/10/01 09:58
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐52   

屋久杉に刻まれた年輪の分析から明らかになった、8世紀に地球を襲ったとされる強力
な宇宙放射線。その発生源として、瞬発的なガンマ線バーストを予測する研究成果が発
表されている。三宅芙沙さん(みやけふさ・名古屋大学太陽地球環境研究所)らの研究
チームは昨年、 775年に形成された屋久杉の年輪に炭素14とベリリウム10が急増してい
ることを発表し、西暦774年か775年に地球が宇宙放射線の直撃を受けたことを示唆した
。炭素14とベリリウム10は、宇宙線が窒素原子と衝突してできる、通常の炭素やベリリ
ウムよりも重い原子だ。放射線直撃の原因としては比較的近傍での超新星爆発があるが
、目撃記録も跡に残るはずの超新星残骸も見られないため、その可能性はない。とする
研究結果が発表されている。三宅さんらは太陽フレアが原因ではないかとも考えたが、
検出されたほどの炭素14の要因としては威力が足りない。また巨大なフレアはコロナか
らの質量放出を伴うことが多く、それによって地球では活発なオーロラが見られるが、
そのような記録も見当たらない。「アングロサクソン年代記(古事記や日本書紀に相当
する英国最古の歴史書)」にある、日没後に見える「赤い十字架」の記述についても指
摘があったが、776年では時期が遅すぎるし、やはり超新星残骸も見つかっていない。
高濃度の炭素14は検出された、しかし現象の記録はない。これらを両立する説として、
独・イエナ大学宇宙物理学研究所の2人の博士が、2つのコンパクトな天体同士(ブラ
ックホールや中性子星、白色矮星)が衝突合体して発生したガンマ線バースト説を提案
した。こうした現象で発生したガンマ線バーストは強力だが短く、たいていは2秒以下
しか続かない。この説なら現象の記録がないのもつじつまが合うが、こうした短いガン
マ線バーストは可視光も発するという別の研究もある。見えたとしてもわずか数日間な
ので見逃す可能性が高いが、当時の記録を再度調査してみる価値はあるかもしれない。
炭素14の計測から、ガンマ線バーストは3000光年〜1万2000光年の距離で発生したとみ
られる。「もっと近かったなら、生物圏に甚大な被害がもたらされていたでしょう。現
在なら、数千光年離れた場所で起こったとしても、先進社会が依存する電子機器等など
への影響があるかもしれません。課題は、そのような現象がどれくらいの頻度で地球を
襲うかを探ることです。今は、過去(地球上で最長老の樹木の年齢である)3000年の間
に1度だけ起こったようだ、としか言えないのです。」


796: 名無しさんAA:18/10/01 10:03
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐51  

 世界的に有名なマリタ遺跡はシベリアのバイカル湖近く(古都イルクーツク市の北西
80Km)に発見された遺跡で、その歴史は2万3000年前のマンモスハンターの遺跡で
す。縄文時代よりも一万年以上前までさかのぼると言われています。その子孫と考えら
れるブリヤート人と日本の縄文人とのDNAを比べてみたところ、類似点が多数見つか
った。しかし1928年、このマクソホン村のマリタ遺跡で発見された24,000年前の古代人
骨(MA-1)のミトコンドリアDNAは、ハプログループUであった。これは、サンクトペテル
スブルクのエルミタージュ美術館に保管されていた人骨(MA-1)から採取したサンプルを
解析した結果による。これは、この結果に伴い、マリタ遺跡古代人骨(MA-1)は、ミトコ
ンドリアDNAハプログループU2系統とみとめられた。コステンキ遺跡出土人骨(Kostenki
14)は、1954年に、ロシアヴォロネジ州のドン川近くにあるコステンキ遺跡から発掘さ
れた 旧石器時代(約3万8,700-3万6,200年前)の狩猟採集者である若い男性の古人骨・コ
ステンキ14号(Kostenki 14)の尺骨からDNAを抽出し解析を行った結果、ミトコンドリア
DNAは、ハプログループ U2であることが明らかとなった。コペンハーゲン大学の遺伝学
者・エシュケ・ウィラスレフは、従来考えられてきたヨーロッパ人の起源を覆すもので
、ヨーロッパには段階的に流入したのであろうと考えられてきた特徴的な遺伝子の痕跡
が、この3万年前のコステンキ14号古人骨の遺伝子から検出されているという結果を発
表した。最初の現生人類は3万5000〜4万年前、アフリカからヨーロッパにやって来た。
3万年前ごろまでにはヨーロッパ全域に広がり、一方 近縁種のネアンデルタール人は
消失。これら狩猟採集民のDNAが、ハプログループHだった可能性は低い。約7500年前の
新石器時代前期、今度は中東からヨーロッパに次の波が押し寄せた。作物の栽培方法と
ともに、ハプログループHの変異型が持ち込まれた。 考古学者たちは、中欧にやって来
た最初の農耕民が形成した文化を線形陶器文化 (LBK)と呼んでいる。線形の装飾を施
した陶器が多く見つかっているためだ。遺伝的な証拠によって、 LBKの農耕民と彼ら固
有のハプログループHの到来が、ハプログループUの激減と一致することが示されてい
る。当時、ヨーロッパの狩猟採集民の間では、ハプログループUが優勢だった。遺伝的
な証拠によって、LBKの農耕民と 彼ら固有のハプログループHの到来が、ハプログルー
プUの激減と一致することが示されている。


797: 名無しさんAA:18/10/01 10:04
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐52   

 更に「コステンキ14」と名付けられた、3万7千年前のロシアの男性。彼の骨から得
られたDNAが、有史以前の源流のヨーロッパに人類の祖先と見られ、その純血を見よ
うとDNA解析されたが、現代のヨーロッパ種が共通して持っている遺伝子が、これま
での推定よりもずっと古い時代からの混血であることが、この先史時代のロシアの男性
のDNA分析で判明したのである。分析の対象となったのは、3万7千年前に生きてい
た、男性の脚の骨の小さなかけらだ。採取したDNAの断片を調べたところ、この人物
が遺伝的には現在ヨーロッパに暮らしている人々と驚くほど似通っていることが分かっ
たのである。つまり既に混血で他民族の子孫であったのだ。現代のアメリカ大陸先住民
と遺伝的には近縁で、東アジア人には類似していない領域があることが明らかな上に、
ヨーロッパ系がもともとポロネジなどスラブに何万年も昔の早い時期から住んでいた。
そして2万年も前から北米アメリカに上陸していた。マンモスハンティングに使用した
クロビス石器が出た頃のアメリカに住んでいた。という事になる。今までの人類の移動
の話とは異なるのである。クロビス石器とは石包丁とか弓やの矢じりの先に石をつけた
頃の話となる。マンモスの消えて行く頃の矢じり跡がマンモスにあったと言われた頃に
既に欧州人が北米にいたのである。こうした人類移動の謎は、人が歩いて或いは遊牧や
そりや馬に乗って移動したという先入観からのものだ。ノアの箱舟伝説からは、かなり
古い時代から船を造り操作し運用ていたと思われる。実は天体の動きが、数々の遺跡か
ら掘り出されるが、農耕の日数よりはこの船や風や気候を読む事の方が大事であったの
だろうと思う。海に繰り出し船で移住したと思えば、この話は納得できるし従来からの
すこしずつ転住していった説が間違いだろうと思われる。遊牧して狩りによって移住し
たというのは解るが、そもそも単純に住みにくい場所に新しい村を構える必要はない。
雪が積もり凍り付いた湖の傍よりは、沢でも川でも年中暖かい場所が選ばれるし、そり
にしても一気に1年や2年でアメリカにはたどり着く。さらに3万年も前の大陸では、
ロシアカナダも凍らないでも結構な温帯ではなかったかと考えられる。それは先の地球
ヒョウタン型理論である。つまり南極に大陸が厚く高く山があってそれが今台地に変化
し地の底ではマグマが丸く削って行っているだから表層が対流が起こって地震がある。
と言う説を私は信じていいと思う。つまりそこで低い所薄い所が火山を作っていると言
う話である。日本海溝はその名残りで深いと思っている。

798: 名無しさんAA:18/10/01 10:06
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐53   

屋久杉に刻まれた年輪の分析から明らかになった、8世紀に地球を襲ったとされる強力
な宇宙放射線。その発生源として、瞬発的なガンマ線バーストを予測する研究成果が発
表されている。三宅芙沙さん(みやけふさ・名古屋大学太陽地球環境研究所)らの研究
チームは昨年、 775年に形成された屋久杉の年輪に炭素14とベリリウム10が急増してい
ることを発表し、西暦774年か775年に地球が宇宙放射線の直撃を受けたことを示唆した
。炭素14とベリリウム10は、宇宙線が窒素原子と衝突してできる、通常の炭素やベリリ
ウムよりも重い原子だ。放射線直撃の原因としては比較的近傍での超新星爆発があるが
、目撃記録も跡に残るはずの超新星残骸も見られないため、その可能性はない。とする
研究結果が発表されている。三宅さんらは太陽フレアが原因ではないかとも考えたが、
検出されたほどの炭素14の要因としては威力が足りない。また巨大なフレアはコロナか
らの質量放出を伴うことが多く、それによって地球では活発なオーロラが見られるが、
そのような記録も見当たらない。「アングロサクソン年代記(古事記や日本書紀に相当
する英国最古の歴史書)」にある、日没後に見える「赤い十字架」の記述についても指
摘があったが、776年では時期が遅すぎるし、やはり超新星残骸も見つかっていない。
高濃度の炭素14は検出された、しかし現象の記録はない。これらを両立する説として、
独・イエナ大学宇宙物理学研究所の2人の博士が、2つのコンパクトな天体同士(ブラ
ックホールや中性子星、白色矮星)が衝突合体して発生したガンマ線バースト説を提案
した。こうした現象で発生したガンマ線バーストは強力だが短く、たいていは2秒以下
しか続かない。この説なら現象の記録がないのもつじつまが合うが、こうした短いガン
マ線バーストは可視光も発するという別の研究もある。見えたとしてもわずか数日間な
ので見逃す可能性が高いが、当時の記録を再度調査してみる価値はあるかもしれない。
炭素14の計測から、ガンマ線バーストは3000光年〜1万2000光年の距離で発生したとみ
られる。「もっと近かったなら、生物圏に甚大な被害がもたらされていたでしょう。現
在なら、数千光年離れた場所で起こったとしても、先進社会が依存する電子機器等など
への影響があるかもしれません。課題は、そのような現象がどれくらいの頻度で地球を
襲うかを探ることです。今は、過去(地球上で最長老の樹木の年齢である)3000年の間
に1度だけ起こったようだ、としか言えないのです。」


799: 名無しさんAA:18/10/01 10:41
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐54   


当時、ヨーロッパの狩猟採集民の間では、ハプログループUが優勢だった。「ヨーロッ
パの考古学的な記録には遺伝子変化を伴う変化が如実に歴史や遺物に現れる。つまり、
人とそのDNAの移動に伴って、文化の変化が起きたのだ。と言う。歴史学者達は、中
欧にやって来た最初の農耕民が形成した文化を、線形陶器文化(LBK)と呼んでいる
。線形の装飾を施した陶器が多く見つかっているためだ。LBKグループとその子孫は
繁栄を極め、瞬く間にヨーロッパ全域に広がった。「ヨーロッパを席巻した最初の文化
と言ってもよいだろう。」とクーパー氏は話す。この大躍進を考えると、彼らが多くの
現代ヨーロッパ人の重要な遺伝的祖先と考えるのが自然だ。ところが、欧州においての
 遺伝子解析研究チームの、遺伝子解析結果は、常識を覆すような事実を示している。
約6500年前の新石器時代中期、LBKの文化が衰退した。そして突然、このグループが
固有のハプログループH変異型が現れ希少な存在となり、同グループの異なる変異型を
持つ人々に取って代わられてしまうのだ。つまり、U→H→変異Hと、とって変わられ
るのだ。アジアでも同じようにとって代わられたものはある。これまでは陸地を通って
人々は交差したと思われていたがどうも違うだろう。と思われている。アフリカを出発
した現生人類は、まずインドに到り、インドから南回りのグループは大陸の海岸沿いの
経路をとり、さらに海から大河を遡って内陸に展開した。また北回りのグループは内陸
ルートで中央アジアから、シベリアや東北アジアに進出したという。亜型Bは、日本人
の七人に一人が該当する2番目に多いグループである。この亜型グループは、他の亜型
がDNAの文字配列の変異に起因しているのに対し、文字配列の特定の部位が8つ分だ
けが欠損するということに起因している。すなわち一般のmtDNAの16,569文字に対
し、16,559文字しか持っていないという。この亜型Bは、4万年ほど前、中国の南部で
誕生したと推定されている。その人口は中国南部から東南アジアにかけて高い人口比を
示して、太平洋の島々に拡散した人々の 90〜100%がこのmtDNAが欠損した人々で
ある。しかし、この海洋民族といわれる人々の拡散は、たかだか6千年前以降の話であ
る。にも関わらず、朝鮮半島には漢民族系のもう一つの欠損グループが存在し駆逐して
いる。日本の縄文人のDNAは、何回も同じ種族が時を得て一挙に渡ってきて重複DN
Aの重なりが見られるが、朝鮮半島にはないのである。

800: 名無しさんAA:18/10/01 10:42
  NEW 悪魔の聖杯 0055   ヤンガードリアス期の謎  ‐‐‐55  

 不思議にも、この亜型Bは、南米でも高い人口比をみせる。この伝播ルートは中国南
部から東アジアの沿岸を北上して新大陸に至り、そこからさらに海岸沿いに南下したと
考えられるという。非常に古い時代に、東アジアの南から北上する大きな人の流れがあ
ったと見られている。当然、東アジアの沿岸には日本列島があり、彼等の一部が列島に
留まった。おそらく一番最初に日本列島に入ったのは、亜型Dよりもこの亜型Bを主体
とした集団の可能性が強い。すなわちこの亜型Bは、これまで述べてきた集団としては
、まさに東南アジア島嶼部(スンダランド)から日本列島にやってきた人々であろう。
その他にもチベットの人々が持つ EPAS1の変異がある。デニソワ人のサンプルで見つか
った変異とほぼ同じものだった。デニソワ人は約4万1千年前に住んでいたとされる、ネ
アンデルタール人と同じにホモサピエンスに最も近いヒト属の個体および同種のヒト属
の古代人類である。デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市 バルナウルから約150km
南方に位置するが、この中国とモンゴルの境界から発見された現生人類の一部(メラネ
シア人など)と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高いとしている化石人類である
。だがこの変異の痕跡は、漢民族以外の、デニソワ人の名残を受け継ぐとされる他の民
族集団には全く存在しない。デニソワ人由来のゲノムの割合が5%と民族の中で最も高
いメラネシア人にも、その痕跡はみられないのである。アフリカを出たホモサピエンス
のグループは、中国へ向かう途中でアジア中部を通過した際にデニソワ人と交配したと
の説を論文は提唱している。中国に移住したホモサピエンスのグループは、その後2つ
に分裂した。一つはチベットに移動し、もう一つは低地に残り今日の漢民族となった。
研究によると、種族間で交配を重ねた結果、チベット人の87%が EPAS1の貴重な変異を
獲得するに至ったという。それに対し漢民族は、共通の祖先を持っているにもかかわら
ず、全体の9%しかこの変異を持っていない。独マックス・プランク 進化人類学研究所
(MPI―EVA)の研究員ビビアン・スロン博士は、「これまでの研究から、ネアンデルタ
ール人とデニソワ人の間に子どもができていたことは推測されていた」と話した。「し
かし実際に両者の間にできた子どもを発見できるとは思っていなかった。」と 言う。
ロシアの洞窟で、異なる種の旧人類2人が出会った。5万年後、科学者らは2人には娘
がいたことを突き止めた。



続きを読む
掲示板に戻る 全部次100 最新50
名前: E-mail(省略可): ID非表示